はてなキーワード: 人知とは
7月末に根拠なく「コロナを止める最後のチャンス」と宣言して安倍政権を罵倒したことでテレビで絶賛され、完全に感染がピークアウトした2週前にも「国に頼るのは諦める」と安倍政権に三下り半をつけた東京都医師会・尾崎治夫会長は一体どこに消えちゃったのでしょうか(笑)https://t.co/nkKnrbBvWf— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) September 4, 2020
これあれじゃん
Dr.ナイフとかいうやつが白井聡のことを無名呼ばわりしてる。
おれは白井聡のファンでもないし、白井聡の思想に共感しねーし、白井聡のツイッター書き込みは普段から口悪すぎて下劣だと思うし、今回の「松任谷由美は夭折しとけば良かったのに」ってつぶやきはホントに最低だと思うけどな、
Dr.ナイフ曰く、
「白井聡のこと知ってました?
僕は知りませんでした。
だと。
あのなあ、おまえが白井聡を知らねえのは、白井聡が無名なんじゃなくて、おまえが教養のない人間だからだよ。
白井聡のデビュー作『未完のレーニン』 は、若者が書いたマルクス主義やソ連についての本ってことで出版当初ちょっとした話題になったんだよ。
おまけに2013年に出版された『永続敗戦論』は、角川財団学芸賞を受賞して、これはかなりの話題になり、新聞や雑誌の書評欄でも取り上げられたし、書店の人文系の棚に行けば平積みされるくらいだったんだぞ。
そのおかげか知らんけど、白井聡は毎日新聞とか朝日新聞で定期的に書評や時評を書いたりもしてんだよ。
もっと言えば、Dr.ナイフが執筆依頼されたあげく、やっぱり匿名アカウントは不味いだろってことになった、あのウェブ論座にも白井聡は何度もコラム書いてんの。
何が言いたいかっていうと、白井聡っていう名前は、朝日新聞とか毎日新聞を定期的に読んでいたり、月1でも本屋やAmazonの人文系棚や話題作をチェックしてたり、ウェブ論座を見てる人であれば絶対に目にする名前なの。
百歩譲って本を読んだことなくても(偉そうにいってるおれも、『未完のレーニン』しか読んだことないわ)、多少なりとも政治とか政治哲学とか思想とかに興味があれば、白井聡っていう名前は知ってるはずなんだよ。
だからDr.ナイフの「ぼくは白井聡なんて人知りませんでした」 ってつぶやきは、イコール「ぼくは新聞もろくに読まなければ、書店で政治思想や社会評論についての本もチェックしませんし、ウェブ論座だってまともに読みません」って表明してることなんだよ。
世の中には娯楽があふれてるし、時間とお金は有限だから、わざわざ高い金払ってマルクス主義がどうとか戦後日本がどうとかなんて本を読むやつはかぎられてるよ。
だから世の中の大半の人は白井聡のこと知らないかもしれないし、知らなくても問題ないよ。
でもDr.ナイフは、安倍政権に疑問持ってんだよね?政治意識高い人なんだよね?リベラリズムがどうとか民主主義がどうとか独裁政治がどうとかツイッターでつぶやいてるんだよね?
その人が話題になった本も読んでなければその著者の名前すら知らない、それどころか新聞の政治欄や学芸欄も読んでない、それどころかそれどころか、インターネット上の論壇すら見てないってさぁ。
じゃああんたの口にしてる、リベラリズムとか民主主義とかって言葉には、なんら教養的基盤がないってことじゃん。だってそうでしょ、新聞や本を読まないで、どうやってそういう抽象的な概念について考えることができるの?勘ですか?
つまりDr.ナイフって、「なぜ社会は自由で公平でなければならないのか」とか、「民主主義とは何か」みたいな、本質的、形而上学的なことを考えず、ただなんとなくそのほうが良さそうだからって理由で、軽ーい気持ちで、「リベラルな社会が大事ですよね」とか、「社会には多様性が必要ですよ」 とかいってるだけだろ。
まあね、Dr.ナイフがそれで楽しければそれでいいんだよ。
仲間打ちでツイッターのいいねとRT稼いで気持ちよくなるのは個人の自由だ。
でもなあ、メディアや知識人や新聞記者は、こういう言論人気取りの無教養者をもてはやすなよ。
本も読まない、新聞も読まない、ウェブ上の小難しい対談や論考すら読まない、読むのは新聞ウェブ版の政局記事ばかりで、ツイッターのつぶやきは理論的な背景や裏付のない思いつきと感想だけ。
そんなやつを「ツイッターデモを引っ張るインフルエンサー」 なんて持ち上げるなんてアホだろ。
まともに新聞読んで本読んで歴史的に理論的にものを考えてる他の執筆者に申し訳ないと思わないのか?
……思わないのかもね。
だって、ツイッター上でもいまだにDr.ナイフのことを好意的に取り上げてる大学教授がいるんだもん。
当のDr.ナイフはといえば、繰り返しになるけど、白井聡すら知らない程度の知的関心の低さなんだけどね。
あれ、本気でそう思い込んでるのか
ただレスバに勝ちたくて「フェミ」に仮想敵を全部まとめてるのか分からん
前者って、普段ネットで繋がってる同類男とエロアピールしてる裏垢女みたいなのしか見てないんじゃないかと思う
同類としか付き合いがないと、この世にそれしかいない錯覚に陥るんだよね
どっかの増田が「老若男女皆巨乳が好きで巨乳を見かけたら揉みたいと思ってる、それが当たり前」的な事書いてたのを思い出した
ネタじゃなくて本気っぽかった
なるほどそう思っていたら巨乳ポスターはセクハラとか言うのが「キチフェミという名の普通じゃない女だけ」だと思うわな
女も他人の巨乳を揉みたいと思ってるのが当たり前と思ってるんだもの
ニュージーランドはコロナ対策が世界でも類を見ないほどにうまく行った、という評判だ。
先日トランプ大統領がニュージーランドがまるで大惨事のように演説したらしいが、当時の感染者数はアメリカに比べたら0みたいなもので、何人か増えてるね、というものでしかなかった。ただ、これから先はよくわからない。ドカンとくる可能性は否定できない。
現地にいる人として少し書いておこうと思った。
まず、ニュージーランドのコロナに対する対応方法が正しいのかどうか、だが、現地にいる一人としてはたくさんいるのを減らすのにはとても有効だったが、少し出たときにやる方策としてはかなりやりすぎだと思っている。
あと、正直ザルだったとも思っている。
今はオークランドという街だけがロックダウンだが、相変わらずロックダウン開始前にオークランド脱出を試みる人が続出するなどし混乱していた。
ニュージーランドに入国した人たちは、政府が指定した宿泊施設に2週間滞在する必要があるが、ここから脱走する人、検査を拒否していなくなる人、酒を買いに近所のスーパーに行く人などもいるようだ。
この施設も料金が利用者負担となっており、家族3人とかで滞在すると結構えげつない金額になる。
次にコロナの検査についてだが、現地にいる一人としてかなり疑問だったのは、不安で相談した人が明らかに感染者との接触があったりしない限り検査をしなかった、したいと言っても断っていた、という点だ。この辺はなにげに日本と同じだった。
そんなこと言ったってたまたまカフェで少し話した人とか、店で話しかけた店員とか、感染してるかなんてわかるわけがないので、断るのはどうかというのが率直な感想だ。
一度目のロックダウンが解除され、政府で把握している感染者もあと数名となったあるとき、感染源が不明な感染者家族が見つかった。
その後警戒レベルか上がり、二回目のロックダウンに突入。あれよあれよと感染者が増えていき、現在137人になった。割とコンスタントに日々増え続けている。
政府が安心しきっているうちに実は感染者はじわじわと増えていたということだ。あと少しでいなくなる、そんなコロのジャシンダ・アーダーン首相のホクホクした顔は印象的だったし、コロナなんか何回やっても勝てるとか強気なセリフも印象的だった。
二回目のロックダウンでは政府が行動追跡アプリを入れるように推奨し、市民は店の前でQRコードを携帯で読み込んでいる。アプリでこれを読むことで、いつどの店に入ったのかが記録される。すごく嫌だけど、正直な話結構使いやすい。
店によってQRコードをラミネート加工するとこがあるんだが、ギラギラしてアプリが読み込めなくなるのでやめてほしい。
ニュージーランドでの問題の一つが、ニュージーランドでは徹底的にコロナの撲滅を目指したので、国民が抗体を持っていない。つまりコロナが一度入りこめばどんどん感染してしまうという点だ。集団免疫は無い。
ジャシンダ・アーダーン首相はコロナのワクチンができるまで戦いは終わらないと言っていたので、それまでは入国も厳しく制限されることだろうし、また何かの拍子にロックダウンもあり得る。生活がすごく不安定になった。
明日一杯で今回のロックダウンは終わり、月曜日からレベル2になる。新しいルールとしては公共の乗り物を使うときにマスクを使うことが義務化され、違反すると1000ドル以下の罰金というルールができたことだろうか。
なんにしてもマスクは当面積極的に利用することになるが、マスクが嫌なら適当な布でもいいそうだ。
しかし、政府が躍起になって対策していたその裏で人知れずウィルスは感染を続けていた、というのが不気味ではある。
前回のロックダウンのとき、病院が一切の見舞いや付き添いを禁止した。出産に伴うヘルプだけは特別だったが、基本、患者本人しか病院に入ることは許されなかった。
このときに余命一週間の父親に会いたいという息子に行政機関がNoを突きつけたことがあった。息子が食い下がり、大臣が「許可を出せ」とまで行ったのにやはりNoで、最終的に息子が行政訴訟を起こして裁判所命令で許可がおり、最後の数日をともに過ごせた、なんていう話もあった。
大臣どんだけパワーないんだよとか思ったりもしたが、ロックダウンのときに民衆に降りかかる不条理の一つだと思ったのでついでに書いた。
ニュージーランドでの厳しい入国制限を日本でもやるべきだ、ともし聞かれたら、回答は、普通に考えて日本でできるわけ無いだろ。経済規模とか国際的な地位とか違いすぎる。
ニュージーランドみたいなロックダウンを日本でやるべきという人がいたら、こちらの回答は、そんなの日本でできるわけがない。こっちは500万人、日本は1億人以上いるわけだからね。
例えば俺は神楽めあが好きで。
誰が何と言おうと俺は奴に貢ぎ続けるし、あの女がネットで皮を被って商売をする姿は尊いと思う。
そう思ってる奴が日本にも中国にも相当数居るからこそ奴のビジネスは成立している訳で、
最近金の匂いに引き寄せられてVtuber界隈の世界に興味を持った無意味な有象無象なんぞの理解無理解等はどうでもいい。
好きだと思ってる奴等が貢ぎ続ける限り商売は続く。
そんなことをしている間に汚物キャラとしてしか自分を売る事が出来なくなって、
それでも将来が不安で一円でも多く金を稼ぎたくて、生涯賃金を稼ぐためにVを続ける。
全ての人間を見下して全ての人間から見下されながらも金の為に戦う神楽めあの人生には美しさが在るし、
友人知人から金を借りるってことはその時点でもう消費者金融も相手にしないし、家族にも見放されたクズってことだからな。
逆にその辺から借りようと思えば借りられる状態なのに友人知人から借りようとする奴は相手のこと完全に舐め切ってるってことだし、どの道まともな人間性残ってないから縁切るのが正解やな。
https://www.orangeitems.com/entry/2020/08/25/111954
https://anond.hatelabo.jp/20200825185628
どちらも細かい点でそうかもね、と思う点はなくはないのだけど、あまりにももったいないというか
身近にも1人知ってるけど、リモワをやめたい人ってあまりにも時間の使い方が下手なんだと思う
例えばどちらも書いてる点として通勤時に色々していたとの事だけど、ここは自分も通勤してた頃同じような感じだった。
今はその同じ時間を電車ではない場所で過ごしてるがずっと快適に読書などできてる。通勤がなくなってできた時間は確実に有効活用できるよ。
運良くリモワできた人は、自身の生活を見直すとてもよいチャンスでもある。
それも周りに流されす自分でしっかり仕事とプライベートを切り分けて生活設計できる絶好のチャンスだ。
最も興味深いのはリモワで太っていく人と健康になっていく人の差だ。
自分は明らかにリモワ前より食事に気を使うようになり、運動量もそれなりに気を使うことでどんどん健康的になっている実感がある。
一時期少し中だるみはしたものの、プライベートな時間が増えたことにより生活習慣を見直すことができたのだ。
一方でリモワやめたい人は生活が自堕落になっていく傾向があるようだ。
通勤や職場で人に見られる事で張り合いを感じるというのはわからないでもない。休みの日を別にすれば人に見られる時間ってそれくらいだから。
自分も含めてだが、正直言って会社、というか職場中心の生活に依存しすぎていたんではないかと思う。これはほんとにもったいない話だ。
リモワで生活がだらしなくなってしまうかどうかはほんと自分次第なのだ。
あとチャットや通話を利用することでコミュニケーションが煩雑になるという指摘は、職場や業種によっては確かに起こりそうだ。
自分の職場でもしばらくの間はいわば「コミュニケーション過多」と言ってもよいようなやり取りが増える傾向があった。
しかし徐々にそれぞれタイミングを見計らうようになったり、通話にしろテキストチャットにしろ簡潔に伝え合おうとする意識が生まれた。
これは対面で会話してる時にはなかなか意識できなかったことだ。
また管理的な業務は当初は雑務が増えていく傾向だったが、今ではあらゆる業務のログが拾いやすく効率よく回せるようになっている。
ここらへんは業種、業務内容によって違いが出るとは思うので、色々だなとは思う。
ただ増田が書いてるような遅い時間に仕事の連絡してくるとか、そういうのは論外というか、新しいルールを作ればいいのにとしか思えないんだよな。
どちらかというと反論のほうが多くなりそうだから、できるだけリモワやめたい側の立場に立って考えてもみたが
やはりどの理由も結局仕事、というか職場への依存が高そうだなという感想。
個人的には周りに人がいないとそんな事もできないのかという気づきも多々あったし、
メリット、デメリットで言えばデメリットのほとんどが自分次第なんだなと思ったので
実際ちゃんと告白してフラれるというプロセスを経ているのは1回か2回しかないみたいだし、
イイねが全然押されない、イイねを押しても返ってこない
やっとマッチングしたと思ったら数回メッセージをやりとりしたら途切れる、
会ってそこそこ盛り上がったと思ったのに音信不通になる、
2度3度会っていけると思ったのに断られる、そんなことの繰り返しだ。
(結婚相談所ってことで手組はしてもらえるだろうけど続かない、
盛り上がったと思ったのに断られるとかはよくある話だと思う)
増田はきっとまじめで、1人の人を好きになっては、
「嫌われたらどうしよう」「フラれたら周囲にそれを知られたくない」と積極的な行動ができず、
人知れず傷心になっているように見える。
「COVID-19」ゲームは、非感染者になりすました人物を雰囲気で見つけ出すゲームです。
プレイヤーは、全員とあるムラの住人として振る舞います。その中の何名かは感染者で、非感染者に化けて社会的に生き延びようとしますが、結果的にムラが滅びます。
ムラ人たちは毎日、発言や仕草を頼りに見分けのつかない感染者を探し、多数決でもっとも疑わしい1名を感染者とみなして隔離あるいは社会的に処刑します。一方、感染者たちは人知れず誰かに感染を広げていきます。
こうして昼と夜が繰り返されて犠牲者が増える中、感染者をすべて隔離できたらヒトの勝利。それよりも早くヒトを減らし、生存者の半数を感染者で占めたらSARS-CoV-2の勝利。
感染者や非感染者の他にも、夜に感染者を見つけることができるPCR検査や、昼間に隔離した相手が感染者だったか分かるPCR検査など数多くの役割があり、これらはプレイ開始前に配られたカードによって決まります。
PCR検査は感染者を見つけることができますが、30%ほどの確率で感染者を非感染者と判定します。同様に、1%ほどの確率で非感染者を感染者と判定します。またPCR検査のカードの枚数には制限があります。
そのほかの特殊なカードとして、昼間に石や生卵を投げる役割、夜に張り紙をする役割、夜にネットに書き込む役割などを追加することができます。
そのため、同じメンバーで遊んでも毎回異なる展開を楽しめます。
感染者は巧みな言動で、非感染者は的確な推理で、会話を通じて仲間を説得し仲間と分断されていくのが「COVID-19」ゲームの醍醐味です。
を読んだ。昔好きだった作家さんの人間性を知ってしまった事で嫌いになってしまった増田の話だ。
自分にも似たような経験はある。大好き、というレベルでなくてもそれなりに好きだった作品を作っていたクリエイターの人間性を見てしまって嫌な気分になった事が何度もある。
この元増田に対するトラックバックを読んでる内にこういう意見を見つけた。
これがとてもよく分かる。作家には作品の宣伝やクリエイターらしい事は幾ら言ってもらっても構わない。ただ、人間性が見えるような発言はそれが自分と合う物で無ければあまり良い気分がしない。
しかし作家に対して人間性が分かるような発言を一切禁ずるのもおかしい。ならば作家の人間性を知りたくないファンはどうするべきか?作家の人間性を見ないようにすればいい。
好きな相手だからこそ相手の嫌な所を見ないようにする。現実で自分と付き合いがある訳でもあるまいし、作家に人間的な欠陥があったとしても触れなければ良い。ネット上で作家と文字のやり取りをしただけではどうにもならない。
この考えに至った時気付いた事がある。自分は自分が好きだと思っている物に対してはあまり長々と語れない。しかしそれほど好きでもない物や、はっきり言って嫌いな物に対しては結構長々と語れる。
それは何故かと言うと、自分は「好きな物」は好きな面や良い面しか見たくないので悪い面は見たくないし語れない。一方「好きでない物」は好きな面や良い面も語れるが悪い面や嫌いな面も含めて語れるからだ、と思った。
思い出は綺麗なままにしておきたい、という心理がある。自分が好きな物に対して好んで粗探しをしたリ悪い面を積極的に見付けようとする人はあまり居ないんじゃないだろうか。痘痕も靨と言うし、悪い所も良いと感じてしまうだろう。
だから俗に言う「アンチの方がファンより詳しい」という言葉は恐らくある一面から見れば正しい。何かが嫌いな人間は何かが好きな人間と違う方向からその何かを見ているので、単純に見ている物も違う。
「初めは好きだったのに途中から嫌いになってしまった」というパターンだと好きと嫌いの両面から語れて熱量も好きと嫌いの両方があるのでとても大変だ。逆のパターンはあまり見ないが、その場合は嫌いだった分より好きになってそうだ。
ただ最後に言うなら「アンチの方がファンより詳しい」パターンはあるが「「アンチは皆ファンより詳しい」は絶対に間違いだ。一人一人知識量に差があるし、大半のアンチは聞き齧った知識で「叩いて良い物」を叩いているだけなのだから。