はてなキーワード: 人知とは
そういう男性、優しくて真面目で、オスとしての魅力がない人は、一定年齢になっても余ってて、お節介おばちゃん達が見合い結婚させていったよ
女性には「恋愛感情はいらん。とにかく上手く同居できそうな男性ととにかく「結婚」したい。子供が欲しいから早めに。目的は「結婚」って人も30代くらいになるとそこそこいる
友人知人で、見合い結婚していった人たちは相手がみんな増田みたいな人だったが、何がよかったのかと聞いても「真面目だし、別に恋愛感情はどうでも。子供欲しいし」みたいな感じだった
なので「恋愛対象として見れないから」って女性もいるが「結婚したいから、真面目そうでそこそこ稼いで子供が産めるならそれでいい」って女性を狙った方がいい
その手の女性は打算で生きているので、普通にいい奥さんをしていて、みな子供は二人くらい産んでいる。離婚している人はいない。恋愛結婚の方が離婚してる
そういう女性は恋愛感情よりも安定した結婚生活と、邪魔にならず、まあ好感の持てる旦那しか求めていないので、増田のようなのは逆に美徳となる
Twitterで話題になっていた「同人女」に関するマンガを読んだ。面白かった。
大分流行に遅れてしまったけれど、このマンガにまつわるエピソードを語りたい。
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176?s=20
まず、「面白かった」、というのは「ギャグマンガとして面白かった」という意味だ。
ラストもその執念がちょっと空振りする感じ(うまくいえないけれど)がギャグ的に楽しかった。
Twitterで流れてきてサクッと読め、クスリと笑えるマンガとしては最高のバランスだ。
わたしは、これを「ギャグマンガ」として読ませていただいた。作者さんのファンになった。
Twitterで巻き起こったこのマンガに対する「語り」は、別次元に発展し、
同人女たちが共振し、ときには己の古傷を語りだしたありさまは、魔法で裁判にかけられた人みたいだった。
特に、わたしがタイムラインで見た「おけけパワー中島」への「心乱され感」がすごかった。
といった嫉妬・憎悪方向への共感があったことに驚いてしまった。
特に、
といった、冷静と情熱のあいだ、みたいな言及が、私にとっては恐怖そのものだった。
おけけパワー中島は、悪くはないのに人の心を乱す……?
ヒトノキモチ、ワカラナイ……コワイ ……
同人に参加する多くの人はアマチュアで、「作品が好き」という気持ちが昂ぶった帰結として、
「大金を使って本を出す」という狂気の趣味だ。意味がわからない。
この愛に狂った感じが心地いい。
結婚や出産・昇進、病気……理由は様々だが、自分では本は出さなくなった人もいる。
同人活動も生身の人間がやっているものなので、対人・金銭トラブル等の噂は耳にするものの、
基本的には「自分が作品に狂っている活動」を粛々と行っているように思えたので、
こうした「他人へのイラつき」みたいなものをカジュアルに表明されるのに驚いてしまったのだ。
私にとって「おけけパワー中島」は、初読のときには「神作家のフォロワーに一人はいる軽いノリの人あるある」程度だった。
私の経験でも、ものすごく上手な同人作家さんはなんとなく気軽に話しかけづらいものだが、
たいてい一人は非常に仲の良い人がいるので、楽しそうだな~と思いながら眺めているのが常だ。
もしリアルの友人が同じことしていたら
「ちょっとストーカーっぽい思考だから、しばらく同人から距離おいたら……?」と言う。
もしくは、
「そんなに仲良くなりたいんだったら、まずは挨拶とか萌え語りとかしてみないとスタートラインに建てないんじゃない? 」と言う。
七瀬さんは仲良くなりたいわけではなさそうなので、地雷を踏み抜きそうだなとも思う。
でも、千と千尋の神隠しで、「カオナシ」が千尋に金を差し出して気を引こうとしているのを眺めている気持ちになってしまう。
クソデカ感情の一方通行現象は、同人誌の中だけでお腹いっぱいだ。
「人に認められたい」「人に見られたい」というのは、ときには苦しいものなのではないかと思う。
承認欲求というのは自力では解決できない側面があり、努力で100%解決できるものではない。
"地獄になりやすい欲求ランキングトップ3(私調べ)"なので、
趣味である同人に持ち込むととてもじゃないがやってられないだろう。
そんなこじれた感情は、思春期で経験して割り切っていてほしいものである。
七瀬さんに対しては、「相互フォロワーになることと、pixivのブクマを超すことだったら、後者だけに絞れば?」とも言うかもしれない。
ブクマ数は努力という自分の責任になり、他人をコントロールしようという衝動から逃れるすべだとおもうからだ。
そんな価値観を持つ私は、
おけけパワー中島に心を乱される同人女の人とは、仲良くなれないと思っていた。
でも、そうではなかった。
Twitterで仲良くしてもらっていた人も、実際に経験していたようだし、
その気持を表明できる程度には、よくある話なのかもしれない。
いや、もしかしたら心を乱されないほうの人が少数派なのだろうか?
おけけパワー中島みたいに、「悪くはないのに人の心を乱す」存在はいくつもバリエーションがあるのかもしれないし、
わたしも、人知れず、誰かを傷つけたり恨みを買ったりしているかもしれない。
コワイ。
「おけけパワー中島」は、同人女のロールシャッハテストみたいなものだった。
彼女を見て何を感じ、何を語るか。それはその人の価値観や経験が色濃く反映されているのだろう。
もちろん、物語への没入能力が高い人は経験ないことにおいても”共感”ができるので、
実際に経験をしたことがなくても「おけけパワー中島に心を乱されるのあるあるだよね~」となるのかもしれない。
「おけけパワー中島」によって、
【価値観が異なる世界をまた一つ知ってしまった】という単なるカルチャーショックである。
カルチャーショックの対処方法は「そんな世界もあるんだな」って割り切ることしかない。
ミッション受領して敵と戦って…ってサイクルのゲームなんかでさ、ときどきメインストーリーに戦闘が起こらなそうな任務いれてくるじゃん
聖女の護衛とか洞窟から指輪を取ってくるとかでさ、「まさか聖女を襲おうなんて不届きものはいないだろうが、念のためにな…休暇と思って楽しんでくれ」「魔物のいる洞窟だが、大した危険はないだろう」みたいなやりとりのあと実際任務に赴くとすげーガッツリ敵に襲われてフツーに戦闘になんの
やめてくださる?!
もうさあ!平和な任務になりそう=けっこうハデな戦いがある みたいな図式ができあがっちゃってんの
シミュレーションRPGに顕著なんだよなこれ いや普通のRPGも大概だけどさ なんか話が動くたびに戦闘させるのやめろや そのへんの洞窟にそんな都合よく強敵がおってたまるか
ときどきでいいからマジで何も起きない平和なミッションをやらせてほしい
つか、バックアップに回る任務だったのにメインの敵とぶつかることになる!とか人知れず闇に蠢く敵と戦うことになる!ってのも多すぎる
マジでショボい討ち漏らしと戦うだけだったり治安維持機関に任すだけだったりする展開はねえのかよ
ゲーム、マジであらゆる問題を自分で解決させられるからわりとイヤになってくる ノブレス・オブリージュの精神を浸透させるためか? にしては実社会の力ある人間のふるまいがウンコすぎるんだよな
といっても、ここで何かを書くと、あの時の増田が書いてたのは……ってなると思う。
充分伏せるし、これで分かる人はわかると思う。
40行後にお会いしましょう!
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・赤毛の人
・螺旋のあれの人
ここまでは両方知ってたら異論は出ないと思うけど、他にも居るんかね?
普段増田書くときには、ちょっとでも注目されたいって思って書くんだけど、
あと、ほんとうにそういうのが見たい、知りたい、でもネタバレしたくないって時に、
どうやったらその知識を得られるのか。
数作品に一作、紛れ込ませてくるっていうパターンしか思いつかない。
あ、
『○○る』っていうワードを作った人おったね。
友達は性別関係なく大好きだし、推し(20代男性)のことも大好きです。
どんなに顔が好みの人に言い寄られても恋愛感情で好きにはなれないし、どんなに性格が良くて尊敬できる相手でも恋愛感情で好きにはなれません。
地元の友人知人は結婚してる人が多く、あなたはなんで結婚しないの?と言われますが、別に今はしたくないし自分が結婚して人と生活していることが想像つきません。
いつかは恋愛や結婚への願望が出てくるのかなと思ってたらもうアラサーになってました。
趣味も楽しく、仕事もまあ特に嫌なこともなく、毎日平穏に過ごしています。
最近はお外に出る回数は減りましたが友達と美容の情報交換をしたり一緒にゲームをしたり楽しいです。友達本当にみんな好き。
でも恋愛で好きな人がいたらもっと普段の生活が楽しいのかな?とも考えます。
親族にも色々言われずに済むのかな?
自分では好きな人がいないことについては何とも思っていませんが、周りからは「あの歳で恋人がいないなんて変わってる」などと言われます。
それを気にしている訳ではないのですが、人を恋愛的な意味で好きになるってどういうことなのでしょうか。
みんなが当たり前のように人を好きになっているのに、私はそれを体験したことがありません。
告白をされてもまず自分が人を好きになったことがないから相手が何故自分のことを好きになってくれたのかもわからないですし、相手のことも恋愛的な意味で好きになれそうにないのでお断りしています。
投稿者は大学時代に自信があったが就活の失敗という認識から自信を喪失してしまい、さらに職場の環境にストレスを感じている。
ストレスの原因は、
①自分はもっと良い環境に行けるはずであったのに行けなかったという敗北感
であると思われる。この原因を取り除くために転職による地位回復を図りたいが、転職を成功させる自信がなく行動できない。
投稿者にとっての幸福は何か、地位か、金か、趣味か、彼女ができるか子供を育てたいか、あなたの幸福を実現する上で必要なものはなんでしょうか。
文章をみるに他人からの評価があなたの幸福を左右すると捉えているようですね。
①に関してですが、「お前が思っているほどおまえは大したやつじゃない」とは糸井重里の言葉です。受け入れましょう。
②はいちいち気にする必要はありません、人間いつでもカツ丼食えればそれで十分なんです。大企業に入れたって幸福とは限らないですよ、隣の芝は青いです。
③俺もサービス業やってたが色んな客がいるもんよ
最近だと三浦春馬さん、少し前だと志村けんさんや岡江久美子さんがニュースで突然の訃報が報じられましたが、
そのニュースに対してツイッターなどで「ご冥福をお祈りします」と締めくくる方を多く見受けられます。
でもご冥福を祈るって、その人の死をちゃんと受け止められないと自分にはちょっと出来ませんし、
近親や友人知人の死でしたら、通夜やお葬式が終わるころでないと、ちょっと言えないし思えません。
でもツイッターで訃報の第一報に対して「とても残念です、ご冥福をお祈りします。」
というメッセージを見ると、とてもあっさり受け入れてしまっているように見え、
ファンとか一緒に仕事をした間柄の人であっても、とっても冷たい人に見えてしまいます。
実際その人は冷たいとかではなくとても前向きな人なのなら、
人の死をスッと受け入れて、さ、次々!と思う人なのかもしれません。
それはその人の個性かもしれませんが、
もし訃報に対しては杓子定規的に「ご冥福を…」と言うもんだと思っているのであれば、
それはやめた方がいいと思います。
人に迷惑をかけず、言われたとおりにするのはもちろん、忖度もじゃんじゃんしてくれる、なるべく無料で仕えてくれて、文句も言わず、いつも笑顔で、人知れずひっそりと死ぬ。
そんな都合の良いコマをたくさん持ちたいと思ってる連中に良いようにされるのが嫌で嫌で仕方ないのだが
私は良い子として生きる以外の方法を未だ知らない。
そうこうしているうちにすべてを諦め、受け入れ、そして必死で守ってきたはずの良い子の顔さえも失い、
死にたい。
死にたくない。
精神科に通院したり一旦は治ったりを繰り返して3年ほど生きてる20そこそこのダメ人間。
毎日頭のどこかで死について考えながら取り敢えず化粧をして取り敢えず仕事をして取り敢えず勧められたソシャゲのノルマをこなして眠る。このまま二度と目が覚めなくてもいいのにと思いながら。
昨日も取り敢えずのルーティーンで仕事して休憩と同時に某俳優さんが自殺したとの訃報。
驚いた、特にファンでは無かったけど周りには彼のことをそれなりに好いている子が多かったからふとその子たちのことを思い出したりした。
ツイッターの彼のファンだった人達のアカウントを見て、「嘘だと云って欲しい」「信じられない」悲しみに溢れた言葉に、こんなたくさんの人に求められてるのにどうして死を選んだんだろう?と疑問に思った。
家に帰って、なんとなくテレビを見て、涙を浮かべながら歌を唄う俳優さんを見て心がギュッとなった。
こんなたくさんのファンや同じ業界にいる友人知人を悲しませるなんて、私なんかよりもお金があって才能があって人望があっただろうに、勿体無い、あなたよりも死ぬべき人が沢山いるのに!そう思った。
けれど、家の中のふと縄をかけられそうな箇所を見たとき、そういえば私も死にたかったじゃん…って思い出した。
若くして綺麗なまま惜しまれながらも死を選んだ俳優さんのことで頭がいっぱいだったからすっかり忘れてた、私も死にたいんだって。
もうずっと死にたいって思ってる。
ある時はこのまま仕事に行くフリして線路に落ちようかなとか、ある時は職場に毒性の高い薬品が納品されてきたのを見つけてこれを横領して服毒自殺しようかとか、家に一人の間、一酸化炭素中毒で死のうかとか、貰った薬とアルコールを過剰摂取しようとか、やっぱりシンプルに首を吊ろうかとか、思いつくたびワクワクした。
でもタイミングが合わない、例えば今死んだら〇〇ちゃんに立て替えてもらってる〇〇代の1万円返してないのに死んだら〇〇ちゃんに迷惑かかるなぁとか、職場のモノを横領するのは犯罪だよなぁとか、暫く家に一人になれる日が無いなぁとか、冷静に考え始めてしまっていくうちに今は死にたくないに切り替わる。
今度は死に方に拘り出してどうせなら一番綺麗で高かった服を着て入れたかった刺青を入れて一番好きな化粧をして死のうとか、逆に今は顔の調子が良く無いから死ぬのは後にしたいとか始まってまた死にたい期を逃す。
仮に死ぬ方法とタイミングが合致したとしても、いざ実行しようとすると身体がすくんで結局出来なかった、心は死にたくて死にたくて堪らないのに、もういっそ急に誰かに首をはね飛ばされるとかしたら楽なのに。
しかしここで思い出す、よく考えたら私子供の頃から何一つろくに出来た試しがないダメ人間だったじゃないかと。
小3の頃夏休みの宿題は提出間に合わなかったし、中学も受験勉強するする云って結局まともにしなかったし、高校もちゃんとするする云って結局友達ひとり作れず保健室通い、同人活動していた時代とか少しだけあったけど新刊落とす頻度の方が圧倒的に高いくらいに好きなはずの絵を描くやる気すらない〆切を守れない、家のお手伝いとかそういうのも云われなきゃ出来ない1から10まで云われないと動けないダメな子だと怒られた。
そんな奴が自分の意志で自殺を完遂させられるか?無理だろ。そう気づいた瞬間、自ら死を選んだ彼の決断力がより良いものに思えた。ファンの人には叩かれるかもしれないが。
でもこれは彼に限らず自殺を完遂出来た人達みんなに対して思っている事なんです、1から10まで云われないと何も出来ない、自分から動けない、行動力決断力がない、優柔不断、ダメ人間。
自ら死ぬことを選んで見事自殺に成功した人はすごい、羨ましい、私は今日も取り敢えず出された薬を飲んで、次の通院の時に話すためのメモとしてここに自分のダメ人間ぶりと死ぬ覚悟と決意が出来た人が素晴らしく羨ましいことを残しておきます。
私には推しがいる。私はオタクで、推しは比較的長年の推しである。
何故比較的かと言うと、私はそのジャンル、そしてその推しと出会えたのが遅いオタクだったためだ。大雑把にどんぶり勘定して四捨五入すると新参である。
夜中に眠れなくなってこの考えに取りつかれたのでこんなものを書いているので、眠気が来たら放り出すに違いないが、もう1時間以上そのことが頭をグルグルしていたので吐き出すしかないと思ってこんな文をしたためている。もうすでに眠いまである。
私の推しはとあるゲームシリーズに出てくるキャラである(以降、推しをAと称す)。
私はAのファンだ。だが一般的なファンとはAのとらえ方が違うのも知っていて、自覚している。クソオタク、いわゆるモンペと呼ばれる過激派のファンだった。いや、今も過激派のファンなので現在進行形の~ingである。
こんなものを書くにあたって、ジャンルとAファンに火種を投げ込みたいわけではないので明言は避けるが、最後まで読んでしまえばゲームシリーズを知っている一部のオタクにはわかってしまうかもしれない。
これは私の気づきと、私の精神的ショックを言語化したいがために書いている……要するに自分のための掃きだめチラ裏の話であるので、ゲームジャンルにもジャンルのファンにも迷惑はかけたくないのでそこは留意してほしい。
Aとの出会いは、そのゲームシリーズにて公式が出してくれているクロスオーバー作品だった。クロスオーバーの意味が分からん?そこは自分で調べてほしい。
カンの良い方はもしかしたらここで気づいたかもしれないが、とりあえず話を進める。
私は十年ほど前にそのクロスオーバー作品をプレイして、初めてAと出会った。
Aは傍目から見て割と能天気で、ちょっと不愛想で、ちょっとボケている子である。腕は立つけれど基本的に物事にやる気が無いタイプ(と言うといわゆるやれやれ系・昼行燈系に思えるが、ちょっと違う)だ。
いつもはあまり気に留めないタイプの子だったが、珍しく気に入った。
主な理由としては、そのクロスオーバー作品においては好感度のようなものが存在しているのだが、他のキャラは好感度が低いうちはみな不愛想であまり主人公に優しくない。まあ正直な話当たり前である。
だがAは初対面から他のキャラと比べて主人公に対して割と対応が甘かった。のですっかりうっかり「優しい……好き……」と気に入った。これだから童貞は困る。
時は流れ、クロスオーバー作品をプレイしクリアし、好きだな…と思ったキャラの出ている本家の作品に手を出すことにした。
そして本家をプレイしたらAにものすごい勢いでハマった。当時、青天の霹靂レベルでドボンしたし、二次創作もめちゃくちゃしたし、死ぬほど妄想した。もう一生分くらい当時妄想したが、まだ今も現在進行形(~ing)で妄想している。多分今後もする。
当時、私がAの出てくる本家をプレイしクリアした直後あたり、その時はたまたまジャンルが活発で、楽しく創作できた。
だが闇落ちした。(私が)
理由は簡単で、私とAに対する周囲のファン(これは創作をしているタイプのファンの話ではなく、世間一般的な本家ファンのことだ)のAの解釈が180度違ったためである。
要するに拗らせすぎたのだ。というかAを拗らせすぎて本家作品のアンチと化したし、私は未だに本家ゲームの2週目が出来ないでいる。
十年好きなのに……?と打ち込みながら首をかしげてノリツッコミしてしまう羽目になった。正直我ながら難解だと思う。
どこに出しても恥ずかしいレベルの害悪クソモンペに成り果てた私は、それでもAが好きだった。
Aを取り巻く環境が、素晴らしく美しく優しいものであることを願ってやまない。どれだけAに対する感情が拗れまくって本家アンチと化してソウルジェムが濁ったところで、この感情を否定することは誰にもできない。
だが、先ほど気づいてしまった。私は本当にAのことが好きなのだろうか?
前置きが長すぎたが本題だ。多分本筋の方が短い。あともうすでに眠いけど描き終えてから寝たい。
ここで基本的な説明になるのだが、クロスオーバー作品というのは大雑把に分けて二種類に分類される。
ひとつは、キャラたちが集結する舞台は、キャラ本人達にとっては異世界であり、本家の仲間たち(ないし敵対している敵役)との関係をそのままスライドして持ってくるパターン。
もうひとつは、全くどこにも関係のない新しい世界で、集結したキャラたちが現地人として生まれ現地人として新しい世界の地元で育つパターン。
私がAと出会ったクロスオーバー作品は、後者だった。それだけなら別に問題はなかった。
ただここで問題なのは、私がAに出会ったクロスオーバー作品では、【Aの出てくる作品の関係者が、A以外一人も参戦していなかった】という点である。
要するにめちゃくちゃ短絡的な説明をすると、【本家に出てくるA】と【クロスオーバー作品に出てくるA】は別人である、という話なのだ。
何が問題なのかわからないオタクもいると思う。順を追って説明する。
【本家のA】は、幼馴染がいて、田舎の人間で、割と重い過去があって、ひょんなことから冒険に旅立つことになる。
【クロスオーバー作品のA】は、主人公がいる街に一人でいて、幼馴染もおらず、とくに過去の話もされない、だがやたらに腕の立つ一般人、みたいな立ち位置だ。
【本家のA】にとって、幼馴染がいること、田舎の人間で重い過去があること、というのは非常に重要なファクターである。
なんならAのアイデンティティがそこにぎっしり詰まっていると言っても過言ではない。というかむしろそこを抜いたら何が残るんだ?という勢いで大事な部分だった。
だが、【クロスオーバー作品のA】にはそれがない。一切、ない。
幼馴染はいないし、田舎にはいないし、重い過去がない。何もない。Aを構成するうえで恐らく一番とびっきり重要なはずの部分が、ごっそりと抜けている。
だって、私がAと出会ったクロスオーバー作品には、Aの関係者が一人も参戦しなかったから。
だから、勢い言ってしまえば、【本家のA】と【そのクロスオーバー作品のA】は見た目がそっくりの別人である、と言えてしまうのである。
Aが好きだった。クロスオーバー作品で出てくるAがきっかけで本家のAも好きになった。
けれど私が愛していたのは、もしかして本当のAではなかったのだろうか? そう気づいた時はなんかもう、眠れなくなってしまった。
キャラクターに関する土台は大事だ。それはキャラクターだけではなく、実在の人間にも言えることだ。
オタクはよく、本家がキツすぎたり鬱展開が酷すぎたり推しが死んだりすると、妄想で「もし〇〇がこうだったら…」というIFの話をする。画面の前のオタク諸兄にも少なからず身に覚えがあると思う。
別に鬱展開が酷すぎたり推しが死んだりしなくても、もしこの時ああだったら、もしあの時こうだったら、と考えることはよくあるだろう。
IFの話で、本当に極端な話をすると、もし男のキャラが女のキャラだったとしたら……という場合(いわゆるTSやら先天性女体化など)、そのキャラが生きてきた環境は180度変わってしまうだろう。
下手したら一人称も違うだろうし、多分境遇も全く違う人間になってしまう気がする。
【本家のA】と【クロスオーバー作品のA】は下手すると男キャラが先天性の女キャラになってしまうぐらいに、境遇が違うのである。
なんというか、私は「本編が鬱展開のジャンルで、公式が出してくれている公式スピンオフ学パロを先に読んで、そっちからハマった」みたいな状態に近いのだと思う。
だって私が最初に好きになったAは、幼馴染もいないし田舎の人間じゃないし重い過去も無いのだ。仲間キャラも一人も交友関係にいない、もはや別人だ。下手すると学パロよりキャラが違う可能性すらある。
実はゲーム中で明言されていないだけで、実際は【クロスオーバー作品のA】にも幼馴染はいるし田舎の人間だし重い過去があるのかもしれないが、【クロスオーバー作品のA】からはそんな空気が一切読み取れなかった覚えがある。
私は、正直なところ本家ゲームのアンチになってから改めて「クロスオーバー作品のAはとても可愛いなあ」と思っていたのだが、そのAは本家のしがらみ全てから解き放たれていたのだった。
幼馴染はいない。田舎の人間じゃない。重い過去もない。ただ能天気でその日暮らしで、時々主人公に付き合って戦ってくれる、そんな【クロスオーバー作品のA】は私の理想だった。
でも、【クロスオーバーの作品のA】は私が好きになった【本家のA】とは別人だ。生きてきた境遇がまるで違うのだから、よく考えると容姿がそっくりなだけの別の人間だった。
でもそれは本家の作中で人知れずに苦しんでいた(しかも周囲が誰も気づいてないし、下手するとプレイヤーも全く気づかないし、むしろ自分すら気づいてない難儀さのある)Aとは違う存在だ。
私は何もないAのことを望んでいたのかと思うと、どうにも眠れなくなった。いや、まあだから多分本家アンチに成り果ててたんだけど、今さらの気づきだった。
Aの幸せとはいったい何なのだろう……私が好きなのは誰だったんだろう……と色々考えてしまってわけわからなくなったし、今も何書いてるのかよくわからなくなってきた。
そうは言ってもやっぱりAのことは大好きだし、多分今後も一生推すし、それはそれとして多分本家アンチから脱却できないんだろうなと思う今日この頃である。
余談だが、そのゲームシリーズのクロスオーバー作品はいくつかあって、Aが出てくるクロスオーバー作品で、Aの幼馴染が出てこないのは私が最初にAと出会ったその一作品だけである。
やっぱ幼馴染いないとダメだし、あの過去じゃないとダメなんだよな……と改めて諦念の姿勢で受け入れる気持ちになってきた。
二週目、やろうかな。十年ぶりに。
家族愛に近く微笑ましい関係の二人だが、諸事情で公式からの供給が途絶えて今春で丸3年、X推し界隈は完全に干上がっていた。昨年暮れにデジタル環境を入手して以来人知れずほそぼそと絵の練習をしていた私は、コロナ禍で暇を持て余す4月半ば、急に思い立った。「Xを描いてTwitterにあげよう」。
その時点で、コンスタントにXの創作をしている人は多分ひとりもいなかった。誇張抜きで。どちらか片方を描いている人は割といたものの、Xセットでとなると、半年に一枚更新があればいい程度のものだった。そのぶん気楽に描けたというのもある。
その日のうちに、2時間ほどかけて描いた2ページの漫画を軽い気持ちで投稿した。これは今見ると本当に拙くて恥ずかしい出来のものだが、当時の解釈すべてを込めた。投稿したあとしばらく落ち着かなくて立ったり座ったりしていたのを覚えている。
半日くらい経って初めて通知が来た。RTされていた。思わずホームに飛ぶとものすごく好意的な反応をもらっていて、いやもうめちゃくちゃにびっくりした。
私は3歳の時から毎日10枚ずつくらい絵を描いているが、ずば抜けてうまいというわけではない。才能がないんだと思う。美大に行くのも悩んだけれどやめた。それに重ねて言うが最初の漫画は本当にひどい出来だった。
それを見て、顔も名前も知らない人が「これを求めていた」とまで言ってくれた。なんなんだこれはと思った。
軽くXの話をするけれど、Xはかなり可愛い系のコンビで、Xが所属するグループの中では癒し要員である。ほのぼのした会話が魅力のふたりだ。しかし実はふたりともかなり暗い過去を持っている。
私はこの過去を掘り下げる創作をした。ふたりの抱える鬱屈や不安、後悔や嫌悪を、ひたすら表現した。漫画はほとんどすごく暗かったし、会話が多くて地味だったし、それでいて言いたいことが全然まとまらなかったりもした。ほのぼの系コンビとしてXを捉えていた人からすればハァ?というものだったと思う。でも私は奇をてらってそういう創作をしていたわけではなく、心の底から真剣に描いていた。
それが伝わったんだと思った。
2日後に4枚の漫画を描いて投稿し、その次の日に一枚絵を投稿した。そこでひとりフォローしてくれた方がいた。X推しの方で、それ以来投稿してから5分以内にいいねしてくれたりして、もうものすごく励みになった。最初にRTしてくれた方にも事あるごとに話題にしていただいた。私を神絵師とか呼ばわるのは後にも先にもこの方だけだろうと思う。
7月頭までおおよそ3ヶ月間Xの創作をしていたことになる。大学がオンライン授業になったこともあって時間があったので、その80日間で150枚ほど描き、そのうち80枚ほどをTwitterにあげた。もうずっと描いていた。本当に馬鹿だった。すごく楽しかったけれど。
ただ、6月に入って、ぱたりと筆が進まなくなった。まあ端的に言って燃え尽きたんだと思う。描いては投稿し、ごはんを食べて、描き、投稿し、寝て、起きて、描いていた。表現したいことがいくらでもあった。優しいけど仄暗い会話とか、過去とどう折り合いをつけて未来へ歩むのかとか、周りの人との関係とか。しかしそれも尽きてきた。3年間溜め込みつづけていたものを全部出しきって、もうカスしか残っていないと思った。
私はかなりネガティブな方で自分の絵をいいと思ったことは一度もない。私のアカウントを知っている友達が一人だけいたのだが、1ヶ月間その子と顔を合わせるたびに筆を折りたいと愚痴っていた。いかに私の絵が下手で、表現が拙く、ゴミであるかというのを、LINEでも長々と愚痴った。相当しつこく面倒臭かったであろうにも関わらず、その子が辛抱強く励ましてくれたので、私は創作を続けていた。
最終的に、梅雨が終わった頃、思いつきで描いた一枚絵を最後に、私はアカウントを消すことにした。
私は本当にXが好きだし一生好きだと思う。でももう描くことが何も無かった。ずっと表現したかったものをすべて出し切った。我ながら情熱的だったと思う。絵はほとんど1〜10いいね、フォロワーだって10人もいなかったけれど、全然かまわなかった。とにかく追い立てられるように描いて、それが終わったので、消そうと思ったのだった。
私が求めていたのは、言葉は悪いがデトックスみたいなものだったのかなと思った。多感な高校生の時期にずっと大好きだったXを、それに費やした情熱を、あらかたアウトプットし終えて、その次にはそれを消さないといけなかった。そうでなくても私はSNSのアカウントは放置しない方だったけど、とにかくそういう儀式的な側面があった。
午前1時に「今日アカウントを消す」とツイートした。べつに前もって宣言するほどのことじゃないだろうとは思ったが、まあ自分へのけじめというのもあった。そしてなんなら寝る前に消してしまうつもりだったのだけど、なんとリプライがきた。二つも。
で、それが最初にRTしてくれた方と最初にフォローしてくれた方だった。私の創作のこんなところが好きだった、解釈が合ったのは初めてだ、おかげでXがもっと好きになれた、という内容がとても丁寧な言葉で綴られていた。
あの嬉しさをなんて言ったらいいのかまるでわからない。単純な自己顕示欲や自己承認欲求ではなくて、なんだろう、わかりあえた感って言ったらいいのかな。それとも許された感かな。そしてものすごく申し訳なくなった。底が浅くてすみませんという感じだった。長いこと創作をやっている他の人みたいに無尽蔵に表現したいことが湧いてきていくらでも描き続けられる人だったらよかった。もちろんそれは私のせいじゃないんだけども、謝れるものなら謝ってもよかった。そのくらい申し訳なかった。
私はそれぞれにリプライを返して(かなり抑えた文面にした。よくがんばったと思う)、昼を待ってアカウントを消した。
なんかもう空っぽになってしまって今は何も描く気が起きない。来し方20年近く続けていた、絵を描くという行為を、ここまで遠く感じたのは初めてだ。一旦冷却期間を挟んで、また何か描きたいものが生まれたら少しずつ描いていこうとは思っている。
ただとても清々しい気分である。やりきった感があって、もうこれ以上何もないというところまで走り終えたような。そういうスカッとした気分の中でひとつ心残りなのが、私の底の浅さのせいで誰かを惜しませたという負い目であって、私はそれを放流するためにこの文章を書いた。
私はたぶん変わらないと思うし、今後Xと同じくらい好きなものができて何かを表現したいと強く感じ筆をとったとしても、全て出しきったらまたアカウントを消してしまうんだろうなと思う。更新しないアカウントを放置するのはやっぱり嫌だし、かといって、長期的に描き続けられるほどアイデアがない。変なこと言ってるなあと自分でも思うのだけど、とにかくストレスのない方にいこうとするとこうなる。
まあそんな面倒くさいことはおいといて、今はただ満足感に浸っていたい。そんなわけで2週間ぶりに買い出しに行き1ヶ月ぶりに冷蔵庫をいっぱいにし、メロンを半玉買ってきた。おつかれ私。本当に楽しかった。みなさんのおかげです。ありがとうございました。
昨日夫と車で遠出して、車の中では割と和やかに話したりふざけたりして帰ってきた。といっても他愛のない話ばかりなんだけど。家の中では2人とも何となく携帯をいじったりして過ごしているうちに終わっていってしまうので、こういう時間は貴重。
帰ってきてからも、夜はつまみだけ用意して軽く飲んでのんびりしていい休日だった。けど、結局泣き出してしてしまい、それが夫に見つかって、理由を説明するはめになった。
うちはもう15年以上夫婦生活がなくて、なんならキスとかそういうのもない状態が続いている。年に1回くらい意を決して夫の布団に潜入してみるも、毎回逃げられるし、そうなれば多少傷つくので最近はそういうトライもあまりしなくなった。ご無沙汰になって最初の数年が経ったころに、もう何と言ったかは忘れたけど、こんな状態では辛い、と言葉で伝えたことはある。その時に言われたのは、もう家族になってしまったのでそういう対象には見られない、これは普通によくあることだよ、と。私はそれで納得して受け入れてしまった。受け入れてしまったくせに、30代の間じゅう、時おり性欲がくすぶるのを人知れず泣きながら我慢してきた。でも、終わった話を蒸し返すのは良くないと思ったし、再度話し合って、また同じことを言われて、何度も傷つくのも嫌だった。それで10数年経ってしまった。
1日楽しくドライブして、こんなに穏やかな時間を過ごしているのに、私だけ我慢しているのはずるい、そんなことを考えていたら泣けてきた。
自分の内面を言葉にするのが凄く凄く苦手で、泣きながら説明した。
もう女として見れないうんたらと言ったこと自体、夫は覚えていなかった。「うまくできなかった」ことがあって、またそうなるのが嫌で避けていた、というのが真相らしい。(自分で書くのもなんだが、今でも女として見られているそうだ)30代の終わりに不妊治療に通っていたんだけど、初診の時に医師からバイアグラ的な薬を処方することもできるよと言われ、秒で断っていたのも、薬まで使って駄目だったらもう立ち直れんと思ったかららしい。私は、あーほんとに抱きたくないからだな、って思ってたけど。
そんなこんなで体外受精とか顕微授精とかを数年頑張った。最後は予算(当時私は夫と同じかそれ以上の手取りをもらっていて、主にそれでまかなっていた)も尽きて、治療は痛いし、もう我慢したくないと思ってやめてしまった。1回だけ妊娠できたけどあっという間に流産してしまって、そのあと数か月生理が止まった。その時、何をやっても生理が起こせなくて医師から自然妊娠の可能性はないですか、と聞かれ、可能性ゼロなのにそんなこと聞くなんてと思って病院で泣きそうになった。
話が逸れたが、事の真相が昨日やっとわかった。夫もいずれこのことは話し合わねばとは思っていたそうで、今まで言えなかったことも色々話し合えたのはよかった。私も、あのときはむかついた、とかそういうのたくさん聞いてもらえたし。なんかいっぱい謝られた。
で、その後やったかというと、やってない。照れくさかったけどキスはした。何回も何回も夢に見てたので(欲求不満だった)これも夢なんじゃないかと思って確認した。夢と違ったのはお互い年を取ってたことで、おっさんに抱かれるってこういう感覚なのかーと思ったり。(私もおばさんだ)
これからどうなるんでしょうね。次にキスできるのは何年後だろうか。すぐだったらいいね。それと、死ぬまでにあと1回くらいはセックスしたいので、それは後で夫にも宣言しておこうかな。
子作りのプレッシャーはもうないし若くもないので、セックスそのものがしたいというよりは、疲れた時は気軽に肩にもたれたりできる関係でいたい。年齢的に人生の折り返し地点は過ぎてるけど、夫婦になってからの折り返し地点はもうちょっと先なので、後半はもっといい関係でいられたらいいね、努力します、という会話を昨日はした。ちょっと矛盾してるか。
できるかわからんが、でも、もう1回くらいはやってみたいのだよ。更年期の入り口にきて、ホルモンバランスが変わってきてるせいかもしれない。またちょっと性欲がでてきて、平日にお昼ごはん抜きでオナニーしまくったりしてたからな。コロナのせいか。さすがにオナニーのことは夫には言ってない。