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はてなキーワード: 偽善とは

2014-12-02

Facebookで流れてくる「いい話」に共感できない、あなたのために

Facebookで良く流れてる「いい話」的なブログエントリ(「たった5歳の幼児フライト中の急病人してあげた、驚きの緊急処置」とか「NYスラム街に1ヶ月滞在してわかった、たった1つの大切なこと」とかそういうやつだ)を読むたびに

なんだかもやもやするような、嫌悪感を感じてしまうような気分でおりました。


でも、こんないい事を言っているんだから素直に受け入れられない自分おかしいんじゃないか、とか、

こういう記事偽善っぽいから嫌悪感を感じるんだ、・・・でも、そもそも偽善って何だ?とか

読後感の分析にすらもやもやしていたのです。


が、今思えばわたしどものこの読後感の色は、

幼少に見た「おしん(1983,橋田壽賀子)」と同じ色をしているような気がしているのです。


わたしどもは母が見ていた「おしん」を一緒に見させられるのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

ご存知の通り、おしんは作中それはそれは可哀想で、

ちょっと美味いしいご飯を食べたかと思うと親に売られ、ちょっと仕事軌道に乗ったかと思うと雇い主にダマされ・・・と終始、阿鼻叫喚地獄絵図です。

おしんは持ち前の負けん気と頑張りで難局を乗り越えて行くわけですが、難局を乗り越えた小さなおしん笑顔が画面一杯に迫ってくるたび、

「どうだいい話だろう、泣いてもいいんだぞう」という橋田の顔が背後に透けて見え、彼女の顔がわたしどもを急速にものがたりから引き離してしまうのです。


通常わたしどもは(それがわたしどもの利害に直結しない限りは)直に○○しろ、○○のように考えろ、と言われるのを好みません。

それが赤の他人からされたもので、しか価値観に関するものであれば尚更です。

件の「おしん」は、まるで橋田に両肩を掴まれて「これはいい話だ、感動しろ」とガクガク揺さぶられるような感覚が、わたしどもを嫌悪感に陥れるのです。

自意識の高いわたしどもは、納得するのは好きだけど、説得されるのは嫌いなのかもしれません。


冒頭に挙げた「いい話」エントリも、

クリックバイト的な記法(「余命3ヶ月の○○が取った、驚きの行動が話題に」とか「わずか1ヶ月で○○の貧困を救った、信じられない3つの工夫」とかそういうやつだ)を駆使することで、

また同情を誘引やすいパーツ(n歳の幼児、とか余命いくばくもない、とか)が組み合わされてものがたりが語られることによって、

技法を駆使して「いい話でしょう?ね!ね!」と語りかけてくる書き手の表情が透けて見え、わたしどもは途端にものがかりから引き離されてしまうのでした。

  (題名クリックバイト風の手法を使っているな、と気づくこと自体が、またわたしどもを冷めさせるのかもしれません)

いずれにせよわたしどもの混乱した頭もまとまり大分すっきりした心持ちになりました。このエントリを書いているわたしどもの大腸癌も着々と進行し、明日大規模な切除手術を受ける予定です。医者大丈夫と言ってくれていますが、おそらく助かる見込みは無いでしょう。

もし手術が失敗し私がこの世から去ったとき、このエントリ投稿ボタンは、残された息子が押してくれることになっています

私がいなくなっても、このエントリがどうかあなたの心に残りますよう。



(さっき思いついたクリックバイト的な題名を添えて)



(あ、わたし大腸癌じゃないです)

2014-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20141127060521

目的大学受験じゃなくて「大学受験をする、という体でかまってもらうこと」だから

ある言説に対し、その内容ではなくその内容が表れるに至った動機や欲望について指摘することを、メタ批評と言います

勉強する」ことの内容や意義や目的に対する批評じゃなくて、「勉強したい」という発話行為自体に宿る欲望を指摘することによる批評、ですね。

承認欲求とか、自己愛とか、そういった指摘はワンパターンになりがちです。

と言いますのも、このような指摘は言説のコンテントのいかんに関わらず構成可能だからです。

勉強したい」「一千万円貯めたい」「金持ちになりたい」「恋をしたい」ー何に対しても<同型の>指摘をすることができるのです。

金持ちになりたいんじゃなくて、金持ちになりたいと言うことによって周りの人に構って欲しいんでしょ、と。

金持ちはてなー自意識をくすぶって、そこから承認欲求の肥やしを得たいんでしょ、と。


別言すれば、発言者がいかなる内容を語ろうと、「承認欲求」や「自己愛」に根源的原因を措定し、これに結論を回収できるんですね。

慈善活動を行おうとする者に対して「偽善である」と指摘するのと同じですね。よく流行ってたやつです。

批判対象者の行為や言説の内容はなんでもいいんです、ただ単にメタな欲望を指摘すれば当該発話者に対して、社会心理的に恥や反省意識を刻むことができるだろうという発想です。

そしてまた、「偽善である」という指摘に何も意味がないのと同様、何の意味もない言説なんですよ。

偽善とか、承認欲求とか、構って欲しいだけとか、自己愛とか、メタな欲望をさす流行言葉テンプレのように繰り返しておれば相手に対し優位なポジションを取れると考えているのでしょうか。

もうさんざん飽きてきたし(私がですよ)、アンビバレントメメ氏に対しても、氏は方々で同様のテンプレ批判を受けてるので、そろそろ効果がないことを自覚してください。

もうひとつ

何に対しても使える上述のようなテンプレメタ批判は、

何に対しても指摘できるがゆえに、

逆説的にですね、

何に対して指摘をし、何に対しては指摘しないという恣意性が宿ります

自分の気に入らないものに対してはとりあえず承認欲求と言い、

気に入るものに対してはこれを言わないという恣意性です。

要するに、「私はあなたを気に入らない」と言っているに過ぎない、ということです。

これが、上述のテンプレメタ批判が、言説に対する内在的批判ではなく、外在的批判しかなり得ていないと、私が主張したい理由です。

テンプレに滞留せず、

もう少し先に進みましょう。

2014-11-16

家ww族wwwのw日wwwww

くっさwwwwwwww

偽善言葉にまみれてうすら寒い家族愛wwwwとか語られるんかいなwwwwww

2014-11-15

ホームレス支援話題になると必ず湧いてくる

「餌を与えるだけでなく釣り方を教えねば」

「でも悪法でも法だから

「これ(宗教団体NPOの行動規範を指して)偽善だろ」

↑こいつらがホームレス貧困者のためになにかしたことを見たこと無いんだけど

水差す前にお前らがなにかやれば?

2014-11-12

まり知られていない仏教における「最高の善行為」

仏教には色々と「善行為」と「悪行為」があって、

善行為をすると幸せになり悪行為をすると不幸になる」ということは

日本では広く知られている。

しかし、意外と知られていないのが「最高の善行為」とは何かだ。

そもそも善行為とは具体的にどんなことを指すのかもあまり知られていないようだ。

善行為はなんとなく「他人を喜ばせる行為」というようなイメージで語られている。

最初期の上座部仏教(といっても現代まで伝わっている文献はブッダ死後のものだけだが)では

善行為、悪行為とは何かについて明確に定義されている。

それらの文献の定義によれば、悪行為とは、貧・瞋・痴の心に基づいた行為である

善行為とは不貧・不瞋・不痴の心に基づいた行為である

「貧」は貪欲、つまり欲望を表わし、「瞋」は怒りや憎しみを表わし、「痴」は真理に対する無知を表わす。

これらはさら嫉妬や物惜しみなどに細分化されて解説されることもあるが、基本的にはこの3つが悪の根源である

例えば、純度の高い覚醒剤ジャンキーに売ってあげれば相手は大喜びするかもしれないが、

これは貧・瞋・痴に基づく行為であると考えられるので、相手が喜んでいようと善行為とはならず、悪行為となる。

逆に、自分にとって生活の礎であり無くては生きていけない「お金」を

必要な人に施すのであれば、これは不貧・不瞋・不痴の心に基づいた行為であると考えられるので、これは善行である

すると、ボランティアや施しがなぜ善行為たりえるのかがわかるかもしれない。

では、「最高の善行為」とはなんであろうか。

善行為とは不貧・不瞋・不痴の心に基づく行為であった。

から、最高の善行為とは、「100%不貧・不瞋・不痴の心に基づいて行われる行為」のことである

しかし、心は複雑なもので、相手に奉仕するとしても100%善の気持ちになって奉仕することはほとんどない。

偽善」という言葉があるが、見返りを求めて相手に奉仕することがほとんどである

「やらない善よりやる偽善」と言われたりもするが、それ自体は悪いことではないし、ごく普通のことである

では、最高の善行為とはなにか。

これは、ヴィパッサナー瞑想ことなである

ヴィパッサナー瞑想では、瞑想中は100%不貧・不瞋・不痴の心になる。

すると、これは善行為のなかでは最高のものであり、これ以上はないということなる。

意外と知られていないが、善行為の最上級瞑想をすることなのだ。

2014-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20141103134105

人前で善を為すことをなぜ問題視するのかといえば、こういう風に人の行動を裁こうとする人に煩われないようにという意味もあるのだろうな。たとえゴミ拾いの人々が偽善者だとしても、偽善をなそうとする人は注目されることに価値を感じているのだから、それをいたずらに批判することは逆効果だと思う。偽善告発は、結果的により巧妙な偽善を生み出すことに加担している。本当に偽善問題だと感じているのなら、そういう人々からは離れて、自らの善行に専心するのが偽善をなくす近道でしょう。

乱文失礼。

http://anond.hatelabo.jp/20141104011549

ただ、その文脈で言うなら「人の行為偽善と叩く行為」こそ最も気持ち悪い行為じゃないか。

増田なり2chなりやってるのは、

まともな情報収集以外の面で、

特にこういったどーでもいーことに対してあーだこーだいうことなんて、

少なからずそういう「気持ち悪い行為」を楽しむためのものだと思うが?

「我は正義、この腐ったネット社会にメスを入れてやる!」

とでも思いながら増田に書き込んでるんですかー?

http://anond.hatelabo.jp/20141103234625

多少は共感する部分もある。

ただ、その文脈で言うなら「人の行為偽善と叩く行為」こそ最も気持ち悪い行為じゃないか。

仮に多少他人迷惑かかる行為だったとしても、迷惑をこうむった当人じゃないのに指摘するというのは

どこかで世の間違いを正そうとすることに気持ち良さを感じているからだよね。

気持ち悪さでは全く同類で、しかも「偽善」って言葉を使っていることで不快さは倍増するのだが。

偽善と指摘する行為以上の偽善はないよね。

2014-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20141103134105

ブコメ見るとフルボッコに近い扱いされてるけど、俺この増田側の人間だなー。

増田文章が悪い。

焼却のこととかキリストがどうのとか余計なこと入れ過ぎ。

俺が共感したし、たぶん増田が言いたかったこともこれ。

「目立つ場所で”善行”をして誉められたい」という偽善が透けて見える


何が困るんだとか何が悪いんだとかって筋が悪いこといってるバカもいたけど、なんも困らんよ。

偽善されても何も悪くない。

しろどんどんやってほしい。

それで世の中は良くなるだろうって言うのも十分に分かっている。

でも、それとは別にただ気持ち悪いってだけで。

たぶん、誰かがキャラ作っててそれを過剰にアピール姿の一種なんだろう。

ただ単に気持ち悪い。

その気持ち悪さを共有するための言葉として「偽善」って言葉ができたと思う。

でも、今回の件はその偽善って気持ち悪さを忘れて、ただただ「やらない善よりやる偽善」に振り切ったバカばっかり。

良い人が「この偽善者め」って言われているのは実に気分が悪い。

その方向から進歩したと思う。

でも、それで偽善者ってのの何が駄目なのかを無視しすぎ。

何か一つの方向から進歩しようと思ったら何かを置き忘れたバカばっかり。

たぶんそのうち偽善者の気持ち悪さを思い出すんだろう。

で、次は偽善者disる方向に振り切れる。

偽善者か善人かは外からは見分けはつかない。

善良な心からの行動か、アピールからの行動かは分からない。

でも、普通推測ぐらいはするよな。

今回ので「これアピールだろ」って思わなかったやついるの?

ワールドカップ日本人偽善者アピールしてきやがったってもやっとしなかったやつっているの?

本当に善良な心からだったらごめん。

でも、そうは思えんのだよ。

そのうち気持ち悪さを思い出す時が来る気がする。

その時に全く進歩なく元の状態に振り子のように戻るだけなのは空しすぎる。

そう予感させるブコメばかりで。

あーバカばっか

http://anond.hatelabo.jp/20141103200855

俺も偽善が悪いこととは言ってないし、わざわざ関係ないことを人に押し付けてんじゃねーよっていってるんですけど、読み取れませんかね・・・ 理解に苦しむ・・・

http://anond.hatelabo.jp/20141103195728

俺は偽善を悪いことだなんて言ってないし

俺が偽でない真の善であるとも言っていないのに

何故「お前こそ偽善」という言葉が飛んでくるのか

理解に苦しむ・・・

http://anond.hatelabo.jp/20141103195558

知るかよ、バカか。

こっちは渋谷に住んでもいねーのにおだててどうすんだよ。

おまえこ偽善だろーが。

http://anond.hatelabo.jp/20141103194730

いやだから

もっとおだててあいつらの「偽善」を消費して

こっちにかかってくるコストカットしろって言ってんですが

読み取れませんかね・・・

http://anond.hatelabo.jp/20141103193257

あれくらいの茶々を入れられたくらいで止めるようなゴミ拾いなら、それこそ偽善だわな。

ゴミ拾いは偽善ってなあ

バカもおだてりゃ木に登るってことわざを知らんのか

バカはおだてておだてて木に登らせてゴミ拾いさせて低賃金牛丼作らせて

俺たちはウマウマすればいいんだよ!!!!!!!!!!!!!!!

何で止めるんだよ!!!!!!!!!!!!!!

http://anond.hatelabo.jp/20141103171517

まあ、キモイ者はキモイだろ


てか、やってる彼らが偽善かどうかは別として、

それを養護してる連中はゴミ拾ったのか?拾ってねえならどうこう言ったらどうレベルクズってことだぞ?

http://anond.hatelabo.jp/20141103134105

元増田じゃないけど予想通りの

「やらない善よりやる偽善]とか言うクズばっかだけど、

最近場合のはちょっと意味が違うんだよ。

偽善」とは言っても個人の中で自分の気持ちの問題でやってる分にはなにも問題ない、

ってか、その場合は「偽善」と言うより普通に「善」な気もするが。

ただ、今ある「偽善」は、本当に「人の注目を集める手段」「自分評価してもらう手段」としてしか使ってない所は大きな問題

それに関し、はっきり言って善行であろうとバカッターがやってる迷惑行為と境は無い。

もし、ウェーイなノリのIT会社とかがどこよりも給料が高く就職したい会社になったとして、

その様な会社とかが「バカなノリ」を推奨し、バカなことやったやつを高く評価する、

みたいな状態になったら、ゴミ拾いしてる連中はゴミ拾いなんてしないで皆、ウェーイなバカな事をこぞってやって

FBなりTwitterに上げまくるだろう。


まり、彼らの中に「善悪」の基準なんて全くない。

単にリクルートに踊らされてるだけ。

その証拠として、そのようなTwitterFBに上げるバカ社会人は少ない。

勿論、時間が取れないと言う問題はあるが、土曜だったら、もし仮に、「偽善でも社会貢献」ということが

若者」に身についてる、というなら社会人だろうと皆こぞってやるだろう。

何故やらないか?やる意味がないから


こんな気持ち悪い状況は「偽善でもやればよい」というのはちょっと意味が違う。

2014-10-13

ブスは性格も腐ってるから苛められて当然と言いながら

実際に自殺したり餓死したりした時だけ騒ぐ偽善社会

2014-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20141009233130

左翼を名乗って差別する人間は、「差別」を批判してるのに差別してるから偽善者か。

じゃ

右翼を名乗ってれば差別しても、首尾一貫してるから偽善者ではなく単なる悪人に過ぎないからマシということか。

まり右翼差別をして当たり前で、偽善ではなく単なる悪ということか?

それはないんじゃないか?

2014-10-03

日本人ってほんと偽善って言葉が大好きだな

個人的には善と善人に対する底なしの甘え精神(搾取精神)をそこに感じるのだが

悪人には逆らえないから善人に鬱憤をぶつけよう

善人だから黙って叩かれてくれるだろう

そうでなきゃ偽善者だ!って感じで

2014-09-13

才能がある人が好きだ

ガキの頃はバブル時代で、テレビCMを見れば豪華なセットをバックにバンバン音楽が流れてて、レコード屋には縦に細長いシングルCDにその音楽を収録したものが大量に並んでて、そしてそれが今週は100万枚売れました、とかそんなニュースが流れてた。

そんな中、すげえ、って音楽を創り出す人に巡り会った。

槇原敬之が好きだった。

どんなときも を聞いたのはもうずいぶん昔。

小遣いも少なかったのでレンタル屋に行き、返却を待って借りたのを覚えてる。

それ以降もアルバムは全部聴いている(買ったのは半分くらい)。

現実にありそうな風景の一部を綺麗に切り取れる歌詞作りはマネしたことがあるけど、あんな表現は絶対に出来ないと諦めた大学時代

TMNetworkが好きだった。

Time to count downとかテレビCMで聞いた記憶があるが、好きになったのはシティーハンターとかのエンディングで使われるようになってからだろうか。

勉学に勤しみ音楽ちょっと離れてた時期に解散のニュースが流れ、すごくショックを受け、CDを全部買ったりしたのを覚えてる。

そのすぐ後に聞いたNights of The Knifeにも衝撃を受けた。なんなんだこの曲は、と。頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃を受けてそのままバイクで走り回り警察に止められたのもいい思い出だ。

木根尚人のオールナイトニッポンを聞いていたのは今となっては黒歴史だろうか。

Michael Jacksonが好きだった。

初めてその存在認識したのはBlack or WhiteMVで、深夜のテレビ見てたら流れてた。

なんとも不思議雰囲気で、そこから情報収集したら過去に聞き流していた曲も彼の手で書かれてたと聞いてびっくりした。

This is itライブに行きたいと思ってた頃に急死したニュースに触れ、映画館でその動画を見、悲しくなった。

CHAGE&ASKAが好きだった。

SAY YESからにわかファンだが、未だに好きだ。

ASKAのパワフルな声とCHAGEの繊細なメロディが大好きだった。

二人のライブツアーの様子をNHKBSで流してて、それをビデオに録画した映像を何度も何度も繰り返して見た。

1万人の来客の前で、圧倒的な存在感を示す2人。

つの日かこういうステージ自分も立ってやる、と心に決めた。

でも、みんな逮捕されちゃった。

逮捕された途端、みんな手のひらを返したように離れていって、楽曲CDショップから姿を消し、メディアから消えていった。

時折入る情報はすごく断片的で、離れていったみんなが心を落ち着かせるためのくだらないニュースだったりして。

本人に罪はあるかもしれないけど、楽曲に罪は無いと思いたい。


そして僕は、たぶん人並み以下だけど、それなりに頑張ったけど、残念ながらそういう才能は皆無で。

じゃあ勉強を頑張るか、という気にもなれず、そのままずるずると就職してみたものの、すごく納得出来ないものになってしまって。


そんな中、いつの間にか、YouTubeニコニコ動画のような場所が出来て、みんなそこで才能を発揮して楽しんでる。

昔取った杵柄じゃないけど、僕にも出来るかな、って思ったけど、やっぱり僕には才能が一切無くって。

じゃあ仕方無い、諦めるか、って思ってたら、いつの間にかそういう「才能を守る」側に立っていた。


この日本という世の中は、一度失敗するともうそ場所には戻れない。

でも、才能を持っている人がその才能を活かせないというのは、その人にとっても、世の中にとっても、すごくもったいないことのように思える。

そして、僕は、偶然にも、そういう人を守ることが出来る力がある。


から僕は、本当に才能ある人は応援することに決めた。それは、みんなに言わせればただの独善偽善に見えるかもしれない。

でも、それは、みんな、一度失敗した人に対して死ねとだけ言っているだけで、その人がその後寿命までどうやって暮らせばいいかの提案は一切無い。


あえてゲスい言い方するけど、才能をオカネに変えることが出来るのは、本当に一部の人間だけ。

そしてその才能がオカネに変わるというのは、その才能をほしがる需要もそこに確実にあるということ。

『誰の、何の為に、此の力がある?』(ULTiMΛTE/TЁЯRA



ASKAさん。

帰ってきたら声かけてください。今度は、僕が、あなたを守る番だ。

2014-09-12

優しさの値段 〜時給1万円の重み〜

 

 昨日のことだ。

大学夏休みも後半に差し掛かったものの、相変わらず暇を持て余していた俺は、夜の新宿で一人のおばあさんと出会った。

その時の出来事がずっと引っかかっているので、ここに吐き出してみようかと思う。

 

(※ 昨日実際にあった出来事を、短編小説風に書いてみました。

  長文ですが、宜しければ暇潰しにでもどうぞ。      )

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 大通り横断歩道渡りきったところで、歩き食いもみっともないからと、立ち止まって新作のマックシェイクを飲んでいた。

イヤホンからONE OK ROCKが聴こえる。もう片方の手でスマホからFacebookをチェック。

たから見れば、よくいる今どきの若者だったことだろう。

 

 ふと気付くと、隣にある周辺地図を指して、おっさんが道案内をしている。

相手は、おっさんの倍近い年齢はありそうな、新宿には似ても似つかないおばあさん。

 

 なんの気もなく目を向けながら引き続きマックシェイクを飲んでいると、突然おっさんに話しかけられた。

西武新宿駅って、ここから結構歩きますよね?」

新宿はいくつもの路線が集まっているが、西武新宿線の駅だけは孤立している。

ここから歩いたら10分近くかかるだろう。かくいう俺も西武新宿線沿いに住んでいる。

「そうですねー。そこそこ距離ありますね」

そう答えると、そうですかー…という少し暗い声がおばあさんから返ってきた。

 

 「西武新宿線に、乗って帰られるんですか?」

今度は俺からおばあさんに声をかける。

「そうなの。昔はこの辺りに住んでたんだけどねぇ。40年も前だからすっかり変わっちゃって、迷っちゃったの。」

と、おばあさん。

 

 正直に言うと、この時点で少し厄介なことに巻き込まれたかもなという予感がした。

ほっておいたらどう見てもこのおばあさんは駅にたどり着くのに時間がかかるし、危なっかしい。

おっさんは見るからに良い人だが、さすがに西武新宿駅前まで案内するのかどうかはわからなかった。

何より、自分も同じ西武線で帰るのだ。

 

 「杖をどこかに置いてきちゃってねぇ。傘を買ったのよ、ほら。」

聞いたわけではなかったが、嬉しそうに傘をあげるおばあさん。

足が悪いのだろう。今気づいたが補聴器も着けている。

 「お元気ですねぇ! 今おいくつですか?」

今度は耳元にではなく、補聴器意識して話しかける。

「85歳!」

元気な返事が返ってきた。

「そのお歳で都会に一人で出てこられるなんて、ご立派ですね!」

おっさんが引き継ぐ。俺も同感だった。

 

 しかしいくら元気とはいえ、やはり道に迷っている85歳のおばあさんを置き去りにするのは酷だろう。足も悪いみたいだし…。

西武新宿線だったら、山手線高田馬場まで行って乗り換えた方が、歩く距離は短いかもしれません。」

そう提案すると、

「あぁ、そうですね!! その方が、いいかもしれませんね!」

おっさん同意してくれた。

「そう。ありがとう。」

ニッコリと笑うおばあさん。

(面倒くさくないと言ったら嘘になるけど、"やらない善よりやる偽善"かもな。今日はもう予定もないし、俺も付き合うかぁ、、! )

おばあさんの笑顔を見た時、そう思った。

 

 「じゃあ、行きましょ。」

おっさんが先陣を切る。俺も歩き出す。

「でも、二人に悪いじゃない。。」

申し訳無さそうな声を出すおばあさんに、

いえいえ僕らも同じ方向なので。 と各々答える。

 

 

 おばあさんの足は、遅かった。とても。

おっさんはそこそこゆっくり歩いてくれていたのだが、どんどん距離が離れていく。

おばあさんが急がなくてもいいように と思い、俺も出来る限りゆっくり歩いてみたが、それよりもおばあさんは遅いのだ。

仕方ないので少し差が出来たところで止まって、追いついたらまたゆっくり歩く というのを繰り返すことにした。

 

 おばあさんは、八王子友達と会ってきたらしい。

住んでいる場所的に、新宿を経由して帰るのはどう考えても遠回りだったが、そのことは言わないでおいた。

 

 普段なら3分くらいで歩く道を、10分近くかけて、新宿駅に着いた。

「すごいわぁ。」

コクーンタワーを見てか、高層ビル郡を見てか、おばあさんはそう漏らした。

夜景綺麗ですねー。」 カメラ趣味だというおっさんは、そう言いながら写真を撮る。

新宿は、道端はさておき、たしか夜景は綺麗だ と俺も思った。

 40年の月日を、おばあさんは今この場にいる誰よりも感じていたに違いない。

そのまましばらく、夜の新宿景色をじっと見つめていた。

 

 「それじゃあ僕はあっちなんで、ここで。」

おっさんはここでお別れのようだ。

「途中までですみません。よろしくおねがいしますね。」

そう言って違う路線の方面へと去っていった。

良い人だったな と素直に思った。

 

 「じゃ、行きましょうか。」

おばあさんとの小さな冒険の続きが始まる。

 

 おばあさんの速度に合わせて歩いていると、都会の街は一層慌ただしく見えた。

帰宅する人々は皆、すごい速度で通り過ぎ、横切り、追い越していく。

一体、なにをそんなに急いでいるのだろう。

 

 

 山手線の改札の前で、その出来事は、起きた。

 

 当然Suicaなど持っていないおばあさん。切符俺が買ってきますよ と言うと財布を取り出した。

はい!これ、あげる!」

そう言って差し出されたのは、1万円札。

 

(小銭はないのかな。というか、あげる…?)

今日はどうもありがとう。とっても助かったわ。」

「え、いや、、いらないです…!」

突然の出来事に焦る俺。

「いいから。」

少し強引に差し出してくるおばあさん。

 困った。お金が欲しくないと言ったら嘘になるが、なにもお金をもらうために付き添ったわけじゃないのだ。

ここで受け取るのは、なんだか違う気がした。

 

「いえいえ、本当に結構でs」

「嬉しかったの!!! ……嬉しかったの。」

俺の発言を遮るようにして、おばあさんは今日一番力強い声で、そう言った。

「そう、ですか…。」

流石に受け取らざるを得なくなってしまい、ありがたいような、申し訳ないような複雑な気分で1万円札を引き取る。

 

「私ね、子供も孫もいなくて…。だから今日は本当に楽しかったわ!

おばあさんは、俺のことを孫のように思う気持ちでこの数十分を過ごしていたのだ。

さっき「面倒なことに巻き込まれた」などと思っていた自分が、恥ずかしくなった。

 「そうでしたか…。…僕も西武線なので、途中まで同じ電車です。もう少しの間、お話しましょうね。」

それが偽善なのか善なのか自分でももうわからなかったが、そんなことは

「そう!嬉しい!」

というおばあさんの一言で、どうでもよくなった。

 

 

 おばあさんと一緒に歩いていると、人が歩く速度以外にも色々な発見があった。

 まず、多くの人が周りの人のことなんていちいち見ていない。

よく見ずに直進するので、ゆっくりしか歩けないおばあさんは怖かったと思う。特に歩きスマホは本当に怖い。

 そしてJR新宿駅は、入る改札によってはホーム行きのエレベーターエスカレーターもないことがある。

意識したこともなかったが、これにはとても困った。改めて他の改札に行くのも階段を上るのも、おばあさんからしたらどちらもシンドイことこの上ないのだ。

 結局階段を上ることになったが、俺が普段何気なく一段飛ばしで15秒もかけずに上る階段も、足の悪い人にとっては小さな山のようなもの

「よいしょ」という掛け声と共に、片足で一段一段登っていった。

本当に疲れるのだろう。 登り終わった後おばあさんを見てみると、汗をびっしょりとかいていた。

 

 

 山手線は座れなかった。

ただ電車を立って乗るだけだけでも大変だったに違いない。

ホームに着くと、「ちょっとあそこに座らせてもらおうかな」と、乗り換え口までの道の途中の椅子に、俺らは腰を下ろした。

世間話をしてる途中、

「お兄ちゃん、やさしいのね。」

おばあさんはそう言ったが、さっきまで考えていたことを思い出すと、俺はなんて答えたら良いのかわからなかった。

 

 西武新宿線も座れなかった。

おばあさんの杖代わりの傘に、力が籠もる。

一駅が、くそ長い。こんなに長く感じたのは初めてだった。

辛そうに立っているおばあさん。隣に立っている俺は、なにもしてやれない。

やはり西武新宿駅からの始発に乗るべきだったとか、優先席のある車両に乗るべきだったとか、色々な後悔が頭の中で渦巻いた。

 

 電車内の人々は、皆が皆スマホをいじっていて、気持ち悪い光景だった。

もちろん誰もおばあさんの存在には気付かない。

それぞれが自分世界に閉じ篭っている空間は、なんだか無性にしかった。

 目の前に音楽を聴きながら、スマホをいじっている青年が座っている。

(そこの同い年くらいの青年!目の前に困ってる人がいるだろ!気づけよ…っ!!)

心の中でそう叫んだ時、何かひっかかった。

 

 …そうだ。これは俺だ。

普段の、そしてさっきの俺。

スマホネットを開いて、音楽聴く。いつもやっていることじゃないか…。

 

 思えば、電車内で困った人などそうそう見かけない。

きっとそれだって、見えていないだけだったんだ。俺も。

駅では我先に歩くし、歩きスマホもする。

階段の不便さだって、考えたこともなかった。

 

 そう思ったら、どんなツラして目の前の人に声をかけたらいいのか、わからなくなってしまった。

目の前の、気持ち悪い自己中な人々。

だって、そんな人達の一員だったのだ。

笑えた。そして、ゾッとした。

 

 幸い、ようやく着いた次の駅で人が降りた。

座ろうとするサラリーマンに、

すみません!そこ、座らせて頂いてもいいですか?」

と急いで声をかける。

 一瞬「?」という顔をされたが、おばあさんを見て納得してくれた。

「そうやな。その通りや。」

その一言の暖かさは、今も俺の中に残っている。

周りの人は敵じゃないんだと、そう思えた。

「ありがと!」

おばあさんは、また笑った。

 

 それから10分程経つと、俺の降りる駅が近づいてきた。

「俺、次の駅で降ります。あと4駅ほどですので、降りそびれる事のないようにお気をつけて下さい。」

今日は本当にありがとう。楽しかったわぁ。」

屈託のない笑顔のおばあさんに、

「こちらこそ、ありがとうございました。」

自然にお礼の言葉が出てきた。

 

 そのやりとりが終わった辺りで、丁度電車が駅に着いた。

「では。」と俺。

さようなら。」とおばあさん。

もう一生会うことはないんだろうな と思ったが、それは顔に出さずに電車を降りる。

 

 ドアが閉まってもおばあさんは笑っていた。

でも電車が発車した際、不安そうな顔をしたその一瞬を、見送っていた俺は見逃さなかった。

 

 

 

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 あれから日経って、老人に優しくない街や社会についてだったり、

受け取った1万円の重みについてだったりを考えている。

 

 駅の構造だとかは個人レベルではどうしようもないとして、

大変そうな人の存在に気付くことくらいは、出来る社会でなきゃいけないよなと思う。スマホやめることは出来ないにしてもさ。

 

 若いうちは老いた後のことなんて考えないし、出来れば考えたくない。

でも4人に1人が高齢者超高齢社会

自分高齢者になった時に生きやす社会を作っていくことは重要課題だし、

将来されたら嫌なことは、今他人にもしちゃいけないんだよね。

 

 とはいったもの自分もそれらが出来ていない一員だと気づいたのが昨日なので、

社会にどうこう言える立場ではないことも痛いほどわかってて、だからまずは自分から変わっていこうと思います

ここに書いたのは、その決意表明みたいな意味もあります

 

 

 1万円は、未だに少しわだかまりが残っている。

一日バイトして、ようやく稼げるか稼げないかの大金

それを1時間程度の短い時間の中で手にしてしまったのだから、なんだか罪悪感に近い想いがある。

面倒くさいとか思ってたし。

 

 初めから「1万円あげるから案内してください」って言われてたら、どうかな。

俺なんかよりもっと丁寧に親切に案内してくれる人が殺到たかもしれない。

 

 でも結局は、おばあさんの言ってた「嬉しかった」って一言が、本質であり真実なんだと思う。

喜びとか感謝の気持ちが先にあって、言葉だけじゃなくて形でもその想いを伝えたくて、

今回はその想いの形に、お金という形式を選んだだけなんだと思う。

 たしかに1万円を受け取る時、「あぁ、俺が思っていたよりもずっと喜ばれていたんだなぁ…」と思った。

お金って汚いイメージもあるけれど、気持ちを形に出来る大切な手段の一つでもあるのかもしれない。

 

 出来ることなら世の中のビジネスが、今よりもっと"感謝の形"で回るようになるといいのかもなぁ。

…なんて、社会を知らない学生の戯言です。すみません

 

 

書こうと思ったことは以上です。

Facebookなんかで書くと善人アピールっぽくて気持ち悪いと思ったので、

ここに書かせて頂きました。

(とはい増田でも同じなのかもしれないし、心のどこかにそういう動機が含まれているのは否定しないです)

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

2014-09-01

24時間テレビアイスバケツチャレンジは同じ

両方共募金が集まれば手段は問わない。

24時間テレビはやれ偽善だ、出演者がギャラだと毎度のように記事なるが

毎年10単位募金を集めている。

アイスバケツチャレンジチェーンメールまがいの代物で数十億レベル募金を集めた。

団体は「強制ではありません」と言ってるがその間にも募金ドンドン積み上がる。

ALS団体来年募金額がガタ落ちしそうだが、24時間テレビは毎年同じように稼ぐので

まだマシかもしれない。

2014-08-31

24時間TV偽善から嫌いっていうけどさ

身近に障害者がいないと普段まったく関わることないし

こういうTV切欠でも障害の事が少しでも知られるそれはそれでいいんじゃないかと思う

かく言う自分も甥っ子が重度障害もって生まれるまではまったく別世界の事で何も知らなかったしさ

だって障害者って子供の時から徹底的に隔離されるじゃん

まぁ隔離っつうかその人の障害にあった支援をってことで区分けされてるだけだけどさ。

それ自体に疑問があるわけじゃないよ、念のため。

でも実際問題なんとなくタブー感あるでしょ?

触っちゃいけない、みたいなさ。

少なくとも他所世界の事みたいな感覚があると思う

TV障害者食い物にしてるって見方もあるし実際24時間TV製作からいやがらせを、なんてネット上でもみかけるから

絶賛なんてしないけど、少しでも障害者について知る切欠になるならそれもいいんじゃないかなと思った。

まぁ実は自分は観てないんだけどw

狙いすぎ感があるのは否めないよね。

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