はてなキーワード: 素粒子とは
なるべく元ソースにリンクを貼っている。 ソースの引用はこっちの記事に移動しました。
まとめは記事の最後。
以下本文。
ネット上では笹井氏が小保方氏をコネ採用したといわれているがこれは時系列的におかしい
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(2/4ページ) - MSN産経west
【笹井氏の会見詳報(2)】「ほとんど若山氏の…小保方氏をリーダー抜擢した理由は…京大に詫び、仲直り」(4/4ページ) - MSN産経west
小保方さんは 2011年03月 - 2013年3月まで 若山研(当時理研) の客員研究員である。
つまりユニットリーダー採用までの小保方さんの所属は理研ではない。
知らない人用に説明しておくと客員研究員とは共同研究のための仮の身分のことだ。
実質的にはIDカード(鍵のこと。身分証ではない)を作ったり、机を貸したりするためにある。
無所属では理研の客員研究員にはなれないので素直に考えるとハーバード大 バカンティ研所属だろう。
若山研の客員になるまでの経緯は以下のようだ
小保方さんのポジション(センター長戦略プログラム) の公募情報 を見るに3人分の人物評価書が必要である。
小保方さんの経歴からいうと (早稲田) 常田氏、(女子医大) 大和・岡野氏、(理研)若山氏 の中から残り2人か。
コネ採用がなかったという証拠はない。が、あったという証拠もない。
これは疑う側が根拠を示さねばならないだろう。
いったん小保方さんの採用の件を離れ、一般的な理研の採用基準について書く。
ただし、僕の私見なので注意していただきたい。
とりあえず、やまもといちろう氏の記事に少々ツッコミをいれさせてもらう
理研の人事を批判するなら、同じ口でシンガポールを目指せとか絶対に言うなよ: やまもといちろうBLOG(ブログ)
私自身はあんまり理研には詳しくないけど、周囲には現役もOBもいるのでニュアンス的にはコネ採用のクズが大量にいるんだろうという雰囲気は伝わってきます。
コネ採用のクズとは具体的に誰のことを言っているのかわからないが、
もしもPI、主任研究員クラスのことを指しているのなら言った人は相当な自信家だろう。
もしもセンター長、副センター長クラスを指して言っているならそれは単なる無知だ。
(副)センター長はノーベル賞クラス(比喩ではない)、少なくとも日本を代表する研究者である。
少なくとも僕の知るかぎりはそうだ。
最近はてなブックマークで理研の総合脳科学研究センターのPIの話が話題になっていた。
書き手は理研所属ではなさそうなのと、理研BSIは理研内でも特に厳しいと噂されている場所なので
その辺は差し引いて読んで欲しいが、こちらのほうが僕の知っている理研に近い。
理研はかなり徹底した成果主義、というか業績至上主義という印象を僕は持っている。コネ採用とは正反対だ。
(理研の名誉のため言っておくが、若手支援も力を入れている。基礎科学特別研究員とか、後述の小保方さんのポストとか。キャリアパス支援室とかもあったね)
誰かが「理研は読売ジャイアンツ」と呼んでいたのが一番しっくりくると思う。
他のPI、主任研究員と比べて小保方さんは異例の若さかつ業績も少ない。
(さらに実際、PIとして実力不足だったことがSTAP騒ぎで露呈した)
おそらくこの辺りがコネ採用と疑われた原因ではないだろうか。
小保方さんの採用された「センター長戦略プログラム」とは
業績に関わらず研究計画の斬新性・独創性を評価し、若手・女性を積極的に採用しているポジションのことである。
若手PIの積極採用
次世代の指導的研究者の育成に貢献するため、チームリーダー等の採用においては、広く国内外へ向けた公募を行い、積
業績リスト、5年分の研究計画書を提出。主要な業績と研究計画についてプレゼンで採用を審査する。
(知らない人は研究者の採用 (追記:小保方さんのポジション 公募情報)をどうぞ。)
理研の場合は各研究室のボスと外部から呼んできた教授たちが審査するかと思う。
ところで僕にとっては「理研でコネ採用」は「学振でコネ採用」くらい信じられない。信じられないというよりも想像付かない。
だって宇宙の人の審査に素粒子や原子核やら加速器やらの人達が加わるようなかんじですよ。
例えるなら長嶋茂雄と朝青龍とイチローが並んでいる前で「僕はピンポンについて才能ある選手です」というプレゼンを行うようなものです。ミスターに「それでキャッチャーはどこかね?」とか言われて頭を抱えながら質疑応答するわけです。
仮に僕が優秀な野球選手でミスターに気に入られ猛烈プッシュされたとしましょう。それでも朝青龍やイチローにとっては知ったこっちゃないわけで、僕はプレゼン(+業績リスト)で彼らを納得させなければならない。
(これが「コネ採用」も「学会の陰謀で云々」も胡散臭くかんじる理由。)
理研にかぎらず学振にしろ科研費にしろ「公平性を重視する審査」はだいたいこんなかんじで
「ある分野では大御所だけど僕の分野には詳しくない」人達が判定するわけです。
ピンポンの選手をピンポン選手達に評価させたらそれこそコネ採用とか、ライバル蹴落とすとかあるかもしれないでしょ?
だからこうなっている。
こんなわけで「公平性にきわめて配慮して」作られたのが現在のシステムなわけだけども
その反面、「 研究能力よりも、作文能力とプレゼン能力の高いやつばかり評価される」という批判は以前からあった。
(プレゼン能力も研究能力のうちだろ甘えんなよ!という意見もあるし、まぁ、研究能力のある人はだいたいプレゼン能力もあったりするので一概に批判もできないけど)
もしかしたら小保方さんのケースは驚異的なプレゼン能力で「若手育成枠」を次々と突破してきた人なのかもしれない。
この経歴すごいよね。STAPの件がなければ「さすが小保方さん」などと言っていたと思う。
しかも「STAP細胞」なんて一般人も大騒ぎしたほど「わかりやすくて」「斬新」かつ「独創的」だ。
ネット上では早稲田が叩かれているが小保方さんの実際の経歴はかなり複雑だ。
早稲田の一研究室だけならともかく、早稲田も女子医大もハーバードも腐っていたというのはなんだか変だ。
例えば、分野転向を繰り返すうちに基礎的な教育が抜け落ちてしまった可能性はあるだろうか?
早稲田を叩いておしまいにせずに冷静に見直してみるべきではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20140519175730
なるほど。意見は一旦受け止めた。
それならば、そのように伝えればいいだろう。
「事実」は今まで日本社会でそのような形でここまで運営されてきた、ということだ。
お前がそれは間違ってる、どうのこうの、等と言ってもその「事実」の前には単なるお前の「意見」にしか過ぎない。
逆に言えば、「事実」は人を確実に納得させられるものではない。
「事実」はそれまでの経験則であって、100%正しい、というものではない。そんなものは存在しない。
上の薬の例でも、究極的に素粒子反応まで完全に理解する、という事実がない限り(そうであってもその先にさらなる不定性があるかも知れない)
100%誰かを納得させることなんて出来ないのは承知の上である。
例えば仕事で何か役割を振るとき「なぜ必要なのか」を問われたら答えられる必要がある。
それはわかる。もちろんわかるが、このようにやってきた結果、
今までこれくらいの売り上げがあったから、やってみてくれ、と言えばいいだろう。
ただ、必ずしもそういう全体的な答弁ばかりになるはずもない。
あるプロジェクトがあってそのための仕事がある。それらは小さく分解されていて、有機的につながっているはずだ。
例えばコピー取りにしたって、何かの会議で必要だからとるわけだ。
何も伝統でコピーするのが決まりになっているわけではないだろう。
意味があってやっているはずだ。
というのと、
「とにかくやれ」
というのでは聞く側の受け取り方が異なるだろう。
前者なら、「なるほど。だから迷惑をかけないようにちゃんとやらなければ」と思うだろうし。
後者なら「なんでやんなきゃいけないんだよ」と思うだろう。
言いたいのは、必然性があってやっている事を「伝統」だからという言葉で「何も考えず」片付けてしまうことが問題なのだ。
理解、とはどこまで必要か。
例えば現在医療で使われてる薬の中で、実際人間の中でどのように変化を起こしてどの様に作用してるか、
だが、多くの治験などをこなすことで経験的に正しい、と判断して使っている。
そして、それが間違う事もある。
「事実」さえ述べれば納得するはずだ。
「事実」は今まで日本社会でそのような形でここまで運営されてきた、ということだ。
お前がそれは間違ってる、どうのこうの、等と言ってもその「事実」の前には単なるお前の「意見」にしか過ぎない。
逆に言えば、「事実」は人を確実に納得させられるものではない。
「事実」はそれまでの経験則であって、100%正しい、というものではない。そんなものは存在しない。
上の薬の例でも、究極的に素粒子反応まで完全に理解する、という事実がない限り(そうであってもその先にさらなる不定性があるかも知れない)
これでいい?反論ある?
授業ではこの問から始まるんじゃないの?これ、導入でしょ?
記事ではこの前にもう1個バカみたいなページがあったけど。
たとえば、「クオーク(素粒子)は色がついているから色でイメージできる」と科学者は言う。色で実感しているのか、実感していると自分に説明しているのか。しかし、半分の科学者は「実感できない」と言う。私と同じですよ。
だってさ。あのね、物理学者はクォークにが赤だとか青だとか色がついてるなんて言ってないよ?この人は何を聞いたかしらんけど。
単に、突き詰めてったら3種類あることが分かったから、3つといえば3原色がわかりやすくね?ってつけただけ。
アップクォークダウンクォークなんかはスピンのアップダウンから来てるけども、でも、このスピンも別にコマみたいに回ってるわけじゃないからね?
その後なんて、3つ目にちょっとアップダウンとは違うけどおかしなもので似たような物があるからストレンジにしとこう、って導入されて、
その後見つかった4つ目はストレンジの対で。。。と無理矢理チャーム。
後、レプトンフレーバーって知ってるかな?これも別に匂い嗅いで決めたわけじゃないよ。。。
「実感」とは何を言うのか。この馬鹿学者は自分の目で見てない限り納得しないってんだろ?
じゃあさ、最近発見された(実際にはまだ確からしい、というだけだけど)ヒッグス粒子とか、どうやって「発見した」となってるか知ってる?
お前とかこの馬鹿学者とかは、実験ずーっとやってて、その中でたまたまバーンって出てきたのがあって、科学者がずーっと監視してて、それでふと
あ、出てきた!ってやってると思ってんのか?どうなん?分かる?言ってる意味?
んでさ、こうやって「不特定多数に見られるメディア」に発信したら一部だけ抜粋されて流れる、なんてこといい加減分かるよね?
さすがにこの教授がバカッター脳だとは思ってないけど、もし、抜粋されて激おこぷんぷん丸、ってんなら、それ、バカッター脳と一緒だからね?
分かる?バカッター脳の君に?
どこが馬鹿にしたような態度なの?
やってみろ、と言っただけだろ?矛盾を突いただけだろ?
だからさ、おまえさ、自分の持ち物、切ってみろよ、って言われたら、は?ってならない?
いきなり他人に言われたら、なんだよ、ふざけんなよ?になるだろ?で、これは教授だから勿論、なんらかの意図があることは読めるし、
まあ、ちょっと考えればこうやって「ばちが。。。」と言うのを引き出させたいことなんて分かるだろ?
だがしかし、実際そうか?お前、教授が、いま来てるそのシャツ破ってみ?って言われたらどうなの?ま、着てるものは後が困るか?
じゃあ、携帯のストラップでも(もうスマホだとないか?)アクセサリーでもなんでもいいよ。それ、壊してみ?っていわれたらなんて答える?
出来ません、って答えるよね?なんで?ッて言われたら、壊す意味が無い、としか言いようが無いよね?
それを教授にその気持はどこからくるの?考えて?どうなの?て言われたらどう?何か答えなきゃいけないよね?
でも、ストラップとかなら、ただもったいない、とかしか思い浮かばないよね?
でも、お守りなら、「バチが当たる」っていうことは思いつくよね?実際、自分がそう思ってようがいまいが、「お守り」と「バチが当たる」ということは
「知識」として知ってる。
だから、他に思いつかないこの状況ならそれ答えるよ?もし、それ答えたらお前の人生決まるからな?みたいな、強く先に念を押されればきちんと自分の気持ちと向き合うだろうが、
この場面では、パッと、「答えやすい答え」を答えるだけだろ?
やってみろ、と言っただけだろ?矛盾を突いただけだろ?
矛盾を付いたのではない。誘導し、その答えを出させただけだ。それが分からないの?ほんとに?宗教にはまってるタイプ?
ねーねーねー、いい加減分からないの?
そうだよ?この記者の書き方もあるだろう。
だがしかし、これも上に書いたように、記者に取材を受け、それが表に出る、ということが分かってれば、それが記者により整形され、
思わぬ反響があることも予期しておくべきだ。教授なわけで、しかも、その専門に関する取材なわけで。
後々きちんとチェックするもよし、話し合って書くことを決めるもよし。
一度出てしまったら、それはこの記者の責任もあるが、その取材を受けた本人にも責任があるのは当然だろ?
それ、わかんない?
震災直後、馬鹿マスコミ共が自分たちの都合の良いインタビュー取ろうといろんな教授にあたって、その中で一部だけいいように曲げられて抜粋されて、
バッシング受けたり大学から注意や処分食らってる人も居るの知らないの?それは馬鹿マスコミが悪いのは当然だが、
取材を受けた方も悪いんだよ。処分食らってるわけだし。
わかんないかなあ、というかあんたが何を言いたいのかすら分からんくなってきたけど。
ただただ引き下がれなくなってきてるだけでしょ?
それならそう言ってね?それはもう、宗教的思想を変えるのはおかしいように、議論しても意味がないことだから。
そうじゃなくて、論点が分かってないだけで反論したいだけとか、
横だけど、
別に政治的なとか文化的なとか、さらに公理がどうこうとか、ちょっと皆落ち着け。
経済なんかでもそうだけど、取り敢えず、これまでの動き等をみて、適当な「モデル」を作るんだよ。
勿論、それで全てを完璧に記述できるわけではないけど、ある範囲でその方程式に値を入れると特定の状態の数値を出してくれるようになる。
これが「モデリング」の基本で言ってしまえば素粒子の理論ですらこの域を超えない。それこそ全てを司る方程式、みたいな話になっちゃうから。
特に、経済や政治関連の数値はモデルを作るための参考にするのが過去のデータしかなく、数が少ない上に
だけど、取り敢えずモデル化して、現在の状況を数値的にどうなってるか、それこそ微分して上昇してる、さらに二階微分して上昇が加速してるのか、減速してるのか、
見ることは出来る。
ただ、こんな所でそんな話をいきなり持ってきて、「二階微分( ・´ー・`)どや」と言うのはどうかと思うし、
仮に上昇が緩やかになってるよね、と言う話をした場面があったとしも、
例え理系出身でも、二階微分、なんて言葉がそう簡単に日常会話に出てくることは無い。
数学科の人間なら冗談でそういう言葉を使うならもっと違う言葉を使うし、この程度の言葉だと逆に冗談にもならない。
他の分野でも同じ。
測定する前にモデルなんてどうやって作るの?
東大理物ちゃんがやってることは確かに簡単な数値測定に基づくモデルではないけど、
それまでの実験結果等からある程度意味のあるモデルを作るんだと思うんだけど。
ま、素粒子系のホントにあれな人達はもうそんなレベルでない部分もあるかも知れないけど。
それでも、色々な事に無矛盾な理論を考えるわけで、何も無いところからモデルなんて出来ないんだけどな。何言ってるんだろうな。
ひくわぁ、色んな意味でひくわぁ
「勉強ダセェw」
なのか。ひくわぁ。
ひくわぁ。どこの会社かしらないけど、そんな学歴コンプレックスにまみれたキモオタばっかな会社にはひくわぁ。
どこの会社?
少なくともあなたよりは学歴上だし勉強もまじめにやってたと思うわ。
東大理物で院まで行った友だちに聞いても、これはひくわぁ、って言ってたわwww
理論屋の中でなら間違ってそんな話してるかもな、とは言ってたけど。
まさか貴方様は東大理物で素粒子理論をやってたスーパーマン???ま、ならなんで会社なんだ、って話だけどな。勉強できなかったからドロップアウトか。
どこ大のでどこまで「お勉強」頑張ったの?教えて?
これが酒の肴になるのは普通では無いと思うけど。。。(それともこれがはてな層の平均???)
ま、程度が低いと言う皮肉で
自分はこんなことまでしてますよアピールしてるんだと思うけど、
モデルを簡易化すれば個人laptopでもシミュレーション出来るようなのあるんじゃん?
それこそ、物理の実際使ってるシミュレーションとかでも、ほとんどが無償で公開されてるから
誰でも使えますよ。
実験装置を組み立てて、粒子飛ばして反応見る、なんてことも全て無償で出来ます。
先のページが酒の肴になるくらいならそういうのをやってみたらどうでしょうかね?
って、流体とかのが実際はよく分かってない部分があるし、それをある程度モデル化したものなんだから、
結局同じことなんですけどね。
【Haskellの正体とは】
彼は、こう耳元で囁きました。
国際Fortran学会会長、プログラマ治療の草分けである森×敬一博士によると、、、
「Haskellコンパイラが吐いたバイナリだけを与えた実験動物はみんな死んでしまった。
ふつうの言語では大域変数の書き換えによってプログラマは実行時の環境を容易に制御できる。
ところが純粋関数型言語は原理が全く異なります」と警告しています。
まず、大域変数に対する「再代入」「領域解放」「再割付」する実行時環境制御方法と全く異なり、エネルギーを持つ素粒子の一種である電子を揺らして計算を行います。
マイクロレンズと短波長光を組み合わせて小さな領域に焼きこみを行うのです。
「本が小さすぎると目が疲れる」とのことです。
ミクロレベルの素粒子振動、原始帰納関数の生成、、、、。これが、Haskellコンパイラにより生成したバイナリの質が”イマイチ”な理由なのです。
GHCiで評価した水と、ふつうの水を並べておくと、動物は決してGHCiで評価した水を飲まないといいます。
【政府、大企業は利益を優先して”不都合な真実”は徹底的に隠蔽】
オブジェクト指向型言語のジャバ言語の方が優れていることを主張する何万という論文がありながら、政府も企業も未だに認めようとしません。それは莫大な利益を損失に繋がるからです。
http://anond.hatelabo.jp/20130312032504への返信
>学部生もある程度はバリバリの研究者の話に触れたほうがいいと思います。
とても賛成です。
おそらく週替わりか月替わりのオムニバス形式の授業がそれに相当するのではないかと、
どんな話題があるのか、それを知る上で有意義な授業でした。
ただやはり通常授業は専門の教官がいればそれに越したことはない。
大プロジェクトを動かす著名な素粒子の教授に基礎科目を教わっていますが、所詮は基礎科目なので、せっかくの教授のカラーが生きてこない。
>学年があがるにつれての比率の問題っていうか。
そうですね。
その配合比が現状では最適でないと感じています。
それ故にここで問題提起してみました。
バイオの今までの数年の動向と現状、そして進路について思うことを書いてみたよ。
受験生やバイオ系の学生さんに進路を考える点でちょっとでも参考になればうれしいよ。
数年前までバイオがとても注目されて、クローン技術、移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品などが
有名になったよね。
では今はどうかと言えば、そんな言葉見る影もない・・。
あれだけ騒いでいたマスコミ連中は「これからはナノテクの時代」などと別なことをほざくようになって、
バイオなどどこ吹く風・・・。当時、理工学系の学部で最もレベルが高かったのは紛れもなく「バイオ系学科」だったのに、
いまは最もレベルが低い学科に成り下がってしまっているみたい・・・。
受験生の間では、
クローン羊ドリーの誕生によってクローン技術が世界で騒がれ、はたまた脳死患者からの日本初の臓器移植、あるいは、
世界規模で行われていたヒトゲノム計画の激化、夢のような食品を作ろうと考え出された遺伝子組み換え食品、まさに
それと同時に「バイオは倫理観が伴う非常に難しいもの」と倫理性も問われるようになったんだ。
例えば、「クローン技術や遺伝子組み換えは自然が作ってくれた生物の存在を根底から覆すものだ!」って
非難を浴びたし、「脳死患者からの移植は倫理的に問題がある」ってお偉い方は慎重だったし、
ヒトゲノム計画は、「それによって人の遺伝子が分かることでその人の人間的な価値まで判断されてしまう!」
なんて言われていたんだ。
これを読んでいるみんなもこれらのことは知っている人も結構いるだろうね。
倫理観まで問われるってことはそれだけバイオが注目されていた証拠でもあるよね。
じゃあ、あれから数年経った今はどうかって言うと、悲しいけど全く言われなくなっているよね。
それともバイオはみんなを幸せにしたからもういらなくなっちゃったってこと?
繰り返すけど、1990年後半は紛れもなくバイオブームだった。
でもこの言葉って罠がある。
あくまで1990年後半はバイオ"ブーム"ってわけで、バイオの時代が来たっていみじゃなかったんだよね。
ここに大きな問題点がある!マスコミ連中が報じる「これからは○○の時代」って言葉には注意が必要なんだ。
(2)それを大々的に報じる
(3)そして世間がそれに食いついてきたら「これからは○○の時代」って報じる
と言うやり方があるんだよね。
だから「これからは○○の時代」と言われても本当にその時代が来るかどうか誰にも分からないよね。
確かにそれを報じた時やその数年後はその○○が注目されるけど、それ以降はまた別な◎◎が注目されるようになって、
「これからは◎◎の時代」ってふうに話題がすり替わっているものなんだ。
では、この前後で科学の世界ではどういったブームがあったかを振り返ってみよう。
年代 | ブーム |
---|---|
1985~1990 | バイオブーム(利根川先生のノーベル賞がきっかけ) |
1989~1994 | 地球環境ブーム(→農学部の大幅な改組) |
1995~1998 | 大型基礎研究施設ブーム(SPring-8、スーパーカミオカンデ、地球シミュレーター) |
1998~1999 | ITブーム(正確にはIT革命ブーム) |
1996~2000 | バイオブーム(クローン技術、移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品) |
2000 | ヒトゲノム計画のドラフト(概要)が完了 |
2000 | ITバブル崩壊(IT不況へ、しかし近年持ち直す) |
2001 | (このあたりからバイオが騒がれなくなる) |
2002~ | ナノテクブーム |
2003 | ヒトゲノム計画が完全終了(しかし世間はすでに見向きもしなくなっていた・・・) |
あれあれあれ??!1985~1990年にもバイオブームがあったんだ~。
実はこれ、利根川先生がノーベル賞を取ったことを機にかなり盛り上がったみたいなんだ。
当時バブル経済まっただ中で、いろいろな企業もこぞってバイオの研究をするようになっていたんだ。
電機メーカーが線虫っていう虫の脳神経を調べたり、神経細胞が伸びていく方法を利用して半導体の
でも、バブル経済が崩壊したらそれらのメーカーもバイオの研究をやめちゃったんだ。
バイオの研究って他の分野の研究とは違ってきちっとした方法論が確立されていなくて手探りでやるから、
本業で稼ぐのが一番ってことで電機メーカーは撤退しちゃったんだ。
その次の1995~1998の大型基礎研究施設ブームっていうのは主に物理学の世界で、宇宙とか素粒子
(原子を構成しているもの)を研究するのには大型の研究施設が必要ってことで各地に建設がされたということだよ。
当時マスコミ連中が言ってた言葉は当然「これからはITの時代」。
2000年にヒトゲノム計画のドラフトが完了したことで、当時マスコミ連中はバイオの倫理について大騒ぎしたんだよね。
でも、これを境にだんだんとバイオが騒がれなくなっていったんだ・・・。
これとは対照的に2002年くらいからナノテクがだんだんと報じられるようになってくる。
2003年にヒトゲノム計画が完了したときにはもう誰も世間の人は見向きもしなくなってしまっていたんだ・・・。
何でだろうね・・!?
2つ目は同じことの繰り返しで真新しさがなくなってしまった場合。
1つ目にあたるのは、ヒトゲノム計画だね。
当時は人の遺伝子が全部分かれば、病気の原因も分かるようになるって注目されたけどそんなことは全然ないよね。
結局、遺伝子解読したから何が分かると言えば、その遺伝子の配列が分かっただけ。
それ以降には全然進まない。
だってどの遺伝子が原因は結局は実験をしてみないと分からないものだから。
ヒトゲノム計画は学問的にも産業的にも利用価値がなかったってわけ・・・。
ヒトゲノム計画の時にアメリカのある企業ががんばっていたんだけど、終了後はこの計画にあまり意味がないことに
ヒトゲノム計画はそんな程度だったみたいだね。
2つ目の理由に当たるのは、クローン技術や脳死移植、遺伝子組み換え食品だね。
その後はあまり技術的な革新はないから(クローン技術はその対象を広げたけどそれ以上はないし)、マスコミ的には
何かフタを開けてみるとあっけないよね・・・。
それにしてもいろいろなブームがあったんだよね(皮肉/苦笑)。
ブームってのは確かに山があって頂上まで行ったら後は滑り落ちるだけってのは分かる。
でも科学の世界ってそんな短期間で語れるようなブームで動いているわけ!?答えは「それは正しくない」よね。
今まで言ったように科学の世界のブームは単純にマスコミが作り出しただけで、実際の科学の研究はもっとコンスタントに
行われていて、確かにある分野が注目されるときはあるけどそのあとは見向きもされなくなるなんてことは変なことだよ。
だって見向きもされなくなるってのはその研究が価値がなかったってことが分かったってことなんだからね。
でも、世間の人はそういうたった数年のブームにのせられてしまうし、多感な受験生なんてそれだけを信じて進路を
「これからは○○の時代」ってフレーズに載せられてその○○の分野に入学しても自分がいざ研究や就職を
しようとするときには世間は完全に見放していたなんてことになったら、いったい何のためにその分野を
バイオの研究者は生物をどのように解析するか?それは文字通り「ただやみくもに」って言葉がぴったりな方法なんだ。
びっくりしたでしょ?ぼくはバイオの研究の問題点は3つあると思っているよ。
1つ目は、生物学の研究方法では他の分野(特に物理学や化学、工学)のように原理原則を見いだそうとは
されていないこと。だから生物学の研究方法はまるで『錬金術』のように「訳の分からない遺伝子をやみくもに入れてみたら
どうなる?」とか、「この薬品とこの薬品を入れてみたらどうだろう?」ってふうに原理原則を見いだそうとせずに、
結果さえよければそれでいいって感じでやっているのが現状なんだ。
錬金術ってのはみんなが小学校・中学校で習ったと思うけど、昔の人は金属ごとに違う原子でできていることを
知らなかったから、鉄やアルミニウムから金を作ろうと必死にいろいろな方法を試していたんだ。
これらの原理原則を知っている現代の人から見ればバカバカしいことだけど、残念ながら生物学の研究は現在でも
2つ目は1つ目とも関連があるんだけど、生物学の源流が『博物学』であるから、その博物主義的な発想から
抜け出せないところ。みんなも博物館に行けばいろいろな昔のものが陳列してあってどの時代にどのようなものが
あったかよく分かるよね。でもそれが分かったところで今の自分の生活には活かせないでしょ?それと同じで生物学も、
その対象が動物・植物から細胞・分子レベルにまで移ったのに、やっていることは昔の生物学者がおもしろい生物種を
追い求めて野外を駆けめぐったように、今の生物学者も同じ発想で遺伝子や細胞の中で働いているタンパク質を
発見することに全力を注いでいるよ。そしてそれに名前を付けて陳列して「どうだ!オレはこんなにたくさんのものを
発見したんだぞ」って威張っている状態なんだ。
だから、そこから一般的な原理原則を見いだすことはないし、それを何かに役立てようって雰囲気も全くないんだ・・。
表向きは生物学は理系に属しているけど、理系らしさの証でもある数学・物理学・化学を駆使して数理的に
解析するなんてことは絶対にない。
そういった解析をしている学者は生物学者ではないんだ(苦笑)。
確かに生物と言えども自然界に存在するものはすべて物理化学的法則に縛られているから、その方向からの
解析が必要になるはずだけど、生物学は博物学の流れを持っているからそのような部分には生物学者は
見向きもしないんだ。
文系でも経済学や心理学、社会学では数学を結構使うから、生物学者は文系以上に
それだったら何のために大学入試で数学や理科をやってたんだよって感じだよ。
しかも、生物学の研究には多くの機械を使うけど、生物学者は機械の原理や中身の動作については
全く分かっていないんだ。機械のボタンを押せば何か分からないけど目的の研究ができるってふうにしか
機械を捉えていないから、機械がうまく動かないときは自分で直したりせずに修理を頼むんだ。
その間はだたぼぉ~って待つだけなんだ(笑)。他の理系の研究ではまず考えられないことだよね。
大事なのは、世界のバイオ機器を支えているのは電気工学と機械工学で、この2つがなければバイオは
ダメになるということ。でもバイオの人たちは、自分の研究が電気工学と機械工学に支えられていることに
全く気づいていないんだ。それなのに自分達だけでバイオの研究をしているって勘違いしている部分がヤバいんだよね。
バイオの人間はもっと発想を変えて、理系らしくすべきだと思うけど、みんなそんな意識はなくて毎日朝から晩まで、
続きは
古代いにしえよりの文明におけるコスモロジーは全体論(holistic)であり神学(theology)であった、なんていかめしくニューサイエンス的な前口上を言い立てるまでもなく、
明らかに昔のほうが物事を全体として捉えてたんだよな?そのことを如実にあらわしてるのが土着音楽について振り返ってみようか。原始のリズムを食らえ。
しかしよくよく考えてみると音楽における霊性なんてイマドキ流行らないし流行らせない。ほらやよい時代って祭儀と祭祀で回ってたから。古代ギリシャも神託で政治(ポリ)してた。politicsの語源だしなウソだけど。
基本リズムから全て派生していく様は完全に宇宙観をあらわしてる。けど現代人にはピンときづらいから紙粘土に喩えたらどうだ?
紙粘土ってなんでも作れる。だからこの世界は全部紙粘土で出来た世界として捉えてみることも可能である。箱庭宇宙。んだらば、それは素粒子論とは全く異質のモナドロジーではないのか?いやコスモロジー。
絶対なんて絶対ないなんて今様のポップス音楽はこぞって歌うけれど恥知らずに要素還元主義つきすすむのも悪くはない。ペンロー図で有名な先生は怒るけど。
あとホフスタッターとかそういうのに啓蒙されたジョブズ世代でしょ。音楽が時代精神(シュトゥットゥガルト)のみならず宇宙論(コスモロジー)も表わしてる。マクロな意味でね。
理論化って常に近似なんだよね。理論の上に乗っかっていびきかいてると分からないけど。そりゃ眠ったら本質が見えなくなります。
でも近似なのが分かってたらじゃあ実際どうなのよってなるじゃん?それはすぐれた近似なのかでたらめな近似なのか、そこを見極めないといけない。宇宙論()も見極めないと。
ところが見極める段になってまた見極めるためのメタ理論が要る。堂堂巡りじゃないか。そこで紙粘土の音楽は元から発想をひっくり返す。見極めるとか見極めないとかそんなチャチなもんじゃねえ。
恐ろしいものの片鱗を味わうのよ。つまり「これ」という指差しや「ほにゃらら」という名指しや「ほにゃらか」という言い表しは全部無意味ってこと。
「この音楽いいよ」であるとか「この部分って何を表現してるんじゃ?」であるとか。そういう発想ではない。われわれはマントラが宇宙の原始の創造音であると聞いたら幻惑してしまうだろう。
創造というか何というか、素粒子論とはまったく違った紙粘土の発想でのアレだからな。「これ」と指を使うとその時点で制限がかかるから指さずに「アレ」と要ったほうがよかろうもん。
その上であえて「ほげ」と呼ぶならば、その「ほげ」なる言葉としての意味はないが存在として意義のある呪文というか真言は、何に対しても使うことのできる万能のおまじないのようなものである。
嫌なことがあっても「ほげ」。嬉しいことがあっても「ほげ」。「そうだハロウィンだ」と思っても「ほげ」。全部「ほげ」。全部紙粘土なの。
静止した状態にある?って、静止しているなら、素粒子も移動したらダメなのでは?素粒子が移動するということは厳密には超微振動するのでは?
で、その時に、それを1秒としてもいいんだけど それはつまり、物体を静止していると仮定して時間を決めるということだから。
移動中の物体は移動速度の影響を受けて、素粒子も移動を阻害される。しかし、このとき時間は 静止していると仮定するので、
時間が遅くなっているわけじゃなくて、物体の化学反応というか、物理反応にかかる時間が遅くなっている。という可能性があるよね。
つまり、物理反応を用いて時間を定義しているので、物理反応自体を観測しようとすると 時間が遅くなっているのか(静止していても遅くなりえるのか?)
物理反応が遅くなっている(移動しているから反応速度が低下している)のか 区別がつかなくね?
つまり、時が止まる というのは 静止状態でも素粒子の反応速度が0になる。ということと、光速に達したので反応速度が0になる。という2つの現象があるわけだが
話通じないなあ。
オカルトに傾倒する人の思考回路はこういう風になってるんだな、という意味で興味深くはあるが。
怪奇現象が存在する理由は「ドラえもんが22世紀のひみつ道具を使ってやってる」とか「ほむほむが時間止めてなんかやってる」とか「未知の素粒子による真空エネルギーとの非対称な相互作用による」とか、なんでもいいわけ。
その中で、ホロスコープが当たる理由、四柱推命が当たる理由等をひとつの理由で説明できる解釈なので、これを好んで使っているだけだよ。
そもそも「当たる」と増田が思う根拠は「なんとなく当たると思うから」なわけだろ?
NHK クローズアップ現代の『どう教える”放射線”』にて、放射線に関する出張授業を取り扱っていた。
「アルファ線がヘリウム原子核のこととは知らなかった(意訳)」とインタビューに答えていて、
「おいおい、教師が教える内容を知らなくてどうするよ!?」とツッコミをいれたくなったが、ふと考えた、
(あれ?中学の理科で原子核とか放射線って習ったっけ?もしかして、高校では?)と。
学習指導要領を見ると、案の定、中学ではあくまで「物質は原子からなる」レベルの話しかしておらず、
高校になって
理科総合A「原子力に関連して,天然放射性同位体の存在やα線,β線,γ線の性質にも触れること。」
物理II「光や電子の波動性と粒子性,原子や原子核,素粒子における現象を観察,実験などを通して探究し,量子的な考えなど基本的な概念や原理・法則を理解させる。」
と定めているに過ぎない。
いやいや、これまずくないか?
高校生が通常のカリキュラムにおいて、放射線のことを学ぶ機会は理科総合Aか物理IIしかない。
自分が高校の時、1年は総合理科B(生物・地学)が必須で、2年から文系理系に分かれ、理系科目は物理・化学・生物・地学からの選択だった。
現在の一般的な高校も同様のシステムとすると、「理科総合Aを受けさせない高校に通っている、文系高校生または物理IIを選択しない理系高校生」は放射線に関して、中学生と同程度の知識しかない(=冒頭の教師みたいに原子核云々を知らない)ということだ。
うわあ、これじゃあ放射線に関するパニックが広がっても仕方ないわ。
「放射能が染る」とか言っちゃう人が出るのも当然だわ。
なんか、誰の役に立つのか分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。
さて、大学の理学部物理学科に入学するとしよう。基本的に物理学科は、専門が進んでいくと、
この2系統x2分野で、4カテゴリだけに全てが収められる。意外に思われるかもしれないが、私も当時(学部3年頃)びっくりした。本当にこの4つしかない。
まず理論系と実験系だが、その名の通り。理論系に進むと実験はやらずに、ひたすら理論だけ。本当に紙と鉛筆だけで物理モデルと数式を弄るだけのツワモノもまだいるけど、最近は、第一原理計算などのコンピュータシミュレーションも多い。
一方実験系に進むと、元旦に液体窒素を汲んで延々と真空ポンプのお守りをしたり、「吸い込むと死ぬ」「空気に触れると爆発する」とかナチュラルに危険すぎるガスをぶぉんぶぉん基板に吹き付けたり、TEM(透過型電子顕微鏡)の試料作成と軸合わせに12時間かけたあとに休憩も取らず深夜3時から測定開始したりする。要するに不死身である。しかも給料ももらわずに学費を払ってこれをやるのだから真性マゾである。……話がそれた。
大学院進学の際、実験系には希望すれば誰でも進めるが、理論系へは相当の能力(とりあえずはテストの成績と言って良い)が無いと進むことはできない。まぁ学部3年くらいになれば、物理ができるヤツと物理ができないヤツの本質的な差が自他ともに見えてくるので、みんな自分がどっちに進むべきかはおのずから悟って判断する。そのため、「理論系に進みたかったけど成績が足りずに不本意ながら実験系に行った」って人は、実はほとんどいない((が、一部の実験系の人はやはり理論系の人にコンプレックスを持っており、理論の人を揶揄する実験系の人も時々いる。そういう人は学生時代はあまりそれは出ず、准教授や教授クラスになってそうなる人が多い))。私の周りでも、理論系に行った人たちはやはり「天才」と呼べるだけの圧倒的物理センスを持っている人ばかりだった。
なお、実験系から理論系へ、または理論系から実験系へ移る人も、滅多にいないがいる。そういう人はものすごい変人か、ものすごい優秀かである。もちろん、変人かつ優秀の場合も多い。
先ほど言ったように、物理学科ではこの2つの分野しかない。意外だろうけどそうなのである。
物性物理学は、モノの性質を「なぜだろう」と問う学問である(と思う)。例えば物性理論の第一原理計算では、「なぜ銅は銅としての性質を持つのか」を、原子番号の29という数字だけ入れて作り上げようとする。一方、物性実験系だった私は、毎日毎日ひたすら真空ポンプのお守りをしながら、ナノ微細構造の作成とその電気特性を測定していた((今日は作成温度500度、明日は550度、明後日は600度……お、550度が一番いいな。みたいな))。その他、金属や半導体、光デバイス、磁性や超伝導、電磁気的性質、まぁそのへん全部物性系である。応用例も広く、就職も比較的マッチングしやすいので、物性実験系が物理学科のもっともスタンダードな専門となる。
一方、素粒子は毛色が違う。「素粒子」と「原子核」で分ける人もいるけど、面倒なので一緒にする。有名なところでは加速器をやってる人たち。高エネルギーと呼んでいる大学もある。要するにモノの性質を問うのではなく、モノを作っている原子の中身とその構造を追っていく学問だ。クォーク、ニュートリノ、グルーオンなどSF好みな題材が多い。素粒子は物性と違い、その経験を活かして就職しようとしても口が少ないため、アカポス狙いになってなかなか難しい。ただ、学部卒や修士卒で就職するつもりで専門に拘らないなら、分野なんて全然関係ないので気にしなくていい。素粒子から普通にリクルートや電通、化学系企業なんかに行った人はいっぱいいる。しかし博士課程に行くと……ポスドク地獄まっしぐらが待っている、気をつけよう。
みんな大好き宇宙論は、宇宙地球科学科が無い大学だと物理学科の素粒子に繰り込まれてしまう。高エネルギーとか場の理論とかになると、どうしてもそちらなので。
なお、物理学科に入る人で「宇宙論やりたい」って人はたくさんいるけど、講義が進んで悪魔のテンソル計算が山のように出てくると、多くの人が挫折してむしろ宇宙論が嫌いになってしまう。足の上げ下げ、共変・反変、今思い出しても夢に見そうだ。