2019-07-19

狂気的な量の受験勉強と才能がなかった自分

強迫観念から毎日毎日大量に勉強して大学合格したのはたった数年前なのにそれがもう遠い記憶に思える。

志もなくやりたいこともなく勉強が好きでもないのに落ちる恐怖を免れるためや見栄のためだけに、今となっては到底真似できないほど多くの時間勉強に割いて入った大学、迎えた授業。最初はまだ慣れないだけだと言い聞かせてごまかしなんとかやってきたけれどもう嫌という程わかってしまった、私には、才能がない。頭がいいわけではないということを知ってしまった。

そして、学問に対する興味や好奇心、将来の夢ややりたいことなど、努力しようと思えるような理由もなかった。昔は私を突き動かしていた強迫観念も今はなく、残っているのは能力に見合わないほど高い学力を誇る大学とそこに籍だけ置いている、才能もなければ努力もできない私だけだった。

受験というラインは通過することができたのは事実かもしれないが、例えるならそれはウサギと亀にすごく似ているような感じがする、私はもちろんのろのろと歩く亀。ウサギが余裕をぶちこいて何もしていない間にも毎日歩き続けて、歩いて歩いてようやくゴールにたどり着いた亀。受験一騎打ちではないので許容される範囲の中で私より早くゴールしたウサギも私より遅くゴールしたウサギもいるのは間違いない、だけど童話ウサギと亀はゴールで話は終わりで頑張った亀が賞賛されるが、現実はそこで終わりではなかった。待っていたのは全速力がウサギレベルであることが前提のレース。怠けているウサギなどほとんどいないレース。私の全速力は亀だ。毎日全速力で歩く気力も理由もない。

全身全霊やってみてから言えと言われてもそれは的外れで頑張ってみようと賭けてみようと思える何かもないのだ。

亀は私だけではないということも強く感じるが、頑張るウサギが大半を占めている場に来てしまたことは間違いない。

頑張らないウサギさんは勿体無いよ。

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