2014-06-15

動物愛護偽善と、恋する事の偽善

例えば

牛肉を食べながら、日本捕鯨を批判して、「日本人を殺したい」とまで言う人たち。

森にドングリを撒いて、クマを人里に近づかせる人たち。

動物愛護は歪んだ自己中心的偽善自己満足結構だが、それを他人に押し付けるな!と思う。

彼らの動機はきっと、

「かわいそう」とか、そんな、単純なもので、

もっと、可哀想なのがいるけど?」と言えば簡単に論破できる。そんなものしか無い。

なのに、なにかが、引っかかった。

「かわいそう」とか「かわいい」とか「助けたい」とか。それ自体は悪いものでは無い。

だけど、その感情を共有できない人に、それを(多くは社会制度社会負担という形で)押し付けるのが悪いのだ。

それって恋愛してる時と似てるなとなんだか思った。恋をしてる時は、その人のことだけを考えて。その人が別の人と話してたりすると、ヤキモキしたりして。

「そんなことしほしくない」と勝手に思う。思うだけなら罪のないヤキモチだが、それを相手に押し付けたらきっと迷惑に思われる。

動物愛護にも恋愛にも「好き」という気持ちが、前提にあるんだなと、当たり前の事を知る。

動物愛護政治的になると、ただの「好き」だけじゃ居られなくなる。だってそれだけじゃ支持されないものね。

から、「絶滅危惧」とか「道徳心」とか「動物の知性」とか、説得力のありそうなロジックを持ち出して、支持を得ようとする。

それに対して、反対する側も、「絶滅しない」、「道徳の問題ならまずは人間から」とか、「動物の知性は対したこと無い」とかそんな事から反論する。

でも、そんな反論をされても動物愛護からすれば、へっちゃらなんだろうね。

だって彼らの原動力は「好き」の感情なんだから。善なんてする気は無いんよ。ロジックだってなんでもいい。

また、恋愛の話に戻る。例えば昔の話。親に結婚を反対された時。そりゃ、息子or娘は手を尽くしてロジックを組み立てるだろうね。

年収が〜、将来性が〜、親戚が〜とかさ。親は子供の為に、家の為に「善い」事をしようと結婚に反対する。子供はそんな善なんかどうでもよくて、とにかく「好き」を大切にしたいと思う。

嘘の善。だけど、「好き」って悪なのかな?

その嘘の善こそ(当人にとっては)究極の善である「愛」なんじゃ無いだろうか?

動物愛護は確かに鬱陶しいし、どうみても愚か。歪んでる。

だけど、「好き」という気持ちを察して、その醜くも美しかもしれない「愛」を尊重する事も必要なんじゃないかなと思った。

親に、結婚を反対された子供を応援するみたいな気持ちでさ。

  • 逆に動物愛護とかに脊髄反射で反発するおまえみたいなのは 自分に対する愛しかないけどな

  • 人間に対する愛だよ。 何億も寄付金を集めてる動物愛護団体がある一方で その国に餓死者が出てることを、滑稽に思う。 そうじゃない? もちろん、人が自由で不完全である限り そう...

  • 人間に対する愛だよ。 何億も寄付金を集めてる動物愛護団体がある一方で その国に餓死者が出てることを、滑稽に思う。 そうじゃない? もちろん、人が自由で不完全である限り そう...

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