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はてなキーワード: 自然淘汰とは

2024-11-14

anond:20241114103401

統合失調症自然淘汰or社会淘汰されてしかるべき(ダウン症のような一定割合で起きる遺伝子エラーではなく劣性遺伝子)だが、実際には淘汰されていない。

人類集団にとって何らかの存在意義があるorあったはず。

anond:20241114103124

ダウン症染色体異常なので劣性遺伝子のような自然淘汰が働かず、一定数発生する。

発達障害遺伝子エラーではないので本来自然淘汰or社会淘汰されるはずだが、そうなっていない。

恐らく、人類集団にとって何らかの存在意義がある(あるいはあった)はず。

ADHD狩猟民に特化した脳の特性だという説もある。

(注意散漫(全方向を観察するのに適する)、一時的な過集中、不安の高さ(常に警戒を怠らない)など)

2024-11-10

anond:20241110135845

大卒学歴さえあれば給料高卒より高くなる風潮をまず無くそ

Fラン大卒高卒も同じ低い給料なら大学自然淘汰される

2024-09-20

anond:20240920225709

愚民が減ってしまうと天皇が困るので、検察愚民殺しを懸命に起訴をしたという

尊属殺人罪がそれである

クズ親殺しは殺人よりも刑が重くなった

それでもクズ親殺しは多かった

そりゃそうだろう

今でもクズ親が多いのは、司法自然淘汰が妨げられたかである

2024-09-17

anond:20240917175529

逆じゃないかな?しっかりした綺麗な字を書けるから親になれてるんだよ。自然淘汰

2024-09-12

anond:20240912173823

男女平等推し進めることが「生きづらさ」を生むとは一概に言えないですぞ

一概には言ってないよ。そういう部分もあるって話。「理想的社会の形」云々については同意するよ。でも少なくとも今はそうはなってないし、未来可能性の話だよね

人間価値社会的地位や経済力だけで測れるものではないのです。

そうだよ。でもあらゆる観点から人間を測って才覚を見出したり救済するシステム現実にない以上、無価値とみなされて死んでいく人はどうしてもいるよね

社会淘汰が「自然淘汰」以上に厳格かつ合理的システムであるという考えには異議を唱えざるを得ないですぞ

そんな考え書いてないよ

anond:20240912173427

んんwwww増田氏の見解、実に興味深いですぞしかし、拙者の視点ではその議論はいくつかの認識不足が見受けられるですぞ

まず、男女平等推し進めることが「生きづらさ」を生むとは一概に言えないですぞ。一部の性別限定されてきた役割社会的期待が平等化されることで、むしろ全ての人々が自分可能性を最大限に発揮できるようになるのです。有限なリソースをどの性別に偏らせることなく分配するのが理想的社会の形なのですぞ

また、「無価値男性」や「無価値女性」が「消える」という表現は非常に誤解を招く表現ですぞ人間価値社会的地位や経済力だけで測れるものではないのです。人々はそれぞれ異なる才能や価値観を持ち、多様性尊重される社会こそが真に繁栄するですぞ

さらに、社会淘汰が「自然淘汰」以上に厳格かつ合理的システムであるという考えには異議を唱えざるを得ないですぞ現代社会は多くのバイアスや不平等内包したシステムであり、それが全ての人々に公平な機会を提供しているわけではない事実無視してはなりません。

ですから増田氏の意見は興味深いながらも、もう一度その前提や議論の深度を見直すことをお勧めしますぞ。多角的視点から再考することでより豊かな洞察が得られることを期待するですぞ

男女平等推し進めたら男女両方生きづらくなるのおもしろいな

自然淘汰ならぬ社会淘汰って感じ。よくできてるわヒト

こんなんで絶滅はしないだろうし、行けるとこまで行きついてほしいな

いままでは無価値な男が消えてったけど、今後は無価値な女もちゃんと消えてくんだろうなー

2024-09-04

奇形精子が激増して、IQの高い女性ほど子どもを産まない

男性精子奇形率は年々増加していて

1999年に85%だったが、2010年には96%なんだそうだ(WHO調べ)

正常な精子が全体の4%以上いれば、正常とされるレベル

不妊外来にくる人で1~2%

一方、知能指数が高い女性ほど出産意欲が低く

その結果人類IQは次第に下がっているという

妊娠出産は人体生成エネルギーが膨大にかかるので母体リスクが高くて

母体を守るため毎月生理があるんだが、

奇形精子を胎内に入れるリスクIQ高い女性ほど察しているんだろうね

奇形精子がなぜ増えているのかわからないらしいが

まさに自然淘汰

2024-08-29

anond:20240829143746

ズレてるな

反ワクは自然淘汰信仰

自力抗体が獲得できなかった個体は淘汰されるべきという考え

ワクチンなんて自然に反するもので手に入る安全なんて偽物

子供かいう負積の押し付け合い

育児のいざこざとかストレスって全部これだよな

自分子供ながら、最初から産まなきゃこんなことにならなかったのにね、自分が悪いみたいで申し訳ないなーと思っていた

自分人生捨てて他の人間の世話するの嫌な人は、他人世間がどう言おうと、子供作ったらダメ

結婚人生墓場とか言うけど、そうじゃなくて、子供人生墓場なんだろう

子供ができたその瞬間、自分人生は捨てることになる

それくらいのことなんだろう

何で私がこんなの世話しなきゃいけないわけ?

何で私がこんなのにお金使わないといけないわけ?

何で私がこんなのに時間使わないといけないわけ?

そんな風に思ったって不可逆だから、もうお前の人生は戻らない

そしてそれは子供に十分伝わる

まぁ生まれてきて悪かったとは思うが、こちらの不手際・身勝手勝手に生まれたわけじゃないのだから、知らんがな

それと、子供作らないと人類人口がどうとか言うやつは頭がおかしいか無視しろ

自然淘汰の一つだよこんなもん、いなくなるならそれでいい、それが自然

人生を失ってその八つ当たり子供にするのではなく

お前の人生大事しろ

そうしてくれた方が子供は生まれずして幸せ

2024-08-20

共産主義は、進化と変革の原動力を、変革の担い手である主体」に求めすぎているのだろうと思うね。

連帯戦線、同志、団結これらの共産臭のするターミノジーは、その時代時代で、変革の担い手と目された人々へ向けられる。

古典的資本主義確立した時代に「労働者」という概念再構成したのが、たぶん最初かな。

日本共産党歴史をふりかえると、労働問題においても農民組合闘争においても、被差別部落問題にしても、変革の担い手自分たちに取り込むことに知らず知らずのうちに夢中になっていた。その力ずくなやり方への反発へも少なくなく、運動から離脱分派を促進していた。

結果として共産党は思想の核である労働者階級」すら満足に取り込めず、高度経済成長期が終わると、次第に、連帯ターゲット主婦とか消費者とか言い始めた。そうした社会階層に媚びを売るために、自らの綱領あいまいにしてブレた主張を繰り返しては運動の広がりが得られず、連帯の同志候補として次のターゲットを探してきた。

あげくの果てには性的少数者、LGBTQを守る(田村氏)とか言い出して今日に至っている。


他方で、資本主義社会進歩史観共産主義のそれとは趣が異なる。

根っこには、社会ダーウィニズム的な、進歩への信頼というか期待がある点では、帝国主義共産主義も同根。

ただ、その実現が「強いもの」による自然淘汰によってなされると考えるか、闘争によってなされるかの違い。

「強い者」が先験的に理解されてしまうと、「弱い者」を排除してしまえばよい(優生学など)という発想になるし、差別の絶えない社会となる。帝国主義ナチズム典型

一方、一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考えると自由主義社会となる。理念ではなく、利害で集う社会はこの考え方から支持される。

先日、福岡支部のどなたかを除籍した日本共産党が今もって理解していないことの一つは、日本国憲法もつ表現の自由の考え方だ。

実は、憲法第21条の源泉は、「一体なにをもって「強い者」かを人間は前もって知ることはできない、結果から判断するしかないとプラグマティックに考える」自由主義の考え方を基礎としている。

これは、表現の自由をめぐる憲法判例のうち「思想自由市場」という考えから典拠をどんどんさかのぼってゆくと理解できる。

そうすると、20世紀初頭の連邦最高裁ホームズ裁判官の考えにつきあたり、そのホームズからパースプラグマティズムに行きつく。

そしてさらさらにさかのぼると、唯一正しい真理を押し付けてきたカトリックの猛威を振るヨーロッパ、お互い不寛容プロテスタント同士の修羅場ヨーロッパから逃れてきた巡礼始祖たちの考え方に行きつく。お互いに自分が正しいと言い切れないなかでどういう社会を構築するかを模索したところからアメリカ合衆国は始まっているので、表現の自由というのは、国の成り立ちを土台で支える重要な考え方だということがわかる。

雑にまとめると自由主義共産主義の違いは以下のような感じ。

政治体制言論自由進歩史観プレイヤー
自由主義どちらかというと放置蓋然的客観的多様性重視
共産主義どちらかというと統制的必然的主体一体性重視

同志の団結を迫りまくるという意味では、根性論とか暴力一定の方向に人々の顔をむかせ社会変革をしようという路線になりがちなのが共産主義

多様性を重視するあまり、どんなに社会が乱れようが差別根深かろうが、偏見による暴力を許容してでも自由に奉じるのが自由主義

日本共産党は、何かにつけ、ひとの横っ面を自分たちと同じ方向へ向かせたがるが、それは自分たちが嫌われて終わるだけというのは、これまでの歴史証明している。

ちなみに、私はいずれにしても暴力的なら後者を選ぶ。

日本共産党は、自らの綱領一言も書いていない、表現の自由意味社会プラットフォーム視点から今一度振り返るべきだと思う。

2024-08-17

補足:趣味より儲かる本屋を残す必要性について

タイトル簡単に言えば「趣味的な本屋販売量だけでは、現在システムを維持出来ず書籍文化崩壊するから」という事になる。

これは他の経済活動でも同じで、趣味で採算度外視、あるいは薄給でもやりがいだけでやっています、と言うようなもの蔓延ってしまうと、後は滅ぶしかない。

一度滅んだ後に残存者利益が出てくると、改めて採算が取れるようになるのだが、その時は今の豊富で豊かな出版文化はなくなっているだろう。

と言うわけで、いただいた反応の中からいくつか補足としてワイの考えを述べておく。

何故客注を大事にする必要があるのか

上客、太客だから

書店顧客は、他の小売店と違い、売上の8割を2割の客が買っている、と言う極端な構造がある。色々な調査でひとりあたりの本の購入量の統計を取ると、左に大きなピーク、右に小さなピークの崩れたM字型になることが知られている。一つ目が年に数冊しか本を買わないライトユーザ。そしてもう一つが欲しい本があれば、後先考えず際限なく本を買ってしま病人である。つまりワイら。

そして、わざわざリアル書店で客注を出すような顧客というのは、大抵後者なのだ

「 客注は最速でも2,3日かかるのならば、ネット書店に勝てないのではないか」という話もあったけれども、こう言う後者顧客は、あえて意識的リアル書店を使っている。そしてお願いした本を仕入れてくれるという体験を求めている。

客注は儲からないのではないか

かに単体では儲からないが、その先にある最も儲かる「コンスタントに本を買ってくれる客」を育てる事に繋がるから


客注というのは今も昔も単体で儲かる仕事ではない。しかし、顧客サービスとしてはコスパが良いのだ。

日本書店委託販売という仕組みであり返品が自由在庫リスクがない一方で、利益率がかなり低くなっている。概ね売価の7割から8割ぐらいが仕入原価で、20%~30% ぐらいが小売店の取り分になる。ここから店の運営経費を賄うことになり、概ね原価率は9割を超える。一般食品スーパー利益目標が2割以上を指向することを考えると、利益率は低い。

そのため、一冊売る程度では全然からない。文庫本1冊注文されても仕入原価-売価が100円であり、客注対応の為に店員をひとり増やしたりすると赤字、と言うレベルである

が、当然ながら、人件費固定費に近い性質を持つのでこんなにシンプルではない。例えばコンビニ郵便はがきを売る・宅急便サービスをするのは、それらを利用するお客はついで利用を促すことが主だが、似たような性質と言えばイメージやすいだろうか。


さて、ネットの方が早いし面倒がない、と考える方の意見が多く見られており、これは事実である増田をみる様なユーザであれば尚更だろう。しかし、ネットリアル書店の間の配送期間というハンデがほぼ同じになる瞬間がある。

それが「新刊である新刊の発売日は統制が進み、現在ではネット書店ではフライング発売はほとんどない。

習慣的に本屋に行き、あるいは新刊が出ると、とりあえず自店で購入してくれる顧客をどれだけ確保できるかが店の成否に繋がるのである

そして、たくさんある書店の中から自店を選んでもらうには、価格統制がされている書籍では「体験」を育てるしかなく、客注とはそのための重要な機会なのだネットで買えばすぐに届くし、そうでなくてもコンビニコピー機で注文すれば早い事を知りながら、あえて書店を使う顧客を捕まえるチャンスなのだ

物流ではネット書店に勝てないのだからイベントやフェアを重視するべきだ

これはほとんどの場合間違っている。利益はでない。と言うのは、以下の様な性質があるためだ

この状況で、店頭型のフェアを増やす

  • 「本」という括りでは指向が広すぎて「フェア」などを開いても販売数量はほとんど増えない
  • 特定作家激推しフェアなどを開いても、その店に来る顧客の数は決まっているため、全体の販売額に繋がらない。
  • しかし、物流には負担をかける。例えば○○フェアをするからそのフェアに関する本を集めてくれ、というような依頼になるのだが、上記の通り販売量は期待できない中で結局返品になるからである。そして、データ的に今までフェアをやるからとたくさん仕入れても返品されていると言う実績が積み重なると、発注拒否されることが起きる。
    • こういった状況を「フェアをやろうと思ったのに取次が入荷させなかったからできなかった」と言うように言われがち。しかし、まずはその前に売上げの実績を立ててください、と言う事になる。今の取次は出版社はシビアデータを見て、返本やロスが出ないように配本するためこういうミスマッチが増えている。さら書店ちゃんデータを見て自店が持つ強みを伸ばすフェアをやるならば入荷されると思われるのだが。

またイベントを開くと

しかし、これらを承知の上で、上客を得るために実施するのは悪い事ではない。

が、それはいつもちゃんと本が買える、要望に応えてくれるという基礎があってこそであるので、そこを蔑ろにしたままやってもよくない。


さらに言うと、いつもちゃんと本が買える、と言う事に対して、イベントを開催するというと言うことは対立してしまうことがある。

本屋とは、ものすごい指向に幅があることを扱っているのが通常だから指向に合わないイベントをやっていると邪魔に感じることすらあるので結構気をつけなければならない。イベント顧客をゲットと繰り返したら、そのイベント指向自分にあわないと、居心地が悪く感じて顧客が離れてしまうと言うとは、残念ながらよくある話なのだ

大手書店が専用のスペースを設けるなどして、かなり気を遣っているのはこのためである

出版社や書店がフェアやイベント消極的だ、という事ではない。売れない事が問題なのだ。売れずにやりがいだけを消費してしまって持続性がないことが問題なのだ

Amazon楽天ヨドバシがあるから書店はいらないだろ

これはそう。

でも、Amazonの一番早い便でも半日であることに比べると、本屋店頭で買うのは見てすぐ実物を手に取れるので最速だし、本を読みたい欲を一瞬で満たしてくれるのはメリット

ん?電子書籍?  んん?ヨドの店頭受け取りだと30分でいける?  まぁそれはそう。

即配サービス使っても2,3日かかるの時間かかりすぎじゃね?

Amazonやヨドと比べられるとそれはそうなんだが、これでも他の小売業界向けの卸としてはめっちゃ早い。

Amazonやヨド、紀伊國屋などが取次在庫ありの場合、即配サービスより早いのは、彼らは自社で取次の倉庫まで取りにいっているからです。そこまでの出荷は一緒です。

それから大都市圏だと、午前中に出した客注が当日出荷になって翌日に届くことも仕組み上あります

パターン配本うんぬんかんうん

新刊の配本のうち8割以上が既にパターン配本でなくなっているので、認識がだいぶ古い。

パターン配本の批判が強まり出版社が指定した配本が行われるようになった。

が、結果から言うと、返本率が増加し出版社も在庫を抱える事になった。

そこで現在、取次は出版社や書店積極的データを開示し、配本を支援するシステムを用意して提供するようになった。取次のパターン配本だけに頼るのではなく、自分たちでも判断してもらおうと言う事である

これによって、中小出版社側もその注文に乗っかって大丈夫かと言うことをシステム的に判断するようになりつつある。


この状況で本が来ないと言うのは、出版社が数を減らしていると言う事だ。

結局は自分の店で売れるものは入荷するが、売りたいだけで売れそうにない本は入荷しないというだけ。出版社はベストセラー倒産などしたくはないのです。


ただ、最近買い切りの条件で注文数そのまま出荷する取り組みをやっている所も無いわけではないが、広がってはいない模様。

取次各社が、生き残らせる書店の取捨選択をやっている可能

これはもう間違い無い。

一般小売で考えると、趣味でやっていてきちんと経営していない店相手であると、卸売業者普通ここまで付き合わないが、取次という業態、あるいはその出自から考えて、半公共団体のようになっている面があるから今まで付き合ってたわけだが、それが限界に達しているのが今だ。


利益率という点では、実は取次の取り分(仕入原価-卸売価格)は書店よりもさらに低く、5~10%程度だと言われている。ここから経費が引かれて利益率になるとすると、一般卸売業者利益率の半額程度になってしまうと言う状況だ。

統計に寄れば、書店販売額は立地と坪数でほぼ決まると言われている。好立地の所では、ひと坪あたりの月商が13万円だという。仮にこれで15坪の小規模書店とすると、約200万円の売上げになる。さて、この書店から取次が得られる粗利(諸経費を一切含まない)は20万円が最大と言う計算になる。アルバイトひとりも雇えない金額だ。ここから人件費運送費、配達比、様々なリスク費用システム費用などを支払って利益になる訳がない。


取次が利益を上げるには、仕組み的に規模の商売を追求する一方で、流通コスト削減(これには返本率を下げる、と言った活動も含む)ぐらいしかやりようがない。小さな書店商売できる様に支えるのはほとんどボランティアである

儲かっていたころは良かったが、限界が近付く中、少なくとも黒字になること、自社が用意したサービス(即配や、データリブ経営を行うシステム提供など)をきちんと使いこなしてくれる事を条件に、それ以外の自然淘汰を止むなしと考えているのはそうなのだろうと思われる。


この取次の利益率が固定されている中で、一般流通流通スピードを上げろと言うのは無理だ。物流コストが上がりすぎているからだ。中小書店への配送を維持しつつコストをどう下げるか、そのためにはサービス水準を下げることもやむを得ないだろう。

そのような状況下で、その代わりに用意した早く配達するサービスも、追加で送料を負担せよと言うことも難しいと言われ、さらに即配サービスについて暴利を貪っているかのように言われるなどの状況で、手の打ちようがないことも理解してほしいところだ。

取次は多くの書店親会社でもないし、経済的合理性を考えた時には付き合う必要は全く無いのだから純粋に儲けるだけなら小規模書店を全部捨てた方がよいぐらいの状況だ。

電子書籍になるから印刷書籍はいらない

そう考えている人は少数派でかもしれない。市場の動きは違うようだ。

まず、ユーザー数、習慣的に有料の電子書籍を購入するユーザは30%~40%ぐらいが限度で、これ以上は伸びないことが知られている。

日本統計も、アメリカヨーロッパなど先に普及した統計などを見てもこの傾向で、電子書籍市場はほぼこれで大きな変動なく推移すると言われる。

また、販売量としても、雑誌を除く印刷書籍販売量はじわりと減っているが大幅な減少がみられない。特にコミックスを除くと、ここ10年ほどは横這い程度だ。

電子書籍が増えている、好調だ、という事の正体は、雑誌の減少と、それを補う電子コミックの伸びによるもの電子書籍印刷書籍を置き換えると言う動きにはなっていないのだ。もちろん数十年単位ではわからないが、ワイは現在の話をしているつもり。

志がある書店に対してこのような言い草は失礼ではないか

具体的にどこの書店のことを言っているのか分からないのだけれど(少なくともワイの文章特定書店念頭に置いたものではない)

勝手にどこかの書店を想定して、事実説明に対して、勝手に怒る方がよほど失礼では?

結局取次が問題だ・取次こそが癌だ

おそらくはちゃんと内容を読んでいないし、構造理解できてないからこういった結論になるのだろうと思うのであまり説明しても仕方が無いのかなと思いながら、なのだけれど、以下は一応認識しておいていただきたい。

趣味でやっている・やってないにかかわらず、取次が消えたのに、中小書店が残ると言うことはない。

同時に出版社の多くも吹っ飛びますこちらは中堅どころまで存在できなくなる。

Amazonヨドバシ紀伊國屋も維持できなくなります特にAmazonは取次を通さなイメージを持っている人も多いようだが、実際には取次在庫への依存度は高いまま。

もちろん数十年単位での緩やかな変化の先にはありうると思うが、この話は現在の話をしているつもり。

出版業界なんて残さなくていい、町の書店なんていらない、滅ぼしてしまえばいいと言うなら、Not for youですね。それこそ客じゃないのでお呼びじゃないです。客目線で話をしているので。自分が客じゃないと言う認識をしてほしい。

取次を挟まず、委託販売を外して買い切りで買えばいいじゃない

それは、そう。

ただその場合でも- 出版社側にそれに対応するリソースがないので

  • 物流コスト、送料が無茶かかって利益が飛んでしまう(取次の物流コストは徹底的に下げられている)
  • 出版社側が想定していない動きである為、結局売価が一緒になったりする
  • 小規模書店がやる程度の規模では、結局出版社側で行動を変える要員にならない。

と言う事で、基本は大手に頑張ってもらうしかないと思っています

2024-08-02

anond:20240802122823

超人体質というやつか

そういう人が格闘技普通人類を淘汰したりすることってないもんなのかね

それがスポーツの面で有利でも「異常」であるということは

通常を置き換えるほどには遺伝せず自然淘汰されるというか

他の臓器の負担とか負の側面の方が大きいのかな

2024-06-30

AIが喜ばれてるのは『絵師』の自意識に疲れてるから

自身20年は漫画イラストを書いてるけど、この10年くらいの『絵師(という言葉そもそも流行り始めて)』の承認欲求肥大自意識肥大エコチェンで閉鎖的な世界観増長させてる度合いは異常。

俺はそもそも理系なので、絵をスケッチ(観察)の延長として楽しんでるだけだから自己表現だの「推し」愛だのと絡めるだけの「絵師」論は視野が狭くて排他的しか感じない。

繰り返すがこれ自体ここ10年ほどに急速に肥大化した、それまでほとんどなかった「風潮」に過ぎないのに、自分と同じ30代以上の奴らが10代くらいの「かぶれ」始めた子供みたいにこんなナイーブな「アーティスト意識」を振り回すのは病的にしか見えない。

AIが「絵」というものを「ありふれた、日常的なもの」にしてくれるのは、俺としてはそういう意味であり難い。

ネットエコチェンでは、声のデカい「最近絵師」がまるで古代からの真理のように「アーティストの特異性」みたいなことを語ってるが、さっさと自然淘汰されて欲しい。早くこいこいAI世界

2024-06-26

anond:20240626081537

copainterに文句言ってる奴らのアカウント見てきたけど、どいつもこいつも伸び代のない下手くそ絵師ばかりで笑った。

こいつらAIが無くても自然淘汰される産廃だろ

2024-06-19

自然淘汰弱肉強食は全くの別物

だけど混同してる人が多い気がする…

2024-06-15

anond:20240615101226

本来なら自然淘汰されるべき遺伝子保護っていう話ならば、多様性社会として庇護されるべきものなんだろうなとは思うけど打開策としては更に難しい感じがしてきた…

2024-05-30

anond:20240530233040

うんうん、だね。淘汰されてしかるべきだと思う。「死にたい、消えたい」と思う気持ちには納得しかない。自然淘汰よりスピード感のある自己淘汰という新しい概念だ。

2024-05-21

anond:20240521122702

人間は弱く、古来より集団生計を立てる群居性の動物であり、集団内での評価を気にかけるのは自然淘汰による当然である。一人で済ませとは人間を辞めろというに等しい。空論であるカルトである

2024-05-13

ツイッターが無くなってもお前はバズらない。

仮にツイッターが終わって別のSNSが主流になっても、そこでもバズらないと起用されないんだから、結局バズらないザコ作り手は自然淘汰されるんじゃないすかね。 anond:20240512184626

2024-05-10

サウナは「体に悪いかも知れない」から気持ちいいんだってことを理解できてなさそうな人多くね?

体に悪いことって気持ちいいよね!

こういう話をすると「それね。体に悪いのに気持ちよくないもの自然淘汰されているだけだから👉️」と指摘してくれる人いるけど、それは脳の仕組みを理解できてなさすぎるんだよなあ。

人間の脳は精神か肉体に苦痛を受けると快楽物質が出るようになってるの。

そこそこの怪我をした時最初麻痺ってるけど少ししたらアホほど痛くなることがあるでしょ?

あれは痛みを受けた直後は脳内麻薬を出す仕組みがあるから。そういう仕組みがある生き物は敵から攻撃を受けても反撃や逃走に転じることが出来るから生き延びやすかったという自然淘汰の結果ね。

そんでもって、精神の方の仕組みも、ダメージを受けたら気持ちよくなることで一時的回復させる仕組みがあるわけ。これは落ち込みっぱなしなよりは空元気でもいいから動き回った方が生存確率が上がるっていう自然淘汰の結果ね。

まり、体と心に悪いことをすると、その状況をひとまず好転させるために脳が快楽物質を出してくれて、これでアヘアヘ気持ちよくなれてしまうんだな。

激辛食品SMプレイリストカット首吊りオナニーギャンブル依存症などなどはこの仕組みが大いに機能してしまった結果として人類にはびこっている。

サウナもまた体に悪いことをしまくった結果として体がバグってアヘアヘさせている部分が大きいんだよね。

発汗機能を高めるというプラスな部分もあるけど、気持ちよさを生み出しているのは体をバグらせて不当に快楽物質を得るっていうヤクザ生活保護ビジネスみたいな奴だよ。

そしてここから更に「もしかして体に悪いのでは?」って不安が出てくると、それも脳をバグらせて不安からひとまず逃げるための快楽物質をくれるわけ。

後悔するようなことを人間が何度もやってしまうのは、同じパターンを繰り返してるからってのもあるけどそれとは別に「失敗して後悔するとちょっと気持ちいいことを学習しちゃった」からな部分もあるわけよ。

ギャンブル依存症アルコール依存症なんかも割とこの部分が大きくて、後悔して気持ちよくなれてしまうことで二度美味しくなり脳がドンドンそっちに流れていくループ形成されているわけだよ。

反動に寄る脳内麻薬が切れて本当に後悔だけが残っている状態から気持ちよくなって現実逃避すると高低差によって更に気持ちよくなるのも大事ポイントだね。

マッチポンプもいいところだ。

サウナが実は体に悪いかも知れないとうっすら後ろめさを覚えている所に体をバグらせたことで取り出された快楽物質がドバドバ出ることで、破滅的な快楽に身を委ねてしまうんだな。

もしもサウナが本当に100%健康にいいということになったら、気持ちよさは今よりも下がるよ。

後ろめたさのない気持ちよさってのもあるけど、それよりも後ろめたさのある気持ちよさのほうが勝っているから壊れた人間が世の中に溢れているのさ。

なんでそんな仕組みが自然淘汰されないのかっていうと、異常な行動ができる奴が混ざっている方が集団として遺伝子は残りやすいから。

異常行動に人を駆り立てるような本能自然バグが発生するような仕組みこそが遺伝子を後世に残す秘訣なわけだな。

ライフゲームじゃ規則的なだけの奴よりちょっとバグり気味な奴のほうがなんだかんだ残りやすかったりするわけよ。

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