はてなキーワード: 抵触とは
vhthlh これで下請法違反とか競争法違反とか呟いている面々がいたけど、どうもネトウヨとか冷笑系とか陰謀論っぽい雰囲気のアカウントだったから、少なくとも本件に良からぬ輩が混じってきていることは間違いないと思う。
kiku-chan 今回の問題を明確に整理して、解決策まで提言している。/ 下請法がどうのとか言ってる奴がいてドン引き
ivory105 これに対して下請法違反だ!!という声がファンから出てて…
〇「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」より抜粋
、全ての企業には、その規模や業種等にかかわらず、人権尊重責任があるが、
それぞれの企業が人権尊重に取り組む際に、自社のサプライヤー等に対して
その際、企業は、直接契約関係にある企業に対して、その先のビジネス上の関係先に
おける人権尊重の取組全てを委ねるのではなく、共に協力して人権尊重に取り組むこと
なお、企業が、製品やサービスを発注するに当たり、その契約上の立場を利用して取
引先に対し一方的に過大な負担を負わせる形で人権尊重の取組を要求した場合、
そもそもイラストが学習の素材に使われるのを著作者が怒ってる元々の文脈って「自分の絵と全体的びトレパクレベルで同じで、表情とかが微妙にマイナーチェンジされてる」とかそういうのに憤慨してる海外のイラストレーターに発するものじゃないか。
生成AIの本質は本来人間が芸術活動を模倣を出発点として自分流の作品を生み出す過程を自動化してるに過ぎない。
いろんな参照元を参考にそれらの特徴が融和した独自といえる作品なら翻案じゃないけど、生成AIを危惧してるイラストレーターが文句言ってるような、自分の作品が素材としての比重が大きくなりすぎてトレパクみたいになっちゃってるような状態の場合は人力でも自動でも翻案権に抵触しうるのでは?
埼玉県営プールでの水着撮影会のガイドラインが発表されて、過激なポーズや水着が禁止されたことに検閲だとか言って噴き上がってる表自をTwitterとかはてなでも見かけるんだけど、正直馬鹿なのかなと思う。
まず県としては水着撮影会の運営を認めるためにはなんらかの基準を設定せざるを得ないし、実例を交えてガイドラインを定めたことについてはありがちなどうとでも取れる曖昧な基準から一歩踏み込んでいて、利用側からはわかりやすい。こう言ったものがでてくるのは従来から基準を示せと主張してきた表自側の要求にも合っている。また基準自体も、容易にズレて中身が見える恐れのある水着や意図的にズラして中身が見える可能性のあるポーズを禁止しており、水着の中身を見せるのはそもそも公然わいせつにあたる可能性があるため妥当と思える。月島さくらとかいうAV女優が実際にはニプレスや前張りをしているので公然わいせつにはあたらないとか息巻いているが、それらが徹底されているかどうかは施設管理側からは確認が難しく、また公然わいせつには当たらなくともニプレスや前張りを見せびらかすのは軽犯罪法1条20号に抵触する可能性が高い。
つまり今回のガイドラインの趣旨は未成年の起用も含めて法に触れるリスクのある撮影会はするなと言うことであり、この基準よりも緩めた場合は施設側の管理責任が問われる、実質的なお目こぼしの意味が強い。それにも関わらず表現の自由という馬鹿の一つ覚えで批判を繰り返す表自界隈は馬鹿としか言い様がない。自分は撮影会の中止については同情的だったが、従来の撮影会がこの程度の統制も効いていない、法令違反の可能性がある状態で撮影会をしていたのであれば中止もやむを得なかったのではないかと思う。
正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。
最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である。
被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。
当方、現在アラサー。祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人は製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。
在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。
そもそも、母親は子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレスで精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行で罵声を浴びせかけた。らしい。
「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体の記憶はある。
大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。
思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。
家からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。
母からの虐待の記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。
勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである。
小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母からの虐待が止まった。
どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。
道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。
僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。
心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。
先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。
とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいか分からなかったが故の虐待だったのだろうか。
それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。
結果、どんな子供が出来上がるか。
自己中コミュ障チー牛オタクの誕生である。物心つく前からの虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ちも理解できなかった。
そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOとネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である。
中学生時代は黒歴史そのもので、学校ではオタク友達とボカロと歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。
この先の話に大事なことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリとレイプ物の動画や同人誌にのめり込んだのだ。
後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。
そんな歪んだ僕は、ネカマと公言している当時高校生の男の子と、マビノギで結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。
あまり詳しく書くと、コミュニティガイドラインに抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。
時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪。
1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院に送致された。
結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分が幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。
何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。
僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。
自分の感情を抑える術も知らず、何時しか、自己正当化するようになっていた。
相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。
ここまでは、割とある話だと思う。小学生中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。
だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存症であるらしかった。
もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。
「依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存は代替が効く」という違いだと言う。人は電車やバスに依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。
依存症患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。
僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。
話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分を矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。
道行く美女或いはタイプな女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的にダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。
「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。
自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。
よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述や発言は、認知が歪んでいないと出てこない。
こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。
僕の通った精神科では、専門の性依存症カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。
認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間からの第三者視点を交えて、初めて矯正できる。
1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点は自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。
ストレスが関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、
性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのである。ご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。
だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。
話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在は性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味や恋人とのコミュニケーションでストレスを上手く解消している。
ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分の感情や欲求に振り回されることは無くなった。
しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。
事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。
ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。
「傷つけた被害者のことや、被害者の家族のことを考える必要は無いよ。関係ないから。」
僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。
けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。
僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者が幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。
なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者は幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せに成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。
そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。
理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。
性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。
少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。
ただ、僕にも曲がりなりにも過保護なバカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか。
いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである。
だから、最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズでケーキを買う。
これで良いのか。これで良いのだろうか。
色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会に迷惑極まりない。
二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親にあんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。
拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう。非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。
ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。
恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。
被害者に関しては、捕まった後に賠償金や謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。
総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。
積立NISAも最大限設定したし、それでも貯金はまあまああるので、個別投資で学んでみたい。日本に住んでいて日本の会社で給料をもらっており、日本株だとインサイダー取引に抵触してしまう危険性もあるので、海外の株に手を出したい。
積立NISAではSP500に入れてるので、SP500と重複しない米国個別株投資したいということで、Factorioの研究ツリーにしたがって投資する方法を試している。これを自分で「Factorio研究ツリー投資法」と呼んでいる。
要は、Factorioの研究ツリーの後半に登場するエネルギー系株でSP 500に重複しておらず、事業内容的に今後伸びそうな企業に投資してみるというスタンスだ。工場自動化ゲームのFactorioは、何もない状態からプレイヤーが
工場を発展させることで研究ツリーが進み、新たなエネルギーや工場コンポーネントなどが解放される仕組みとなっている。研究ツリーの内容はMODを入れていなければ、極端に言うと人類の産業革命を追体験することに近い内容となっており、
後半側に登場するツリー内容に投資しておけば、それが数年、数十年後には株価が上昇するのではないか? という仮定だ。
これが面白いのはそれぞれの企業が存在する背景や事業内容、それぞれのエネルギーの現在地とこれからが何となくつかめることだ。私は世の中のことを何も知らないバカなので、
例えばそのエネルギーをどう取り出して抽出しているかなど、それだけでも社会勉強している気分になる。社会勉強して、投資して、うまくいけばリターンが返ってくる。めちゃくちゃ面白い。
半分おふざけでやった面もあるので少額しか買えていないが、第1段として取り組んだ結果、今のパフォーマンスはSP500の25%を大幅に上回る70%のパフォーマンスを見せてしまった。
当然個別株投資なので分散なんてほぼできていないので、すぐに乱高下することもあるだろう。ただすでに積立NISAの方で老後の蓄えは賄える気がするので、このままこの研究ツリーにしたがった投資法を試していこうと思い、第2段を投入してみた。
この先どうなるかは分からないがいろいろな事業内容を学べてるだけでも面白いので、まあいいかなと思っている。これに飽きたらその時点で利確してもいいだろうし。
とあるサービスの利用規約について不明確な部分があったので問い合わせた。
ついでに「規約は遵守してサービスをご利用ください」とも言われた。
なぜ回答できないのか聞いたらレスポンスが途絶えた。
規約に抵触しないために詳細を聞いてるのにその詳細を教えてくれないってどういうことよ
2023/6/15 追記
多数のご意見ありがとうございます。
立場が上の者が生殺与奪を握っていては利用者を萎縮させてしまうという意見にも納得できる反面、
明確なラインを示してしまうとそのラインを超えないアウト1歩手前のやらかしをする人間が出るから秘匿して当然という意見にも納得しました。
お前らの味方などおらんぞ。
絶対に許されない。
平 裕介 Yusuke TAIRA
@YusukeTaira
都市公園の利用許可を取り消せないような状況なのに、行政側が違法な行政指導で主催者に中止しますと迫ったことが都市公園法や憲法との関係で批判されているのに、そう批判する人を「児童ポルノを容認するのか」などとレッテル貼ってる人たちって、話を児童買春・児童ポルノ禁止法にすり替えていますね
@eren74882
16時間
そんな同意能力を厳格にするのならば、子役やジャニーズJr.もアウトになりますね。将来嫌がるかもしれませんからね。
あなたが気に入らない職業だけ、子供の同意能力を低下させるのは、合理性がないですね。
@R88088595
さすが家父長主義者だな……
やっぱり、こんな人が「女性の安全」とか「女性スペースを守る」とか言ってるの、ちゃんちゃらおかしい。 twitter.com/takitaro2/stat…
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Shin Hori
@ShinHori1
なお水着撮影会と未成年の関係については、未成年(18歳未満)が水着モデルをすることそれ自体を一律禁ずる法令は存在せず、児童ポルノ規制法、児童虐待防止法、児童福祉法、県青少年保護条例などの具体的な条文に抵触して始めて違法となるので、注意が必要である。
そして
id:kiku-chanです。
追記:増田記事もtyoshiki氏の記事も対応して頂きました。
ttps://anond.hatelabo.jp/20230609194858
および、tyoshiki氏が以下の記事で人のコメントを事実誤認扱いしているので訂正してほしい
ttps://www.tyoshiki.com/entry/2023/06/10/142238
※リンク張りすぎてスパム判定されたのか投稿できなかったので取り急ぎアドレス冒頭の"h"を削っています。
指摘事項
①「非常に丁寧な記事」とコメントしたのは「一つ目の記事の内容が事実としても正しいと認識してたから」だと思うのですが違うのですか?kiku-chanさんは事実関係はどうでもよくて共産党の申し入れが撮影会の直接の原因ではないことだけが明らかになっただけで満足してそれが事実だと納得したということですか?(それだけで「吹き上がっていた人たちはどうやって拳を下ろすんでしょうねえ」という吹きあがったコメントを書いたんですか?)
回答:
J-CASTニュースの記事はデイリー新潮の徳重龍徳氏の記事が公開された後の現在でも信頼性の高い記事だと考えています。特に埼玉県公園緑地協会と埼玉県公園スタジアム課の両者に取材を行い撮影会の中止の直接の原因が共産党の申し入れによるものではないことを明らかにしています。現時点でもこのことを覆す報道は出ておらず、むしろ裏付ける報道が出ています。
後述のデイリー新潮の記事でもそれは明らかですし、ENCOUNTの取材に対しても埼玉県公園緑地協会の担当者が次のように回答しています。
”中止に至った経緯として「共産党県議団の申し入れ以前の5月末に一般県民の方からメールで『モデルの中に18歳未満や中学生がいる』『過激なポーズを取っている』という問い合わせがあり、参加者の方の特定をしておりました。その中で、モデル本人のSNS投稿から中学生ということが判明し、撮影許可に抵触していること、主催者側にもコントロールが難しいということから、中止を検討しておりました」”
ttps://encount.press/archives/469271/
したがって、「非常に丁寧な記事」とのコメントを訂正する必要は無いと考えています。
もし訂正が必要であるというのであればJ-CASTニュースの記事の信頼性が低いという根拠を明確に提示して下さい。
元増田はデイリー新潮の記事から、J-CASTニュースの記事が雑であると断定しているが、少なくとも共産党が問題視した6月24・25日の近代麻雀水着祭は4月に開催がアナウンスされており「過激な衣装やポーズを禁止するルールは今年1月に決まり」の後に申し込み手続きがなされたと考えるのが妥当であると思います。
—-以下、メモ-------
6月8日19:14にフレッシュ撮影会の中止がtwitterの公式アカウントからアナウンスされ、共産党の申し入れが直接の原因であるとの言説が主流となり(しかもデイリー新潮の記事を書いた徳重龍徳氏が裏も取らずにそういう発言をしている)、9日朝の段階で三本のtegetterまとめが、はてブのホットエントリーにランクイン。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2163459
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2163530
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2163676
そんな中、埼玉県公園緑地協会と埼玉県公園スタジアム課に取材をして共産党の申し入れが中止の原因でないことを明らかにしたJ-CASTニュースの記事が配信されたのは、9日の16:05(17:42に修正)で、中学生の参加が問題視された近代麻雀水着祭の中止が発表された18時より前。
そもそもJ-CASTニュースでは近代麻雀水着祭に対しての記述はない。
ttps://www.j-cast.com/2023/06/09463068.html?p=all
デイリー新潮の徳重龍徳氏の記事が投稿された時間は明確で無いが、徳重氏がTwitterで記事を紹介したのは18:14で近代麻雀水着祭の中止発表より後。
ttps://twitter.com/tatsunoritoku/status/1667097895835926530?t=90QULtdPBWEItc6JE3FgAw&s=19
デイリー新潮の記事のタイトルには「共産党の申し入れで「水着撮影会」が中止に」とあるが、記事中でその様な事実関係の裏が取れていない。
しかも記事中には以下の記載があり、共産党の申し入れがイベント中止の要因でないことが見て取れる。
「6月24、25日に行われる近代麻雀水着祭において、6月頭に県民からメールで指摘があり、主催者の告知やネット上の過去の開催の画像を確認したところ、18歳未満の女性を出演させたことが確認できたほか、成人女性であっても過激な衣装やポーズが見受けられた。公序良俗に反するものと判断し、施設の使用を許可しないとした。ルールを守っている水着撮影会もあったが、個々での判断ではなく、水着撮影は一律お断りするとなった」
「近代麻雀水着祭が①に抵触すると思われる画像はネット上で見つかる一方で、近代麻雀水着祭は6月頭には開催されていない。つまり近代麻雀水着祭が過去に未成年を出演させていたとしても、その時点ではルールを破ってはおらず、そこを問題視するのは後出しじゃんけん、ゴールポストを動かしていることになる。」
というのも近代麻雀学院のアカウントが中学生モデルの参加を事前に告知している。
ttps://twitter.com/rimirinarisa/status/1667636455894843392?t=s1sRrMvGSH_dPybAHQi1Ew&s=19
ttps://twitter.com/sunny9ufa/status/1667053071543992320?t=9OkWIAyYlGjBXkTW7xGZIA&s=19
しかも上記の文中にあるように近代麻雀水着祭は「(1)の過激な衣装やポーズを禁止するルールは今年1月に決まり」という過去に決まったルールに抵触している。
これはJ-CASTニュースの記載と整合する
「共産党の要望があったから対応したのではなく、ここ数日の間、貸し出しの許可条件に反する事例があったという報告があがったためです」
過激な衣装やポーズを禁止するルールに抵触している上に中学生モデルの参加を告知していることも問題視されたということではないだろうか。
なお、近代麻雀水着祭は4月29日と30日に開催されており、6月の追加開催日程はTwitterの公式アカウントから4月7日にアナウンスされている。近代麻雀水着祭に対する「過激な衣装やポーズを禁止するルール」が開催申し込みの後に適用されたものであることは考えにくい。1月のルール制定の前に開催申し込み手続きを行い、4月になってアナウンスするものだろうか?
ttps://twitter.com/GakuinKinma/status/1644185381297082373
tyoshiki氏から次の応答があったので返信
------
次に、私は共産党うんぬんは割とどうでもいいです。私は最初から
・はてブでは反撃されないと思って
・その後事実の不確かさを指摘された後も、過激なコメントについて「ちょっとこの段階では言い過ぎだった」などと修正することはせずに現時点でも保持している
ということに対して「ダサイ」と指摘しています。なので、2行目や3行目の部分について反論がなければ「ダサイ」という指摘は取り下げるつもりはないです。
------
1行目については、コメントする際に反撃を受けることは常に覚悟している。
2行目については、J-CASTニュースは埼玉県公園緑地協会と埼玉県公園スタジアム課からコメントを取っている以上「まだ未確認の段階」ではない。
3行目については「その後事実の不確かさを指摘された後も」とあるが、その「事実の不確かさの指摘」自体が不確かである。近代麻雀水着祭はルールを知った上で、ルールを遵守していない。未成年のルールが6月に決まったというのは大勢に影響を与えていないと思う。ルールが無くとも中学生モデルの水着撮影が4月に行われており、6月の参加も告知されていた。ルールに無くとも公序良俗の観点でアウトだろう。
本件を未成年モデルの問題で理解しようとしている人が多いけど、違うんですよ。
もしそれが理由なら、今月頭に加わった未成年モデル禁止というルールのもとで運用すれば良かったわけ。
その理由は、今年の1月からあった「過激な衣装やポーズ禁止」というルールへの抵触とされているが、その具体的な基準には全く触れられていない。
ここが最大の問題なんですよね。
okumuraosaka
@okumuraosaka
@otakulawyer
22時間
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の5人いる実行委員(キュレーター)のひとりだった人がこんなこと言っていることにびっくり。この人の表現の自由=サヨク表現の自由なんだな。 twitter.com/arai_hiroyuki/…
https://twitter.com/okumuraosaka/status/1667101051068239873?s=20
正体がバレバレ
@otakulawyer
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の5人いる実行委員(キュレーター)のひとりだった人がこんなこと言っていることにびっくり。この人の表現の自由=サヨク表現の自由なんだな。
@arai_hiroyuki
埼玉県営しらこばと水上公園で開催予定の近代麻雀水着祭が紛糾している。女子中学生の出演の是非が問われているため。未成年の水着撮影会は性的搾取の典型例で、高校生であっても児童ポルノ禁止法に抵触する。
英田朋(゚Д゚)@23春甲乙乙甲乙乙 3-m-1-pf-vaccinated .exe
@ZQ8HcnJ2sfK8t5x
·
21時間
今後あいちトリエンナーレに開催許可を与えずあいちトリカエナハーレのみに開催許可を与え続ける事にしよう(゚∀゚)←
@poirot_mustache
21時間
間違ってないのでは?
mazavozi
@mazavozi
表現の不自由展そのものは、左右関係なくタブー無しというコンセプトとしては賛成なのだが…
表現の自由!と叫ぶ同じ口で、表現を規制する。こういう奴らには反吐が出る💢
見物の念仏
@nenbtunotetsu
15時間
ホントにそうで、この方、「表現の不自由展」が中止になった際の記者会見で、展示内容について「日本の歴史や政治体制における負の問題を主題とした検閲作品が多くを占めます。日本社会での検閲は、ほとんどがこのモチーフの問題視から起きます」と言ってました。
https://twitter.com/otakulawyer/status/1667093715599659009?s=20