はてなキーワード: アラサーとは
ここのところ、書店で本や漫画を買っても、がっかりすることが多い。
ジュンク堂とか紀伊国屋とかにふらっと行って雑誌とか本とか漫画とかザーッて買ってくるのが好きなんだけど、最近「これは!この金額の価値アリ!!!」って本にあんまり出会ってない。
なんかさ、本高くない?
昔からこんな値段だったっけ?
紙が高くなったとか印刷代が、とか分かるんだけどさ、その値段の高まりに内容ついていってなくない?
選べば面白い本がある?
たしかに、それはそうだと思う
古典を読め?
ほんとにそうかな?
私がお小遣い月1000円の子どもや学生だったら、この何処かで見たものの焼増しのような漫画を500円も出して買うかな?
あと、最近装丁凝ってて800円とか1200円とかするやつ多くない?お金かけてほしいのはそこではないんだけど……。
私が一食500円で昼を済ますサラリーマンやOLだったら、この中身のない実録本買うかな?このググればいくらでも見つかりそうな内容が詰まった教養書買うかな?
私は別に裕福な人間ではないけど、年間20万円は本や漫画や雑誌に使う。でも、元が取れたなぁって思うものが本当に少ない。
ブログで有名な人。
この人たちの本を手に取る価値が本当にある?既にふぁぼやリツイやブクマを稼いでる内容を紙に印刷してどうするの?
もちろんネット使う人たちばかりではないから、紙になったものを読みたい人たちもいるよね。私も紙の方が好きだから分かるんだけども。でも多すぎない?玉石混交すぎる。
既に著名な人の新刊。
でも、つまらない、印刷したものを買う価値もないような、走り書きの内容も多い。
ていうかこの前の対談で/ブログで/テレビのインタビューでその話あった気がする。
同じ内容を何度も何度も使い回し繰り返し……。
最近わたしが本を買って、これはこの金額の方価値があった!!って感動したのは、同人誌と海外の写真集と、とある雑誌。
「こなくそ〜!好きなものが好きなの!」とか「これがマジでカッコいいんだよ!そうなの!」って主張が溢れてて、その好きなものを作るのに対して妥協してないものだったから、喜んでお金を払いたい、払ってよかった。私の家に置いておきたい!って思った。
全部が全部そのテンションで良いわけでもない。
でも、ねぇ、ちょっと。
つまらない本が多すぎませんか?
紙の本が大好きで衰退して欲しくないからあんまり下げたくないけど、
でもだからこそ、つまらない本が多すぎてガッカリしてる人・お金をかける価値を見出せず離れちゃう人も多いんじゃないかって思うんだよ。
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思いのほか反応をもらっていて驚きました。
自分がつけたタイトルと反しますが、本おもしろいじゃん!って意見も多くて嬉しくなりました。
おすすめの本とかありがとうございます!
いろいろな話が出ていましたが、私が読んでるのは漫画・小説・実録本(エッセイとかノンフィクション)・新書・実用書・雑誌・小説雑誌とかです。教養書はもう買わん。偏ってると言えば偏っているかもしれない。
あと、ブクマでもどなたかが言及してくださってて大感謝なんですが、ちゃんと言っておきます。池袋ジュンク堂さんには大変お世話になっているし、ここのレコメンド本はめちゃくちゃアタリが多いです。大学の時から通ってて、たくさんの良作にめぐり合わせていただいています。書店員さんの力を感じる商品内容と陳列です。大好きです。長い時は4時間くらいうろつくよ。
池永康成みたいな美人画文化復興の第一人者は100年名前が残るだろうし
野口哲哉みたいなまだアラサーなのにとりあえず美術館が買い上げちゃうような作家は1000年名が残るだろうに
オタクってそういうの見向きもしないよね。気軽に買える値段なのに
1~12話まで観たけど、とても刺さった。私なりの観測範囲でよく話題に上がっていた作品なので、便乗して感想を書く。まだ観てない人向けにネタバレなしレビューも書いたので、リアルタイムで13話を観るキッカケにでもなれば。
あと私はあまりリアルタイムでアニメを見るのが得意ではない方の人のだけれど、コレはコレで楽しいな、と思った。制作者のインタビュー探しやすいし、それに対するファンの反応見れたり、各話ごとに視聴者の反応をリアルタイムで知ることも出来てより深く作品を知る機会に恵まれてる。何より楽しい。この感想もそういう色んな人達の発信した悲喜こもごものお陰で書くことが出来たので、日々感謝するばかりだ。ありがとう。
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2
2018年冬アニメ「宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その3
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
協力:文部科学省、国立極地研究所、海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)、WNI気象文化創造センターとあるように、すっごい詳しく取材した上で作られているアニメ。「JKが南極を目指す」という触れ込みは軽くSFチックなんだけど、現実に即した物語と美麗な背景美術で描かれる世界はとてもリアリティがあって、それ目当てだけでも観ていて楽しい。小ネタも満載で、「昭和基地の施設内にある厨房の戸棚に書かれている落書き」まで再現していたりする。そういう世界の中で描かれるキャラクターたちは、監督がメインキャスト4人の演技を「それぞれのキャラクターが本当に生きている」と評したように(公式ラジオ第11回より、水瀬いのり談)すごく活き活きしていて、本当に生きた人間の成長過程を見ているようである。キャラデザも緻密に作られていて、鼻の形にまでちゃんと意味が込められているんじゃないかと思わせるくらいのクオリティに仕上がっている。バカみたいに表情豊かなので、同じ話を何度観ていても飽きない。そんな彼女たちの心の機微が徹頭徹尾とても丁寧に描かれている作品なので、非常に感情移入のハードルが低い。また絶妙な音楽による演出はより作品への没入感を加速させるので、そのうち彼女たちが何気ないことでヘラヘラ笑ってるシーンでさえつられて笑ってしまうくらいシンクロ率が高くなる。もはや音楽に心を委ねているだけで自然と、面白いシーンで笑い、悲しいシーンで泣き、嬉しいシーンで泣けるようになるので、そこら辺に意識を向けながら観てほしい。ただハマりすぎると「むせび泣きながら大爆笑する」という稀有な体験をすることになるけれど。
この作品を観ていて強く感じたのは「何度も見返したい」という点。一つ一つのシナリオが高いクオリティで完結している、というのもあるのだけれど、加えて本作では「4人の成長」が大テーマになっていて、各話には彼女たちの成長を如実に感じられるよう伏線をたくさん張り巡らせてあるので、話が進めば進むほど彼女たちの行動一つ一つに宿る物語を思い出しては強く感動する…という構成になっている。なので、「このシーンでこの子がこういう行動を取ったのって…」と気づく度に過去回を見返したくなるような、非常に完成度の高いエンターテインメント作品だと思う。
(物理)という意味もある。物理的に行くのが困難な場所を目指す物語としてすごく完成された作品だし、「リアリティがあって、かつほんとに行けるか分からないくらいハードルが高くてワクワクするような目的地」というつくり手の戦略はすごくハマってると思う。
一方で心因性の「宇宙よりも遠い場所」ってあるよね、というもう一つの意味も丁寧に描かれている。例えばそれは誰かにとって「メッチャ高い目標」、あるいは「何も変えられない自分から、何かを変えられる自分への転身」、「誰かに依存し続ける自分との決別」、「まだ見ぬ友達のすぐ隣」なのだけれど、大切なのは勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだよね、ということを描く物語がこの「宇宙よりも遠い場所」というタイトルに込められていると感じた。私が1~12話全部が好きな理由は、すべての話が「最初の1歩を踏み出す物語」になっているから。ED曲「ここから、ここから」もそれを象徴している。ちなみにED曲タイトルは、作曲者が近所の散歩中に[ここから~]という道路標識を見つけたことが由来らしい(本人ツイッターより: https://twitter.com/higedriver/status/968006184413249536 )。
とにかく笑って泣ける作品なので、イッキ見をすると顔中が痛くなる。普段表情筋を使っていない私のような人は体調に気をつけて観たほうが良いかも。
上記の通り何回も見返したくなる作品なので、私なりに観る順番を決めてみた(数字は話数、その右にある()内は注目するポイント)。少しでも楽しむネタになれば。
4-1(キマリの想い)-2(報瀬、日向、観測隊の想い)-3(ゆづの想い)-
5-[1-2-3-4(キマリ一家)](めぐっちゃんの表情)-5-
7-1(キマリの想い)-3(ゆづの想い)-4(報瀬と隊長)-5(冒頭撮影シーンのつながり)-
8-1(キマリ)-4(4人)-5(4人)-7(4人)-
9-[1-2-3-4(報瀬と隊長)-5-7(報瀬と隊長)](ほんとに南極行けるの?だって南極だよ?)-9-
10-1(報瀬にとっての友達)-3(ゆづにとっての友達)-4(4人の仲)-5(4人の仲、めぐっちゃん)-6(4人の仲、報瀬と日向)-8(4人の仲)-10-
11-2(日向)-3(日向)-4(日向)-5(日向)-6(日向)-7(日向)-8(日向)-9(日向)-10(日向)-11-
12-1(報瀬)-2(報瀬)-3(報瀬)-4(報瀬)-5(報瀬)-6(報瀬)-7(報瀬、隊長)-8(報瀬)-9(報瀬、隊長)-10(報瀬)-11(報瀬)-12-
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私事になるのだけれど、ほぼおんなじことを言われた経験がある。何年か前に高校の同窓会に行ったのだけれど、その中に青年海外協力隊に参加した経験者がいた。元々興味があったのでかなり前のめりに話を聞いていたのだけれど、そんな私を見た彼が「じゃあ、行く?知り合いに話してあげるよ」と言ってくれた。けど私は行かなかった。その場であれやこれやと行けない理由を話した覚えはあるけれど、要はそういうことなんだろう。だからこうして一歩踏み出そうとして出来なかったり、そのくせ踏み出そうとしてる友達を応援してみたり、そんな自分が嫌いなったりしているキマリの姿を丁寧に描く1話は私に刺さりすぎた。
アニメを含むコンテンツに触れているとよく、「スカートで体育座り」というシチュエーションを見る。…けど、私は「そそそそのスカートで座ったらパンツ見えちゃうよ!?」ってなってしまって結構苦手である。最近のアニメ作品では絶対にパンツが見えないような工夫がされていることが多いけど、その多くは「神様視点では見えない(脚でパンツ隠すやつとか)」あるいは「重力を無視したスカート」のどちらかである。どちらの手法でも非常にもやもやしてしまうので、「どうやってスカート履いてる女の子が座る姿を自然に描くか」という表現技法にずっと興味があった。
そこで1話 14:05頃を見て欲しいのだけれど、キマリがスカートの下に手を回してる座り方がすごいかわいい。自然な仕草かつ可愛いだけでなく、キャラクター自身が見られないよう意識している事がわかり、それも含めて可愛い。とてもよく出来ているシーン。
この手法は、監督いしづかあつこが絵コンテを担当した作品「ハナヤマタ」(2014年)の1話 13:40頃でも見られることから、監督のこだわりなのだろう。些細な事だけど、私が監督を好きな理由の一つである(余談だけど、同氏が絵コンテを担当したノゲノラ1話ではワンピースを着た”白”が自室でベターっと座ってパンモロしていて、彼女のだらしなさを簡潔に表現している。座り方一つでキャラクターの性格を描くという点では一貫していてすごく好き)。
色んなアニメで登場する「放課後の学校の音」を比較するのが好きなんだけど、よりもい1話の放課後の音がとても好きなのでぜひ聴いてほしい。男子生徒の会話する声、吹奏楽の音、陸上部あたりのホイッスル等、非常に音が豊か。
15:05頃 「宇宙よりも遠い場所」を読むキマリがかわいい。
めぐっちゃんの「南極に聞いた?」を見た報瀬がムッとした表情になり、キマリの心配に対してつっけんどんに拒絶してしまうという流れから、今まで散々「南極」とからかわれたり、あるいは仲の良い人から諦めるよう説得されてきて、その度に彼女はどんどん強情になっていった報瀬の過去を思わせる。それでもすぐに和解できたことから、いかに二人が1~2話の間に信頼関係を築けたかが分かる。また、二人が言い合った場所が敢えて交差点であることも強い印象を残していて(作品を通して交差点が登場するのはこの時のみ)、非常に好きなシーン。
目まぐるしく変わるシーンの背景がいちいちハイクオリティ。その中を複数のキャラが、文字通り縦横無尽に走り回る本作で最も激しいアクションシーン。コマ送りで見ると楽しい。アニメ作品において、キャラが奥→手前のように奥行きのある移動をする際、作画が安定してるって結構すごいことだと思う。
奥→手前
右→左
奥→右と左に分かれる
奥→手前
右→左
手前→奥
奥→手前
手前→奥
右→左
奥→手前→右
右→左 …みたいな。3人が歌舞伎町に来るまでは夜道=街灯もない真っ暗な道という描写だったけれど、このシーンでは対照的に明るい歩道、きらびやかなネオン、往来する人なんかが強調されてて、キマリの心象風景が可視化されてるみたいで好き。
加えて疾走感の演出がすごく良い。キマリは最初、すっげー速い隊員と日向に比べてヘナチョコ走りなんだけど、挿入歌の盛り上がりに合わせてどんどんフォームが良くなっていく。たった一人だけ笑顔で走ってるキマリの高揚感がすごく伝わってきて、胸がいっぱいになる。
1話の100万円…報瀬の並々ならぬ覚悟を象徴する舞台装置、またそれに応えるキマリの覚悟の大きさ
2話の100万円…スポンサー料として提示した金額。ハッキリ言ってゼロが足りない。その申し出を断ったかなえからは、大人組が報瀬の「絶対に南極へ行くという想い」を超えるくらい強い意志を感じさせる。
だからこそ、追い返された帰りの電車内で報瀬がちっとも折れずに「こいつ、ポジティブちゃんだ・・・」ってなるやりとりが非常に効果的な演出になっていて好き。
これ以降も重要な舞台装置になっていて、ただの札束をここまで丁寧に描く作品ってすごいと思う。
17:40頃 「私の青春、動いてる気がする!」のキマリがかわいい。
特に2~3話は「さもありなん」と思わせるシナリオになっていて、非常に面白い。この作品にリアリティを感じた人はよりもい公式ページの「南極チャレンジ」や、観測隊の日記等を見て幸せになってほしい。
報瀬家ではリーダーを解任された報瀬が不満を漏らすのだけれど、お茶を出しているところを見て「お茶くみに格下げか」と気づいた人はどれくらいいるだろうか。また、後ろにそっとおいてある南極観測船「宗谷」にも気づいた人って最低でも30代だと思うのだけれど、そこらへんがこの作品のターゲットなのかもしれない、と思った。私もアラサーだし。
同じく報瀬家でのやりとりにおける報瀬(CV.花澤香菜)の演技が抜きん出て面白い。本当に素晴らしいキャスティング&ディレクション&演技だと思う。
「変な夢…」→夢と違い、殆ど開かない窓→スマホを見て目を細める結月→バッジのないSNSアプリ(前日送ったチャットの返信がない)→退出しましたx2→後ろ姿→\コンコン/→一瞬窓を見る→\コンコン/→「おはよー!」
この間セリフがないのに、それでも結月の心の浮き沈みが痛いほどわかる演出がすごい。本作の特徴である、丁寧な心理描写や伏線の貼り方を象徴しているシーン。
07:20頃 こんな事もあろうかと用意しておいた”二人羽織”(書・キマリ)の、”二人羽”に比べて小さい”織”
高校生が主人公のアニメや漫画では学力をテーマにした回が定番だけれど、この作品ではキマリ家での悲劇が描かれるのみ。なぜかといえば、4人のうちちゃんと学校に通っているのが2人だけだから。加えてゆづは通っている学校と学年も違うので、学力テストをテーマにしにくい。てかそもそも女子高生を描くアニメで学校に通っていない子をメインにするという発想に惚れた。でも4人のスペックについてはうまく描かれていて、
キマリ…部屋の片付けが苦手、一つでも赤点取ったら南極に行けない、コンパサー→基本はできない子
報瀬…キマリに説教する日向に同意する、慎重に測量の訓練をする→できる子?
ゆづき…学校に行けない分ファミレスで自習、数学のノート(図形の作画が非常に丁寧、字が綺麗)→できる子
南極での作業フェーズではそれぞれがいろんな作業をするので、できる子なのかできない子なのか分かるっていうのはそれなりに意味があるんだけど、それを「勉強の出来不出来を数字で表す」という無意味な評価軸に頼らない演出にしてて好き。
「ここじゃないどこかへ」というモチベーションでここまで報瀬に付いてきたキマリ。それだけでもすごいのに、そのうえ報瀬の想いや大人組の想いを知った上で「みんなで行きたい!」と言ったキマリの鋼メンタルが描かれている。報瀬たちと同等の覚悟がないとこんなこと言えないはずで、物語の縦軸を担う報瀬ではなくキマリが主人公であることを再認識した大好きなシーン。
16:35頃
私のような初体験・初交際どころか初キスすら未経験のアラサーは、見た目に気を使おうが料理の腕を磨こうが、「処女は重い」「何かしら性格に問題があるんだろう」「1人で生きていけそうな人なんだろう」って付きあって貰うことすら出来ない。あーあ。さみしい。愛されたいし愛したい。経験なしで20代半ばまでいき結婚して初夜に処女捨てられる人ってどれだけいるんだろう。どうすればよかったんだよ。
一番嫌だったのは旦那が処女と聞いて嬉しそうだった時に処女厨がよぎってゾッとした事だった
まじ見るんじゃなかった
処女厨どもは処女求めて結婚相手女のスペック落としていって婚期逃して人生こじらせろと思う
この増田も結婚したくない女とやる自分の貞操観念の無さを棚に上げて彼女の元彼でウダウダして、処女厨隠してアラサーまでズルズル引きずって大概だし、彼女と別れて不幸になればいい
例えばさ、未来を憂いている大学生が集まって、「若者の党」を作るわけよ。
先ず金が無いのね。よっぽど趣味で金稼いでたりしない限りは大学生に自由に使える金はない。
それでも細々と活動していくわけよ。まあ今ならネット使えば情報の拡散は容易だから、宣伝そのものにはそこまでお金かからないかもね。
んで、支持者が増えてきて、よしじゃあ選挙でも勝てるかもしれないからまずは地方議会議員にでも出馬しようってなる。
この時点で被選挙権的に党員は25歳以上。アラサーの仲間入りですよ!
市区議会議員が30万、都道府県議会議員なら倍の60万の供託金を支払わなければならない。
でも一人出馬するだけでこれです。これで第一党でも目指そうものなら100万単位で必要ですね。
更には演説やら何やら、流石にYoutubeで配信してるだけじゃ埒が明かないから外に出ての活動も増えるわけで、出費が増えるでしょう
ていうか機材やら何やらもそうだけど普通に人件費が大変だね。本格的に選挙活動しだしたらサポートメンバーがいるだろうし。
でも若者のための政治をしようとしている若者の政治団体に、誰が支援してくれるんでしょうね?
仮に金持ちの年寄りの支援なんて受けたら、やりたかった「若者のための政治」なんて無理にならないかい?
いやまあ供託金制度自体は、安易な売名目的の出馬を防ぐとか色々理由あるのはわかるけどね?
まあ仮にメンバーの誰かが仮想通貨で億り人になってこれらを切り抜けたとして、
ようやく「若者の党」は国政にも影響力のある存在になりましたと。
参議院選挙出てるなら30代以上確定。多分アラフォーになってるんじゃないですかね?
ちなみにナチス(の元になった党)が結党してから第一党になってヒトラー内閣出来るまで14年かな?それくらいかかってる。
まあアラフォーになったけど心は若者ですよ。たとえ自分が報われないとしても若者のための政治しましょうねー
本当に出来ると思う?俺は無理だと思う。その頃になったら多分また20代の若者とも壁があるんじゃないかな?
段々自分の老後も心配になってくるしねえ。あれ?それって老害なのでは?
その子はネットの影響か当時からかなり右翼脳をしていて、一般参賀に喜々としてでかけたり、靖国神社に参拝しに行ったりとかいうことをしてた人。
大学在学中から結婚願望丸出しで、「女として国を守るために男性を支えたい」とか昭和の良妻賢母に憧れるような発言をしていた。
結婚後私は大学とは違う土地に就職したのでしばらく連絡が途絶えていたが、数年後の同窓会で結婚したと聞いた。確か23か24歳だったと思う。
友人から聞いたら結婚相手の男性もたいがいだったらしく、一緒に皇居に行ったりとかそういうことは続けてたらしい。
ただお国を守るためにたくさん子供(特に男)を産みたいと言っていたのになかなか子宝に恵まれなかったそうで、数年してようやく初妊娠したという。
その時の愚痴がなんかちょっとアレで「旦那が家事をしない」「自分が立会出産しようと何度も言ったのに結局逃げた」「姑がうるさくてめんどくさい」とか。
昭和の良妻賢母はどうした?とか思ったけどまあ結婚して価値観が変わることはよくあるからそんなもんかとも思ってただ聴くだけ聞いてた。
そこで思ったんだけど右翼主婦の脳内って、自分は家庭に入って男と子供を守るとか言いつつ、家庭の活動に男性が参加しないと怒るし、稼ぎが悪くても怒るんだなってこと。
「女は家にいて家庭を守るのが仕事」とか口では言っているけど、姑にはいじめられたくないし、夫の言うことを100%きくのも嫌。でも自分は仕事したくない。
7つ上ナオンとイイ仲になったとして、大学に進学すると(東工大でもない限り)同級生の美女に出会う。上級生の美女に出会う。卒業まで次から次から後輩の美女が入ってくる。彼女らとどういう関係を目指すかは予め決めておくことを勧める。
条件のよいナオンを見つけて乗り換えることは悪ではない。途中で方針転換することも悪ではない。しかし、三十路女をリリースすることは悪であると心得よ。のらりくらりとやってるうちに7つ上ナオンがアラサーになってしまうことは常に留意するべし。
数多くのナオンと遊びたいのかどうかのか。7つ上ナオンと生涯を共にする覚悟ができるのかどうなのか。よくわからないなら7つ上ナオンにコナ掛けるのはよした方がよい。言っておくが、三十路女の呪力はやれるかもという浅薄な希望を遥かに凌ぐ。命のやり取りになることも珍しくはないのだ。
一方で居酒屋で管を巻くオジサンは必ず「若い内はできるだけ多くの女を知れ」と半ば悔しそうにアドバイスしてくることも知っていなければならない。もっとも、森見登美彦という高名な俗人から伝え聞いたところによれば、とっかえひっかえの超絶技巧は八面六臂の桃色遊戯の達人にのみ許された茨の道らしい。
もし7つ上ナオンとイイ仲なったなら、飛行機を使っても毎月会いに行かねばならない。だが、愛の価値は経済的なものさしでは計れない程に大きいことは保証しよう。
観光地のちょっと洒落た缶バッジとか、キーホルダーをカバンに付けてたら、
「え、駄目かな」「いや、(首を横にブンブン)駄目じゃないけど」
「じゃあいいの」「いや、買ってもいいけど、そういうのつけちゃうんだ、って」
なんだよ、駄目なのかよ
最近モテる増田(アラサー男、顔普通)だけど、自分が少し気になってるような女性からも少なからず視線を感じるような気がしてきた。病気かも知れない。
職場の同僚で仕事の絡みのある人には明確に話しかけられる頻度がましたような気がするし、廊下や社員食堂でよくすれ違うだけの別部署の人とかでさえも目が合う頻度が高まってる気がする。おっぱい…。
食堂でよくすれ違う人は、別のテーブルで部署の人とご飯を食べてるところをよく見かける。なるべく顔が見えるところに座ったりしてるけど話す機会はない。こちらはあまり見ないようにしてるつもり。ときどきあちらからの視線を感じることがある。
これまで、意外な人から好意を寄せられることが多いなと思ってたんだけど、脈なさそうでもイチかバチかで告白してくるのは脈がない(意図してない)人のほうなので目立つということなのかなーって思った。
僕はあと二週間ぐらいで22歳になるんですけど、特別自分のことを若いと思ってないんですよ。というか自分のことを若いと思ったことがあまりない。
そりゃ30代とか40代の人から見れば20代って羨ましいなーって感覚なんだろうけど、20代ってそんな羨ましがられるほど若くもないよなって思うわけです。
失敗してもやり直しがきくって意味では若いんだろうけど。そういう意味では20代の前半ってラストチャンスかもね。
チャレンジはいつでもできるけど、年取ってからだと色々しがらみが増えてしまうから。
たとえば結婚してから「俺、ちょっと旅に出てくるわ!」なんて気軽にできないじゃないですか。
ユーチューブでジョーブログを見て「俺も明日からアメリカ横断してくるぜ!」なんて思っても難しい。
子供がいたらなおさら。だから自由にチャレンジできる(しやすい)って意味では20代が最後のチャンスだよなって思うわけです。
できるかできないかに関して年齢は関係ないけど、やるかやらないかに関しては若い方が絶対にいい。
若さっていう武器はみんな一度は持つけれど、いずれは必ず使えなくなるからね。
僕は自分のことあまり若いと思ってないけど、まだまだ社会全体から見たら若いんだろうなって感じてるのも事実。
でも10代とか20代ですでに思考がオヤジ化してる人も結構いるし、そういう意味でもったいないなって思うことは結構あるんだよね。僕も人のこと言えるほどチャレンジしてるわけでもないんだけどさ。
スポーツの分野だと20代なんて中堅、ベテラン扱いも珍しくないし。無条件で若さを受け入れられるのは10代までだよね。
まあ結局何が言いたいかっていうと、人間何か新しいことすると高確率で失敗するのは避けられないんだし、どうせ失敗するなら責任の少ない若いうちの方がいいじゃんってこと。
まあ若さに甘えるのもよくないとも思うけど。特に20代前半なんてあと数年したらアラサーだから。自分のこと若いから大丈夫と思ってたらあっという間に30代なんてことになりかねない。
これ、武井壮がラジオで言ってたんだけど、プラス1もマイナス1も同じ1には変わりないんだよね。0のままが一番やばい。だからとりあえずマイナス1になってもいいから行動しとけってことだな。
元記事
http://blackmagician.heavy.jp/topbuzz/2018/03/10/20代ってさあ、別にそんなに若くないよね/
俺は典型的なフツメン。仕事も中小企業の営業だし、金持ちではないが貧乏でもない。未婚。アラサー。172cm。63kg。
趣味は映画。映画館で見ることもあるし、WOWOWとかネットのストリーミングで見ることもある。「普通」の代表みたいな感じだけど、職場の同僚で高嶺の花すぎる2人のどちらとも仲良くなれている。
「高嶺の花だからみんなアタックする前から諦めてしまい、彼女たちは意外と寂しくしている」というよくある説が正しいかどうかは分からない。
ただ、俺は特別な意識をすることなく話しかけたり社内のコミュニケーションツールで雑談したりしてたら、だんだん仲良くなれた。それ以上進みたいとは思っていないので積極的に何かをすることはないけど、ここまでは誰でも到達できるんじゃないかと思った。
家族からも疎まれてるらしく可愛そうだったので引き取ってやった
まずは自己肯定感を高める為に、何をしても褒めてあげてたらそれが嬉しいらしくテキパキと動く
男は旦那に限らず子供みたいなもんだから、可愛がってあげると犬や猫のように甘えてくる
これをご褒美とすることで、多少大変なことでもそれをちらつかせれば頑張って取り組むようになる
ポヨってたので一緒にジム通いもするようになるとあっと言う間にたくましくなった
ひょんなことからアラフォーにしてアラサーの彼女ができて、結婚も視野に入れて半年以上付き合ってきた。
遠距離なところもあって、その寂しさもあるだろうから埋められるように努力してきた。
だけど仕事やプライベートなこともあって、今年に入ってから数週間ほど会えない期間ができた。
この一言で自分が一体何を彼女のためにやってきたのか分からなくなった。
メールもラインも面倒な人間だったけど、彼女のために毎日ラインを送るように努力した。
突然相手の生活に押し入る携帯電話という文化が得意じゃないけど、電話をもっとしてと言われたから電話をするように努力した。
会えない分だけ、一緒に美味い飯も食えるように仕事に加えて電子書籍で月5万円くらいの印税をもらえるくらい頑張った。
自分だけの人生では全く関わることのなかったであろうディズニーや遊園地の類も、彼女の希望だったから奮発した。
「分からなくならないように、どうしたらいいのか2人で話し合おう」
細々としたことから始めるのではなく、まずは可能不可能を考慮せず、大きな石を切り出して、そこからディテールを掘り起こそうと提案した。
しかし彼女の口から出たのは、もっと会える頻度を増やすとか、そういう粗削り案ではなく「距離を置く」という提案だった。
その提案はディテールを掘り出すまでもない一種の拒絶で、僕はそれを呑んだ。
どうせ1~2日で連絡をしてくるだろうと思っていたからだ。
連絡が来たのは数日後、約1週間後に電話をしたいというものだった。
僕という存在は夢のような存在で、付き合ってきた期間はまるで夢を見ていたのじゃないかと感じたそうだ。
何がいけなかったのか、僕には全く分からない青天の霹靂だった。