はてなキーワード: 塩基とは
化学熱傷は「酸および塩基によって引き起こされる化学品による熱傷」
http://ja.healthline.com/health/chemical-burn-or-reaction#Overview1
接触性皮膚炎はアレルギー性のものとそうでないもの(一次刺激性接触皮膚炎、Irritant Contact Dermatitis)両方を含むけど、両者は明確に区別されるので
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A5%E8%A7%A6%E7%9A%AE%E8%86%9A%E7%82%8E
人間だけが化けて出られるの?それとも犬とか猫とかの人間以外の幽霊はいるの?
ここで返答は枝分かれする。
ホモ・サピエンスだけなの?それはホモ属だけってこと?それとも現世種であるホモ・サピエンスと遺伝的に同質じゃないとだめなの?
例えばホモ・サピエンスに限りなく近いけど少しだけゲノムに違いがある種が確実にちょっと前にいたはずなんだけどそいつらは幽霊になれるの?なれないとしたらその僅かなゲノムの差異が化けて出られるか出られないかの分かれ目っていう謎の話なの?
じゃあ現代人も個々人でゲノムの差異があるわけだけどその差異はどうなの?横方向のゲノムの差異は問題なしで縦方向のゲノムの差異だけ問題視するの?それとも「幽霊になれるゲノム」「なれないゲノム」があるの????
少しのゲノムの差異があるだけなら化けられるなら、どんどんその少しの差異をチンパンジーと枝分かれする700万年~600万年の共通祖先まで辿れるわけだけどどこの段階でどういう理由で「こっから先のゲノムは幽霊になれませーん」ってなるの?
ホモ属はオッケーでアウストラロピテクス属はだめなの?その属の分け方ってめっちゃ人間の主幹だしどっかでホモ属ともアウストラロピテクス属ともいえない種がいたはずだけどそいつは化けて出られるの?出られないとしたらその前後の遺伝子の変異を問題視するってことなの?どういう理由で?
チンパンジーから枝分かれした人類の祖先までは化けて出られるとしたらその「共通祖先と人類の祖先」とのゲノムの差異も最初はめちゃくちゃ少なかったはずだけどなんでそこで別れるの?その少ない差異が幽霊になれるかなれないかの分かれ目っていう馬鹿な話なの?その2種の差異はどう考えても人類の祖先と今のホモ・サピエンスの差異以上に少ないはずなんだけど?
もっと言うなら別にヒトの進化って一直線じゃなくて色々枝分かれしてるし同じ時代に生きてたりするんだけど、例えばネアンデルタール人とかフローレス人とかは幽霊になれるの?なれないの????
じゃあさ、例えば細菌の幽霊もいるの?お前の腸内でいまもバカスカ死んでる大腸菌も化けてでてくんの?それとも細菌ドメインや古細菌ドメインはだめで真核生物ドメインだけなの?じゃあ菌類とか植物の幽霊もいるの?ゴキブリの幽霊とかも?それとも猫や犬だけなの?それはどこで分けてんの?脊索動物門だけとか哺乳綱だけとかそういう話なの??脊髄の有無や乳房の有無で化けられるかどうか決めるの????
もしかしたら脳の有無って分け方?でも脳って進化の過程で細かく見てけば漸進的に作られてったはずだから「脳らしきもの」と「脳」との間があるはずだしこのふたつを分けてるのは人間の勝手な主観になるんだけどそこが分かれ目ってどういう理由なの???
それとも生命はすべて化けてでられるの?じゃあさウイルスはどうなの?ウイルスが生命じゃないってのはめっちゃ人間の主観的な分け方だからね?まさか細胞の有無で幽霊になれるかなれないかが決まるの?そんな生化学的な理由なの?なんで?
もっと言うならDNAとかRNAとかの自己複製子は幽霊になれないの?たんぱく質構造の有無とかいう生化学的な理由で幽霊になれるかなれないかが決まるの?んでさらに言うならDNAとかRNAを構成する各ヌクレオチドは幽霊に何でなれないの?ヌクレオチドの構成要素である糖とかリン酸とか塩基とかはどうなの?チミンの幽霊とかシトシンの幽霊とかいちゃだめなの?
三月××日、午後十一時十九分。
SHIT. なんてこった、トミーまで”やつら”にやられちまった。いや、”やつら”になってしまった、というべきか。さらに最悪なことには、俺が自分自身の手でトミーを始末しなきゃいけなかったってことだ。お互いに「そうなってしまったときは」と交わした約束とはいえ、後味の悪さったらない。もう二度とあんな想いをするのはごめんだ。クソ、喉の奥がまだ焼けるように熱い。エミーに……あいつの妻になんて伝えればいいんだ? そもそもエミーはまだ乗っ取られてないのか? わからない。クソ。おれにはファッキン百数十のファッキンフォローイングがいて、そのうちの何人が”やつら"なのか、ファッキン見当もつかない。
もしかしたら、この日記を読んでいるあんたらには”やつら”の存在を知らない人間もいるかもしれない。簡単にいえば、”やつら”はサングラスだ。もちろん、ただのサングラスじゃない。ただのサングラスで世界が滅ぶなら、『ターミネーター』の公開時に滅亡していないと計尺があわない。
“やつら”は人間に寄生する。今は亡き〈ドクター〉の説明によれば、”やつら”が人間の体内に侵入するとグラスの内部からアレルゲンとなるタンパク質が溶け出し、マクロファージに取り込まれて非自己的異物と認識される。この情報は胸腺由来のリンパ球であるヘルパーT細胞のうちのTh2を介し、骨髄由来のリンパ球であるB細胞に伝えられる。そして、B細胞はそのサングラスアレルゲンと特異的に反応する 抗体を作り出す。シュワルツェネッガー抗体と呼ばれるこの抗体は、血液や粘膜中に存在する肥満細胞や好塩基球に結合し、再びサングラスアレルゲンが侵入してシュワルツェネッガー抗体に結合すると、様々な化学伝達物質が遊離して大量ツイートなどの症状を引き起こすことになる、らしい。これを俺たちは簡単に「アカウントが乗っ取られた」と呼ぶ。デデンデンデデン、デデンデンデデン、I’|| Never be Back. ってわけだ。Fuck.
“やつら”がおそろしいのは、ある日突然、まえぶれもなくハックされちまう、って点だ。今までの”bot化ウィルス”どものように不注意なファッキン友達から伝染するわけじゃない。クソbot化したアホな友達を指さして笑って和める古き良きグレート・オールド・インターネットは二〇一五年の三月のうららかな午後に、いきなり終焉を迎えたんだ。新劇エヴァもこれくらい早く完結したらよかったのに。
しかし、どこに逃げればいい? Facebookか? アカハックされなくても元々botみたいな奴らでいっぱいのFacebookか? 全能力が35%ずつしかないファッキン幼稚園みたいなはてブか? 存在自体がゾンビと化しているmixiか? 2ch? なんだそれは?
そうなんだ。もう俺たちには逃げる場所なんて、どこにもない。繰りかえすようだが、どこもかしこもビットの果てまでも「終わって」いるんだよ、ファッキンインターネット。
このままだと俺も長いことはないだろう。これを読んでいるあんたが人間なのか、それとも”やつら”の仲間かはわからない。ともかくこの日記を読んで理解できるだけの理性を保っているペニスかヴァギナの生えた生物ならだれでもいい、頼みを聞いてくれ。
もしあんたが、twitter でレイバンのサングラスをかけて朦朧とうろつきながら政治ネタ・社会ネタをダシに見えない敵へ罵詈雑言を浴びせる痛ましい中年増田の姿をみかけたら、そのときは……ためらわないでくれ。
もう、俺には「友達」がいなくなってしまった。わかってたんだ。この「フォロワー」とやらはレイバンに乗っ取られようが乗っ取られまいが、俺の精神生活にいっさい関与しない「他人」だったっててことは。だが、あんたが――あんたが、もし古きよきインターネットを少しでも知っているなら、この言葉をちょっと思い出してみてくれ。
インターネットではみんな友達だ、って意味のジャパンの古い格言だ。
……どうやら、また”やつら”がシェルターに攻めてきたらしい。今度の攻撃はいっそう激しくなると予想される。耐えられるかどうかわからない。さよならだ。約束、守ってくれよな。あなたの踏むアドレスにテッド・ネルソンとバーナーズ=リーのご加護がありますよう、Alan。
【あの
愛用!?】
レイバンのサングラ
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905
上の三つが目に留まりました。
この記事を書く理由はこれらの議論を見てイライラしたからです。
学生時代は塾講師で中学生に理科国語数学を教えてました。(6年)
ということですべての意見に対して反論することはできるのが
肩書しか見ないで意見を信用するかしないか決める人にもわかると思います
結論から書くと、私はちきりんさんとコウモリさんに反対でバッタさんに賛成です。
以下の四つに関して適当に書きなぐってみました。
結論から言えば私はそこそこ良いものだと思います。よく考えられて作られたのが分かる。個人的に言いたいことは山ほどありますが。
きちんと基本について抑えられているし、応用が利くような項目について教えられているはず。
これを全員がきちんと学べばこんな議論もなくなるのではないでしょうか。
基本的な知識を学んだうえでの応用のほうが適応範囲も広がるし、柔軟な思考もできます。その柔軟な思考が空想、妄想にならないためには論理的思考能力が必要です。
ただ問題なのは、応用について十分な紙面を割いていないこと。そこに関しては確かに問題であると思います。
だから、現実世界に学んだことを応用できない人が多いのです。学んだことを生かそうとする意識を養わないといけません。
では、どう生かせばいいのか。具体的に書くと割と時間がかかるので、ある程度適当に。
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
数ⅡBを学んでいればわかるはず。特に指数計算と数列を学んでいれば。
保健体育でやったでしょ?セカンドオピニオンとか。そしてその治療方法の妥当性を学ぶためには生物が必要である。
同上
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
これはリスクマネジメントの話であるが、実際に病気にかかるリスクと副作用のリスクを勘案すればよし。
中学校の理科で、血液は全身を循環していると学んだはず。施術中に、脂肪細胞が血液中に入れば血管詰まるリスクがあるのはわかるよね?
高校の化学でやる酸塩基反応、酸化還元反応をしっかり理解していればわかるはず。
・ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか
空気はあったかくなることを膨張することを知っていればいい。中学の理科で空気の力はたいていどの教科書にも写真つきで載っている。
空気は膨張すると上昇すること、冷えてくると空気より重い気体(エアロゾル?)は下がってくることが分かればいい。
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
油の温度と水の三態、そんで水と油どっちが上に行くかということを知っていればいい。ここから水分が多いほど危ないと分かり、できればマヨがいいとわかるはず。
まずイオンを知ろう。その後に、科学的に実証されているものかどうかを調べてみよう。ここで論理的思考能力が必要になる。
・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?
最近の高校の教科書には放射能とかも載っているので問題ない。ただ、ラジウム温泉でダイエットはできるのだろうか?
ということでちきりんさんの教えられたい項目は高校までにだいたい教えられていたのです。それをしっかり学んでいたかどうかが問題なんです。
大学へ行くと知識が力になる体験というものをする。主に研究生活でだが。
そういった実感を持つ人にとって、”「生活するために必要な科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科を勉強することだと思います。”という考えを持つことは当然である。
ただ、わからない人も多くいるので最初に言ったように応用面の記載を増やしてもいいと思うが。
他の基本的な大意についても一番上に書いたことと同様なので基本的には賛成です。
さて、この人が一番問題です。ぶっちゃけて言えばこんなあほな議論を見たためこの記事を書いたといってもいいでしょう。
対象者によって教育内容を変えるという点は同意できます。ただ、それはより経済的、社会的なトレードオフの問題になりますが。
世の中にはできない子がいるという点にも同意できます。それをできるように変えていくのがすべての教育者の仕事であると思いますが。
教育論では素人がなぜか力を持つというのは教育者の間では割と昔から言われてることで、これも特に異論はありませんが、どのように破綻しているのかということを示す義務が、わかっている人にはあると思います。
さて、以下はすべて反論である。
彼らが話しているのはちきりん氏の記事には論理的破綻(つまり科学的基礎は重要である)があるということを指摘しているのである。
レベルという言葉をプログラミング言語における低級高級のような意味で使っているというのならともかく、そうとはどうしても文脈的に読み取れません。
それと、相手に対しては敬意をもった言い回しをしましょう。とてもじゃないがバイアスがかかり過ぎてて読みづらいです。
“バッタさん、やまもとさん「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」”
こんなこと読み取れません。国語能力がよっぽど低いか、バイアスがかかっているのでは?
みんないつか使うから基礎を重視しているのではなく、基礎がなければ応用が成り立たないからと書いてありませんでした?
この言葉の裏にあるのは基礎を教えてそれを応用したほうが短時間でより多くの事が学べ、使えるようになるため、記事で書かれているような時間のトレードオフ的に有利だからです。
“現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要だからです。その技能を習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。”
何を言っているかわからない。系統学習の有用性は上記しました。情報の取捨選択の面からみても基礎的な情報を知っていることが大切です。
また、多くの知識を知っていればいるほど、知らなかった情報をうまく使いこなせると思いませんか?
問題解決だけしていても断片的な情報だたまるだけで、系統的な知識として身につかないので応用が利きません。
応用が利かないということはより余分に学ぶ必要があるということです。これは時間のトレードオフ的に無駄ですよね?
”台形の面積の計算方法から、数学的思考法なんか学ばねーよ。”
そうではありません。単純にあなたの考えが至ってないだけでは?
さらに、台形の面積の計算方法はは図形の面積の計算方法の一部であり、図形の面積の計算方法を見れば十分に数学的な、論理的な思考法のひな型なのではないでしょうか?
たとえば、同じ三角形を二つつなげれば平行四辺形の問題に帰着でき、それを半分にすれば三角形の面積だよね、ということ自体が数学的な思考法であり、それを証明するためには論理的な思考法が不可欠になりますよね?
台形にも同じことが言えて、上辺と底辺が並行であるならば二つつなげれば平行四辺形になる、ということに数学的で論理的な思考法が必要になることはわかっていただけると思います。
それと、塾講師をしていたという割には大枠で教科全体をとらえるという思考がないような気がします。教材の作成や、指導法について悩んでこなかったのでしょうか?
”台形公式を「知識」と捉えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを「理解」して使いこなせる「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。”
本当に塾講師をしていたのでしょうか?教えられていた生徒たちが哀れに思えて来ます。
算数苦手な生徒たちをいかに理解させるか、ということが教師としての仕事なのではないでしょうか?
彼が言っていることはバカはバカのままでいい。ということに他ならないと思うのですが。
最終的にこの記事の結論としては“経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案がある”ということを確認するために書かれたのではないかと考えています。
私は流石にそこまでは、この議論からは読み取れないのではないかと思いますが。
むしろ重要なのは現在の科学教育の妥当性という何度も提案されてきたいわば古い話であってちきりん氏を擁護するためにそこまでしなくてもいいと思います。
また、生活的知識と科学的知識は背反するようなものではないということは上に書いたのでわかっていただけると思います。
私が言いたいのはこの問題は系統学習VS経験学習という対立軸を持ち出す必要もなく、
基本的な知識をしっかりと身につけ、無理解を少なくすれば、ちきりん氏の言っているような実用的な概念を身につけることは現在の教育で十分にできている。ということです。
これはバッタさんも指摘していることですが…
一応誤解がないよう書いておくと、私は系統学習を主にしてそれを応用できるような経験学習をさせるのが最も定着力よく、応用力も利き、かける時間も少なく済むと思っています。
それは私がいろいろと教育について思考錯誤した結果であって論理的な裏付けがあるわけではありません。だからこそ、私は今回、そのことで批判していないと思います。それは教育者一人一人であっていいと思うので。
それ以前の問題、論理の破綻や無理解な部分について的を絞って話していました。それでもこんなに多くなってしまいましたが。
嘘や適当なことを言って自分の意見を補強してはいけません。それはただの害悪な文章であり、知らない人をただ煽るだけなのですから。
私が高校生ぐらいのとき、数学というのはなんて複雑で難しいんだと感じていた。
何しろ、無限に思えるような量の公式があり、とても暗記などしきれないほどの問題に対する解法があり、
それを何とか覚えなければならなかったからだ。
ε-δ論法というものを聞いたときも、何言っているのかすら分からなかった。
これは面白いと思い、まずどんな分け方があるのか、と興味を持ち見てみた。
そこで書かれていたことに私は驚愕した。
その記事では、「複雑さ」というのは、大きく7段階に分けられるのだという。
そこで数学は1番複雑ではないもの、つまりシンプルなものだと書かれていた。
その順番をここに記載しておく。下に行くほど、より「複雑なもの」である。
この順番に驚くとともに、たいへん腑に落ちる一面があった。
高校時代、人間関係や進学先の大学について悩んでいた時期があり、それらはどうしても論理的には決めることができないことが多かった。
しかし、なぜ論理的に決めることが出来ないのか、理解はできていなかった。
また、数学と物理と化学は理系科目という点において、論理を用いて問題を解くことが多いのだが、
数学、物理、化学と進むに連れて、暗記する事項が増えていった。
例えば化学では、なぜCとHがくっつきやすいのか、なぜ酸塩基反応があのようなグラフを示しつつ、状態を変化させていくのか。
そういったところは、ある程度の説明はあるが、基本的には完全に論理的には説明することが出来ず、暗記事項であった。
結局は物理反応なのだから、完全に説明できるはずなのに、説明ができないのがなぜか分からなかった。
しかし、それらの疑問はその記事で完全に解決した。
つまり、物理というのは数学を元にして成り立っているものであり、化学というのは物理を元に成り立っており、
生物というのは化学をもとに成り立っており、社会はその生物をもとに成り立っており・・・と続いていくからなのだ。
「そんなの、当たり前じゃん」「いやいや、自分次第だよ人生」などと一蹴りされてしまいそうな内容ではあるけど、
ふと自分の人生を振り返ってみたときに「やっぱり生まれがほぼ全てだよなぁ…」などと耽ってしまったので、
思いの丈を晒してみる。
"この世に生を受けた時点"で確定していることは何だろうか。何と言っても、まず挙がるのは
生物学的なスペックだろう。具体的にはDNAにおける塩基の配列だ。この配列に骨格やら筋肉やら脳味噌やらの
情報がギッシリと詰まっている。「蛙の子は蛙」などということわざもある通り、このことが後の人生を
決定的に左右する要因であることは誰もが認めるだろう。
「何?遺伝子が全てだって言いたいの?」いや、そうじゃあない。第二の確定事項、というのは言い過ぎかもしれないけど、
第二の重要な人生決定要因は"育ちの環境"だ。言わずもがな、虐待されて育った子は生涯に渡る精神的な後遺症を抱え、
親に十分愛されて育った子は大らかな大人になり、甘やかされて育った子は高慢な人間になる、このような傾向もまた
多くの人が認めることだと思う。
ただ、ここで「でも物心がつけば自分で考えて行動するようになるんだから、生育過程については不定性・自由度が
あるんじゃないの?自己責任的な面もあると思うんだけど」というツッコミが予想される。
今回力説したいのはこの点についてだ。"生育過程"とは具体的にどのあたりまでを指すのだろうか。
自分が思うに、長く見積もっても18歳あたりまでが限度である。これはちょうど大学受験/就職という人生の岐路が
訪れる節目の年齢でもあるし、頭の柔らかさや身体の成長を考えても、この時期までに大抵の(頭脳的・身体的)スペックが
決定するだろう。ただし、だ、18歳とは言っても、その年齢に到達するには17歳、16歳、15歳、…と、17年間もの
歳月を既に過ごしてきている。この17年間もの人生経験が、18歳を迎えてからの1年間に一切影響を与えないということは
あるだろうか?答えは(ほとんどのケースにおいて)NOだ。となると、17歳の1年間は過去16年間からの影響を、16歳の1年間は
過去15年間からの影響を、…というようになって、結局、「人生は積み重ねだ」ということになる。つまるところ、
幼ければ幼いほど、その頃の生育過程というのは重要になってくる。3歳かそこらの園児が、その後の人生を考えた
妥当な決断を下し、それに従って行動することが果たしてできるであろうか。その程度の年齢の子には、信念やこだわりはあるとしても、
将来のことを考えて行動するなどまず不可能である(ごく一部の例外を除いて)。さらには、仮に将来を的確に見据えることの
できる天才児であったとしても、その行動が彼/彼女の親が要求することと食い違っていれば、何の意味もない。
つまり、「決定的な生育期間は幼少期 そしてその頃の子供は無能かつ無力 だから自己責任は問えない」ということだ。
さっき挙げたのとは対照的に、「氏より育ち」ということわざもあるけど、自分に言わせれば「氏が決まれば育ちも決まるんだよ!」だ。
ちなみに、幼少期が人格形成にとって重要な時期であるというのは学術的にも認められている。
まぁ、そんなこんなで、やっぱり生まれって大事だよなぁ…と。。。
※「言い訳はいいからニートはとっととハロワ行けよ」などという煽りが入りそうなので一応断っておきますが、
自分はニートではありませんし、(比較的)劣悪な生育過程に潰されて堪るものかと努力したので今はそれなりです。
また、人生をベターにするために努力することを否定しているわけではありません。ただ、自分の意志や努力じゃ
どうにもならない、既に決まっちゃってることが多いよなぁ、ってことです。
横だけどぐぐってみた。
父親(平均年齢30歳)の年齢が高い子どもほど、染色体を構成するDNA配列の変異が起きやすいことがわかった。研究チームは「父親の年齢が高いほど子どもの自閉症や統合失調症が増えるとの報告があり、関係している可能性がある」としている。
また2年前、ドイツなどの研究者が世界の研究を分析したところ、自閉症や統合失調症以外にも、父親の年齢が高いと小児がんや1型糖尿病などのリスクが高まった。「少なくとも40歳より上では、妊娠率の低下や流産の増加、子どもの病気の増加に関与する」と結論づけている。
◎もう一つは、40代になると男性の精子は質が低下して、卵子を受精させるのに苦労し、受精させたとしてもその成長が遅く、さらに何とか成長しても流産の危険性が高いと、ネズミの研究が示しています。
(中略)
◎2番目の研究は、ブラジルの米国のコロラド生殖医療センターのウィリアム・スクールクラフト(William Schoolcraft)氏らの報告です。
(中略)
◎男性は絶えず新鮮な精子を作っていますが、それを作る「機械類」は劣化し、機能が低下する場合があります。さらに、加齢に従って、遺伝エラーが発生する確率が増加します。
◎以前の別の研究が、父親が高齢になると、子どもの心臓の欠陥、自閉症、統合失調症、てんかんのリスクが増加し、成人する前に死亡することが2倍に増えると示しています。
父親が子どもをつくる年齢が16・5歳高くなると、子に伝わる遺伝子変異の数が2倍に増えるとする研究結果を、アイスランドの研究チームが22日、英科学誌ネイチャーに発表した。
ゲノム(全遺伝情報)に含まれる塩基配列1個の変異を調査。多くは無害とみられるが、別の研究で自閉症や統合失調症との関連が報告された変異も含まれていた。チームは「最近になって自閉症が増えているとされる背景には、父親の高齢化傾向が関係しているかもしれない」と指摘している。
アイスランドに住む両親と子ども1人からなる家族78組のゲノムを詳しく分析。子どもが持つ塩基配列の変異が両親のどちらから伝わったかを調べると、父親からが母親からに比べ4倍多かった。父親が子どもをつくる年齢が上がると伝わる変異が増加。36歳の父親は20歳の父親に比べ2倍、70歳の父親は8倍も多い変異を子に伝える計算という。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2012/08/post-2c22.html
Understanding the effects of paternal age has become more important as increasing numbers of men are having children at older ages. Since 1980 there has been about a 40 percent increase in 35- to 49-year-old men fathering children, and a 20 percent decrease in fathers under 30. Studies have also shown that it takes longer for older men to conceive, even when the age of the mother is considered.
https://www.llnl.gov/news/newsreleases/2006/NR-06-06-01.html
あながちダウトでもないみたいだね。
山中教授よりも名前が有名になったあのM氏の件についてである。
世間の評価は、嘘がバレてから嘘の上塗りをし続け、ただの虚言癖の変な人になってしまった、というところであろうか。
一本釣りされた読売新聞はといえば、「ハーバード大に確認していなかった」とか「肩書きを疑うべきだった」とか、言っているが、少々生物学をかじった人間からすると、最初から相当に怪しい。
肝細胞から独自の方法でiPS細胞を作り、心筋細胞に分化させ虚血性心筋症の治療した
という話。
おや?っと思う点はいくつかある。
山中教授を含め、iPS細胞のもとになっているのは、今までの報告は線維芽細胞や滑膜細胞、どれも結合組織の細胞。
虚血性ってのは、つまり血管が詰まるかなにかで、血が回ってないのが原因でってのが意味なので、治療にねぇ、わからんでもないけど、心筋細胞を移植して治るってもんじゃなさそうじゃん。
しかし、怪しい。
誤報の反省材料として「ハーバード大に問い合わせなかった」とか「肩書きを疑わなかった」ってのは、科学的な無知を晒してるようにしか思えない。
例えば、ハーバード大が「地球は平らだ!」と言えば、信じちゃうのか?
情報の出処、発信者の肩書き以外で、情報の確からしさを精査できないなら、科学部の人間は素人となにが違うの?
「そうは言っても、あれはしょうがないよ。怪しかったとしても、絶対に無理という話じゃないだろうし、ハーバード大だったら信じちゃっても無理はない」
と言う人もいるかもしれない。
じゃあ、「iPSでジュラシックパークも」とか書いた新聞社はどうなのよ?
恐竜が栄えた白亜紀は約7000万年前。ジュラ紀は1億5000万年以上前である。
DNAが永久不滅なら、あんなにまどろっこしく形態学的な分類で鳥類が恐竜から進化したことの議論にあんなに時間がかかったりはしなかった。
実際のところ、7000万年というのはDNAの化合物としての寿命をとうに超えている。
白亜紀後期の6800万年前くらいの地層から、化石化していない組織がみつかり、タンパク質やDNAが存在するかが期待されている程度である。
DNAが残っている可能性といっても、本当に残っているデオキシリボ核酸が存在している可能性というだけで、それが鎖場に長くつながっている可能性は限りなくゼロである。
断片的につながっている部分もあり、遺伝子の配列が読める部分があれば、宝くじがあたる確率以上の奇跡だ。
全DNAの並びさえ全て読み解けば細胞がつくれるかもしれないが、そういう試みはバクテリアですら成功していない。
ウイルスでは成功しているがウイルスを細胞とは言わないと思う。
そして、前述のとおり、全DNAの並びどころか、断片的な並びすら調べられたら奇跡である。
ジュラシックパークの無理さ加減について追記すると
http://japan.cnet.com/news/offtopic/35023012/
マイナス5度でも680万年で消滅する物質を、7000万年も前の地層からどうやって調べるというのか。
この研究だって、細胞の中のDNAとして調べた結果が最新の研究なだけであって、DNAの化合物としての寿命がそんなもんであるということはずーっと前からみんな知ってた。
みんなで「レストヴィラ元住吉」をグーグルで検索して、スポンサーリンクをクリックしまくろう! クリックするとスポンサーはグーグルに課金されちゃうよ。(๑→ܫ←)
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%83%8C%83X%83g%83%94%83B%83%89%8C%B3%8FZ%8Bg
「ワタミの介護」に賠償命令 入居男性死亡で2千万円 横浜地裁
ワタミグループの「ワタミの介護」(東京)が経営する川崎市高津区の介護付き有料老人ホームの入居男性=当時(87)=が2006年、敗血症で死亡したのは施設が適切な処置を怠ったのが原因として、遺族が約6700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、横浜地裁は23日、同社に約2100万円の支払いを命じた。
江口とし子裁判長は判決理由で「清潔に保たず、速やかに医師に受診させるなどの対応もしなかった」と指摘。「敗血症を発症させており、介護の過誤と男性の死亡との間に因果関係がある」と認定した。
川崎市高津区の介護付き有料老人ホーム「レストヴィラ元住吉」で2006年、入所中の男性(当時87歳)が死亡したのは不適切な介護が原因だったとして遺族が運営会社「ワタミの介護」を相手取り、計約6700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、横浜地裁であった。
江口とし子裁判長は、同社に計約2160万円の支払いを命じた。
男性は06年1月4日に入所し、同16日に横浜市の病院に救急搬送され、同21日に敗血症で死亡した。遺族側は、入所中に床ずれが悪化して敗血症が発症したと主張し、同社側はホームでの介護と男性の死亡に因果関係はないと主張していた。
判決は、ホームは、男性のかかりつけの医師から、床ずれに注意を要するとの情報を得ていたにもかかわらず、床ずれの部位を清潔に保つなど適切な管理が不十分だったと指摘。床ずれが悪化した際、医師に速やかに受診させず、男性が敗血症で死亡したと認定した。
「ワタミの介護」が運営する介護老人ホーム「レストヴィラ元住吉」(川崎市高津区)の入居者の男性が死亡したのは、施設が適切な介護を行わなかったことが原因として、男性の遺族が同社に対して約6750万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、横浜地裁(江口とし子裁判長)は23日、介護過誤と男性の死との因果関係を認め、同社に約2160万円の支払いを命じた。
男性=当時(87)=は2006年1月に施設に入居し、約2週間後に敗血症で死亡した。入居時、男性は寝たきりの状態で、皮膚組織が壊死(えし)する「褥瘡(じょくそう)」を発症していた。
江口裁判長は「ホームは患部を洗浄して清潔な状態を保つなど、褥瘡を悪化させないよう注意する義務があったが、それを怠り、医師にも受診させなかった」と、施設の注意義務違反と債務不履行を認定。その上で「男性は褥瘡からの細菌感染が原因で敗血症を発症し、死亡した」とした。
症状
悪寒、全身の炎症を反映して著しい発熱、倦怠感、鈍痛、認識力の低下、血圧低下が出現する。進行すれば錯乱などの意識障害を来たす。DICを合併すると血栓が生じるために多臓器が障害(多臓器不全)され、また血小板が消費されて出血傾向となる。起炎菌が大腸菌などのグラム陰性菌であると、菌の産生した内毒素(エンドトキシン)によってエンドトキシンショックが引き起こされる。また代謝性アシドーシスと呼吸性アルカローシスの混合性酸塩基平衡異常をきたす。敗血症性ショック症状を起こすと患者の25%は死亡する。
アドセンスクリックではもの足りないなと思ったら、いますぐワタミのフリーダイヤルに電突してみよう。(午前9時~午後7時 土・日・祝日も受付可)
担当者に「レストヴィラ元住吉に空室はありますか? おじいちゃんが、どうせ死ぬなら介護のワタミで死にたい、と言っているんです」と伝えてみるのも一興だよ。
フリーダイヤルだから電話料金は0円だよ。担当者の返事がよくわからなかったら、「えっ? よく聴こえないのでもう一度お願いします」と聞き返して、ゆっくり会話を楽しもう!
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watami_kaigo_info@watami.net
続きです。
僕は柴田大輔さんの映画にはまっているわけですが、周りの人はなかなか理解してくれません。。。トホホ・・・
まあ、地味で個性的なので当然かもしれませんが、このブログでは、柴田大輔論を含め、気軽に日記でも書いていこうと思っています。
最近は、暑い日が続いていますが、何とか耐えている今日この頃です。
おそらく監督も炎天下の中、撮影に走り回っているのでは?と思っていますが、早く新作が見てみたいものです。
DVDの予約も入れないといけないし、なんだかバタバタしていますが、柴田監督の作品を見るのを楽しみにしているのです。
もっともCMが先だったので、映画だけでなく、広告作品やCMも結構見ていますよ。お気に入りだらけなんです^^
さて、いっちょ行きますか!
http://cinema-j.com/houga/?taxonomy=post_tag&term=%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94
主役の大統領暗殺犯を追う二人の刑事――すぐキレる血の気の多い早川刑事に宮川大輔、美人にめっぽう弱い番場刑事にケンドーコバヤシ!・・・
・バカバカしいことを大真面目に!『さらば愛しの大統領』柴田大輔監督&世界のナベアツインタビュー
http://cinetri.jp/interview/saraba_interview/
監督は「3でアホになる」という衝撃のギャグを世に送り出し、放送作家としても活躍する世界のナベアツと、NOVAウサギやジョージアなどのCMを手掛けてきたクリエイター柴田大輔・・・
・世界のナベアツが長編映画監督デビュー! 大阪府が独立国家を宣言!? の疑問
http://aromacan.blog118.fc2.com/blog-entry-2108.html
ナベアツは「柴田大輔監督と共に、邦画史上『最もポップコーンとコーラに合う映画』を完成させることが出来ました。更には、・・・
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=10597
CM界で常に新しいものを贈り出す柴田大輔が世界のナベアツとタッグを組み、「これは映画なのか!?」と、これまでの映画体験を覆すほどの、とことん「笑い」を追求したオリジナル作品を作り上げた。・・・
http://blog.goo.ne.jp/tanmen_daisuki
フォトジャーナリストの柴田大輔さんは、2007年にエクアドルに暮らすアワ民族を中心としたコロンビア難民グループと出会い、彼らと交流を深めながら、難民としての困難な状況だけでなく・・・
柴田大輔(かずさDNA研究所・室長)の公演にて・・・21世紀はバイオテクノロジーの時代であると云われている。
医学の分野では、ヒトのゲノム塩基配列の解読が進められており、全体の概略が2000年6月に発表された。
・柴田大輔のページ
どうして理解出来ないものごとを排他するように動くんだろう。そんなに気に入らないなら無視してしまえばいいのに。
やっぱりあれかな、場の空気感とか、一体感とかそういったことから得られる一種の興奮が心地いいのかもしれないなあ。
赤信号をみんなで渡るって行為は、それが何かしらの抵抗を意味することであり、同時に大きなうねりとか攻撃性というものへの帰属を促してくれる。
自分の外側も内側も同じ方向性に偏って、どんどんどんどん加速していくと、たぶんすごく楽しくて満ち溢れた気分になれるんだろう。
アドレナリンが分泌されて、脳が冴え渡って。そことわたしとが同調してしまって無限の広がりを持つようになるのだろう。
それらの主成分はおおよそ喜怒哀楽であり、感情的になることによって意図されたパニック状態に突き進むのだ、きっと。
わたしなんて主観はとっても儚いもので、いとも容易くわたしの中にある、わたしの外にある感情に、衝撃に、絶えず揺り動かされてしまっている。
フィードバックは間断なく行われており、なるほどこのような視点で見る限り、わたしというもの、ないしは人格というものがとても精巧に組み上げられたソフトのように感じられる。
そのソフトの動かすために必要なハードこそ肉体であり、人類はいまその主要な部品であるものどもを子細にいたるまで検分創成しようと試みているわけだ。
だから人間でない人間は、いつの日か創り出すことができるのかもしれない。神様じゃなくても、大丈夫なのかもしれない。
遺伝子って何なんだろう。どうしてあんな四つの塩基に支縛られなくちゃ駄目なんだろう。
先天的に結果が生じている問題に原因を求めるなんて愚の骨頂だけど、どうして生命は子孫を残そうとしているのか、次世代に種の存在を繋げようとしているのか解せなくなる時がある。
どうして進化なんてしたんだろう。どうして生命は死ななければならないんだろう。最初から死なんていう絶対的な区切りがなかったよかったのに。
そうすれば今にいたるまでふよふよとした蛋白質の塊のまま海中を漂っていたはずなのに。どうして死なんてものが存在しているんだろう。どうしてわたしは死ななければならないのだろう。
いや、わたしは死なないのではないだろうか。この世の中にあまた存在しているわたしというソフトウェアには、死というものから解放されているのではないか。
だって、ソフトウェアは途切れることしかしないから。強制的にシャットダウンすることしか無いから。それが死というものなのらしいけど、いまいちパッとしない。
死ってなんだ。そして気がついたけど、肉体って本当にハードウェアと換地して考えていいのだろうか。筐体は一体何と互換されるべきなんだろう。筐体こそが肉体を指しているんじゃないのかな。
ふむ。筐体が血肉で、遺伝子の並びがハードウェアで、わたしというものがソフトウェアなんだろう。
でも、そうだとするならば、人間ではない人間の血肉は後天的に生まれたことになり、何よりも先ずハードが揃っていなければならないということになる。
それが人間だ、機械とは違うのだというのならば、そのとおりだと首肯せざるを得ない。
生物が見つかったわけじゃないだろうけど、それに近い何か、が見つかったんだと期待したい。
ユーリー・ミラーの実験やその後の追試から、アミノ酸や塩基などが自然に生成することがわかっている。
近年、東北大のグループにより、隕石の海洋衝突を再現した実験からアミノ酸の一種のグリシンや、脂肪酸、アミンなどが生成することも示されている。
つまり、ただアミノ酸がありましたとか、塩基がありましたとか、そんなんじゃ、まあそうなんだろうな止まりになると思う。
いや、もちろん火星にアミノ酸がありました、土星の惑星のタイタンにアミノ酸がありました、それでもすごいっちゃすごいってことは認めるよ。
でも、こんな大々的に期待させると、どうしてももっとすごいものを想像してしまう。
アミノ酸なら5残基以上のペプチド、塩基ならヌクレオチド、ATP、オリゴヌクレオチドなんかだと感動する。
それか、アミノ酸がありましたっていうなら、ものすごい高濃度であったとか、二十種類見つかったとか、そのレベルが欲しい。
でもやっぱり、そんなことはないんだろうか?
宇宙生物なんていないんだろうか?
(3)(2)やれている時点で単原子イオンはわかるはずなので多原子イオンは暗記。
(4)反応式の右と左を合わせるのはできるでしょう。これができないとジャガイモ100個と肉500gとかでカレーつくろうとするようになると思う。
(5)1mol=ともかくどんなものでも6.0×10(23)個=(原子量、分子量、式量)にgをつけた値の質量=標準状態で22.4リットルの体積を理解。
(6)比例計算できるようにしてすべて(4)に当てはめて計算。
(8)酸・塩基も基本の化学式、電離しての式を暗記、あとは中和滴定の過程を体感して覚える。
(9)酸化還元では酸化数をだせるようにする。半反応式からの式完成は難易度高いのでできるようになったら自信をつけること。
(10)無機は暗記。クラスの女の子1人1人のいいところ、セクシーなところをノートつけるように1冊ノート作ってるころには暗記できる。しかし(1)ができていれば横軸ができてなんだこの元素と思っても大体の性質がこのころにはあたりがつく。
(11)有機は名前。名前が世界を支配する呪文の世界と思う。あと暗記。ちょっとやれば一番楽なちょろい範囲。
物理ほど理論理論じゃなくて生物ほど暗記暗記じゃない中途半端な学問でなおかつ大学いって勉強すればだいたい実はこういうことでねって勉強内容否定されるけどまあがんばろう。
(1)~(7)くらいできてれば今からでも80は超えられると思うんでがんばってください。
ttp://science6.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1259071558/594
594 :Nanashi_et_al.:2009/11/30(月) 13:15:07
私の専門は有機化学ですが、数ヶ月ほど前に私たちの業界でこんな事がありました。
中国のある研究グループが、通常は塩基や還元剤として使われる水素化ナトリウムという試薬を
使って、常識的には起こりえない酸化反応が起こったとしてアメリカ化学会誌に結果を報告しました。
アメリカ化学会誌は私たちの業界ではトップクラスの権威を誇る雑誌で、その報告の信頼性に
疑問符が打たれました。
今までだと、追試をした論文を待たなければならなかったのですが、その論文を見た複数のブロガーが
追試し、リアルタイムで反応を報告するという行動に出たのです。結局、本来不活性ガス下で
おこなうべき反応に空気(酸素)が混入していたために起こった、実験上のミスではないかという
結論が得られました。
しかし同時に注目されたのは、論文の検証や査読という機能がいまやブログやツウィッターで
おこなわれたという事実です。たぶんもう追試は論文にならないでしょうから、その結論はネットを
ウオッチした人間だけが知ることになります。
日本で起こったセルカン事件ではその機能を、2chが担ったと言えるのではないでしょうか。
そういう意味では今回のセルカン事件の検証は必然であったと思います。
何しろ悪評高い2chですから、今回の検証が胡散臭い目で見られるのは仕方がないです。でも2chと
ブログやtwitterのどっちが胡散臭いかというと、いい勝負です。
しかしその胡散臭い場こそで研究者倫理が機能したという事実は記憶しておくべきでしょう。
すみません、余計な感想を言いました。検証チームや申立人のみなさん、応援しています。
私たちにできることがあったら、是非言って下さい。
「口説いている女性は実は男で70歳のおじいちゃんだった。」というネタも最早SFでは無くなったようですが、
そうなれば、『攻殻機動隊』ですよ。この辺のネタはアニメじゃカットされてますけど、
コミック版では草薙素子は人形使い(AI)にちゃんと口説かれてから結婚してます。
(劇場版アニメじゃかなり解りにくいのですが、「草薙素子はAIと結婚しました。」ですよ。あの結末。)
彼女の1つ目の質問「何故完全無欠のAIが人間と融合したがるのか?」という質問に彼(AI)は
「カラミティを想定した”ゆらぎ”が欲しいからだ。AIは幾らコピーを増やそうが、ウイルス1つで壊滅する危険性がある。
”ゆらぎ”が無いからだ。ヴァージョンアップだけでは壊滅のリスクは孕んだままでね。」
(という内容だったと思う。コピペでは無い。)と簡潔に答えました。
2つ目の質問「それが何故私なのか?」という質問に対しては...。人間の回答も色々ありましょうけど...。
AIは「縁が有ったからだ。」と答えました。彼女は怒るのですが、AIはこう言って納得させました。
「縁は塩基質と同じでね。互いに身知った時点で総ての意味は置き換わる。
能動/受動では無く、相互受動の”関係”に。こればかりはどうしようも出来ない。」
「まさかプロポーズの言葉が”縁が有ったからだ”とはねぇ。」と彼女は皮肉るが、
その後天使が舞い降りるシーンは有名だ。(劇場版ではココに一気に飛びます・笑)
〜T/H
よく言われることだけれど、学校という箱は牢獄に似ている。コンクリートの壁が、リノリウムの廊下が足枷となっていて、仕切られたひとつひとつの教室が、割り振られた各々の机が鉄球と繋がった鎖となっている。閉じ込められた囚人達はなかなかガラスとアルミからなる窓から飛び出していくことができない。
確かに、中には無理やり牢を脱獄していく者もいる。けれどそれらの人物は一様に例外中の例外であって、そもそもが学校という箱の中に納まりきらない、もしくは納まることができなかった異端者ばかりなのだ。大概の生徒はなにが起きているのかも分からないままに鎖に繋がれてしまっている。繋がれていることにも、投獄されていることにも気が付かない幸せ者もたくさんいるけれど、私のように気づいてしまう愚か者もそれ相応に溢れている。
集団は、そこに集団が形成された瞬間から社会性を有すものだ、と私に教えてくれたのは、中学校に通っていた頃の変わり者だった。社会性が存在するということは、すなわちそこにはカーストが生じ、相互の、もしくは一方的な関係が誕生するのだ、と。
なくなって久しいと思っていた牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけていた。彼の名前はなんといったのだろう。表情と、滔々と述べられた数多の発言は強く記憶に残っているというのに、肝心の名前が思い出せなかった。クラスメイトどころか、学校中から、ひいては教師達からも距離を置かれていた彼は、中学二年の秋から学校に来なくなった。
誰もいない教室で、窓際の自らの席に座って頬杖を突く。遠く、どこか他の教室の中で話しているらしい女子生徒の声を微かに耳にしながら、私はぼんやりと、見るともなしにグラウンドに散らばった各部活動の活動を眺め降ろしていた。少し黄色がかった空に、長細い雲が浮かんでいる。先ほどから少しも動いていないようにも見えたし、とても長い距離を流れ滑ってきたようにも見えた。鳥が羽ばたきながら勢いよく姿を消していく。
夕暮れというのは面白い時間だと思う。明確に日付が代わる真夜中のその瞬間よりも、鮮やかに一日の終焉を伝えてくるからだ。
郷愁のような物悲しさ。
厳密に言うのならば、まだ夕暮れと呼ぶには早かったものの、色付きかけた青色の空はひしひしと望郷の念を思い起こさせていた。
それにしても、どうして私は夕暮れ時に切なくなるのだろう。離れてしまった故郷があるわけでもないのだ。私はこの街で生まれ、この街で育ってきた。だから、郷愁を抱くわけも道理もないというのに。
あるいは、幼い頃になにか強烈な出来事を経験したのだろうか。それとも、外部から与えられた『夕暮れは物悲しいものだ』という概念に毒されてしまったのだろうか。もしくは、生物本能として、二重らせん構造の中に、ひとつひとつの塩基の中に太古の昔に経験した物悲しさが記憶されているのかもしれない。
人を含め、万物の生命体は元を辿れば海へと行き着き、稚拙な細胞群へと集約されるのだという。それから現在に至るまでにそれぞれの生物が見た景色を、私は深層心理よりも奥深くに大切に補完しているのかもしれなかった。
何の役にも立たない妄想から意識を引き上げてほっと息を吐くと、少しだけ肩から重石が外されたような気がした。こういったことを考えてしまうのは、間違いなく中学生の頃の彼の影響だった。名前も思い出せない瓶底眼鏡君は、今でも確かに私の影に潜んでいて知らず知らずの内に意思決定を巡る過程の中で暗躍している。
「あなたは私と同じにおいがするよね」
そう、先日陸上部の深海さんに言わせてしまったのも、もしかしたら暗躍する瓶底眼鏡君のせいなのかもしれない。私の意識は数日前の放課後に、鮮やかな朱に染まっていた昇降口へ遡っていく。
「雨は好き?」
いつものように時間を潰して帰ろうとして折りに、靴箱の前で唐突にそう話しかけられた。振り返った私は、綺麗な微笑を湛えた深海さんに見つめられたまま返事をすることができなかった。
「私はね、結構好きなんだよ。雨そのものというよりかは、雨が振っている雰囲気というのが」
眼差しは、あなたはどう、と訊ねてきていた。私は首を傾げ、いまは降っていない雨のことを考え、陰鬱な湿り気を帯びた気配を想像してから、それほどでもないと答えた。
それほどでもない。私は雨にあまり良い思い出がないのだ。
微笑む新海さんは、その微笑を消し去るどころか一層壮艶なものに変化させてからやっぱりと言った。
「やっぱり、あなたと私は同じにおいがするよね」
言葉の意味を尋ねなかったことを、私は後悔するべきなのかもしれない。こうして誰もいない教室でひとり机に腰かけている今に至るまでその真意がまったく分からなかった。たぶん、これからも一片でさえ分からないのだろう。
その後、深海さんはじゃあと手を振って、するりと昇降口から外へ向かっていった。取り残されたのは私だけ。あるいは、私と昇降口に差し込んでいた夕陽だけだった。立ち昇った埃が煌めいていたのが、やけにノスタルジーな気配を含んでいた。昇降口には忘れ去られた物品が纏う物悲しい忘却に溢れていたような気がする。
彼はどこへ行ってしまったのだろう。グラウンドを眺める私に、再び瓶底眼鏡君の顔が浮かんできた。我々は決起しなければならないのだ。拳を高く握り締めていた後姿と一緒に。
視線の先で、陸上部が活動を続けている。ひとりひとりの容姿の違いはここからでは判別できない。みんな似たようなジャージに身を包んでさっきから走り込みを続けている。走っては、隣の人と話しながら歩き帰って来て、再び位置につく。反復練習を続ける集団の中に、きっと深海さんも混ざっている。
ふと集団の中の誰かが立ち止まった。顔は校舎の方を向いている。立ち尽くして、何かを探すように視線が動いているようだった。
そして、私は認識する。その人物が深海なつみであり、彼女が私を見つけて微笑んだことを。
どうして人物が彼女と判明したのか、表情まで見えてしまったのか分からないが、その刹那に私はたくさんのことを理解した。なぜ彼女が私に同じにおいを嗅いだのか、どうして彼の名前が思い出せないのか、彼女がいつも微笑んでいる理由と、夕暮れ時に人が物悲しくなってしまう原因を。理解させられてしまった。
堪らなくなって、私は思いがけず席を立つ。全身が、他の意識に乗り移られたように火照っていた。羞恥、憤怒、悲愴、愛憎――そのどれとも呼ぶことのできない感情が昂ぶって、一度大きく爆ぜてしまっていた。
廊下を、口許を掌で覆いながら早足で過ぎていく。
思えば、昔これと似たような感覚を得たことがあったような気がする。母が柚子を買ってきたときだった。剥くこともせずにかぶりついた柑橘のぶ厚い表皮はとても苦くて、渋くて、痛くて、痺れを伴っていて、とてつもない刺激となって私の口の中を駆け巡ったのだった。
そう、あの刺激だ。いまも私の口の中にはあの時の味が、感覚が広がっている。
視界を滲ませながら、私は一目散に帰らなければならないと考えていた。
ここではないどこかへ、逃げるようにして向かわなければならないと思わないわけにはいかなかった。
あなたのいいたいことは、要するにたとえ一卵性双生児(受精した段階では全く同一の遺伝子)であっても、受精後の細胞分裂過程において、徐々に遺伝子が変化していて、その結果、一卵性双生児(受精段階では同一の遺伝子)でも別々の個体(ヒトとして形成された後)では別の遺伝子を持っているから、指紋も違うということでしょ?それだったら、あなたがレスしている増田の言ってることと矛盾しないよ。
すべての人の遺伝子は完全に同一であり、
この「完全に同一」という部分が、どこまでの同一を指しているのかにもよるわけか。
2つ前の「もし完全に同一だと言うならば~」の増田は、ある瞬間(その瞬間が、受精時なのか出産時なのか成人後なのかは問わない)において、塩基配列の端から端までのすべてが完全に同一である場合、解釈で言ってるのだろう。
1つ前の「遺伝子が同じでも指紋は同一にはなりません。」の増田は、受精時の遺伝子とか、ヒトとしての基本的な部分を指し示す遺伝子までが同一で、その先の枝葉の部分や成長過程で変化する遺伝子までは同一の視野に入れていないんだろう。おそらく。
えーと、すこし補足してあげる。
遺伝子からみた場合、自然淘汰説というのは否定せざるを得ない。
DNAの置換率は時間と正比例して、置換速度は遺伝子ごとに一定であることが確認されてる。
遺伝子の変化率というのは、淘汰圧がかかろうとかからまいと一定であるということに他ならない。
むしろ、自然淘汰とまったく関係ない、不必要な遺伝子ほど置換速度は速い。
現生人類のある遺伝子の塩基配列と、10万年後の人類のそれがどれだけ変化してるかっていうのは予想できる。
ただ、だからといって自然淘汰説を否定することは出来ない、っつうかDNAの置換率だけで全てを説明できない。
マクロ経済学から導きだした答えとミクロ経済学から導き出した答えが一致しないようで、自然淘汰からみた(表現型からみた)進化論と遺伝学(DNA)からみた進化論は折り合いがついてない。
人は身体能力を低下させた代わりに知能を発達させた。視覚についてはヒトもかなり高い能力がある。
優れた後天的な教育システムまで含めてヒトの能力だと言える。塩基配列によって伝えられる形質だけに着目するのは無意味。
ヒトは電子機器を設計・製造して短期記憶力を補うことができるが、チンパンジーに教育を施しても電子機器を設計させることはできない。
- ヒトはヒトの作った問題を解決する能力には優れているに過ぎないのではないか?
「1960年代末までに人類を月へ送る」などという問題を自ら設定して解決しようとするような生物は、今のところヒト以外知られていない。
ときどき、僕が増田で書いたエントリに「増田じゃなくて、はてダで書いて欲しい」みたいなコメントをもらうことがある。
でも僕ははてダでは書かない。
というか、書けないのだ。
反応がそこそこ大きかったエントリは結構あるが、そのどれもが、キャラクターとしての一貫性がない。
エントリによって、その後ろにすけてみえる「書いている人」の影が、余りにバラバラなのだ。
時には非モテ問題について言及する20代のモテない男であったり
ときに厨くささの残る青い少年であったり
30代の社会人であったりもする。
一人称は勿論、文のテンションや、段落の使い方の癖(段落使わず一気に書き込んだり、あるいは、いちいち一文ごとに段落をつけたり)、思うがままに書くタイプか、あるいはきっちり論文のように書くタイプか。句読点の使い方の癖。漢字の癖。言葉遣い。方言。そういったものがその時自分がどんなキャラクターとして書いているかによって自然と変わる。一貫性がないのである。
その上、スタンスも変わる。○○擁護の観点で書いてみたりもすればそれを批判する立場でも書く。別にそれはいたずらにそうしているわけじゃなく、ただ単にどちらも僕の本心であるだけなのだ。僕のスタンスは酷く流動的で、たとえば「ウヨク気味で理系で時に言葉遣いが乱暴になる20代男性、大学生」とか、そういうキャラクターが定まらない。
だからはてダは、書かないのではなく、書けないのだ。
僕が増田に書いたままにはてダを書くと、滅茶苦茶である。昨日○○派の発言をしていても明日は変わっているかもしれないし、一人称も日によってコロコロ変わる。文章の書き方もコロコロ変わる。三点リーダの使い方さえも。
僕もはてダで書いてみようと思い立った事も有るのだが、はてダというのは、「リアルでの名前が隠されている」という点では匿名ではあるが、個人認識が出来るという点では匿名ではない。連続した人格がそこにはあり、そこが、増田とは違うところだ。増田は個人認識すら出来ない。連続した人格すら見いだせない。とにかくただ、文章があるだけだ。どれを誰が書いたのか、わからない。時々、ある二人が議論していたと思ったら、「お前が最初にいってたけどさ」「最初に言ったのは別の増田だよ。俺は二つ上のエントリから参加したんだよ」と、途中で中の人が変わっていた、ということもざらだ(勿論それがウソである可能性もあるゆえ、ますます場はカオスとなる)。トラックバックをつけあい議論をしている中でさえ、相手に「連続した人格」を見出すことはできない。いつ中の人が途切れているのかも、続いているのかも、分からない。あるのはただただ、自分のエントリに反応した、エントリだけだ。そのエントリに返信したとしても、さらにそれに返信してくれたのは、さっきの人なのか、別の人なのか……それは分からない。話し合いから、連続した人格が追い出されてしまったのだ。そこにあるのはあくまで刹那的な人格だけで、それは次へ進めばはかなくも消えてしまう。
僕にはそっちの方が合っている。連続した人格を意識し、つまりある程度のキャラクターをもってして書くと、それだけ書くことは、制限されてしまう。勿論それはそれで楽しくもあるし、実際別のブログでは行っているけれども、しかし増田の内容を、そのままはてダで、ということは僕にはだから無理なのだ。この増田で書いたエントリは、増田だからこそ生まれ得たものなのだ。
僕のキャラクターがどうして一貫しないのかといえば、それはおそらく無意識になるべく中立な立場で読んで欲しいという思いがそうするのだろうと思う。例えば非モテを結果的に擁護するような話をする際、それを非モテというキャラクターが行ってしまうと、どうしても色眼鏡が出現してしまう。「それはお前がモテない言い訳をしているだけだろう」。そうなりがちなのだ。おそらく僕はそういった色眼鏡をなるべく外して、論そのものだけを見て欲しい、という意識が無意識にあるんじゃないかと思う。非モテ問題なら敢えてモテ意識から書く。あるいは女性として書く。なるべくその語る物事から一番関わりの遠いキャラクターを、僕は無意識に選んでいるのだと思う。酸と塩基を混ぜて、中和させるかのように。まあ、それが成功しているかどうかはさておき……。
そういう意味で、はてダで発言をすればするほど、そのはてダにおけるキャラクターはどんどん濃く、確固たるイメージになってゆく。「あのid○○さんが、そんな発言をするなんて」「あのid○○さんならきっとこういうだろう」「id○○さんがそんなこと言うなんて、見損なった。彼は△△な立ち位置じゃなかったのか」そういった縛りに僕は、囚われるのが怖いのだと思う。「こんな事書くなんて、僕らしくないと思われるだろうか」その思いが筆を止まらせるのが、僕は怖いのだろう。(そこまでそもそも知られないだろうけど、要は自分がどう感じてしまうかの問題だから)勿論キャラクターの枠があるからこそ言える事、面白い事というのはたくさんあるけれど、僕はその枠にとらわれることなく、好き勝手にその時いいたい、主張したいことをかけるこの増田も好きなのだ。