はてなキーワード: パチモンとは
これまでは指をお尻に入れていたけど、体勢が辛いので道具を使うことにした。
ドン・キホーテで買ったエネマグラのパチモンを手に入れてみた。まず挿入る前に、プラスチックのバリがすごいのでやすり掛け。アナル趣味は日曜大工もバッチリだね。
ネットの純正エネマグラと比べるとずいぶん形が違う。大丈夫かこれ?
とりあえず入れてみる。結構大きい。指とは違う圧迫感を感じる。風俗でお姉さんに「お尻に入れられてる感覚わかる? 女の子のあそこに指を入れるときは優しくしようね」って言われたことを思い出す。穴は押しなべてとても繊細。
エネマグラのようなものの先端に何か当たっているような気もするが、それが前立腺なのか一般内蔵なのかわからない。けれど、力を入れると気持ちよくて
力を入れる→エネマグラが動いて気持ちい→アナルがひくひくする→エネマグラが動いて気持ちい→(以下ループ)
のPDCAサイクルのようなものを感じる。
大方の予想通り、なんか気持ちいかなくらいでクライマックスは無くいつも通りおちんちんをシュッシュして終わった。盛り上がってくると内蔵を押される感がすごいんだけど、これ大丈夫なのかな?
一刻も早くパイロット、セーラー、プラチナは中華企業に買収されてほしい。台湾のツイスビーでも化。
まぁ別に欧米の企業でもいいけど、欧米の筆記具メーカーも軒なみ経営きつそうだしな。エリカ様の「別に…」発言のあった映画でフィーチャーされてたデルタっていうイタリアの筆記具メーカーがこの間つぶれた。
それに漢字文化圏の万年筆は質が高いし、中華系企業ならその辺の重要性もわかってくれるはずだ。
まぁ好みは人それぞれだから、デザインについてあれこれ言うことはしたくないけど、国産万年筆メーカー3社の絶望的なダサさはデザインじゃなくてコンセプトにある。
それは、「3社のフラッグシップモデルが全部モンブランのパクリ」ということだ。特にプラチナ万年筆な。本家モンブランのマイスターシュテュック(一般的な万年筆を思い浮かべてくれればそれでいい)は、ペン先に「モンブラン」という山の標高4810が刻印されているんだが、プラチナの万年筆にも#3776って富士山の標高が刻印されてるのよ。
これはダサい。マジでダサい。やめてくれと懇願したくなるほどにダサい。
いや、ダサいというよりは、本当にみっともない。恥ずかしい。
創業当時にモンブランをパクったのはわかる。それは仕方ないことだ。
しかし各社創業100年とかいっていて、いまだにそのみっともない万年筆をフラッグシップに据えてるのはどうなのよ。
3社とも、バカみたいに黒金のいわゆる「仏壇万年筆」をいまだに推してるってどうなのよ。マジでみっともないから早くやめてくれと思う。
パイロットは、比較的頑張ってる。キャップレスとか海外でも大人気だし、これこそフラッグシップに据える価値のある技術とコンセプトだろう。キャップレス螺鈿かっこいいし。しかしカスタム、これはダメだ。モンブランのパクリのやつな。パクってるだけならまだいい。しかしこのカスタムのコンセプトは「持ち主に合った万年筆を」だろ。だからカスタム、と言う名前をつけて、豊富なペン先をラインナップしているはずだ。しかし、肝心の軸が選べない。判を押したように黒!代り映え、無し!素晴らしいペン先にクソダサデザインの黒軸。テンション下がるわ。もっと色を選ばせろ。白とかスケルトンとか選ばせろ!フォルカンやウェーバリーにもっと選択肢をよこせ。
セーラーな。ここはギリギリで何とか一応崖っぷちで足のつま先で引っ掛かっていると最大限好意的に見れば言えなくもないような気がふんわりとしてくる雰囲気がある。が、ダメだ。キャップの先にイカリマークつけて他のパクリ万年筆に差をつけてるが、本家モンブランにもキャップ先にホワイトスターがついてるからな。残念ながら、コンセプトは完全にパクリだ。むしろカスタムやセンチュリーよりもパクリ濃度は高いくらいだ。セーラーもペン先は素晴らしい。しかしデザインコンセプトの貧困さがやばい。パイロットのキャップレスのような挑戦的コンセプトの万年筆がない。クロスニブなどすさまじいものはあるが、それを支える軸がまたしてもパクリの黒だ。かろうじてバルカロールが息をしている程度だ。しかしそれも黒。そして公式サイトが00年代の作り。そして死にたいのは、「ふでDEまんねん」という小林製薬も重篤な病に侵されるほどのクソダサネーミングの万年筆。フォントもクッソダサい。中華がパクって「美工筆」という名前で各種万年筆を出しているが、正直クッソうらやましい。美工筆という字面すごい。そしてこの美工筆はいろんな万年筆に対応している。聞いてるかパイロット。
プラチナは最も罪深い。まず適当にプラチナ万年筆の公式サイトいって製品ラインナップを見てほしい。クソが映り込むはずだ。いや、さすがにそれは失礼だが、やはり映り込むのは黒軸のモンブランパクリ万年筆の山。そしてプラチナはパクリデザインの万年筆しか作ってない。「お、これいいじゃん」と思ったらクソ高いor限定品。高い山の標高をペン先に掲げるという罪と合わせて、残念ながらプラチナ万年筆が地獄の最下層いきだ。とはいえセンチュリーの書き味は素晴らしい。無双といって差し支えない。1万円でマイスターシュテュックに迫るペンを持てることは全世界の希望だろう。しかし、ダメ。パクリを積み重ねても3776mにしか到れない。4810mには達することはできない。
むしろ国産3社は他のメーカーにニブ(ペン先)を売る存在になってくれればそれでいい。早く中華企業の傘下に入ってくれ。中華万年筆はガチパクリが多いといっても、パクリ先が豊富で飽きないからな。国産みたいにモンブランしかパクリ先がないのとはワケが違う。凄みを感じる無節操さが熱い。それに、ついに独自デザインの万年筆も打ち出してきた。Moonmanとか。手のひらに収まる万年筆とか、美しいアイドロッパーを追及したり、コンセプトも素晴らしい。
743フォルカンとプロギアとセンチュリー使ってるけど最高だよなこれ。モンブランも素晴らしいけど全く使ってないほどだ。
それゆえにコンセプト丸パクリなのがマジでダサいしみっともないし許せないんで、さっさと中華企業の傘下に入るか、フラッグシップモデルの再考をお願いしたい。
アメリカで、万年筆あんま知らない人の前でセンチュリー使ってて、「それモンブラン?素敵よね!私も旦那にプレゼントしたのよ!」って言われたときのいたたまれなさったらなかったぞ。
まぁその旦那さんが「センチュリーは最高だよ」って力説してくれたから助かったけど。
「あっ、アジア特有のパチモンね…」で終わるぞ。まじやべーよ。
万年筆好きだからモンブランとの細かい違いも分かるし、クソダサ黒軸も大好きになってるけど、これそろそろやばいでしょ。
ペンである以上、似るのは仕方ないけど、似すぎな製品を「フラッグシップでござい」っていうのはもう限界だろ。
ただでさえ「昔ながらの価値観に染まるのが大人の証」なんていう価値観が通じなくなってる時代だぞ。
いつまで「わかる人はわかってくれる」なんていう中学生男子式ゴミ恋愛観に支配されてるつもりだ。それで日本は30年を失い、未来を失ってる最中だぞ。
台湾のツイスビーとかすげぇだろ。VAPEに間違われるんだぞ?それ自体が次世代の証拠だろ。うらやましくて仕方ないわ。ECOかっこいいし、プランジャー式を再定義したのはすげぇ。コンセプトで完全に日本を抜いてるわ。
プレピーいいよ!殺したりなんかしないよ!
むしろそういうユーザー層を広げる施策をとってるくせに行き着く先はパクリ黒軸、と言うクソダサコンセプトを何とかしていただきたい。
あとプラチナならプロシオンもいい。かもしれない。なんかもうよくわからんくなってきた。俺はただ、選択肢が欲しいんだ…。
「今更かよ」とか「お前知ったかぶりしてるやろ?」とか、まぁそれはいいけどさ…。
あんたらは「国産万年筆がダサい、みっともない、コンセプトの丸パクリは恥ずかしい」っていう話に真剣に向き合ってきたのかよ、という話だよな…。
「ほーい、みんな皿持ってって~」
ハリセンが人数分の皿を用意し、その中に市販の菓子を数種入れていく。
種類はその時々で違うが、基本的には甘いものと塩味のあるものが半々。
2~3時間後には自宅での夕食を控えている時間帯、ということもあり菓子の量は少ない。
「いや、慶応」
「それは元号の話やろ」
業務スーパーとかで仕入れているのか、よく分からないメーカーの菓子ばかりなのは気がかりだったが。
まあ味は悪くなかったし、ありがたいことにチョイスも普通だ。
フレーバーも変に奇をてらっていない。
まあ、とはいっても、実際そこまで安心できる時間でもなかったが。
「マスダ、ワイの皿と交換や」
「え、なぜ?」
だからこそ「最大限、可能な限り楽しみたい」と考える学童も多い。
「でも枚数的にはカン先輩の方が多いですよ。そんなに変わりませんって」
しかし、その“ほぼ”が厄介だった。
「そんなに変わらないんやったら交換してくれや」
「そんなに変わらないんだったら交換しなくていいでしょ」
食べたところで、胃袋はその差を感じ取れないにも関わらず。
「マスダぁ、ワイが上級生の権限を行使する前に、“大人しく”言うことを聞いとった方がええで~?」
「なら俺も下級生の権限を行使しますよ。そうなったら、“大人しく”するのはそっちじゃないですか?」
「いつまでやってんだ、お前ら! さっさと『いただきます』しろ!」
実際問題、違いがあったとして、食べた時の感覚は同じと言ってしまっていいだろう。
だけど菓子を目の前にした子供に、そんな理屈は大して意味がないんだ。
「今回も渡されたわけじゃないんだが……」
「ねえ、兄貴」
「ん? どうした?」
「俺の皿と交換して」
「おいおい、お前までカン先輩に触発されたのか? だから、どの皿も同じだっての」
「いや、そっちの皿の方が綺麗だもん」
「尚更どうでもいい」
不味い菓子が出てきたこともないし、全体的に美味かったと思う。
だけど、“面白味”という意味で味気なかったのは否定できない。
オヤツだろうがなんだろうが、「決まった時間に、誰かが決めたものを食べる」という状況は、俺たちに多少の閉塞感を与えたからだ。
いや、もちろん分かってる。
我ながら細かい不平不満だ。
ただ、こんな細かい文句が出てくるのは“相対的評価”だからである。
つまり、オヤツの時間よりも“楽しみな時間”があったってこと。
同性婚反対の議論を見てると、必死にできない理由だけを探している人ばかりでうんざりする。
そもそも論として、同性婚に賛成したい人は「お気持ち」で賛成してるし、反対している人は「お気持ち」で反対してる。
どっちが経済的に得とか損とか、治安が良くなるとか悪くなるとかそういうのは全部後付けのお話で、そのお互いの「お気持ち」という骨組みを肉付けする程度のものでしかない。
その「お気持ち」がここ近年になってやっと賛成側優勢になってきたわけで、あとはどこで現実的に調整するかという段階だといえる。
そこでできない理由、やらない理由、やったら悪くなることを羅列しておいて、いざ実行をしてそのどれかで都合の悪いことが起こったら「それ見たことか」と言い出す準備をしている。
この話で思い出すのはバイアグラの解禁の時の驚くほどのスピード感だ。
今はまさにピル解禁の話が活発になってきているが、その遅々として進まない様子に比べてバイアグラはまさに「ちょっぱや」でGoサインが出た。
その後怪しげなパチモンを飲んだり、勝手に大量処方して病院送りになった人もいたのにそれで「やっぱりだめだったやめよう」ということには全然なってない。
要するに権力者側が本気を出せばバイアグラくらいちょっぱやで決まるのだ。
決まらないのはやりたくないと権力者とそれに近い属性を持っている人間と、あとは自分の差別意識を改善しようと思ったこともない人ができない理由だけを探しているからだ。
コンパクト洗剤の発売から多分2,3年遅れる動きのようだけど、洗濯洗剤の原料が石油由来からパーム油、ヤシ油由来に変わっていったみたいね。同時にパーム油は食用での消費も増加した。その結果、東南アジアでパーム油の生産が急増して、環境に負荷がかかってしまっているとか。
ただでさえ環境問題になっているところにH.I.Sが貴重なパーム油を使った発電をしようとして今日のはてブで叩かれているというところに繋がるわけか。記事の掲載メディアがパチモン臭いところなせいで20ブクマしか集まってないけど。
はてブとは別記事だと、リスクの高いパーム油発電:持続可能性基準づくりを急げ | 環境財団 https://www.renewable-ei.org/activities/column/20170904.html
花王はパーム油の需要ひっ迫を回避するために、今年の新作アタックZEROの原料をパーム油の搾りカス、個体の油脂の部分に切り替えた、というところにさらにつながるんだな。多分。
「元号で時代をくくるのはナンセンス」という批判は受け止めた上で、自分なりに平成という時代を総括すると、
「昭和の社会を動かしてきたシステムが次々と破綻を来たし、あちこちで『昭和』の矛盾や問題点が噴出し、それをどうにか解決して新しいものを生み出そうと、多くの人々がもがき試行錯誤し、それなりの成果を上げたりもしたが、彼らの力が弱すぎたのか『昭和』の力が強すぎたのか、ついに『昭和』の圧倒的な力の前に敗れ去った、『昭和』の壁を越えることができなかった」
…そんな時代だったと思っている。
「令和」という言葉を初めて聞いた時「まるで『昭和』のパチモンのようだ」と感じたが、思えばあれは「我々は『平成』を鎮圧した」という『昭和』による勝利宣言だったのかも知れない。
平成最後の夜に、そんなことを考えている。
おれは逆。
大学の授業料が全額免除になるほど親の収入低くて、ぼっとん便所で、お風呂は薪で沸かすやつで、家の中には虫がたくさんいるような(ナナフシがいたときは笑った。お前わりとレアなやつだろ!どこで擬態してんねんって)とこで育った。カマドウマが超嫌いだった。ちなみに実家は未だに汲み取り式で薪で沸かすやつ。
大学で国立、就職で都内ITベンチャー、学生時代のインターンでは有名企業の社長の息子が経営するベンチャーで働いてみたりしてた
都会は衝撃ばっかだった。東大生はゴロゴロいるし、部活超強かったやつとか、高校時代からビジネスやってて年収おかしいやつとか。
いろいろなセミナーでやたら会うパチモンみたいなやつもいっぱいいた。
田舎だったら社長って聞くと雲の上の存在みたいだけど、こっちじゃ掃いて捨てるほどいるし、起業したって全然たいしたことないことは(今となっては)わかってる。
田舎には割と夢がない。仕事がないのが一番の原因で働くのは近くの工場か土方が一般的で、工場勤務なんかは親世代と子供世代がみんなそこで働いてたりする。
以前、出張で某所に行ったとき、いわゆるYOSAKOIと呼ばれる類の祭をやっていたのだが、一緒にその出張に行った同僚がデジカメ持ち出してガンガン撮影しながら、
「日本の伝統っていいよね……」
とか言いやがった。喉元まで「ハァ?」と出かけたのを何とか飲み込んで、後は生暖かい視線ではしゃぐ同僚を見ていたのだった。
高知県の方が見たら気分を害されるかもしれないが、高知のよさこい祭りですら、実は伝統的な祭ではない。もともとは阿波踊りに対抗する目的で1950年代に「作られた」祭りである。ましてやYOSAKOIって呼ばれるものなんざ……大阪人の言うところのパチモンに過ぎない。いや、別に烏合の衆がイキってチームで踊ってても俺ぁ知らんけどさ、少なくともそれは日本の伝統じゃねぇんだ。
とにかく、日本人は意外な程に伝統というのをご存知ない。昨日、たまたま家でニュースを観ていて俺は引っくり返りそうになったんだ。「ニシキゴイ「国魚」に=自民有志が議連設立」、ハァ?
最近流行りの「池の水」企画でも盛んに喧伝しているけれど、今の日本の鯉はそのほとんどが中国の血統。錦鯉も勿論その例外ではない。それどころか錦鯉にはドイツの鯉も交配されている。それって日本の伝統なんですかね?
はぁ、錦鯉の交配が始まったのは19世紀って言われているんだ。同じ中国由来でも、鎌倉時代辺りに既に日本に入っていて、江戸時代には大規模な交配、販売が定着していた金魚の方が、伝統をふまえた国魚としてふさわしいんじゃないのか?何故、金魚ではなくて錦鯉なのか?
その理由は簡単。アホみたいに高く売れているから。アジア圏だけでなく欧米にもね。だからさ、伝統を感じたりそれを保護したりするのは、その伝統の故なんだろう?商業原理上の利の為に伝統を捏造すんなよ。利用すんなよ。そして民草は、そんなものを簡単に受け入れるんじゃねぇよ。ったく。何考えてるんだか。
誰に話していいのかわからず、悶々としている間に10年も経ってしまったがようやく心の整理ができたので書き記しておこうと思います。
ネットを調べると辞め方というのがあったんですけど、住所を記入して送ることや彼らと再び関わりを持ってしまうことが怖くて提出することができませんでした。
もう一切信じてはいないし、誰も自宅に尋ねては来なくなったので籍が残ってしまっているのは癪だけど辞めたということにします。
私は創価学会員の二世でした。生まれた時から親が勝手に入会させており学会員です。(酷くありませんかw)
母は熱心な学会員でした。父は特に信じてはいませんでしたが、学会員になっていました。
下の兄弟も創価学会の二世でした。弟は生まれながらに知的障害者で途中から大学を中退してしまいました。その頃からなぜか創価学会を盲信し始め、私はなぜか今も嫌われています。
「学会」「勤行会」「勝利」「池田先生」などの文字が並んだ新聞を読まされ、家には仏壇がありなぜか母親は毎朝毎晩何かをつぶやき祈っていました。
私はこれが普通のことだと思っていました。
新年には必ず新年勤行会という行事に行き初詣には中学まで行ったこともその文化があることも知りませんでした。
私は体が弱く、学校は休みがちでした。しかし、勉強は人一倍でき、小学校の頃から特に苦もなく高得点を取り続けました。
得点の高い友達はそれだけ御本尊様に祈りを捧げたんだと信じていました。
しかし、小学校の高学年になり創価学会の信者である自分はマイノリティーだと知りました。そして宗教のことを口にすることはよくないのだと思いました。
中学になると少し勉強を自分でしないと上位に上がれなくなった。部活を始めたが、なかなか難しかった。
勉強しつつ部活をやりつつ祈りを捧げると成績は良くなるのだと信じていました。しかし、ある日気づいた。「この時間、勉強や部活をしたほうがいいな。」と
親になぜ祈りを捧げるのか聞いても意味が全然わからず、なぜ信じているのか不思議でした。
でもきっと理由があるのだと思っていました。これだけパワーを注いで時間を割いているものの意味を私は知りたかった。
任用試験という試験があるらしいことを知った。今はあまり覚えていないが、創価学会検定みたいなもんで上の位を受理されていると教えることができる資格っぽかった。
でも全くわからなかった。
なぜ時間を割いて勉強したのかもわからなかった。それくらい当時の自分にとって理解不能で単純なテストだった。
私は可愛くない子供だった。
クラスメイトが信じている朝の占いは大人たちが適当にそれっぽいことを書いているため信じなかった(今だに12星座がわからない)。
人造人間18号はなぜ後継機なのに16号に劣るのか理解不能だった。
でっち上げられた歴史の教科書のパチモンみたいなので勉強させられた。
要するに、創価学会を盲信し続ければ幸福になるということがあの手この手で書かれているらしかった(詳しく覚えていない)
私は「なぜ信じるのか」を知りたかっただけなのに誰も知らないらしいことに愕然としてしまった。
それから創価学会は親との付き合いのためだけに仕方なく行くことになった。
私を創価学会二世にした親は何の疑いもなく登録して何の疑いもなく、幸福になることを望んだのだから裏切ってはいけない。
創価二世はつらい「誰が生めと頼んだ! 誰が造ってくれと願った!」というミュウツーのセリフが心に沁みた
要約すると「○○さん大勝利!勝利の裏には1日○時間唱題をしていた!」ということがあの手この手で毎度出てくる。
ちょっと待って冷静に考えてほしい。
「その時間別のことやったらもっとすごい成果が得られるのではないか」
唱題(御本尊に向かって題目を唱えること)の時間も半端じゃない!一日10時間!
創価学会は努力をあまりできない人が努力した気になるシステムがある。
時間が長ければ努力したとカウントされる。失敗しても責任は自分にはないので楽なのだ。
そこで得られる報酬や結果の理由は「題目をたくさんあげたから」となる。
私は中学の頃テストで100点をとった。親はこう褒めるのである「よく頑張ってお題目たくさんあげたね。次も頑張ろうね」
この100点は自分の努力をした結果なので素直に褒めて欲しかった。
子供にとって親に自分の努力が褒められないことほど悲しいことはないと思う。
祈っている時間は1秒もなかった。祈りに屈する自分も悔しかった。
特にお金のことを心配しなくても一人で生きていけるようになっていた。
ある日見知らぬ人間が知り合いのような口ぶりで尋ねて来るのだ。
そこまで冷酷ではないので口ぶり合わせて軽くあしらっていた。
大学の頃アパートの1階に住んでいたんだけどなぜか窓から間取りややっていることを見られていた。
現場は見ていないけども、訪問時見られているとしか思えないような話をよくされた。
見知らぬ土地で自分が知らない人が自分の生活を見ているのだとしたら怖すぎる。
公明党をひたすら勧めて来る。
他党と比較して何がいいのか教えてくれない。なぜいいのかも説明してくれない。
とにかく勧めて来る。謎
「なぜ信じているのか説明できない信者」と「わかりやすい組織の利益」わかりやすくて大変よろしい
そんなこんなで努力して自分で目標を見つけることが大事なんだなぁとか普通によくわからないという感想が出てきて自分には必要なくなっていった。
人間努力して努力してどうにもならないときどうするのかというと、祈ります(笑)
神社に行ったり、神棚に祈ったり、そのとき信じるものに祈ります。
今私は世界中を飛び回り、いろんな国の人と話して物を作る仕事をしています。
宗教もいろんな人がいて、そういう人の境遇や想いを理解してあげるのは大切なんだと思いました。
人生何があるのかわからないので、今後私も宗教に入ることがあるのかもしれません。
でも大切なのは事実を自分で見極めて、自分で納得することだと思います。
悩み続けた信者生活でしたが、常に自分がどうあるべきかを考えさせられ勉強になりました。
これからどうするのか何も決めていません。結婚もどうしていいのやら
でも正しいことは自分で見極めてしかるべき努力を重ねていきたいと思います。
親は創価を盲信するあまり認知症の初期症状っぽいの幻覚ならぬ幻臭を感じているようです。
学食で「冷やしピリカください」と言っている学生を見るたび、すこし残念な気持ちになる
君たちが食べている冷やしピリカは3代目だ
初代冷やしピリカは20年も前にあったもので、なに味のスープか本気でわからないなにか濁った液体がかかったそれはそれはユニークな冷やし麺だったのだ
今の冷やし中華と冷麺のスープを足して割ったようなわかりやすい甘酸っぱい青春の味じゃなかった
スープの製造を委託していた会社が潰れてレシピを再現できないという甘酸っぱい理由で初代冷やしピリカの貴重な味は10年ほど前に姿を消した
なお2代目は直後に現れたものだがパチモン臭がひどくて普通の冷やし中華に席を取られてしまった(そしてピリカラ具と冷やし中華っぽいスープでできた無難な生徒が3代目だ)
大金持ちになったら当時のスープを再現して大学の学食の隣で真冷やしピリカ屋でもやろうかと思っているのだが、なかなか大金持ちにならない
今朝のはてぶで無免許・無保険の車にぶつけられて大けがしたってブログがあがってたけど、写真みた瞬間「軽自動車なんかに乗ってるからだよ」って思っちゃった。
もちろんぶつけた奴が一番悪いんだし、これで自己責任論持ち出すつもりは毛頭ないんだが、俺からしたら軽自動車って本来あるべき自動車のパチモンくらいの印象しかないので、よくあんなゴーカートに毛が生えたような車で普通に公道走れるよな、怖くないの?って毎回思っちゃう。軽で高速はしってる奴なんて俺から見たら自殺行為だよ。しかも子連れで軽で高速乗るとか俺のなかじゃ児童虐待レベル。ありえない。
普段「安全・安心」とか散々強調してるくせに、一番命に直結する自動車のチョイスでなんて軽なんて選んじゃうんだろ。軽自動車を買う予算に毎月払っているスマホの携帯代1台分のお金をそのまま足せばカローラかシビックのセダン買えるぜ?最近じゃ軽だってオプションいろいろ込みで150万くらいする車種は珍しくないのに、それにちょっと上乗せして200万円台の普通乗用車かうだけで安全性けた違いだよ。
俺は車そこそこ好きで、前まではスバルのアウトバック乗ってて今はVWのゴルフに乗ってるけど、これらの車種だったら公道で横から信号無視の軽にぶつけられたくらいじゃビクともしないよ。エアバックも8個くらいついてるし。
あと最近になって高齢失業者がやけっぱちになって無敵の人状態で無免許・無保険運転が増えてる!なんてデマ流している連中いたけど、無免許・無保険運転なんて昔からそこそこいるっちゅーの。「無免許、無保険、統計」とかで検索してみ?むしろ最近はこれでも減ってるんだぜ?適当な思い込みでフェイクニュース流すんじゃねーよ。
タイトルはちょっと煽り気味にしたけどさ、みんなマジで生活で車がいるならケチらずにちゃんとした自動車買おうぜ。お前らの好きなスマホを1台我慢するくらいでそこそこいい車買えるぜ?もし自動車事故に巻き込まれたときのリスク考えたら、毎月ローン1万ちょい増やしててもまともな自動車かうほうが断然賢いと思うぞ。
id:death6coin タイポ直した
追加2
id:hellshake 煽りタイトルなのはいただけないが、増田の言いたいこととしては、いくら自分が交通ルール守っててもアホに追突される可能性はあるので「金をかけるなら防具に金をかけろ」というRPGの村人的助言と受け取った。
ありがとう。大体あってる。煽りタイトルはアクセス集まるけど結局不毛な罵り合いに発展するからやっぱダメだね。反省するよ。
いや日本の細い道路であんなクソルール運用されて気の毒だなって思ってるよ。
id:htnmiki あのペラペラなボディにOK出てる事自体がやべーと思ってる。自動車業界はほんと優遇されてる。クルマ屋は相変わらず免許認証セルも呼気アルコールセンサーも付けないし。
id:rti7743 本来は税金を逆転させて、安全なものほど安くして、危険なものにはより課税するべきなんだろうけど。政府がより危険な方へ国民を誘導しているものだよなあ。
アルコールなら新種の発泡酒がでるたびに毎回新しい税金かけて課税してんのに、普通自動車と軽自動車の税負担格差をずっと放置し続けた国交省の罪は重いと思う。
id:izumiya1948 ヴィッツやフィットでも大型車にぶつけられたらひとたまりもないし、ベンツSクラスで自爆したダイアナ妃は助からなかった。そんなもの運次第。
そんなゼロリスク目標にされても無理。ただ自分次第でリスクをある程度はコントロールはできるよ。それに高速道路での横転事故はインパクトが強いけど、自動車事故で一番多いのは時速30キロ前後の一般公道での接触事故だよ。
「ゴーカード」全然気が付かなかった。。。恥 タイピングしたら勝手にそれが表示されるから俺毎回タイプミスしてたんだな。
追加3
そりゃ軽でもN-Boxみたいな上位車種だったら普通自動車でもデミオみたいな下位車種より安全性高いよって言われたらそりゃそうだろって感想だけど、やっぱ軽と普通自動車の平均値比べたら比較の余地はないと思うぞ。まぁ同じ予算内で軽と普通くらべたら軽のほうがスペース広くて低燃費で使い勝手はいいって結論になるのは否めないけど。
追加4