はてなキーワード: 下僕とは
ヨブ記の続き
だってお前ら苦しまないと聖書読まないし、救世主のことも信じないじゃん。成長を促してやってるんだよ。
そんなときは自然を見よう!創造主の偉大さが分かるし、自分が神の下僕でしかないことにも気づくはず。そうすれば神が与えた苦しみにも何か理由があるということに思い至るはずさ。
一見理不尽に見えるが、神は罪の有無にかかわらず苦しみを与えることがあるとしておけば、自分の今のつらさは(罪の無い者に課せられる)試練であると解する余地が出て来るぞ!
おわり
あーまたか。どうもお疲れさんです。
限りなく妄想に近い推測でしかないけども、本音を受け入れてくれるのと、どんなにキツい対応をしても許してくれるのを彼女混同してるよね。
彼女の中で「本当は増田に嫌われてる」っていう限りない自己嫌悪と「増田の方から離れていくはずが無い」っていう舐めた気持ちの両方があるからこんな歪んだ応対になってんじゃないかなー。長文の謝罪文とか送ってくる辺りそんな感じする。
他人に叱られる(キツイこと言われる)耐性が全然無くて怖いから、先手を打ってマウンティングしてんだと思うよ。
一回本気でブチ切れてみたらいいじゃん。それかこれをそのまま見せるとか。
増田もさぁ本当は彼女のこと内心馬鹿にしてんじゃないのー閣下とか書いてるけど。
キツイことを言う彼女を受け入れてやってる俺、ばっかり演じてても、何の発展も無いと思うけどね。萌え萌えツンデレお嬢様の下僕にでもなったつもりですか?
とりあえずお互いがお互いを下に見てる様にしか思えないし、仲良くなったら仲良くなったでこってり共依存になりそうな臭いがプンプンしてるし、さっさと関係切った方が精神衛生上良いと思いますけどね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/956291
「騙されない自分」病だ。
ネトウヨもレイシズムもミソジニーもミサンドリーもまとめサイトも
twitterもはてブも増田も陰謀論も放射脳も疑似科学も文春もネタもマジもデマも何もかも
全部「騙されない自分」のイメージを求めた結果、陥穽にハマってしまっている。
何も進んで水素水を買えと言っているわけじゃない。
「騙されない自分のパブリック・イメージに固執している」ことだ。
みな賢くあろうとしている。それ自体はいいことだ。懐疑や相対化は視点として常に大事だ。
ところが、他人に賢く見せたい、賢いと認めてもらいたい欲、それがインターネットを病ませしまう。
人は「賢い自分」を見せようとするとき、かならず自分の面子以外のことに考えが及ばなくなる。その言葉は攻撃的になってしまう。
なぜなら、賢さとは相対的な概念であって、「賢い俺」が存在するとき、他の人間たちは必ず「俺よりバカ」に位置づけられるからだ。
こういう心理状態になるときほど、近視眼的で酷薄な人間はいない。
しかし、それならば賢しらに振る舞わなければ万事解決なのか。
違う。
そうなってしまったら、インターネットなどに利用価値はなくなってしまう。
我々はみな自分の賢さ、ポジション取りのうまさを見せつけるためにインターネットをやっているのだ。
見栄がなければネットではない。
では、どうすればいいのか。
ハンドルネームやIDを含む顕名制度をやめて、みな記号ですら無い完全なる匿名に帰ればいいのだ。
といっても掲示板はダメだ。集団化という別の暴力の温床となる。
では約束の地はどこに?
ここだ。
増田だ。
我々は群れない。我々は同化しない。我々は顕れない。
国会デビューをしたからといってtwitterアカウントを立ち上げるなどは、見下げ果てた所業である。
我々は存在しない。
我々に魂はない。意識もない。
騙すことも、ダマされることもない。
我々の書くことは「真実か、虚偽か」ではない。真実であると同時に虚偽である。
増田がウンコを漏らす時、その記事を書いた都内在住の誰かは実際に脱糞してないかもしれない。
書き手の人格は肉をもったリアルな誰かとは切り離され、一人の偉大な分裂症患者の名のもとに統合される。
増田。
私はあなたの名前を知っており、あなたは私の名前を知っている。
増田は増田を傷つけない。わたしはあなたを傷つけない。あなたもわたしを傷つけない。
「裁かれた者」サバカレーの使徒であり、「死を刻む名の者」しなもんの化身であり、「剥がす鬼」hagexの下僕である。あるいは水曜日の天使である。
わたしたちはあなたたちブックマーカーである同時に、あなたたちに相対する者である。
実名を捨てよ。
ハンドルネームを捨てよ。
twitterを、Facebookを、メルカリを、LINEを、Yahoo!IDを、amazonのアカウントを捨てよ。
そこは肛門。入る時はさまざまな形をとるが、出る時は常に同じ色形。
TV/Web会議をはじめとしたITによるコラボレーションツールがこれだけ充実・高度化した現代でも、人は出張する。理由は明確で、物理的に現地にいる必要性はなくならないからだ。面と向かって討議しなければならない込み入った話であったり、現地での署名や式典など儀式的な意味合いがあったり、または「わざわざ日本からそちらに行く」ということで事の重要性を訴えるパフォーマンス的なニュアンスを含んでいたり…と、その必要性はさまざま。
特に中間管理職の場合、出張には大きな投資とリスクが伴う。投資とは、移動や事前の段取りなどの時間的なもの。リスクとは、日本の仕事から一時的に離れなければならないところ。
この内、後者については信頼できる部下さえいればさほど心配すべきことではない。だが、自分が不在時でもその部下に日本での仕事を任せきることができるのであれば、そもそも自分は日本必要はない。ダブルで管理体制を悠々と構えさせてもらえるほど会社も甘くはなく、常にギリギリで回せという体制図になっていることがほとんど。
そのため、自分が日本の仕事から離れるというリスクは、前述の時間的な投資で軽減を試みることになる。王道は出張期間中の部下の仕事を可能な限りTo-do、つまり「やるだけ」の状態にする。その上で発生する問題は、極力部下たちで自律的に対応・解決してもらう。ワークフローシステムなどの「型」が必要な承認以外は、彼等に決めてもらう。ただし気を付けなければならないのは、このTo-do化をやりすぎると部下は「そんなに心配(=私達を信頼してない)なんですか?」と思われること。だから部下の部下にまでは指示はしない。「だいたいこんな感じで!あとは頼んだ!」程度。ここで結局のところ問われるのは、当本人が部下に寄せる信頼に裏打ちされた「任せる勇気」なのかもしれない。
このように「自分は本当に出張に行って大丈夫か」を確かめるのと並行して、出張自体の段取りに入る。
まずは航空券。会社によっては決まった代理店を使うことが多い。これはアシスタントや秘書がいたら任せるのもいいが、自分でやったほうがよい。出張のスケジュール詳細と航空券の調整を並行するのが一番効率がいいからだ。出張中の打ち合わせ>その他の人と話す時間(公式の会議とは別の声掛けや激励)>日本の状況を気にする時間>自分の作業時間(まとめ/ラップアップ資料作成など) の優先順位で、発券期限ギリギリまでスケジュールを綿密に詰める。ゆるいスケジュールだといたずらに出張期間が延び、狙った成果も出ない。そうは言っても、夜は必ず空けておく。大抵なんらかの誘いは来るし、自分の作業時間がつぶれた場合のバッファにもなるからだ。
はじめていく会社、またはお客さん/クライアントではファシリティ面も注意したい。作業場所、Wi-Fiなどの兵站系は向こうでバタバタするほど無駄なことはない。数回行っている拠点/支社なら、総務・情報システム系の人と仲良くしておきたいところだ。それ以降、直接的にトラブルシューティングもお願いできる。
ここまでは、誰しも部下や後輩を持ちながら出張する人なら普通に考えていること。ここからは部下のみならず上司もいる、中間管理職特有の話。
中間管理職は、誰か偉い人の右腕的なポジションで出張に帯同することもある。でも基本、他の誰かで済むならこういう出張は断る。その断り方はその上司との関係にもよるが、自分の場合「絶対行けないわけではないですが、たちまちアノ仕事がこのくらい遅れそうですね、あとコノ仕事はこれくらい質が下がりそうですね」とか返している。「うわ、なんかめんどくせーこいつ」と思わせたら勝ち。回避した後「ご一緒できなくて残念です点帰ったら色々お土産話聞かせてください、帰国日にどこか日本食でも予約しときますよ」とした上で、自分の身代わりとして犠牲になった人もあわせて誘っておくまでがセット。2次回はその犠牲者とサシで。テンプレだとバレていても、断ったことに見合う仕事を日本でしっかりとして、帰国後に彼等をねぎらえばいい。
上司帯同型の出張には、上とは逆に、自分の出張に上司がオマケでついてくるというパターンがある。本当に必要なときはこちらから言うのに、「ここは俺がいないと始まらんだろう」と言わんばかりにしゃしゃり出てくる。バンコクや一昔前の広東地方など夜の世界が充実している地域に行くときはとくにそう。さすがにこれは向こうからオファーしているので、「いえ、来なくていいです」などと無碍に断りにくい。それがゆえにこのケースは本当に面倒くさい。とはいえ、それ逆手にとる方法もある。ややこしい会議、言い換えれば程度権威をもって場を制することが必要な会議を予定にねじこむ。そしてそこだけに意識を集中してもらう。当然シナリオもこっちで用意する。使えるものは「親」でも使うスタンス。
だがこれには大きな代償がつきまとうことが多々ある。経験上では、しゃしゃり出てくる上司に限って、出張に不慣れなことが多い。移動中やたらと街中で立ち止まって写真を撮りたがる。反スパイ法がいまだ絶賛プロモーション中だと考えられる中国ではやめてほしい。安全面もそっちのけ、南米なのに財布がポケットから見えてたりとか…。たまに今夜は別行動で…とか言うと怒る/すねるのも勘弁してほしい。出張に来ると毎晩飲み会だと思ってる。じゃあ日本で毎晩飲み会してるのか?と。昨晩の夜の世界での出来事の反省会をオフィスでやるのもやめてほしい。
こういう上司は、頭のどこかで出張≒旅行と捉えている。発想からして狂っている。また、こういう上司は最上部に書いた部下の仕事は全然ケアしてないから、社内クレームがひとつ下の上司に、つまり自分にやってくる。そして出張前の各種調整なども日本と現地のアシスタント同士に任せっぱなしだから、いざ現地についてあたふたする。挙句の果てには文句を言いだす。フライトが朝早いだの、空港ラウンジが遠いだの。
もちろん、これはすべての上司がそうというわけではない。あくまでひとつの傾向。だがかなりの割合でこうなのも事実。対応は唯一、現地の駐在員をお土産で買収する。出張前にリクエストを募り、それを現地到着時に進呈する際、「じゃあ夜はあのおっさんの面倒頼んだぜ」とする。夜のアテンドは現地駐在員はお手の物、餅は餅屋。
よく本などでは「上司は部下の下僕」と言う。こんなこと書いている本は読んで理解はできるが、体現するのは難しい。だから自分がそういうポジションになったとき、少なくとも部下の足を引っ張るような存在にはならないようにと、上記をメモっておこうと思う。
shiraivin 数学じゃなくて算数だろ、と思いながら読んだけど、確かに数学だわ。そして、これを小学生に説明するのは俺には無理。さすが東大
まてやこいつ!
さすが東大、じゃないから。東大生だったら誰でも出来るという話じゃないから! りょーすけって人がスゴイだけだから。ほんと勘弁して下さい。
お前らショーンKの事件で肩書なんて意味ないよねって話になったんじゃねえのかよ。
東大生がスゴイんじゃなくてりょーすけという一人の人間がすごいってことに気付いてくださいほんとお願いします。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nanaio.hatenablog.com/entry/2016/03/24/110406
このりょーすけって人も、こういうので東大生のハードル上げるのやめろいややめてくださいお願いします。
私みたいに英語と国語と社会科だけ得意だったけど理科や数学は全くダメでこんな質問されても説明なんて無理っていう雑魚もいるんですよ!!
けっ!どうせこのりょーすけってやつガチ理系なんだろと思ってたら文系だし。なんなんだよ完璧超人かよ。
tohokuaiki 東大生でイケメンでユーモアと実行力もあって数学の問題も丁寧に小学生に応えられて、どんだけスペック積むんですか?きょうびマンガでもそんな属性盛りませんよ。
同じ東大通ってたけど生きててすみません穴掘って埋まっておきます!という気分になるから本当にやめろください。
そうだそうだ。りょーすけさんがおかしいのであって、こんなん俺達に期待するな。上司や同僚の根拠の無い期待がいつも重たくて死にそうなんだよ。
cj3029412 くっそーw 東大卒だがただのねこちゃん下僕おっさんの1日を5円で売りますやるか! くっそw 万葉仮名語る需要があるとは思えん… 記事ええ話しやw
わ か る わ。 やけくそで同じようなことやれって言われても俺他人から求められるような知識や能力ないよ。
あえて私が自慢できることがあるとしたらこれだよね。私も身近にりょーすけみたいな先生がいた。
たいして頭良くなかった俺が東大いけた理由があるならコレ以外に考えられないから運は良かった。
頭いい子は小学校通わせずにこういう教育受けれる機会がもっと増えてほしいよな。大事なのはそれだけだと思うし。
ネットでいろんなサービスあるけどさ。 学校教育やら塾の代替みたいなサービスよりもさ。
こういう学校教育になじまないやつが良い先生とめぐりあって自分の力をぐいぐい伸ばしていけるようなサービスができて、それを国が支援していくみたいなのやっていこうぜ。
まじめに見るにはあほらしいがデレステプレイしながら横目で見るにはちょうどいいアニメだ。くだらなさ過ぎて逆に面白くなってきたので毎回感想書く。
3話からはさすおにとISを封印して、両者の比較をしていきたい。アスタリスクは今日の夜に追記。
両者を比較すると
どちらもハーレムもの。どちらもメインヒロインがいるが、新ヒロインが登場してメインヒロインをたきつける展開が共通。
落第騎士はメインヒロインに一途なのに大してアスタリスクはふらふらしている。
主人公の性質は落第騎士の方が良い。ヒロインは落第騎士がちょろすぎでアスタリスクはそれなりにツン維持。
どちらも大会に出て勝利していくという展開は同じだが落第騎士は一人でOK、アスタリスクはペアが必要。
そのためか、落第騎士のヒロインは物語における重要度がひくせいか、2話でさっそくメインヒロインがソープ展開で存在意義をアピールするはめに。
以下メモ
英雄譚は今のところEDがアリプロであることくらいしかおすすめポイントがない。もう全く先の展開が楽しみじゃなくなっている。
1話の時点でさすおにじゃねーかと言ってたわけだけれど2話ではそれがさらに加速する。
http://anond.hatelabo.jp/20151007090612
ブラコンの妹しかも氷属性がでてきたり、実家より疎まれて影の存在として扱われていたなどさらにさすおに度が増した。しかし設定が屋上屋を架す状態になっているさすおにとくらべておそろしくシンプルである。余計なものはそれほどない。
子供の頃は達也を疎んじていた司波深雪と違い、妹は最初から兄のことを愛しているし、兄との能力的結びつきもない。主人公は単に能力がなかっただけで、さすおにと比べて改造されて極悪なものをつめ込まれた、というような設定もなさそうだ。というわけで、さすおにと似ているが、ストーリー的に複雑に、あるいは大きく盛り上がることは全く期待できない。俺的には「バトルに負けて下僕としてスタートしているが、そこから活躍してヒロインを見返していく」というゼロの使い魔方式のほうがはるかに面白かった。いまから考えてもゼロの使い魔は面白かったなぁ。アニメだとくぎゅうあにめにしか見えなかったやついるかもしれないけど。
さすおにとの大きな違いは主人公の性格と、それからちょろすぎるヒロインの存在か。単に学園モノをやるだけなら司達也の設定は盛りすぎなのでこれで十分といえば十分だ。実際さすおにについてはヨコハマ騒乱編が終わる辺りまで、その盛りすぎた設定の説明がくどくなり、アニメでもお兄さま自慢アニメという扱いになっていたしな。そういう意味でたいして深みもない代わりに、主人公の性格はさっぱりしていて不快でないのが良い。 さすおにみたいに境遇や経験のレベルが違いすぎるから仕方ないとはいえ学生相手に超上から目線で説教めいたことを語ったり、表面的な態度は紳士的であるが実際には妹以外の学園の人間などひとしく無価値とみなし、必要があれば利用しても切り捨てても厭わないという設定は、いくらややこしい大人メインの設定とはいえ不快だし、この作品では不要だ。それよりは学園における人間関係やイベントを真面目に全力で楽しむような主人公の方が適しているだろう。
というわけで、この作品の主人公はいいやつで、普通のやつなので、すべてのものを手にしながら妹一筋、みたいな展開にならないし女の子とキャッキャウフフを楽しみならストーリーがチマチマ進むのだろう。そのうえで、きっちりメインとなるヒロインを立てて、それを軸にして話を進めていく。
IS的ハーレム展開はアスタリスクの方だと書いたがこちらのほうがまだ見れる。
新妹魔王と全く同じ展開で、見た目も似たような幼なじみが登場。あと1話でもいた巨乳東山会長が登場。ぱんぱかぱーん。
強力な特殊武器を利用できるのが女の子以外は主人公だけという設定といい、ヒロインの造形と言いなんともISですなぁ。
落第騎士みたいにペラペラ主人公や妹がすべての事情を喋ったりはせず、まだ秘めてるものはありそう。
ヒロインたちもすでに完落ちの落第騎士と比べて癖があってよろしい。
さすおにとちがってISは特に語ること無いからアスタリスクも語ることはそんなに無い。
35小隊 1話
メタ的な要素をもちつつも結局ベタベタなテンプレ展開をなぞっている。
メインヒロインはやはり優等生だが一話でいきなり一人だけぶっとんだ設定をぶっこんできてわけわからん。演技はすごかったけど
女子がこういう序列を敏感に察知するのは、たぶん、女性の社会では、それを察知できないと生きていけないからです。
生き抜くために、序列を読んで、安全なポジションをとろうとしてるので、習慣的に読む。
くんづけか、さんづけかだけでもかなりわかるし、かなり解りやすい口調でヒトにモノを頼むし。
女性同士なら、たとえボス猿が下僕に話すときでさえ、オブラートにつつんだ遠回しな言い方をするし、本音と建前が混在してるし。
男って、
「お前はあれやれ、お前はこれやれ」
って感じで指揮命令体系をしっかりさせてる感じがする。
女同士だと、
ボス猿「あれやらなきゃだよねぇ~、嫌んなっちゃう(っていうわけでミッション。空気読んで、言葉の裏を読んで、コミュニティ員全員の気分を害さないようにキビキビ動け)」
どんなに女の中での序列が上でも、ボスでも、男にモテるかどうかはまた別問題。
で、男性をみる時の話に戻すと、男性を相対評価、男性コミュニティの中での位置で判断する女子と、絶対評価、つまり直感でコイツは大丈夫、ダメを判断する場合の2つの軸でやってると思う。
人によって、どっちをどのくらい重視するかは違うけど、前者の相対評価はそんなに残酷じゃない。
ボスじゃなくても、元記事でいうところの上から3層あたりに入っていればオスとしての対象だし。
女だってエスパーじゃないから、Aさん、Bさん、Cさんの三人の男性と会った時に、その三人の中の序列くらいはわかっても、Aさんが会社でどの辺にいるかとか、Bさんがサークルでどういうポジションにいるかとか、そこまではわからない。
あくまで、三人の中でわかるだけ。
男性って、よく漫画だと普段意識しなかった女子が眼鏡とったらドキっとした、的な話があるでしょ?
友達として認知してしまった男がオスに昇格することはほとんどない。
今まで意識しなかったけどふとした瞬間で好きになるというのは、オスとしては意識してたけど、恋人にするというほどは意識してなかったというだけで、オスですらない相手にそれはない。
最初は嫌いだったけどそのうちに、というのも、オスとしては認知されてることが前提条件。
遊んでる子は、オスですらない男性から告白されても、優越感が得られて嬉しい。
オスとして認知してなかったとしても、相手の男の序列を読んで、けっこう男性のなかで上位だと、オスとして認知することもありえる。
ガードが堅い子は、オスとして認知してない男性からの告白は逆に不快にすら感じる。
だから、もし女性を口説こうとしたら、女性と出会うときは自分がいいポジションと勘違いされそうなメンツとつるみ、遊んでそうな、ガードが緩そうな子に突撃。
国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革”(リテラ)
http://lite-ra.com/2014/10/post-508.html
「金がないから稼ぐ学問だけ残す」…実に分かりやすい阿呆の理屈だ。額に汗して稼ぐなど、下僕に任せておけ。「なぜ稼がなくてはならんのか」「稼いだ金で何をするか」を考えるのが、主人の仕事だ。それを考える頭を失くし、金だけ儲けてどうするのか。その金を、海の向こうの主人に貢ぐのがせいぜいのところだろう。今回の方針は、実に亡国と売国の二重の愚行と言うべきだ。国家百年の大計を過った文科官僚は、未来の日本人の呪詛の的となろう。そのとき我々に呪詛するだけの頭と余裕があれば、だが。
理系と文系の、あるいは自然科学と人文科学の違いを、粗く粗く再定義すれば、それは「死物」を扱うか「生物」を扱うかの違いである。
自然科学は、生き物であっても、多様性があり生きている対象そのままを研究するのでなく、生き物一般、物質一般に還元して、いわば死物とすることで初めて研究の対象とする。一方人文科学は、一人一人の人間、社会をそのままに把握しようとする。雑多なものごとを雑多なままに受け止め、受け入れようとする。
この二つの考え方の違い。すなわち、分析と総合。人間の脳には、おそらくその両方の世界把握・認識システムが組み込まれている。その二つを使い分けながら、世界を認識しているのだ。
そして、死物を分析する自然科学が、必然的に事象に対して従属的になるのに対し、生物を受容する人文科学は、必然的に事象を支配し整理し再定義するのがその重要な仕事となる。これを、叱られることを前提で言い換えれば、前者を奴隷の学、後者を主人の学となる。これは、一個の人間の中でもそうであるし(目の前のエサを捕える時は科学者に、未来について考えるときは哲学者に)、一個の国家においても、この二つが手を取り合っていくのが、あるべき/理想の形だろう。
人文科学を軽視すると、どうなるのか。国立大学から、人文系の学科が消え、教授たちが消えていくというのは、どういうことを意味するのか。
我々は、今後世界と議論し、交渉し、将来を見通してビジョンを語るための有力なツール、思考の手段とその訓練の場を、言い換えれば広義の哲学の場を、国家の予算を傾注した最高峰の教育研究機関から失うのだ。国の在り方を変えるような巨大な改革を成し遂げるためのツール、この国に生まれ育つ中で誰もが思考の根底に置く言語と文化そのものを掘り下げ高めるための研究機関、人間集団や社会という複雑な存在を、ただ分析するだけでなく操縦し運営する方法論を探る場、それら全てを失うことになる。そして、それらについて先人が積み上げてきた知識の集積を活用できる人材と活用する手段や場の全てを失うのだ。なんという巨大な蕩尽! そのおそるべき愚行の涯に、一体どのような日本が現出するのか。これはもはや、日本語、日本文化、日本という国自体の、敗北宣言に等しい。
一つ質問だが、文部科学省の官僚たちよ。こんなことが分からないあなたたちではないと思うのだが、分からないのは本当に君たち自身なのか。それとも、「分からない」と言ってくる偉い方々に与える、適切な説明をただ見付けられずにいるだけなのか。もし後者なら、頼むからもう少し努力してくれ。君らの肩に、日本がかかっている。もし前者なら……そういうことはあまり考えたくないのだが、それならもうこの国は終わりなのだろう。滅ぶしかないし滅べばよい。私はひっそりと、ただ自分の中で、私の知る日本を私が死ぬその日まで、大切に守ることにしよう。
183ブクマでいいたい放題の割には、ソース元のYoutubeの再生回数289回。
(4:22~の数分と、最後の記者団からの質問だけみりゃいいよ)
すき家戦士 訳500人と30000人の下僕。グラフ見る限り一応、改善委員会立ち上げて改善してるんじゃねーの?相変わらず、ケンシロウ会長の「全世界から飢餓と貧困を無くす」みたいな寝言は言ってるみたいだけどさ。
お客様はカミサマ意識のクレーマーにとって接客店員はサンドバッグなんだぞ
あいつらレジ担や宅配ドライバーのこと下僕みたいに見てるからな
「誰のおかげで飯くえてると思ってるんだ」とか本気で言うからな
自分の力で生かしてやってるんだから股くらい開けやなんて発想だって当然出てくるだろうよ
先ず顔知られてる時点で負け、他所の遊戯施設の長蛇の列でたまたま会った時
「俺の子供らそこに一緒に並ばせろ、断るなら二度とおまえの店行かんからな」って当然の権利みたいな顔で言われたわ
でさ、これ名前関係ないとか言われそうだけどさ、名前わかってるから職場の外まで紐つけされるんだよ
他所の遊戯施設の長蛇の列で見かけたからって名前わかんなかったらこんな要求突きつけてこねーって
http://anond.hatelabo.jp/20140718021723
上の子も下が二人目、三人目となれば次第になれるので、体の良いお世話係も板についてきてそれなりに世話ができるようになる。
それまでは妹・弟というのは単なるおもちゃだ。なお、もう一人下にできると、中間子は長子の下僕になる。
しかも下の子が泣けば上二人は怒られるわけだ(より怒られるのは長子だと思うが)
長子はだいたい親が張り切っているものだが、二人目になると飽きて長子にまるなげすることが往々にしてある
しかし長子と中間子が同じ道を目指すわけでもないし、そもそも長子のアドバイスはまるで役に立たないことのほうがずっと多い
面倒なので長子が言ってたってことにすると何でも通るが、長子にはうまいことやってるとか睨まれるので納得がいかない。
ちなみに一番下は親も「これが最後だし…」とかって乗り出してくる逆にかわいそうかなとは思うが、大人の意見が大事なときもあるので羨ましかったりもする。
長子は下の子が産まれるまでは一人っ子で、つまり末っ子と同じ状態なわけだが、彼らが自力で何かできるようになると年端の行かない下の子らも同程度かちょっと下手なくらいのことを自力でできるように強要される。
外泊みたいな楽しいことならいいが、子供時代は手伝いとかおつかいとか、正直そんな小さい子にやらせるなよとおとなになって改めて思うことを普通にやれといわれるし、もちろん成功するのが当たり前、失敗したら怒られる。
あと、長子に対しては初めてなので色々口うるさい人がいるが、下の子らには「あれ?いってなかったっけ?」みたいなことがたくさんある。末っ子はいつまでも赤ちゃんなので大人は甘いが、中間子はそういう時は長子側なので、結局何も教えられず自力で何でも解決していかなければならない。ちなみに長子はあてにならない。たいてい大人からの助言が入っていて自分では考えなくて良いからだ。
時にうまく長子に擬態したり末っ子に擬態して親の目をかすめ取ることもできるが、基本中間子は独立心が強いことが多いような気がする。多分目をかけられていないせいである。
そもそも親が末っ子を妊娠した時点で中間子は末っ子ポジションではなくなるのだ。長子ほど親の愛情を注がれていないにもかかわらず、早ければ乳児、遅くても幼児のうちに自立しなければならないのは子供には辛い。まぁ慣れますけどね。
お下がりとかも末っ子はたいてい「お下がりばっかりで可愛そう」とか言って新しいものを買い与えられるのはどうかと思うが、たしかに三人目、四人目になればお下がりもぼろぼろだし新しく買い与えられるのはしかたがないのかもしれない。しかしかわいそうがられるのはいいもんだナ。ちょっとそういう扱いされてみたいナ。