2019-07-20

高専教員が語る高専の実情

この文章目的

 高専について知りたい人や高専に職を求める人に向けて、いわゆる高専採用され働いてみた感想を書いた。

前提として知ってほしいこと:高専序列

 高専一口に言っても色々ある。上から下まで序列ができていて学生教員の質は雲泥の差であるらしい。上は大学編入予備校と化したお受験高専から、下はコネ気合根性で中級技術者という名のほぼ技能工を企業に送り出す工業高校のようなものまでが同じ「高専」という言葉でひとくくりにされている。ここに書かれているのはあくまで最下層の淀んだ高専の話であるということにご留意いただきたい。

 当たり前だけれど、自分が働いた職場以外のことはほとんど知らない。学会で会った知り合い、部活引率先の懇親会で交わした会話などからほかの高専のことは推察するしかない。私の見てきた世界と、学会などで出会高専生を比較すると平均的な高専生は素直で良くできると思う。だから、私が感じてきたよりは高専全体のポテンシャルは高いはず。

私の見た高専

 高専の使命は「実践技術者の育成」なのだそうだ。実際に私が高専で目にしたものは、平均かそれ以下の学力もつ田舎中学生を集めて、食っていける程度に躾と学習を施し、会社へ送り出すというものだった。また、ひとり親家庭など経済的ハンディを抱えた中学生職業に結び付ける「社会の落穂拾い」でもあった。ここまでこの文章を読んで、あなたは「なるほど高専社会に役立つすばらしい高等教育機関だ!」と納得したかもしれない。高専がどんな役割もつ場所なのか、知ってほしい。

子供教育」をする高専

 実のところ、高専教育学力以外の「教育」が多い。博士を取って専門を極めてきた人たちにとってはカルチャーショックだろう。この「教育」に馴染める人は高専に残るし受け入れられない人は去っていく。教育のためにすることは会議だ。会議、そして会議のための会議、すべては教育的配慮というふわっとした美名のもとに決まっていく。子供から悪人がのさばり、善人が去っていく。

 担任をすれば、すべての時間学生に割かれる。あれもこれも、すべて担任のせいにされる。

 寮や部活は前時代的な暴力支配する世界だ。さすがにいまは身体暴力はないが、言葉暴力公認され教員暴力擁護する側に回らなければ運営できない。高専では強くなければ生きていけない、そういう当たり前のことを見せつけられる。それが教育なのだろう。

高専でも研究できる」というミスリーディング

 高専求人には博士学位がほぼ必須だ。だから、私は高専教員独立して研究を行うことのできる仕事なのだと思っていた。働いてみて、高専教員研究できる仕事というのは嘘じゃないとわかった。しかし、研究に裂けるリソースは驚くほど小さいし、年齢や職位が上がれば上がるほど研究割合小さくなることが容易に予見できるというのは辛い。

 学問的な研究否定こそされないが歓迎されないと感じる。「実践技術者の育成」こそが主目的であり、研究はそのオマケであるべきという雰囲気学校ぐるみで感じた。そんなもの無視している先生もいたけど。時間が限られているので仕方がないが高専での研究内容はよく言えば流行りに乗った、悪く言えば軽薄なものばかりだった、骨太ものは煙たがられる傾向にあった。日本研究自体即物的もの誘導されつつあるので、もうじき高専は過剰適応として絶賛されるだろう。

 上司意向など誰にも邪魔されずに研究テーマを設定できるから、うまく研究を手伝ってくれるパートナーを見つけることができればいいかも。

 ちなみに、高専教員リストには工学博士などの学位がズラッと並んでいる。しかし実際のところ、高齢高専教員学位は、お上意向しかたなく取得したハリボテみたいなものだと知ってほしい。

現場のすべての人が犠牲者になっていく改革病、そしてジリ貧地元志向

 高専機構というお役人様の改革病に付き合わされて、高専疲弊している。小さな予算をもらうために企画書を書き仕事を増やし、高専教員は様々な機関下請けにされそうになっている。そしてこれからクビキリはないにせよ、退職者の不補充で地獄が始まる。

教員学生の結びつき

 学生たちはよく言えば純粋だし、別のいいかたをすれば子供だった。子供相手には誠実さだけではダメで、チカラで黙らせるみたいなスキル必要だ。子供が好きで思春期の悩みに向き合って人格的な成長を引き出したい人にこの仕事理想的かもしれない。でもそれって、工学博士という条件じゃない気がする。

個性豊かな教員たち

 愛すべきテキトーおじさんたちが大好きだった。仕事やらかした数々の失敗伝説を持つおじさんたちがいて、人生の教訓みたいなものを生で見せてくれた。


高専への就職を考える求職者

高専教員の生態:どんな先生になりたいですか?

 私が見てきた高専教員には三つのパターンがあった。第一に間違って高専に来ちゃったポスドクタイプで、こういう人は雰囲気ですぐわかるし数年ですぐ辞める。第二は熱血教師で、学生指導卒研指導も大好きみたいなワーカホリックだ。そういう人は自分が忙しいだけじゃなく周囲の仕事も増やしていく困ったタイプだけれど、この層で高専運営は回っている。第三は重鎮タイプで、誠実で穏健なおじいちゃんや、数々の失敗伝説奇行エピソードもつ勇者まで様々だ。あなたは、どんな教員になりたいのだろうか考えてみてはいかがだろうか。

 いったい、高専教員として長くはたらき続けている人たちは、何に喜びを見出しているのだろうか、私にはわからない。だから、長く働き続ける理由を見つけられたらいいかもしれない。

高専あなたにとっての最終目的地ですか?

 「高専研究できなければ、どこにいっても研究できない」という名言を盾に揺さぶりを掛けてくる人がいるかもしれない。それは、ブラック企業の「ここを辞めたらどこでもやっていけない」と同じ構造なので惑わされないように。高専の他に行き場がなければ高専で自らを鍛えてもいいかもしれない。ただし、転職という退路は常に意識しておいたほうが良いと思う。

どんな情報をあつめていますか?

 実名ながらパワハラなど高専のおぞましい実情をほのめかす良質な高専退職エントリもあるのでご参考まで。人材が定着せず次々と求人が出るのはそれなるの理由があるのでしょう。

まとめにかえて

 高専教員学生からの「勉強教えて~!」の質問攻めに無い知恵を振り絞って切り返すという面白さがあったり。卒研発表会後の学生笑顔を見れるという喜びもある。この仕事やっててよかったなって感じることもある。しかし、週末や連休になると部活引率で早朝から駆り出され、こんな人生求めてたのかと悩む。嵐の夜は宿直でビクビクしながら眠れない夜をすごすことになるし、救急車の音が聞こえると、学生が巻き込まれていなければよいのだがと心配する仕事である

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