絵本とか教育テレビとか、幼い頃から刷り込まれる。ともだちは大切だと。
それは大人になってからも続く。小説とか映画とか舞台とか時にはアニメとか、大人に対してもともだちの大切さを説いてくる。
だけど、ともだちはずっと一緒にいられるわけではない。ともだちには恋人ができて、やがて家族ができる。そうすると家族が第一優先になって、俺と遊ぶ時間なんて無くなる。俺ももうアラサーだ。それが世の中の流れなんだとわかっていても、だったら、どうしてともだちを作れなんて強制するんだと憤る。
正直に気持ち悪いことを言う。寂しいのだろう。
俺の親父にはともだちがいない。
昔はいたのかもしれない。だけど、俺がこの家に生まれてから30年弱、一度もともだちと出掛けているところを見たことがない。母親はたまに、年に数回、ともだちと買い物に行ったり飲みに行ったりするところを見る。親父にはない。
確かに親父は嫌な性格をしている。虎の威を借るし、他人の手柄を自分事のように自慢するし、過去の栄光に縋りすぎるし、他人の批判ばかりする。声もデカい。俺が同年代なら、親父とともだちにはなりたくない。
だから、親父は年がら年中家にいる。仕事だって、俺が学生のときは誰よりも遅く家を出て誰よりも早く家に帰っていた。窓際族というやつだ。だからといって、家事も全くしない、勘違いした亭主関白だった。
それは今も変わらない。休日たまに実家に顔を出すと、常に大音量でテレビを見ながらゴロゴロしている。台所と繋がったリビングを占領し、料理の音すらうるさいと怒る。
そんな親父に対し、母親は別室でいつも溜息をついている。少しは出掛けてくれればいいのにと。親父が出かけるのは月に数回、給料をパチンコに注ぎ込む時だけだ。
ともだちのいない、ほぼ無趣味の親父のことを見ていると息子としてというよりは、共感性羞恥のようなものを感じて恥ずかしい。
俺にはともだちがいる。今はまだ。
だけど、彼らが結婚したら、もし俺にともだちがいなくなったら。親父みたいな人生を送るのだろうか。
彼らが結婚したら寂しいし、親父のようになるのはごめんだ。
ずっと一緒にいられるのが友達。 という関係が成熟することで、 たまに会える友達に進化するんだよ。