「素粒子」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 素粒子とは

2013-03-12

学部生への研究最前線の関わらせ方

http://anond.hatelabo.jp/20130312032504への返信

オムニバス授業

学部生もある程度はバリバリ研究者の話に触れたほうがいいと思います

とても賛成です。

おそらく週替わりか月替わりのオムニバス形式の授業がそれに相当するのではないかと、

1人の教授が1~4コマ担当して、最前線の様子を伝える。

どんな話題があるのか、それを知る上で有意義な授業でした。

通常授業

ただやはり通常授業は専門の教官がいればそれに越したことはない。

プロジェクトを動かす著名な素粒子教授に基礎科目を教わっていますが、所詮は基礎科目なので、せっかくの教授カラーが生きてこない。

学生としても申し訳なく、その分研究に専念して頂きたい。


>学年があがるにつれての比率の問題っていうか。

そうですね。

その配合比が現状では最適でないと感じています

それ故にここで問題提起してみました。

2013-02-20

おいでよ ピペドの森 ~バイオ生物系)の世界について~

バイオの今までの数年の動向と現状、そして進路について思うことを書いてみたよ。

受験生バイオ系の学生さんに進路を考える点でちょっとでも参考になればうれしいよ。

バイオ時代はいずこへ・・・!?

数年前までバイオがとても注目されて、クローン技術移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品などが

有名になったよね。

マスコミ連中は「これからバイオ時代!」と騒いでいた。

では今はどうかと言えば、そんな言葉見る影もない・・。

あれだけ騒いでいたマスコミ連中は「これからナノテク時代」などと別なことをほざくようになって、

バイオなどどこ吹く風・・・。当時、理工学系の学部で最もレベルが高かったのは紛れもなく「バイオ学科」だったのに、

いまは最もレベルが低い学科に成り下がってしまっているみたい・・・

受験生の間では、

バイオなんて就職がない」

医療系以外の生物系は無職養成所」

「これからナノテク時代からマテリアル系化学系!」

「でも日本電子立国から電気電子系や機械系が最強!」

・・・などとバイオを見捨てているんだろうね。

悲しいけどこれは事実・・・

バイオはあまりに力がなさすぎたよ。

今後もバイオ時代が来るようには全く思えない・・・(汗)。

1990年後半はバイオブームだった!?

1990年後半は紛れもなくバイオブームだったんだ。

クローン羊ドリーの誕生によってクローン技術世界で騒がれ、はたまた脳死患者から日本初の臓器移植、あるいは、

世界規模で行われていたヒトゲノム計画の激化、夢のような食品を作ろうと考え出された遺伝子組み換え食品、まさに

バイオブームのまっただ中であったんだよ。

それと同時に「バイオ倫理観が伴う非常に難しいもの」と倫理性も問われるようになったんだ。

例えば、「クローン技術遺伝子組み換え自然が作ってくれた生物存在根底から覆すものだ!」って

非難を浴びたし、「脳死患者から移植倫理的問題がある」ってお偉い方は慎重だったし、

ヒトゲノム計画は、「それによって人の遺伝子が分かることでその人の人間的な価値まで判断されてしまう!」

なんて言われていたんだ。

これを読んでいるみんなもこれらのことは知っている人も結構いるだろうね。

倫理観まで問われるってことはそれだけバイオが注目されていた証拠でもあるよね。

じゃあ、あれから数年経った今はどうかって言うと、悲しいけど全く言われなくなっているよね。

何でだろう??もう問題点は解決しちゃったから?

それともバイオはみんなを幸せにしたからもういらなくなっちゃったってこと?

ブームの罠

繰り返すけど、1990年後半は紛れもなくバイオブームだった。

でもこの言葉って罠がある。

あくま1990年後半はバイオ"ブーム"ってわけで、バイオ時代が来たっていみじゃなかったんだよね。

ここに大きな問題点がある!マスコミ連中が報じる「これからは○○の時代」って言葉には注意が必要なんだ。

まりマスコミ連中の科学に対する報じ方っていうのは、

(1)今ちょっと話題になって科学のことを集める

(2)それを大々的に報じる

(3)そして世間がそれに食いついてきたら「これからは○○の時代」って報じる

と言うやり方があるんだよね。

から「これからは○○の時代」と言われても本当にその時代が来るかどうか誰にも分からないよね。

確かにそれを報じた時やその数年後はその○○が注目されるけど、それ以降はまた別な◎◎が注目されるようになって、

「これからは◎◎の時代」ってふうに話題がすり替わっているものなんだ。

いい加減だよね、マスコミって・・・

では、この前後科学世界ではどういったブームがあったかを振り返ってみよう。

年代ブーム
1985~1990バイオブーム利根川先生ノーベル賞きっかけ)
1989~1994地球環境ブーム(→農学部の大幅な改組)
1995~1998大型基礎研究施設ブームSPring-8スーパーカミオカンデ地球シミュレーター)
1998~1999ITブーム(正確にはIT革命ブーム
1996~2000バイオブームクローン技術移植医療、ヒトゲノム計画、遺伝子組み換え食品
2000ヒトゲノム計画のドラフト概要)が完了
2000ITバブル崩壊IT不況へ、しかし近年持ち直す)
2001(このあたりからバイオが騒がれなくなる)
2002~ナノテクブーム
2003ヒトゲノム計画が完全終了(しか世間はすでに見向きもしなくなっていた・・・

あれあれあれ??!1985~1990年にもバイオブームがあったんだ~。

実はこれ、利根川先生ノーベル賞を取ったことを機にかなり盛り上がったみたいなんだ。

当時バブル経済まっただ中で、いろいろな企業もこぞってバイオ研究をするようになっていたんだ。

電機メーカー線虫っていう虫の脳神経を調べたり、神経細胞が伸びていく方法を利用して半導体

回路の作成研究をしてみたりってふうにね。

でも、バブル経済崩壊したらそれらのメーカーバイオ研究をやめちゃったんだ。

バイオ研究って他の分野の研究とは違ってきちっとした方法論が確立されていなくて手探りでやるから

ものすごくお金時間を要するから

本業で稼ぐのが一番ってことで電機メーカー撤退しちゃったんだ。

1989~1994年環境ブームも"クセモノ"だよね。

なんでクセモノかって?それはウサンくさいから(笑)

その理由はQ&Aで書いておくね。

その次の1995~1998の大型基礎研究施設ブームっていうのは主に物理学世界で、宇宙とか素粒子

原子構成しているもの)を研究するのには大型の研究施設必要ってことで各地に建設がされたということだよ。

1998~1999年にはITブームがあったよね。

当時マスコミ連中が言ってた言葉は当然「これからIT時代」。

でもそれも2000年崩壊しちゃった(苦笑)。

1996~2000年バイオブームがまた来ているよね。

これがぼくがさっきから言っていたバイオブームのことだよ。

2000年にヒトゲノム計画のドラフト完了したことで、当時マスコミ連中はバイオ倫理について大騒ぎしたんだよね。

でも、これを境にだんだんバイオが騒がれなくなっていったんだ・・・

これとは対照的2002年くらいからナノテクだんだんと報じられるようになってくる。

2003年にヒトゲノム計画が完了したときにはもう誰も世間の人は見向きもしなくなってしまっていたんだ・・・

何でだろうね・・!?

ブームが終わるってのは2種類の理由があると思う。

1つはそれが完全に終了してしまって次がない場合

2つ目は同じことの繰り返しで真新しさがなくなってしまった場合

1つ目にあたるのは、ヒトゲノム計画だね。

当時は人の遺伝子が全部分かれば、病気の原因も分かるようになるって注目されたけどそんなことは全然ないよね。

結局、遺伝子解読したから何が分かると言えば、その遺伝子配列が分かっただけ。

それ以降には全然進まない。

だってどの遺伝子が原因は結局は実験をしてみないと分からないものから

ヒトゲノム計画は学問的にも産業的にも利用価値がなかったってわけ・・・

ヒトゲノム計画の時にアメリカのある企業ががんばっていたんだけど、終了後はこの計画にあまり意味がないことに

気づいて今は全然違うことをテーマにしているらしい(苦笑)。

ヒトゲノム計画はそんな程度だったみたいだね。

2つ目の理由に当たるのは、クローン技術脳死移植遺伝子組み換え食品だね。

その後はあまり技術的な革新はないからクローン技術はその対象を広げたけどそれ以上はないし)、マスコミ的には

もう意味がなくなったってことなんだろうね。

何かフタを開けてみるとあっけないよね・・・

それにしてもいろいろなブームがあったんだよね(皮肉/苦笑)。

ブームってのは確かに山があって頂上まで行ったら後は滑り落ちるだけってのは分かる。

でも科学世界ってそんな短期間で語れるようなブームで動いているわけ!?答えは「それは正しくない」よね。

今まで言ったように科学世界ブームは単純にマスコミが作り出しただけで、実際の科学研究もっとコンスタント

行われていて、確かにある分野が注目されるときはあるけどそのあとは見向きもされなくなるなんてことは変なことだよ。

だって見向きもされなくなるってのはその研究価値がなかったってことが分かったってことなんだからね。

でも、世間の人はそういうたった数年のブームにのせられてしまうし、多感な受験生なんてそれだけを信じて進路を

選んでしまうことが多いから要注意だね。

「これからは○○の時代」ってフレーズに載せられてその○○の分野に入学しても自分がいざ研究就職

しようとするときには世間は完全に見放していたなんてことになったら、いったい何のためにその分野を

選んでしまたかからなくなってしまうよね(苦笑)。

さあ、次はどんなブームが来るんだろうね!?皮肉/苦笑)

バイオ人間の考え方

バイオ研究者生物をどのように解析するか?それは文字通り「ただやみくもに」って言葉がぴったりな方法なんだ。

びっくりしたでしょ?ぼくはバイオ研究問題点は3つあると思っているよ。

1つ目は、生物学研究方法では他の分野(特に物理学化学工学)のように原理原則を見いだそうとは

されていないこと。だから生物学研究方法はまるで『錬金術』のように「訳の分からない遺伝子をやみくもに入れてみたら

どうなる?」とか、「この薬品とこの薬品を入れてみたらどうだろう?」ってふうに原理原則を見いだそうとせずに、

結果さえよければそれでいいって感じでやっているのが現状なんだ。

錬金術ってのはみんなが小学校中学校で習ったと思うけど、昔の人は金属ごとに違う原子でできていることを

知らなかったから、鉄やアルミニウムから金を作ろうと必死にいろいろな方法を試していたんだ。

これらの原理原則を知っている現代の人から見ればバカバカしいことだけど、残念ながら生物学研究現在でも

この錬金術のような方法をとっているんだ・・・

2つ目は1つ目とも関連があるんだけど、生物学の源流が『博物学であるから、その博物主義的な発想から

抜け出せないところ。みんなも博物館に行けばいろいろな昔のものが陳列してあってどの時代にどのようなもの

あったかよく分かるよね。でもそれが分かったところで今の自分生活には活かせないでしょ?それと同じで生物学も、

その対象動物植物から細胞分子レベルにまで移ったのに、やっていることは昔の生物学者がおもしろ生物種を

追い求めて野外を駆けめぐったように、今の生物学者も同じ発想で遺伝子細胞の中で働いているタンパク質

発見することに全力を注いでいるよ。そしてそれに名前を付けて陳列して「どうだ!オレはこんなにたくさんのもの

発見したんだぞ」って威張っている状態なんだ。

から、そこから一般的原理原則を見いだすことはないし、それを何かに役立てようって雰囲気も全くないんだ・・。

3つ目は生物学者の頭は完全に文系であるってこと。

表向きは生物学理系に属しているけど、理系らしさの証でもある数学物理学化学を駆使して数理的に

解析するなんてことは絶対にない。

そういった解析をしている学者生物学者ではないんだ(苦笑)。

確かに生物と言えども自然界に存在するものはすべて物理化学法則に縛られているから、その方向から

解析が必要になるはずだけど、生物学博物学の流れを持っているからそのような部分には生物学者は

見向きもしないんだ。

文系でも経済学心理学社会学では数学結構使うから生物学者は文系以上に

理解析をしないってことになるよね・・・

それだったら何のために大学入試数学理科をやってたんだよって感じだよ。

しかも、生物学研究には多くの機械を使うけど、生物学者は機械原理や中身の動作については

全く分かっていないんだ。機械ボタンを押せば何か分からないけど目的研究ができるってふうにしか

機械を捉えていないから機械がうまく動かないとき自分で直したりせずに修理を頼むんだ。

その間はだたぼぉ~って待つだけなんだ(笑)。他の理系研究ではまず考えられないことだよね。

大事なのは世界バイオ機器を支えているのは電気工学機械工学で、この2つがなければバイオ

ダメになるということ。でもバイオの人たちは、自分研究電気工学機械工学に支えられていることに

全く気づいていないんだ。それなのに自分達だけでバイオ研究をしているって勘違いしている部分がヤバいんだよね。

バイオ人間もっと発想を変えて、理系らしくすべきだと思うけど、みんなそんな意識はなくて毎日から晩まで、

時には徹夜実験をして喜んでいるだけなんだよ・・・

これはマジでやばいって!

続きは

http://anond.hatelabo.jp/20130220194940

2013-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20130207133539

物理学科で研究室内で70人の前で発表ってのも意味わからんな。

素粒子実験系とか?それでも信じがたいが。

2012-10-15

土着音楽フォークロア)と紙粘土

古代いにしえよりの文明におけるコスモロジー全体論(holistic)であり神学(theology)であった、なんていかめしくニューサイエンス的な前口上を言い立てるまでもなく、

明らかに昔のほうが物事を全体として捉えてたんだよな?そのことを如実にあらわしてるのが土着音楽について振り返ってみようか。原始のリズムを食らえ。

しかしよくよく考えてみると音楽における霊性なんてイマドキ流行らないし流行らせない。ほらやよい時代って祭儀と祭祀で回ってたから。古代ギリシャ神託政治(ポリ)してた。politics語源だしなウソだけど。

基本リズムから全て派生していく様は完全に宇宙観をあらわしてる。けど現代人にはピンときづらいか紙粘土に喩えたらどうだ?

紙粘土ってなんでも作れる。だからこの世界は全部紙粘土で出来た世界として捉えてみることも可能である。箱庭宇宙。んだらば、それは素粒子論とは全く異質のモナドロジーではないのか?いやコスモロジー

絶対なんて絶対ないなんて今様ポップス音楽はこぞって歌うけれど恥知らずに要素還元主義つきすすむのも悪くはない。ペンロー図で有名な先生は怒るけど。

あとホフスタッターとかそういうのに啓蒙されたジョブズ世代でしょ。音楽時代精神(シュトゥットガルト)のみならず宇宙論コスモロジー)も表わしてる。マクロ意味でね。

理論化って常に近似なんだよね。理論の上に乗っかっていびきかいてると分からないけど。そりゃ眠ったら本質が見えなくなります

でも近似なのが分かってたらじゃあ実際どうなのよってなるじゃん?それはすぐれた近似なのかでたらめな近似なのか、そこを見極めないといけない。宇宙論()も見極めないと。

ところが見極める段になってまた見極めるためのメタ理論が要る。堂堂巡りじゃないか。そこで紙粘土音楽は元から発想をひっくり返す。見極めるとか見極めないとかそんなチャチなもんじゃねえ。

恐ろしいものの片鱗を味わうのよ。つまり「これ」という指差しや「ほにゃらら」という名指しや「ほにゃらか」という言い表しは全部無意味ってこと。

「この音楽いいよ」であるとか「この部分って何を表現してるんじゃ?」であるとか。そういう発想ではない。われわれはマントラ宇宙の原始の創造であると聞いたら幻惑してしまうだろう。

創造というか何というか、素粒子論とはまったく違った紙粘土の発想でのアレだからな。「これ」と指を使うとその時点で制限がかかるから指さずに「アレ」と要ったほうがよかろうもん。

その上であえて「ほげ」と呼ぶならば、その「ほげ」なる言葉としての意味はないが存在として意義のある呪文というか真言は、何に対しても使うことのできる万能のおまじないのようなものである

嫌なことがあっても「ほげ」。嬉しいことがあっても「ほげ」。「そうだハロウィンだ」と思っても「ほげ」。全部「ほげ」。全部紙粘土なの。

2012-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20120713202251

静止した状態にある?って、静止しているなら、素粒子も移動したらダメなのでは?素粒子が移動するということは厳密には超微振動するのでは?

で、その時に、それを1秒としてもいいんだけど それはつまり、物体を静止していると仮定して時間を決めるということだから

移動中の物体は移動速度の影響を受けて、素粒子も移動を阻害される。しかし、このとき時間は 静止していると仮定するので、

時間が遅くなっているわけじゃなくて、物体の化学反応というか、物理反応にかかる時間が遅くなっている。という可能性があるよね。

 

まり物理反応を用いて時間定義しているので、物理反応自体を観測しようとすると 時間が遅くなっているのか(静止していても遅くなりえるのか?)

物理反応が遅くなっている(移動しているか反応速度が低下している)のか 区別がつかなくね?

 

まり、時が止まる というのは 静止状態でも素粒子反応速度が0になる。ということと、光速に達したので反応速度が0になる。という2つの現象があるわけだが

一般の人が言っている時が止まるは前者で、科学者が言っている時が止まるは後者だとおもわれる。

http://jp.diginfo.tv/v/11-0167-d-jp.php

教えてエライ

例えば時計の高さが1センチ違うと、1センチ高い方の時計は、重力が少ない分時間が早く進みます

1秒の定義って・・・なに?

 

原子素粒子運動量は 移動速度 によって異なるよね?

光速に近づけば近づくほど、分子運動できなくなる。

 

何かを図るときには それより精密な制度ではないと測れない。

 

原子運動ベースに決めた 時間という単位では  原子運動以上の粒度運動時間は履かれるけれども、 原子運動のもの定義するには 粒度が不十分? 

2012-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20120222131537

話通じないなあ。

オカルトに傾倒する人の思考回路はこういう風になってるんだな、という意味で興味深くはあるが。

無限かどうかはわからないけど複数用意できることは確か。

検証不可能なもの」をロジックと呼ぶ以上、無限にあるわけ。

怪奇現象が存在する理由は「ドラえもん22世紀ひみつ道具を使ってやってる」とか「ほむほむ時間止めてなんかやってる」とか「未知の素粒子による真空エネルギーとの非対称な相互作用による」とか、なんでもいいわけ

その中で、ホロスコープが当たる理由、四柱推命が当たる理由等をひとつの理由で説明できる解釈なので、これを好んで使っているだけだよ。

そもそも「当たる」と増田が思う根拠は「なんとなく当たると思うから」なわけだろ?

強いて言うなら、他に妥当と思える解釈がまだ見当たらないので。

そりゃ増田視野が狭くて知識が足りないからじゃないの?

2011-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20111206115032

可視光電磁波だし宇宙線なんて高エネルギー素粒子が直接飛んできてるからヤバいな。

部屋に鉛のドームでも作ってひきこもってるのがいいんじゃないか。

2011-10-17

放射線中学・高校のカリキュラム

NHK クローズアップ現代の『どう教える”放射線”』にて、放射線に関する出張授業を取り扱っていた。

その中である中学校教師が

アルファ線ヘリウム原子核のこととは知らなかった(意訳)」とインタビューに答えていて、

「おいおい、教師が教える内容を知らなくてどうするよ!?」とツッコミをいれたくなったが、ふと考えた、

(あれ?中学理科原子核とか放射線って習ったっけ?もしかして、高校では?)と。

学習指導要領を見ると、案の定、中学ではあくまで「物質原子からなる」レベルの話しかしておらず、

高校になって

理科総合A「原子力に関連して,天然放射性同位体存在α線β線γ線の性質にも触れること。」

物理II「光や電子波動性と粒子性,原子原子核素粒子における現象を観察,実験などを通して探究し,量子的な考えなど基本的な概念原理法則を理解させる。」

と定めているに過ぎない。

いやいや、これまずくないか

高校生が通常のカリキュラムにおいて、放射線のことを学ぶ機会は理科総合Aか物理IIしかない。

なんと、物理Iでは原子核云々の話を行わないのだ!

自分が高校の時、1年は総合理科B(生物地学)が必須で、2年から文系理系に分かれ、理系科目は物理化学生物地学からの選択だった。

現在の一般的な高校も同様のシステムとすると、「理科総合Aを受けさせない高校に通っている、文系高校生または物理IIを選択しない理系高校生」は放射線に関して、中学生と同程度の知識しかない(=冒頭の教師みたいに原子核云々を知らない)ということだ。

うわあ、これじゃあ放射線に関するパニックが広がっても仕方ないわ。

放射能が染る」とか言っちゃう人が出るのも当然だわ。

だって、彼らは「放射線とは何か」を学校で習ってないんだもの

そりゃ何かの病原菌や毒と同じようなものと考えるだろう。

だって、彼らは「放射線とは何か」を知らないんだもの

からと言って、福島差別が許されるわけではないが。

2011-09-29

大学物理学科について急に語りたくなったので語る。

なんか、誰の役に立つの分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。

さて、大学理学部物理学科に入学するとしよう。基本的に物理学科は、専門が進んでいくと、

この2系統x2分野で、4カテゴリだけに全てが収められる。意外に思われるかもしれないが、私も当時(学部3年頃)びっくりした。本当にこの4つしかない。

理論実験

まず理論系と実験系だが、その名の通り。理論系に進むと実験はやらずに、ひたすら理論だけ。本当に紙と鉛筆だけで物理モデルと数式を弄るだけのツワモノもまだいるけど、最近は、第一原理計算などのコンピュータシミュレーションも多い。

一方実験系に進むと、元旦液体窒素を汲んで延々と真空ポンプのお守りをしたり、「吸い込むと死ぬ」「空気に触れると爆発する」とかナチュラル危険すぎるガスをぶぉんぶぉん基板に吹き付けたり、TEM(透過型電子顕微鏡)の試料作成と軸合わせに12時間かけたあとに休憩も取らず深夜3時から測定開始したりする。要するに不死身であるしか給料ももらわずに学費を払ってこれをやるのだから真性マゾである。……話がそれた。

大学院進学の際、実験系には希望すれば誰でも進めるが、理論系へは相当の能力(とりあえずはテストの成績と言って良い)が無いと進むことはできない。まぁ学部3年くらいになれば、物理ができるヤツと物理ができないヤツの本質的な差が自他ともに見えてくるので、みんな自分がどっちに進むべきかはおのずから悟って判断する。そのため、「理論系に進みたかったけど成績が足りずに不本意ながら実験系に行った」って人は、実はほとんどいない((が、一部の実験系の人はやはり理論系の人にコンプレックスを持っており、理論の人を揶揄する実験系の人も時々いる。そういう人は学生時代はあまりそれは出ず、准教授教授クラスになってそうなる人が多い))。私の周りでも、理論系に行った人たちはやはり「天才」と呼べるだけの圧倒的物理センスを持っている人ばかりだった。

なお、実験から理論系へ、または理論から実験系へ移る人も、滅多にいないがいる。そういう人はものすごい変人か、ものすごい優秀かである。もちろん、変人かつ優秀の場合も多い。

物性と素粒子

先ほど言ったように、物理学科ではこの2つの分野しかない。意外だろうけどそうなのである

物性物理学は、モノの性質を「なぜだろう」と問う学問である(と思う)。例えば物性理論の第一原理計算では、「なぜ銅は銅としての性質を持つのか」を、原子番号の29という数字だけ入れて作り上げようとする。一方、物性実験系だった私は、毎日毎日ひたすら真空ポンプのお守りをしながら、ナノ微細構造作成とその電気特性を測定していた((今日作成温度500度、明日は550度、明後日は600度……お、550度が一番いいな。みたいな))。その他、金属半導体、光デバイス、磁性や超伝導電磁気的性質、まぁそのへん全部物性系である。応用例も広く、就職比較マッチングしやすいので、物性実験系が物理学科のもっともスタンダードな専門となる。

一方、素粒子は毛色が違う。「素粒子」と「原子核」で分ける人もいるけど、面倒なので一緒にする。有名なところでは加速器をやってる人たち。高エネルギーと呼んでいる大学もある。要するにモノの性質を問うのではなく、モノを作っている原子の中身とその構造を追っていく学問だ。クォークニュートリノグルーオンなどSF好みな題材が多い。素粒子は物性と違い、その経験を活かして就職しようとしても口が少ないため、アカポス狙いになってなかなか難しい。ただ、学部卒や修士卒で就職するつもりで専門に拘らないなら、分野なんて全然関係ないので気にしなくていい。素粒子から普通にリクルート電通化学企業なんかに行った人はいっぱいいる。しか博士課程に行くと……ポスドク地獄まっしぐらが待っている、気をつけよう。

宇宙論は?

みんな大好き宇宙論は、宇宙地球科学科が無い大学だと物理学科の素粒子に繰り込まれてしまう。高エネルギーとか場の理論とかになると、どうしてもそちらなので。

なお、物理学科に入る人で「宇宙論やりたい」って人はたくさんいるけど、講義が進んで悪魔テンソル計算が山のように出てくると、多くの人が挫折してむしろ宇宙論が嫌いになってしまう。足の上げ下げ、共変・反変、今思い出しても夢に見そうだ。

2011-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20110811100710

27 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/07(木) 07:34:16

素人童貞>>>>>童貞は間違いないと思う

童貞は認めたくないみたいだけど、やっぱ大分違うぜ

31 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 18:39:37

これ等式記号だろ。素人童貞の方が童貞より偉いって

意味なんだよな。その後で、大分違うってどんな演繹

だよ。違いを知ってるから偉いって意味なのか?

だったら、どう違うか相対的な整合性を仮定しなきゃ

まったく意味がないよな。

人間ゲシュタルト感覚にまで及ぶ言及をするわけだから

個人的な経験則は無効だぞ。

ハイゼンベルグの不確定性理論とか知らないんだろ。

まあ本格的なバカみたいだから簡単に設問すると、

風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか、

科学的に証明しろ。

但し、射精する時の感覚絶対値と仮定する。

32 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 20:21:41

偏差値40台な感じでお願いしま

33 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 21:39:53

>>31

僕はその問題に少しだけ詳しいので知っていることを説明しま

あなたもご存知の通り、

風俗オナニーよりなぜ気持ちいいのかという設問は長らく論争の的でした

いまだに決着していないといってもよいその議論は

とりもなおさず生命とは何かということの定義あるいは自己複製へのイデオロギー確信

ついての実在論的なアプローチ歴史でもあります

世界中科学者研究者がこの人類に残された究極にして最後の謎、

洞窟の奥底にひたすら隠し通されてきた輝くべき聖杯を目指して

暗い闇の中を手探り状態で開拓しはじめたのが今から70年程まえです

話は少し長くなりますがやはりこの辺りから始めることにしま

一見、簡単に見える真実こそ証明するのが難しいものです

34 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 22:25:11

今 私の手元には一つの論文があります

著者はサイモンプライマー、題名が「断片の創造性にかかる自己複製への影響の解釈」という

当時まだまったくの無名だった生物化学者が記したものです

この科学論文が英国科学研究機構に提出されたのが今から71年前のこと、

当時この論文にはさほど科学的に重大な発見が記されているとは思われていませんでした

そこに書かれていたのは、自己複製の連続性つまり人類生命誕生における

遺伝子決定に関してたんぱく質が影響をおよぼす断片的な創造性の思想的な解釈でした

それはDNAの2重螺旋構造セントラルドグマとした当時のある種流行とも呼べるテーマでした

この全体としていささかインパクトにかける無名の生物学者が書いた論文

たった一行それはあまりにもさりげなくしかし後の科学にとっては非常に重要示唆が挿入され

それをあくまで直感的に解釈するプライマー言葉が短くしるされていました

それが以下、

「  素人童貞>>>>>童貞

 私はこの等式記号がただちにオナニー快感を否定するものではないことを承知するが

  さしあたって風俗での射精との関連についての演算的なゴールであることを定義するものであること

  を証明するための帰納的な一歩であることをここに記す」

でした。

ここに風俗オナニーに関する科学史の始まりとそして同時に終末が同時に記されたのです

あるいは当時この示唆はあまりにも大胆な飛躍ととられたのかもしれない。

しかし、このほんの小さな一陣の風の前に

一人の研究者が現れることで科学史は大きなうねりを持ち始めるのでした

37 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 22:41:12

意味はわからいかもしれませんけど、まだ始まったばかりですから

最終的に風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか科学的に証明するところまで

行くのにあと300レスは必要なんだしその頃には分かるんじゃないかと思います

38 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 23:00:36

ごめん終わらせちゃっていい?

挿入の快感オナニーはないから、でFA

39 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 23:05:39

天才だなお前

46 :31:2008/08/08(金) 23:30:56

ちょっと待ってくれ。

確かに俺は科学的に証明することを求めた。

それはあくまでスレットのタイトルである

素人童貞が聴く音楽」をユニタリ同値的な公理

演算するためだ。人間オスが射精に至るまでの

線形方程式、例えばハミルトン方程式のようなもの

証明できれば、精子時間依存であり、勃起ベクトル

時間発展しないことの証明になると考えたからだ。

>>37がやろうとしていることは生命科学だよな。

まり精子たんぱく質合成から始まって、

大脳辺縁系の性中枢にあるA10神経が駆動してから

勃起射精に至るまでを、DNAのふるまいで解読

しようというわけか?それを300レスで?不可能だろ、常考

おまえがやろうとしているのは疑似科学だ。

風俗オナニーより気持ちがいいという公理

捏造することもできない。

せいぜい南京大虐殺のような物語を書くぐらいか

47 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 23:58:58

>>46

君が>>31で設問したんだよ

風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか、

科学的に証明しろ。

>但し、射精する時の感覚絶対値と仮定する。

僕はそれを証明しようとしてるだけだし

それを疑似科学だとか言うならそもそも君の設問がナンセンスだってことになるよ

それに僕はオナニーでの射精から得られた精液から得られた微量のゲノムDNAサンプルと

風俗での射精から得られた精液から得られたゲノムDNAサンプルのRCA解析の結果を2次元下で

モデル化することで余剰次元素粒子標準の不明点は切り離せると考えてるし

あくまで演算的に設問を証明しようとしてるわけだから可視化力学的性質だけで

検出できない微小なプロセス物理的な効果も無視されるのがふつうだ。

君の考えていることとはベクトルがまるっきり逆だと思う

射精メカニズムを解析するのではなく射精された精液に含まれるDNAのふるまいによる

観察結果がおのずと回答を導くんだ。だから300レスで十分に証明可能なんじゃないか

48 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/09(土) 00:07:58

間違えたPCRでの解析だ。RCAじゃヒッグス機構階層性問題の内部対称性が示せない。

超対称性を取り入れた標準モデル拡張性の大きな強みは、粒子とスーパーパートナー

双方から仮想の寄与があるとき超対称性によって仮想フェルミオンと仮想ボソンそれぞれの量子補正

実現できるてことになるから。とにかくRCAじゃなくてPCRでの解析を比較します。

49 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/09(土) 00:24:32

読んでて頭が割れそうだ。

2011-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20110414173400

うちのかーちゃん理学部物理素粒子専攻だったか

えー? 200Bq/Kg? 0.1μSv/h? そんなの怖がる人いるんだ・・・まあ、大人でお化け怖がる人もいるからねぇw

なんて言ってた

理系かーちゃんかっけーな

http://anond.hatelabo.jp/20110414144719

女だからって事は無いと思うよ

うちのかーちゃん理学部物理素粒子専攻だったか

えー? 200Bq/Kg? 0.1μSv/h? そんなの怖がる人いるんだ・・・まあ、大人でお化け怖がる人もいるからねぇw

なんて言ってた

必要なのは正確な知識

2011-03-04

QBテクノロジーについて

QBさんはエントロピーの話を軸に「宇宙全体のエネルギーは目減りしていく一方なんだ」と仰っていました

正確には「知的生命体が効率的に利用可能エネルギーが減っていく一方」なのであって宇宙全体としてのエネルギーの総量は変わらないはずです

(素粒子レベルでの話を持ち出すのはSF的にナンセンスだと私は思うのでそこはスルーします)

よって「知的生命体の感情エネルギーに変換するテクノロジー発明した」という設定だとエネルギーが増大する事になってしまいますので

エントロピーとして拡散したエネルギー感情によって利用可能な物に変換するテクノロジー発明した

感情とは元々エネルギーの一種でありそれを利用可能な物に変換するテクノロジー発明した

この何れかの設定を付与することで保存則に筋を通す事が出来、

SFとしてより強固な作品となる事でしょう

2010-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20101029155708

いや、そんなことはわかってるよ。

社会学ゴミ研究に金出すくらいだったら、何の役にも立たないけど素粒子論の研究とかに金入れた方がよっぽどいいと思う。

2010-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20101018222311

そういう考え方をするなら、現代の純粋数学文学と同じくらい役に立たないと思うよ。

素粒子論とか宇宙論とかも。

2010-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20100924004322

いやいや、SFはとうの昔に方法論の一ジャンルなわけで。

ロボの話だと、機械/コンピューターってのが既に身近なので、それを扱うのも身近な所からの方がウケる。

宇宙ものも衛星太陽系惑星情報が身近なので、「身近系」。日本人宇宙飛行士とかもう何人か。火星人は笑い話でしかない。

クローンも実現されネットの海も出来上がり既に背景。

時代は素粒子ダークマター、そして人間自身の心、その発生や行く末はいまだ謎。

なに?幼年期が終わる前に龍の卵を探しに行け?それならobjectOでも連れてこい。

それでも金属ゴリゴリ感だって捨てたものじゃないと思ったトランスフォーマー視聴後の増田より

2010-07-28

箱○優位でPS3が撤退?

箱○優位でPS3が撤退?

またアメリカなんかに日本が敗北するんだな。

昔、沢山の焼夷弾や2つの原爆を投下され無惨な程ボロボロにされ

何の罪も無い女子供、お年寄りが大量に葬られたってのに。 そんな残酷な事をした国のハードを必死に支持するとは

何という薄情極まりなき非国民

おまえ等のような輩、八百万の神々の神罰を受け素粒子レベルまで砕け散るがよいわ!

2010-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20100610160635

社会経験をしたことがない子なので「大学=就職活動に有利な場を選ぶ場所」という認識が強くて驚いています。

いや、そうじゃなくて、君の好きなものがあまりにも金にならなさすぎるものばかりだってことだよ。

まだ素粒子物理に興味あるとかの方がいい。

親が金持ちで生活に苦労しないんならその辺を専攻してもいいと思うよ。

日本はもう階級社会になったから、階級低い奴に人生自由度なんて無いよ。

2010-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20100529132411

原子レベルでみても素粒子レベルでみても、かならず対になるものは存在したている。

でなければ間もなく崩壊する。

反対の力があるから均衡を保つ。

ひとが矛盾を捨て思想に偏りを持つとひとは対となるものを外に探さなければならない。

ウヨクサヨクを探すのもそうしなければ比較ができないからだ。

選択肢が無い所からは選べない。

2010-02-05

すげー小さいんだよ。

もう、すげー小さい。

洗剤に含まれているものの粒の小ささを競う意味わからんけども。

でもある程度より小さかったら

もう俺らにはわかんないね。

ウソもつけるしな。

カス原子何個分とか

素粒子いくつの集合体とか

どうでもいいしな。

そういえば子供って

那由他とか不可思議とか好きね。

2009-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20091230210631

理解しました。

地球重力の影響までしか考慮しないで、物体の重力影響を誤差として無視することが多い、一般的な教育の範囲では。

と言い換えれば、よろしいですか?

というのが1点。

もう1点は、加速度というか、総合的な速度というか、時間と移動距離の関係って、とんでもなく厳密に言ったときに、本当に質量に影響しないんでしたっけ?

軽い物体、正確には、素粒子1個 と 普通の物体 で ニュートン力学的な力と移動距離って

恐ろしく厳密な領域でも成立するんでしたっけ?こっちは、厳密に計算したことが無いので勘違いかもしれませんけど。

そういう意味ですか?というのがもう1点

2009-12-20

超能力と魔術(超電磁砲

超能力はパーソナルリアリティ(自分だけの現実)によるものとされている。FATEでいえば固有結界主観による客観への浸食本質

対して魔術は、あくまでの法則に従う技術スキル世界の内側での話で、ルールの行使、儀礼による操作が本質

こういう対比において、学園都市レベルファイブの上位が、世界律そのものにかかわる能力なのは偶然ではない。

メタというか現実で対応するものといえば、超能力はここでは創造性を意味する。世界に新しいものを持ち込む、主観による客観への浸食

これに対して、魔術は、もっと技術的で、狭い意味知的能力だ。すでにあるルールを、別の形で転用し、利用する。それがマジック

わりと美琴ってアニメの印象では弱いと思われていたと思うんだけれど、今回で片鱗が見えたとおり、

彼女より強いのは、負けないことそのものが能力であるような(反射とはそういうことだろう)一位と、世界法則そのものに干渉する第二位だけ。

だいたい、電子というのは素粒子なので、それを自由にできるというのは、かなり世界根底構造に干渉できるということでもあり、

普通に考えても、応用の汎用性は高い。また、象徴的にも、元素化身ということは、神話的な雷神イメージでもある。

ところで、固有結界ということでいえば、とあるの超能力は、それぞれ「根源」とでもいうべき、願いの形のようなキーワードというか、

そういう意志が、能力発動のもとにある。それがたとえば、アクセラレータでは誰にも負けないこと、であったりした。

美琴が電撃使いであることの根源には何があるのか、というのも、考えてみると面白いかもしれない。

2009-11-29

OD問題に憶う ---土方克法

就職博士 (OD) の問題がついに新聞紙上に姿をあらわした。昨年秋の札幌学会で、当地の若い人達OD問題のビラを配っていたが、内容は”われわれをどうしてくれるのだ”ということであった。筆者の大学では、1967年物理系の学科ができたが、教官定員はアッという間に優秀な人達で埋められてしまい、もう空き定員はない。その後いろいろな方面から就職の照会があるが、ない袖は振れず、如何ともし難い。このようにして、われわれも事の重大さを数年来感じてきたが、何等の有効な対策も講ぜられぬまま今日に至ったのであろう。素粒子関係では未就職者の数は600名とか1000名とか聞く。この人達は本職ならざるアルバイトをしたり、周囲の庇護のもとに生活しているのであろう。現在のわが国は数千名のODを養う経済的余裕があるのかも知れない。しかし、たいていの人はODとなって何年か後には”おれをどうしてくれるのだ”という不満をもつにちがいない。いや既に各所でこの問題が表面化しておればこそ、新聞種にもなるのだ。

筆者の近所にはいわゆる教育ママがたくさんいて、小学校のうちから一流大学を目指して子供をしごく。愚妻もその1人であって、大学非常勤講師手当を上回る額を月々進学塾に貢いでいる。このまま大学までずっと勉強を続けるのが母親の念願なのであろう。大学で勉学をするのは当然なことだが、最も熱心に勉学を続けた人のなれの果てがODではないか。筆者は時々愚妻に”子供ルンペンに仕立て上げるつもりか”と言う。しかし、大学入学以後のことまでは考えが及ばないようで、あまり効果がない。

たしかに物理学若者の心を魅了するものをもっている。筆者の教壇からの経験をいうと、1年のクラスでは話が熱力学第2法則とか相対論のくだりになると、日頃ゴソゴソ私語を交わしている学生でもフト熱っぽい眼をする瞬間がある。”私は物理学にだけは強い幻想をもっている”と言ったある全共闘学生を忘れることができない。”1次元振動子の理論はよくできすぎている”と溜息をついた学生もいた。同じ意味で、群論量子力学への応用とか、Dirac方程式などには何者にも替え難いBeautyがある。ところで本講座『現代物理学の基礎』の各巻を執筆される方々は、物理学をいかに美しく展開するかに薀蓄を傾けておられるであろう。そして多くの学生を魅了することであろうが、彼等に対してわれわれは責任を感ずべきではないだろうか。少なくとも彼等が物理学への興味を失うことなく、正常な姿で生活できるようにと願うのは自然の感情であろう。筆者は博士課程、とくに理論方面に進む希望学生に対しては、OD現実を説き、物理学の汚い半面を強調して、その夢を醒ますことをまず試みる。それにもかかわらず、素粒子とか生物物理を志す学生はあとを絶たないのである。

しかし、思ってもみるがよい。なぜOD問題が生じたのか。講座増を希望したのはわれわれである。教官定員が増え、万年助手が昇格し、研究室が活気を帯びたのも束の間、学生は年々入ってくる。これらの学生産業界には出てゆかない。そこで再び教官定員増を要求する。しかし政府はある学生数に対して教官を配置するという方針を墨守しているから、この悪循環は急速に発散して今日の事態となったのではないか。すなわち、非は数年先のことを考えずに(または考えていながら)教官の定員増を要求した大学側にある。

一昔前の話になるが、筆者が米国の某大学で、物理学科の学生1人1人に、学位を取ったらどこへ行くかを問うたところ、1人の例外もなく、"Industry" と答えたのに驚かされたことがある。学位を得て産業界に入れば指導的地位を約束されるそれに対して日本産業界は、修士を受け容れる体制はできたが、博士となると”固まりすぎて融通性がない”という理由で敬遠する。わが国の産業界はまだ博士を必要とするほど発達していないというのは一面のいいわけで、これも大学側に責任があると思う。米国大学では博士たるものは1つのテーマについて研究を仕上げると共に、年に何回か行われる試験によって物理学全般の知識についてチェックされる。また学部下級生の講義実験指導をする "Teaching Assistantship" の制度もひろくゆきわたっていて、これがどのくらい彼等の学問社会性を育てるのに役立っているかわからない。一方、日本博士課程では3年なり4年なりの間自分の専門に閉じこもり、社会とは隔絶して研究をしていればよい。このようにして彼等は”固まって”しまい、物理学の極めて狭い分野の専門家となるのである。われわれの世代も実はこのような道をたどったので、あるいは、物理学者社会に眼を奪われるのはもっての外、就職に頭を悩ますなど言語道断と言われる方もあるかもしれない。現に某大学学生就職に無関心であると非難された教授が、多分売り言葉に買い言葉であろうが、君達が大学院に入ったのは学問をするためか、就職をするためかと開きなおったそうである。たしかに就職など世俗のことにわずらわされることなく学問ができたらそれにこしたことはない。そこで筆者はこのような理想的な環境として、またOD問題の解決策として次のことを提案する。

それは宗教的教団に似たInstituteを作ることである。名づけて日本素粒子教団、生物物理教団等。この教団に属する人は、世間から僅かな喜捨を仰ぎ、粗衣粗食に甘んじ、妻帯の望みも絶ってひたすら学究生活をする。たまたま在家のわれわれも修業をしたければ年期を限り、なにがしかの費用を払って入団できる。このような教団は古代にもあったようだし、僧侶階級をみてもわかるように、比較的永続きし、しかもすばらしい業績を挙げうるものである。もしかするとOD問題は古代からあったのではあるまいか。

しかしODの中には一応の社会的なセンスをもち、このような教団に属するよりは、世間の人と混ざって生活し、積極的に世のため人のために尽したいと思っておられる人もいるにちがいない。その方々に筆者の日頃思っていることを述べて同憂の士をつのる。われわれは実は手がなくて困っている。現に筆者は、1年・3年・4年・大学院と週10時間講義を持っているが、年々新たな講義をしようとすると並大抵のことではない。しかも、どの大学でもそうだが、1年生は大教室で講義を受けさせ、入学当初から大きな幻滅を与えている。この1年生への講義ほど、物理学者にとって大切なものはない。つまり受講生の大多数は、将来物理学を専攻しない学生であり、これらの学生教育こそ物理学社会全体に正しく理解される足がかりとなるはずである。物理学が正しい姿で社会に浸透すれば、物理学者の発言権も強まり、ひいてはわれわれの社会的地位の向上にもつながる。それなのにわれわれは、その教育に手を抜いている。少なくとも上級生の教育ほど力を入れていない。これは間違っていると思うが、人手が足りないから致し方ない。若しも教官の数が、学生数が現在のままで倍になり、昔のように少人数の講義ができたら、どんなに幸せであろう。さらに少数の学生が1人のTutorまたはAdviserの指導を受けるような制度でもよい(英国大学またはモスクワ大学のように)。そしてODを全国の大学に吸収するのである。しかし、これを実現するには、学生数に対して教官数を算定する政府の基準を改めさせ、さらにはその根本にある考え方を変えさせなければならない。これを行うだけの政治力物理学者基礎科学者)にはないものだろうか。 OD問題をこのままで放置し、破局的状況に持ちこんで、政府をして嫌でも対策を講じざるをえないようにするのも1つの方法ではあろう。しかし筆者は歳のせいか、できるなら破局的状況は避けたいと思うのである。

(ひじかた・かつのり、電気通信大学物理工学科)

岩波講座 現代物理学の基礎、量子力学II(1972年付属の月報

2009-10-14

人の死と笑い――クズ教授学生

先日、お好み焼屋さんで注文を待っていると、

声の大きな一団が後ろのテーブルに陣取った。

大学教授とその学生だと思われる。

話の中に量子とか素粒子という単語があったので物理学を専攻しているようだ。

声が大きいので、意図せずとも話の内容が聞こえてくる。

どうやら、彼らには彼らなりの苦労があるらしい。

不作法な彼らは不愉快ではあったが、

業界の裏話は興味深いものがあった。

しばらくして、学生の一人が友人が自殺未遂をしたという話を始めた。

こういう不況の中、そういう話もあるだろう。

だが、空気が異様に軽いのだ。

話している学生も笑いをとるようなしゃべり方をし、

聞いている方も、時にはげらげら笑い、好き勝手未遂者の人生を品評するのだ。

「友人が自殺未遂した学生」は友人の素行の問題点を指摘し、

面倒なことになったなという態度。

「聞き手の学生」は友人の人間性に問題があるとか係わり合いになるなとか。

あったかい言葉の一つもないのだ。

そのうち、学生の一人が、

「死ぬ、死ぬいうやつは死なない」ということを言い出した。

確か、距離をとった時に死ぬかもしれないという意見に対してだったと思う。

そしたら教授が、

「いや、死ぬやつは死ぬ」

と反論したのだ。

なんでも、教授は昔、精神的に弱い人の家庭教師をしていたらしい。

弱い人が本当に参っていて、

「こんなことして何になるのか、死にたい

と弱音を吐いたときに、

「そんな甘ったれたことじゃいかん」

とか、

「死ぬ死ぬいうやつに死んだ奴はいない」

と言ったらしい。

その翌日、弱い人は自殺したらしい。

教授感想

「まぁ、性格的に、いつか死ぬだろうとは思っていたけど」

とのこと。

教授は非常にトークがうまく、この話を笑い話にまとめ上げた。

学生も笑いながらこの話を聞いていた。

店員や他の客も表情から鑑みるドン引きしていた。

自分の周りにも、非常識人間がいないわけではないが、

死人に鞭打って笑いをとるような下種はいない。

おそらく、多くの人がそうなんじゃなかろうか?

以前、大学院の教師がクズみたいなエントリーを見た記憶がある。

なるほどなと思った。

こんな中で人間が育つわけがない。

そして、こういう下種の同類だけがその研究室で生き残って、

出世して教授になり同じことを繰り返すんだなと思った。

本当に学問世界は腐っている。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん