2014-06-28

道でDQN反社会的行為をしていたときあなたはどうするか?

こんなことがあった。昼間の人通りの少ない片田舎、6~7人の頭の弱そうなDQN道路の真ん中でたむろって、交通邪魔をしていた。車が通ると道に飛び出て一発芸をするというようなものだ。DQNといっても20は越えてそうな感じの肉体労働者たちだった。

僕は非常に嫌な気分になった。正義感というわけではないが、こういう反社会的行為面白いと思ってやっている迷惑馬鹿を見ると最悪の気分になる。全員まとめてひねり潰してやったらどれだけ気持ちいいだろう。そんな事を妄想しながら、一方で体はドキドキと緊張しながらDQN達に近づいていった。

もちろん僕は下を向いて道路の脇を通り、何もできずに足早にすれ違った。DQN達の方は見なかったが、どうせニヤニヤして僕のことを下に見ていただろう。僕は、DQN達に対するドロドロした怒りと、その怒りがありながら何もできない自分に対する憤り、情けなさ、悲しさを感じ、少し涙目になりながら歩いた。

ここで僕の自分に対する言い訳思考が始まる。

もし犯罪行為をしていたら警察通報していた、今回は迷惑行為ではあるがそこまでするほどではない、それよりもあのDQN達の人格に対して嫌悪感を感じているんだ、あれはそこまで怒るほどの行為ではない…

いや、そうは言ってもあれだけ腹が立ちながら何も出来なかった自分がいる、DQN達がどうあれ問題はこの卑しくちっぽけな恥じるべき自分自身なんだ…

でもじゃああそこで注意をしてどうなっただろうか、きっと絡まれて余計プライドを傷つけられる結果になるだけだろう、自分は怖くて汗と涙でグショグショになるだろう、それは避けたのだから自分中心に考えれば正解だったんだ…

待てよ、もしDQNを見なかったら、別の道を通っていたら、僕は何も感じなかったはずだ、でもDQN達があの場で迷惑行為を働いていたことには変わりはない、自分が見なかったというだけで…

そうだ、僕は偽善者だった。この世界では、今もどこかで人が殺され、レイプされ、DQN達が迷惑行為を働いている。僕がたまたま見ていないというだけで、その現実はそこら中に存在するのだ。僕はあのDQN達に腹を立てるというなら、等しく他の数多の陵辱にも腹を立てなければならないんだ。憤らなければならないんだ。

インドレイプ犯罪、腹が立つ。胸糞が悪くなる。だが、僕は何も出来ない自分に憤りを感じることはなかった。腹立たしいけど自分には関係ない世界出来事だ、どこかでそう思っているからだ。たまたま遠くの場所で起こっているだけで。

自分偽善者にならないためには、無限存在するこの世の悪と仮面ライダーのように戦うか、悪を仕方ないことと諦め受け入れるか、そのどちらかしかないんだ。その間に存在する自意識は全て偽善なのだ

自分日本に生まれ、ここに生きているのは偶然であるインドに生まれ、レイプ被害にあった女性とは何ら差のない、本当のたまたまなのだ。そんな神様の気まぐれで、かたや蹂躙され殺され、かたやクズみたいなくだらない自意識葛藤に悩んでいるのだ。この気まぐれは、レイプ犯罪よりもずっと残酷なのだ。何も悪くないのに殺され、何も良くないのに生きられる。この状況を受け入れながら、人間は善として生きられるのだろうか。否、受け入れた時点で人間は等しく悪なのだ。善なんて作り物の宗教の中にしか存在しないのだ。

僕はただ自分のために生きようと思った。ひたすら自己中心に。誰かを傷つけながら。自分がいい思いをするために。

その先に、誰かを救う自分がいることを信じて。

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