はてなキーワード: 偽善とは
またキリスト教の十戒においても「汝、殺すなかれ」という教えがあり、イスラム教のコーランにおいても殺生は禁じられている
しかしながら、これらの教えははたからみれば鼻で笑うほど達成が不可能であるといえるだろう
それは俗に言うイスラム教原理主義者がテロ()を起こし、キリスト教国であるアメリカが自身の利益の為に戦争を起こし続け、第二次世界大戦中にあらゆる仏教団体が戦争を推し進めたことからもうかがい知ることができる
それどころか、宗教という例を出すまでもなく生物の根幹から振り返ってみれば、不殺などということが到底守ることのできない事実であることはもはや語るを待たない自明の理である
だからこそ、宗教者達はこの絶対不可能である教えを自分たちが守れるように腕曲し、俗に言う一般人達はそのような現実から眼を背け、タブーとすることを選びとったのだといえる
人間は、いや少なくとも私は殺さず(食べず)にいることはできない
そうでありながらも、何故このような教えが説かれる必要があったのか
勿論、それには沢山の解釈が存在し得るだろうが、私において私を満足させ得る解釈はただ一つである
それは人間は罪そのものであるということに集約することができる
人間は間違いそのものでありながら、なお正しさを求めるざるを得ない絶対矛盾存在である
宗教者であるかどうかはこの痛烈な自己批判に集約することができる
その主張があらゆる批判を越える宗教的主張であるかどうかはその一点に集約することができる
オレのFacebookのタイムラインも、このチェーンメールみたいなのが回って
鬱陶しいし、さらに的外れなモヤモヤの原因究明記事が目について
アイスバケツチャレンジの一番の問題点は、同調圧力によって
やりたくない事を矯正させられる事。
本当は、氷水をかぶる事も興味の無い病気への寄付もやりたくない、
でも少しずつ忍び寄り、次は自分の番かも、、、
やりたくない人からしたら、回りで流行ってるだけでも気分が良くない。
で、我々はこう言う流れを、学校という狭い社会で散々見てきたはずなんよ。
人の気持ちが考えられないリア充と、それに合わせるキョロ充達によって
何度迷惑を被ったことか。
今回は、いい大人がやってる事だから、イジメに至ることは少ないと思うけど
実際に↓こんな事になったりしてる。
http://repsoku.net/articles/44934.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140822-35052704-cnn-int
■"やらない善より、やる偽善"だ!批判するな!と思っている人たちへ
学校でもリア充側、もしくはキョロ充だった幸せ(?)な人たちなんだろう。
でも、少しでも嫌がる人が出ていることに心を配れない人は、
批判だけして行動しないより良いだろと思う前に、自分の行動によって
傷つく人が出てこないか良く考えるんだ。
独善は、悪より質が悪いことがある。
"地獄への道は善意で舗装されている"んだよ。
いまだに優先席の近くで携帯を使えないのも、ペットボトルを捨てる時に
キャップを別に捨てるのも、君たちの"善"によって"改悪された"結果だ!
■アイスバケツチャレンジの流行へモヤモヤ、イライラしている人たちへ
世の中を回して行くことになる。
その結果、どんどん生きづらい世の中になるぞ。
今回のアイスバケツチャレンジは小さな話だけど、
放っておくともっと酷くなる。
唐津で開催された全国知事会議で、少子化非常事態宣言というのがブチあげられたらしいんだけど、
子供が産める年齢の女性が、結婚して子供を産むためには、まず結婚相手が必要なんだが、相手となる若い男性(の平均像)には、結婚能力が無い。
いくら女性が婚活を頑張っても、相手に結婚能力が無いんだから、頑張るだけ無駄。
年収200~300万そこそこじゃ自分1人が食べていくのがせいぜいで、結婚して子供が出来て手当が付いたとしても、夫婦揃って貧乏暮らしを楽しめる性格でないと結婚生活が維持できないし、そんな性格の男女が出会って揃う確率は低い。
「貧乏好きな性格のカップル」頼みの少子化対策なんて、無理過ぎる。
もはや一夫一婦制などという「おためごかしの偽善」をうちすてて、モテる男性・扶養能力の高い男性に、複数の女性をあてがい、たくさん子供を産んで養ってもらうほうが、はるかに有効だ。
男性は妊娠・出産が出来ないのだから、一夫一婦制に替わって採用すべきは一夫多妻制だ。
もしくは、女性が複数の男性を渡り歩いて、複数回の出産をし、子供の扶養は男性に任せられる、という枠組みでも良いかも知れない。
何にせよ、一夫一婦制という枠組みではもう無理。
民法を守って国が滅ぶのでは意味が無い。そんな民法は改正すべき(9条を守って国が滅ぶのでは意味が無いのと似ている)。
旧来の枠組みで「やってけない」んだから、枠組みそのものを変えなければならん。
公序良俗や道徳、諸外国に対するメンツが有る、そんな事は出来っこない、と言うなら、日本は滅ぶしか無いわけで、「少子化非常事態宣言」自体、お飾りのポーズに過ぎず、知事各位は全然本気じゃないって事だ。
震災ボランティアとして特にスキルが無い人が被災地に行くことをとても気持ち悪いことだと思っていたけど、やらない善よりやる偽善だと無理やり納得したり、メディアに向かって一人でも多くの人に現実を知ってほしいって言ってる人を見て、役に立たなくても行って自分の目で見ることが大切なんだって考えたり、元気をもらったって語る人がいる一方無秩序なボランティアは迷惑と怒る人の映像が流れる。とても気持ち悪かったけど、この状況って各々が気持ちよく生きようとした選択の組み合わせで実現しただけであって別に誰が間違っているとか誰は正しいという問題じゃなくて、ただ被災地を消費している個人同士のぶつかりでしか無いのだと考えると、なんだ与えられた環境でみんな好きに生きればよいのだと納得した。
それぞれに場の空気というのがあって、あそこは良識的なことを書くのはダサいという空気がかなり支配的なんだよね。クズいことを言えば評価される場所だし。そういうバイアスが働いているんだよ。はてなでは非良識的なことは書きにくいというバイアスがかかっているのと同じで、2chでも良識的なことは書きにくいというバイアスがかかっている。だから、2chをして正直という認識は間違ってると思う。層というのもあるだろうけど。
ちょうどこういう増田があって、話しがリンクしてたのでうrl貼っとく。
http://anond.hatelabo.jp/20140710001008
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140619/267128/
「下劣なものの下劣さを指摘している人間の正義の構え」の中に、「正義の立場に立つ者に特有な自己陶酔」を嗅ぎ取るみたいなドヤ顔の本音主義者が、ネット言論の周縁部に蟠踞していて、彼ら「偽善」が大嫌いな論客の皆さんは、「じゃあ、あんたはサバンナでも同じことが言えるのか?」であるとか「一度も罪を犯したことが無い者だけが石を投げなさい」であったりする十年一日のテンプレートディベートで、今日もご清潔なご意見を葬り去ろうとしている
韓国で米軍基地村でアメリカ兵相手にサービスを強制されたとして元「米軍慰安婦」の韓国人122人が韓国政府を訴えたというニュースから一週間が経つ。
これは慰安婦問題におけるターニングポイントとなりうる衝撃かつ重要なニュースでもあり、
韓国メディアはその後の続報はないものの、訴訟会見の模様を伝えたメディアも予想以上に多く、また日本も主要新聞を始めとしてこのニュースを伝えた。
では、ここ最近、「歴史を否定しようとしている」と日本の慰安婦問題の対応に対する批判を繰り返している欧米メディアはどう伝えただろうか。
今年、朴槿恵との会談でオバマ大統領が慰安婦について「筆舌に尽くしがたい人権侵害」と触れていたが
この米軍慰安婦訴訟は慰安婦問題がアメリカも傍観者ではなく当事者の立場であることを示す極めて重要なケースであると思われる。(朝鮮戦争時の国連軍・韓国軍慰安婦については言うまでもない)
しかし、一週間経った現在、米軍慰安婦訴訟を報じた欧米メディアはゼロである。英語メディアとしても報道しているところはない。
正確に言えば、朝日新聞の英語版がこの事件を簡略に訳し報じており、朝日新聞英語版をソースにしてRT(反米ロシアメディア)が報じている。それのみだ。検索漏れもありうるのであるのなら教えてほしい。
確実に言えるのは、この問題を大きく扱おうという意志は欧米メディアにはないということだ。
欧米メディアは「人権侵害を認めよ」と強い態度で日本を批判しつづけてきたが、自分たちに振りかかる問題、あるいは「日本の残虐行為」というフレームワークから外れた事件に関しては全く報じないということだ。
これは戦略的に報じてないとか、圧力がかかっているということも当然陰謀論抜きで考えられるし、単にこの「米軍慰安婦」が何を意味するのか掴みきれていないということも考えられる(その確率が高いと僕は考えている)。
何しろ、欧米メディアの慰安婦の捉え方というのははっきり言ってバイアスがかかっていて、韓国の研究者でさえ否定する「20万人の主に韓国人が日本軍によって強制的に性奴隷にされた」という情報を伝えているところが多数であるからだ。
背景は色々考えられるが、いずれにしろ、欧米メディアが米軍慰安婦訴訟を伝えなかったことには変わりはない。
僕は、欧米メディアが米軍慰安婦訴訟を伝えなかったという事実だけで軽蔑に値すると思う。いずれの段階で報じざるをえないかもしれないが、このまま黙殺されて終わりということもありうる。
8月にはローマ法王が元慰安婦と会うことが決まっているので、その際にはまたBBC、CNNをはじめとして日本批判が大量になされるのだろうと思う。
さて、という訳で海外の報道がほとんどないので、「海外の反応」なるものは伝えられない。
ただRedditに朝日新聞英語版をソースにしたスレが立っていたので、紹介したい。
http://www.reddit.com/r/worldnews/comments/29dia6/former_korean_comfort_women_serving_us_military/
こいつは単にアメリカは悪くないって言いたいだけの奴だろうけど、なんとなく感覚はつかめるだろう
"Just voluntary prostitution with a bad pimp. Different from kidnapping people"という感想がぱっと出てくる。RTのコメント欄にもあったが、自分たちのことになると、急に橋下徹みたいなことを言いだすようだ。
また、これを見て分かるのは、「狭義の強制」「広義の強制」というのは、日本特有の議論ではないということだ。Kidnappingしてるかしてないかは重要な論点でもあるということだ。
おそらく、米軍慰安婦がこの先もしアメリカで議論が深まるとしたら、このコメンテイターのように当然「日本軍がやったのとは違う」「米軍は悪くない」という言説が出てくるだろう。
"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道な人権侵害であることは間違いないのだが、「日本みたいに軍が人さらいしてない」という言い訳が出てくると考えられる。
この米軍慰安婦訴訟によって、黙殺されてきた米軍・韓国軍慰安婦の人権侵害に目を向けられるという予想はあったが、逆にそれを避けるために「我々は悪くない。日本のケースとは全く違う」と日本の残虐度をアピールする方向にも話が飛びうるのだなと思った。
別に日本の責任を否定するのではなく、韓国において日本軍によるKidnapping、abductionは例外的なケースであったということははっきりとしておく必要があると思われる。(海外の掲示板、コメント欄では日本軍が直接Kidnappingしたケースがほとんどだと思われている)
広義の強制性だの、狭義だのよりも、英語でどう表現されるかということを意識した方がいいなと思う。もはや慰安婦問題は海外に場所が移ってしまったのだから。
と、いろいろ考えていたのだが、当初「ターニングポイント」になりうると考えていた米軍慰安婦訴訟もこのまま大きく扱われず立ち消えになる可能性もあるように思えてきた。
結局のところ、ある種のフレームワークが作られてしまうとそれをひっくり返すのは困難だ。
「人権侵害」というフレームワークを持っている米軍慰安婦訴訟が起きれば、これまでの「日本のみが慰安婦制度なるものを使った唯一の悪」というフレームワークが壊れるかと思っていたがそうでもないようだ。
既存のフレームワークを壊すような事件が起こったとき、それをどのように報じるか。それがメディアの役割だと思う。
欧米メディアはどういう風に報じるのかと思っていたのだが、単に報じないのだ。そういうやり方があるのだ。それはそれで賢いのかもしれない。
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<追記>
「『慰安婦問題におけるターニングポイント』従軍慰安婦制度は悪くないと認められると思っているなら身勝手な妄想でしかない。増田は塩村都議の過去を穿り返せばセクハラ発言が悪くなくなると思っている連中のお仲間。」
こういう中立ぶったリベラルの偽善性を指摘しているのだが。スターをつけている人が何人もいるのもどうかしている。こういう主張が、アメリカ・韓国側の責任回避の言い訳に使われるということも分からないのだろうか。
どこをどう読めばこの文章が、「米軍慰安婦を追求することで従軍慰安婦制度は悪くないと認められる」という主張に読めるのか。
「"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道な人権侵害であることは間違いない」とはっきり僕は書いている。
「日本こそ唯一の悪」「既存の左翼言説を疑う奴は右翼」という自分のフレームワークを変えずに文章を読むから、このような失笑するしかない解釈が出てくるのだし、この文章はそうした態度に向けられたものだ。
それは、この文章を読んで「日本軍に責任があるというのか?こいつは反日左翼だな」と解釈つつ、米軍慰安婦の話をブーメランだと喜ぶネトウヨの反応と全く変わりはない。
単にダブルスタンダードは止めようという話。
まったくの蛇足であるが、因縁付けられたので大人げなく返してみると、塩村議員にしても「過去を穿り返すな」うんぬん言う人は、舛添が20年前の雑誌の発言で叩かれていたときに同じことを言っていたのかということだ。
<追々記>
以前ではタブーだった言説が韓国メディアから多く出るようになってきた。20万人強制連行という数への疑い、あるいは基地村の存在、米軍基地村・韓国軍慰安婦と日本軍慰安婦の構造の類似、「韓国は戦場ではなかった」という指摘など。
これは明らかに米軍基地村慰安婦訴訟と朴裕河の「帝国の慰安婦」訴訟の影響だと思われる。
このダイアリーに対するコメントや記事のように「日本の方が悪質だ」という論点を強調したいはてな左派の反応と、基地村・韓国軍慰安婦の悪質性に目を向け始めた韓国の左派との間に乖離が生まれつつあるのではないだろうか。
もちろん、基地村を管理していたのが朴正煕だという事実から、韓国内の右派左派の争いが慰安婦問題に絡んでくることになったという点も考慮しないといけないが。
参考になるリンクを見たら追加しておこうと思う。
7月4日
http://www.sisainlive.com/news/articleView.html?idxno=20694
7月5日
ハンギョレは以前から基地村問題を指摘していたが、当事者インタビューをはじめ、かなり詳細に報じはじめている。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17749.html
http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/381/645560.html
"「米軍慰安婦施設は、日本軍慰安所と設立·運営方式は異なりますが、その底辺に敷かれた構造は類似している」というのがイ·ナヨン教授(中央大学社会学科)など基地村の問題を研究する学問の見解だ。"
ワシントン・ポストが、米軍慰安婦訴訟に絡んでやっと特集記事で報じた。
ニュースバリューがないから報じないのだ、と主張していたはてサの人たちはどう思うのか。
2ちゃんねる等不特定多数の人間がコメントを書き込める場所で行なわれていることは言葉を使っていかに相手より優位に立つか、相手を傷つけたり苛つかせたりすることができるかというゲームである。ウェブにおいて無自覚に行なわれている。勝つと優越感が得られる。負けると攻撃性が高まる(上級生から虐められていた下級生が上級生になった時、同じことを繰り返すイメージ。人から馬鹿にされた人間はその尊厳を取り戻すために人を馬鹿にする)。真のリア充は参加しないゲーム。
相手を馬鹿にする意図で使う。自分の知性に自信を持っているタイプのクズが使う印象。勝てそうならその辺の滑稽さを指摘すればいいし、勝てなさそうならスルーすればいい。「はいはい、○○は××しようね」といった「子供を諭すような口調」という派生がある。
関東人としてはあまり馴染みがない。呆れているというニュアンスが入るので攻撃力は馬鹿の方が上。
イエニスタ
元Uターンの土田に関する話題があったらとりあえず書き込んでおけばいい。攻撃力は低い。
差別的なニュアンスを込めよう。「ロリコン」「性犯罪者予備軍」等と組み合わせるとgood。
お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな。
「お前は誰と戦ってるんだ」等とほぼ同じ効果。誰かが真面目に何かを主張していたら一ミリも共感することなく使おう。→「間違いを指摘する」「にわか」
外見を馬鹿にする
女性だと鼻、エラ、短足とかピンポイントで突くと効果が高い。男性なら「キモい」「生理的に受け付けない」でオーケー。
可哀想
話題に対してでなくレス(人)に対して使う。既にマウントを取った後に追い打ちとして憐れもう。
「お前が死にたいと思って無駄に過ごした今日は昨日死んだ誰かが生きたいと願った明日なんだ」などと言ってメンヘラを追い詰めよう。実は「死ね」に派生する。
汎用性が高い。外見等にコンプレックスを持っている人がいたら書き込もう。「オタク」等と組み合わせて人間性も否定しよう。
動物関連の話題で割と使える。
「馬鹿」が知性に対する攻撃であるのに対して、「クズ」は人間性に対する攻撃、という印象。
割と万能。人のことをゴミ呼ばわりしよう。
糞
エンチャント。攻撃力+1。
エンチャント。糞どうでもいいコンテンツに対して付与することで効果を発揮する。
「差別」と並んで、ナチュラルに嫌悪感を催させることができるカード。
攻撃力が非常に高い。最悪、死ぬ。「死にたい」という人がいたら書き込もう。「どうせ死なないんだろ?www」等の派生がある。「通報した」「お前、最低だな」等の返しが想定される。
整形
整形していない女性芸能人はいないのではないかというレベルで氾濫している。見つけたら「ブサ女の嫉妬乙」などと書き込んでおこう。
ゲーム動画に書き込むと高確率で荒らすことができる。「すごい」等の賞賛コメントが多い動画に書き込むと効果が高い。逆に全然すごくないプレイに対して書き込んだ場合には「は?」等の返しが期待できる(相手を苛つかせることも相手にダメージを与えることになると考えられる)。派生→「TASじゃない動画にTAS」「エミュ使ってる犯罪者」
俺に対して書き込もう。
つまらない
創作に関して万能な使い勝手を誇る。相手を苛つかせるためにはむしろ根拠がない方がいいかもしれない。きちんとした根拠があると相手が納得してしまう可能性がある。
どうでもいい
万能だが攻撃力は低い。書き込む場合は本当にどうでもよくて二度と開かないスレに書き込もう。逆にこの書き込みを見つけたら「どうでもいいのに書き込んじゃうんですねwww」等といったレスを付けるといい。
西なんとかさん
キングコングの西野に関するスレに書き込まれる定番ネタ。こんな糞つまらないネタを喜々として書き込んでいるやつらがつまらないと言っている西野はむしろ面白いのではないかと思ってしまう。
2チャンコロ
かつてはそれなりに使われたカード(ほんとか?)。現在は2ちゃんねらーを含めたデッキ構成が普通になったことで廃れた。
元ネタを知らずに使っている人などがいたら指摘しつつ馬鹿にしよう。単なる初心者のこともにわかと言って叩こう。
連投
アーティファクト。場を荒らすことができる。コピペ連投は効果が薄い。
は?
万能。単体でも使えるが、「間違いを指摘する」などと組み合わせて使うとよりいい。派生語→「はあ?」「はあ……」
基本中の基本。「間違いを指摘する」などと組み合わせて使う。派生語→「バーカ」
創作に関して万能な使い勝手を誇る。一部でも似ているところがあったら「丸パクリ」と書き込もう。明らかにパロディやオマージュである場合にもパクリと書き込もう。
これを読んでるお前ら。「働け」「ニート」等と組み合わせて使う。
何かした芸能人とかに対して「不快だからチャンネル変えたわ」等。
ブス
女性の容姿を評価する流れになったらとりあえず書き込んでおけばいい。女性の好みは千差万別なので綺麗な女性に対して使っても同意してくれる人が出てくる。この書き込みに対しては「お前、鏡見ろよwww」といったレスを付けるといい。
間違いを指摘する
これ自体の攻撃力はそれほど高くない。「馬鹿」などと組み合わせて使おう。
男が女を叩いてたらとりあえずミソジニーって言っとけばいい。「童貞」等と組み合わせて使おう。
現実においては攻撃力が高いが、ウェブにおいては効果がないカードの筆頭。これ系のカードとしては「暴力」「大声」(ニコ生等動画系のコンテンツなら有効かも)等がある。
「パクリ」と同じ感じで使える。ガキ使の動画等ドキュメンタリー風のコントに対して書き込もう。
ゆとり世代が活躍する年齢になってきたこともあり、最近は攻撃力が低くなってきたような気もする。
ゲームの縛りプレイをしている動画等において、既に説明されていることについてルール違反であるかのようなコメントをすると高確率で「説明されてるだろ」という返しが来て荒らすことができる。
w
エンチャント。重ね掛け可能。攻撃力+1〜。単芝の方がむかつくという人もいる。
他にも色々あるっぽい。こうやってメタ認知することで抵抗力が高まるような気がした。ウェブは嫌な言葉ばっかりでウンザリしていた。
こんなことがあった。昼間の人通りの少ない片田舎、6~7人の頭の弱そうなDQNが道路の真ん中でたむろって、交通の邪魔をしていた。車が通ると道に飛び出て一発芸をするというようなものだ。DQNといっても20は越えてそうな感じの肉体労働者たちだった。
僕は非常に嫌な気分になった。正義感というわけではないが、こういう反社会的行為を面白いと思ってやっている迷惑な馬鹿を見ると最悪の気分になる。全員まとめてひねり潰してやったらどれだけ気持ちいいだろう。そんな事を妄想しながら、一方で体はドキドキと緊張しながらDQN達に近づいていった。
もちろん僕は下を向いて道路の脇を通り、何もできずに足早にすれ違った。DQN達の方は見なかったが、どうせニヤニヤして僕のことを下に見ていただろう。僕は、DQN達に対するドロドロした怒りと、その怒りがありながら何もできない自分に対する憤り、情けなさ、悲しさを感じ、少し涙目になりながら歩いた。
もし犯罪行為をしていたら警察に通報していた、今回は迷惑行為ではあるがそこまでするほどではない、それよりもあのDQN達の人格に対して嫌悪感を感じているんだ、あれはそこまで怒るほどの行為ではない…
いや、そうは言ってもあれだけ腹が立ちながら何も出来なかった自分がいる、DQN達がどうあれ問題はこの卑しくちっぽけな恥じるべき自分自身なんだ…
でもじゃああそこで注意をしてどうなっただろうか、きっと絡まれて余計プライドを傷つけられる結果になるだけだろう、自分は怖くて汗と涙でグショグショになるだろう、それは避けたのだから自分中心に考えれば正解だったんだ…
待てよ、もしDQNを見なかったら、別の道を通っていたら、僕は何も感じなかったはずだ、でもDQN達があの場で迷惑行為を働いていたことには変わりはない、自分が見なかったというだけで…
そうだ、僕は偽善者だった。この世界では、今もどこかで人が殺され、レイプされ、DQN達が迷惑行為を働いている。僕がたまたま見ていないというだけで、その現実はそこら中に存在するのだ。僕はあのDQN達に腹を立てるというなら、等しく他の数多の陵辱にも腹を立てなければならないんだ。憤らなければならないんだ。
インドのレイプ犯罪、腹が立つ。胸糞が悪くなる。だが、僕は何も出来ない自分に憤りを感じることはなかった。腹立たしいけど自分には関係ない世界の出来事だ、どこかでそう思っているからだ。たまたま遠くの場所で起こっているだけで。
自分が偽善者にならないためには、無限に存在するこの世の悪と仮面ライダーのように戦うか、悪を仕方ないことと諦め受け入れるか、そのどちらかしかないんだ。その間に存在する自意識は全て偽善的なのだ。
自分が日本に生まれ、ここに生きているのは偶然である。インドに生まれ、レイプ被害にあった女性とは何ら差のない、本当のたまたまなのだ。そんな神様の気まぐれで、かたや蹂躙され殺され、かたやクズみたいなくだらない自意識の葛藤に悩んでいるのだ。この気まぐれは、レイプ犯罪よりもずっと残酷なのだ。何も悪くないのに殺され、何も良くないのに生きられる。この状況を受け入れながら、人間は善として生きられるのだろうか。否、受け入れた時点で人間は等しく悪なのだ。善なんて作り物の宗教の中にしか存在しないのだ。
僕はただ自分のために生きようと思った。ひたすら自己中心に。誰かを傷つけながら。自分がいい思いをするために。
その先に、誰かを救う自分がいることを信じて。
国際的な戦争でも、店舗内でのイベントでも、個人間での紛争でも、自分の行為が理解の範疇にあることを確認してもらっていないと第三者による介入を必要とされる可能性があります。
いきなり何の目的かわからない飛行物体を飛ばす、店舗内で騒ぎますよと許可を得ていないのに大声をあげる、個人が不快としているかどうかわからない発言をしてみる、など。
社会人としては、把握しきれていない社会のルールが沢山存在する若い時代とは異なり「常識なんじゃないの?」というあいまいな定義で行動するのは危険です。
「褒めることは不快であろうが快かろうが、良いことだろ」とか思っているピュアな心は、社会人には少し荷が重いかもしれません。
やらない善よりやる偽善がモットーかもしれませんが、無許可の人間が要資格行為をしてはいけないのは、平常時でも緊急時でもです。
いいとおもっていたことが反転した、その時対応できる知識と社会的保障のある人にまかせましょう。
この場合はその定義が個人や団体になるので、その対象が許可するものなのかどうかを事前に確認しましょう。
かわいいとか美しいとか目がくりくりしてるとか。
その子も照れながらなんなんですかーみたいな感じだった。
予定なくいきなり結果だけがでてくるわけですが、とりあえず現状ある結果について理解ができる状況のようでよかったですね。
その結果をみて、知らされていない予定について受け取り側は予測をするはずです。この流れでいくとどういうことになるか。
問題なければいいな、よいことであればいいな、問題があった場合どこでどういった行動にでるべきか、など。
前述の宣言の時点で危惧されることがあれば制止したり、停止の要求をしたりしたはずです。
現状で判断つかない場合は、自分の予測を述べた上で停止や継続を発言できたかもしれません。
今回は人命を救助できましたが、という例があっても救助目的なら特別な行動をしてもいいとは言えません。
美談で「いざとなったらすべきだ」みたいな事がありますが、必要な行動をとりたいとおもっているなら前述の許可を事前に得ているべきです。
許可は得ていないが緊急時には行動する、そういう予測不能な方が安全確保の障害要素になる可能性もあります。
「この時点で嫌なことが予測できていたなら発言してほしかった」は無意味になります。
その後の予測ができていたとして、それを予測したのは個人でありその意見を要求としたなら逆に発言者のほうが受ける「ハラスメント」になるかもしれません。
境界的なその発言内容を部下なので指摘し辛かったといわれるとハラスメントに差し掛かってきます。
進行する状況を上司として確認しなかった、ということになるとハラスメントに成りえます。
上司も部下も関係なく、や、不安・不満は自由に独自のタイミングで発言して、などを合戦の条項に盛り込んで開戦していれば軽減できた問題かもしれません。
状況を把握できていない状態で、本人の話題であるのに、本人の判断ができない状態をつくりだすことは、問題行為です。
その表現が本人の感覚としてどういった感情を抱くかしっていましたか?
その発言が相手の不快になるかどうかは予測できなかった、であれば、個人に対して不適切な発言をしたことを詫びるべきです。
そしてそのお詫びは個人にむけてハラスメントをしたことではなく、個人が聞き取って不快に思う発言を、聞こえる範囲でしたことについてです。
すっとぼけて完全に赤の他人の別件について述べたことで、聞かれたことはまずかったが、個人的な趣味で楽しむ内容を不快に感じる第三者のいたところで発言したのは自分の失態だったと詫びるのもありでしょう。
合戦行為が対象者を喜ばせるためのものであった、該当者本人が利益と感じる目的のためだった、などでハラスメントの価値を問題行動から理解のできる行動へ解釈を変えることができたかもしれません。
いずれにせよ、個人の趣向を最初に受け取られた一方的な感覚で第三者の判断に委譲されるのは、ハラスメントにしろ逆にしろ、問題のあることです。
俺と上司はあっけにとられておいおい、セクハラってゆうのは仕事中のことだろ、あと別に胸でかいとか性的なこと言ってないんだから、セクハラにはならないよって真面目に反論してしまった。
状況でハラスメントが発生するのは正しい判断です。ただし仕事中だけであるということではないはずです。
価値観の差が混在する、発言の聞き取れる範囲で問題点に触れる事について不快に感じる可能性がある発言をすることはハラスメントにつながります。
同じ発言を、同じ趣向の同じ目的をもった空間でおこなえば、ハラスメントではない可能性もあります。
個人が「性的な特徴を自分の不快と感じる表現で、自分にむかって発言された」と感じられたならセクハラになります。
いずれかを欠いてセクハラであることの認識から自己の発言を除外することができれば、セクハラは回避できます。
同性であってもセクハラは成り立ちますので二者間の性差は関係ありませんが、同性だからセクハラを意図した発言ではなかったという第三者へのスタンスをつくることはできます。
問題点は受け側と発言側なので、それにより問題が解消されるわけではありません。これはあくまで「同性なら許容範囲である」という個人的価値観をもった対象であった場合に限られる例です。
実際の同性同士であってもセクハラになりえる可能性はあります。
第三者による不利益解消のための交渉になった時点からでも問題を軽減できる要素はあると思いますが、あくまで常識的な範囲を超えて論点をそらさなくてはいけないかもしれません。
もとより女装癖があって胸には執着がある、などの要素があれば紛争解決の要素になりえるかもしれない、程度の案です。
女性むけ化粧品を昔からつかっており、商品紹介にムッチリという表現が使われており、普段からそれを良い印象だと思い発言していた、などあれば問題解消に役立つかもしれないといった程度のことです。
問題の要点は価値観の異なる二者間で不利益が発生する状況について、その偏差をハラスメントという単位によりカウントされてしまっている所です。
きみのハラスメント単位は、私のハラスメント単位とこれだけちがう、この意味においては同位だ、この差はどう考えるか、とその差をなくし利益・不利益の偏差を解消すればハラスメントという尺度は必要なくなるかもしれません。
性的な問題と感じられる発言をしたのは、個人を対象としたものではなかった、その差を指摘したのは利益のためであった、その利益を受け取るのは対象者本人であった、という構図にすることで性的な話題をハラスメントからはずすことができるでしょう。
性差があって、価値観に差があった、その現状が目の前で進行する不快感を「セクハラ」と発言していたなら回避策を相談できる状態にあったのが部下と上司という関係性であったと思います。
その知り合いであり交渉ができる関係を、交渉や対話ができない情況にしている原因が「上下関係」であったならハラスメントになります。
年齢や性別、体格その他で差があったとしても、その差関係無く対話はできるはずですが、その対話行動を抑止する原因として「不利益の発生する可能性」を示唆するものがあればハラスメントになりえます。
職場環境、肉体的優位性、生活環境や状況など、対話者間の平等性が保てなくなる理由を対話に持ち出す、または対話の理由をそれらとしてあげることはハラスメントになりえます。
「職場をよくするために犠牲になってくれ」と言うのであれば手当てなどの支給を検討するなどしてその状況について本人の理解を得て業務としてこなしてもらうのであれば犠牲はハラスメントになりません。
それを個人の意図で個人に行使するとハラスメントになりえます。
双方において「不快な発言」をし「それはセクハラです」と返されるコミュニケーションが発生した状況、この解消に何を用いたかも問題になります。
こんなことがあって酔いもさめてしまって、早々お開きになったんだけど、これじゃ気分悪いからって上司と二人で飲みなおすことに。
単位の違う事について、同単位の価値観をもつ人間だけがあつまり再考すると、その差について比較検討する結果さらにその差について明確化、そして拡大する可能性があります。
上司という立場を利用するならば、同価値観の人間で交渉の上手な人間、異なる単位を理解の方法で同単位の感覚に置き換える表現の得意な人物を相手側に送ったり、自分側につけたりすることで差を埋める事ができるかもしれません。
個人の気分を癒やすためだけに状況を利用したというのが良くない印象を与えるかもしれません。
もちろんそうした判断で良好な結果を得たとしても、その結果如何によらず不快な判断だと思えば「ハラスメント」になる可能性はありますが、良好である双方の理解があればハラスメントは回避できるでしょう。
不快な状況を無理解な状態で放置した結果、被害が発生したとなれば実被害になりえる可能性、現実としてのハラスメント行為になる可能性もあります。
「性的に不快感を催す発言をしたのはなぜか」と問われたときに「職場環境の良好さを向上する目的と自分が判断したため」と応えるならば個人の性的特徴を個人の意思として利用したことになります。
職務上の立場からみた判断として業務規定外でかつ個人的価値観を行使したことになり、ハラスメントになりえます。
会社は女性の身体的特徴を押し述べることで事務所内の雰囲気をよくする方針などは持っていないでしょう。個人の判断になります。
つまりセクハラと感じられる行為をするのは上司という立場の個人の考えであった、とするならハラスメントです。
お得意様に体で仕事を取って来い、という意味の発言を「アレをしてこい」のアレは性的ではないですが、上司という立場のハラスメントから性的なハラスメントに至ります。
身体的な特徴を個人の表現をもって公然で発言するのは個人的趣向、これを職場環境維持のため問題視しないようにと本人に要求するのは上司という立場のハラスメントからそのハラスメント成立条件として性的なハラスメントに至ります。
「セクハラです」といったのも個人的発言ですし、「ムッチリ」も個人的発言ですが、それがハラスメントとして第三者を交えた交渉に発展しないよう要求したことはハラスメントになります。
これを回避する手段は、その偏差を放置せず相互理解を求めて対話することが良いでしょう。
対話とはもちろん、話して聞く、自分に正義があれば相手にも同じだけ正義があるはずなので、そのカウントを同じに出来るよう努めることです。
差はあるが同じだ、なんて言うとその言葉はその時点ですでに齟齬があります。差があるため、溝ができ埋めるために法的手段などがあるのです。
高低差のある溝だけでは問題にはなりません。差のある価値観の違う人が多く行き交う街でも問題はそう起きていません。問題は、その溝に人が落ち込んで怪我をしたり損害を被ったときです。
対話で埋められる間に、溝は埋めておきたいですね。
今日ネットでこんな記事を見かけて少し思うところがあったので投稿しようと思った
http://blogos.com/article/88515/
以下一部記事抜粋
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大阪市の職員が生活保護を求めたシングルマザーの女性に対し、「ソープで働け」と発言したというニュースがインターネット上でも大きな波紋を呼んでいる。
本当にそこまで極端な言葉が投げかけられたのかは不明であるが、多くのシングルマザーが経済的に苦境に置かれているということは事実であるし、実際やむなく性風俗産業に身を投じている方もいるであろう。
望まない女性がやむなく性風俗産業に入るということはあってはならならず、性風俗産業以外で身を立てて行けるようにする社会の仕組みづくりが必要であると私は考えている。
そこで、現状を打破するために考えられうる施策を、以下4項目に分けて紹介したい。
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内容は特定就職困難者雇用開発助成金のPRをもっと行って利用を促そうとかなんとか、まあ若干の妥当性は認められるとは思うが、PRを促し認知度があがるとその分かかる費用(広告費・人件費・総支給額)も増加するというのは忘れてはいけないよね。
とりあえずその辺はおいておくにしても
「望まない女性がやむなく性風俗産業に入るということはあってはならならず、性風俗産業以外で身を立てて行けるようにする社会の仕組みづくりが必要であると私は考えている。」
一部には望んでいくものもいるのかもしれないが、殆どの従事者はその金銭面でのメリットを理解したうえでその業界で働くという選択をしたはずだ。
むしろその業界において助けなければならないのは知らずの内に騙されて働かされている方だろう。
離婚を自らの意志でしたのであればその選択の結果として甘んじて受け入れなければならないし、不運なことに旦那が事故や急病で亡くなったのだとしても、キツイ言い方をすればそのリスクをヘッジできていなかったその人の過失だろう。
そりゃあ全ての人を助けることができるのであれば良いと思うが、今の日本にそんな余裕はないだろう。
文学的であるということは、弱者の側に立つ、という姿勢・態度のことである。立つフリをする、と言い換えてもいい。偽善も善である、という考え方に立てば、その二つは同じものだからだ。
例えば近年の村上龍の文学的評価が低いのは、彼が強者の側に立っている(ように見える)からなのかもしれない。
みたいなことをお風呂に入りながら考えました。まる。
例えば
牛肉を食べながら、日本の捕鯨を批判して、「日本人を殺したい」とまで言う人たち。
森にドングリを撒いて、クマを人里に近づかせる人たち。
動物愛護は歪んだ自己中心的な偽善。自己満足は結構だが、それを他人に押し付けるな!と思う。
彼らの動機はきっと、
「かわいそう」とか、そんな、単純なもので、
「もっと、可哀想なのがいるけど?」と言えば簡単に論破できる。そんなものでしか無い。
なのに、なにかが、引っかかった。
「かわいそう」とか「かわいい」とか「助けたい」とか。それ自体は悪いものでは無い。
だけど、その感情を共有できない人に、それを(多くは社会制度・社会負担という形で)押し付けるのが悪いのだ。
それって恋愛してる時と似てるなとなんだか思った。恋をしてる時は、その人のことだけを考えて。その人が別の人と話してたりすると、ヤキモキしたりして。
「そんなことしほしくない」と勝手に思う。思うだけなら罪のないヤキモチだが、それを相手に押し付けたらきっと迷惑に思われる。
動物愛護にも恋愛にも「好き」という気持ちが、前提にあるんだなと、当たり前の事を知る。
動物愛護は政治的になると、ただの「好き」だけじゃ居られなくなる。だってそれだけじゃ支持されないものね。
だから、「絶滅危惧」とか「道徳心」とか「動物の知性」とか、説得力のありそうなロジックを持ち出して、支持を得ようとする。
それに対して、反対する側も、「絶滅しない」、「道徳の問題ならまずは人間から」とか、「動物の知性は対したこと無い」とかそんな事から反論する。
でも、そんな反論をされても動物愛護側からすれば、へっちゃらなんだろうね。
だって彼らの原動力は「好き」の感情なんだから。善なんてする気は無いんよ。ロジックだってなんでもいい。
また、恋愛の話に戻る。例えば昔の話。親に結婚を反対された時。そりゃ、息子or娘は手を尽くしてロジックを組み立てるだろうね。
年収が〜、将来性が〜、親戚が〜とかさ。親は子供の為に、家の為に「善い」事をしようと結婚に反対する。子供はそんな善なんかどうでもよくて、とにかく「好き」を大切にしたいと思う。
嘘の善。だけど、「好き」って悪なのかな?
その嘘の善こそ(当人にとっては)究極の善である「愛」なんじゃ無いだろうか?
動物愛護は確かに鬱陶しいし、どうみても愚か。歪んでる。
偽善っていうか僭越で浅はかだよなぁ…
よく政治家が言うと怒られる「遺憾(残念に思う)」以上の事は当事者じゃない人が言うべきじゃない言葉だよ。審判は悪い事した訳じゃないのに、他人が謝ったら「謝罪するからには悪い事やったんだろう!」って思われるだけじゃん。謝罪が世界でどう受け止められるか、アメリカで暮らしてる人が理解できないの?
・優しいから別れる
自己保身や臆病さ、卑屈さはそこにないのか
そう思うなら、自分が成長すればいいのに、そうしないのは何故か
・優しいから別れない
自立的ではなく、自分が傷つきたくないから相手の決断を待っているのではないか
別れるのが正しいか、別れないのが正しいか
相手を本当に思いやり、成長させる事とはないか
そこに傲慢さや偽善、相手を支配しようとする思惑が働いていないと言い切れるのか
自分を知り、答えを探し、克己するべきか
そこに自己欺瞞や理想化、歪んだ自尊心の発露、自己否定や卑下、恐怖心が働いてないと言い切れるのか
あなたの決めた答えに、あなたの真実はどこまで含まれているのか