はてなキーワード: 学問とは
ざっくり言うと「落ち着いた雰囲気の物知りなおじさん/おばさんに何かを説明されている時」に、頭の中がとろけそうな感じがしてすごく気持ちよくなる。自在にコントロールできるようになりたくて、もし同じ感覚を知ってる人がいたら知見を共有したくて増田に書く。
【「その感覚」について】
「脳が気持ちいい」という表現が一番しっくりくる。部位としては頭部なんだけど、精神的にということではなく身体的な感覚として頭部が気持ちいいと感じる。脳みそがとろけそうな感じというか。
【「その感覚」に陥る条件】
一番起こりやすいのは「落ち着いた雰囲気の物知りなおじさん/おばさんに何かを説明されている時」。脳が気持ちよくなってしまい意味もなくずっと話を聞いていたくなる。
エンジニア系の仕事をしているのだが、職場に技術系にすごく詳しい嘱託のおじさんがいて、質問しに行くと落ち着いた物腰で滔々と説明してくれる。するとだんだん脳が気持ちよくなってきて「あ、またこれ来たな」と思いながら聞いてる。
他にも「占い師のおばちゃんに占ってもらってる時」「図書館の司書の年配女性に図書館の使い方を説明されているとき」「壮年くらいの眼科医に眼を診察されている時」(ライトを当てて眼を検査する機器をあてがわれながら『左見てください。つぎ左下見て〜。つぎ下見て〜』ってぐるりと一周するやつ。『あ〜きた〜気持ちよすぎてたまらん〜』と思いながら眼を動かしてる)、あと高校の頃漢文の先生のおじさんが訥々とある漢詩の味わいについて述べているのを聞いた時もそうなった。
一番古い記憶だと中学生の頃塾の国語の先生が授業を脱線して学生時代の思い出を静かに語ってる時にもなった。他にも全体的に国語の授業で出やすい傾向があった
【知りたいこと】
この感覚は社会的に存在が知られているものなのか、名前は付いているのか、学問的に研究の対象になってたりするものなのか?
同じ感覚を知ってる人がいたら、どういう条件で発動するか、意図的にコントロールできる方法はないのか、等知ってることを共有したい。
何かわかるといいな〜
平野とか団藤もいた。
平成時代からは教育レベルも低下して、受験問題も小手先のテクニックで受かるような改悪が行われた。
ただ、そうは言っても平成時代の東大教員も、自分達の頃より学力の低下した学生が大勢入ってきても、何とかレベルを引き上げてあげようと教育を頑張ってくれている。
平成になって一番レベルが低下してひどいのは東大ではなく、実は警視庁や特許庁、法務省など各省庁・国の組織。
自分達の悪政のことは棚に上げて、被害妄想で増田さん達を見せしめに逮捕したりしている。
ということかな。
2003年の東大教授には、自分と同じにならなくても合格させる度量があった
他面、国家のゴミカス公務員は、怒っている自分と同じような女にならない限りその意見を採用しないし
自分は神である、自分に従わない者は分からない、ないし、自分の言葉でなくても、瞬時激怒して死んだ俺の世界
に入ってきた殺害予告などの文言は犯罪である、逮捕していい、などと考えているのが、今のクソ検事や裁判官だからな
東大教養学部や法学部などには、まだまだ善意が残っているが、国家にはない。単なる犯罪者の巣窟。
だから東大はあるが、国家は無い。国家公務員は全員、犯罪者。死んでいて生産性がないのに自分は神だと思っているクズの集合体。
起きたらとんでもないことになってて慌てが鬼なって精神的寿命がマッハなので、内容的にはここに全部含まれてると思うのでここだけ言及。
寝てる間についてた言及やブコメ見てたら「えっこれ系の単語ってこんな数あんの……マジで……」ってなって、流石に輸入上の事故とかじゃすまない上に何より言及されたようにスマートじゃなくてこんなたくさんの例外突っ込まれたら頭ばかになっちゃうので所感書いとく。でもマジで素人で音声/音韻方面の専門じゃないんでその辺は頼むわ。
新規に作られた言葉にまでこの現象が起こるようだと、もうこれ誤用とかじゃなくて新しいルールとして音韻論内(学問じゃなくて言語機能の方)に成立してるなーと普通に思う。
それが成立した経緯に、「似た発音の単語をたくさん輸入してしまって、ほとんどの人にはそれぞれどっちが正しいのかわからなくなってしまった」という歴史的事情と、音声学的な発音しづらさが相まって、「促音+有声破裂音+母音」の音素列に対して、「有声破裂音は無声化しても良い」っていうルールがもう出来ちゃってるなぁーって自分も普通に思った。
更に輪をかけて、functional loadの観点から言うと(音声上のある要素がどの程度その単語の識別に関わっているのかという概念)、「バックでもバッグでも通じるのでどっちでいい」みたいなブコメいくつかついてたけど、少しでもかじった身としては「よくねえわ!!!そんな単純だったら誰も苦労しねえわ!!!」ってなるけど、でも今回については確かにこれが寄与してるなーと思う。
functional loadの影響で消えたものだと最近だと半世紀くらい前に英語の短母音・長母音の区別が長さから音質(舌の位置)に変化した有名な話とか。どこの国でも国語教育に関わる奴ってのは頭がお堅いもんで、教科書には短母音と長母音というセクションがあるんだけど、生徒はみんな「はああああああ???いや、長いとか短いとかじゃなくて、別の音じゃん、それ」ってなるらしい。Pinkerが書いてた。Pinkerは研究自体自体の方はあまり評価されないけど(個人的にはかなりあの方面は正しいと思うけど)、こういう日常的な話書いてくれるから引き出すのに便利だ。流石にこのくだりどこにあったか増田で言及するために探すのは面倒なんで勘弁して。
あと日本語だと「おばさん」と「おばあさん」みたいなのはかなりの部分イントネーションで区別してるのも有名で、それぞれ逆のイントネーションで発音して自分でどう聞こえるとかもやってみると面白いよ。アワレにもこれを専門外の人が読んでたら向け。
ミッドガルでもミットガルでもエアリスが死ぬゲームの話してるのは分かるし、他の単語についても言われてみたら明らかだわなぁーってなった。
た歴史的経緯(英語の単音節語で似た単語死ぬほどあるよね……ブコメにあったけどpodとpotとか)、どっちでも通じるという光と闇の力が合わさり最強に見え、音韻論内で頭がおかしくなって区別が死んだのかもしれんね。
ただ、無声化「しなければならない」ではなくて「してもしなくてもよい」である以上、音韻規則のレベルにはまだなってなくて過渡期かな、と感じる。あと十年、下手したら今の子供がどういう規則を身につけて成長するのか凄く楽しみ。
ミッドガル/ミットガル以外に言われて一番あーって思ったのはドッヂボールとドッチボール。破擦音にまで拡大してる上に、「ドッチ」って日本人が認識するような輸入された単語は多分ないと思うので(日本語話者の形態論が外来語と和語と漢語についてかなりの程度区別を保ってるのは様々な例でよく知られているという逃げ口を使うので「どっち」は原因に考慮しない)、もうこれ輸入の失敗とかじゃねえなってなったので、現状の日本語としては普通に言及先の増田の方が正しいと思う。またメスガキに負けた。
とりあえず濁音の点について、この点は出ねぇよってなる理由はいろいろあるけど主要っぽく見えるのはこんな感じです。よしなに。単語を輸入されただけで輸入した言語に致命的な影響出たのはそれこそNorman Conquestとかがあるし、輸入上の間違いの例を知ってるからといって誘惑に負けて無理に現在の言語機能から切り離そうとするとヤクザが教壇に足乗っけて追ってくる。
※追記
この現象が起こりやすい単語と滅多に起こらない単語を追ったら少し楽しそうだと思ったけど、デバックにはバックが含まれてたり、ドラックにはラックが含まれてたり(rackとluck)、それぞれどういう原因で誤用の率が変動するのか考えるのむっちゃキツそうって思う。個人差と方言差の問題まである。いずれにしてもとりあえず、ありとあらゆる要因のせいで区別が消滅しかかっているのだろうね。
高専について知りたい人や高専に職を求める人に向けて、いわゆる高専に採用され働いてみた感想を書いた。
高専と一口に言っても色々ある。上から下まで序列ができていて学生や教員の質は雲泥の差であるらしい。上は大学編入予備校と化したお受験高専から、下はコネと気合と根性で中級技術者という名のほぼ技能工を企業に送り出す工業高校のようなものまでが同じ「高専」という言葉でひとくくりにされている。ここに書かれているのはあくまで最下層の淀んだ高専の話であるということにご留意いただきたい。
当たり前だけれど、自分が働いた職場以外のことはほとんど知らない。学会で会った知り合い、部活引率先の懇親会で交わした会話などからほかの高専のことは推察するしかない。私の見てきた世界と、学会などで出会う高専生を比較すると平均的な高専生は素直で良くできると思う。だから、私が感じてきたよりは高専全体のポテンシャルは高いはず。
高専の使命は「実践的技術者の育成」なのだそうだ。実際に私が高専で目にしたものは、平均かそれ以下の学力をもつ田舎の中学生を集めて、食っていける程度に躾と学習を施し、会社へ送り出すというものだった。また、ひとり親家庭など経済的にハンディを抱えた中学生を職業に結び付ける「社会の落穂拾い」でもあった。ここまでこの文章を読んで、あなたは「なるほど高専は社会に役立つすばらしい高等教育機関だ!」と納得したかもしれない。高専がどんな役割をもつ場所なのか、知ってほしい。
実のところ、高専教育は学力以外の「教育」が多い。博士を取って専門を極めてきた人たちにとってはカルチャーショックだろう。この「教育」に馴染める人は高専に残るし受け入れられない人は去っていく。教育のためにすることは会議だ。会議、そして会議のための会議、すべては教育的配慮というふわっとした美名のもとに決まっていく。子供だからと悪人がのさばり、善人が去っていく。
担任をすれば、すべての時間は学生に割かれる。あれもこれも、すべて担任のせいにされる。
寮や部活は前時代的な暴力が支配する世界だ。さすがにいまは身体的暴力はないが、言葉の暴力は公認され教員は暴力を擁護する側に回らなければ運営できない。高専では強くなければ生きていけない、そういう当たり前のことを見せつけられる。それが教育なのだろう。
高専の求人には博士の学位がほぼ必須だ。だから、私は高専教員が独立して研究を行うことのできる仕事なのだと思っていた。働いてみて、高専教員が研究できる仕事というのは嘘じゃないとわかった。しかし、研究に裂けるリソースは驚くほど小さいし、年齢や職位が上がれば上がるほど研究の割合小さくなることが容易に予見できるというのは辛い。
学問的な研究は否定こそされないが歓迎されないと感じる。「実践的技術者の育成」こそが主目的であり、研究はそのオマケであるべきという雰囲気を学校ぐるみで感じた。そんなもの無視している先生もいたけど。時間が限られているので仕方がないが高専での研究内容はよく言えば流行りに乗った、悪く言えば軽薄なものばかりだった、骨太なものは煙たがられる傾向にあった。日本の研究自体が即物的なものに誘導されつつあるので、もうじき高専は過剰適応として絶賛されるだろう。
上司の意向など誰にも邪魔されずに研究テーマを設定できるから、うまく研究を手伝ってくれるパートナーを見つけることができればいいかも。
ちなみに、高専の教員リストには工学博士などの学位がズラッと並んでいる。しかし実際のところ、高齢高専教員の学位は、お上の意向でしかたなく取得したハリボテみたいなものだと知ってほしい。
高専機構というお役人様の改革病に付き合わされて、高専は疲弊している。小さな予算をもらうために企画書を書き仕事を増やし、高専教員は様々な機関の下請けにされそうになっている。そしてこれからクビキリはないにせよ、退職者の不補充で地獄が始まる。
学生たちはよく言えば純粋だし、別のいいかたをすれば子供だった。子供相手には誠実さだけではダメで、チカラで黙らせるみたいなスキルが必要だ。子供が好きで思春期の悩みに向き合って人格的な成長を引き出したい人にこの仕事は理想的かもしれない。でもそれって、工学博士という条件じゃない気がする。
愛すべきテキトーおじさんたちが大好きだった。仕事でやらかした数々の失敗伝説を持つおじさんたちがいて、人生の教訓みたいなものを生で見せてくれた。
私が見てきた高専教員には三つのパターンがあった。第一に間違って高専に来ちゃったポスドクタイプで、こういう人は雰囲気ですぐわかるし数年ですぐ辞める。第二は熱血教師で、学生指導も卒研指導も大好きみたいなワーカホリックだ。そういう人は自分が忙しいだけじゃなく周囲の仕事も増やしていく困ったタイプだけれど、この層で高専の運営は回っている。第三は重鎮タイプで、誠実で穏健なおじいちゃんや、数々の失敗伝説や奇行エピソードをもつ勇者まで様々だ。あなたは、どんな教員になりたいのだろうか考えてみてはいかがだろうか。
いったい、高専教員として長くはたらき続けている人たちは、何に喜びを見出しているのだろうか、私にはわからない。だから、長く働き続ける理由を見つけられたらいいかもしれない。
「高専で研究できなければ、どこにいっても研究できない」という名言を盾に揺さぶりを掛けてくる人がいるかもしれない。それは、ブラック企業の「ここを辞めたらどこでもやっていけない」と同じ構造なので惑わされないように。高専の他に行き場がなければ高専で自らを鍛えてもいいかもしれない。ただし、転職という退路は常に意識しておいたほうが良いと思う。
実名ながらパワハラなど高専のおぞましい実情をほのめかす良質な高専退職エントリもあるのでご参考まで。人材が定着せず次々と求人が出るのはそれなるの理由があるのでしょう。
高専教員は学生からの「勉強教えて~!」の質問攻めに無い知恵を振り絞って切り返すという面白さがあったり。卒研発表会後の学生の笑顔を見れるという喜びもある。この仕事やっててよかったなって感じることもある。しかし、週末や連休になると部活引率で早朝から駆り出され、こんな人生求めてたのかと悩む。嵐の夜は宿直でビクビクしながら眠れない夜をすごすことになるし、救急車の音が聞こえると、学生が巻き込まれていなければよいのだがと心配する仕事である。
強迫観念から毎日毎日大量に勉強して大学に合格したのはたった数年前なのにそれがもう遠い記憶に思える。
志もなくやりたいこともなく勉強が好きでもないのに落ちる恐怖を免れるためや見栄のためだけに、今となっては到底真似できないほど多くの時間を勉強に割いて入った大学、迎えた授業。最初はまだ慣れないだけだと言い聞かせてごまかしなんとかやってきたけれどもう嫌という程わかってしまった、私には、才能がない。頭がいいわけではないということを知ってしまった。
そして、学問に対する興味や好奇心、将来の夢ややりたいことなど、努力しようと思えるような理由もなかった。昔は私を突き動かしていた強迫観念も今はなく、残っているのは能力に見合わないほど高い学力を誇る大学とそこに籍だけ置いている、才能もなければ努力もできない私だけだった。
受験というラインは通過することができたのは事実かもしれないが、例えるならそれはウサギと亀にすごく似ているような感じがする、私はもちろんのろのろと歩く亀。ウサギが余裕をぶちこいて何もしていない間にも毎日歩き続けて、歩いて歩いてようやくゴールにたどり着いた亀。受験は一騎打ちではないので許容される範囲の中で私より早くゴールしたウサギも私より遅くゴールしたウサギもいるのは間違いない、だけど童話ウサギと亀はゴールで話は終わりで頑張った亀が賞賛されるが、現実はそこで終わりではなかった。待っていたのは全速力がウサギレベルであることが前提のレース。怠けているウサギなどほとんどいないレース。私の全速力は亀だ。毎日全速力で歩く気力も理由もない。
全身全霊やってみてから言えと言われてもそれは的外れで頑張ってみようと賭けてみようと思える何かもないのだ。
亀は私だけではないということも強く感じるが、頑張るウサギが大半を占めている場に来てしまったことは間違いない。
頑張らないウサギさんは勿体無いよ。
ツイフェミさんの殆どは、ガラスの天井にぶち当たるまでもない凡人。だって、ガラスの天井に阻まれるような優秀な子って、Twitterに貼り付いてオス叩き()する前に、現実と戦うもの。ジャプオス()が嫌いなら海外に行けるもの。ジェンダー論に本気で取り組みたいなら、学問として取り組めるもの。
それでも夢破れてどうにもならなくてヘイト撒き散らすしか無いような人もそりゃいるだろうよ。でもそれ全体の何%だよ。
ツイフェミって腐女子多いよね。まあそういうことだよ。非モテ拗らせだけじゃなくて、本人の人格に問題があるせいで恋人は出来るが幸せにはなれないタイプも含めた話。峰なゆかみたいな。
非モテじゃない性別拗らせ女って、我が強い→煙たがられる→アタシが女だから差別してるんだ!って人が多いと思うんだわ。まあ偏見かもしれないね。
「優秀な女の子が凡人男に負けてるのが許せないんだよね」には「男の自殺率は高い!女はイージーモード!」と同じ匂い感じるんだよな。じゃあお前が自殺しろや、じゃあお前が優秀になって天井破れや、みたいなこと思うわ。せめて天井の手前まで行けやと思うんだわ。口だけじゃなくて手を動かして自分の力で自分を押し上げるべきだと思うんだわ。
岡崎フラグメントで世界的な研究者となった令治さんはあちこちに講演に呼ばれるようになったが、恒子さんはいつも留守番役。恒子さんが呼ばれるようになるのは、令治さんが亡くなってからのことだ。
米国で知人に言われたことがあるそうだ。「夫と同じ研究室だと、研究室の運営から実験まですべて引き受けることになり、支える立場として見られがちになりますよ」と。実際そうやって支えてきたし、夫もそう思っていたはずと恒子さんはいう。
71年に朝日新聞社の朝日賞を受けた時も、恒子さんは、受賞者である令治さんの共同研究者ではなく、配偶者として授賞式に招かれた。
「そういう類のことはたくさんありましたが、微々たることです。研究で大切なのは、いかにいい問題を見つけ、それを解くか、です」。そう恒子さんは穏やかに語る。
こうですよ。
かっこよくないんだよ。優秀な子を応援するって言葉の影に隠れての男叩きは。
自分は軽度発達障害のがいじなんだけど、ジェンダーに縋って男叩いていい気になってるようなクソ女さんよりはマシだと思っている。お前らに救ってもらいたいとは微塵も思ったことはない。
フェミ女さんの発言って、「この道通りたいんだけど、水溜りだらけじゃん!舗装して?」主義だよな。男にも女にも、ドロドロの道なき道を踏みしめて新しい道を作ってる人もいるんだよ。先人として、後の世代のために少しずつ舗装しようと向き合ってるやつもいるんだよ。なんで、通りもしない道に文句つけるんだよ。歩け!歩いたところに道は出来るんだろ。
大学教員になって十数週間、大学で授業することにも慣れてきたと思っていた。欠席しがちな学生を会議で報告するんだけれど、なんか自分の授業はやたら欠席が多い。明らかに学期初めの新鮮な気持ちは消え失せ無気力な90分だけが広がっている。
自分の中では、では欠席者など放っておきたいし、どうぞお互い自由にしようやという気持ちがある。一方で、あまりに落第者が多いと教員のほうに無能の烙印を押されかねないので怖い。教員は単位という絶対的な権力を持っているように思われがちだ。しかし、いまどき学生が事務に訴え出たら担当教員はただじゃすまないと思うし、学生にそっぽを向かれては研究室運営も上がったりだ。じつのところ、学生は懐に見えない刃を隠しているのだ。
何が悪いのか、まあたぶん授業がつまらないから出席しないんだろうな。だけど、どうしたらいいのか。数式が多いのかな?でも、理系なら数式なしで説明するのは不義理な気がする。どうしたらいいですか、と率直に聞いてみたい気もするけれど教室という権力勾配の支配する空間で忖度ない意見が得られるとは思えない。学生が関心を示さない授業をしている自分を、許してあげられるようにもなりたいがとにかく学生にそっぽを向かれるという未来が怖い。いまはギリギリ臨界点だが、何かの拍子に授業が崩壊したらこっちの精神が持たない。
他の授業と比べて目立って意欲が低いのかもしれないと恐怖を感じている。自分が担当しているこんなにも素晴らしい学問のすばらしさを伝えられないというのは辛いものだ。
自分が学生だったころ、大学教官の半分はえらく攻撃的で独善的だった。残りの半分は独善的で自分だけの世界に生きていた。大学で授業をしてみるとそのどちらもとてもリスキーなことをしているとわかる。いったい彼らは何を考えていたんだろうか。
絶賛就活中の文系院生です。全然選考通らねえ。他の院生よりも年いってるしな。
この地獄のようなエントリーを読んだ。そんな会社やめたほうがいいって俺も思うし、みんなもそう言ってる。
でも、いざ自分が就職できたとして、そこが躊躇なくセクハラ下ネタぶちかます奴しかいない会社だった時、やめるという選択ができるかどうかわからない。
学問じゃ食っていけないとわかっていながら修士に来てしまった俺には選択肢なんかないんじゃないかという気がしてる。
大学のキャリアセンターに行ったら正社員として雇ってもらえるギリの年齢だって言われちゃったし、こういう状況になっても我慢するかな。我慢して心を殺すわ。多分ね。俺の歳で第二新卒はもっと辛かろう。
お前さ、逃げるように今の会社にに来ただろ?転職した時はさ、何とかクビが繋がった、って思ってたよな。前の会社で落ちこぼれて、退職することになって、次も良い会社だったからな。でもな、それはそもそも何のクビだったかわかってるのか?お前、自分が選ばれた側だと思ってたんだろ。優秀な側だと思ってたんだろ。大学もな、最初の会社もな、なかなか人が行けないところだったから、お前、選ばれちゃったとか勘違いしちゃったんだよな。違うから。お前、バカだから。大学名とか会社名で体裁整っているように見えるけどな、お前人間失格だから。社会不適合者だから。ちゃんとそこんとこ理解しとこうな。お前、まともな人間に産まれてなかったんだから。周囲に人がいないのを誤魔化すために勉強してたんだよな。あたかも意味のあることのように。孤独を紛らわすために、人間嫌いを正当化するためにファッションで勉強してたんだよな。周囲をバカにしてたんだろ?でもな、お前は決して一番になれないし、満足もしないんだよ。だって勉強したくてしているんじゃない、学問に興味があるわけじゃない、お前は何かを極めようともしていない。なんとなく人より優れているように見られるのが好きなだけなんだよな。可哀想なヤツ。お前がバカにしているお前の周りのヤツはな、お前のこと可哀想だと思ってるからな。
それでお前、次はGoogleの面接受ける、とか言い出してさ、行けると思ってるのか?それもファッションだろ?お前、別にソフトウェア開発とか興味ないよな。金が稼げるからやってるだけだよな。理系の中で医者より稼げそうだった、って言う理由で選んだだけだよな。だって才能ないもんな。良い大学や会社に入ってもな、お前トップになれないもんな。今までトップになったこと、何一つないもんな。そのくせプライドだけは高く、未だに自分が何かになれる気がしているお前、来年40だぜ。いつまで迷ってんだよ。たとえGoogle に行ってもな、お前はそこでも落ちこぼれるんだよ。だってお前、情熱とかないだろ。ヤル気ないだろう。周囲から見て良いな、と思う会社に行きたいだけだろ。やりたいことなんてないんだろ?他人にも興味ないんだろ?お前にとって他人はセックスできるかできないかだけだもんな。毎日何もしないで行きていきたいんだろ?お前みたいなのをな、人間失格って言うんだ。もう、周囲の眼を気にするのをやめろよ。全部やめちまえよ。会社も、夢も、希望も、何もないんだから。100年後にはみんな死んでるから。もう何も考えるな。何もするな。お前が他人に興味がないように、みんなお前に興味はないから。目をつぶって、そのまま何もしないで、それで良いから。何も求めず、何も求められず、それで良いんだから。何もしなかったら、置いて行かれるって?何に?ネットにはな、みんなキラキラしたものしか載せないんだ。注目を浴びやすいからな。ニュースもブログもyoutubeもな。皆が憧れるものが蔓延するようにできてるんだよ。全部広告業だからな。意地とか見栄とか嫉妬とか、人の下品な欲望に根付いたシステムなんだよ。あんなものは距離を置くべきなんだ。特にお前みたいな社会不適合者はな。社会に適応できる人達のためのものなんだから。あんなものは見るな。見なくても何の問題もないから。トランプとロケットマンがオフ会したってな、お前にはまったく関係ないから。多少株や為替が変動するぐらいだろ?誰かの生活が良くなったりしないから。どうあがいても北朝鮮のコッチェビ達は救われないから。もう30年ぐらいから変わってねーんだもんな。あの国。とにかくな、お前に関係あるものなんてほとんどねーんだわ。それだけは理解しとこうな。とりあえずな、だからな、少しで良いから、今、お前の周りにある人や物に感謝してみるんだよ。頭のおかしいお前を受け入れてくれてんだろ?それなら感謝しとけ。あと腹一杯何か美味しいと思うものを食べて、一日中寝てろ。それで良いから。それだけで良いから。
仰る通り、日本における男性学は「女性学を経由した男性の自己省察の為の学問」という位置づけであり、あくまでフェミズムのサブジャンルといった扱いです。
個人的には、勿論女性学とまったくの無関係とではなく密接なつながりを持ちつつも、男性学は男性学でひとつの学問として扱うべきだと考えていますし、そういった研究ができたらと考えています。
土曜日の昼前、出かけたカミさんの代わりに洗濯物の息子のズボンを干そうと振ったら、飾りのない黒い髪留めがとんだ。小6の息子に問いただしたら「いや、それは、ママの…」。学校の女の子のを盗ってきたのかと思ったよ(「無条件で子供を信じなさい」というにもほどがある)。しかし、どうしてママの髪留めをズボンのポケットに入れていたのかは不明。本人、言い訳さがして口ごもってる感じだし。
ともかく、洗濯物を出すときにはポケットのものを全部出せ、洗濯機を壊して父親に手洗いさせるつもりか――と言ったところで、キレたね。父親である私は。
先日は風呂場の壁に取り付けられてるタオル掛けにぶら下がって壊したし、今日はリビングとダイニングの仕切りの引き戸の桟にぶら下がろうとしたので、慌ててやめさせたんだけど、そういう前段もあって、キレた。怒鳴ったね。まだ殴ってないけど、次は殴るかもよ。こぶしで。
予約を入れていた中学校の受験説明会をやめるくらい鼻水、鼻づまりで体調が悪いのに、朝からマイクラはシッカリやって、それで早起きして眠たいからと再び寝てしまって、一週間前に出ている塾の宿題を全然やってないし、塾の先生にカツを入れられても知らん顔だし、そのくせ勇ましいことばかり言ってる(「超難関校の○○受ける」)、て、もう、これはグーで往復ビンタもんでしょ。
しかも、きょうの塾を休むかどうかウジウジ決められないでいて(一応、逡巡はしているらしい)、最後には休むと決めたのはいいけど、家で勉強するのかというとその気配は微塵もないし。時間ができたんだから、普段から苦手な算数の基本問題やってみるとか、そういう姿勢が皆無なのは、どうしてなの?
年間何十万も塾の費用を支払ってるのは親の勝手だし、そもそも中学受験をさせようなんて「見栄」かもしれない親の勝手に息子が訳もわからず便乗しているだけだろうし、そんなフワフワなお客様気分の息子の持ち帰る塾教材を仕分け、さっさと寝てしまった息子のノートをチェック(日付もページ記載もない汚字を解読)し、間違った問題の解き直しプランを一週間のスケジュールに落とし込んで午前2時半に就寝、なんてのも親の勝手なんだけど。
いや、これで結局のところ「全落ち」しちゃって、3年間という時間と、300万円余という費用が無駄になったとしても、学ぶこと、学ぶ姿勢、学問とは何かについての淡い印象のようなものを息子が得られたとか、家族一体になって努力した納得感のある経験が得られるとしたらいいのだろうけど……。中学受験の天王山である夏休みを目前とした、本番まであと217日前の現在において、この目の前の体たらくを見る限りにおいて、そんな殊勝な結末を迎えらえるとは、到底考えらえれない!
息子には好奇心もないし、忍耐力もないし、想像力もないし、論理力もなくて、愛想も悪くて、じゃあ、いったい何があるっていうの? 華麗に闘って、運の良さだけでラスボス倒せると本気で信じてるみたいだけど、私はどうしたらいいの、こんなバカを。こんな中二病にかかりかけの小学校高学年アホ男子を作っちゃったのは親の責任なんだけど、ほんと、どうしてくれようか。
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