はてなキーワード: 抱き合わせとは
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/05203/
COCOAやHER-SYSの開発において、日本マイクロソフトは厚労省との契約主体ではない。しかし厚労省がHER-SYSの開発ベンダーを急ぎ探していた2020年4月、ベンダーの選考会に参加して営業活動を展開していたのは実は同社だった。パーソルP&TやFIXER、エムティーアイは、いずれも日本マイクロソフトのクラウドサービス「Azure」の有力な開発パートナーでもある。各社は厚労省の選考に勝ち残った「日本マイクロソフトの呼びかけでプロジェクトに参加した」(パーソルP&TのDXソリューション統括部の責任者)。
いわゆる「マイクロソフト村」だ。ときどき見かける組み合わせ(異同はある)。
契約段階でパーソルP&Tが元請けとなった理由は、関係者によれば「製品の提供に徹してシステム開発案件の契約は開発パートナーに任せる」という、日本マイクロソフトの方針によるものだった。
この座組みもよく見る。Microsoftのソフト製品をバンドルしたりAzureを売ったりしている大手日系メーカーやSIerとガチンコ競合にならないための建前的なやつ?
接触確認アプリの基盤を世界的に提供していた米Apple(アップル)と米Google(グーグル)が、接触確認アプリの提供元は各国の公衆衛生当局に限るという「1国1アプリ」と打ち出したからだ。厚労省はそれまで「接触確認アプリ導入に冷ややかだった」(関係者)が、アップルとグーグルの鶴の一声で「公衆衛生当局」として調達を担当することになったのだ。前述の通り、ここで厚労省は接触確認アプリの開発先の調達をパーソルP&Tに「一任した」。
ここでHER-SYSと抱き合わせでやらせちゃえって判断した厚労省の誰かが、ある意味で最も無能で罪深いと思う。
たしかに接触確認アプリのサーバーはHER-SYS側のデータを定期でもらう必要はあるけど、逆に言えばそこだけっていうか。接触確認アプリの実装において肝になりさらに難航が予想されるポイントは、HER-SYSとは全く性質が異なるじゃん。AppleとGoogleの突貫協議で開発されたOS組み込みのAPIを正しく取り扱うこと、テストしにくいアーキテクチャが不可避な中でなるべく多くの国民が利用できるように多機種に対応し動作確認すること、そういう感じじゃないの。しらんけど。
なんでHER-SYSのおまけで賄えると思ったんだか。やるならやるで別の予算調達してベンダー選定しなよ。
時間がなかったから仕方ない?長くても半年もいらなかったと思うけど。Androidで通知ができてなかった去年の9月から今月までで半年だ。
さらに接触確認アプリの十分な知見がなかったパーソルP&Tは日本マイクロソフトにCOCOAの調達やプロジェクト管理を任せる形を取った。「丸投げ」が連鎖したわけだ。注意が必要なのは日本マイクロソフトは接触アプリを公正に選べる立場になかった点だ。COVID-19 Radarには同社社員もおり、その接触確認アプリはサーバーの稼働環境にAzureを使い、AndroidとiOSで共通に稼働するコードを開発するツールには同社の「Xamarin」を使っているなど関係が深かった。厚労省は当時、こうしたベンダー側の事情も知る立場にあったとみられる。
知ってたっしょ〜。知らないわけないよ、絶対知ってたよ。(証拠はない)
「なんでもいいからクラウドもってこい」ならぬ「なんでもいいから接触確認アプリもってこい」って態度だったんでしょう。(証拠はない)
日本Microsoftも厚労省もだんまり決め込んでるみたいだけどね。
日本マイクロソフトと厚労省に対して、COCOAの開発先を選んだ当時の経緯について2020年9月から複数回取材を申し込んできた。これに対して日本マイクロソフトは取材に応じず、厚労省は当時の経緯の説明を避けている。
業界を代表する媒体の取材を何度も断るとあらば、今後数年は真相は明らかにならないかもしれない。
やれやれ。
コロナより何よりPS5が手に入らないことがストレスすぎて脳のいちばん太い血管がブチキレそう。
おまえらみたいな反社サイトが揃って潰れれば転売もこんなに酷くならねえよ。
俺はPS4持ってねえんだよクソがおまえは永遠にPS4やってろ。
「PS5はソフトが揃ってないから魅力がない」とかしたり顔で抜かしてる奴も死ね。
俺はやりたいゲームが腐るほどあるんだよ。
そんなこと言ってちゃっかり抽選販売に申し込んでるんじゃないだろうなテメエ。
「私はPS4も持ってる優良顧客だから優先してPS5を売れ」とかワガママ言ってる奴も死ね。
逆だろ、俺みたいにPS4すら持ってない客に最優先で売るべきだろ。
客にストレスばっか押し付けやがってしかもまともに買い占め対策になってねえだろカス。
俺は慎ましい人間だからそんな頻繁に家電なんて買わないんだよボケ。
SIEも死ね。
日本では売れないから欧米が優先されるのは仕方ないとか言ってるけどPS4が二番目に売れた国は日本らしいじゃねえか。
どうなってんだおいどうせxboxには流れないと思って高を括ってんのか。
そのとおりだよPS専用ソフトやりたいからxboxもゲーミングPCも買えねえんだよ早く売れよ足元見てんじゃねえぞ。
販売計画が杜撰だったということを認めて土下座したうえで俺にPS5を融通しろ。
なんで心の底から熱望してる俺は手に入らなくて
「PS5買ったけどやりたいソフトないから起動してないわw」とか言ってる奴が買えるんだよおかしいだろボケ。
マジであと一ヶ月くらいで完全に限界が来るからそれまでに生産増やして俺が買えるようにしておくんだぞ。
ほんとマジ紳士な俺がここまでキレることはないんだからマジで命削ってでもPS5を生産しろよわかったかボケ。
追記。
PS4に魅力がなかったんじゃなくて、
ちょうど発売したころに一人暮らしをはじめてテレビが無くなったから
ずっとVitaやSwitchとかの携帯機を優先してたんだよ。
いまは多少の余裕があるからモニタ買って据置機に復帰しようと思ってんの。
PS4世代のゲームをまるごとやってないからやりたいゲームは死ぬほどあるわけよ。
シール単体で売ればこんなことにならないじゃん。
抱き合わせ販売って確か犯罪だったと思うんだけどなんで許されてるんだろうね。
本当に悪いのはどう考えてもウェハースチョコにシールつけてそっちを本体みたいにして売ってる企業の方。
消費者側よりも先にそっちを攻めるべきなのに、どうして消費者同士で争ってるんだろうねえ。
多分ね、相手が強いから言い出しにくいんだよねそういう連中って。
簡単に批判できて手痛い反撃もしてこなそうなのは批判したいだけなのよ。
それってようするにいじめっ子が気の弱い子がクラスの足を引っ張るタイミングを今か今かと待ち構えてるのと変わらんよね。
ほんっとうに意地汚い。
そういう薄汚い連中って、そのくせ自分は正義だと思ってるんだから酷いもんだ。
実際さ、学校でいじめがあったときって、そういう連中が「でもA君は~~」って言い出して最後まで罪を認めないんだよね。
イカれてるよ。
マジで。
そういう連中を幼少期に少年院で人格形成やり直させるシステムのない今の教育システムの敗北なんだろうな。
価値観は多様であるべきだけど、自分が気持ちよくなるために弱そうな相手を選んで意地の悪い事を言ってふんぞり返ることに人生の意味を見出してるような連中は、そういう事は思っていてもやっちゃ駄目だよって教えるべきだよね。
人を殺しながらセックスしたいとか、素人のリアルな盗撮動画を撮りたいとか、そういった性癖が存在することは許されても、実行に移したら刑務所に入って貰う必要があるのと一緒だ。
格の違いってのを嫌というほど思い知らされて。
編曲?作詞?そんなので何が変わるんですかって思い込みがふっ飛ばされて。
全く違う。
喩えるなら完璧にペイントされた模型vsバリ取りもされてない素組みのプラモデル。
細部に宿っていた神たちが全て借り物で、それらがなければ本体の味わいがノイズの中でかき消される絶望。
スポーツ指導の常套句に「苦手を減らすことで得意が実践で花開くようになる」といったものがあるが……。
でもなあ、それでも自由にやってるって感じは伝わるんだなあ。
ガチガチのA面からの反動で、とにかくやりたいことやって売上の1000人に1人でいいから自分たち自体のファンを作ろうぜって気持ちが詰まっててさあ。
プロフェッショナル達が商売目的で作り上げた血の通わぬ傑作としてのA面、そこからの反発で産まれたただ自由なだけの血肉の通った駄作たるB面。
どこにゾーニングのボーダーラインを定めるかは難しい部分で、必ずしも18歳でなくてもいいのかもしれないけど、個人的には年齢による線引きは必要だという意見です(いまのところは青少年保護育成条例を鑑みて18歳で線を引いている…という理解をしています)。
性的な快楽は学習をものすごく強化するので、物事の認知が定まらない低年齢のうちは与える情報をある程度コントロールすることも大人の義務だと思っています。これは食に関しても同じだし、快楽が伴うアクションには何かしらの教育が必要とも思う。本当はゼロイチでOK/NGにするべきではなく、性教育と抱き合わせで段階的なゾーニングが行われるべきと思いますが、きちんと区分が機能しているのは映倫くらいでしょうか。そして日本の性教育は臭い物には蓋をせよと言わんばかりに性欲に踏み込まない内容になっているのではないかとも思います。残念。
性教育については七生養護学校事件をはじめ、出る杭を打たれるような出来事が多く、これでは大人が子どもを舐めていると思われても仕方ないと思います。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55432?page=2
ゾーニングについてはおっしゃるとおりザルだし、インターネットに蔓延する18歳以上ですか?はい/いいえの受け答えだけなんて提供側の怠慢だろうとも思いますが、少なくとも「これはエロコンテンツです」という明示だけでは意味を為しません。説明がうまくなくて詭弁のように聞こえるかもしれませんが、18禁表示は単純に「18歳未満には売らない商品」であることの明示であって、ゾーニングは陳列や年齢確認やその他の方法で行われるべきです。
18歳で区分することの適正は別の議論を要しますが、年齢によるゾーニングは別増田さんが言うように「広く子供全体のため、もっというと、社会のためのもの」だから、誰に売るかは提供側が責任をもって判断をしなければいけません。
勘違いしていませんか、18禁を守るのは大人じゃなくて子供なんですけど、むしろわざわざ18禁ってルールを作って破らせているんですけど
この場合、エロでもアルコールでもタバコでも基本的には売ってよしとした提供側に責任がある。相手に判断を委ねるのはゾーニングではない、と思うかな。ただ、18禁表示を雑に振りかざす大人がいるのは確か。
ちなみにラブドールの漫画については、人によって意見も違うと思うけど、私はゾーニングの問題ではなく「漫画の内容はok、表明した言説がNG」と受け取りました。なぜならば『実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを』の一文は子どもの代替品としてラブドールを見てるように見えたから(あなたの場合わけでいう①)。代替品で満足できるかどうかは人それぞれだし、サンプル数1の自分の体験をもとに「実在の児童」と結びつける必要はなかったと思います。それでも個人的にはもう少しいい言い方がなかったかなという程度。
表現の自由を守りたいけど内容に反対したい人たちが都合よくゾーニングを持ち出しているだけのようにも思います。
こうだったらいいのにと思うばかりで、何もできない大人の一人なので、不誠実なコメントに見えたら申し訳ない。何歳になってもルールを雑に運用する人間のことは腹立たしいです。
ソフトバンク光のフレッツコラボ回線が開通したので、申し込み必要な無料オプションを申し込んだら、ディストピア感がした。
必要性は高いが、普遍的ゆえに有料にできないオプションで課金したすぎて、これを餌に抱き合わせ商法的に不要な月額オプションを強要されるって、
https://www.softbank.jp/ybb/hikari/ipv6/
思ってた。
ちなみに光BBユニットとは月額514円でソフトバンクが貸し出している普通のwifi機能付きブローバンドルーター。
性能的には数千円て購入できる一般的なものではありますが、wifiを使おうとするとさらに毎月1000円課金が必要。要するに月額1500円を2年間は縛られて、数千円の機械を借りられる。
この土地を耕したければ、借地料に加えて農具レンタルオプションが必要です。
みたいなので農奴っぽくて、やだなー怖いなーって思いました。
まあさすがに考えすぎか、、
はっきりこう言われました。
はあ、、そうですか。
恐怖などの不幸にレアなハッピーをくっつけてエンターテイメントを作る。
でもそれだけじゃ足らなくて、そこに安全を加えて初めて受け入れられる、って訳か。たしかにその通りだ。
しかし恐怖を求める、ハッピーを求める、そういう欲求があること自体は否定できないのではないか。
抱き合わせ的に付いてくる不幸を避けたいって欲求と天秤に掛けられて、ときに却下される、ってだけで。あと、イケメン性を引き立たせる不幸シチュエーションにも人気の差異があるよね。イケメンだけど精神が子ども、イケメンだけど借金が多い。そういう種類のものは強引な目上よりも数が少ないように思える。「不幸であれば内容問わずそれを求めている」線はないが、まあすくなくとも元増田の言うように「権力上位者の好意は苦痛」は文字通りの意味ではウソだろって疑いは消えない。
「ただし安全に限る」はよい着目点に思える。
しかし、安全が確保された状況では、40代男性上司に食事に誘われるのが加害か否かは、イケメン性が決定するってことだ。「ただしイケメンに限る」は解錠するための唯一の鍵じゃない。2本目の鍵だった。
性的な部分に限らない「物語」をいったいどう構築してアピールすればいいのかっていう話なんだよね、↓見て思ったんだけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shimoshiho/n/n37e94405e0e6
例えば高校野球はかなりの例外はあるにせよ「おらが県の代表」という物語があり、プロで活躍する未来のヒーローを見られるかもしれないという要素もあって、あれほどの巨大な営みになっている
それこそNPBもMLBに比べれば競技のレベルは劣るし、実際「なんでメジャー観ないの」って煽られることもあるけど、それでも国内や地元の球団として今までやってきたことが大きな意味を持っている
Jリーグもそりゃ当時のバブルやら何やらに支えられた部分はあるにせよ、1から今あるものを築いてきたわけだ
別に女子スポーツに限らない話として、純粋に競技能力が最強のもの以外は何らかの物語と抱き合わせで売らなければ興行としては成り立たないというだけの話で、それはいかなるスポーツにしても同じことだ
将棋なんかに至ってはもう明らかにトッププロよりAIの方が強いと誰もがわかってしまったので、単に強いという以外の魅力をみんなして模索している最中だ
単に地元のチームというだけなら田舎の県にもそれなりの数はある
そういう中で「このスポーツのこのチーム/選手を応援しようと思う理由は何か」というのは、プロスポーツとしてやっていく以上誰もが常に問われている
女子スポーツだけがそれを一方的に突きつけられているわけじゃないんだから、被害者ヅラするのは正直どうかと思う
まあ女子というのはひとつの大きな個性ではあるし、ジェンダー論で客呼べるなら呼んでみりゃいい
女子野球にせよ女子サッカーにせよ、ネットでフェミフェミしてる暇があったらあいつら買い支えてやったらって思うんだけどね
自分はやんないけど
国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら。
菅木志雄
宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館は美術館ではなくて、美術館を詐称する展示場なんだが。
いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。
棚田康司
円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。
皮緞帳は粗大ごみにしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?
田根剛
中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出のお仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。
おもしろいパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。
印象うすい
さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。
古典の方は見応えあるよ。念のため。
【追記】
「古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。
仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性、宇宙全体などと宗教的・歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。
洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああいい作品を見たなあと。
それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?
川内の写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃんと選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。
花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市立博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹は西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。
棚田の作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。
いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。
mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが
刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの。
今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。
ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。
会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。
そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典の作品としっかり向き合おうよって思う。
前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。
他の作家と違って、この人は作品を制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。
立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽の位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野の国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日はロダンの地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。
だから今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体は評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。
正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだから。しかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。
まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明をスピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像に向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。
さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般に仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。
出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。
もう1つは、冨嶽三十六景のパロディ「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品を元ネタの北斎作と並べて展示していた。
北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしまう現代っぽさの対比が興味深い。
それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。
でもね、「和紙にインクジェットプリンタ」なんだよ。実物見る意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。
伝統×現代アートという切り口から、伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました
ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。
このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。
もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分がターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。
乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入り。モダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。
この展覧会に行った理由は蕭白。蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。
新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的に蕭白と言えばこうのって作品で大好き。
宣伝動画のなかで横尾は、人間の本質・魂の表現が蕭白の作品の中にこめられた重要なメッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。
行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的に個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。
yama_bousi 現代美術で自分が好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング、藤城清治氏、あとドールの世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。