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2019-12-11

丸山議員冬のボーナス明細写真をアップ 約323万円で所得税が…「アジャースですね」 デイリースポーツ online https://www.daily.co.jp/gossip/2019/12/11/0012951770.shtml

自分支給された(いわゆる)冬のボーナス額を公開して、何がしたいの?

コレも国会議員としての責務、だと思っているの??

責務と言うなら、「アジャース」とか「さて、臨時国会も終わったし、少し早めの冬休みを始めます」って表現はどうなのよ?と思う

先日の皇族に対する言動やその前の北方領土滞在中の言動も含めて、この人は議員にしてはダメアカンと言う表現ではなく)な人、だと確信した。

2019-12-06

https://anond.hatelabo.jp/20191206080100

宿題をやらなくて先生に怒られるという経験を奪っている。

宿題をやらなければならないという焦りを感じる経験を奪っている。

宿題友達に頼んで写させてもらう、あるいは友達と分担してやる、そういうコミュニケーションの機会を奪ってる。

効率よく宿題をこなすにはどうすればいいのか、試行錯誤をする機会を奪っている。

最終的には宿題なんてやらなくていいし、やらなかったからって不利益はさほどない(受験勉強学校勉強とは別にするし)。

理想宿題完璧にやって学力をつけることだけど、そんなのクラスに1人か2人しかできない。

それよりも、社会に出ると仕事で沢山の宿題目標ノルマ・与えられた仕事)が出るけど、そのときにどう対応したら良いのかを学ぶ機会と考える。

学校宿題は最悪何もできなくても先生に怒られるだけで済むんだから、失敗し放題である

夏休みの宿題のやり方がそのまま仕事のやり方に反映されるとかいあるあるネタがあるけど、学生時代自分性格を把握して、どうすれば最良の結果が出せるのか学んでおきたい。

自分夏休みの宿題をやらないまま冬休みになるタイプだったから、今も仕事スケジュール管理には人一倍気を使っている。

親がやってくれる=ほっといたら誰かが助けてくれる、という思考にだけはならないように気をつけないと、自分仕事もできない奴だと思われる未来しか待っていない。

anond:20191206142614

お爺さん、冬休みはまだずっと先ですよ

2019-11-25

あれ冬休みが始まったの?

まだだよね?

2019-11-19

保育無償化退職した話

きっととりとめのない文章になるだろうと思う。  

批判も受けるだろう。また傷つくだろう。  

でも今の状況を残しておきたい。  


子が保育園に入れず、幼稚園に入れた。  

その幼稚園は延長保育が18時半までと長く、  

教育熱心で親とも密に連携を取ってくれる、理想的な園だった。  

親の時間の都合だけで園を選びたくなかったのもあり、  

保育園併設ではあるが人気園なので  

ここに確実に入れるには、と幼稚園を選んだ節もある。  

長保育の枠も確保できるとのことだったので  

仕事をしながら安心して通っていた。  


毎月15日、朝9時に携帯を握りしめ、時報と同時にリロードし、  

長保育申し込みのリンクが現れると同時にクリックして申し込む。    

動悸と冷や汗が止まらないながらも、申し込むことが入園から1年半ほど、余裕でできていた。  


しかし今年の8月から不穏な雰囲気が漂い始める。  

いつもの長保育仲間から「延長保育落ちた・・・」と連絡が入り始める。  

そして10月。とうとう私も延長保育に落ちた。  



無償化の影響で延長保育の確保をする家が増えて  

枠に対して人数があぶれたのだ。  


無償化になるから・・・  


一念発起して学校に通い始めた家、  

長年の主婦主夫業から社会復帰を果たした家。  

家で頑張って見ていたけど、これをきっかけに預けている家  


私と同じような状況で働いている家の他にも  

様々な理由で延長保育を使っている。  

みんな一緒。子育て以外に活躍の場を設けることは本当に素晴らしいこと。  

そしてとても大変。わかっている。  


それでも「今まで何もしていなかったくせに」と状況を呪わずにいられなかった。  

その度に罪悪感でどうしようもなかった。  

自分の心の狭さが恥ずかしく、うまく子供と向き合えない。  


「慣れれば早いよ」と言って、別の園や併設の保育園に移る子もいた。  

その度に悲しそうな顔をする子供たちを見送ってきた。  



私も仕事の都合もつかず・・・というより  

自己責任でしょ?」  

「働いているんだから保育園に移せばいい」  

幼稚園に入れること事態、見通しが甘い」  


という言葉に私が耐えられなくなったのだ。  

の子供ならなんとでも言える。楽しそうにクラスになじむ子を  

親の都合で別の環境に放り投げることは避けたかったし、何より枠がない。  


仕事が好きで精一杯やってきた。  

私は仕事をやめ、在宅で細々と仕事を始めた。  

家で仕事をするようになり、12月冬休み保育の枠にも落ちた。  

14時半の降園後、12月冬休み夕方までシッターの利用をしようと、保育課に問い合わせる。  

シッター無償化範囲なので延長保育の代案に利用しようと思ったのだ。  


しか・・・  

「この園は長時間の預かり保育を行なっているのでシッターの利用は無償対象にならない」  

との回答であった。  


要するに、  

「この園は長時間長保育を行なっているので他のサービスを利用することないでしょ?使ってね!」  

ということだった。  


・・・使えねえから言ってるんだよ・・・怒)  

という言葉を飲み込んで、保育課の方との電話を切る。  

保育課の方も申し訳なさそうだったので自分の心の狭さに申し訳なくなって沈んでしまう。  


今の現状はそんな感じ。  

これから仕事時間をどうやりくりするかを考えなければいけない。  

幼稚園に行っている間と寝た後で8時間以上確保できるだろうか・・・。  

少し途方にくれています。  

自分勝手だなとは思うけど  

お金無限にあれば、シッターを利用してガッツリ稼ぐ!と言えるけど、  

6万ー8万を毎月捻出するのは流石に無理だ。  

無償化事態は本当にありがたいこと。だけど仕組みが整っていないように思う。  

じゃあやめましょう!では進歩がない。  

教育無償提供は国にとってもこれから私たちにとってもマストだと思う。  

どうやって続けるかの議論が大切だと思う。  

唯一の救いは夫の理解があることだ。  

自分も苦しいだろうに散らかった自宅に文句も言わず、  

家事育児を私以上にやろうとしてくれる。  

本当に感謝している。本当にありがとう。  

2019-10-28

早く冬休みになってほしい

電車は空くし電車は空くし電車は空くし電車は空くし増田は賑わう

早く冬休みになってほしい

2019-09-22

ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟きを見かけて思い出した話。だらだらと書いたので文章汚いし長いけど、3連休暇つぶしにでもどうぞ...

小学生(多分3年生か4年生の頃)の冬休み前に任天堂DSが発売された。折りたたみ式で画面が上下ふたつあって、下の画面をペンタッチして遊ぶ。最初に某学年誌だかで写真を見たとき驚いたし、素直に欲しい!!と思った。私はそれまでゲーム機という物を持っていなかった。ゲームキューブゲームボーイも触った事がなかった。持っていなくても友達と遊べたし、別段興味がなかった。

けれどDSが発売されたのはクリスマス前で、友達は次々とDSを手に入れていった。クリスマスプレゼントで、お正月祖父母からお年玉で、学年末テストで頑張ったから、進級祝いで......学年が上がった頃には大半の同級生DSで遊んでいた。

私は持っていなかった。クリスマスもお正月も隙あらば両親にお願いした。けれど全部だめで、ならば貰ったお年玉で買おうとしたものの、両親にきつく叱られてお年玉ごと没収された。懸賞で当たれば文句は言われないだろうと考えて、いくつも応募したが見事に全部落ちた。(むしろ既に持っている友達当選していた)

両親はファミコンが発売された当時、成人していた世代のはずでも、2人ともファミコンを触った事はなかったらしい。そもそもゲームに興味が全くなかった。むしろ否定的

私が「みんな持ってる。持っていないと遊べない」と言っても、「みんなって誰?クラスの何人?」「ゲームばっかりしてるとバカになるよ」「ゲームしている子と遊ばなければいい」と跳ね返された。(後々、中学同級生携帯を持ちはじめ、部活の連絡手段メールしかない状態になり携帯を持ちたいと言った時にも同じ様な事を言われた。「中学生のくせにメール連絡網生意気(以下略)」)

当時の私にはその言葉絶望しかなかったし、せまい小学生世界で、ゲームをしている子と遊ぶなというのはひたすらひとりで過ごすようなものだった。今でこそ1人でも平気になったけど当時、いつも遊んでいた友達は遊ぶ時はみんなマイDSを持参して通信機能で対戦して遊んでいた。

私はその輪に入れなかった。画面を覗き込む事しかできなかった。覗き込んだ所で理解はできないし、友達にうっとおしがられるだけだった。

次第に放課後の遊びには誘われなくなった。持ってない奴と遊んでも楽しくないらしい。

学校ではどうぶつの森ごっこ流行った。(おままごと動物版のような感じ)私はキャラクターを知らないから、嫌われているorかわいくない動物役だった。どんなキャラクターか知らないので、なりきる事ができず、何か発言する度にダメ出しをされる。休み時間一緒にいるのがしんどくて、ひとり教室で本を読むしかできなかった。

友達に「なんで私ちゃんDS持ってないの?」と聞かれても「買ってもらえないし、なぜかゲーム禁止されてるから...」としか言えないし、普通にしかった。

中学校に入学する頃にはDSブームは若干おさまってって、据置型のwiiwii sports の板が発売されていた。大半の友達の家にwii があったし、それは一緒に遊ぶ事ができた。嬉しかったしとても楽しかった。ただ、使い方に慣れていない自分は、やはり足手まといになってしまった。確か同じ頃にMii流行った。友人達ゲーム内で勝手に私のアバターを作って遊んでいた。そして「私ちゃん、〇〇(クラス男子)と結婚したよ〜子どもまれたよ〜」とわざわざ報告してくれた。友人はゲームを持っていなかった私に疑似体験させてくれたのか...?そこまでならギリギリ許す(心が狭いので本当は許したくない)けど、「○○と付き合ったら?」とリアルで言われて流石に引いた...

かと言って、この状況がいつまでも続く訳もなく、中学3年生になる頃には再びブームは落ち着いた。

高校に進学して今日までは、ゲームを知らなくても何とかやっていくことができている。が、例え話でゲームの事を出されるとやっぱり分からない。(ポケモンのどれそれが何それ〜とか)そこでプレイした事がないのでその例えは分からない旨を伝えるとすごく意外な顔をされる。相手に悪気は一切ないし、国民的なゲーム(?)なのでまさかといった感じなのだろう。むしろこっちが申し訳なく感じる。(私の周囲には例え話にゲームの事を出す人が一定数いるので、他の方がどうかは分からない)一応自分でも調べるけど、付け焼き刃すぎてどうしようもない。まぁそれでなんとかなってきてるので多分今後もこんな感じだと思う。

ここまで書いてきて、そういえばたまごっちリニューアル発売してブームになった時も手に入れられなかった事を思い出した。ちょうどDSと同時期だったような気がする...。1人で3台も持ってる友人がとても羨ましかった。ここでも完全に蚊帳の外だった。思い出したらまた悲しくなってきた...

別に今更、両親の教育方針ケチをつけるつもりはないし、当時より多少は自由に生きてるけど、件のツイートを見かけてふと思い出したので書いて残したかった。

反動というか、今はスマホアプリゲームを慣れないながらもいくつかポチポチしてる。キャラクターストーリーがそれぞれ素敵なのでのんびり続けてる。育成したりするのはすっごく苦手だけど楽しいゲーム楽しいね。もっと早く知りたかった。

そんな訳で、長くてしょうもない話にお付き合いいただきありがとうございました。

2019-09-07

女子校時代に出来なかった片思いの恋バナを5年経った今だから

私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意

中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。

中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん体育祭の時に疲れた愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み家族ハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別ものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。

高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私からしかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。

高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。

しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。

高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラス私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験純粋心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校キリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。

ある日の放課後雑談をしながら謝恩会作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。

冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。

それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。

謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。

バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作り学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族キモいと叱られた。

その後、彼女第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。

合格者発表から日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験ストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。

卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラス打ち上げ解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。

本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方自分は行くのに、Dが大学彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。

2019-09-02

23歳の頃パソコン依存から抜けられなかった俺の今

大学3年の冬休みネット依存から抜けようともがいていた。

スマホもなくて、デスクトップPCネットサーフィンしてた頃。

こたつ寝落ちして、朝起きたらすぐネットしてた。

なぜか、2chは怖くてやってなかったけど、灰羽連盟スレッドだけは全部見てた。

このままじゃまずいと思って、あらかじめ決めた時間が来たら強制的シャットダウンするソフトを作りはじめた。

朝起きたらプログラム書いて、こたつ寝落ちしてた。

強制的シャットダウンする機能が出来たら、それを止める抜け道を探して、またそれをさせない方法を探して、起動時に指定時間内だったらキー操作を受け付けない設定までして、最後には終了時間3分前に好きな音楽を流す機能まで付けた。

開発している間中D[di:]の駄利亜を聴いてた。アルバム通して100回は聴いた。

そんなことで無事にPC依存も決めた時間を守って出来るようになって、プログラム面白さにも目覚めて、物を作る側の面白さにも目覚めて、今はスマホ依存になってる。

2019-07-29

場所がない

婚活サイトではキモくて金のないおっさんは見向きもされず、夏休み冬休みGWと同様に毎日ノープランになりそうだ

マクドナルドでは自分より若い家族連れが夏休み旅行の話をしている

自分に近い年齢の人物による広義の自殺のような事件が続いて、心が折れかけている

2019-07-06

anond:20190706132051

子供には労基署うごかないのが問題だろ

大人がいったってろくに動かないのに)。

 

ハリーポッターにも描写されてるけど中学生ならまだ義務教育範囲内だけど

高校生に体力と時間無限にあるとおもいこんでる教育者が多い。

夏休み冬休みにまで「補習」と称してボロボロクタクタになるまで子供を使い果たして実質休息日が3日しかない学校がある。

親が校風あわないからあわてて転科(文転など)や転校させたくても「制度上無理です」。

体調くずして休むと教科書さない上でテスト受けさせるいじめみたいな場合もある。

モーレツ社員募集したブラック企業じゃないんだからせめて連携とって整合性をとれと思う。

 

暇で大人人口がない田舎高校生なら

自分原付免許くらいはとったりしてくれる。

(=すきなところにいかせるのに親の送迎をつけなくていい)

自主的になにかやろうと思う暇をこどもにつくれよまず。

2019-05-04

共働きって子供小学校上がったら詰まない?

夏休みとか冬休みどうすんのや…

2019-04-12

6年前くらいに一度壊れてからそれから生きていたいと思えなくなって、時々家から出れなくなる程病んでの繰り返しで、3年くらい前に親に泣きながらお願いされたか病院に行ったら躁鬱だと言われた。

から、なんだと思った。

病院に行って、病名がわかって、薬を飲んでも、辛い気持ちはなくならなくて、ただただ死にたかった。

死ぬのは怖くて死ぬ勇気なんてなくて、いつかそんな恐怖さえも消えるくらい死にたいと思う時が来る事待ちながら生きていた。

カウンセリングを受けても、ひねくれてたから人の不幸を聞いて金貰えるんだ、なんの解決もしてくれないくせにって思ってすぐにやめた。

日々生きていたくないと思っていて、時々無性に死にたくなるくらいで、人よりメンタルが弱いけど日常生活は割とできていた。

楽しい時は笑ってたし、嫌なことがあると引きこもった。

から余計に理解されなかった。甘えだと言われ続けた。自分でも甘えだと思い始めて、でも、甘えだと自覚した所でどうしたらいいのかわからなくて、苦しかった。

躁鬱の症状を調べても、躁の症状はあまり当てはまらず、鬱の症状ばかり当てはまるから、ただ単に鬱なのか?と思うけど、元気な時は元気だし、病気なんかじゃなくて性格なのかなやっぱり甘えなのか。

そんな事をずっと考えていた。この性格のせいで、ほとんどうまくいかない。治したくても感情コントロールするのが難しかった。

もういい、疲れた。治すより死んだ方が早い。そう思って自殺をしようとした。何度も衝動的に自殺をしようとしては、未遂で終わってしまっていたから、計画的にいこうと思い実行までに1ヶ月の猶予を設けた。

その1ヶ月の間に丁度、冬休みがあって暇だった私は、友達に勧められた17歳のカルテを観た。

主人公病気の症状が私と一緒で、私はすぐに境界性パーソナリティ障害の事を調べた。

調べれば調べるほど、症状があてはまった。そっか、私は躁鬱じゃなくて、境界性パーソナリティ障害だったんだ。そう気づいてなんだか心が楽になった。

正直、自分性格病気を当てはめて、それに甘えてしまっていた部分もある。なんでも、鬱だから仕方ないと諦めていたし、薬がいつか治してくれんのかと思ってた。

でも、薬は私を治すんじゃなくて症状を抑えててくれるだけで、病気を治せるのは自分自信しかいなかった。そりゃ、周りや先生カウンセラー、薬のサポート必要だけど、治すというより付き合うって感じだから結局最後自分重要なんだと思う。

正しい病名がわかると、正しい対処ができる。治すより死ぬ方が楽だと思ってたけど、ずっと引っかかってたモヤモヤが取れて、もう少し頑張ってみようと思えた。

私の死にたさなんてそんなもんだった。小さい事で死にたくなって、小さい事で死ぬのをやめて、いつも感情は忙しい。

なんだろう、なんかずっと出そうで出なかったうんちがでたときの爽快感があって、前向きになれたんだよな。

別に正しい病名がわかったからってだけじゃないんだけどさ、すっきりしてからは心が軽くなったなって話。

2019-04-04

老化によって記憶が薄れる前に改元の思い出をネットの片隅に書いておく

片隅ははてぶ運営に失礼か。謙遜語謙譲語わからんヘリ下り語として勘弁して下せえ。

ローカルに残しても絶対紛失するし

昭和天皇崩御の日、私は余りにも幼く天皇って何?だった。崩御の前に世間天皇天皇騒いでたのを察したのだろうか母に天皇って何?と質問したことを覚えている。その返答は国の顔みたいな感じと言われた事も覚えている。今に思えば象徴天皇概念子供に伝えるための表現だったのだろう。でも当時は顔?何言ってんだ?気でも狂ったのか母はという感じに受け止めた。

本題の崩御の日だ、冬休みだったかと思う。朝早くにぐーぐー寝ている私の布団をバッと剥ぎ取ると同時に「天皇が死んだよ!」と威勢よく発したのだ。当時は、で?という感想しかないが、母の発するトーンに普通じゃない気が漂ってたので2度寝する雰囲気ではなかった。そのままリビング居間テレビのあるご飯を食べる部屋にトボトボ歩いて点いてたテレビを見たらふむふむ確かに死んだらしい。まあ、でも、なんでこんなに大人は騒いでるんだと不思議には思った。なにより気がかりなのはあの母のトーンだった。

そのトーから当時も今思い返しても感じるものは、「清々(せいせい)した」である。清々しさ(すがすがしさ)が溢れてたんです。

ローカルに残しても紛失するからとか言ったが、それは半分言い訳も含んでいて、ネットに発信したいという理由も実はあって、それがこれなんです。

平成生まれの人にはこの感情???という感じなんじゃないかなと思ったんです。平成天皇は大好きですし尊敬に値する人だと私は感じます

平成は他の時代に比べても又は他国に比べても圧倒的に平和だったからね。

そしてその一躍を平成天皇が担ってたと思う。

昭和天皇に話を戻します。

彼を恨んでた人は多いか少ないかはわからないが、存在した。昭和は長かった、その長い時代世界大戦敗戦連合国統治復興と、明治維新と肩を並べるかそれ以上の濃密な時間帯が存在するのだ、その濃密で長いスパンを一人の天皇が一貫して君臨したわけだ、63年間あったのだ。半分に割って前期、後期と呼ぶとして後期は、まあどうでもいいや、問題は前期。

私の母は戦争経験者です。所謂団塊の世代です。株価GDP等の指標グラフで見ると団塊の世代右肩上がりのうらやましい時代を過ごしてますが彼ら彼女らが一般的にどうゆう状況に置かれてたのかその右肩上がりグラフ通りの笑いが止まらない人生だったのかはどうなんでしょう。0ではなくマイナスからスタートだったのは間違いないでしょう。少なくとも必死敗戦負の遺産をできる限り子孫に残さないように自分たちで吸収しようとそうゆう風に生きてたのかなあと今でも感じますしかし見つめなおすとやっぱりそれは自分のせいではないわけです。なんで俺がなんで私がという感情が気を抜けば心の底に勝手に芽生えて来るもんじゃいかなあと、思うんです。それを押し殺したり見て見ぬふりをしたりしながらなんとか辻褄を合わせて来たんじゃないかなあと思うんです。

それが昭和天皇崩御の日にふと漏れ出してあのトーンが腹の底から沸き上がったんじゃないかなあという推測を書いてみたはいいがいざ書いて見るととてつもなくどうでもいい話だなあ

2019-03-31

平成元年(1989年)何してた?

中2の冬休み明けなので、転校する準備でいろいろ片付けしてたな

2019-03-17

給特法とかい教員働かせ放題法はい改正されるんでしょうか

教職員公務員からまれてる、なんて声も聞くが、

給特法のお陰で教員は月給与+4%でほか残業代は出ない。

そんなこと知ってか知らずか、昨日も教員である嫁の携帯には教え子の親からの着信があった。

平日も、日が変わるくらいに電話があることもザラ。

教員残業代が出ないことを知らない親も多いのだろう。

学期末は休日がなくなる。

やりがい」なんてあったもんじゃない。いつ倒れるかのチキンレース

残業のアベレージは80h/月くらい。

最近働き方改革と言って、平日は勤務時間を伸ばし、

夏休み冬休みなどの長期休暇中は時短勤務をさせようとしている、

働かせ方を改革しようとしている。


教員が減っているとの声もあるが、そりゃ当然であるよなぁ。

目に見えてるブラック企業に、みんな行きたくないもの

男で家族を養おうと思ったら、教員なんて選べないもの


職場環境もそうだけど、せめて働いたら働いた分だけ給料払うようになってくれませんかね?

親も教職員残業でないこと理解してくれませんかね?

もう希望なくて、転職考えてますけど。

あん法律なければ、一般企業みたいに労基が入ったところで一発アウトだと思うんだけどなぁ。。。

埼玉教職の方の判決がどうなるか気になるなぁ。。。

2019-02-06

[] #69-2「愚者自覚

≪ 前

冬休みに入る少し前、衣替えが済むかどうかのビミョーな時期。

俺たちのクラス転校生がやってきたところから話は始まる。

「この度、私たちクラスに新しい仲間が増えます。さあ、どうぞ入ってきて」

担任教師のしゃらくさい言い回しと共に、その転校生教室に入ってきた。

第一印象は可もなく、不可もなくって感じだ。

強いて言うなら風貌が若干イモくさくて、身だしなみにはやや無頓着タイプってくらい。

だけど、その後から徐々に、不穏な空気を漂わせてきた。

「ええー、転校生ブリー君です。両親の仕事の都合でこちらに越してきました……はい、どうぞ」

「……」

担任が紹介するが、そのブリー君は何も反応しない。

教室内が、妙な静かさで覆われた。

担任も俺たちも戸惑う。

「あのー、ブリー君?」

先生、『はい、どうぞ』と言われても、どこに座ればいいか分かりません。空いているところを適当に座ってもいいので?」

「え……あ、うん。それでもいいけど、その前にみんなに自己紹介しましょう」

「あ、『はい、どうぞ』ってそういう意味だったんですか」

「うん、そう。じゃあ自己紹介どうぞ」

先生が紹介してくれたのに、ぼくもやるのは二度手間では?」

「う、うーん……そうかもしれないけど、本人から直接言った方がいいかなあって」

自己紹介した方が良かったのなら、先生が紹介する必要はなかったのでは?」

こりゃあ、中々に面倒くさそうな奴が来たな。

俺だけじゃなく、この時みんなそう思った。


…………

それから日経ったが、この転校生の厄介さは俺たちの予想以上だった。

例えば体育の時間など、グループで何かをやる時はそれが顕著だ。

今日ドッジボールをやりまーす。出席番号が偶数の子Aチーム奇数の子はBチームに分かれて」

この時、俺はAチーム

そして転校生ブリー君もAチームだ。

そもそもボールをぶつけるゲームなんて、危ないのに何でやるかなあ。それに、ぼくみたいな球技の苦手な人間まで巻き込んでやらせないでよ。共産主義とか現代遺産なのにさあ」

ブリー君は終始こんな感じでブツブツ文句を垂れる。

だが、ドッジボールは割とみんなが活躍やすゲームだ。

ボールを捕れなくても、内野で避け続けているだけで相手ミスを誘えるし、時間切れに持ち込めば残り人数で勝利に貢献できる。

それが苦手なら外野パスを回して敵を撹乱するだけでもいい。

能力積極性に違いがあっても、誰もがチームの力になれるゲームなんだ。

ボールも柔らかいものを使うから怪我をする方が難しい。

体育でやるスポーツとして鉄板なのは、それなりの理由があるわけだ。

……とドッジボールの良さを俺たちが説明してもなお、ブリー君の調子は変わらない。

「あ~あ、突き指とかしたくないなあ。ボールゴム臭さも気分が悪くなるし」

ゲーム中、ずっとこんな感じなのだから俺たちは気が滅入る。

当然、チームの士気は下がり続ける。

それと同時に、俺たちのブリー君に対する評価も下がり続けることになる。

まさか、こんな形で足を引っ張る人間がいるなんて思ってもみなかった。

俺たちはどんな遊びにおいても、どんな鈍くさい子でも、いないよりはいたほうが良いと思っていたし、楽しいとも思っていた。

だけど「こちら側のどこからでも切れます」が切れないように、何事も例外というものはある。

その例外自分たち身の回りで起きたことは衝撃的だったけど。

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2019-02-05

[] #69-1「愚者自覚

『この世から失くすべきだけど、絶対に失くせないものって何だろう』

冬休み宿題で読んだ本に、そんなセリフがあった。

主人公登場人物に、そして読者に度々そう語りかけてくるんだ。

登場人物はその度に色々な答えを出していくが、それに対して主人公イエスともノーとも言わない。

そして、答えが結局は何なのか、その本の中では書かれずに終わる。

まり自分で考えろ」ってことなんだろう。

俺は物語のこういう“やり口”は嫌いだ。

特定の読者が喜びそうなものを散りばめて、肝心なことをボカして書いて、いい感じに解釈することを期待して、何となく深い物語にしようとしてる。

こんな本の感想文を書かなきゃいけない、俺みたいなガキのことを何一つ考えていない。

結局、俺は兄貴から伝授された“感想文の埋め方”を駆使したけど、貰った評価はBだった。

『“この世から失くすべきだけど、絶対に失くせないもの”が何なのか。たぶん主人公も、その他の登場人物も、そして作者も思いついていない』と書いたのがマズかったらしい。


クラスメートは何て書いたんだろう。

ミミセンは「雑音」。

タオナケは「男女」。

ドッペルは「関係」。

ツクヒは「容姿」らしい。

クラスメートじゃないシロクロにも一応聞いてみたら、「自分自身」と答えた。

何だか深いようで、実際は浅そうな答えばかりだ。

それに、これだけバラバラの答えが出てくる時点で、やっぱり俺の感想は間違っていない気がする。

ちなみに兄貴にも聞いてみた。

「そういうのは作中の文章から、それっぽい言葉を抜き取るんだよ。それが見つからないんだったら、大人が喜びそうなこと書いとけ」

流石だ。


でも、俺の答えだって、それなりに考えてだしたものだ。

『この世から失くすべきだけど、絶対に失くせないもの』なんて、ほとんどない。

本気で失くしたいと思っているなら、そう思っている人がたくさんいるなら、失くせないはずがないんだ。

実際、俺は失くせないと思っていた“とある事”を、失くす方法を見つけた。

今回はそのことを話そう。

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2019-01-22

anond:20190122124423

正月実家に帰り、2日に友人の家に飲みに行く以外は実家で寝るだけ」

正月帰省して親を手伝いもせず2日から友人宅で飲む女ってのはあまりいなさそうだし、

仮に居たとしたら「女だけどこんな正月過ごしちゃってる自分」と言う自意識が出て来るのではないか

これをごくごく平凡な正月の過ごし方と思っているのはいかにも男っぽい。

「そこから成人の日ぐらいまでは好き勝手やって」

社会人にしては暇な期間が長すぎる。冬休みが長いか普段から暇な学生

馬鹿にしてたゲーマーおっさんと一緒になったようだ。」

自分おっさんなら「俺もおっさんになった」と書くだろう。

まりおっさん」ではない=若い男or女、と言う事になる。

美人エロMOD有り)」

→これも男っぽい。女なら「女だけど美人エロが好きな自分」と言ういかにもオタクっぽい自意識が以下同文。

って事で普通に若い学生の男だと思ったし、

学生の男ならskyrimプレーヤーとしてごく普通だろうから、わざわざ立場年齢性別アピールする必要性を感じなかっただけじゃね。

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