はてなキーワード: デキ婚とは
働いて金稼げば性欲は風俗で満たせる。風俗だって広いので、可愛い子が多くて衛生面しっかりしてる店もあるし、自分の性癖や性格にあった遊び方も見つかる。さすがに恋愛はきついが。
俺、学生時代はEランの苦学生で勉強とアルバイトばっかでリア充爆発しねーかなとか思ってたけど、今は割と楽しく性生活をおくれている。最初は嬢に説教されたりしてたけど、経験積めば慣れる。何より裸の付き合いなのでコミュ症でも吹っ切れる。今は本当に楽しい(懐と頭は寒いが)。
逆に当時遊んでたリア充は大したところに就職できなかったりデキ婚しちゃったりして生活に苦しんでたりするので、真面目に耐えてよかったあと思ってる。まあ誰もが真面目に努力したからといって報われるわけじゃないし、リア充で生活も充実してる猛者もいるけど。
デキ婚して、突然の結婚生活、すぐに訪れる3人の生活。両家挨拶して引越しして会社に報告して子供が産まれて保育園入るためにもう一回引越して挙式挙げてその間夜泣きに疲れたり痙攣して慌てて病院に駆け込んだり。勿論会社もあってキチガイ上司にいびられたり先が見えなくなって転職活動したり。
それが今年の1月に海外転勤になって、単身することになった。家族は6月に来る予定なんだけど、5ヶ月間の一人生活。
思いっきり楽しもうと思った。赴任先は都会で、独身時代によく行ってた美術館も沢山ある。英語のスキルアップもしたいし、探せばイベントは目白押しで、大学院にだって少し話を聞きに行ってみたい。ふやけた体をジムで鍛えたいし山にも登りたい。なのに。
なのに、今赴任してから1ヶ月半、土日は家にこもってる。10時くらいに起きて布団の中で夕方まで携帯いじってる。日本にいた頃から巡回してたサイトを見て、英語に触れることもほとんどない。変わったことといえばはてブのコメントを少し増やしたぐらい。
これまでの疲れと、新しい生活の疲れで今はまだ何か始められないだけかもしれない。子供がいない喪失感が思ったより大きかったのかもしれない。ならいいんだけど、自分の中で何かを始めようとするエネルギーが消えてしまった気がしてしょうがない。このままではずっと携帯見て頭では後悔する生活が続いてしまう。
転職活動してて、このまま生きていたら本当に何もしないまま終わってしまう気がして焦っていた。子供を育てて家族で暮らして人並みに仕事して、それも大事だけどそれだけじゃほんとにミドルエイジクライシスになる実感があった。それが今なら何か変えられる機会だと、頭では分かってるんだけど体が動かない。
ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。 口調とかもあまりきれいじゃないかも、ごめんなさい。 私は自分が絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います!
人間って生まれてからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。 たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。
親
って言われているもの。誰から生まれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。
その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。 実家がどういうところだったか、少しだけ書くと 2017年夏(当時20歳)の時点で
•自分の部屋がない
•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活
•就寝は祖母と一緒の布団
•窓を開けてはいけない
•カーテンも閉め切る
•オーブントースターの温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない
などなど。
母親も祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。
母親が19の頃にデキ婚で私が生まれて小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママの彼氏』。
「これから私たちの生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。
誰だったんだろうあいつ。
見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。 私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。
最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。 そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。
そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。 だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。
祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。 それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。 働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。
祖母は祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)
そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、 へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。 その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。
そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係に不具合が生じるのもまた事実だ。
私は本当に親がわからない。
親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。
今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、 そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。
母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。 だから自分は普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。
生まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。 いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。 幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそばで
「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。
小学生のころは学校のすぐそばに煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら 「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。
服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。
私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。 私が大きな声を聴くと自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。
中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。
幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。 しかし受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問は学校のテストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。 もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強が楽しいと思えなくなった。
結局中学の好成績を生かして公立の高校に推薦で入学した。 ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた
「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」 挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。 スカートの丈をひざまで上げただけで。 意味がわからなくて怖くてたまらなかった。
親のなかでは
ひざ丈のスカート
=男にもてたい
=恋人ができる
=セックス
=妊娠
という式があるらしい。
一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったときも説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。
大学は必ず行け、しかし国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているから学費の負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。 しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒の資格を買っている。」とご高説を垂れる。 この辺まで来るともう物事の判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教は気持ち悪くて仕方なかった。 知らないものをぼろくそにこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。
結局興味のある分野に近いコースの国立大に入学して3年が経とうとしている。 実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。 「もっと近くにあるだろうが」
帰りが終電になればまた怒られ、
「美術なんかやって何になるんだ」
といった風な小言も絶えなかった。
掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。
場所もない、理解もない、朝は母親と祖母による自分の悪口で目が覚める。 ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。
2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。 家にいると親に対する嫌悪感で頭痛や吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。
学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。
もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。
講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。
実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。 どのみち自分には帰る場所なんかないのだから居場所を作るしかないと思ってのことだった。
親には一言も伝えずに休学、
お金を貯めて部屋まで決めて、
もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。
自分の判断能力と精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。
「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからないから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。
少なくともこの半年、
「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。
時間潰すために夜の公園で電池なくなるまでスマホいじることもなかった。
自分だけがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。
窓を開けて部屋の換気ができた。
たったそれだけの事だ。
私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。
春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。 ようやく自由になれた気がした。
家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。 誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。 部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。
ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。 自分の人生はこの1度きりしかないのだから、自分が幸せになるために生きなければもったいない。
4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正。それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーションは学校の課題へのモチベーションに変えよう。
レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟が必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。
こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。
書店(あくまで一般的な大手書店)で好きな漫画の絵が表紙に描かれている「公式アンソロジー」とやらを見かけ
思わず手に取り、同人誌というものの存在を知らされてしまった世代といえば、心当たりのある方もいるかもしれない。
当初は晴海に足を運び、会場が変わってからはビッグサイトに足を運び、ナントカ会館等で開催される小規模なオンリーで
コピー本を携えてサークル参加デビューを果たし、当時は割と楽しく活動していたと記憶している。
その後、活動していたジャンルの衰退、進路云々という人生の選択等も重なり、自身が創作してイベントに参加することが
自然となくなった。友人スペースの手伝い程度。それも楽しかった。
ここまでお読み頂いて「もしやこれは中年の懐古を元にした愚痴なのではないか」と思われた方。
恐らくそうなので、何か違うと思ったら閉じて頂いて構いません。
■とあるジャンルで同人の世界に戻ってきたら面倒なことになっていた
2010年代に入り、個人的には転職をして少々生活が落ち着いた頃、とあるジャンルで創作活動をしてみたくなった。
そこで遭遇したのが下記の面倒事だった。
慣れ合い、擦り寄り慣習
情報発信の手段としてTwitterが主流になりつつあったので自分も登録して同ジャンルの人々をフォローしたのだが、
・創作者同士による「え〜〜◯◯さんの方が上手ですよぉ〜〜」的社交辞令
こういうことを言い合う人たちはだいたい心の中では自分の方が上だと思っている
・壁や誕席に配置される創作者(一部商業作家を含む)へのあからさまな擦り寄り
その時のジャンルには商業BLへの進出を狙う野心家も多かったため、奴らは必死だった
・良配置を得た創作者の「はわわわ〜〜私なんかがこんな配置を〜〜!!何かの間違いです〜〜!!!
当日は私は無視してください〜〜〜!!!」という心にもないムダ謙遜
本当に無視したら今度はすねて「どうせ私なんか…やっぱり実力もないのに…」って構ってネガするくせに
正直な話、あなたのツイートが面白くてフォローしているけれどあなたの創作物が欲しいわけではない、という相手もいる
こういうことを書くとだいたい「じゃあ付き合いをやめればいい」という意見が出るのだが、一度繋がってしまったものは
それこそジャンルごと変えるでもしない限り安易に切りにくい、という事情もある。もちろん私自身の性格起因もある。
そこはどうしても平行線議論になるので、いろいろな意見もあるよね、に留めておきたい。
どちらかが正しいということではないと思うので。
ありがたいことに何年か活動を続けているうちに、個人的な繋がりのないところから私の創作物を気に入ってくれる人が出てきたり
BLであったにも関わらず男性の読者さんがついてくれたりして、それなりのやりがいも感じられていたのだが
あるイベントの終了後、急激に「なんか疲れたな…」という気分に襲われ、フェードアウトする形でそのジャンルでの活動をやめた。
どうでもいい話だが、そのジャンルには大学在学中にデキ婚出産した当時20代前半の専業主婦創作者がおり、
何かにつけて「大学では◯◯を専攻していて〜就活も本当は△△(大手)を目指してて〜〜」などの「私はバカじゃない」主張や
そうかと思えば「あたしおかあさんだから」的ツイートで既婚子持ちマウントを取ろうとしてくるので、非常にうざかった。
彼女には嫌いな創作者がいて、何かにつけてはその相手をディスり「だから◯ちゃんで叩かれるんだよ…」などとツイートしていたが
彼女自身もまた◯ちゃんで叩かれていた。二人とも今頃どうしているだろうか。もう30代のはず。正直どうでもいい。
■別のジャンルで数年ぶりに同人の世界に戻ってきたら気味の悪いことになっていた
さて、それから数年、本当に何の創作にも関わらずにただの漫画アニメオタクをしていた私に、また新たに興味を持てるジャンルが現れた。
久しぶりに「沼に落ちた」という表現が出来るほどのジャンルに出会った私はそのジャンル専用のTwitterアカウントを作り、
同じジャンルが好きな人達と繋がり、たまに自分で描いた絵をツイートに貼り付けては一般人にふさわしい数のRTやいいねを頂いて
楽しくやっていたのだが、ここでもまた面倒なものが目に入るようになってきてしまった。
慣れ合い、擦り寄り慣習
以前いたジャンルよりもさらにひどい(※個人の感想です)ものだった。
私がそのジャンルに落ちた時、既にそのジャンルが盛り上がり始めてから一年以上が経過していた。
その間に何が起きていたかを察するに、
1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮
2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気
3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気
1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮
私もジャンルに足を踏み入れた者としてはド新参なのだが、創作者を中心にあちこちの古参に「私など新参ですから」と
謙遜して回らなければいけない雰囲気が蔓延していて、辟易するのに時間はかからなかった。
全体的なジャンルの雰囲気としては「ご新規様歓迎!あなたもこの作品を見てください!」という呼び込みも多いのだが、
創作者に目を向けるととにかく新参が頭を垂れている様を目撃する。
そのジャンルには商業作家はあまりいないのだが、「偉い」人は「先生」などと呼ばれて崇め奉られているのだ。
気味が悪い。
2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気
ジャンル内で「偉い」とされている創作者の中でも、一番の人気CPで活動している一番「偉い」とされる創作者が存在していた。
一番の人気CPなので、後からハマって創作を始める人の中にもそのCPで活動したい人が多い。
・その「偉い」人をまずフォローし、
・「以前から拝見していました!ファンです!!」という挨拶で忠誠を示し、
という、もはや偉い人の宣伝媒体となることによってそのCPでの活動領域を得るということだった。
気味が悪い。
3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気
1および2から、「偉い」彼女の創作物は「読みたいから読むもの」というよりも「礼儀として購入し、読んだら褒めちぎるもの」という
気味が悪い。
だが、「偉い」人の創作物は正直あまり好きではない。もっと言うと、その「偉い」人自身が好きではない。
知り合いなの?と聞かれれば、いいえ違いますということになる。
知り合いでもないのに嫌いなの?と聞かれれば、「あなたにもいませんか?知り合いでもないけど好きではないなと思うタレントとか」と
いうことになるが、とにかくその「偉い」人の発言の端々に自分とは合わないものを感じてしまい、受け付けないのだ。
ただ、推しCPが推しCPである以上、どうしてもTLにRTやいいね、さらには空リプまで含めて彼女を崇め奉る空気が蔓延する。
そこで私は彼女のアカウントID、ペンネーム、「先生」という単語まで含めて、彼女の影がTLに現れないように徹底的にミュートした。
それでもイベントが近づけば彼女の新刊に関連すると思しき新たな単語がTLに発現するので、それをミュートする…ということを
繰り返している。もちろんはじめからフォローもしていない。信者からすれば、私は不心得者だろう。
これもどうでもいい話だが、ここまで崇め奉られる◯◯先生とやらはどんな人なんだと思ってググってみたところ、
見事に◯ちゃんで叩かれていた。なんだ、皆が皆崇めているわけではないのだなと思うと同時に、表向きは信者に見えるあの人やあの人も
心の底ではどう思っているか分からないのかもしれないな、と思い、そっとブラウザを閉じた。
そんなこともあり、私は現在身をおいているジャンルではある意味中途半端な創作を続けている。
たまに描いた絵をツイートに貼り付けてみたり、ある程度まとまったらpixivに載せてみたり、それで満足だ。
心優しい人からはイベントに出てほしい、本を読みたいと声をかけて頂けることもあるが、上記の気味の悪い風習がなくなるか、
偉い先生とやらが去るまでは御免被りたい。
先生とやらは自己顕示欲と自己高評価と承認欲求の塊のようなお方とお見受けするので、ジャンルが盛り上がっていて
適当にキャラクターをセックスさせて崇め奉ってもらえるうちは去ることはないだろう。
昨今、同人誌の価格設定や創作活動における人間関係に疲れる等の記事が拡散されているのをよく目にする。
私はそうした疲れを感じたくはないので、今のままでいようと思っている。
行く予定の高校も通信制高校だし、全日制の高校に通うことから逃げちゃったんだよね。新しい環境で普通の学生としてやり直すのが怖くて、また逃げた。これじゃ二年前と一緒じゃん。何一つ成長してない。
あと、まだ幼稚園児の弟がいるんだけど、こいつが全然好きになれない。ていうか家族が嫌い。同じ空間にいるだけで息が詰まって逃げ出したくなる。
母は私に手当たり次第に愚痴とストレスをぶつけてくるし、父はパチンコ大好きのクズ野郎の癖にすごい上から目線。こんな親どうやって尊敬すればいいの?ってくらい嫌いだし気に食わない。しかもデキ婚だから愛情なんて一度も注いでくれなかったし、褒められた記憶もほとんど無い。こんな親だったら生まれない方が良かった。心の底からそう思う。
弟は家中走り回って騒ぐし、一日に数えられないくらい泣き喚く。子供だから仕方ないとか言われても私が気に食わないんだから邪魔なものは邪魔なんだよ。この間は「バカ」とか「死ね」とか言われたし。発達障害の気もあるし、生まれない方が幸せだったんじゃない?可哀想に。
親がこれだからもちろんその子供もまるで駄目で、私自身今まで努力とかそういう物をほとんどしてこなかった。自分の好きな物を追いかけるだけでやらなきゃいけない事から目をそらし続けて、結局不登校だよ。本当情けないな……
何かやらなきゃいけない事でも、なぜか足がすくんでしまって出来ないし、努力とか忍耐とかそういう物もまるで出来ない。ただのクズじゃん。中三でこれとか、死んだ方がマシじゃない?
この文章も眠れなくてぐだぐだ書いてるだけだし、自分を見つめ直して何かが変わる訳じゃない。増田を見ている時間も無駄な時間だって分かってる。でもやめられない。どれだけ苦しくても逃げる事がやめられなくて、また自己嫌悪に陥る。
相手に対する恋愛感情は0だったけれど、経験せずに不倫を否定するのはどうなんだ。背徳感から燃えるのか?ずるいぞ私も経験したい。みたいな。
まぁ結果は至って普通だったんですけどね。
二度と既婚者となんてリスキーで無益な行為はしないけれど、それ以来無駄な貞操観念がなくなった。思わぬ副産物に自分でも驚いた。
体の関係持つなんて神聖な行為でも何でもない。そもそもDNAにプログラムされている「本能」に神聖さを求めていたこと自体馬鹿らしい。
自己評価が低く男の言うままに股を開く女は論外だけど、食べ物を選ぶように相手を選んでヤることは責められるようなことではないんだと思った。
貞操観念って親の処女願望が生み出したものなのかな。いい年してソレに私は縛られていたと思う。
神聖なものだとベールに包んでしまうからこの行為に「愛」だとか「繋がり」を感じて10代でデキ婚なんてことが起こるんじゃないかと思った。
大人が性欲は食う寝ると同じものだと伝え、別に特別なものではないと教育した方がリスク回避にも繋がるじゃないかと思った。
真面目かよ。
◼︎追記
その増田ではないよ。
言い分も理解出来なくはないけど、少々感情論すぎると感じる。婚姻前後に関わらず他人の浮気を叩きたくなるのは人情ってもんだ。
相手がハリウッドスターならともかく、爆弾抱えた一般人と恋愛ごっこしてズルズルと何度も抱かせてやるなんてマジで馬鹿だなと思う。
まぁ、これは、未婚の20代半ばのまだまだ若い女のひとつの考えです。
夢物語かもしれません。
お互いの両親と都合をつけて、挨拶をするでしょう。
そのあとは、両家の両親とわたしたち揃っての顔合わせがありますよね??
具体例は知りませんが、わたしはここに半年くらいかかるのでは??
とおもうのです。
つまりまず、プロポーズから入籍までには半年かかるということです。
同時進行で、といっても、せめてお互いの親への挨拶だけでも済んでから結婚式について考えていきたいところです。
これはきっと考え始めてから1年後くらいが式の日になるとおもうのです。
計算してみてください。
仮にここでは、プロポーズから1年2ヶ月後に結婚式を挙げたとしましょう。
そして子供です。
だいたいの女性はそう思っているのではないだろうか、とおもいます。
(でも子連れ結婚式も楽しそうだし自分の子供のドレス姿はきっと死ぬほどかわいい)
なんなら、新婚旅行が終わったタイミングで妊娠できるのがベストなのでは、と思うのです。
最短の期間を算出したいので、今回の設定では結婚式後そのままハネムーンにも行ってしまいましょう。
結婚式とハネムーンが済んだ次の月、思惑通り妊娠したとしましょう。
「30までに子供を産みたい」
逆算しましょう。
つまり、27歳の最後の月にはプロポーズされなくてはならないのです。
「30までに末子まで産みきりたい」
どうなるでしょう。
もちろんデキ婚や、結婚式なんてしない、ハネムーンも別にいいのでは?入籍したら子供はいつでもいい!とかとか
母から離婚をすると言われたのが自分が20歳ごろのこと。たくさん泣いた。でも止める気にはならなかった。理由はわかっていたから。父からは一度も面と向かって言われなかった。
数年たって自分は就職して家を出て、その後運良く縁があり結婚した。戸籍謄本を手に入れたその時に気付いた。両親はデキ婚だった。そして自分は初子。今まで知らせないとはいい度胸だ、と思いつつもそれまでの苦労を考えるとそんな考えは一瞬で吹き飛んだ。
戸籍謄本でもう一つ知ったことがあった。離婚を告げられた時に両親は別居状態だったが、実際に離婚したのは自分が就職してからだった。こういうところが律儀な母らしいところだ。
そんな母が実家に戻って平和な生活してるかと思いきや、しょっちゅう親子喧嘩をしてるらしい。高齢の祖父が運転免許を返納しないからだとか。改めて一人暮らしをしようか考えてると相談された。大いに結構じゃないかと話した。
人生の半分以上を息苦しく生きてたのではないか。とまでは言えなかったが、折角なんでもできる時なんだから自由に周りを気にせずやりたいことをやりなよと伝えた。子が親に言うことかと思いつつも、自分の気持ちを伝えた。
よっぽど特別なことがない限り、自分より母の方が先にこの世から去る。だからこそ、やっと自由な今だからこそ、我慢せず、好きなことをしてくれ。このままじゃ自分の方がよっぽど人生楽しんじゃってるぞ。
公立小中がよく「社会の縮図」などと言われていますが、それについて私の経験をもとにその後(現在)についてまとめてみようと思います。
私は田舎と東京の公立小中出身(中学で東京に転校)の26歳男性
田舎は観光地としても有名なところで、割と厳しい教育がされていたように思えます。
東京は郊外の荒れていて有名な土地でしたので、学校も思い返すと教育困難校であったのではないかと思います。
では、田舎と東京の公立小中の同級生の現在についてまとめていきます。
半数以上が無職
多浪した医学部生やまともな大企業に就職したものもいたが、これは各クラス多くても3人程度だと考えられる。
これらを分類すると次のようになる。
まともな人は結婚、もしくは保育士やJA職員、教員などに就職している。
それ以外の5割以上が行方不明 (私が把握できていないだけかもしれない)
行方が分かっている人たちでも水商売やいじめが原因で病んでしまっていたり、デキ婚なども
※ 本当に女子の行方は分からない (都市部に出ている人が多いのだと考えられる)
これらを分類すると次のようになる。
現状が分かる範囲ではフリーターと職人(詳細不明)だけである。
これら分類すると次のようになる。
こちらも状況がはっきりしない人が男子と比較して圧倒的に多い。
公立小中出身の人たちからしたら、おそらく似たような状況なのではないかと思います。
そして公立小中在校生の人たちは、同級生が将来どのようになるのかを知りびっくりしたのではないかと思います。
公立小中出身者の将来はドラマなどで語られるような華々しいものではなく、むしろ悲惨です。
私が小学生のときには、「サラリーマンになるのはダサい」みたいなことを言う同級生が多かったが、将来的にはみんな普通のサラリーマンになるのだろうと思っていた。
また、スポーツができる人たちはスポーツ系で活躍し、勉強が得意な人たちは自分が想像もつかないような活躍をしていると思っていた。
しかし、現実は同級生の殆どがフリーターや無職、勉強がメチャクチャ得意な人たちだけが大企業で働き、普通のサラリーマンも極少数であった。
お前ら、聴こえない人たちの世界を想像したことあるんか?聲の形やオレンジディズは「健常者のなかに障害者」という構図で成り立ってるけどそんなの聴覚障害者の一部の一部よ。ほとんどの場合、聴覚障害者同士しか関わりを持てないんだな。
俺は生まれつき耳が聞こえなく、聴神経が欠損してるから補聴器をつけても人の話を聞き取ることができない。なんか低い音とか高い音とかはわかるけど、これはドー、これはラー、みたいな聞き分けはできないのよね。サとタ行の違いもイマイチよくわかってないから発音も苦手なのだ。
人によってはまぁ聞き取ることができるけど健常者と同じになれるってわけじゃない。会議はその典型な。多方面から喋られると追いつかないし、飲み会とか騒々しいところでもダメ。
特別支援学校を卒業した同級生なんだが男はライン工に就職し、女は事務職かアパレル産業のバックヤードとかで働くことがほとんど。そして聴覚障害者が集まる飲み会で出会ってデキ婚する奴らばかり。それに文章も書けない、数学もできない。助詞や接続詞もままならない。そのまま仕事を続ければ家を建てることはできるが、一度レールを外れると一気に就職難になる。
という俺は、まぁまぁ勉強ができちゃったせいか大学に行って大企業に勤務するも結局、会議や全体朝礼、雑談トークとか全くできなくて退職しちゃったけどね。一番悔しいのは上司の考えを聞くことができなかったこと。お前らは聞こえるんだから、それを精一杯活用して心から聞いてくれよ。羨ましいぜ。