はてなキーワード: 拘置所とは
https://mainichi.jp/articles/20180315/k00/00m/040/093000c
死刑囚13人中7人を東京拘置所から移送、同日夕までに名古屋、大阪両拘置所に各2人、仙台拘置支所、広島拘置所に各1人が到着した。福岡拘置所に15日、残る1人が到着する予定。
林泰男死刑囚
端本悟死刑囚
土谷正実死刑囚
居残り組のうち3人は後日仙台に一人、広島に一人、福岡に一人送られ、
仙台拘置支所2人
広島拘置所2人
福岡拘置所2人
東京拘置所3人 になる予定
Q 何故移送したんですか?
A 共犯犯罪での死刑囚は同日執行が慣例。オウム死刑囚は東京拘置所に13人いたため、そのままでは同日執行が現実的ではなく、そのための複数移送です。
Q 死刑囚の親族のため郷里に近いことろへ移送することもあるそうですが?
豪邸に住んだり美人妻を抱いたりする生活とは縁遠く、それどころか無縁仏になる連中が増えているのに意外と幸福らしいのである。
これは大衆消費社会において誰でも持てるような製品がQOLを上げているからであろう。
やはりiPhoneは革命的だったのであろうし、そして技術がこなれてきて、中華製のAndroidでも十分過ぎる状態になっている。
究極の美は、やはり肉体によって体現される美なのであろうし、その素肌の熱さはセックスという行為で貪らなければ得られないが、
しかし、スマホの中の流麗なグラフィックを花鳥風月のように愉しむこともできる。
この満足が美人を抱くことに匹敵するとは言うまいが、代理満足としてそこそこ潤いにはなっている。
恋愛というゼロサムゲームは永遠の難題としても、有象無象の俗衆が手にできる生活の利便性は上がっており、
古来より問題であった孤独という問題もスマホが解決した。ネットでの関係など蜃気楼のようなものだが、
昔の隣近所のような煩わしさはないし、これなどは代理満足のほうがむしろ望ましい。
現在ではダイソーとかドン・キホーテのような安物の雑貨を売る店が大繁盛している。物を買うのは所有権の拡張であり、買い物でストレスは軽減される。
自分の所有物を増やすのが自分の世界の拡張だが、立派なマイホームを買わずとも、ダイソーの製品で安普請を埋めておけば事足りる。
豪邸や美人妻は手に入らなくても、意外と洒落た安物雑貨を自己所有し、自室に並べることはできるのだ。
ネットに生成されるバーチャルなアイテムは、ダイソーの百円商品と同じ文脈のものである。
われわれはネットにおいてあれこれと所有し、自らの版図を広げることができる。
女さえ断念すれば金持ちと大差がないと言うことさえできる。
もはや大塚家具を並べなくていいと思うし、ダイソーの整理箱で十分である。
巣鴨プリズンで拘置所暮らしをしていた戦犯は、それなりに暮らしやすい質素な生活と読書三昧によって、健康で教養豊かになって戻ってくる人も多かった。
グリーフケアではないけれど、死刑制度はそもそも被害者本人ではなく
ただ残された遺族や社会のために行われるものであることに留意する必要がある
被害者の無念を晴らすためなどと云っても被害者はもうこの世にはいない
死刑は自力救済が禁じられたこの国で、彼らの安寧のために許された合法的殺人手段の一つ
日本では今のところ、相手を死に至らしめない限り、死刑の判決は得られない
つまり、死ぬ手前ギリギリの過激な拷問であれば死刑にはならない
ISや中央アフリカあたりで起きているような恐怖を植え付けるための残虐行為は
死刑囚は刑務所ではなく拘置所で過ごすので、セキュリティ設備が厳しい分、執行まで日数がかかるほど経費がかかる
間違っている点をいくつか
(「遠隔捜査 −真実への23日間−」というPSPのゲームソフトがあるので、私の中では有名である。)
内訳は
なお、本来の制度では「逃走や証拠隠滅の恐れがない」場合には逮捕も勾留も認められない。
つまり、制度的には「諸外国のような2、3日」の通りになっている。
(現行犯逮捕には逮捕状が不要なので、その後の72時間は警察の判断のみで拘束できる。)
個人的には「ノーチェックで3日間」というのは十分ひどいと思うのですが。
なお、「証拠隠滅の恐れ」には「被害者への恫喝」が含まれるので、おそらく勾留請求の論法としてはそこを主張したものと思われます。
おそらく警察は最初から最大勾留を請求するつもりが無かったので、早い段階で勾留請求を行ったのでしょう。勾留に移行すると、逮捕からの経過時間と関係なくそこから10日間で勾留期限になります。
- 3日目 地裁(5分)
が勾留請求と思われるので、定石通り逮捕から72時間近くねばっているようですね。どんなやりとりがあったのか興味があるところ。
逆に「11日」「22日」という記述は記憶違いという事になります。
本来、裁判前に容疑者が収容されるのは「拘置所」と規定されていて、これは裁判所の管轄である。
警察の留置所を使用するのは「一時的な経過措置(代用監獄)」とされている。なお、「一時的措置」が何十年続いているのかという問題があり、「代用監獄問題」として知られている。
留置所は本来そのような長期の収容を行う施設ではないので、居住性が悪い。
本来の通りに拘置所にいた場合、「警察の拘束時間が長すぎる」となるはずである。
日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:国際人権基準に適った未決拘禁制度改革と代用監獄の廃止に向けて
代用監獄問題は冤罪事件の温床と言われているので知っておきましょう。
まぁ「72時間」の時点で十分に冤罪は捏造できるので、「取り調べ可視化」も必須です。
「まず、当番弁護士を呼ぼう。」
まぁこれを当然のように知っているのは、大学時代に「デモに参加して捕まったときの対処法」を常に語っていた知り合いや、弁護士の勉強をしていた知り合いが複数いるからだろうが。
法務省は25日、大阪市で1985~94年に9歳の女児ら女性5人が殺害された「警察庁広域指定122号事件」で殺人罪などに問われ、死刑が確定した鎌田安利死刑囚(75)ら2人の刑を、同日午前に大阪、福岡両拘置所で執行したと発表した。
死刑執行は昨年12月18日以来で、現安倍政権下では9度目(計16人)。未執行の死刑確定者は125人となった。
他に執行されたのは、福岡県で98~99年に起きた連続保険金殺人事件などで殺人罪などに問われ、死刑が確定した吉田純子死刑囚(56)。
確定判決によると、鎌田死刑囚は87年1月、大阪市住吉区の路上で、小学3年生だった女児(当時9歳)を車に乗せ、自宅でいたずらしようとしたが、泣き叫ばれたため首を絞めて殺害。85年5月~94年3月には、金銭トラブルなどから主婦や飲食店員ら19~45歳の女性4人を殺害した。
1審・大阪地裁は99年に死刑を言い渡し、2審・大阪高裁も2001年に死刑を維持。最高裁が05年に上告を棄却し、確定した。
死刑制度の是非はともかく。こういうことがあった、という記録に。
ちょうど、このニュースが流れた時、私は本当にたまたま某刑務所の作業技官の詰め所(事務所?)にいた。
昼休みに入ったところだったので、事務所には10人ほどの技官がいて、お弁当を出したりしながら談笑をしていたのだが、ニュースが流れた瞬間なごやかだった雰囲気が凍り付くのを感じた。
全員がテレビの画面に見入り、誰も何も言わない。身動きすらしない。
誰かが「あぁ」とこぼしたのが聞こえた。それで金縛りが解けたように全員がテレビから視線をはずした。疲れたようにいすに座る人もいた。
全員の表情を見ることは出来なかったが、見えた人はそれぞれ苦い顔をしていた。
犯罪を犯した人の更正に当たる仕事をしている人からすれば、たとえそれが(一般から見て)死刑になって当然という風に見られる人間であっても、辛いことなのだろうか。そこを本人たちに聞くほどの度胸は私にはなかったが。
目が見えなくなる夢をよく見る。
目が見えないのに夢をみるとは矛盾しているようだが、
夢の中のわたしは白い杖をもって間違って知らない街まで電車で行ったり、
知らない男に犯されたり、怖い夢がほとんどだった。
わたしは取り立てて取り柄は無いけど、
目だけはくりっとしていて褒められることが多い。
そんなんで取り柄を失うことを恐れているのかなと思っていた。
昔は年に2・3回見る程度だったけど、一昨年ぐらいから月に1・2回。
今年になってからは週に1回は見るようになり、気持ち悪いので母に話してみた。
いつも明るい母はいつになく話を真剣に聞くと「それはあなたの姉が呼んでいる
のかもしれない」と呟いた。
なにそれ怖いと思って意味を聞くと、
私には3つ離れた姉がいて彼女が5歳の時に交通事故で亡くなったそうだ。
はじめて聞いた話だった。
母は「あなたの幼い頃のことだからきっと忘れたのよ」と言った。
なんで姉と思ったのかと聞くと、
とさらに怖いことを言い出した。
その場は、はははと笑って終わらせたけど死ぬほど怖かった。
「このまま夢を見る回数が増えてくると本当に乗っ取られるじゃないか」
と思い夜が怖くなった。
怖くて眠れない夜が続き、寝不足になった。
心療内科に行こうか悩んだ。
ドリエルは飲んでみたが効かなかった。
そのせいか、夢をみているのかどうかわけがわからなくなってきた。
そして今朝、目が覚めたがまぶたが開かなくなっていた。
このまま視力を失うのかと思って半狂乱になった。
ああーあああーと騒いでいると、
母が2階の自室へやってきて「ほら、お姉ちゃんがやってきたでしょ」と耳元で囁いた。
怖すぎて母を突き飛ばそうとすると目が開いた。
母は「あなた飲み過ぎなのよ」と言って、1階へ降りていった。
鏡をみると、昨日オールドを飲み過ぎたせいか、目やにが固まっていた。