はてなキーワード: 青年漫画とは
『累』という青年漫画がある。
大女優の娘でありながら、非常に醜い容姿の「かさね」という少女が主人公である。
かさねは、ある日《接吻した相手と、一時的に顔を取り替えられる口紅》を手に入れ――
彼女は己を「女の身体にバケモノの顔がついたよう」と表現する(実際絵的にもそういう描かれ方をする)。
髪は己の顔を隠すように長く、いつもビクビクと人目を気にしている。
道で誰かにぶつかって、会釈をする程度のことさえ「滑稽」に思えてできない。
《口紅》の力で美少女と顔を取り替えたとき、美しさを得て彼女は呟く。
劣等感のない…うたがいのない“自信”…!
それ一つ持っている事が
こんなにも快感だなんて…!
彼女にとって、世界とは、容姿によって著しく姿を変えるものである。
醜い顔のかさねが見る世界と、美しい顔の人間が見る世界は別だ、と
そしてかさねが「美しい顔で見る明るい世界」に焦がれることによって話は続いてゆく。
「俺は見た目のせいで、人間としてさえ扱ってもらえなかったんだ!」という叫びである。
おもにミソジニーの人とかが言う。
正直に言うと、この作品の主人公かさねに対しても、そういう増田たちに対しても、私は同じ気持ちを持っていた。
って感じだ。
だからといって、己の人生の不幸すべてが容姿に由来すると考えるのは不毛に思えた。
作中、かさねは非常に美しい容姿を持つ「無二の友人」を得る。
かさねも彼女が「不幸のただ中にいる」ことは薄々気がついている。
男のひとが……
私の顔を見て「美しい」とか「きれいだ」
とか言って
近づいてきたけど
皆 私をまともに
人間として扱っては
くれなかった……
あるひとは私を
“見かけだおしの欠陥品”と罵り
またあるひとは
どんなに避けても言い寄ってきて
あとをつけられたり…
襲われかけたこともある
使い方次第だわ
私なら……
○○の美しさを
もっと上手く
使いこなせる…!
私は、これを読んだときに驚いた。
前述の通り、彼女はかさねにとって無二の友人だ。
ほかの人ならともかく、友人の不幸に持つ感想それかよ!
かさねの美しさに関する執着はもはや修羅のごとしなので、まったく自然ななりゆきともいえるし
さほど重要なモノローグでもなさそうなのだが、この言葉は強く印象に残った。
それは、かさねや「容姿コンプレックスの増田」に対して私が持っている思いと、全く同じものだと気がついたからだ。
しかも彼女たちは、実際に顔を取り替えてさえ、互いの苦しみを理解できないのだ。
かさねは美しさによる苦しみなど理解できない。
「友人」である彼女も、かさねがビクビクと人目を避ける理由を理解できないし、
己がその顔になっても「他人に嘲笑われた」などの苦しみを感じない。
互いの中には己の苦しみだけがある。
人の苦しみに寄り添うのはどうしてこんなに難しいんだろう。
悪いことしてるイケメンにはみっともないシーン一切無い勝ち逃げみたいな
主人公にはサドみたいにしつこく惨めな思いさせていじめるのに悪役のイケメンには一切かっこ悪い場面与えないから
しばらく読んできてからその女性作者が好きなのは悪のイケメンのほうだったんだって気づくんだけど
男性読者が主人公に感情移入して読んできちゃってるとストレスだけ溜まる構造
まだまだあるよね咄嗟に思い出せないけど
男性憎悪とイケメン萌えを発露するメチャクチャ気持ち悪い露出狂みたいなあの行動なんなの?
男女逆なら超気持ち悪いって袋叩きなのにね
少女漫画誌に乗り込んでミソジニー漫画描く男がいたら俺だって叩くよきもちわりいから
はっきり言ってモテなさそうな・男性関係でしょっぱい思い出ある(マギの作者とか)人ほどそれやるよね
あんまりうまくいってない家族関係を扱った作品で、最後がハッピーエンドになるやつで、尚且つ「相手も表し方が不器用だっただけで本当はこっちのことを思ってました」じゃないパターンのってある?
例えば親子なら、どっちかが悪いわけじゃないが親はやっぱり子供のことがどうも好きになれないし、子供も親に対して恨みやら何やらがあるけど、それでもお互いそれなりに幸福になるっていうような感じ。
別に和解エンドじゃなくても、それぞれがハッピーに終わるならいい。
何か漫画で家族関係がメインの場合って、最後は「やっぱり愛はあった」みたいな形以外のハッピーエンドがないような気がしてさ。
■図解
↓
↓→→→→→→→→→→→→→→→→→→→↓
↓ ↓
ソーシャルリベラリズム(社会自由主義) リバタリアニズム(自由至上主義)
↓
↓(派生)
↓
王政へのカウンターとして生まれた思想なので自由や平等、個々人の権利を重んじる
という懸念から社会主義の考えを取り入れて、福祉とか経済介入をしよう的発想
ソーシャルリベラリズムで福祉を取り入れた結果財政がやばくなってきたので福祉とかちょっとやめよう
みたいな
という懸念から、もっと自由を拡大したほうがいいわ。中途半端すぎ。
という発想
とにかく全部自力でやらせろという考え方。自由至上主義と訳す。
ネオリベラリズムは財政問題から派生した思想なので基本的に経済の話しかしません。
左翼と右翼で対立軸を考えがちですけど、細かく見るとリベラリズム内の同族争いです。
つまり、「自由を尊重するか」、「社会的公正を尊重するか」というリベラリズムの最初期からある主張が衝突しちゃってるんですね。
ちなみに我々はこの「自由」か「公正」かというのをあらゆる事柄で使い分けてます。
例えば
・ゲームでは「グロ」に対しては個々人の権利を尊重する傾向にありますが「エロ」に関しては自由を尊重する傾向
・漫画では「グロ」も「エロ」も自由を尊重する傾向にあります。但し、少年漫画、青年漫画、成年漫画等の共通概念を使って暗黙の了解で社会的公正も尊重しています。
・テレビでは多数の人間が見る為に「自由」を抑えて「公正」を尊重する傾向にあります。
etc...
「自由」か?
「公正」か?
というのを我々は常に考え続けてるわけですなぁ。
今回ぼくが感想文を書くのに選んだのは、小学舘ビックコミックスぺリオールで大好評連載中の天国ニョーボ第1巻絶賛発売中です。
この作品の内容は大きく2つに分かれており、亡くなったニョーボが霊界から量子トンネルを抜けて出てダンナと主観的に邂逅を果たすパートと、闘病時の経過を描写するパートとがある。以下は後者について。
作者の須賀原洋行は近藤誠信者だったが、ニョーボに癌がみつかってしまい、どうにか治療の道を模索し始めた。
ただ近藤誠に植え付けられた標準医療に対する不信が根底にあるので、自分で集めた情報を元に治療方針を考えていく。
当然情報源は○○で癌は治るみたいな糞本だったり、ネットに投棄されている新しい治療法に関する断片的な糞記事だったりするので、そのことごとくを主治医に却下されてしまう。
最終的には標準医療に基づく治療計画を承服はしたのだが、実はまったく納得出来ていないのだった。
作者にはニョーボを亡くした今も、他にニョーボを助ける道はあったのではないか、ニョーボがもっと楽に過ごせる選択肢があったのではないかと、当時の経過に対する疑念が残っていると思いました。
それと亡くした事実を受け入れられない否認とが合わさって、直視しがたい痛々しさと歪みを作品にもたらしており、ぼく達の心を揺り動かしているんだと思いました。
あるいは、これは作者がニョーボの喪失を受け入れ昇華するための、イニシエーションなのかもしれないと思いました。
また、この作品は近藤誠さんの多大な貢献があって成り立っており、その近藤誠さんをここまで押し上げた出版社や書店は本当に社会の役に立っているんだなあと思いました。とくに小学舘は、近藤誠さんを漫画化したり、かびんのつまの夫に仕事を回しているので、すごく偉いなあと思いました。小学舘は青年漫画界の女王様だ。
ぼくにはとてもできない。
少年漫画か青年漫画中心に、面白いマンガ大人買いしたいから候補を挙げてほしい。
ぐらんぶる
ヴィンランドサガ(後半)
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【追記 & まとめ】
みなさんありがとう。全部買ったらいくらだコレ。
<kindleよりこれ使え>
eBookJapan
<この作者の全部読め>
うすね正俊
3月のライオン、BANANA FISH、BLAME!、BLUE GIANT、COPPERS、Dimension W、GIANT KILLING、Helck、HELLSING、HUNTER×HUNTER、MONSTER、SLAM DUNK、trash.、アイアムアヒーロー、アイアンナイト、アイシールド21、アカギ、アドルフに告ぐ、アバラ、イティハーサ、イムリ、インベスターZ、海皇紀、ウルトラヘブン、えの素、エマ、エリア51、エリア88、おおきく振りかぶって、かくかくしかじか、風の谷のナウシカ、ガンツ、ギャングース、きりひと讃歌、キン肉マン、クッキングパパ、ゴールデンカムイ、こち亀、ゴルゴ13、ザ・ワールド・イズ・マイン、さらい屋五葉、シグルイ、シグルイ、シドニアの騎士、シュトヘル、スピリットサークル、それでも町は廻っている、だがしかし、ダンジョン飯、ちおちゃんの通学路、ちはやふる、デスノート、テラフォーマーズ、ドラえもん、ドラゴンボール、ドリフターズ、ニンジャスレイヤー、ノラガミ、のんのんびより、バイオーグ・トリニティ、バイオメガ、ハイキュー、ハイスコアガール、バガボンド、はじめの一歩、バリバリ伝説、ハルロック、ハンターハンター、バンビーノ、パンプキンシザーズ、ピースメーカー、ヒストリエ、ヒナまつり、ピンポン、ブッダ、ブラックジャック、フリージア、ベイビーステップ、へうげもの、ベルセルク、ホーリーランド、ぼくらの、ボクラノキセキ、ポケットモンスターSPECIAL、マップス、マップス・ネクストシート、まりかセヴン、まんが極道、みなみけ、ミナミの帝王、モブサイコ100、ゆゆ式、リクドウ、レ・ミゼラブル、レッド、レベルE、ワールドトリガー、亜人、暗殺教室、宇宙兄弟、宇宙大帝ギンガサンダーの冒険、嘘喰い、横山光輝史記、王様の仕立て屋、乙嫁語り、俺物語、夏のあらし、火ノ丸相撲、火の鳥、覚悟のススメ、岳、楽屋裏、監獄学園、寄生獣、暁星記、極黒のブリュンヒルデ、銀の匙、銀英伝、軍靴のバルツァー、血塊戦線、喧嘩稼業、喧嘩商売、皇国の守護者、鋼の錬金術師、刻刻、国民クイズ、今日のあすかショー、殺し屋1、山賊ダイアリー、紫色のクオリア、七つの大罪、実は私は、宗像教授異考録、獣の奏者、祝福王、少年の国、食戟のソーマ、新世紀エヴァンゲリオン、深く美しきアジア、神戸在住、進撃の巨人、壬生義士伝、静かなるドン、石の花、蒼天航路、代紋take2、大使閣下の料理人、大日本天狗党絵詞、地獄恋、中間管理職刑事、鉄風、天、天空侵犯、度胸星、土竜の唄、東京グール、湯神くんには友達がいない、特攻の島、美味しんぼ、描かないマンガ家、風雲児たち、僕のヒーローアカデミア、墨攻、無限の住人、無邪気の楽園(?)、名無しはいったい誰でしょう、幽麗塔、惑星のさみだれ、聲の形、蟲師
小説ではない、と言う人もいる。
ラノベは何と比べて劣っているのか。
単にみんな、印象論で語っているだけなのかもしれないけれど。
ラノベというのは、漫画でいえば少年漫画のようなものではないか。
少年漫画と青年漫画はそれぞれ客層が異なり、それによって表現の仕方も違ってくる。
どちらか一方が「漫画」であり、もう一方が「漫画」でないということはあり得ない。
ラノベは、ストーリーよりもキャラクターで勝負する傾向があり、
設定は荒唐無稽で、文章は誰でも読める程度に簡易なものが多い。
一般小説とは異なるアプローチで、読者の期待に応えているのだろう。
少年漫画も青年漫画も栄えている漫画とは違い、「小説」は衰退していく一方だ。
今時は、ラノベみたいな表紙絵に、
ラノベみたいな誰にでも読める文章で書かれた「小説」もどきが増えてきた。
こんな状況でラノベなんぞを受け入れたなら、我々の愛する「小説」はどうなってしまうのか。
きっとろくなことにならないに違いない。
また、日頃「小説」どころか本さえ読まないような方々でさえ、
俺は、男は中身だといわれて、なるほど哲学や文学か?って思ったけど。テーマ性が強い漫画が売れるとは限らないよね。信者はいるかもしれないが、やはり、ここで言う中身とは「付き合っていての面白さを提供できるフォルムや提供のしかた、コマ割」ってことだろうな。
② 「※ただしイケメンに限る」=「※ただし絵が汚いと読まれない」
確かに、ブサメン好きとか、下手な絵が逆に好きとかいるだろうな。
ただ、一般論として、汚い絵はそうそうメジャー誌に乗らないわけだ。
ブサメンが見られないどころか、最近はフツメンも見てもらえないのは事実だろう、だってイケメンがネット上で氾濫してるし、テレビもがんがん整形済み化粧済みの奴を流す。
細マッチョとかいって、シントールっていう筋肉をでかく見せるシリコンを植え込んだような腹筋を見せる。
最近の漫画は画力が上がりまくってる。それと同じで最近の整形とファッション、美容院システムはヤバイ。
③ 「顔だけよくってもね~」=「画だけよくってもねえ」
④ 「イケメンは観賞用、緊張するから雰囲気イケメンくらいがいい」=「大暮は絵だけ、話は大風呂敷だから、作画だけ集中して原作つけろ」
これもよく分かるって感じやな。
⑤ 「処女や若いころのセックスはイケメンにつくして、年とったら安定収入の男と結婚したい」=「若いころはコロコロなりジャンプで、年とったらヤンジャンやゴラクやモーニング」
なるほど感性が違うし、一番漫画を消費する世代でジャンプに行ってしまって、残りかすみたいな感性で青年漫画を読むわけだ。
一番いい時期を下らないもので消費してしまうが、それが漫画の楽しさ。性の楽しさ。
残りの楽しめなくなった時間は落ち着いてゆっくり読める感じで静かに当たり前の生活感を求めだす。
⑥ 「ブサイクでもいいから医者と結婚したい」=「ジャンプでエロ漫画みたい、矢吹はエロ漫画かけ」
自分がジャンプ楽しめなくなると、エロ漫画に来いという。当然矢吹サイド(医者)もそれが分かるが、行くわけにはいかない
⑦ 「結婚はブサメンの金持ち、子供はイケメンのタクラン」=「エロ漫画でストーリー性を求めて、ジャンプでエロを求める」
ちょっと違うか?w
⑧ 「ババアに興味ない、女は若さがすべて」=「IKKIとかいうマイナー雑誌に興味ない、マガジン、ジャンプ系がすべて」
高望みだろうが、そりゃそうだろ。有名雑誌で売れたいから漫画家になるのに、ぜんぜん読まれず収入も苦しいってメリットまったく無い。漫画家やめるわな、結婚やめるわな。結婚にメリット無いって。趣味で同人だけやる(風俗等)。
そりゃ深いテーマ性を読めない読者を叩いてたらだめだわなあw消費者はアホ、ってのと同じで女もアホと思って、ブリーチだのワンピースだのナルトだのの、クソほども面白くも無い漫画が大事なわけだ。
あれはまともな知能してれば面白くは無いが、テーマ性の低さと比べて圧倒的に過分な画力、構成、キャラつくりがなされてる。クッソつまらないがレベルは高い。
イケメンとか、いわゆるモテルやつってのも、ストーリー性っつーか、伝え方がうまいんだろうな。コミュ力とは別の。
肩書きも、ジャンプはないにしろ、モーニングくらいはほしいわけだ。(年収とか職業とかか?)
テーマの深さよりも、まずはネームのよさ、伝わりやすさ、基本を抑えてる表現、引きゴマとかをきっちり守って、表現手法を学んで来いと。女が喜ぶストーリー展開は決まってるし、そこに変化つけて個性見せていけよと。ビジュアル系バンドみたいな。
なるほどな、中身ってのは、ネームのことで。この面白さを磨けってことだな。決して高尚な何かではない。
ネームを磨くには、理屈をわかってまねすることだ。何がどういう理屈で面白いのか。自分のオリジナルで書いたものを絞っていって無駄を省く作業。
なるほど、デブがモテナイわけだ。多すぎるんだよな、主張が、分からないは女には。逆に細マッチョが指輪だのネックレスだので主張してくれれば分かるんだろうな。絞って主張してくれってことだ。油おとしてこいよと。
チビがモテナイのも、そこにストーリー性が湧かないからだ。恋愛ストーリーとかそういう圧倒的に楽しませてくれそうな感じ。扉絵とでもいうのか。
ここまでを総合すると。どうすればいいんだろうな。
やせろ、自己主張は系統だててくれないと混乱するからネームキッチリ絞って最低限で教えろ。せりふで説明されるとウザイから、コマ割(やさしい分かりやすい伝え方)で説明しろ。
みたいな?
そこまでやれば、相手は信者になる。信者になった女は本当に楽に洗脳されるし、簡単に抱かれる。
なるほどなあ。
ホモ漫画・ホモアニメのせいで、もはやそれがバトル漫画である事さえどうでもよくなる。
世の中には「お前と戦うのは(ホモをヤるのは)この俺だけだ」とか「(ホモを食べる事について)僕の物だぞ」とか
正直気持ちのいい物ではない。
ホモ漫画・ホモアニメが世の中に蔓延るようになってから、普通のバトルとか女性のヒロインのいる作品がお座なりにされ出してる。
しかしながら、作者の力量は関係なく、男がホモ行為に走ってしまうのは理由があるからといった切り口でやはり展開されるからであり、
それは普通のバトルとかヒロインが出てる事すらも凌駕する圧倒的な腐女子人気が反映されて、実は無かった物にされる。
要するにホモに走る漫画やアニメでは、こうした要素は徐々にフェードアウトする運命にあるわけだ。
そして久し振りにバトルやヒロインが出て来ると、実はずっとそうなってたのにも拘らず、懐かしさすら覚えてしまうのである。
いやそれどころか、気付かない内にヒロインの整形疑惑が持ち上がる程、顔かたちが変貌を遂げてしまった(ように見えてしまう)。
バトルにしても絶対負けない戦いが主人公を中心に行われる。
ジャンプでは、以前は切磋琢磨してヒロインと約束するなどして成長してバトルを勝ち上がっていくのが王道であり、またそれ以外では未熟さが露呈したりして敗北し、
それもまた同様に王道だった。
ホモ化してしまうとこうした熱い、甘酸っぱい青春ですらどうでもよくなってしまう。
もはやその作品世界にはホモ以外何もいらず、ヒロインの存在がそのまま男ライバルに取って変えられてしまい、感情移入してきたそれは、いつの間にか自身がホモセクシャルになったかのような錯覚と吐き気と眩暈を催しかねなくなる。
それでも慣れてしまうと、読み手はホモを許容するようになるから不思議である。
しかしながら、ホモ漫画はジャンプのような少年漫画でなく、少女漫画や青年漫画でやるべきである。
もともとオスとメスでは、どの生物もメスがオスを選別する側だが、人間の場合はさらに顕著だ。
というのも
基本的に性行為が出来るということは、能動的に動き回れる一定以上健康な個体であり、つまり群れに貢献する立場の個体だ。
特に原始人類の生命線である炎の管理や、暖を取る衣服を作る技術、動物性と違い切らすと即飢えに繋がる植物性栄養源の採取など、群れのライフラインは概ねメスの管轄にあった。
そいつが一匹無駄に死ぬのは群れにとっての損失となる。社会性が強ければ強いほど、そういう損失は個体が子供を残すことより重要だ。
群れの構成員が一匹増えるか、一匹減るかという、五分五分のギャンブルなので、必然的に成功確率が高い間は挑んで良いが、成功確率が下がる年齢になると、メスはとっとと閉経して、以降生殖から解放され、単純に社会を維持する活動に専念するようになる。
更にそもそも生まれた子供は、これまた二足歩行の弊害で、他の哺乳類に比べ極めて未熟児の状態で生まれてくる。
成体まで持っていくには、多分なリソースを注ぎ込まねばならず、あまり育てるのに乗り気がしない子供は、原始社会では産まれてまもなく母の手で間引きされた。
選んで選んで、なんなら一生産まない方が群れへの貢献になるなら、一生産まない選択肢も下手に産むよりは良いことであり、それでもなお育てると選んだ子供だけを群れに加えて良い。
女性はひたすらに選ばなくてはならない性だ。
一方男はリスクがない。
時間がたてばたつほど精子は劣化し、それを示す加齢臭によって女性に避けられるため、選ばれる確率は落ちていくものの、別にそれでうっかり選ばれたとしても、特に子供が出来ないか、問題児が出来ても間引けば良いので、とりあえず生殖能力を維持し続けても群れの害にはならない。
ひょっとすると上手い具合に年を食っていても、育てるに値する子供が生まれる確率もないではないし、棚ボタ狙いも込めて、生殖能力は維持され続ける。
かくして例え一生涯相手にされないままでも、性的な存在であることから免れない。
選ばれることがノーリスクな分、選ばれるに越したことはなく、逆に一生選ばれないというのは、自身が無価値な存在であるということをダイレクトに突きつけられる。
なんで自分はこんなに求めているのに、向こうは誰もが片っ端から自分を断り続けて、自分抜きの方が幸せに生きられるというのか。選ぶ側になれるものならなりたい。選ばれたがる必死な相手から、自分は断れる立場になりたい。
しかし基本的にリスクがある側が、リスクと天秤にかけて選ぶ形になるのは当然だ。リスクのせいでそもそも、相手を求める度合いが釣り合っていないのだ。
一方そんな女達も、ノーリスクで選ばれる側に立てる男を羨む。
自分ではなく相手が「選んだことによるリスクの全て」を背負う。相手はそれだけのリスクを背負う覚悟を持った上で選んでくれる。そんな立場。
選ぶものと選ばれるものでは、結果は常に選ぶ者の責任になるが、その全てを負わなくて良い。選ばれずともデメリットはない状態で、あれやこれやつまみ食いする自由がある。
出来るものなら何の責任もなく、そういう立場になりたい。そう羨む。
しばらくして時代が下り、人口密度が高まると、部族闘争が増え、男の地位が高まり、やがて男達がライフラインを握って、全てを支配する文明の時代がやってくる。
初期は誘拐婚などで、オスが好きなメスを強制的に選ぶ方式ができる。
ただこれ、選ばれたがる相手の中から、優越を持って自分が選ぶ立場になれるようなものではない。
どっちかっつーと、選ばれるせいで女性は不幸になる。つまり女性としては選ばれないに越したことはない。女が男に選ばれたがってくれない。結局形的には選べても、根っこは元のままである。
あるいは交換婚が発生する。女を村の財産として別の村と交換する方式だ。
村と村の関係の円滑化にはなるが、やっぱり女性は嫌がるので、実質誘拐婚と同じである。
やがて社会構造が複雑化し、階級が生まれたあたりで、なかなか上手い制度が生まれる。
上位婚・下位婚。身分の高い男性が、低い女性を選んで結婚する。
社会の中で一番高い身分は大体男性が占めるので、最下層の男性を除けば、誰もがそれなりに結婚機会に恵まれる。
めでたしめでたし……か?
しかしオスにとっては、メスとくっつければそれだけでプラス事象だが、メスにとっては自分が選んだ相手以外とくっつくのは、一生独身であることよりも悪いマイナスでしかないことは、どうあがいても変わらないのだ。いくら文明が発達しても。
女は嫌な相手と結ばれるマイナスを帳消しにするだけの、生活環境の向上が約束されてようやく選ばれたがるようになる。
いずれの場合も、金や地位が女を選ぶ権利を持っているのであり、男は金や地位を持つことは出来ても、女を選ぶ権利を手にすることはないのだ。
相手が地位があれば、それを失うリスクが発生する、と一瞬は考えられる。
男がリスクを推してでも女を選ぶ、そんな幻想が成立するように。
しかし実際のところリスクなんて形式的なレベルくらいしかなく、大した障害もなく男は女を選べてしまう。大した覚悟もいらないままだ。
結局このシステムは、擬似的に男を選ぶ者に、女を選ばれる者にしようとはしてくれるけれど、本質的にお互い選ぶ立場にも選ばれる立場にもなれないものだ。
全員が全員、生物的なくびきと無関係に生きられるほど、余裕に溢れているわけではない。
そして中には、膨らんだ幻想を現実とごちゃまぜにしていく人たちもいる。
今でもはてなには、女同士では絶対に仲良くなれないのがデフォだとか、婚期逃して後悔する女とか、あり得ない女の幻想物語を書き散らす人がいる。
今でもブログ界隈には「仕事と私どっちが大事?」的な質問で自分を選んで職場での不幸に耐えたり、複数の女性をリスクなしに渡り歩いた結果職を失う、ありえない男の幻想物語を書き散らす人がいる。
「お前らも男に選ばれないことで不幸になれよぉぉぉぉ」という男の怨嗟と「お前らも女を選ぶことで不幸になれよぉぉぉぉ」という女の怨嗟が漂っている。
どちらも現実には叶わない夢であるがゆえ、怨嗟の声は終わらない。
女にとって独身より下手な男に目をつけられることのほうが不幸だ。女性は嫌いな男をどれだけ断り続けても、無事閉経すればむしろ男に目をつけらずに済む平和な状態になり、後は女同士で楽しく年を取っていくものだし、男性は女をどれだけほいほい軽率に選んでも、まったくリスクを背負わず、何度失敗を繰り返そうが男性社会での信用を失わず、そのまま平和に生き続けるものだ。
考察が合ってるかどうかはしらんが。
いやでも本当に、ハーレムものはいかにして、主人公に選ばれない女の子を不幸にするかに血道をあげて、逆ハーものはいかにして、主人公を選ぶ男の子を不幸にするかに血道をあげてるからなぁ。
基本ハッピーエンドものだから、両者とも不幸になる可能性を匂わせた上で、概ね結ばれた上で不幸を回避するけども。
ハーレムものだと大体、女の子は何かしか問題抱えていて、主人公と仲良くなりつつも、問題が肥大化して行き、何とかしなければならないと思った主人公の行動が、彼女を救ってめでたしめでたし。
逆ハーだと地位が高かったりするキャラは、大体それを失うリスクを犯してでも主人公を選ぶ展開、ってのをやるためにその地位持ってる。地位を失っても二人で新しい人生歩んで、それはそれで幸せ、的な結末がデフォ。
それぞれドス黒い感情を、上手く綺麗な世界に昇華しているというか。
あ、あと青年漫画・少女漫画の、異性の三下悪役とかも特徴的だよなぁ。
青年漫画でヒロイン苛める意地悪な女の子が、主人公とかに声かけた挙句振られて「女として屈辱」みたいな。
ねーよ。声かけた男に選ばれないのは、大した屈辱でもないよ。はんっ、空気よめねー奴、って思う程度だ。
どっちかっつーと声かけてもいねーキモイのに、声かけたと勘違いされて付きまとわれるほうが、よっぽど屈辱的で不幸だ。
逆に少女マンガで、ワルな男の子が所属するワルな組織で、そいつが主人公選んだせいで、「掟破りだ!!」って、男の子ボコボコにしにくる悪人仲間の男。
ねーよ。ボスの女ちょろまかしたとかでもない限り、こいつが食い扶持に困ったら女のところに転がり込ませときゃいいな、いざとなったらソープに沈めて金づるに出来るし上手くやっとけよ、ってくらいだ。
が、久々にとある漫画を読み返したら、そんなもんふっとばす位丁寧に男が女落ちる描写がされた漫画があった。
忘れ去られた感もあるし、別段当時は傑作とも思わなかったわけだが。
まず大抵の青少年漫画において男の惚れるきっかけ描写は"優しくされて好きになった!"とか"一目ぼれ!"と簡潔過ぎて
所謂「少女漫画において女が男に段々心惹かれてく過程」に該当する描写が圧倒的に足りない。
だがこの漫画は、その点において圧倒的にすら感じた。
ミスチルの「LOVE」の歌詞にあるような、好きじゃないけどなんか気になるという変化から(8巻)
ふとした瞬間にこいつに嫌われるのはなぁと思う自分に気がついて(12巻)
何オレそんなことを気にしてるんだ?それってこいつに惹かれてるってわけ?と自問自答し(12・15巻)
そうやってかなり相手を異性として意識しつつ
相手の行動原理に「こいつ、オレのことが・・・」があるんじゃないかと思ってみちゃったり(15・16巻)
でもやっぱり「好き」まで振り切ってしまうのは怖くて自分の感情に気付かない振りをする―
そんな男の女々しさすら感じる恥ずかしい葛藤感情を惜しげもなく開けかし、
更には「意識する」→キス→「好きと自覚し」「女に落ちる瞬間(所謂恋愛スイッチ入った瞬間)」を2冊掛けて描写するという丁寧さは
酷いことに、恋愛スイッチが入ったが故に男のキャラクターが変化していく描写も
元の男のキャラクターからすれば妙にありそうなパターンで展開していくものだから侮れない。
勿論ヒロインもとい主人公の女も男と関わって行くことでどんどん変化していくが、違和感なく徐々に恋する女へ移行していくもんだから
クライマックスでようやくお互いの双方への気持ちが同じ強さになった時はシュタゲのオカリン見てるような「やったね!」感すらあった。
もっと語る。
ヒロイン描写に関しても語りたいがあえて略。
この漫画なんなのさ?の答えだが、たぶんおおよその漫画好きなら名前を聞けば「あーあったけど、そんなに持ち上げる程か?」で終わる漫画。
パンチラとおっぱいにモザイクち○こ満載なコギャル達のお色気バトル物語としてなら普通の話だが
巨チン男の恋愛漫画として読むと個人的には一行目の漫画よりよっぽど男版"少女漫画"している怪作だといいたい。
一途キャラ、同居物、忌み嫌われる男要素「他の女に目移り・・・」はなく