『累』という青年漫画がある。
大女優の娘でありながら、非常に醜い容姿の「かさね」という少女が主人公である。
かさねは、ある日《接吻した相手と、一時的に顔を取り替えられる口紅》を手に入れ――
彼女は己を「女の身体にバケモノの顔がついたよう」と表現する(実際絵的にもそういう描かれ方をする)。
髪は己の顔を隠すように長く、いつもビクビクと人目を気にしている。
道で誰かにぶつかって、会釈をする程度のことさえ「滑稽」に思えてできない。
《口紅》の力で美少女と顔を取り替えたとき、美しさを得て彼女は呟く。
劣等感のない…うたがいのない“自信”…!
それ一つ持っている事が
こんなにも快感だなんて…!
彼女にとって、世界とは、容姿によって著しく姿を変えるものである。
醜い顔のかさねが見る世界と、美しい顔の人間が見る世界は別だ、と
そしてかさねが「美しい顔で見る明るい世界」に焦がれることによって話は続いてゆく。
「俺は見た目のせいで、人間としてさえ扱ってもらえなかったんだ!」という叫びである。
おもにミソジニーの人とかが言う。
正直に言うと、この作品の主人公かさねに対しても、そういう増田たちに対しても、私は同じ気持ちを持っていた。
って感じだ。
だからといって、己の人生の不幸すべてが容姿に由来すると考えるのは不毛に思えた。
作中、かさねは非常に美しい容姿を持つ「無二の友人」を得る。
かさねも彼女が「不幸のただ中にいる」ことは薄々気がついている。
男のひとが……
私の顔を見て「美しい」とか「きれいだ」
とか言って
近づいてきたけど
皆 私をまともに
人間として扱っては
くれなかった……
あるひとは私を
“見かけだおしの欠陥品”と罵り
またあるひとは
どんなに避けても言い寄ってきて
あとをつけられたり…
襲われかけたこともある
使い方次第だわ
私なら……
○○の美しさを
もっと上手く
使いこなせる…!
私は、これを読んだときに驚いた。
前述の通り、彼女はかさねにとって無二の友人だ。
ほかの人ならともかく、友人の不幸に持つ感想それかよ!
かさねの美しさに関する執着はもはや修羅のごとしなので、まったく自然ななりゆきともいえるし
さほど重要なモノローグでもなさそうなのだが、この言葉は強く印象に残った。
それは、かさねや「容姿コンプレックスの増田」に対して私が持っている思いと、全く同じものだと気がついたからだ。
しかも彼女たちは、実際に顔を取り替えてさえ、互いの苦しみを理解できないのだ。
かさねは美しさによる苦しみなど理解できない。
「友人」である彼女も、かさねがビクビクと人目を避ける理由を理解できないし、
己がその顔になっても「他人に嘲笑われた」などの苦しみを感じない。
互いの中には己の苦しみだけがある。
人の苦しみに寄り添うのはどうしてこんなに難しいんだろう。
むしろ累の本性は友人なんかどうでもよく、他人も犠牲できるところにあるし、赤毛のアンよろしくある意味感情的な演技が上手なだけで。 傲慢というより最初から思いやりが無いです...
そういう話を現実にやってる仕事がスタイリストって仕事なんだ
累の話題だ、自分も読んでる。おもしろいよね。 自分が理解できない他人の苦しみってあるよね。 友人の愚痴に付き合ってても、うんうんと聞きながら内心そんなもんかなあ、なんて思...