はてなキーワード: 青年漫画とは
そんな簡単なもんじゃないよ、レイプから立ち直る漫画の例を出してみるけど
中学2年生のプロレスラーを夢見る女の子が、母親にふられた男にレイプされ、それがきっかけで舞妓になる。
レイプが切っ掛けで入った祇園の世界は肯定的に書かれている、そこで16歳の主人公が祖父ほど年の離れた客とセックスする描写あり、締め付けながら腰をうねらせて喜ばせるなど直接的な描写、お金のやり取りはないが恋愛関係にない客と舞妓のセックスで売春とも受け取れる。
その後舞妓からプロレスの世界に、特訓で男プロレス団体に放りこまれ、訪問して即集団レイプをされそうになる、主人公は戦ってレイプされずに済むが、このレイプ未遂をした男達は女に飢えてるけど気のいい男達として肯定的に書かれている。
全体的なノリは青春熱血スポ根漫画で、エロ描写は全くエロくない。人情漫画としても秀逸な青年漫画。
でも規制には引っかかる可能性が高い、18禁でエロ漫画コーナーで売るような漫画ではないのに。
漫画家が規制で実際社会に起こっている事を描けなくなるって嘆いてたけど、売春や近親相姦やレイプや高校生の性などのテーマを扱えなくなるのはきつい。
エロだけが目的ではない青年誌まで18禁にして、駅のホームなどで売れないとなったら売り上げに大打撃、それを避けたいなら実質全年齢漫画ではこれらのテーマは取り扱えなくなってしまう。
近親のセックスなんて古典名作でも扱われてる題材を漫画で扱ったら何で18禁エロ漫画にされてしまうのか。
「帰って家族を大切にしてあげて下さい」(ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて)
「やっぱり修行で得た力というのは他人のために使うものだと私は思います」
「・・・傷つき迷える者たちへ・・・敗北とは傷つき倒れることではありません。そうした時に自分を見失ったときのことを言うのです。強く心を持ちなさい。あせらずもう一度じっくりと自分の使命と力量を考えなおしてみなさい。自分にできることはいくつもない。一人一人がもてる最善の力を尽くす時、たとえ状況が絶望の淵でも必ずや勝利への光明が見えるでしょう・・・!」
「何もしなければまさに何もはじまらないでしょう?・・・ジタバタしかできないなら方法はひとつ・・・!!みなさん!ジタバタしましょう!!」
アバン=デ=ジニュアール3世(三条陸(原作)と稲田浩司(作画)による漫画及びそれを原作とするアニメ『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』に登場する架空の人物)
「少年をよく眺めてください。裁判所に悩む人が居なくなれば裁判所は冷たい箱になってしまいます。」
「あなたには少年事件はつまらなく見えるのかも知れない。確かに声の届かない子供達は多い。何も身につけていない絶望的な子供達も多い。しかし長く少年達を眺めていると判ってくることもあります。」
「多かれ少なかれ、みんな虐められた過去を持っている。小さな子は大きな子に。力のある子は頭のいい子に、女は普通の男に、普通の男は強い男に、強い男は組織に、組織はより強い組織に・・原因を辿っていくと尽きない。」
「私は普通の人間です。でも少年法を使えばその連環を断ち切れるかも知れない。貴方は知らないだけですよ。その恐ろしい輪の中から抜け出せた時に、人がどんな顔で笑うかを・・。」
「世界中のことテレビでざっと見てわかった気になったって、そんなのウソだぜ!世界は目で見える姿の何十倍、何百倍も広いんだ!それに比べりゃ怖い夢も、ハデな超能力も、小せえよ!ごくごく一部だよ!」
「ファシストになるより豚のほうがまだマシさ」
「ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。「人を批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなお前と同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」」
ジェイ・ギャツビー(アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドが執筆し1925年に出版された小説「グレート・ギャッツビー」に登場する架空の人物)
「だが、世界の死の乱舞のなかからも、まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?」
いや、子供がフェラチオと言う行為を「知っていたか」どうかは分からんぞ。
俺も幼稚園児のころ父親がこっそりかってた青年漫画雑誌のエロいページを、わけも分からずこっそり見ていた。
意味は分からなかった。ただなんか凄くエロくてイケナイカンジがするので、怖い物見たさ的な感情も相まってこそっと見てた。そのうちばーちゃんに見つかって「あんた、ちゃんと管理しておきなさいよ」と父親が叱られて終わった。
あの時の漫画の意味を、理解できたのは結局高校生になってからだった。といってもうろ覚えだったが。「あれって今思うとクンニシーンだったのか…」的な感じで。
いやつうか、その逆の「とーちゃん不在、母と子」って、青年漫画の読者が入り込む余地ないからじゃないのか?
一応やはり主人公は自分の身におきかえられるくらい近いほうが好ましいわけだから。(実際女性向け漫画となると、「母と子」は多い)
つまりまず青年主人公ありき、なわけで、その時点で「母と子」の選択肢がなくなるだけのこと。
青年主人公ありきで考えたのち、その一つの案として「母不在、父と子」というのがあるだけだろう。
「なんらかの事情で母ちゃん不在の父と子」よりは「単に相手のいない主人公」とか「妻あるいは相手がいる主人公」の方が多いわけだし別に特別「父と子」枠が多いとも感じないが。
私の父は毎週ジャンプを買っていた。
そのおかげで幼稚園時から毎週、お小遣いを使うことなくジャンプを読み続けられた。
(幼稚園の頃にジョジョ第一部が始まった記憶がある。さすがに理解できず飛ばし読みをしていた。もったいないけどしょうがない。)
漫画の単行本を買うのもうるさく言われなかった。
私は毎月のお小遣いで漫画の単行本と弟と回し読みするためのコロコロを買っていた。
姉弟ともにオタク。
還暦越えのお義母さんの暇つぶしは漫画雑誌を買って読む事だった。
興味が湧いたらなんでも適当に買うみたいで、特に青年漫画や実録レディースコミック系あたりが好きらしい。
同居はしていないが、本棚に何百何千と並んだ漫画を見ても文句を言わないので助かっている。
手に取りパラパラ見て読もうとするので、「さすがにキワモノは置けない」という緊張はあるのだけど。
旦那は漫画なら何でも読める。癖の強い少女漫画でもおかまいなし。
私のお勧め漫画を片っ端から読んでもらい、感想を熱く語り合う仲だ。
彼は分析気質のオタク。
子供の頃に親の買った青年漫画レディースコミック系の雑誌を何度も何度も読み込んでいた事の影響があるのかもしれない。
小学生でMASTERキートンやベルセルクの連載を追っていれば、濃くなるのもうなずける。
以上、漫画に対して抵抗のない一昔前の世代の親2例+その子供2例をお送りいたしました。
多分極端な例だと思う。
親がジャンプを買ってくれてる子なんて当時周りにいなかったし。