「そんなの、当たり前じゃん」「いやいや、自分次第だよ人生」などと一蹴りされてしまいそうな内容ではあるけど、
ふと自分の人生を振り返ってみたときに「やっぱり生まれがほぼ全てだよなぁ…」などと耽ってしまったので、
思いの丈を晒してみる。
"この世に生を受けた時点"で確定していることは何だろうか。何と言っても、まず挙がるのは
生物学的なスペックだろう。具体的にはDNAにおける塩基の配列だ。この配列に骨格やら筋肉やら脳味噌やらの
情報がギッシリと詰まっている。「蛙の子は蛙」などということわざもある通り、このことが後の人生を
決定的に左右する要因であることは誰もが認めるだろう。
「何?遺伝子が全てだって言いたいの?」いや、そうじゃあない。第二の確定事項、というのは言い過ぎかもしれないけど、
第二の重要な人生決定要因は"育ちの環境"だ。言わずもがな、虐待されて育った子は生涯に渡る精神的な後遺症を抱え、
親に十分愛されて育った子は大らかな大人になり、甘やかされて育った子は高慢な人間になる、このような傾向もまた
多くの人が認めることだと思う。
ただ、ここで「でも物心がつけば自分で考えて行動するようになるんだから、生育過程については不定性・自由度が
あるんじゃないの?自己責任的な面もあると思うんだけど」というツッコミが予想される。
今回力説したいのはこの点についてだ。"生育過程"とは具体的にどのあたりまでを指すのだろうか。
自分が思うに、長く見積もっても18歳あたりまでが限度である。これはちょうど大学受験/就職という人生の岐路が
訪れる節目の年齢でもあるし、頭の柔らかさや身体の成長を考えても、この時期までに大抵の(頭脳的・身体的)スペックが
決定するだろう。ただし、だ、18歳とは言っても、その年齢に到達するには17歳、16歳、15歳、…と、17年間もの
歳月を既に過ごしてきている。この17年間もの人生経験が、18歳を迎えてからの1年間に一切影響を与えないということは
あるだろうか?答えは(ほとんどのケースにおいて)NOだ。となると、17歳の1年間は過去16年間からの影響を、16歳の1年間は
過去15年間からの影響を、…というようになって、結局、「人生は積み重ねだ」ということになる。つまるところ、
幼ければ幼いほど、その頃の生育過程というのは重要になってくる。3歳かそこらの園児が、その後の人生を考えた
妥当な決断を下し、それに従って行動することが果たしてできるであろうか。その程度の年齢の子には、信念やこだわりはあるとしても、
将来のことを考えて行動するなどまず不可能である(ごく一部の例外を除いて)。さらには、仮に将来を的確に見据えることの
できる天才児であったとしても、その行動が彼/彼女の親が要求することと食い違っていれば、何の意味もない。
つまり、「決定的な生育期間は幼少期 そしてその頃の子供は無能かつ無力 だから自己責任は問えない」ということだ。
さっき挙げたのとは対照的に、「氏より育ち」ということわざもあるけど、自分に言わせれば「氏が決まれば育ちも決まるんだよ!」だ。
ちなみに、幼少期が人格形成にとって重要な時期であるというのは学術的にも認められている。
まぁ、そんなこんなで、やっぱり生まれって大事だよなぁ…と。。。
※「言い訳はいいからニートはとっととハロワ行けよ」などという煽りが入りそうなので一応断っておきますが、
自分はニートではありませんし、(比較的)劣悪な生育過程に潰されて堪るものかと努力したので今はそれなりです。
また、人生をベターにするために努力することを否定しているわけではありません。ただ、自分の意志や努力じゃ
どうにもならない、既に決まっちゃってることが多いよなぁ、ってことです。