はてなキーワード: 謙遜語とは
片隅ははてぶ運営に失礼か。謙遜語?謙譲語?わからんがヘリ下り語として勘弁して下せえ。
昭和天皇崩御の日、私は余りにも幼く天皇って何?だった。崩御の前に世間が天皇、天皇騒いでたのを察したのだろうか母に天皇って何?と質問したことを覚えている。その返答は国の顔みたいな感じと言われた事も覚えている。今に思えば象徴天皇の概念を子供に伝えるための表現だったのだろう。でも当時は顔?何言ってんだ?気でも狂ったのか母はという感じに受け止めた。
本題の崩御の日だ、冬休みだったかと思う。朝早くにぐーぐー寝ている私の布団をバッと剥ぎ取ると同時に「天皇が死んだよ!」と威勢よく発したのだ。当時は、で?という感想しかないが、母の発するトーンに普通じゃない気が漂ってたので2度寝する雰囲気ではなかった。そのままリビング?居間?テレビのあるご飯を食べる部屋にトボトボ歩いて点いてたテレビを見たらふむふむ確かに死んだらしい。まあ、でも、なんでこんなに大人は騒いでるんだと不思議には思った。なにより気がかりなのはあの母のトーンだった。
そのトーンから当時も今思い返しても感じるものは、「清々(せいせい)した」である。清々しさ(すがすがしさ)が溢れてたんです。
ローカルに残しても紛失するからとか言ったが、それは半分言い訳も含んでいて、ネットに発信したいという理由も実はあって、それがこれなんです。
平成生まれの人にはこの感情は???という感じなんじゃないかなと思ったんです。平成天皇は大好きですし尊敬に値する人だと私は感じます。
平成は他の時代に比べても又は他国に比べても圧倒的に平和だったからね。
彼を恨んでた人は多いか少ないかはわからないが、存在した。昭和は長かった、その長い時代に世界大戦、敗戦、連合国統治、復興と、明治維新と肩を並べるかそれ以上の濃密な時間帯が存在するのだ、その濃密で長いスパンを一人の天皇が一貫して君臨したわけだ、63年間あったのだ。半分に割って前期、後期と呼ぶとして後期は、まあどうでもいいや、問題は前期。
私の母は戦争未経験者です。所謂団塊の世代です。株価やGDP等の指標をグラフで見ると団塊の世代は右肩上がりのうらやましい時代を過ごしてますが彼ら彼女らが一般的にどうゆう状況に置かれてたのかその右肩上がりのグラフ通りの笑いが止まらない人生だったのかはどうなんでしょう。0ではなくマイナスからのスタートだったのは間違いないでしょう。少なくとも必死に敗戦の負の遺産をできる限り子孫に残さないように自分たちで吸収しようとそうゆう風に生きてたのかなあと今でも感じます。しかし見つめなおすとやっぱりそれは自分のせいではないわけです。なんで俺がなんで私がという感情が気を抜けば心の底に勝手に芽生えて来るもんじゃないかなあと、思うんです。それを押し殺したり見て見ぬふりをしたりしながらなんとか辻褄を合わせて来たんじゃないかなあと思うんです。
それが昭和天皇崩御の日にふと漏れ出してあのトーンが腹の底から沸き上がったんじゃないかなあという推測を書いてみたはいいがいざ書いて見るととてつもなくどうでもいい話だなあ
いや、ごめん。横からだけど。
文字通り ファミレスで十分 な関係だったんだろ。
普通に連れて行く場所は選ぶ程度の脳みそは持っているが、それでも、普通にファミレスは嫌だとか、言われたらドンびくよ。
立場の問題。謙遜語とか、謙譲語とかあるけど、自分でそれを言ったら終わり、というのを言えるから驚くんだろ。
普通に、そういうところでも悪くはないと思うけど、おしゃれなところだと嬉しい。といえば、波風が立たないし、連れて行きやすいのに、
ファミレスに連れていくってなんなの?って言い方をするから波風が立つ。
で、波風が立つ言い方をする女って何なの?って事。(この場合の女は女全体のことではなく、そういう言い方をする女性の中の一部の集団ってこと)
謙遜語がある文化が少ないんじゃない? 自分を下にするってなかなか無い文化だと思うよ。
相手を上に上げるための文化はいろいろな国にあるとしても (Mr Sir みたいな。)
自分を下に置くための言葉がある文化は少ないんじゃない。 外国語だと名詞が変化したり接頭語がついたり 変化の風習自体は色いろあると思うけど
ちょろっと見てきたけど、正式な(古典的な)一人称は 手前 かな。
あとは、方言や 謙譲語 その他の言い方からの転用の慣習化のような気がする。 私 は私物 公共物などの ム の文字を使ってるけど どちらも 役務財産などの概念から来ていて
そこから、自分自身という意味に転じているっぽい。 私事ではございますが > 私のことでございますが みたいな 流れだと思われる。
あえて 英語なら I think というか My Idea was というか 言い回しはあると思われる。