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2024-03-22

夢 (No.1237 2024/3/20)

巨大なトランクを持ち運ぶのは移動の足枷になるし、何より単純に面倒だ。思い悩んだ末、荷物はそのまま列車の網棚に置き去りにして用事を済ますことにした。前から2両目の後方寄り左側。帰りに回収すれば問題ない。全ては上手く行くはずだった。

たが帰りの列車に飛び込むと、どこにも荷物が見当たらない。あれから丸一日が経過している。もしかしたら誰かが持ち去ってしまたか、あるいは折り返しの終着駅忘れ物として回収されてしまったのだろうか。いや、そもそもこの列車は本当に昨日と同じ車両なのだろうか。うろうろ探し回っているうち、いつの間にか扉は閉まり列車は動き出してしまった。しかもこの車両は運が悪いことに特急であるらしく、次々に途中駅を通過していく。そういえば先ほどの店で財布を友人に預けたままだった。このままではいずれ見知らぬどこか遠くの駅で現金荷物もないまま放り出されて途方に暮れる運命だ。ちょうどそのときカーブにさしかかった列車スピードを落とした。ぼくはほとんど衝動的にタラップを蹴って線路飛び降りていた。

そのまましばらく線路を歩いたが、どうも監視されているような気配がする。おそらく列車飛び降りたためにキセルを疑われているのだろう。どうにか逃げなければと思いあぐねていると、傍らの側溝の壁面に鉄格子の嵌まった半円形の窓が見えた。そういえば聞いたことがある。どこの都市の地下にも中世に作られたカタコンベと呼ばれる長い地下通路が隠されていて、今も密造酒の隠し場所になっているとか。このまま地上を歩いて捕まるのを待つよりは、多少道を知らなくても地下に潜った方がいいだろう。ぼくは錆び付いた鉄格子を蹴り破って兎の穴に飛び込んだ。

地下通路は思いのほか近代的であった。明るい蛍光灯に照らされた白い壁面のタイル灰色リノリウムの床面には規則正しい点字ブロックが並び、通路はどこまでも続いている。線路の向きからおおよその方角を推測して歩き始める。虚ろな空間に空しく靴音が響き渡るなか、ぼくの思考は急速に回転する。そうだ、今ならよく解る。あの曲がり角の向こうでは年老いセロ弾きのストリートミュージシャンが Tom Johnson の Failing を奏でているに違いない。ぼくは彼の目を盗んで空き缶の投げ銭を盗めばいいのだ。そうだ、ぼくはそれで家に帰ることができる、それが今のぼくに残された唯一の道なのだ

2024-02-27

anond:20240226214405

やたらノイローゼなってる印象もある

あとリノリウムの床を食べてる印象(ドリトル先生のワニ

2023-09-19

投稿更生学校などというものが本当にあるのかと、ここに書き込みをしている増田諸氏には疑う向きもあるが、あるものはある。現にこの自分在校生としてこの記事執筆投稿担当しているのだから疑う余地もない。

最近流行りの、増田投稿限定カフェ運営に参加すれば在学期間(刑期?)が3ヶ月短縮される制度が始まったので応募してみたが、心が折れてしまい1週間も続かなかったので、その経緯を説明たかった。

場所東中野にある何の変哲もない雑居ビルの一室だが、階段まで有名ラーメン店並みに男女の列が続いているので、すぐにそれとわかる。入口はてなidの記入を求められるという情報があるがそういったことはない。ただし入室時にノートPCネットブック使用が推奨されている)で増田へのログイン状態を示すことが求められているため、右上のid表記でだいたいばれている。

中の空間は意外なほど広々としていて、白い壁に濃いグリーンリノリウム張りの床になっている。室内にはダイニングテーブルだか机だかよくわからない木製の台が複数置いてあり、周囲に配置された無印良品の木製椅子に座って注文することになっている。

台の上にはメニューが置いてあり、魚定食ラーメンお茶の3種類しかない(から注文を取るのは比較的楽ではあった)。魚定食はいもののじっさいには魚のフライ定食であって、白身魚フライウスターソースたっぷりかけ、ご飯味噌汁とともに食べるようになっている。ラーメン醤油ラーメンのように見えるが、スープはどことなく甘酸っぱく、コーラが入っているらしい。お茶は至って普通煎茶であって、薄手の湯呑みに入って出てくる。茶菓子特につかない。

ホール係であった自分にとって特に印象的だったのは、お茶を注文した人の誰もが不機嫌そうで、一口飲んでもその不機嫌さは一向に変わらなかったことだ。理由はわからない。

このカフェでの勤務が続かなかった理由として、激しい便臭に耐えられなかったことがあげられる。魚定食を頼んだ客は例外なく漏らしていた。本人は何くわぬ顔をしていても、ズボンスカートの隙間から油のようなものが床に垂れて水溜り(油溜まり?)を作っており、それがいたるところで激しい便臭を放っていた。漏らした客の退店後に椅子の座面と床を拭くのは自分を含めたホール係の役割だった。

1ヶ月勤め上げれば早く外に出られるというインセンティブはあったものの肉体的に勤務を続けることができなかった。勤務を終えてシャワーを浴び、寮に戻ってもまだ便臭がしていた。その臭いは幻臭なのか自分の肉体の放つ臭いなのか分からず、夜も眠れなくなり、勤務中止を申し出た。

そういうわけでいまだに自分は再投稿更生学校でこんな投稿を続けている。先にリタイアした同期が同じようなエントリ投稿しているせいで「再投稿は甘え」などと今にも刺されるのではないかと、ビクビクしながら「この内容を登録する」ボタンをこれから押す。

2023-08-31

俺の読む小説はいつもリノリウムの床が登場する

いつもコツコツと足音を響かせる。

2023-06-19

anond:20230619035707

増田利用者けが入れるカフェがあるというので行ってみた

東中野にあるごく普通雑居ビルだったけど、階段の下まで人が並んであふれていた

こんなに増田利用者がいるとは思っていなかった

中に入るとけっこう広くて、床がリノリウム張りの防水仕様になっているのはなんでだろうと思った

テーブルに着くと上にメニューが置いてあるが、3品しかない

バラムツ定食

ラーメン

お茶

ラーメンを頼むと、スープが真っ黒くて白髪ネギがたくさんのったラーメンが出てきた

お茶を頼んでいた人たちもけっこういたが、みんな憮然とした顔で、出された煎茶をただ飲んでいるだけだった

カフェだけど会話している人はだれもいない、静かだ

自分ラーメンを啜る音が響いて気になったが、ラーメン自体は奥行きのある味でかなり美味しかった

ただ気になったのは室内の異臭

ひとことでいうと、うんこ臭いのだ

それもそのはずで、椅子に座っている客のパンツの裾から茶色い液体が漏れ出して床に広がっていた

ああ、床が防水仕様になっているのはこのためなのだな、とどこかで納得する自分がいた

辺りを見回すと、多くの客が微動だにせず、静かに漏らしていた

やはりここは増田利用者だけのカフェなんだと納得した

2023-02-08

anond:20230208124008

リノリウムの床という文字を見るだけで、ドリトル先生の妹のサラが「おにいちゃんが家の中でワニを飼ったりなんかするから、ワニが床のリノリウムを全部食べちゃったじゃない!」という一説を思い出す

いまだにリノリウムがなんなのかよくわかっていない

ワニがそんだけ食べるということはおいしいものなんだろうな

外国で暴れて精神科に入れられたんだけど

なんか書いたけどクソ長いか外国精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。

入院に至るまで

お前らは精神科入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDから毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。

ある時、俺は海外一身上の都合引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序リタリンよりOD不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちスイッチしてしまった。

ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところであるビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。

そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。

しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。

冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。

俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているか処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていか家族が俺の世界ダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。

意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族陰謀告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪犯人っぽいか警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車措置入院と相成った。

入院

救急車外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水ボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレ場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったか自分で探した。

次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。

朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。

まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死自分はまともだからここから出せと迫った。しか職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。

彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分サイコパスから危険から病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員サイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死サイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。

しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数職員外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人普通巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。

入った部屋は6畳くらいで、日本人感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感から、寝たらパソコンRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。

どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力記憶連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。

しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさら人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。

次の日俺はまたトイレ交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。

次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。

相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱ラジオと称して実際には携帯音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイク奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。

部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインゲームだけを黙々と遊んだゲーム時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。

夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。

先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。

散歩病棟の唯一外に出る玄関職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないか入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。

この散歩想像していたものよりずっと大規模だった。30分から時間精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃん冷蔵庫食品を蓄えてるかも分かった。多分自分スーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。

職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球テーブルサッカー遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。

そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラ保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝言葉しかない。

まとめ

2022-02-24

anond:20220224144834

「床がタイルじゃなくて」って「タイル?」って思ったけど病院とかで定番の床材の名前リノリウム

2022-02-13

小説って”ビロードの床”ばっかり出てくるよな

次がリノリウムの床。

2020-10-06

読書好きな人教えて

文章表現されてる景色が、頭の中で再生できない時ってどうしてる?

大正昭和初期の世界観が好きで、その時代小説をよく読むんだけど、イメージつかないことが多い。

  

例えばこの前読んだ小説

  

私は叔父がこんな近い処に住んでいようとは夢にも思わなかったので、子供心に不思議に思いながら叔父に跟いて中に這入ると、上り口は半坪ばかりのタタキで、あと十畳ばかりの板の間に穴だらけのリノリウムを敷いて、天井には煤ぼけた雲母紙が貼ってあった。

  

この一文だけでわからない語彙が三つある。

タタキ、リノリウム雲母紙。

リノリウムは床の素材だった気がするが、あとの二つは全くぴんと来ない。

  

調べればすぐにわかるんだろうけど、せっかくストーリーに没入してるのに現実に引き戻される感じがして嫌なんだよね。

かといって、わからないまま進むのは気持ち悪くてストレスになる。

結局本を読むのが億劫になって、映画漫画を優先してしまう。

みんなどうしてるのか教えてください。

2020-07-07

#夏だしフォロワーさんの怖い話教えてください 意味からなさすぎ

非科学的なので放っとこうと思ってたけど、年々時間が経つごとに忘れていくので備忘録書いとく。

身バレは嫌なのでフェイクをまぜる。霊感はない。

 昔、救急病院で働いてた頃のこと。

 当直中、病棟ナースから電話がかかってきた。いわく、病棟まで来てほしいとのこと。

 急変ですか?と聞くも「いや…緊急性はないと思うんですけど…」とはっきりしない。

 こういうことはたまにあって、緊急性なさそうだけど微妙に気がかりなケースだったり、地味な困り事だったり、こっそりアイスを食べる共犯にされるとこだったりする。

 とりあえず行ってみる。

 消灯中の病棟は真っ暗でしーんとしていて、ひとまず急変という雰囲気ではなかった。暗いリノリウム廊下に非常灯の緑のランプがぼーっと光ってて、左右の病室からたまに患者さんが寝返りを打つ音が聞こえた。その中でナースステーションの明かりだけが煌々と白く灯ってて、近づくにつれて遠隔心電図モニターのプップッていう規則的な音が聞こえてきた。

 夜勤看護師さんは二人。見回りは終わったとこみたいで二人ともナースステーションにいた。その日の担当は一人は中堅さん、もう一人は、年齢は中堅さんと同じくらいだけど最近新しく採用された新入りさん。とりあえず声をかける。

お疲れ様です、どうしました?」

「あの…子供が走ってるみたいで…」

 は?

小児科病棟の?」

 脱走か?解熱して元気になったやんちゃ盛りの子かな。ちゃん巡回してるはずだし、ここ小児病棟とだいぶ遠いけど。

「いや…」

 新入りさんが言い淀む。中堅さんは苦笑いしている。からかわれた?

「いや…なんか子供がいて」

 耳をすましてもモニター音以外何も聞こえない。救急車サイレンナースコールも誰かの叫び声もない、穏やかな良い夜だ。…寝ていたかった。

 一応ダメ元で小児病棟に問い合わせる。「いなくなってる子いませんか?」PHSの向こうの声が怪訝そうに「はぁ?」と言った。一応見回ってくれてるらしき靴音が電話の向こうでちょっとだけ響いて「みんな寝てます」。

 だよね。

「あの」

 新入りさんが言った。

幽霊だとおもうんですけど」

 今度は私が「はあ?」となった。何でこのクソ眠い時間オカルト与太話聞かなならんのだ。

 たぶん露骨イラッとした顔してしまったんだろう(ごめん)。中堅さんが新入りさんと私の間に割って入った。

「や、私もパタパタって足音?みたいなの聞いた気がしますし。一回だけ念のため病棟内見てもらえませんか?いやホント、一応」

 はーーーーーー?????

 こんな静かな夜は珍しいのに。起こされなければ寝てられたのに。いや苛立ってはだめだ。一緒に働く人のメンタル大事。腹を括って「分かりました」と言う。

 新入りさんが何か準備するものないですか、と言った。ナースステーション内を見回すと、お昼に学生さんが実習したシリンジやら針やらが目に入った。

 若干腹立ち紛れに50ccシリンジと18G針を手に取り、空のシリンジに『カラ』と書く(使ったシリンジには即中身を書かねばならないので)。人間幽霊かとかこの際知るか。人の安眠邪魔しやがって。見つけ次第刺す。絶対に刺す。朝まで刺す。

 病棟をぐるっと一巡りしながら私は口パク叫び散らかした。

(消灯時間に起きてる悪い子はいねがーーー!!)

(悪い子には注射するぞーーー!!)

 廊下だけじゃなくてリネン室や車イス置き場、トイレストレッチャーの影まで鬼の形相でペンライトを向ける。誰もおらん。当たり前やけど。

 可能な限り穏やかに整えたつもりの顔でナースステーションに戻ると、看護師さんが二人ともニコニコしながら私を出迎えた。

ありがとうございます

「誰もいませんでしたよ」

「みたいですね」

「もう(宿直室に)戻っていいですか?」

はい!」

 二人ともさっきのぎこちなさが嘘のような上機嫌。

「それ、もらっときますね」

 新入りさんが笑顔で私の持つシリンジを指差した。捨ててくれるらしい。

 お礼と共にシリンジを渡して、私は寝た。

 ここまでなら割とよくある、怖がりさんが怖がったけど何も起きなかった話だ。すぐ忘れる。

 記憶に残ったのはこの後の展開のせい。

 数日だか数週間だか経った頃、たまたまこ病棟仕事をしていた時のこと。

 何気なく目にした看護師さんのカートの上に、筒状の変な布切れの塊?みたいなものが載せてあるのに気付いた。

 好奇心で近づいてみると、私があの時持ってた50ccシリンジだった。「カラ」って書いてあるし。お札やらお守りやらでびっしりぐるぐる巻きにされている。

 怖!!!

 こんなん感染源やんけ!!

 院内感染の元をカートで持ち歩くなよ!!!誰だよ!新入りさんか!!

 ごめんけど捨てた。

 その数日後だったと思う。(ずっと病院にいすぎてあんまり日付の感覚がない)

 血相変えて新入りさんが私のところに来た。半分寝ぼけながらパソコン叩いてた私に小さな白い箱を押し付け彼女は言った。

「あの、これに祈ってください」

はい?」

 よく見たら箱は18G針100本入りの箱だった。封を切ってないディスポの注射針が箱の中に整然と詰め込まれている。

「祈るって何……」

「念じるだけでもいいので!」

 状況が分から困惑する私。あんまりしたことはなかったけど、新入りさんは割と穏やかな人という印象だった。それが徹夜明けみたいなぼさぼさの頭と化粧っ気のない顔で、目を血走らせてこっちに箱入りの大量の注射針をぐいぐい押し付けてくる。

「握りしめてくれるだけでもいいんです!ぎゅって!!」

 いや ぎゅっ じゃねえ。

 まずこれ病院備品なんですけど?!何!?何に使うの!!?

 状況が全く飲み込めないし意味が分からない。

 助けを求めて周りを見回す。(やべー)の顔をした研修医がそそくさと部屋を出て行った。おいやめろ置いていくな。

 ヒートアップする新入りさん。

 困る私。

 脳炎じゃないよな、薬か?精神疾患か?こんな病態あったっけ?何だどうしたどうしよう、と思ってるところに病棟師長さんが来た。師長さんは私に「ごめんね」と言うと、新入りさんの肩を抱いてどこかに(たぶん控室に)行った。

 しばらくして、新入りさんが辞めたと聞いた。

 いまだに思い出しても謎。

書くの結構大変だな

思い出したらまたメモする

2020-02-20

anond:20200220182036

革の良さが活きるタフな用途酷使するとどうやっても数年でオシャカ

一生ものとかウン十年とかいうのはタイルリノリウムの上しか歩かない生活の人の話

そんなんだったら耐久性とか履き心地とか、なんでもいいじゃんとは思う

2018-12-23

無題

病院は慣れ親しんだ場所だ。

母の勤務先が医療関係だったことに由来するのかもしれない。待合室はたいてい退屈だがなにも事件は起きない。

だれも興味のないニュース番組を流し続けるテレビがあるだけの、退屈で平和空間だ。

座り続けると少しばかりお尻が痛くなるソファ、足元を少しずつ寒くするリノリウムの床。

長居はしたくない場所だが、居続けなければならない場所でもあった。

姉が手術をしている。2時までは多分そうだったのだ。

夕方過ぎから父と一緒にいた待合室で寝てしまい目が覚めたら6時だった。手術は終わっていた。

家に帰りあまりの眠気に、その日学校を休んだことは覚えている。

その翌日は登校をして、いつものように一日を過ごした。

手術中の夜という地味に退屈な大イベントのことは完全に忘れていた。

一週間後、学校から帰宅すると、こたつに入ってテレビをみながらの姿勢で父が第一声、姉が死んだ、といった。

目はテレビの方を向いているがほとんど見ていないように思えた。

僕は、嘘、と聞き返した。父は、そんな嘘を言うわけがないだろ、というようなことを言い返してきた覚えがある。

思うにこれは不毛なやりとりであって、僕はさらに何か情報を引き出すこともしないし、父がそれ以上なにかを話すこともなかったので、

ベッドに入り姉と一緒にジグソーパズルしたことを考えていたら、そのまま寝てしまった。

遅くに母が仕事から帰ってきた。父は酒とおでんを買ってこいといった。

近所に個人経営の酒屋があるが、もう閉まっている時間だった。

こんなときはその酒屋の裏手にある自動販売機で750mlの缶ビールを2本買うか、

さらに足を伸ばしてコンビニまでいって1000mlの缶ビールを2本買うかという選択肢になる。

その日はおでんもあるから後者だった。

僕は中学にいくまでよく知らなかったのだが、ほとんどの家の父親は一夜で1000mlの缶ビールを2本開けたりしないという。

また同級生毎日ビールを買いに酒屋にいったりはしないともいう。なにより父親という存在仕事をするものだともいう。

母と一緒に家を出た。

コンビニに行く途中、16号線の信号にさしかかる電気屋の前あたりで、

僕に、姉が死んだ事実を知っているか、という確認をした母の目は、自答するかのように涙していたように思う。

今思い出してみると、その時点で目の周りが赤かったように記憶しているので、家に戻る前のどこかでも泣いてきたのだろうと想像する。

さて、このとき僕は一緒に涙するべきだったのだろうか。未だにその答えを持たない。

なにがそうさせたのかわからないが、当時の僕は超越した態度をとるようにしつけられていたのかもしれない。

聞こえたような、その上でたいしたことないような素振りをした。

そうなんだ、うん、へええ、知ってる。さっき聞いた。

なぜだかわからないんだけど、僕は姉の死に無関心を装うように、この日から義務付けられた気持ちになっていた。

家に帰っていつもは卓につかない母も一緒におでんを食べて、父はビールを飲んで寝た。

僕はベットの中で、あまり眠くなかったものから

今度は姉と一緒に布団に懐中電灯と一緒に潜ってドラえもん音読あいながらげらげら笑っていたことを考えていたら、

つの間にか寝ていた。

2018-02-15

anond:20180215090411

それは「リノリウムの床問題」として古くから読者の間で議論されているテーマだ。

2017-10-25

父親背中にチャックがある

僕の父親背中にもチャックがある。そのチャックは薄汚れたような真鍮のような質感で、ご丁寧にYKKって書いてある。

僕が中学2年生の時に来ていたカーキ色のジャンパーのものが一番似ている。それにもYKKって書いてあった。

異変に気付いたのはある朝の日だった。夜起きた時に飲むために入れておいた水の上に小さな埃のようなものがたくさん浮いていた。

それは紛れもなく、夜の間に何者かが入れたものだと確信した。僕は誰にも悟られぬよう平静を装ってその水を捨てにいった。

幸いその時間はまだ誰も起きておらず、僕は薄ら笑いさえ浮かべながら1階の台所へと向かった。そのような液体を捨てることは僕にとっては造作もないことだった。

ただ一つ、当時の僕にとって予想外だったのは、2階に戻った時父親が起きてきたことだ。お、はやいな。彼はそう言った。

僕はうん、とだけかすかに頷いて自室に戻った。その日から毎日僕は、水を入れては毎朝確認するようになった。

まり浮いてない日もあれば、結構浮いてる日もあった。僕は誰がそれをやっているか、正体を見つけ出すまで負けないと心に誓った。

そいつはなかなか正体を表さなかった。だから僕は毎晩夜は寝たふりをして過ごすようになった。

正体を見つけ出すまでは諦められない。けれども奴らはなかなか姿を現さなかった。誰もいないのに朝になれば埃のような何かが浮いている。

僕は気が狂いそうだった。何者かが、僕の部屋に、姿も表すことなくやってきて、僕の飲むとわかっている水に何かを浮かべていく。

電気をつけておくわけにはいかない。電気をつけていると奴らはやってこないからだ。

僕は毎朝、平静を装ってその水を捨てる。それがルーティーンになった。そいつらのせいで僕は昼間も眠くて仕方がなかったが、

負けるわけにはいかないのでそれでも学校はいっていた。成績は元来よかった方のはずだったが、その頃からか成績も落ちていった。

知ってる。それも奴らの仕業であると気づくのに時間はかからなかった。とうとう奴らは、夜の時間だけでなく昼間も活動するようになったのだ。

お昼ご飯を食べてたときお茶のコップにそれは点々と浮いていた。後日僕は友達にあやまった。そいつが浮かべていると思ったが、どうやらそいつが正体じゃなかったらしい。

せっかく持ってきてくれたお茶に口をつけずごめん、と言ったとき彼がかすかに目を見開いたのを覚えている。多分彼は奴らの正体に気づいていたんだろう。

その頃までには、僕もその尻尾を掴み始めていた。僕もバカじゃyないので、何もただ寝たふりをしていたわけではない。

父親が夜の間にトイレに行くのは、奴らと交信しているからだった。夜の間にトイレに行って、奴らと交信し、僕の水にほこりに見せかけた次元紐を浮かべていた。

僕が飲んでないとも知らず、奴らは毎日無駄な苦労を用心深く重ねていったが、あるとき突然正体を表した。

父親を使って僕を病院に連れて行こうとした。その日、僕は父親が完全にあっち側の奴らになっていると悟り泣いた。

別の日、父親はまた僕を病院に連れて行こうとした。その頃までには僕は色々調べていたので、病院先生なら父親の正体を見抜けるだろうと思って、

作戦に乗るつもりでおとなしく付いていった。思った通り、先生は正体を見抜いた。もう家には戻らないほうがいいと言われて、

僕はその日からしばらく病院で過ごした。父親のことは諦めろと言われた。

病院では、それが浮かべられないようにと、先生は僕にパックに詰まった水をくれた。そのおかげで、僕は飲んだらキャップを閉めておけばいいようになった。

でもそれでも僕もやはり気になるので、時々は水を床に広げて奴らがこないか見張っていた。リノリウムの床が鈍く光を反射していた光景を僕は今でも鮮明に覚えている。美しかった。

それからしばらくして、先生父親が帰ってきたといったので僕は家に戻ることになった。確かに父親は元に戻っていた。

それで、先生が言うには父親じゃなくて僕が一時的にどうかしていたと言った。もちろんそのままそういったわけじゃない。遠回しに言っていたけれど、何を言いたいかは僕にはすぐわかった。

言い返そうかと思ったけど、ことが面倒になっても困るので僕はただ頷き、そうですか、と頷いていた。

父親おかしくなったらまたきなさいと言われたが、先生があっち側の奴らになっていることは明白だったので、うやむやに返事をしてごまかした。

今日まで僕はおとなしく過ごしてきた。何も変わったことはなかった。けれども最近気になることがあった。僕の父親背中にもチャックがある。

いつも服で覆ってうまく隠しているつもりかもしれないが、僕の目には明白だ。ただ、それを知っていることを悟られていは行けないから、どうしようか迷っている。

ニュースにどじったやつが出ていた。方法は正しかったのに、気づかれてはおしまいだ。

僕は気づかれない方法を知っているので、僕は正しくやってやろうと思う。これでその決意ができた。

2011-06-20

不思議なんだけど。彼女は昼食を食べている途中でそう切り出した。不思議なんだけど、最近よく同じ夢を見てしまっているんだ。

へえ。どんな夢なんだろう。私は購買で手に入れたサンドウィッチを飲み下してからそう尋ねてみた。

変な夢なの。彼女は箸を置くと、困ったような悲しんでいるかのような表情を浮かべて力弱く微笑んだ。とっても変な夢でね、いつもいつも、その時間帯に受けなければならない授業に出席できない夢なんだ。

決まって授業に遅刻してしまった場面から始まるのだというその夢は、確かに奇妙で意味深な内容を伴っていた。彼女には寝過ごしてしまったとか、気分が優れなくて少し体調を気にしていたとかいう具体的な理由があるわけでもなく、出し抜けに授業が始まってしまった学校廊下を歩かざるを得なくなってしまっているのだという。

わたしはね、出なければならない授業のノート教科書参考書と筆記用具を腕に抱いて、一人ぽっちのまま、惨めな気持ちでとぼとぼと静かすぎる廊下を歩いているの。恥ずかしさとか後悔は全然ないんだけど、ただひたすらに辛くて苦しくて悲しい気分になってるの。

それはまた面妖な夢だね。相槌を入れると、彼女はまた萎れかけた向日葵のような笑顔を浮かべた。スーちゃんもそう思う? まあ、私なら少なくとも辛くも苦しくも悲しくもならないと思う。そうだよね、どうしてわたしは夢の中でそう思ってるんだろうね。

それは本人にしかからない類の問題だった。答えに一番近いはずの彼女がわからないのだから、私になんてわかるはずがない。黙したまま紙パックのジュースを飲み始めると、でもそれだけじゃないんだよね、と彼女が続きを口にした。

わたしはね、夢の中でまっすぐその時間帯に受けなければならない授業がある教室に向かっているんだ。サボろうとか逃げちゃおうとかいうことを考えもせず、じっとリノリウムの床に眼を落としたまま、脇目もふらずにその教室に向かっているの。それで最終的には目的教室に辿りつけるんだけどね、こう、ドアをスライドさせてね、びくびくしながらも懸命に勇気を振り絞って視線を上げてみると、時間を飛び越してしまったみたいに、その教室ではもう次の授業が始まってしまっているということに気がつくの。英語なら英語化学なら化学。わたしが抱えていたノート教科書とは全く別物の、わたしとは関係の無い別のクラスの授業が開かれてしまっているの。

わたしは夢の中ではこれっぽっちもお呼びじゃないみたいなんだ。そう言って彼女は少しだけ俯いた。追いつけないんだよね。何をしても。何があっても。結局どこにも行けないんだ。搾り出すような声は紛れもなく小さな悲鳴だった。

でも、夢なんでしょ。現実じゃあり得ないことでしょ。私はできるだけ、それがなんでもないことであるかのように口にした。気にすることないよ。気にしないほうがきっといいことであるはずだよ。

でも、この夢、結構堪えるんだ。暗く沈んだ声で彼女は口にする。いつもみんなに置いていかれてしまうんだもの。どれだけ繰り返しても、どれだけ身がつまされそうになっても、わたしが望む空間には絶対に辿りつけないんだもの。それにね、朝起きると、汗がすごいんだ。ベタベタしてて気味が悪いの。

堪ったもんじゃないんだ。彼女は諦め卑屈になってしまった敗北者のごとくいびつに笑った。嘲笑だった。彼女自身はまるで悪くないはずなのに、自分自身のことを嘲り貶して一笑に付したのだった。

しばらく私はなんと返事をしたらいいかからず迷った。励ませばいいのか、同情すればいいのか、あるいは突き放してしまったほうが彼女を思いやることに、優しさになるのかどうか。重たい沈黙が流れこんできて、更に焦ってしまった。残っていたパンを食べきった。ジュースを三度口に含んだけど、あまり味がしなかった。

ちらりと上目遣いに彼女を覗いてみると、箸を手に持って食事を再開していた。動作は緩慢で、なるほど最近妙に元気がなかったのはこの夢があったためなんだと確かな確証でもって納得することができた。

紙パックをじゅこじゅこいわせてジュースを飲みきり、私は一言だけ、大変だねと彼女に話しかけた。顔を上げて、うんと頷いた彼女の表情は、内心どこかほっとしているようだった。

ちょっとだけね。かなり、大変なんだ。そう言って屈託なく砕けた彼女の表情には、今にも崩れ去ってしまいそうな脆い矜持が滲んでいた。

やっぱり、私は何もできない、できるはずがなかったのだ。

その揺るぎない事実をありありと突きつけられて、私は少しだけ鼻の奥がツンとした。

そうなんだ。うん。ま、あまり気にしすぎないことだよ。スーちゃん、それさっきも言ってたよ。そうとしか言い様がないんだから仕方がないよ。ふふ、それもそうかもしれないね

食事を終えて、私は窓際に設置された横に長い業務用のストーブに、彼女はすぐ側の椅子に腰掛けた。私は窓の桟にもたれかかってぼんやりと外の景色を眺めている。ちっとも動かない雲とか誰もいないグラウンドなんかを、頭を空っぽにして見下ろしている。

きっと隣で彼女は、おしゃべりに興じたり忙しなく教室から出入りしているクラスメイトを見ているんだと思う。ちょっとだけ淋しそうな、羨望の色を帯びた眼差しで、彼らのことを見守っているのだろう。

でもね、と言って彼女は夢の話を切り上げる際にちょっとだけ付け足しをした。でもね、もう絶対にどんなに願っても足掻いても辿りつけないのだとするのならね、いっそのことそこに辿りつけなくてもいいような気が、最近はするんだ。どこにも行かないまま、この場所に留まったまま私の時間を過ごしていたほうがいいようなね。何かにつけて、今はみんな早過ぎるんだもの。ついて行けなくたって仕方がないと思わない?

苦笑を浮かべた彼女に、私は何も答えなかった。そんなこと言っていられないよと思いつつも、やんわり苦笑を返しただけだった。

ぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めてみる。グラウンドに動くものは見つからず、ぽっかり空の真ん中に浮かんだ雲は動かないままだった。

2010-11-25

床を這う。両手を使って、邪魔なものを振り払いながら、蛆虫のように進み続ける。目指す場所はもう目の前にまで近づいている。

拳を握った。辿り着いた廊下にへと繋がるスチール製のドアをドンドン叩いた。手のひらが痺れるほどに。感覚がなくなって、皮膚が破けてしまうほどに。叩いて叩いて叩き続けて、振り上げていた右手は冷たいスチールの表面をずり落ちていった。

ずっと鳴り響いていた震動が空気に伝わっていく。無限に広がる空間に飛び出した途端にかすれ薄れて、寒々しいほどの静寂があたりにすうっと忍び込んでくる。

もう動かなくなった時計にも、吊るしたまま埃を被った制服にも、並んだ本にも、散らばったたくさんの小物の中にも、静寂は青い波紋となってじんわりじんわり染み込んでいく。

全てに染み渡って、それぞれが波打って、より深い、海溝のような静けさをあたりに噴き出していく。

音もなく音もなく。徐々に徐々に、正確に、的確に。

カーテンからは力のない光がそっと射し込んできている。リノリウムの床に平べったい明かりを作ったまま、形を変えることもなくずっとへばりついている。

まるでもう二度と飛べなくなってしまった私をあざ笑うかのように。遥か上空から優しいぬくもりを投げかけ続けている。

右手を上げて、もう一度ドアを叩いた。

震動はむなしく響くだけで、届けたいあの人にも、聞いてほしくないあいつにも伝わることなく消えていった。

消えていって、一層辺りに波打つ静けさを深めただけだった。

息がかすむような、ぎゅっと膝を抱えて縮こまってしまいそうな、眠たくなってしまう無機質な静寂が私の精神までも蝕んでいく。

その細波が、折に触れて目頭に打ち寄せてくるので、ぽろぽろと涙が込み上げてきてしまう。

さびしいはいやだ。心細いと潰れてしまいそうになる。もう誰もいないだなんて考えたくない。認めたくない。

私が無き者として扱われているだなんて信じたくない。

どん、どん、とドアを叩く。叩いて叩いて、もっともっとさびしくなるのに、やめるわけにはいかない。

どん。どん。どん。

かに届いて。

そう願い、涙を浮かべながら、何度も何度もドアを叩く。

2009-11-13

柚子を食むような中身のない掌編

よく言われることだけれど、学校という箱は牢獄に似ている。コンクリートの壁が、リノリウム廊下足枷となっていて、仕切られたひとつひとつの教室が、割り振られた各々の机が鉄球と繋がった鎖となっている。閉じ込められた囚人達はなかなかガラスアルミからなる窓から飛び出していくことができない。

確かに、中には無理やり牢を脱獄していく者もいる。けれどそれらの人物は一様に例外中の例外であって、そもそもが学校という箱の中に納まりきらない、もしくは納まることができなかった異端者ばかりなのだ。大概の生徒はなにが起きているのかも分からないままに鎖に繋がれてしまっている。繋がれていることにも、投獄されていることにも気が付かない幸せ者もたくさんいるけれど、私のように気づいてしまう愚か者もそれ相応に溢れている。

集団は、そこに集団が形成された瞬間から社会性を有すものだ、と私に教えてくれたのは、中学校に通っていた頃の変わり者だった。社会性が存在するということは、すなわちそこにはカーストが生じ、相互の、もしくは一方的な関係が誕生するのだ、と。

なくなって久しいと思っていた牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけていた。彼の名前はなんといったのだろう。表情と、滔々と述べられた数多の発言は強く記憶に残っているというのに、肝心の名前が思い出せなかった。クラスメイトどころか、学校中から、ひいては教師達からも距離を置かれていた彼は、中学二年の秋から学校に来なくなった。

誰もいない教室で、窓際の自らの席に座って頬杖を突く。遠く、どこか他の教室の中で話しているらしい女子生徒の声を微かに耳にしながら、私はぼんやりと、見るともなしにグラウンドに散らばった各部活動の活動を眺め降ろしていた。少し黄色がかった空に、長細い雲が浮かんでいる。先ほどから少しも動いていないようにも見えたし、とても長い距離を流れ滑ってきたようにも見えた。鳥が羽ばたきながら勢いよく姿を消していく。

夕暮れというのは面白い時間だと思う。明確に日付が代わる真夜中のその瞬間よりも、鮮やかに一日の終焉を伝えてくるからだ。

郷愁のような物悲しさ。

厳密に言うのならば、まだ夕暮れと呼ぶには早かったものの、色付きかけた青色の空はひしひしと望郷の念を思い起こさせていた。

それにしても、どうして私は夕暮れ時に切なくなるのだろう。離れてしまった故郷があるわけでもないのだ。私はこの街で生まれ、この街で育ってきた。だから、郷愁を抱くわけも道理もないというのに。

あるいは、幼い頃になにか強烈な出来事を経験したのだろうか。それとも、外部から与えられた『夕暮れは物悲しいものだ』という概念に毒されてしまったのだろうか。もしくは、生物本能として、二重らせん構造の中に、ひとつひとつ塩基の中に太古の昔に経験した物悲しさが記憶されているのかもしれない。

人を含め、万物の生命体は元を辿れば海へと行き着き、稚拙細胞群へと集約されるのだという。それから現在に至るまでにそれぞれの生物が見た景色を、私は深層心理よりも奥深くに大切に補完しているのかもしれなかった。

何の役にも立たない妄想から意識を引き上げてほっと息を吐くと、少しだけ肩から重石が外されたような気がした。こういったことを考えてしまうのは、間違いなく中学生の頃の彼の影響だった。名前も思い出せない瓶底眼鏡君は、今でも確かに私の影に潜んでいて知らず知らずの内に意思決定を巡る過程の中で暗躍している。

「あなたは私と同じにおいがするよね」

そう、先日陸上部深海さんに言わせてしまったのも、もしかしたら暗躍する瓶底眼鏡君のせいなのかもしれない。私の意識は数日前の放課後に、鮮やかな朱に染まっていた昇降口へ遡っていく。

「雨は好き?」

いつものように時間を潰して帰ろうとして折りに、靴箱の前で唐突にそう話しかけられた。振り返った私は、綺麗な微笑を湛えた深海さんに見つめられたまま返事をすることができなかった。

「私はね、結構好きなんだよ。雨そのものというよりかは、雨が振っている雰囲気というのが」

眼差しは、あなたはどう、と訊ねてきていた。私は首を傾げ、いまは降っていない雨のことを考え、陰鬱な湿り気を帯びた気配を想像してから、それほどでもないと答えた。

それほどでもない。私は雨にあまり良い思い出がないのだ。

微笑む新海さんは、その微笑を消し去るどころか一層壮艶なものに変化させてからやっぱりと言った。

「やっぱり、あなたと私は同じにおいがするよね」

言葉意味を尋ねなかったことを、私は後悔するべきなのかもしれない。こうして誰もいない教室でひとり机に腰かけている今に至るまでその真意がまったく分からなかった。たぶん、これからも一片でさえ分からないのだろう。

その後、深海さんはじゃあと手を振って、するりと昇降口から外へ向かっていった。取り残されたのは私だけ。あるいは、私と昇降口に差し込んでいた夕陽だけだった。立ち昇った埃が煌めいていたのが、やけにノスタルジーな気配を含んでいた。昇降口には忘れ去られた物品が纏う物悲しい忘却に溢れていたような気がする。

彼はどこへ行ってしまったのだろう。グラウンドを眺める私に、再び瓶底眼鏡君の顔が浮かんできた。我々は決起しなければならないのだ。拳を高く握り締めていた後姿と一緒に。

視線の先で、陸上部が活動を続けている。ひとりひとりの容姿の違いはここからでは判別できない。みんな似たようなジャージに身を包んでさっきから走り込みを続けている。走っては、隣の人と話しながら歩き帰って来て、再び位置につく。反復練習を続ける集団の中に、きっと深海さんも混ざっている。

ふと集団の中の誰かが立ち止まった。顔は校舎の方を向いている。立ち尽くして、何かを探すように視線が動いているようだった。

そして、私は認識する。その人物が深海なつみであり、彼女が私を見つけて微笑んだことを。

どうして人物が彼女と判明したのか、表情まで見えてしまったのか分からないが、その刹那に私はたくさんのことを理解した。なぜ彼女が私に同じにおいを嗅いだのか、どうして彼の名前が思い出せないのか、彼女がいつも微笑んでいる理由と、夕暮れ時に人が物悲しくなってしまう原因を。理解させられてしまった。

堪らなくなって、私は思いがけず席を立つ。全身が、他の意識に乗り移られたように火照っていた。羞恥、憤怒、悲愴、愛憎――そのどれとも呼ぶことのできない感情が昂ぶって、一度大きく爆ぜてしまっていた。

廊下を、口許を掌で覆いながら早足で過ぎていく。

思えば、昔これと似たような感覚を得たことがあったような気がする。母が柚子を買ってきたときだった。剥くこともせずにかぶりついた柑橘のぶ厚い表皮はとても苦くて、渋くて、痛くて、痺れを伴っていて、とてつもない刺激となって私の口の中を駆け巡ったのだった。

そう、あの刺激だ。いまも私の口の中にはあの時の味が、感覚が広がっている。

視界を滲ませながら、私は一目散に帰らなければならないと考えていた。

ここではないどこかへ、逃げるようにして向かわなければならないと思わないわけにはいかなかった。

 
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