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はてなキーワード: 亭主関白とは

2020-06-22

なろうの嫌いなところ:食べ物

なろう系の主人公異世界に飛ばされると、かなりの確率で米や味噌醤油を作り出そうとする。

それだけならホームシックかなという感じで責められはしないのだけど

これまたかなりの確率で現地人にドヤ顔で普及させようとする。

現地の食文化を、食べ慣れないという理由だけで下に見て

故郷の味こそ至高であるナチュラルに考えて布教まで始める。

控えめに見てもかなりの厄介であり、妻におふくろの味を仕込もうとする昭和の夫ムーブのようでもある。

令和の若者もかなり亭主関白というか異文化軽視というか前時代的な思考をしてるのが見てられない。

2020-06-19

anond:20200619115808

自分母親祖父のことを思い出した。

祖父はキレやす九州男児だったがインテリ子供に手をあげることはなかった(と思う)が、亭主関白で雷親父で、反発心の強い長女である母とはぶつかり続けていたらしく、母親はこんな家出て行ってやると思いながら育ったそうだ。

増田子供の頃は祖父もまだ元気で勝気で強引な母親と対等にやりあっていたが、祖父が年老いて多少気弱になったあたりから母親祖父パワーバランスは完全に逆転し、母親に厳しく叱責されても言い返せないようになっていた。

母は祖母には優しかったので、第三者の目から見て、因果応報というか、子どもに辛く当たるといずれやられるんだなあと思っていた。

なので元増田も心置きなく父親にやり返すといいと思います。いまならきっと鬱憤を晴らせるでしょう。

2020-05-24

亭主関白気取りの父親がうざい件について

父親ははっきり言ってめんどくさい。

家での食事時、毎日酒を母親に作らせる、食後に物足りないからと味噌汁を作らせる。こんなの自分で全部できることではないのか。特に酷いのが料理が気に食わないからとケチをつけることだ。当然母親は機嫌を損ねて別室へ行ってしまう。他にも「あれが食べたい」、「最近全然あの料理を作ってくれないじゃないか」と耳が痛くなる言葉ばかり。

この人は一体誰が毎日晩ご飯を用意してくれていると思っているのだろうか。母親は万能自動調理マシーンではない。

しか最近料理に限らず掃除にまでうるさい。私にまで色々と文句を言ってくる始末。たった今、私は手をつけようと思っていた晩ご飯放置して自室に篭っている。

父親はしっかり働いているし、たまに掃除もしてくれるが、それを省けばこの亭主関白ぶりといい、ハラスメントのような父の言動にはもううんざりだ。

2020-04-24

追記】母がコロナから逃避しはじめた

県内はじめての感染者。おお、こわいね

市内はじめての感染者。わあ、すぐそこ。

市内で院内クラスター

最寄り駅圏内ではじめての感染者。

最寄り駅圏内院内クラスター

徐々に近づいてくる。

そしてついに、徒歩3分、もう窓から見える距離で陽性者が出てしまった。近所のスーパー店員だった。

都内で勤務する増田は、既に月頭に職場で陽性者が出ており、陽性者まで徒歩3分どころではない距離感を既に味わっている。(※無事に2週間以上経ちました)

その時ビビりきったので、スーパーで陽性者が出たときももう「はは、ウケる」としか言いようがなかった。

もうどこにでもいるのだ。隣に座った人が、 前に並んだ人が、陽性者かもしれない。自分も無症状かも。それがもう普通だと思ってこの一ヶ月生きてきたのだ。

だが、田舎人間は違う。これで「やっと気付いた」のだ。家族はみな震えきって心底怯えていた。

弟はインスタで情報共有し小中の同級生と一緒にわめき散らし、いつもはTHE亭主関白な父がもう泣きそうな顔でビビっていた。

お前らついこの前まで「ちょっと不要不急の外出行ってくるわw」とか言ってたくせに。自粛感を醸し出すと神経質みたいな扱いだったくせに。

と思うだけに若干ざまあ感はあったが、緊迫した雰囲気に緊張も少なからずある。

弟と父もビビっていたが、恐らく最もなそれは母だった。

母はスーパーから陽性者が発覚するつい前日にもそこで買い物したばかりだ。未だに営業している整体院で働く母は、既に在宅勤務に切り替わった都内勤務増田よりも、現在家族一の危険人物である

しかし母は恐怖の結果、対策ではなく「逃避」に走ってしまった。

コロナ対策家族ルールを決めようという家族会議中に、猫動画に夢中になり一人で「ああー!wwwうふふふかわいいwww」と声をあげて喜びだす。

「今あんたが一番危険に晒されてて心配なんだよ、真面目に話そうよ」と諭すと「うるさい!心配かいわないで!コロナの話はネガティブからしないで!」と大声を出し、また猫動画へ戻っていった。

元々スピ系や自然派に捕まりやすタイプではあるのだが、こういう時もやはりこうかと落胆せざるを得ない。

コロナが近付いてきているのが怖いので、コロナという存在を忘れようとしている。平気で口を押さえずくしゃみをする無神経さはあるのにそういう所は無駄に徹底している。

たとえ主観から消し去ってもコロナはなくならないのだ。あるいはネガティブ思想を取り除けばコロナにかからないと本気で思っている。そんなことも分からないのだ。

父的には、いくら自分が徹底していようが母が持ち込んだら終わりなので必死になるが届かない。

自分は母のことを、母として一定程度愛すが、仮にこのまま母がコロナにかかって死んでも「自業自得」「頭が悪い奴が順当に淘汰された」「父は60を越えてるのに軽率なことしやがって」と罵ってしまう気がするのが恐ろしい。

逃避する人間を、どう向き合わせたらいい?

(追記)

あ、なんか伸びてる。色々な意見ありがとう

Q:手洗いとかちゃんとやってるならいいのでは?

A:

本文中にも

平気で口を押さえずくしゃみをする無神経さ

と書いているんだけど、母はこの時世に関わらず人の顔に向けて平気でくしゃみします。特にそれを父は酷く嫌がっています

それを指摘すると「コロナとか言わないで!!ネガティブ!!」ってなっちゃうんです。

店頭にあるアルコールも「嫌な世の中ね~」とか言って、やりません。

手洗いはまあ……監視してる訳じゃないので分からないけどやってると信じたいですね。

単に無神経なだけで逃避ではないのでは(ブコメより)

そうかも……。

Q:仕事休めないの?

A:

お客さんがやっぱ来ないみたいで、もう休業になるとのことです。

ただそれに対しても母は「休業になるんだって。こんなネガティブ世界、嫌ね~。仕事いきたいのに~。」って感じです。

母は仕事に行ってる事に対し、そこまでストレスではない事が推測できます

2020-04-06

コロナで会えなかった祖母通夜に行った

ビックリするほど眠れないしこんなどうでもいい話をする相手もいないからここに書こうと思う。

長く入院していた祖母は、終末医療を受けていた。1ヶ月前くらいから、病院自体が時節柄部外者立ち入り禁止となってしまった。仕事が忙しく年末に会いに行ったきりで、春先のまとまった休みが取れたところで会いに行こうとしていた僕は、もう外に出られない祖母が誰にも会えずにベッドに寝たきりなことを考えただけで泣きそうだった。

そしてついに亡くなってしまった。知らせを受けてもやっぱり病院には入れず、休憩時間にそっと泣いて、そのまま仕事を続けた。酷い、本当に酷い話だと、それでも何を憎んだら良いかからず、ただただ天を仰ぐと満開の桜が見えたりして、毎年桜が咲くと祖母のことを思い出すのかなと思うなどして。

共働きの両親に代わって中学卒業するまでの面倒を見てくれてたのは、同居していた祖母だった。祖父も一緒にいたけど、昔ながらの亭主関白な人で、お茶すら自分で入れない人だったから。将棋とかトランプとかでは遊んでくれたけど、食事風呂なんかは全部祖母がやってくれていた。

美味しいもの好きな人だった。おやつスナック菓子が出てくるのは稀で、今日は近所のお煎餅屋さんの甘辛煎餅よ、今日は遠出して〇〇屋の羊羹買ってきたわよ、旬の果物を剥いてあげようね、ラクアイスじゃなくてアイスクリームを食べなさいって。百貨店のお肉の包みもよく見たし、手巻き寿司をするときは食べきれないほどのネタを用意してくれた。だからといって毎日カロリー食ではなくて、良いものを美味しく食べさせてくれていた。

学校から帰るとちょうど、リビングテーブルテレビを見ながら夕飯の仕込みをしているのをよく見た。絹さやの筋を取ったり、茹でたとうもろこしの粒をほぐしたり、生栗の皮を剥いたり、里芋の皮を剥いたり。料理下手な両親に代わり、料理を教えてくれたのも祖母だった。

自然好きな人だった。何かにつけては花を見に一緒に遠出した。小さい頃だから花に興味なんか全然なくて、なにが楽しいのかさっぱり分からなかったけど、楽しそうにする祖母を見るのは好きだった。

四季を楽しむことを教えてくれたのは、紛れもなく祖母だった。

生前好んで食べていた食べ物と、たくさんの花に囲まれ眠る祖母は、やっぱり綺麗な顔をしていて、大好きな僕のばあちゃんは、もう2度とクシャクシャの笑顔は見せてくれなくて、言葉ももう、交わせなくて、分かってたはずなのに、分かっていたはずなのに、死ぬことがどういうことかって、教え方が、痛いよ、ばあちゃん

2020-02-29

大人人生にともだちは必要なのか

絵本とか教育テレビとか、幼い頃から刷り込まれる。ともだちは大切だと。

それは大人になってからも続く。小説とか映画とか舞台とか時にはアニメとか、大人に対してもともだちの大切さを説いてくる。

だけど、ともだちはずっと一緒にいられるわけではない。ともだちには恋人ができて、やがて家族ができる。そうすると家族第一優先になって、俺と遊ぶ時間なんて無くなる。俺ももアラサーだ。それが世の中の流れなんだとわかっていても、だったら、どうしてともだちを作れなんて強制するんだと憤る。

正直に気持ち悪いことを言う。寂しいのだろう。

俺の親父にはともだちがいない。

はいたのかもしれない。だけど、俺がこの家に生まれから30年弱、一度もともだちと出掛けているところを見たことがない。母親はたまに、年に数回、ともだちと買い物に行ったり飲みに行ったりするところを見る。親父にはない。

かに親父は嫌な性格をしている。虎の威を借るし、他人の手柄を自分事のように自慢するし、過去の栄光に縋りすぎるし、他人批判ばかりする。声もデカい。俺が同年代なら、親父とともだちにはなりたくない。

から、親父は年がら年中家にいる。仕事だって、俺が学生ときは誰よりも遅く家を出て誰よりも早く家に帰っていた。窓際族というやつだ。だからといって、家事も全くしない、勘違いした亭主関白だった。

それは今も変わらない。休日たまに実家に顔を出すと、常に大音量テレビを見ながらゴロゴロしている。台所と繋がったリビング占領し、料理の音すらうるさいと怒る。

そんな親父に対し、母親は別室でいつも溜息をついている。少しは出掛けてくれればいいのにと。親父が出かけるのは月に数回、給料パチンコに注ぎ込む時だけだ。

ともだちのいない、ほぼ無趣味の親父のことを見ていると息子としてというよりは、共感性羞恥のようなものを感じて恥ずかしい。

俺にはともだちがいる。今はまだ。

だけど、彼らが結婚したら、もし俺にともだちがいなくなったら。親父みたいな人生を送るのだろうか。

彼らが結婚したら寂しいし、親父のようになるのはごめんだ。

だったら最初からともだちなんていなければ良かったのに、と思わざるを得ない。

2020-01-16

anond:20200116091009

九州出身の知り合いはセクハラとかそんなに...だけど亭主関白な人が多かったか

ちゃんとした人なら亭主関白と言っても「家事は任せた。稼ぎは俺だ」みたいな役割分担的なニュアンスが強いって感じだった

あとほんとみんなお酒いから一緒に飲むと潰れる。やばい

どこの地方でもそうだろうが地元中小だとコッテコテ地元民多くて大変そうだから、逆に地方転勤が多い大企業とかの方が元増田には向いてるんじゃ?と思ったりする

愛をくれなかった父への恨みと、自責の念

無償の愛を求めないでくれ、と叫ぶ親の増田があったので、それを読んで触発された。

父が嫌いだ。

幼少の頃からまともな会話や相談事ができたことがない。何を話しても自分にはわからない彼なりのユーモアから導かれた軽口を返される。一つも面白くないし、こちらは真剣な話をするつもりでも茶化されるので気分が悪い。

昔ながらの父親、換言すれば情緒サポートをしようとしない人間。母に対しては亭主関白。礼は言わず家事育児は全て母任せ。

自分私立大学文系学部の3年生。高校公立全日制だったとはいえ、塾やら予備校やら今の学費やら、自分教育に多くの金がかかったことは知っている。家族暮らしに加えてそんな高い金を高卒の父の稼ぎだけでどうにかしてきたのだから、父は頑張ったと思う。

しかし、自分は父が嫌いなのだ

向こうの気持ちもわからなくはないのだ。母に「子供が欲しい」とせがまれたから仕方なく作った子供を愛すのが難しいのだろうとか、彼自身も父からは愛されずに育ったから接し方がわからないのだろうとか、曲がりなりにも半分は彼でできているので、想像するのは簡単なのだ

しかし、彼を憎む気持ちが日に日に増していてどうしようもない。

から家族仲の良い同級生が妬ましくて仕方なかった。毎年家族旅行に行っている家庭とか、土日の少年野球練習に父が顔を出す家庭とか、父が購読しているから毎週ジャンプが読める家庭とか。

片やうちの父は、毎日残業で帰ってくるのは22時過ぎ、家を出るのも早いかそもそも顔を合わせることもない。週に一度しかない休み日曜日遠くへ遊びに連れて行ってほしいなど言えない。たまに父から誘われて車に乗ったかと思えば連れて行かれたのは中年と爺さんしかいないスーパー銭湯か、興味のない海釣りしか自分とは面識のない父の会社おっさんがいる)。

とにかく喋らない上、叱るときは無言で殴ったり蹴ったりしてきた。小学校低学年の時ショッピングセンター迷子になって、不安ながらスタッフに呼び出しをお願いしたことがある。30分待ってやっと現れた父は、息子の延髄に回し蹴りを入れた。

とにかく喋らず、自分を愛していると確信が持てない、というか嫌っていないという確信を持つこともできない。機嫌を損ねれば言葉もなく殴られ蹴られる。この記憶のせいで、大人男性はみんな怖い。幾つになっても苦手意識が抜けない。

父に対する不満を母にぶつけたことがある。母は「父の代わりにならなくてごめんね」と謝った。やるせない気持ちでいっぱいで、その場で死にたかった。

21歳まで育ててもらったことに感謝こそすれ、恨むなど筋違いだと人には言われるだろう。いつまでも無い物ねだりをしていないで、いい加減大人になれと。

けれど、刻まれた恐怖だとか、与えてくれなかった物や気持ちは、如実に自分の発達を阻害している。

大人の男が怖いから話すことができない。柔和な人ならまだしも、父と似た、鋭い目で見据えられると、抑揚のない低い声で語りかけられると、内容をすっ飛ばして体が拒否する。

父は自分否定はしたが肯定はしなかったから、自分はこれであってるんだろうか、叱られはしないだろうかと、ありもしない視線に怯えて何もすることができない。もう、1年と少ししたら社会人なのに。

不幸を背負われて、呪いをかけて育てるくらいなら、最初から自分ことなど出生させないで欲しかった。

憎い父を今さら殺しても何にもならない。だからさないけれど。けれどこの捌け口のない感情はどこへやればいいんだ。

呪いに負けない、強い自分を作りたかった。呪いにかまけて、こんなかわいそうな自分なんだから、少しくらい出来なくても仕方ないじゃないかと、そんな開き直り方をする人間にはなりたくなかった。

もっと金があって、教養があって、心に余裕のある親の元に生まれたかったという気持ちと、生まれ環境ばかり憎んでうずくまっている自分が嫌いだという気持ちにはさまれ、どうしたらいいかからなくなる。

こういう気持ちは人に話しにくいから、ここに供養させてほしい。

2019-11-19

フェミニストの中では「かかあ天下」という言葉存在してないよね

もちろん「亭主関白」という言葉もあるけど、日本は昔からどちらかといえば女が強い印象がある

これだけフェミ話題が色々あったのにかかあ天下に触れるの全然見ないのはちょっと異常だと思う

2019-09-08

昨日、目黒女児虐待事件の傍聴をしてきた。 追記

anond:https://anond.hatelabo.jp/20190906202317

まずは、このまとめに対して、お疲れさまとか、まとめてくれてありがとうとかコメントつけてくれた人みんなありがとう!!

9月5日はどうせ抽選になって当たらないだろうから、午前中適当に傍聴して、日比谷公園ベーグル食べて帰ろうと水筒ベーグル一個、財布だけ持って出かけた。

なので、まさか当選夕方にはベーグル一個のエネルギーも切れて集中力がなくなるわ、ほかの傍聴者みたいにノートなどに記録も取ってないので、記憶を掘り起こしてまとめるのはちょっと大変だった。

書き始めたら、それなりの時間もかかるし、9月5日に関しては産経新聞の詳報も出てるので小児科医証尋問の部分だけ書けばよくて私が優里被告の部分を書く意味いかなと思ったり。

でも、すごい小さいことかもだけど、ちょっと気になったことがあって

・『警察が』「雄大から呪縛を解かないと」って言っていたこと(産経新聞の詳報だと弁護士が言ったのか誰が言ったのか分からない。私にとっては、警察でさえそう感じて伝えたってことはDVは弁護側の戦法と思う人に対して重要なことだと思った。)

精神科に行った際に精神科医に大丈夫だよ。たいしたことない。と伝えられた際に、産経新聞の詳報は「努力しない人間精神科に行くのは難しいと思いました」とあるけれど、私の傍聴席からは「難しい」ではなく「恥ずかしい」と聞こえて、

さなことかもしれないけれど、私にはDV被害者の心情をよく表している気がしたこと

書いた文章を読むと実際に法廷で感じた優里被告の悲しさや辛さは全然伝わらないし、それを表す文章力がないのがもどかしかったけど、それなりの時間かけてせっかくまとめたし、上記の2つのことも少し気になっていたのでのでいいやとこの文章をあげた。

から、これ需要あるのか?とも思ってたし、個人的には文章をまとめるのが大変だったからそういう言葉をかけてくれて嬉しかったよ!

これを書きながら優里被告はいくら頑張ってもまったく努力を認めてもらえなかったんだなと思うと悲しくもなったり…。

あと結果的に、短い報道で1個か2個のDVの内容だけだけど、本当にDVの影響なのか?言い訳じゃないのかと思ってしまうけれど、産経新聞の詳報とかは時間的にも気力的にも読むのが難しい人に事件のことを少しでも知ってもらえたことは良かったなと思った。

優里被告認知機能の弱さや性格について

DVを受け続けていると自分判断できなくなったり、認知機能が落ちることはもちろん知ってる。

ただ、私は傍聴していて雄大被告DVの影響もあるが、先天的にもコメントにあったようにそれなりに優柔不断意志薄弱性格なんじゃないかというのを感じた。

9月6日の優里被告父親証言も聞いてないし、もちろん事件前の優里も知らないかあくま憶測なんだけど。

コメントにもあったように、普通ちょっと亭主関白程度の男性結婚してれば、普通の家庭で子供が大好きなママでいられたんじゃないかと思う。

優里被告刑罰については、当時まともな判断ができなかったことが先天的な要因(もともとの判断力)、後天的な要因(DVからの影響)の影響がどの割合であったととしも、結果的にこのような結果になってしまたことに対してしっかり向き合うって、整理して、後悔する時間必要なんじゃないかと思う。

私はとあるDVサバイバーが一緒に逃げた子供に対して、「まともな判断が出来なかったとはいえあん危険環境子供を置き続けたことをずっと後悔している」という言葉を読んだことがある。

何も関係のない知見も有しない外野や十分な支援ができなかった社会DV被害者に今回は優里被告)に対して、大っぴらに反省しろかい発言をするべきではないと思うが、(前の私の文章矛盾するが)

とても辛いことだが親として子供への申し訳なさや後悔をかかえていくことはDV被害者がその後の人生を生きていくなかで、(特に子供(今回は弟)とともに生きていくならなおさら)とても必要なことではないかと思う。

意図していなかったとはいえ自分も関わってしまたことに対してちゃん責任をとってこそ、ちゃんと次に進めるというか。

から、この一連の裁判個人的には刑罰母親必要ことなんじゃないかと感じた。

私はDV被害者でも専門家でもないので、的外れ意見かもしれないが。

誤字や少し分かりにくいところ、思い出したことなど少し修正しました。

2019-09-02

五月蠅い

祖父葬式とか〇回忌とか墓参りの際にはいつも象徴的な虫が出現する。季節外れの虫とか、どこから出てきたのかわからないでっかいカマキリとか、「あの虫さ~」ってみんなが覚えてて話題する系の虫。

葬儀の時にずっとハエが飛んでて、祖母に「あのハエ邪魔だったねー」と話したら、お通夜の時からずっといたと。母やら叔母やらもハエのこと認識してて、「もしかしたらおじいちゃんハエになって遊びにきたのかもね~」って話してた。で、母がはっと気づいて、そういえばおじいちゃんの口癖「うるさい!」だったって思い出して、ハエって漢字で書くと…。

そんな話をしていて、何回忌かでまた親戚が集まって、その時もなんか虫が出て、「おじいちゃん来てるねー」って話してたんですけど、祖母がそれ見てやだ気持ち悪いって踏みつぶしちゃって、一同えーーーーーーーーーー!!!!いやあの話…おじいちゃ…!

祖母祖父脳梗塞でぶっ倒れてから10年近く介護していたしバブル期?は公務員全然贅沢できなかったし寡黙で亭主関白で今で言えば精神的DVな祖父には色々な…思いが…わかんないですが、あの話をしていて、あの流れで踏みつぶしたの、一点の曇りのないまっすぐな行動でした。

2019-08-23

anond:20190823210414

それな

亭主関白専業主婦が当たり前の時代に生まれてたら気が楽だっただろうなと思う

2019-08-21

anond:20190821092553

パートナー居る男が、パートナー要望無しでおしゃれにかね使う必要ないよね・・

意味わからん

おしゃれは異性を引っ掛けるためだけのものではないし

パーマぐらいでそんな大それたことをしたように騒ぐのもおかし

お前はマジでモラハラ亭主関白みたいな感性の持ち主だよ

2019-07-14

大嫌いな父親が亡くなった

父親が亡くなってから、早いもので二ヶ月が経った。肺癌が主な原因だった。

私は父親が嫌いだった。昔ながらの亭主関白な夫と言えばわかりやすいだろうか。母を召使いのように扱い、母がいなければ娘の私を扱き使う父親だった。

例えば夕飯時、口を開けば「早く箸を持ってこい」「飲み物を持ってこい」と偉そうに命令した。反発すれば怒鳴り散らし、机を叩くなどして威嚇する。その影響で私は人が(特に男性が)怒っていたり怒鳴っていたりすると、身が竦むほど恐ろしさを感じるようになったぐらいだ。

父親典型的クレーマーでもあった。理髪店自分の気に入らないヘアカットにされた時は、相手が泣くまで怒鳴りつけたそうだ。同じことを他の店でもしている。本人が武勇伝のように語っていた。相手に落ち度があるのはさておき、そこまで怒る必要断じてないし、店員にどんなトラウマを植え付けたのか考えるだけで忍びない。

そんな父親ではあったが、小さい頃は私を目に入れても痛くない程に可愛がっていたようだ。記憶は薄れているが、確かに可愛く思っていたのは事実だろう。しかし私はその愛情に、思春期らしい気持ちの悪さを感じていたことを覚えている。今思えば、それは都合の良い人形を可愛がるようなものだったからではないだろうか。

小学生ぐらいの記憶を引っ張り出してくると、休みの日に父親が家にいたことは稀だった。一人もしくは母とパチンコへ行くことが多かったからだ。いたとしても日がな一日ゴロゴロと寝転がっているだけで、家族で出かけるようなことはなかった。泊まり旅行など、温泉に一度行ったきりだ。

今や定番であり行ったことがないというだけで子供に惨めな思いをさせるというディズニーランドなど、その頃の私には想像もつかない世界だった。ある程度成長するとディズニーランドに言ったことがないのは少数派だとわかり、私は友人と話を合わせたくて「行ったことがある」と何年間も嘘をつき続けた。

子供を可愛がる」というのは、子供の遊びに付き合い、行きたいところへ連れていき、一緒に経験を積み重ねることではないだろうか。父親からはそういった愛情をもらうことはなかった。

私には兄がいる。私とは違い、高校大学も両親の期待以上のところへ進んだ、彼らにとって自慢の息子だ。父が兄に対して怒ったのは、小さい頃以外だと私が知る限り大学留年危機に瀕した時だけだ。また、兄を小間使いのように扱ったこともない。

そもそも兄は私の四つ上で、中学の時は部活や塾で朝早く夜遅く高校の時は遊び回ってほとんど家におらず、私が中学生の時にはもう家を出ていたため記憶が薄い。仲は悪くないが、まるで他人のように感じる。

そんな兄と私はよく比べられた。よくある話だ。優秀で友人も多くクラスの人気者な兄とは違い、私は特に秀でておらず人見知りも激しく友人は少ない。父にとって私は「理想の娘」ではなかっただろう。よく冗談で「お前は橋の下で拾った」と言われたものだ。私は、先に生まれただけで両親の良いところを全部持っていった兄が憎らしく恨めしく、そして何より羨ましかった。この頃の私は成績にしろ資格を取るにしろ両親が喜ぶだろうと思って行動していた。その成果である様々な賞状がうちには飾ってあり、父はよく自慢していたようだった。

私にとって父は畏怖の対象でもあり、自分を認めて欲しい存在でもあったのだ。

社会人になってからの数年間も、私は実家にいた。勤め先が実家のすぐ近くであったこともあるが、精神的に自立していなかったからだ。

その頃父との関係冷戦状態で、口を開けば互いに怒鳴り合うこととなった。私は他人からは怒ることなどない穏やかな人間に見られていたが、それは人見知りを拗らせた内弁慶からであり、家ではとても口が悪く我儘だった。

父は二言目には喧嘩腰に「なにぃ!?」と眉を吊り上げた。それに恐れをなして怯む自分を気付かれたくなくて、いつも怒鳴り返していた。

家を出てからほとんど実家に帰っていない。父と口を利きたくなかったし、母とも何を話せばいいのかわからなくなっていた。

その内に私が結婚し、父が定年前に退職して数年後、肺癌が発覚した。他の病気まで併発していた。当たり前だった。あまりにも酷い生活だったのだから

今まで何年…いや何十年と、私は両親に煙草を止めるよう苦言を呈してきた。それに加えて父は甘いジュースが好きで、見るからに不健康な体型だったが運動はしなかった。そして、職場でほぼ強制的に受けさせられる健康診断も逃げ続けた。恐らく何か見つかるのが怖かったのだろう。

退職から発熱したり咳が続くことが多くなり、具合の悪さにとうとう病院へ行った時にはもう手遅れだ。他の病気のせいで放射線治療はできず、低血圧のため手術もできないと言われた。

それでも父はめげずに抗がん剤治療を始めた。この辺りのことを考えると気が滅入るので省くが、とにかく辛く過酷な日々であっただろう。

担当医に「今夜が山でしょう」と言われた日から二日ほど過ぎた。付き添い人である母と兄はゲッソリとしていた。父は夜中の決まった時間にパッと目を覚まし、叫び暴れるのだと言う。「痛い」「苦しい」「殺してくれ」と。

モルヒネの量を増やしたため、父は最早会話ができなかった。たまに独り言を呟いたり、かと思えば急に会話に入ってきたりしていた。

私が最後に父を見たのは亡くなる三日前だ。まるで死を待つように、ただベッドに座ってぼうっとした目で息をしている父の姿に、私は何故か涙が込み上げて部屋から逃げ出した。それ以上見ていることができなかった。

寝れなくて辛いから付き添いを代わってくれと兄に頼まれたが、今の姿ですら見ていられないのに暴れ出す姿を見たら更に正気でいられるはずもなく、断るしかなかった。兄はこのことを恐らく恨んでいるだろう。

父はその後、壮絶な苦しみからようやく解放された。

から電話を受けて夜中に病院へ向かった。道中、ずっと涙が止まらなかった。

父のことが大嫌いだった。父そっくりなせいで私は不細工だし、すぐ怒鳴りつけるし、母や私を扱き使うし、我儘で自分勝手で金遣いも荒く、不貞を働いたこともある最低な人だ。何度となく「死ねばいいのに」と思った。

それなのに何故、涙が出るのだろう。何故、苦しんで死んだのだと思うと辛いのだろう。何故、遺品である携帯タブレットから父の痕跡を辿っては苦しくなるのだろう。

今もまだ、父を思い出すと胸が詰まったような気持ちに苛まれる。

葬式が済めばすっかり日常に戻れるぐらい父に対して思い入れがないというのに、ふとした時に見てもいない死に際を思って胸が詰まるのだ。

きっと父は長生きしても人に迷惑をかける老人になったであろうから、早くに亡くなって良かったのだと思っている。

生きていたら、やはり何度となく「死んでくれないかな」と思っただろう。

今日、もう稼働しなくなった家族全員のグループLINEがふと目に入った。入院中の父が母へ毎日のように「あれ買ってこい」「早く来い」とそこに送っていた。そのやり取りを見て、どうしようもなく誰かに吐き出したくなった。

この複雑で纏まらない気持ちを、ここに書き捨てていく。

2019-06-10

聞く耳を持たないなら無理だろうね

入籍前はお互い“さん”付けで呼んでいたのに、入籍した途端“お前”と言われたので違和感を伝えたら『お前それじゃ上下関係おかしいだろ』と鼻で笑われた - Togetter

俺も結婚した当初、亭主関白を気取ろうとしたんだけど

嫁の激しい抵抗にあってあきらめた。

ちょっとでも命令口調になるや、俺の態度について議論が始まり、すべてが中断した。

上から目線絶対に認めなかったばかりか、立場をわきまえろとばかりに逆にマウントしてくる。

相手家族とのパワーバランスも影響していたかもしれない。

2019-05-20

かかあ天下でもないと専業主婦立場は弱い

尻に敷いて妻が上だという思い込みを作ることができれば稼いでくる夫と釣り合ってうまく運ぶのではないだろうか?

夫に権力が偏っていると、俺が養ってやってるんだとモラハラ気味になりがちだ。

亭主関白には武力を持った将軍地位が上の天皇でもぶつけろってことだね。

2019-05-06

旦那がクソ

愚痴です。気分を害する言葉遣いもあるかと思いますがお許しを…

旦那が週4でしか働かず、しかも昼から5〜6時間程度しか働いてくれません(仕事自営業のような感じです)。手取りもほぼなく私の稼いだお金生活してます結婚から貯めていた私のお金家族お金となってしまっています

結婚当初は私が働きに(週5で10〜13時間)出るかわりに家事旦那がほぼやるという事になっていましたが、結婚当初から家事は半々な感じで、私が育休に入ると家にいるんだからやれよっとやらなくなりました。

家にいるか家事はやりますが、子供ができたら仕事を考えるとも言われていたのに、なんの動きもなく、むしろ仕事のことを言うとキレてきて、私の手当てで生活している今、旦那存在意義を見出せません…むしろお金がかかる分、邪魔とも思い始めています

自分はほぼ育児にも参加せず(たまにお風呂に入れたり、お風呂あがりにとりあげる程度。オムツも1日1回変えるか変えないか…)稼いでもこず、家事もほぼせず、家族サービスもしない…クソすぎる。

毎日やっているのはおもちゃの消毒と寝る前に部屋をコロコロしたり、クイックルワイパー掃除するくらい。それだけなのに、態度はクソでかい亭主関白の振る舞いができるのはなぜなんだろう?なぜ私はこの人と結婚してしまったんだろう…子供はとてつもなく可愛いですが後悔が大きいです。

今も洗い物を頼んだら、明日お前がやれよと言われ、ならもっと稼いでこいよっと言ってしまいました。旦那はキレてブツブツ言いながら洗い物をしてました。

キレると大声を出し、物にもあたる旦那

離婚文字が頭をチラつく私は我慢が足りないのでしょうか?

2019-04-29

キレすぎて何にキレてるのかも分からなくなってきたので整理する。

対外的な扱いのぞんざい

思えばご両親にお会いした時も、お父様だけがまりに来た時もそうだった。

あなたにはホームでも私にはアウェイであり、何らの配慮がないことにまずキレてる。

そして所詮家族じゃないからなあと結局そこに行き着いて、関係がどうでもよくなる。

だって私たちの間には情緒的満足しかないのであり、それがなくなったら関係を維持しなきゃいけない理由はどこにもない。

②お礼を言え

連絡なしにお友達を連れて帰ってきていきなりバームクーヘンを切って出せというのはぎりぎり許容できる。

でも何のお礼の言葉もないのはどうなの。

亭主関白なの何なの?

友達ミソジニストらしいが、それと関係なく二度と私がいるときに来ないでほしい。

感謝強要するのはよくないと思いつつ、単純に失礼。

整理してみて、侮辱されたと感じてるんだなと。

でもあっちは間違いなく何も気がついていないであろうと。

こんなことを説明するために労力を使いたくないし、年末に出ていく可能性がまた上がった。

2019-03-25

結婚して「夫の機嫌を取る」意味がわかった

こんなことリアルで誰かに言えないからここに吐き出す。

子供ときDV夫とまではいかないけど、ど田舎亭主関白デフォルトみたいな家庭で育った。

毎日食事主菜(肉とか魚とかオムレツとか)は一番大きいのが父親なのが当然、父親の帰り時間に合わせて夕食をとるのが当然で、たまの残業で遅くなった日などは夜10時くらいまで夕食を食べるのを我慢させられたりしてきた。

そういう環境だったから、自分はそんな男とは結婚しない子供のことを考えた家庭を作ろうと思ってきた。

でも実際に結婚して、子供ができてから自然と夫の好きなおかずを用意したり、なんとなく夫の機嫌を損ねないようにしている自分に気がついた。

子供がまだ小さくて自分収入がないという引け目もあるし、ここで夫の機嫌をそこねて離婚てことになって複数人の子供を時分が引き受けなければならなくなるということが怖いと思っているからだ。

夫に不満があるということを知人やネットで軽々に相談すると「そんな夫なら別れれば?」と言われるが、子供複数人を抱えて収入家事の両方を時分が成人年齢まで担っていく自信は自分にはない。

夫が今何を考えているかからないし、もしかしたら残業言い訳して浮気をしている可能だってある。

それでも私は夫の機嫌を損ねるのが怖い。

突然離婚を切り出されて将来に絶望するよりは、今目の前の小さな絶望我慢していたほうがましな気がして今日も夫の好物を夕食に用意して子供と一緒に遅い帰りを待っていた。

2019-03-22

anond:20190322135744

それはあなた旦那経済的精神的にサポートしてくれたから心に余裕があったからでは?

旦那亭主関白上等の子供興味なし仕事人間場合と、妻のサポート仕事だと割り切ってる滅私奉公ドM人間では妻の感じ方も全然違うはず

2019-02-05

たくさんのものがあってそして何もない自分

自分九州のど田舎で、貧乏な家庭の3人姉妹の真ん中として育った。親は亭主関白な父と専業主婦の母。どちらも高卒

父は癇癪がひどく、酒を飲むと寝てる自分を叩き起こして往復ビンタした。貧しい中、両親共に家におらずご飯が与えられなかったこともある。いつもお腹が空いていて、友人が多かった自分は友人宅でおやつをたくさん食べさせてもらっていた。そのおかげでしっかり成長できたと言っても過言ではない。病院にも行かせてもらえず、ネットが家にひかれているはずもなく子供部屋は6畳で3人一部屋だ。

父に溺愛されている妹、普通の姉、嫌われている自分というあからますぎて認識できるレベル差別はあったが姉妹の仲はよかった。

から嫌われていた理由自分で考えるに下記2点。自分は父であろうと間違えていると思うことに同意しなかった。また、勉強がよくできたところも嫌味にうつったのかもしれない。

父は自分に過大な要求と思われるものを突きつけ、自分が達成できると、ふーん、で?といった態度をとり、達成できないと喜んだ。要求内容は中学の頃は常に5教科のテストで490点取れだとか、高校数学テストで常に満点取れだとか。

また、父は異様に自分を縛った。溺愛されている妹はそんなことはなかったが自分の門限は高校生になっても17時半だった。

貧乏なので部活お金がかかると禁止され、読書勉強だけしていた。私立高校受験料が高いため受験できず、あわや中学卒業と共に浪人生か、という危機と隣り合わせだったものの、なんとか高校は県一の進学校入学できた。県立高校である授業料が払えず奨学金を借りた。大学もなんとか都内の有名大学に進学できた。もちろん奨学金授業料生活費を賄った。

大学に入ってから周りの家庭環境レベルの高さを知りしんどかった。社会福祉の授業中、貧困層の話になり、自分のこれまでの生活よりはい生活をしてる例が出てきて苦笑。教授が、ここにいる君たちには想像がつかない生活かもしれないが君たちがこういう日本の現状を変えるんだ、なんて言い出してさらに苦笑。児童虐待の話では、親に叩かれたことはあるか?という話になり、ある子が「一度だけ本当に私が悪いことをして叩かれました。その時は叩いた親も泣いていて、今でもその時のことはちゃんと親も自分も覚えてます」なんて言ってて、ああ、本当に素敵な家庭で育ったんだな、と。

格差はどこまでもあった。格差というのは金銭的な話だけでは終わらないものだ。金銭的な問題だけなら何とか乗り越えられるけれど、教養の壁、人脈の壁、知識の壁が非常に厚かった。パソコン人差し指入力する自分と当然ブラインドタッチ同級生論文の調べ方もわからず、図書館に籠る日々。1年間留学に行く同級生、親のコネ就職先を決める同級生、たくさんのお店を知ってる同級生、たくさんの遊び方を知っている同級生、たくさんの将来の選択肢を知っている同級生。たびたびお嬢様でしょと同級生からからかわれたが、ガチガチに縛られていたか世間に疎いだけで、ただの貧乏である。心が折れそうな日々を過ごした。

社会人になり、自分自分人生を取り戻そうと努力した。自費で歯の矯正をして、運転免許もとり、箸の持ち方も矯正し、家に仕送りをし、奨学金を返済し、働きながら専門職資格を取得し、給料の高い職に転職し、同じ大学卒業した同級生結婚し、都内に家を購入した。結婚後は仕送りを辞め親とは2年に一度しか会っていない。

社会人以降トントン拍子で人生が進んでいったように自分でも思えるが、ひと段落ついた今、自分が何をしたいのか見失っている。

自分は得られなかったものを得ようと抗った結果ここにいるが、それが自分が本当に欲しいものだったのかよくわからないことに気づいてしまった。

今の自分に対し「よっしゃー!私はあの生活からしちゃ、大出世だぞー!!!」なんて充実感はなく、当然あるべきだったもの自分にはなかったから装備した、ような気持ちしかないのだ。

では、装備が整ったからといって自分が向かう先はどこだろうか。

自分はこれが好きだ、とか、こうしたい、とかは特にないまま、得られなかったものを得たいというだけでここまできてしまった。

もし、なんて話は嫌いだ。けど、もし、小さな頃に父親が正常な精神を持っていて自分のことも好きになってくれていたら、何か違っていたのかな、もしお金持ちで教養のある親に育てられてたら、何かちがっていたのかな、なんて。

自分には今たくさんのものがあって、そして何もない、この新しい温かな部屋で突然気づいて悲しくなった。

2019-01-23

夫はネットに影響されやすすぎる。

あなたはすぐネット、というかはてブに影響される。

あなたには内緒にしているから知らないふりをしているけど、実は私もはてブを見てる。

ネットラーメン記事を見れば、次の日の昼食はラーメンだ。

オーダーメイドシャツ記事を見れば、翌週には採寸をした。

食洗機がいいと聞けば、次のボーナス食洗機を買う。

最近小林銅蟲はまっているようで、あまり料理が好きじゃなかったのに、今では市場で魚を買ってきて自分料理するようになった。

夫は以前、亭主関白だった。しか最近イクメン記事をみて今では子供の送り迎えを率先してやってくれるようになった。

最近は好きな映画音楽twitter仕入れている。

ところで、その映画趣味音楽趣味は私の趣味って気づいているのかな。あなたフォローしてるアカウントの1割は私だよ(笑)

あなたの見た、あの記事は私がホッテントリねじ込んだんだよ(笑)

食洗機が欲しかったのは本当は私。買ってきて欲しいお菓子もすぐ買ってきてくれる。

今日見たあの記事は?

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