はてなキーワード: コンタクトとは
1人はたまに会うので近況もまぁまぁ知ってるが、もう1人は卒業以来。TwitterやInstagramによく投稿しているので、最近の雰囲気は分かっているつもりでいた。が、待ち合わせ場所にちょっと遅刻してきた彼女を見て、2人とも驚いた。
黒地のアニマル柄のニットワンピ(しかも太ってるのにタイトなやつ…)にベレー帽。大根足に黒スト+可哀想なくらい小さなブーティ、爬虫類みたいな黒コンタクトにおてもやんみたいなチーク、という、ものすごくギトギトした格好で現れた。
あまりの変わりっぷりに最初は彼女だと気付かなかった。「ごめ~ん!」と近寄ってきたとき、あまりの衝撃に横目でもう1人の友達を見た。
その子も横目で私を見てて、一瞬、目が合った。ああ、と思った。
3人で適当な半個室居酒屋に入り、たわいもない風を装った近況報告をした。太った友達はスマホが手放せないらしく、料理が来ると撮りまくり、食べてる私達を撮りまくり、人が喋ってるのをそっちのけでビューティプラスで自分の顔をいじっていた。
彼女は大学を出てデザイン事務所で働いていると聞いていたが、結局3ヵ月で辞めて、ずっと服の販売員をしていたらしい。
なんか、のんびりした子だったのに、無理して体育会系に合わせるような、常に汗をかいてるような話し方になってて、あぁ喋り方も変わったなぁと思った。
帰り道、彼女が撮った写真がLINEに連投された。3人で撮った写真の中の彼女は加工が行き届いてて、私達と同じくらいのサイズになっていた。
だから何、て話ではあるが。
デブになると、色々大変だなと思った。
5年生のとき、当時の自分の中で精一杯のオシャレだったヘアピンを「似合ってない」「調子こいてる」「きもい」とクラスで馬鹿にされてから、『オシャレ』がトラウマになった。
今思えばくだらないことだが、あのときの私にとってはそうでなかった。小学生の私にとって学校は全世界だった。
だからさらに地味な服を着るようになった。好きだった花柄のシャツも着なくなった。気に入っていた髪飾りもつけなくなった。
オシャレをして攻撃されるのが怖かった。ブスで似合わないから、ブスが着飾っても見苦しいから、オシャレしてはいけない、資格がないと思うようになった。
中学、高校、大学ととにかく身なりに気をつかわなかった。髪は真っ黒モサモサひっつめ。所有するスカートは制服のみ。私服はジーパンにヨレヨレパーカー。化粧はおろかスキンケア皆無。眉はボサボサ。オタクメガネ。
それでも、いつか「綺麗になりたい」とは思っていた。
いつかパーマをかけて茶髪にして化粧をしてコンタクトにして、綺麗なスカートを履いてみたい。
今なら「したいならすればいい、アホか」と言ってやれるが、当時はそう思えなかった。
オシャレが怖いのに、オシャレに物凄く憧れていた。拗らせていた。
彼氏などいるはずもなく暇はあったので、アニメゲームの合間に勉強だけはした。コミュ力と容姿抜きでも就職しやすい分野を選んで必死で勉強就活して、周囲より相当遅れたがどうにか内定をもらった(就活時は「マナー」として、ムラだらけのファンデーションだけは塗っていた)。
そしてやっと転機。就職して一年後、たまたま激務だった時期があり夕食を怠ったせいで計らずとも痩せた。Mサイズの服が着られるようになった。アニメが豊作だったり残業代が多く入ったりで浮かれた私は、これくらいなら許してもらえないか、と水色で花形のボタンがついたカーディガンを買った。それまで茶・紺・黒のヘビーローテーションだったから、自分としては大冒険だった。レジに持っていくとき、比喩でなく本当に動悸がした。店中のひとが「ブスのくせにそんなの着るな」と思っているような気がした。病的だった。
そして二週間後(着る決心がなかなかつかなかった)、着て行ったら予想以上に職場で反応があった。小5のときとは違い、誰も馬鹿にしなかった。「珍しいね」「いいね」と言ってくれた。お世辞だとしても、何かが覚めるような気分だった。
ここでようやく考えた。
かかる費用はもう自分で稼げるのだし、今の環境ではバカにもされないらしい。
割と単純な気質なので、遅くなってしまったが頑張ってみようと決めた。
しかし魔法のコンパクトがあるわけでも、テレビ企画のようにスタイリストが1日で大変身させてくれるわけでもない。一気に化粧品をそろえ服を買い替えるほどの財力があるわけもない。そもそも何から手をつけていいかわからない。
だから脱オタ系のサイトやブログを読み漁り、書いてあることを少しずつ、素直に実行することにした。最低限のスキンケアにそれなりの化粧を覚えて、もう2キロ痩せて、近所のおばさん美容院でなくて街の美容院に定期的に行くようにして、眼鏡をかえて(コンタクトはドライアイで無理だった)、タンスの中に白や緑、薄ピンクなんかが増えるまで一年かかった。もちろん失敗もあったが、ドラッグストアや服屋をキョドりながら探検して自分に似合うものを探すのが、いつからか楽しくなっていた。整形したわけでないので当然美人にはなれなかったが、いわゆる「小奇麗なブス」にはなれた。喪女であることもオタクであることも変わらないが、職場では褒められた。親も喜んでくれた。素直に嬉しかった。
汚いブスから小奇麗なブスになって、私の場合は間違いなく生きやすくなった。打ち合わせの相手が優しくなった。上述のとおりもともと職場ではひとに恵まれていたが、みんなさらに優しくなった気がした。店員が話しかけてくる系服屋に入れるようになった。洒落た喫茶店で休憩できるようになった(もともと一人飯自体は苦じゃない)。バスや電車で、隣に若いお姉さんがよく座ってくるようになった。その他諸々。で、今に至る。
上記の経験を得て思ったのは、「オシャレしたいならしていい」ということ。オシャレしなくてはならない!ではない。
別に興味がなかったり、そんなものよりもっと大事と思うことに追われていたり、そういうひとに「オシャレすべきだ」などと主張するつもりは一切ない。
しかしオシャレしてみたい、でもブスな私には許されない、どうせ似合わない、世界が許さない、そんな風に拗らせている私のようなひとがもしいるならば、「ブスもオシャレしていい」と言いたい。私の場合は、「美人」ではなくて「人」になるためにしている。美人にはなれないが小綺麗なブスにはなれる。生きやすくなる。楽しくなる。
オシャレは強要されるものではないが、逆に誰かにやめろと命令されるものでもない(校則や仕事のTPOは除く)。クラスメイトでも親でもなんでも、「ブスで似合わないからオシャレをやめろ」と命令する権限はないんじゃないだろうか。
普通のひとなら「当たり前だろ」と言いそうなことに気付いた私は、とても出遅れてしまったが毎日楽しくブスオタクをやっている。
これはいいか悪いか微妙だが、ひとと会いたいという気持ちが生まれたのでオフ同人にも足を踏み入れた。オタクの友達もたくさんできた。本当に毎日楽しい。
しみじみとそんな回想をする小奇麗なブスオタクは、
※被害妄想とかがもう色々と酷いです。長いです。大昔のことを引きずりすぎてます。途中で嫌気が刺したら即ブラウザバックで!
私は女子として生まれてきて、女子の恩恵を全くと言っていいほど受けてきてない気がするし、受ける努力もしてこなかったなあと思う。
私は幼い頃から容姿はお世辞でも可愛くないし、昔は背が高かった(今は女子の平均身長)ためその分体重もあった。でもよくテレビのおデブ特集で出てくるようなデブではなかった。昔の写真とか見てても体格の良い小学生みたいな感じ。でも決して細くはない。そんな体型をしていた。
でも細くてガリッガリの子に比べたらそりゃ太っているわけで、小学校低学年の頃は男子に「デブ」「豚」っていじめのように言われ続けた。小3の時が1番酷かった。私がいるという理由で係りの仕事を他の男子から押し付けられたり、終いには席替えで隣になった男子が、隣が好きな女の子じゃない上に男子からデブと言われている私になってしまった事が嫌という理由で泣かれたことがあった。何が辛いって向こうはこの事絶対覚えてないし、どのような形であれ異性に拒絶されたことがある事実が出来てしまったことだった。
でも小学校高学年や中学校の間はそのような罵倒は減ってきた。この頃は普通に男子と喋ったり、休み時間は一緒にドッチボールやケイドロとかしてた。まあ放課後遊ぶとかはなかったけどね。
小学校高学年の頃は普通に好きな人もいたけど、私は友達に恋話とか出来なかった。細くない可愛くない自分の恋心がバレて、相手に伝わったら迷惑をかけてしまうしこんなやつに好かれてる…と相手が嫌な思いをしてしまうのではないかと思ったからだ。だから必死に隠した。もしばれそうになっても全力で否定した。嫌だ、間違っても相手にばれたくない、どうせ振られるのだから、そんな恥ずかしいことにはなりたくない、と思った。
そして昔から決まって自分が好きな人達は他に好きな子がいて、しかもその人達は軒並み可愛い人ばかりだった。
デブと罵倒されおまけにお世辞でも可愛くない私は「世の中の男子は可愛い女の子が好きなんだ、私は男子と喋ることは出来ても、男子と付き合う資格なんてないんだ」と思ってしまった。そして、ここで私は「いいや、自分は可愛くなくても人よりは勉強出来るし、特技だってあるし、女友達がいればそれで充分」と幼心ながらに開き直ってしまったのだ。
でもそれが通じるのは中学の間までだった。高校は市内で1番頭が良い学校に入った。察しの良い人はもう先の展開は読めているだろう。高校に入ると自分より可愛くて頭の良い人なんて山ほどいた。一応成績は中〜上位はキープしてたと思うけど中学の時みたいに学年で上から10番以内に入るなんてのはもう無理だった。
自分の持ち駒が減ったからこのままじゃダメだと思ってコンタクトにしたり、髪の毛のアレンジとか勉強したりした。同じ部活の友達に教えてもらったりもした。
部活の友達が前髪を上げて可愛くアレンジしていた。私もそれを真似してやってみたけど、後から同じクラスの男子に「落武者みたい」と言われているのを人づてに聞いて、私の中の何かがプツンと切れた。
その時のクラスの男子は、あるあるだと思うけど、クラス替え直後にクラスの女子をコッソリ格付けしてたりとかしてた。クラスで目立つ可愛い女の子とそうじゃない人達とで、あからさまに違う態度を取る同じ高校の男子達に苦手意識を抱いたし、喋る気にもならなかった。部活同じ同級生の男子や男の先輩後輩は普通に喋ってたけど。
今思えば、中学の頃普通に男子と喋ることが出来てたのは小学校一緒の人が多くて自分のこと知ってた人が多かったから、向こうも話しかけやすいし普通に喋れただけなんだって思った。
そして今思えばなんで落武者て言われた時に見返してやろう精神で可愛くなって痩せようとしなかったのかなあ………あまりのことにショック受けすぎてたからだと思うんだけども。あとは部活と勉強のことで精一杯だったからかな…?まあ1番は諦めてしまったからかな。この高校で恋愛なんてもう無理だと自分で限界を決めちゃったからだと思う。
大学は、小中高同じ人が一切いない大学を選んだ。昔の自分を知っている人はいないはずなのに、男子とどのように喋ったらいいのか、どう仲良くしたらいいのか全然分からなかった。
結論を言えば大学の4年間は、男子と普通に会話できるレベルにリハビリするので精一杯だった。所属したサークルの男子はいい人ばかりで良かったな〜〜で終わった。喪女万歳!(笑えない)
でもここで気づいたのは、男子と接する事を避けてた時期があったり自分の感情を抑えたりしてきたことで、異性への恋心が何処かへ行ってしまったことだった。ほんと、彼氏欲しいじゃなくて好きな人欲しいってところから始まらないといけなくなった。誰かと接していても恋愛感情を抱く事もなかった。異性と仲良くするの怖い。気持ち悪いとか思われてそう。相手も他の女子と喋った方が楽しいに決まってるという思いが邪魔をした。
先日所属していたサークルの合宿に行ってきた。順調に付き合いを続けている人達、付き合っていた先輩に一方的に別れを告げられた同期、いつの間にか後輩といい感じになっていた同期、合コンに行くけど、「学生時代に片思いをしていた人と一緒にいる時じゃないとときめきを感じない」と言った先輩……皆は人生に一度しかない学生時代に、かけがえのない思い出を作ってる。デートしたり、それ以上のことをしたり。恋愛によって生まれる繋がりもある。確かに異性と付き合って辛い思いをしたりもあるけど、そういうのを何も出来なかった私にとっては羨ましいと思ってしまう。
私も異性にときめきを感じたいよ〜〜!!「好きな人にときめく」とかいうワードを言ってみたいわ!!でもな、自分はデブスだし面白くないし、友達も少ないという劣等感とか、自分ごときが恋愛だなんて、という気持ちが根強く残ってることとか、自分の感情が漏れることによる影響を考えると、なかなか一歩を踏み出せないんだ。
でもやっぱり恋愛感情を持てない大きな理由は「自分に自信がないから」だった。
ブスを少しでも抑えるつもりで化粧してきたし、成人式後の中学の同窓会では生徒会長してた男子に変わったねって社交辞令でも褒めてもらえたけど、まだまだ美への努力が足りなかった。(気づくの遅すぎ)あと、理系の学部に入ったおかげで課題に追われてダイエットどころじゃなかった。でもこれ、全部忙しさにかまけて自分に言い訳してただけだなって思った。現在は就職活動が落ち着いたので、ジムに通っている。痩せてやる。化粧だって服だっていいの買ってやる。
リアルではじめて会うまでに、共通の趣味関連でネット上でのやりとりがあり、会ったのも共通の趣味の関係。
ネットの文章が硬い感じで、いかつい、いかめしい男性をイメージしていたから、
第一印象は「思ったより細身・細面でニコニコしているな」という驚き。
話していて、まともできちんとした社会人ってこういう人のことをいうんだろうなと感じた。
ネットでもおおむねそういう印象を受けていた。
「怖くなさそうな人でよかった。あと、小さい」。
私が自由業に近い職業で、そういった仕事に就いている人にはじめて会うこと、
待ち合わせの目印として、「金髪に近い茶髪です」と説明したため、
「金髪でごっついピアスじゃらじゃら着けた、いかついタイプの女性かもしれない」と思っていたとのこと。
お互い感じよく会話して別れたが、一度目のコンタクトを終えても、
1回見ただけだから勘違いがあるかもしれないのだけれど、最後にたっぷり尺を使って描かれた男女のすれ違いの代わりに尺が削られた結果か、ストーリーの粗が気になった点について書いてみる
1.タキが糸守町の風景を思い出して鉛筆で描いているけれど、奥寺先輩とのデートのときに、写真展で糸森町の写真をじっくりみているのだから、写真展の主催者にその写真について問い合わせれば、糸森町に容易にたどり着けたのでは?
2.なぜタキが糸守町の高校についたときに、ミツハが書き込んだスマホの日記が消えたのか。タキとミツハのつながりが消えかけているからだというのは分かるのだけれど、いきなり日記「だけ」が消えるのは、物語を描く上での都合としか思えない。
3.入れ替わりの際に、本映画の最大のギミックである3年のずれに気づかなかった理由がよくわからない。普通なら、入れ替わって真っ先に元の自分の身体とコンタクトをとるだろう、というのが1点目、それに加えて、3年ずれていれば、曜日も3,4日分ずれるはずなので、それで気づくのでは?というのが2点目(後者については、最後から2回目の入れ替わりで、休日にも関わらず、中身タキのミツハが制服を着込んだというのが曜日のずれを表していたんだと思うのだが)
そこまで点数高くなかったんだよなぁ個人的には。
マッドマックスもだけど。
批判する人は減点法で見てるから〜 みたいなのマッドマックス以降よく見る言い回しだけど、加点法でもそこまで?みたいな人は「そもそもお呼びじゃない」みたいなカウンターが用意されてて、
ちなみに加点法で見て自分が見て高かったのは
(ネタバレ)
2個はねえだろ とか そのインチキ日本何だよ とか色々減点箇所はあるけど、もう冒頭の電波解析してるシーンだけで24000点くらいテンションが上がった。鉤十字で一同がヤバってなるところで+6000点。
インターステラーも細かいとこよくみりゃ色々SF的に穴だらけだけど、重力波でバイナリを送るってとこだけで在来線の2000倍ニヤニヤしてしまった。
ま好みの違いといえばそれまでだけど、在来線の箇所で100ポイントくらい自分もあがりつつも「あ、ここでテンションが1000点くらい上る人が一定数いるな」っていうメタな思考が入り込むくらいには没入できてなかったし、
うおおおおおってならなかったんだよなぁ。映画としてとにかくワクワクさせる、テンション高く駆け抜けるってのがこの手の映画の最大の目標だと思うから、ここが達成されてなかったのでうーん という気持ちです。
これまでのパーティーと比較するなら、ふんぞり返ったおっさんと目が¥マークになった女性達の狩猟場みたいな印象を抱いていたが、双方そこまで気合は入っていなかった。
欠席者は各一名ずつ。待たされる。
コンタクトがやたら痛くて目薬さしてた。
9:限界までおしゃれした吉田沙保里。似てますね!って言ったら銀メダルにされると思って耐えた。話してみると武骨なイメージとは違って話しやすく、好印象をつけた。
10:無職。都会から結婚して来たが離婚してここに残ってるらしい。タリーズのチョコなんたらが好きらしい。三十半ばの年齢に対して幼い印象。あとやたら受け身。話しかけられるの待ち。
11:なんとかキリコの漫画に出てきそうなデザインの顔立ちと髪型。ダルそうな料理人。性転換したらチャラ男になる感じ。フリートークでやむなく話すが、初対面と話すの大変とぶっちゃけてた。
12:シンママ。子供は九歳の男の子。子供はサッカー大好きでお尻以外真っ黒に焼けてるそう。アフリカの子か。お母さん自身も黒め。会社員。
13:シンママ。子供は九歳の男の子。子供はサッカー大好き。あれ? さっきの人と同じじゃね?と思うがどうやら知り合いでもなんでもない様子。化粧と雰囲気的に明らかにお水。
14:パチ屋の事務。胸の開いた服で視線誘導。幼少時育った場所が俺の赴任先と近く、豪雪話やようやく達した文明の光ことコンビニの話をする。フリートークでも話したが会話内容忘れてて御免。
15:邦楽師範免状持ち。まあ若い方。邦楽話で割と話せた。我の強そうな顔だがまあまあの容貌なので好印象つけた。
16:みごとに覚えてない。
17:欠席者の席。俺の隣の奴も欠席だったので、相手のいない者同士16番と斜向かいで気まずい数分間を過ごした。だが16番本当に覚えてない。
1:みごとに覚えてない。
2:やたらきつい顔立ちを黒のブラウスとパールのネックレスでやわらげた茶髪ロング。許可を求められてから名前を控えられた。多分常連。スキンケアに苦労してそう。比較的好印象。
3:太めだが小動物系印象にうまく転化できてる感じの三十代。会話の印象もやわらかい。比較的好印象をつけた。
4:出席者の中で一番美人。上戸彩。の肌を黒ずませ鼻に黒子つけた感じ。まあ十分にかわいい。会話運びも上手。病院の管理栄養士。医者捕まえられるレベル。
5:院内薬局の薬剤師。というかこいつらなんで職場関連で医者捕まえずに、遠方のパーティーなんぞわざわざ来てるのか。人脈作りか何かですか。むしろお仕事の延長ですか。
6:みごとに覚えてない。山奥出身で豪雪話をしたような記憶がうすぼんやりと。
7:出席者の中で二番目に美人。ストレートのロングヘア、ピンクの上着、長身。顔立ちも整ってる。33。名刺出して大手勤めをアピった。
8:年齢欄に記入がないという恐るべき所業に出たババア。こうしたレギュレーション違反クソ女がたまにいて、運営も普通に見過ごすのがXO(伏字)のダメな部分。厳密に職種訊かれたが濁した。
好印象は47915につけたが、向こうからつけられた好印象は11のみ。まさに俺を好きなのはお前だけかよ状態。
フリートークは47を狙うがまず初めに4狙いに動いたのが裏目と出て、結局どちらとも話せず終わった。
最終投票は47923。何で15を外したのかって話だが、単に席の位置の関係上15が見えずにカウントから外れ、そのまま時間に追われて記入したためだろうと思われる。
結果発表。17対17で7組成立だからこの手のパーティーじゃかなり率高い方で驚いた。
俺か? 成立しなかったに決まってるじゃないかね。
パーティー後は痛みのぶり返してきたコンタクト外して、野良の子達に餌あげに行った。
普通に17匹くらい出てきた。
いやまったく、こいつらには1対17くらいでモテモテなんだがな。
以上。
このブクマ数は一体なんだ⁉︎ 昨日仕事帰りに電車内で勢いで書き上げて、今朝見た時に20ブクマくらいで記事に反応がついて嬉しいなとか思ってたら250超えてる。まさかホットエントリー入りしてたのか?自分でも反響の大きさにビックリだが、賛否両論の意見がこんなにたくさんあるのって面白いな。ていうか、みんな昨今の男性ファッションに結構思うところあったのな。俺だけじゃなかったと思うと妙な一体感を感じてしまう。さて、前置きが長くなったが、昨日の記事が誤読されている部分の釈明や追加で語りたいことがいくつかあるのでさらに追記してみよう。
1) お前は何が言いたかったの?
男性向けのファッションの改善方法って定期的にホットエントリー入りするけど、どれも平均から痩せ気味の人にしか効かない内容になっているのに憤りを感じていた。乱暴な話だが、日本人の成人男性の体型を太いか細いかの点だけでみて正規分布になっていると仮定したとして、こういうありがちな記事で救えるのは中央値から-1σくらいの範囲しかないのに決定版とか抜かすところがイヤミったらしいなと。使えないテクニックを上から目線で語るオナニー野郎はいなくなればいいのにと思っていた。俺のやり方なら中央値±2σは救えるから話聞いてみろと。標準体型からズレてるといろんな店を回っても徒労に終わることが多いけど、「仕立てる」と「直す」の概念を覚えるとすごく捗るぞと。ただし直す分のコストは仕方ないから諦めろよ。それでも時間対効果は絶大だと思うけどな。
2) ファッションに興味ない人はこんな事しないよ
まさにその通り。そのままでいいんじゃないかなと思う。ただ、就職でサラリーマンになったりすると清潔感を出さなきゃ損する場面が結構あったりするのな。その時に使えるテクニックを書いてる。で、清潔感出すって清潔にするよりずっと難しい。毎日風呂入ってきちんと洗濯して糊付けまでして髭剃って爪切っててもでない奴は出ないし、2,3日風呂入らずに無精髭ボサボサでも出る奴は出る。そんな不条理に少しでも対抗するための武器としてこの文章は書いている。
服を買った店でお直ししてもらえる例としてあげただけで、ユニクロでもサイズを直せば良くなるとちゃんと書いてる。
4) なんでお前そんなにムキになってるの?
大学デビューに失敗して、キョロ充タイプにすげー馬鹿にされて嫌な思いしたから。俺が大学生だった2000年代前半頃にはすでに垢抜けるためのテンプレみたいなのがネットにあふれてて、それはこんな内容だった。「美容院で髪を染めてワックスつけて整えよう。メガネはコンタクトにして服はビームスで一式買って靴はオールスターをはこう」これを忠実に守った結果、超絶似合わず「地味でイモ臭い人」から「勘違いした痛い人」に見事昇格し、辛い青春を過ごした。その後、試行錯誤してたどり着いた結論は、「標準体型でないとテンプレは似合わない」と言うことだった。だからこの手のファッションまとめを見ると虫酸が走るんだよ。
gmailで新規にメール送信するとき、To欄で半角で名前を入れると適当に候補が出てきて連絡帳をたどる必要がなくて便利だ。ところが、まれに、この候補に出てこなくて困ることがある。google+のプロフィールが邪魔をすることがあるのだ。
たとえば佐藤さん(sato@hogehoge.com)にメールを出そうとするとき、sato…と入力した段階で、この佐藤さんのアドレスが表示される。私の連絡先リストに佐藤さんのメアドが乗っているからだ。(gmailには過去に一度メールを送ったら自動的に連絡先リストに掲載されるという機能もある)
ところが、佐藤さん本人がgoogle+にプロフィールを作ってて公開していて、そのうえ本名情報として「佐藤太郎」とか日本語で入力していると、不思議な事に上記の候補に表示されなくなっていまう。To欄に「佐藤」と全角日本語で入力しないと候補に表示されないようなのだ。なんという余計な機能。ネットで調べても情報がなく、試行錯誤してもgoogle+とのリンクというか情報の上書きは強力でどうやっても解除できなかった。それがとりあえず解決できた。
その方法だけど、
その結果、職場で「言われたことも出来ない」レベルの人間のうち、明らかにアスペやADHDだろうなーという人はマークされやすくなった。
それで上司や先輩、同僚、後輩といった関係者から専門家の診断を勧められるケースも出てきたと思う。
でも、そういうケースも含め、周囲から数年来、強く働きかけられても専門機関を受診しない人が未だに多いらしい。
勿論、そうそう専門家とコンタクトを取れない地方在住の人もいる。でも都市圏に住んでいてもなお、受診しない人もいっぱいいるわけで。
これが単に周囲とのトラブルのみなら、受診しないのは分かる。視野が狭かったり思い込みが激しいのは発達障害の特徴だから。
でも、「お前のそれはタダ事じゃないぞ」くらいの事をずーっと言われていても動かないのはヤバい。
だってそれ「自分は自分自身のことを真面目に考える気はない」と言っているようにしか見えないし。
そんな態度を取っていたら周りはどんどん離れていくだろう。
職場だったらクビか、飼い殺しで退職に追い込まれるの二択かな。無能なりに定年まで逃げ切れるほど甘い仕事なんて今時殆ど無いし。
昔に比べれば、これでも医療や福祉の面は整備されてきたので、あとは本人の決断の問題なんだけどなあ。
本人が「助けてくれ」と思わない限り、それ以上は介入のしようがないわけで。
確かに、診断されることがどれほどの助けになるか定量的には書けないが、多分今だったら診断を受けないよりは絶対にマシと言える。
少なくとも職を転々とするリスクや、ワープアやホームレス、犯罪者にまで転落するリスクは相当軽減できるはず。
それでもなお、頑として診断を受けない、或いは診断を受けることを有耶無耶にしてやり過ごすとか、これって一種の医者嫌いみたいなものなのだろうか?
とにかく理解に苦しむ。
ノーマライゼーションやハンディキャップという概念は、何かで埋め合わせをする(視力が悪ければ眼鏡やコンタクト、介助者、盲導犬など)ことで、いわゆる一般人(健常者ともいう)社会で暮らしていけるでしょ、ということだと私は認識している。
現在のリソース(技術・社会制度・人力・インフラ水準など)で埋め合わせができないなら、やはり一般社会に出てくるのは違うと思うのよね。不本意なことかもしれないが。
リソースは発展していくのだろうから(自閉症の原因も解明されてきているんでしょ、水銀説とか、グルテン・ペクチン説とか)、一定水準に達するまではしかるべき範囲内で暮らしていてほしい。
思うところあって増田を書きたいと思う。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/07/19/223314
子供のころ、なぜ自分のお母さんだけがずっと布団に寝ているのかいつも不思議に思っていた。
友達のお母さんはハキハキしていて元気そうに笑っているのに、どうしてうちのお母さんは寝てばかりいるのか。
うちのお母さんは夕飯の用意もできないほど弱っていたので近所の家におかずをもらいに行くのが日常だった。
近所の人は案外優しくて良くしてくれた。
当時の母は弱り切って、いわゆる炊いたコメが食べられなくなっていた。
だから食パンを牛乳に浸して柔らかくなったものをちぎって、すするようにして食べていた。
母がいわゆる普通の御飯を食べられるようになったのはしばらく経ってからだった。
===
我が家は子供が3人で、全員が発達障害に産まれてしまった。おそらくだが父親も発達障害の可能性が高い(たぶんアスペ)
上に兄がいて、下に双子が産まれてしまった。簡単に書くと兄が自閉症、妹(双子)がアスペ&ADHDという組み合わせだ。
母に言わせると兄が大変に手のかかる子供で、尋常でなくつらかったらしい。
兄は2歳くらいのときに自閉症と診断された。母はものすごくショックだったようだ。
母が言うには、兄はまずアイコンタクトというものが通用しない。母が困った顔をしていてもまったく目に入らない。
とにかくこちらの気持ちが通じないのだ。自分の子供のはずなのに、昆虫かなにかを相手にしているような感覚になる。幼児なのに、である。
兄は極端に神経が繊細で、少しでも気にそぐわないことがあると暴れたりかんしゃくを起こしたりする。当然ながら寝ない。ちょっとでも物音がすれば起きる。
母側からはコンタクトが通用しないのに、兄は極度な甘えたがりで母と一瞬でも体が離れると泣いて暴れる。
そんなことの繰り返しだったが、下にまた子供が出来てしまった。
双子育児はただでさえしんどいのに、この双子はまた発達障害だった。
(※注 当時はまだ診断基準がなく、増田自身の発達障害がわかったのは30すぎてからです)
===
今でもくっきり記憶に残っているのだが、物心ついた時、母は家におらず入院していた。
母が言うには、とにかく子供の世話に追いまくられ、父は仕事が忙しくて育児を手伝ってくれることは皆無、
親戚や実母なども事情が重なって手伝いに来られず、気づいたら骨と皮ばかりに体が痩せていたという。
トイレへ行くのも床をずるずると這って行ったが、それすら無理になったときほとんど本能的に電話に手がいって救急車を呼んだという。
(母が言うには、本当に体がダメになったら尿はほとんど出ないらしい。)
最後に自分で測った記憶があるのが34キロ、病院で測ったところ32キロだったそうだ。(母の身長は155センチ)
母は子供を産むまではフルタイムで仕事をしていたので、すごく体が弱いというわけでもない。
ただ以前あった増田のように編集者レベルでタフかというとそうとも言いがたい。
いわゆる核家族だったが手伝いにきてくれる人が残念なくらいいなかったのだ。
当時は今のように自閉症児に対する工夫などの情報がほとんどない。ネットもない。
その後、母は極端に病弱な体になり、基本的には家で寝ていた。
兄をみる余裕がなくなった母は、まだ幼かった兄を母の実家にあずけた。
半年ほどして母が様子を見に行ったところ、祖父と祖母はげっそりと痩せていた。
とくに祖母は気疲れがひどく、10キロ以上痩せてしまっていた。
兄の相手をすることや兄の要求を聞くことがとんでもなく大変だったらしい。
困り果てた祖母は、兄を霊能者のところへ連れて行ったことがあるらしい。
すると、兄は親戚中の悪いところをすべて引き継いで産まれてきてしまったのだと言われたそうだ。
だから親戚の他の子には悪いものはいかない、なぜなら兄がすべて悪いものを引き受けてくれたからだと。
娘の存在は、母にとってはやすらぎとなり、母は兄よりも娘といることを好んだ。
兄は私が覚えているかぎりでは幾度となく親戚の家に預けられていた。言い方は悪いが兄は「たらい回し」にされていた。
長期間預けるとトラブルを起こしたり、その家の人が寝込んでしまったりするので、半年くらいで親戚のあいだをぐるぐると移動していた。
今でもよく覚えているのだが、兄が家にいないと母はとても嬉しそうにしていて、花を飾ったり凝った料理を作ったりしていた。
料理に対して「わぁ〜!」と反応すると本当に喜んでいた。
これ、これなのよ、私の望んだ家族の姿って!これなのよ!というような。その瞬間だけはまさに母の夢が開花していた。
兄がいないと父も穏やかな表情になって、母もそのことを嬉しがっていた。
私たちは、まるで兄がもともとからいない家族であるかのように食卓を囲んでいた。
兄がひどく育てづらい子供だったことで母は疲れきっていた。
だから、兄が家からいなくなると、気持ちが晴れ晴れして小康を取り戻すのだった。
下の子たちもADHDがあるため、忘れ物も怪我もひどいし学校に呼び出されたりそれはそれで面倒だったが「気持ちが通う」という点で、母のしんどさは桁違いに違ったらしい。
自分の記憶では、兄は4〜10歳くらいまで、ときどき家にいたがときどきいなくなっていた。母の実家、父の実家、親戚の家…あちこちに預けられていたと思う。
===
その後も兄関係でゴタゴタがいろいろありましたが、いま40歳目前になる兄が社会適応できることはありませんでしたとだけ書いておく。
そしてそういう子供が一定数産まれてしまうこの世の不条理というかなんというか。いや、社会のほうが未熟なのかな。私にはわからないですけれども。。
読んでいただいてありがとうございました。