はてなキーワード: 装丁とは
出版業界を見るに、紙の本の存在が全ての疲弊の原因になっていると思う。
全国配本をするために、出版社から仕事を受けて取次に納入するのだが、発売日に間に合わせるために最初から納入の日付が決まっている。
そのためにそこに合わせるように印刷の準備を進めるのだが、出版社は色がどう、紙がどうとスケジュール通りに進むことはほとんどない。
結局下請けだからと生産現場に皺寄せがきてもどうでもいいのだ。
そのくせマーケティングだなんだと金額の値下げまでさせてくるわけで、当然これでは成り立たない。
結局、書店が無くなっており大体の本は電子書籍として読むことができる。
紙の本が残っている理由なんて、所詮は手触りが〜、読んだ気になる〜、とかその程度の理由でしかない。
そんなもの自己満足にすぎず、デザイナーの存在価値を空虚に膨らませているだけにすぎない。
書籍の本質はその中身にあるわけで、中身のために外側にこだわって結果として全てが疲弊することは全く意味がない。
それであれば紙の本など出さないで電子配信のみ、書店に並ぶ本もデザイン校正なしで用紙すら画一にしてしまえばいい。
出版業界を見るに、紙の本の存在が全ての疲弊の原因になっていると思う。
全国配本をするために、出版社から仕事を受けて取次に納入するのだが、発売日に間に合わせるために最初から納入の日付が決まっている。
そのためにそこに合わせるように印刷の準備を進めるのだが、出版社は色がどう、紙がどうとスケジュール通りに進むことはほとんどない。
結局下請けだからと生産現場に皺寄せがきてもどうでもいいのだ。
そのくせマーケティングだなんだと金額の値下げまでさせてくるわけで、当然これでは成り立たない。
結局、書店が無くなっており大体の本は電子書籍として読むことができる。
紙の本が残っている理由なんて、所詮は手触りが〜、読んだ気になる〜、とかその程度の理由でしかない。
そんなもの自己満足にすぎず、デザイナーの存在価値を空虚に膨らませているだけにすぎない。
書籍の本質はその中身にあるわけで、中身のために外側にこだわって結果として全てが疲弊することは全く意味がない。
それであれば紙の本など出さないで電子配信のみ、書店に並ぶ本もデザイン校正なしで用紙すら画一にしてしまえばいい。
どうしてもこの紙で読みたいという読者がいれば、指定の紙で印刷して販売すればいいだけで、全国配本などする必要がない。
とっとと紙の本など廃れてしまう方が、日本全体でみれば間違いなく効果が高いに決まっている。
やっぱり電子書籍でいいって人は多いな。
本当は「マンガ史上最も重要な単行本 表紙10選」とかやりたいんだけどまあ普通に無理でした。
1巻目の表紙が主人公なのは当然として、2巻目から主要キャラの顔見せみたいに、順番にキャラを表紙にしてくパターン、多すぎないか?
安易なデザインコンセプトに思えるし、あまり思い入れもないキャラが表紙だと萎えるんだよね。
案の定、ストーリーにもほとんど絡まないキャラが最初のほうの巻の表紙を飾ってたり、巻を重ねるとネタ切れみたくなって、ぱっとしないキャラ載せちゃってるし。変なルールに縛られて、描きたくもない表紙になってない?
「呪術廻戦」なんてまだヒットしたからいいものの、7巻で張相が表紙飾った時は「誰コイツ!?」ってなったよ。作中でほとんど描かれてなかったのによ?
「ダイヤモンドの功罪」も、作品としては最高に面白いのにキャラ見せ表紙メソッドに乗っかっちゃってコレジャナイ感あってもったいない。もっと主人公のいろんな姿とか、キャラの日常とか、巻中の名シーンとか、作品を拡げて世界観が伝わる豊かなカバーイラストが欲しいわけよ。所有したいのよ。
こち亀の80巻あたりまでのクリエイティビティを見習って欲しいんだよね。近年だと「僕とロボコ」とかね。「アオアシ」は主人公が中心でストーリーに即した表紙を描いていて理想的。「HUNTER×HUNTER」はもうなんか超越してるけど作家性が伝わる。「喧嘩稼業」はそれぞれのキャラクターがストーリーみたいなもんだから全部許せる。極好。
真の理想系は「うしおととら」。主役を軸に置いて、常に作者の魂を叩き込んでいて、作品そのものに寄りそい補完する「作品としてのカバーイラスト」で、ひとつとしてハズレがない。原点にして頂点。眺めているだけで胸が熱くなる。
編集の皆様、装丁担当の方、どうか今こそキャラ見せ表紙メソッド、見直しませんか。
などと長年思っていたら、コミックスの表紙は作家がノーギャラで描いていて、それは業界の慣習である、いうことが最近になって話題になり、騒がれている。
これまで当たり前のようにコミックスの表紙を作品の延長として受けとめてきたいち消費者として、かなり驚いている。
安易とか言ってすみませんでした。作者の皆様、いつも感謝しています。
でもやっぱり、カッコよくて作品を豊かに表した表紙だととっても嬉しいので、編集者、デザイナー、そして作家の皆様、どうかがんばってください!どうかギャラ払ってあげて!値上げしてもええから!!
AIの登場によって絵師がその仕事を諦めざるをえなくなるとしたら、
こういう発想が出てくる事自体おこがましいことなんだってことに気付いて欲しい
反AIが嫌われるのは「テクノロジーの発達によって属人的な技術が普遍化するのは喜ばしいことだ」っていう人類全体の進歩の大原則に歯向かっているからなんだよ
テクノロジーの発達によって職人的な仕事がなくなっていくってのは当たり前のことだし、それ自体は非常に良いことなんだってことをまずはわかってくれ
画材の専門店なんてのが主要駅の近くには必ずあって今で言う絵師に相当する人間はAmazonなんてあるわけないからわざわざそこに赴いて自分の技術に必要な商品を買っていた
ところがPCのソフトウェアの発達とペンタブの登場によってイラストに関する画材市場は壊滅的な打撃を受けた
パソコンならいちいちペンを持ち替える手間もないし書き損じたときに0からやり直す必要もないからどっちが便利かなんて明らかだったんだよね
ソフトウェアの製作者はユーザーの声を聞きながら「どうやったらあの画材の書き味をパソコン上で再現できるか」ってことに腐心して(反AIの言葉を借りるなら無断学習して)研究開発しまくった
その結果、結局今となっては画材屋なんて軒並み潰れ果てたし画材の製造会社だって何社も潰れまくっている
あるいは印刷分野に目を向けてもいいよ
今では考えられないことだけどadobeがここまで普及する前は印刷屋さんにDTPを行う専門の技術者が必ず常駐して高給で働いていて、同人を描いている人はみんなそこに依頼していたんだよね
絵描きの全員が印刷に適したデータを持ってこれるわけではないから、紙に書いた生原稿をスキャンしてちゃんと形式を整えて装丁して一冊の本として出す
当然いまはその程度の作業なんてみんな家で簡単にできるようになったからDTPの職人の働き口はめちゃくちゃ狭くなってしまった
絵師の使っているソフトウェアなりペンタブなりは全部そうやって廃業していったDTP職人なり画材の製造職人なり画材の卸問屋なりの屍の上に成り立っている技術なわけ
で、反AIはデジタル画材の普及に際して「創作市場そのものを縮めていく効果がある」なんて声を上げたりしたわけ?
してないよね?
自分たちだけが特別扱いされるべきだって考え方を恥ずかしげもなく披露しているその傲慢さは本当にどうにかしたほうがいいと思うよ
そしてまともな社会人はみんなこの手の技術革新に対してはちゃんと柔軟に対応しているんだよね
自分の携わっている産業が誰かの廃業の上に成り立っていることを自覚して、あるいは自分もいつ廃業するかわからないリスクを抱えながらキャリアプランを練っているわけ
例えばWEBライターなんかはあと数年で滅びるだろうけど、いまWEBライターやっている人もその経験を活かしてWEBサイトの分析等を行うマーケター、サイト運営そのものを担うWEBディレクターなんかに転職して、あるいはもっと趣味的で属人的な文筆業に鞍替えしたりして生き残ろうとしているわけ
仮に下手くそな絵を描いていたのだとしてもPhotoshopとか画像編集系のソフトの扱いに長けているんでしょ?
AIの登場によってむしろAIが生成した画像をレタッチしたり修正したりする仕事は需要が爆増するだろうし、あるいはちゃんとした審美眼を持っているデザイナーだって重宝されるに違いないわけじゃん
背幅にして6cmとか、ページ数にして1,000pとか、そういう規模の本だ。
私自身、同人誌を作り続けて10年以上であることもあり、それだけの本を作るのがいかに大変かはよくよく理解している。
文字数は10万字を軽く超えるのだし、装丁や校正にだって労力がかかる。
だけど私は印刷所や、作った本人が自慢げにTwitter(X)で鈍器本の紹介をしていると、どうしてももやもやしてしまう。
理由は主に2点だ。
・背割れについて
・重さについて
本はもちろん、手に取って読むのである。
重くないだろうか。
読むのに疲れる以前に、手が疲れるのは本末転倒だ。
総合すると、『読む人のこと、考えてる?』と言いたい。
手に持って、何分読めるだろうか。
重さを気にせず、物語に没頭して楽しめるだろうか。
確かに厚い本は映える。
見た目からして迫力がある。
でも本はあくまでも、人に読まれることで価値が生まれるのではないだろうか。
上記2点の問題から、私は鈍器本が本として優れているかをだいぶ疑問に思っている。
鈍器本を買った人の何割が読破しているかどうか、統計を知りたいくらいだ。
すごく個人的な意見を述べれば、鈍器本1冊分の文字量は、300pの文庫本3冊という形で出してほしい。
読むのも保存も、格段に楽になると思う。
私はただページ数と厚みが増えるよりも、手に取ってくれた人が、その本の中にある物語を心から楽しんでくれるほうが、ずっと嬉しい。
昔の学校の図書室にあった蔵書はほとんどが活版印刷で、かすかに活字を押し付けたときのふくらみが残っているのがわかるのがなんとも味わいがあったと今になっておもう
オンデマンド印刷で活版にして店内のカフェで待ってたら出来上がりを買って帰れる本屋とかどうだろうか?
大量出版というのは電子書籍やインターネットブラウジングにもうとって代わられたのかもしれない、だから手書き個装丁の実質一品ものだった時代に近い価値観にしたら…
単純に海外と比較すると文化が違い過ぎて日本にはフィットしないと思う。考え方が古い新しいに関係なく文化の違い。
日本の本の装丁を見れば分かるけど海外の本と比べても豪華。帯付き、箔押し、見返し、PP加工、
洋書の汚れてても破れてても字が読めればいい的な味気なさに比べて所有欲も満たせてくれるのが日本の『書籍』。
本好きにも2種類あって文字が読めればいいという活字中毒タイプと、本を所有することで心の隙間を埋める積読タイプがいる。
活字中毒は読むものがなければ中刷り広告も読むみたいなジャンキーなので電子書籍文化と相性がいいけど
セールやポイントにしてもジュンク堂は各種ポイントに加えてhontoポイントも2重で付けて実質値引き販売してるけど、
町の小さな書店は手数料がバカらしくてやってられないだろう。みんながみんな大手やamazonのようにはできないよ。
趣味垢で子育ての話をしている人をよく見る。そこで感じた苛立ちをここで吐き出したい。私個人の意見というより愚痴だから、反論されても「そう思う人もいるんだな」って思うだけです。
私のいる界隈は趣味で漫画や小説を書いてる人が、pixivとかエブリスタとかに作品をあげている。
中には即売会に出ている人もいる。
子育てをしながら同人誌を作ったり、即売会に出ることについては何の問題も無いと思う。
子供がいることを隠せとも言わない。
でも、旦那との行為を赤裸々に呟いたり、子供の写真を載せたり、子供とよそのお子さんでカップリングを作って妄想してる人は気持ち悪い。
あと、「締切前なのにチビたんが寝てくれない!」やら「習い事したいって言われたけど原稿時間が無くなるからなぁ」やら「町内会のバス旅行に行きたがってるけど、参加費2万なんて無理!」やら、子供より自分を優先している人が目につく。
そのくせ自分たちは装丁に凝ったり、無料配布したり、即売会の安くはない参加費をポンと出し、アフターで焼き肉食べてご満悦なのは呆れる。
R18の同人誌を山積みにした汚部屋写真を晒して、子供は慣れてるから大丈夫って呟いてみたり、子供の写真付きで「家族サービスだるい~早く帰って原稿したい」などと呟いたり、それに対して周りの人たちも「分かる~!」
って同調するのが信じられない。
締切って何?
それで生計立ててる訳じゃないし、見たところ、商業デビューしてる人はそんな呟きしていない。
創作活動の邪魔をしてくるなら、相手すべきは子供だろう。あなたが夢中で創作してる姿は、子供にとっては「スマホ見てて自分を見ない親」と同等だ。だから、気を引く行動をとるのではないだろうか?
あなたの本が子供を裕福にさせる莫大な利益を生んで無い限り、どんなに作家を気取ってみても「趣味」なんだよ。
産んだんだから、できる範囲でやりたい事をやらせるのは当たり前だと私は思う。
知人は商業をやりながら、子供を育て(Xでは呟いてなかった)、即売会にも出てたけど、「やりたいことはだいぶできたし、私の性格だと執筆に集中しちゃうと子供を蔑ろにしそうだから」って言ってプツリと活動を休止した。印税は少しずつ入ってくるらしい。
今は目が回るほど忙しいけど、定時のある仕事をしながら、子供がやりたいことを応援するのが趣味なんだと言っていた。
そうしろとは思わないし、趣味を楽しむのはいいと思うけど、産んだんだから覚悟を決めて、出費の優先順位を考えなよ。
ネグレクトだよ。
親の資格無いって。
小学生:
(これ以外思い出せん)
中学生:
悲しい予感(吉本ばなな) 模試か何かの試験問題になっていて、何故だか刺さった。小説っていいなと初めて思った。
高校生:
大学生:
グラスホッパー(伊坂幸太郎) 講義室の忘れ物を勝手に読んだ。面白かった。
室井佑月の何か
田口ランディの何か
森博嗣のS&Mシリーズ、四季シリーズ、Gシリーズの一部
人間失格 (太宰治) 見栄を張って、全集借りてきてここだけ読んだ
龍は眠る、レベル7 (宮部みゆき) 嫌いな小説がある、というのを宮部みゆきで初めて経験した。
慟哭(作者思い出せん)
思い出トランプ(同上)
社会人:
伊坂幸太郎の色々(ゴールデンスランバー、モダンタイムス、チルドレン、サブマリン、マイクロスパイアンサンブル、アイネクライネナハトムジーク、砂漠、ラッシュライフ、オーデュボンの祈り)
吉田修一の色々(太陽は眠らない、森は生きている、怒り、悪人、横道世之介、静かな爆弾)
原田マハの色々(楽園のカンヴァス、暗幕のゲルニカ、たゆたえども沈まず、キネマの神様、本日はお日柄もよく)
赤い竪琴 その他色々 (津原ヤスミ) 図書館で赤い装丁の本が気になって手に取ったのがきっかけ
グレッグイーガンの何か ここで薦められた奴
命も要らず、名も要らず(作者思い出せん)
博士の愛した数式(同上)
花戦(同上)
老人と海、武器よさらば(ヘミングウェイ) 上司がなんか言ってたから読んだ奴
サリンジャーの何か(バナナフィッシュ云々が収録されてるヤツ) 漫画のバナナフィッシュを昔読んだのをふと思い出して読んでみた
もっと読んでるはずだけど、なかなか思い出せんな。
漫画とゲームとエロ動画にはもっと時間割いているけど、結構読書家じゃろ?
詳しく分類すると「オタク」は男性向けコンテンツユーザーの自称であって
女性向けコンテンツユーザーは「腐女子」と名乗ることも多いけど
性別とコンテンツにこだわらない広義ならオタクでもあってるよ。
X(旧ツイッター)のアカウントページをみると好きなコンテンツをならべて「~の好きな成人女性」などと自己紹介することも多いよね。
ところでアラフィフ腐女子増田のリア友にも元増田みたいな女性がいたよ。
・漫画は好きだが特段恋愛もの(ゲイものも)コンテンツに興味がない。
Xアカウントを複数もっているがオタクとも腐女子とも名乗ってないね。
(たぶん仕事でオタクパワーをつかいはたし動物写真にグチのはけ口と癒し、あと市場調査をもとめてXにきてる節があるな…。)
おそらくワイアラフィフ腐女子増田(15年前からツイッター使ってた)が
腐女子コンテンツを頻繁にリポスト(旧リツイート)で垂れ流しコミケだシティだと忙しくしているのをみて
「??自分はそれをあんまり好きじゃないな…」となっていたから元増田とおなじ気づきが早く来たのだろう。
(しかしなぜか知り合ってすぐの学生時代に彼女は漫研に在籍して漫画をかいて編集装丁までがんばっていたことがあり
ワイ増田は学生時代に漫研にいたことがないのに今イベントのたびゲイ絵を描いて泣きながら装丁考えてる……、
そのころは二人とも自己の性癖に目覚めがきていなかったのかもな)
あるいは直接知人でもないが「オタシェア!!」という漫画にでてくる二人の女性主人公も
「オタ」を含む題名にもかかわらずショタ腐女子寄りと男性向けゲームオタク寄りの組みあわせだが、
女の興味は広い、一人の女でさえ肩書を一つなど選べない。
それでいいんじゃないかな。
手塚オタ学生闘争史オタとかその場その場でつかいわけてXで活動してればそのうち140字以内でも自分を表現できしっくりくる肩書がみつかるんじゃね。がんばれ。
なんだ広島県内で新刊カード出せないのがコンプレックスの同業者のひがみか
PRたりねえぞ 特殊装丁はどうした 角丸箔押しトレペ印刷口絵がいまからでもできるっていってみせろ
◆なんで電子化しないの?
一読してなるほどと思ったけどなんかよくわかんない。
これ、本を作る人の思考だよね?
整理すると
1. 女オタク(ジャンル・界隈)の創作者は自作物を消して消えることが多い(実質消せるのは自己コントロールできるwebのもの)
2. 女オタクの読者は、作品が突然消えることに備えて創作者が後から手出しできない物理的な創作物が欲しい
…この…3番目は誰なの?ってなるよね。
創作者さんへ「なんで電子化しないの?」と聞いたら「(消されない他者の)作品はとにかく物理で持っておきたい」となぜか消費者の側で回答されてるようにも読めてしまう。pixivなどが突然閉鎖で自作物が消えるとかのパターンまではほぼ考えてない回答でしょ。
まあ当然、「創作者かつ消費者」という立場でしょうね。本を作るし買うし。
んじゃあさ、この部分の本を作る動機としては「消費者として物理の流れが好ましいのでそれを後押しするために創作者として物理で作る」…ってコト!?
私もしてるんだからさって同調圧力とまではいわないけどそんな要素もありつつ物理がどっさりな界隈になってるの?私が物理で作ることで今後オキニの創作者が物理で出してくれるチャンスが上がるかも…!って気持ちの人たちのスタンドアローンコンプレックス現象なの?
ないこともないし不思議でもないしわからなくもない。界隈を盛り上げるために自分も参加するってのはwebでもあるよね。ニコニコ動画の好きなジャンルの動画が増えて欲しくて自分も動画を作るとか。
そこはわかるんだけど。「盛り上げ」という点はわかるんだけど…。
「将来、web上から創作物を消すメンタルの創作者が物理で作りたくなるような雰囲気を醸成する」って点だけはニコニコの例とかとはかなり違うよね。どんなウルトラCがあれば繊細メンタル人がうっかり消せない物理本を残したくなるのか。そんな空気感を作れるとほんのわずかでも思いながら物理を作ってる(という文章を書いた)のか。
もうひとつ。
「女はよく創作物を消したくなる」とほぼ両者とも書いてるわけだけど(前者は作者の性別書いてないし増田だって泣いた経験あるが)、じゃあそんな自覚、界隈の傾向があるのにどうして自分は消せない物理を作るの?ってならない?
みんな自分だけは絶対に将来創作物を消し去りたくならないと確信しながらしょっちゅう創作物を消す他者の作品をアーカイブするために他者をだまくらかして物理で残させようとする一環として自分も物理でアーカイブされちゃう状況に身をおくの?
女性は創作物を消したくなる傾向になるのに男性向けに比べて電子化が進んでいない。って文章に矛盾ちゅうか違和感あるよね。じゃあ物理で作んないでしょ。消費者として傾向が感じられるなら創作者として予防するんでは?
まーこれもね。千部も数百もいかない物理本といつでもいつまでもなwebを同等扱いする詭弁ではあるのだけれどね。
この疑問を解消する仮定として。
女はDNAにでも刻まれているのか突然変異である日急に作品を消したくなる人格に変貌してしまうことが多発する。生物学的要素な理由で(女オタクって肉食っぽいよね)。しかも他者のそれを観察しても発症までは自分はそうならないだろうと楽観視している生き物。ってことになる。失礼~。
まーね。ほんとはわかってる。
女性界隈はwebから消える消えないなんてのは本を作る理由のまー10%あるんかないか。物理がいい装丁が楽しいイベント最高ー!とかのほうが99割を占めてるってことは。
でもねー。この話題は毎回しょっちゅう消えるから物理が欲しいって言う人が出てくるわけじゃん。今回みたいに。
どの立場で言ってるのですか?ってのが「女オタク」への印象。いや高圧的に言ってるんじゃなくて創作者か消費者かってね。
今回みたいにナチュラルにミックスした文章をお出しされるとどの口がって思っちゃう。同人は全員参加者みたいな建前はえーから。
50:50じゃないよね。創作者はほぼイコール消費者なわけだけどこういう感じの言及をするときのメンタルはどれぐらいの割りあいで自分の属性を置いているんだろう。消費8創作2ぐらい?わかんないけどね。
作り手はそうとして100%消費者の人だとしてもどういう気持ちで消すから物理で欲しいって言うんだろ。電書の営利的サービス終了じゃなくて個人が消したいとしょっちゅう願う界隈で消えてもいいからモノは残せ、かのように見える言動を男の増田でもちょくちょく見かけるのはあまりにも対症療法的っちゅーか。なんか恐い。web失踪が頻発する界隈ですることが全体的に物理を求めていくことなのか!?なんか違くね!?…男女問わずどんなに環境がよくっても消える人は0人にはならないけどさ。じゃあなんだ。リスクマネジメントが強ぇ奴らなのか。界隈の特徴になるぐらい。
つまり俺は女オタクよくわかんないってこったよ。消える傾向が高い原因もその中で本を作る人も消える人が多いから本が欲しいと公言する人も三者三様俺とは考え方が違ってぜーいんわっかんないっ!ぜーいんわかんないってことはニアリー女がわっかんないってこと!まとまらないしどうでもよくなった練る!
同人印刷大手、コミケ前に「他社へ注文して」と声明 社長に理由を直撃
https://kai-you.net/article/88419
今回のことについては、お祭り企画が発端なので一極集中とはまた違うのでは?
むしろ、コミケ一極集中だったものが赤ブーブー通信社(以下赤ブー)主催のイベントと
分散・住み分けした結果であり、元々はコミケ前の閑散期だったので12月に設定されていると思う。
ジューン・ブライドに掛けているのもあるが、5月スパコミとの分散にもなってると思う。こちらは夏コミに影響しない。
【追記】
→ 6/6時点で「44社」あるので、新刊カード由来の一極集中というのはないと思います。
賛同印刷会社一覧:https://www.akaboo.jp/guide/item/p0035.html
→ 赤ブーは10年以上前から「毎回」そうなっているので、年中やっているならそれはもう一極集中ではないのでは?
(赤ブーイベント内ジャンルオンリーは2003年から始まり、徐々に割合を増やし、カプオンリーなどの細分化もして現在の形となっています)
特定ジャンルに集中している、というならそれはそう。SNSでみる機会が増える分あると思います。
ただ、今回に関しては「ないから開催してほしい」が原動力のイベントです。
ユーザーが新刊カードを集めてきた以上、受け取った赤ブーはそれらすべてを開催する他ありません。
50枚集めて開催されても実際に参加するサークルは片手で足りることもあります。申し込まれてからしか実数を把握できません。
今回はオンリーのみですが、普段は「オールジャンル」と「各種オンリー」を同日開催しているので、赤ブーはオンリーのみを開催しているわけではありません。
印刷〆切は大体2~3ヶ月前には出ているのでその時点で料金は確定しており、
設定した締切日に入稿されれば、キャパオーバーだからといって料金を変えることは難しい。
同人誌印刷の印刷会社は基本「予約不要」で、事前予約や仮発注である程度は予測できても
予測以上の入稿となるとどうしようもない部分がある。今回は事前予測が出来ない突発的なものだったので、
完全予約にしておけばよかったのに、というのも酷である。
またもう一つ、ユーザ視点でいうと「初めて使った印刷所を親と思ってずっとそこを使いがち」もあると思う。
栄光さんは「サイトや印刷までの流れが分かりやすく初心者向け」「〆切遅め」「価格低め」
「クオリティも他と遜色ない」なので、元々ユーザーは多い。みんな栄光が大好きなのである。
まあ安いので使ってる人も多いだろうから値上げもアリだと思うけど、原稿で疲弊した状態で入稿する人が
「使い慣れた印刷所」を変えるのは中々難しいので値段あげても変わらないと思う。私も同じとこずっと使ってるので…
もう散々言われてるだろうけどあの建前は置いておくとして
PIXIVでお気に入りの作品を作者に消されてきた経験があるオタクは多い
・WEBで発表すればいいじゃん
小説とか全部PIXIVで読めますもよくある。それでも女オタクは物理で確保しておきたい生き物なのだと思う。
印刷は仕様がセットになったものを利用する人が殆どだけど、そこに「オプション」で箔押し追加したり、
もちろんイチから仕様詰めて理想の本作るのも楽しい。締切とお金に余裕のある人にしか出来ない高嶺の花。
私がコミケ会場で「もう赤ブーだけでよくない?」「私も今回限りでいいかなと思ってた」という会話をしたのが10年以上前です。
この時点でジャンル島にくる人の減りが明らかで、赤ブーの方が賑わっていたのを覚えています。
最後にコミケ申し込んだのいつだっけと久々Circle.msにログインしたら最後の申し込み2010年でした。コロナ前にはとっくに離れています。
20代のフォロワーは「イベント申込む頃には普通にオンリーあったからコミケに申込むという発想がなかった」と言っていました。
女性向けジャンルは週刊誌がメジャーで本誌からのネタ投下も多く、鉄は熱いうちに打てとなると
「申し込んでから抽選もある半年先のイベント」は創作スパンに合いません。
コミケ申し込んで開催までの間にジャンルオンリーが2~3回あるとかザラです。
存在してるメンバーと握手できるのと、ジャンル者が少ないのでオンリーが存在してないから
頑張って新刊だして「イベントを存在させる」のとでは全然違うやろがい!!
50枚という枚数ですが、赤ブーがイベント会社である以上イベントを開催したものの
指定の期間内で「50枚」を集める活発なサークルが複数あるという確証がもてて、
1イベントに少数ジャンル・カプを乱立させすぎない数字が50なのではないでしょうか。
余談
・印刷仕様が決まっている(中から紙などの変更を選択できる)セット商品
となっている。(参照: https://www.eikou.com/deadline/ )
通常イベントならこれで全然余裕だっただろうし、ただただ想定外だったんだと思う。
「Dozen Rose FES.2023」は申し込みが早期満了し、募集8000spから13000spへ拡大している
( https://twitter.com/AKABOO_OFFICIAL/status/1711196972982628578 )ので、
この時点で何らかの対策がとれたらよかったのかなあと思うのだけど(他の印刷会社では8000spを超える場合は
〆切の変動がある場合がある、の記載があった)、栄光さん自体が「できる限り受け入れます」の方針なので、
社長ご自身も「予測・管理が甘かった」とおっしゃっているので、
(【緊急事態】12/14現在の状況と今後の見込: https://kokoro.eikou.com/archives/1445 )
今ある中でなんとかやり切ってほしい。スタッフさんも大変だと思うし無理はしても無茶はしないよう願うばかりです。