はてなキーワード: 智恵子とは
監事として「小原 正敏 きっかわ法律事務所 代表弁護士」の名前が書かれてるんだけど
調べると、大阪弁護士会会長、日本弁護士連合会の副会長の経歴があり、
https://www.kikkawalaw.com/professionals/p-4497/
こういう弁護士会のトップに居る方が監事を務めているのに、なぜ
「時間外労働の上限規制を建設業界に適用しないよう政府に求めた」
という事案が起きたのだろうか?
弁護士という立場で監事として名を連ねてるなら、何かしら声明を出してほしいんだが。
鳥井 信吾 関西商工会議所連合会 会長・大阪商工会議所 会頭
福本 ともみ サントリーホールディングス株式会社 顧問 CSRアンバサダー
芳野 友子 日本労働組合総連合会 会長
監事
※10月からの本放送は1時「25」分から 12月はなぜか「60」分枠に
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 『E.T.』
・03 吉野(の里
・07 3(つ
・08 モロボシ・ダン
・09 [近似値]50万1138
・10 [3択]19 8 7年
・13 倉敷(市
・14 トーマス・エジソン
・15 キスアンドクライ
・18 菊池寛(賞 きくちかん
・19 [3択]2(番[金]
・20 [角度]50(度
・22 アレックス・ラミレス
・23 [3択]1 2(桁
・24 Kis-My-Ft2 キスマイフットツー
・25 カステラ
・26e ウイーン
その昔、Yahoo!チャットがあって、自分で部屋作って、まだチャットとゆうツールも目新しくて、
そこで色んな知らない人と話してた。話がつまらない人はつまらない。
僕はそこで、その女の子との付き合い方が分からないとゆう恋愛問題を一方的に話してて、
そこに「こんにちはー」とか「おじゃましますね」とか入ってくる人が居て、
その人、女性も片思いに身悶えてて、二人して「辛いですよねー」と愚痴ってた。
片方から見れば「メール書けばいいじゃんj」とか「聞かなきゃわからないじゃん」みたいなことだけど、
自分の相手には嫌われたくない。ふたりして「なんで相手はわからんのだ!」と憤慨してた。
「あえないとさみしー」とか。「待たされるのは辛い」とか。
あるとき「彼女をいじめられる日が来るなら、そのときはめちゃめちゅ仕返ししたい」みたいなことを書いて、
「私も爆発したい!」とその人は書いた。一瞬見逃そうかなと思ったけど、
好きな相手に報われない同士なら、何か色んな問題がないように思えた。
「今日とか暇ですか」「うん」「お茶でも飲みませんか」「そうね」「待ち合わせは」「新宿の甲州街道のカフェで」
2時間後にはカフェの前に立っていて、テーブルに座って本を読む髪の長い女性に気がついた。
その時僕は30歳で、彼女は明らかに年上の女性だった。歳を聞いたけど教えてくれなくて、
でも10際は離れてないだろう。離れててもいいが。いまこの歳になって、
彼女が35歳だったか40歳だったかわからないけれど、年下の男子を狙えてたのかな。
その時それを知っていたなら、年上女性をもっと意識しただろうけど、30歳が若い男性だなんて考えてなかったか。
彼女はシャツにデニムのロングスカート、ソバージュ、お化粧なしの、おとなしめの人だった。
自動車で来たというのでついていくと、ベンツのCクラスだった。
甲州街道の並木道を少し走って、ニフティ(なつい!)のシスオペしてたかとかの話になって、
「行き先はホテルでいいのよね』「はい」と西の方のラブホに向かうのであった(僕は西はわからん)。
部屋に入って、テーブルに向かい合って座り込んでため息ついて、
(ちょっと省略)
雰囲気も何もないけど「横に行ってもいいですか」「うん」
横に座ったを合図に二人はディープキスをするのであった。
片方がそんな気じゃないのに舌入れられるときもあるが、
このときは僕も、きっと彼女もそうするもので間違ってないとゆう、シンクロニシティ!
彼女は素足でロングコートがなくなるとショーツは黒だった。そうそう彼女は痩せ型。
ブラも脱がしてショーツも脱がそうとすると「恥ずかしい。。君も脱いで」と脱がされて、
自分もテント貼ってるトランクスが恥ずかしかったけど、こういうときはいつも、
「これから恥ずかしいことをするんですものね」と恥ずかしさに向かうことに、、
やはり「わー」とか「大きー」とか「かたいー」とか言われてて、
彼女はぺちゃぱいだったけど、ちっぱい好きの僕は「可愛い胸。可愛い顔のなんとかさん!」と返信し、
「彼女にしたいふうにしてもいいですか」「いいよ」との返事をもらったので、
いつものおなにーの妄想のときに考えるような女の子をむちゃくちゃにしたい気持ちだけが先走るけど、
それでもこの人は好きな人でないしマイナスにまで行かないくらいにどうでも良かったから。
やりたいことしたけどなにもできなくて強く抱きしめたり自分勝手にキスしてくびすじなめてべたべたにしたり、
あ、もうおまんこさわったれ。と手をのばしたら、上品なエロ漫画みたいに濡れていたのであった。
僕のちんこもびんびんで恥ずかしいが。女子は興奮したときの外見的変化がないけど、乳首が立ってたら指摘しよう。
男子も射精して5分後くらいにもうびんびんのときがあるけど、あれは「もう一回やりたい!」ってことじゃないからね!
またーりとピロートークのときもびんびんになるときもあるけど、やりたいわけじゃないから。
でもときに「またもうおっきくなったの?」「君だからかな(おなにーのあとでもです)」の流れになる時があるけど、
その先は「立たなくなる」じゃなくて「経つけど痛くてなかなかいかなくなって、いってもなにもでない」が正解。
女子は何回でもいける、はそうだけど、股関節が痛くなるとか、トイレ行きたいとか、「休憩しましょう」になるよね。
つづく
看護協会というのがあって、看護師は半ば強制的に加入圧力がかかる。で、その巨大な看護協会は、お抱え議員達を擁立し、メディアにも圧力をかけるプロパガンダ機関というべき代物だ。また、管轄の厚生労働省の管轄課に協会から人員を送り込み、出先機関と化している。
協会主導の看護師地位向上運動というプロパガンダマシンが世論を押さえてる。共産党とも近く、すぐ「看護師の給料が~」とか、「看護師の労働環境が~」とか、声高に叫ぶ。
同様に、今回のように、すぐ活発な看護師関係者たちによる話題逸らしが始まる。
看護協会の活動の中心は、常に、看護職の地位向上運動にあります。世間では、医師の診療補助をするのが当たり前と考えられ、法にも、それが業務として謳われています。しかし、「看護師は独立した専門職であり、医師と対等の職種である。医師の補助職ではない」というのが、彼らの主張の根幹なのです。たしかに、かつての看護師の社会的地位を考えると、地位向上にやっきになることは理解できないわけではないですが、あまりに時代錯誤であり、また、「診療の補助は、看護師の本来の仕事ではない」という主張は、見当外れだと思います。
実は、内診問題と同じような問題に、静脈注射についての通達があります。かつて「看護師が静脈注射をするのは保助看法違反である」という厚生省の通達がありました。もちろん、現実には遵守不能で、最高裁判決でも違法でないとされました。ところが、公的病院の看護部は、通達を盾に「静脈注射は医者の仕事である」として、絶対に注射をしようとはしませんでした。「看護師の本来の業務は看護であって、医者の手足として働いてはいけない」という主張です。
この通達は数十年を経て、やっと平成14年に実態に即した変更がなされました。しかし大病院の看護部は今なお反対し、それをどう受け入れるかについて議論があります。看護協会にとっては、医師から独立した専門職として社会的に認知されることが、大命題なのです。とくに大病院の管理職の看護師は、常にこの意識にさいなまれています。
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要するに、厚生労働省医政局看護課は、看護協会、看護連盟の出先機関でしかなく公正中立な行政機関とはいえないのです。看護課長が各議員を回り、看護協会の意向を受けた政策に強引な同意を求めるということについて、国会で民主党議員が抗議の質問をしたことさえあります。
大病院でも看護部は強大な力を持っています。大学病院の総婦長が、他部署はおろか院長でさえも手出しができない存在であるのと同様に、恐らく、厚生労働省内でも看護協会と看護系議員をバックにつけた看護課は、局長ですら手出しができないのだと思います。
事実、日本医師会が医政局長に説明を求めたところ、「預かり知らないところで、看護課長が勝手に通達を出した」としています。省に持ち帰ってからの責任論では、「厚生労働省全体の責任です」という話に変わってしまいますが、それには政治力が働いたと考えるべきでしょう。通達の直前まで、南野智恵子議員は厚生労働副大臣でした。
そこから、「いつかは〇〇も心変わりして俺からいなくなるかも」と恋人が弱音を吐いたりした。恋人の猫は恋人を好きなまま死んだのに、なぜ私が恋人を好きなまま死ぬとは思わないのかはよくわからないけど、恋人は命の儚さを悲しんでいるようだった。とりあえず、恋人が死んだら私も死ぬということで落ち着いた。あとから「死んじゃだめだよ」と言われたけどそれは知らない。
「お前にだったら殺されてもいい」と言ってきた片思いしていた友達と、「どっか行くなら死ねばいいのに」って言って首を締めてきた元恋人を経由して、「死んだら死んでね」と言う恋人に辿り着いた。
長かったのかなあと思う。やっとだなあと思う。
机の上に、恋人がくれたものがたくさん並んでいて、その中で一番にきらきらしているものが、わざとひびを入れているガラスの器だ。
ひび割れてしまった茶器に漆を入れた、その美しさを、火傷の痕を気にする友人に見せてあげたい。みたいなことを、梶井基次郎が書いていた。わたしはその文章が好きだった。ひびを美しいものだとする人はどの時代にも一定数いて、恋人はそのひび割れの美しさをプレゼントしてくれた。
恋人がこれをくれなければ、わたしは梶井基次郎好きーとか呑気に言っているだけで、ひびの美しさを実際に目にすることはできなかった。ヒモじゃん。と思う。恋人がいなければ結局何の文学もわからない。智恵子抄を恋人に勧めた行為が文学で、正直に読んでくれる恋人はもっと文学で、わたしが高村光太郎の詩を読むことは全く文学ではない。恋人がいないと、恋人に与えられないと、文学にならない。
どんなことも、恋人が教えてくれた。たとえば、スーパーに繋がれている犬も、桜も、最初に恋人が可愛いねえと言って撫でて、そのあとわたしに大丈夫だから触ってごらんと言ってくれる。恋人を経由して何もかも知りたい。わたしは目をつぶって、恋人はわたしの手に火を当てて、これが火だと教えて欲しい。
東京怖い
東京恐ろしい
今までの人生で一回しか行ったことないのに、一週間も滞在するなんてむーりぃー
と思っている増田、多いんだろうなあ
というわけで、いろんな人の東京の意見を聞いて、参考にしてください
出渕裕「東京はTOKYO JUPITERに覆われているからですね」
押井守「それ、メガゾーン23のパクリじゃね? メカ音痴なだけでなく、設定もパクるのか。
出渕裕「パパパ、パクってねえし!」
押井守「よくみたら、ジェガンとイングラムも一緒だし、お前の人生パクリだな」
押井守「は? なら、俺が攻殻機動隊にラムちゃん出してもいいのか? ええのか?」
押井守「俺のもんじゃ! なんなら、夏と花火と私の死体もJOJOも俺のもんじゃ!」
押井守「ちょっと待てよ、JOJOが俺のものということは、西尾維新も俺のものであり、俺は神谷浩史と結婚していたのか!?!?」
出渕裕「なんでだよ! 全方位的になんでだよ!」
押井守「だって、週刊誌に書いてあったよ、アジアナンバーワン人気声優神谷浩史自身が主演のアニメ原作者と結婚! って」
出渕裕「その理屈なら、SDガンダムフォースでも主演してるから、富野さんとも結婚してるよ」
押井守「えええ!?!? そ、そんな! じゃあ、なんで君たちのアレをアニメ化するときサンラインズに言いいかなかったのさ」
出渕裕「あーもう、めちゃくちゃだよ」
服を切り裂いたり子どもの心に傷をつけている人種差別者は刑務所送りにし
東京・国立市の市議会はヘイトスピーチと呼ばれる民族差別的な言動など、人種や社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を国に対して求める意見書を可決し、今週中に、安倍総理大臣などに宛てて提出することにしています。
国連の人種差別撤廃委員会は先月29日、日本で在日韓国・朝鮮人らに対するヘイトスピーチがデモやインターネットを通じて広がっていることに懸念を示し、法律の整備を進めてヘイトスピーチを規制するよう日本政府に勧告しました。
これを受けて、東京・国立市の市議会に議員から、ヘイトスピーチなど人種や社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を国に対して求める意見書案が提出され、今月19日に開かれた本会議での採決の結果、賛成多数で可決されました。
意見書では、人種差別撤廃委員会が「弱者がヘイトスピーチから身を守る権利」を再認識するよう指摘しているなどとして、委員会の勧告を誠実に受け止めるよう求めています。
意見書を提出した1人の上村和子議員は「国は法整備をすることで差別に反対する姿勢を国内外に示すべきだ」と話しています。
国立市議会では、この意見書を今週中に安倍総理大臣や松島法務大臣などに宛てて郵送で提出することにしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140922/k10014779901000.html
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/gikai/index.html
議員提出第13号議案 ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を求める意見書案 (PDF形式:7.1KB)
2014年 9月12日
提出者 上村 和子
〃 小川宏美
〃 藤田貴裕
〃 生方裕一
〃 重松朋宏
賛成者 石塚 陽一
〃 尾張美也子
〃 前田節子
〃 望月健一
〃 稗田美菜子
〃 小口俊明
議案の提出について
議員提出第 13 号議案
ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を求める意見書(案)
上記の議案を次のとおり、地方自治法第99条及び会議規則第13条の規定により提出します。
ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を求める意見書(案)
国連人種差別撤廃委員会は8月29 日、日本政府に対して、ヘイトスピーチ(憎悪表現)問題に「毅然(きぜん)と対処」し、法律で規制するよう勧告する「最終見解」を公表しました。
日本が1995 年に加入した「人種差別撤廃条約」では、参加国で差別が行われていないか、一定の期間を置きながら、国連の人権差別撤廃委員会が審査してきました。
今回の「最終見解」は、日本への審査の総括として 、同委員会が8月29 日に採択したものです。 最終見解は、日本のヘイトスピーチの状況にも言及しており、特に在日韓国・朝鮮人 (コリアン)への人種差別的デモ・集会をする団体によるヘイトスピーチの蔓延や、政治家・公人によるヘイトスピーチが報告されたことや、メディアでのヘイトスピーチの広がりなどについて、懸念が表明されています。さらに、そうした行為が適切 に捜査・起訴されていないことも、懸念点だとしています。
こうした懸念状況に対して、最終見解は、ヘイトスピーチを規制するための措置が、抗議する権利を奪う口実になってはならないと指摘するとともに、「弱者がヘイトスピーチやヘイトクライムから身を守る権利」を再認識するよう指摘しました。
そして、人種及び社会的マイノリティーへの差別的な表明や差別的暴力に断固として取り組むことや、メディアのヘイトスピーチと闘うため適切な手段をとること、そうした行為に責任のある個人・団体を訴追したり、ヘイトスピーチをする政治家・公人に制裁を科すことなどを、政府に勧告しています。
一刻も早く人種差別撤廃委員会の31項目の勧告を誠実に受けとめ、ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する新たな法整備がなされることを、国立市議会として強く求めます。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出するものである。
2014 年 9月 日
詳しくは書けないが、漏れも症例に漏れず、とある団体、ここでは宗教団体としようか、
団体に未練はないが、心から本当に好きで、
だけど何年も会話もない片思いの女性のことだけが気がかりだった。
でも眺めてるだけで叶うことのない恋にピリオドが打ててそれはそれでいいことだと思った。
けど、漏れをバカにする声の中に彼女の声が聞こえることに気付いた。
本当は彼女も喋らない性格なので声なんて聞き分けられないのだけど、
からかってくる人たちは頭も悪くてつまらないのだけど、
彼女の声はいつもかわいくときめきに満ちていて「私も好きだったんですよ!」とさえ言ってくれた。
ただ、いつかこんなばかげたことが終われば、
そのままの生活を送っていれば話すこともできなかったし、
そんなこんなで1年が経ち。薬は飲んでいないのだけど、
レモン哀歌の智恵子がレモンを囓るともとの智恵子に戻るように、
ふと、もとに戻ることがある。
そのときの虚無感。
実際は前と変わらず漏れのことなんて微塵も気にせず暮らしている。
例えるならば、華やかで夢のような舞踏会から帰り、
気がつけば惨めな姿でまた明日からの仕事について考えなければならない、
明け方の硬いベッドで途方に暮れているシンデレラだろうか。
「やだよーやだよー」と体をくねらせて悶えた。
そんなんだったら妄想の住人のままでいいよー。
それから2年。それがいまの私なのである。
頭の調子がいいときと悪いときがあるんだ。
色んな人の話し声が聞こえて独り言が多くなってきたときの状態を、
漏れは「ぐるぐるしてきた」って呼んでて、
そういうときは(妄想の)他人の目があるからますたーべーしょんなんかできないんだけど、
たまに(ふざけんな、たまってるんだよ!)って開き直ってしちゃうと、
その「ぐるぐる」が急激に収まるんだ。
調べると、射精したあと賢者に転職するのは、プロラクチンってホルモンが分泌されて、
ドーパミンが抑制されるからだそうなんだけど、統合失調症もドーパミンの過剰分泌が原因なんだって。
へえ、と思ったね。
きっとレモン哀歌にうたわれてる
生涯の愛を一瞬にかたむけた
ってこういう感じだったんだと思う。
奥さんに「盗聴の証拠つかんだよ!」ってメール送った後、
ますたーべーしょんして、(やっぱり送らなきゃよかった)って後悔してる、
あれから9年目。あと4時間後。
育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスの時間も早く、夕方が差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。
みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地に最初の下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半で風呂がなく、トイレと玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。
トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。
田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックでくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要ないから、田舎の人間はそれを喜ぶのだ。
そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。
どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
22日午前0時15分頃、鳥取市河原町稲常の鳥取県林業試験場の敷地内にある木材乾燥機(高さ2・22メートル、横5・20メートル、縦2・25メートル)の中で、同試験場木材利用研究室長の大平智恵子さん(45)(同市若葉台南)が倒れているのを、捜していた姉(49)が見つけた。
大平さんは既に死亡していた。鳥取県警智頭署によると、死因は熱中症で、大平さんが乾燥機の中に入って木材の検査中に何らかの原因で出入り口のドアの鍵が開かなくなり、閉じこめられたとみている。
発表によると、ドアは金属製で、中からはボタン操作で鍵を開閉する仕組みになっていたが、壊れていたらしい。乾燥機はコンテナ型で、内部は温度55度、湿度71%に設定され、ドアには大平さんがドアを壊そうとした際に付いたとみられる傷が付いていた。
http://s02.megalodon.jp/2009-0322-1306-29/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090322-00000476-yom-soci
県の林業政策をめぐるダークな何かに気づいたとか何かか?
「たまたま一人きりで、鍵が閉まったら出られないコンテナに入っていたら偶然鍵が壊れた」とか、ねーよwwww。
オマケに見つけたのが所員でなく「捜していた姉」つーのがありえねーwwww職員全員が不明室長ガン無視かよwwwwwww。
…鳥取怖ぇえええええええ((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル