はてなキーワード: ヨガとは
音ゲーしてる時に身体のリズムを取ることに意識しすぎるとうまくいかないことが多々ある。
音をちゃんと聴かずに身体のリズムだけを基準にするとズレてくるのは当たり前なんだけどね。
この意識の仕方は大袈裟に言えば周りをちゃんと見て行動する意識の形成に役立つから初等教育に取り入れるべき。
という話を音楽の先生にしたら音楽教育に音ゲーを取り入れるという発想自体が全く無かったと驚いていた。
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エロに関しても全く同じことが言える。某イオンド大学という凄い大学の某アダム徳永という人物はニコ生デビューしたはいいが
卑猥な発言をしすぎたために数ヶ月で撤退を余儀なくされた黒歴史を持つが、彼のセックス観は常に俯瞰的な視野を持つというものだった。
よくムードを大切になどと言われるが、ムードに飲まれてはミイラ取りがミイラになるので、ムードを俯瞰することが大切だ、
という発想がカウンセリング理論における脱中心化の発想に相似している。児童教育においても見守る大切さが言われるが、
見守ることは決して放置やネグレクトではなくむしろ対極にある、愛そのものとも言える行為なのである。
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ここ10年、いやここ5年に人工知能ができることは随分と増えた。電王戦で厳選されたプロ棋士達に勝ち越したのは記憶に新しいが、
少し昔ならありえないと思われていた相貌認識も人のそれを超える性能を身につけるに至った。さすがのミンスキー博士もこれにはびっくりである。
それくらいIT技術の進歩にも匹敵するくらい昨今の人工知能技術は日進月歩の感がある。ともすると笑いのタネであったニューラルネットなども随分現実的な話になってきた。
これで人間の感性までを扱えるようになる準備が整ったといっても過言ではない。電王戦で今回も出る予定のやねさんもボカロや作曲に携わるとかなんとかかんとか。ニャンともピンとも。
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そうなってくると当然のことながらエロだって計算できる。やっとタイトル回収。当然コンピュータが描いたエロ絵で当然のようにカく時代だって当然目の前に当然迫ってきている。
いまエロ情報の評価にはDMMやAmazonやpixivの星の数のような人間のレビュー頼りにしすぎている所があるじゃーん?しかも個別な作品ごとに評価しないといけない。
「この商品も見ています/買っています」だけは優秀だけどねそれ以外はてんで駄目。これからはそういうのも人工知能で予測計算してプッシュ型のレコメンデーションが可能になるのだよ。
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人間って比べると価値判断が歪むことが多いんだよね。一面しか見ずに比較したりするし、さらに言うならば比較できない部分も多々あるからね。
スペック上は優れているはずなのに糞なパソコンっていくらでもあるでしょう。電気店員は売りたいものを客に比較させて売る。
でも比べたい、比べて一番いいのを選びたいというのが人情。そこで人工知能が出てくるわけです。
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で、最初の話に戻るけど漫才なんかにも話の間合いやテンポなどのリズムがあるでしょう?けど比較しようという心、
私どものほうではヨガの言葉を借用して分別心と言っておりますが、比較しようという心が前に出すぎるとうまくいかない。
こっちの言い方よりこっちの言い方のほうが笑いがとれるかなとか。笑わせようとすると笑われるの法則。
常日頃から選びに選んで引き出しに入れておいたネタがドン滑りにでもなってごらんなさい。三日三晩うなされて布団から出れません。
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エロだって同じで選ぶんじゃない。すでにそれはもう選ばれている。流れというものが既に存在しているわけだからね。
それをまず感じ取る必要があってこれは大変なことなんだ。だからそれが出来る人は我が国の貴重なエロ人材とも言える絵師なわけ。
昨晩 http://anond.hatelabo.jp/20141031023954 を書きました。
まさか反響があるとは思っていなかったのですが、トラックバック・コメント・ブックマーク頂き有り難うございました。
「私は障害者なんだ」と念じながら生きなくてもいいんじゃないかな…っていう私個人の意見です。
おそらく少数派だと思います。それでも伝えたくて。
大勢の方がご覧になった時、なにかしら批判のご意見が出てくるのは、もっともなことだと思います。
もしいやな気持ちになった人がいらしたら、ごめんなさいと言いたいです。
同じような悩みを持つ方にコメントしたい、でも私は専門家じゃない…個人的な経験や考え方を伝えることしか出来ない。
約10年分の葛藤や経験を、一晩でまとめるのは結構たいへんでした。
時間を割いてコメントを書いてくださったみなさんに、心からありがとうと言いたいです。
Ta-nishiさん
事実そう。「いまの社会」に向いてない特性持って産まれて困ってる人を「障害」ということにした概念が発達障害。「病気」じゃないけど困ってる/苦しいことに変わりないので援助が必要 http://goo.gl/lSxOzB http://goo.gl/wC8zui
同じような意見を持っている方がいらっしゃるとわかって、安心しました。
豫風@ty_retainさん
不快にさせてごめんなさい。
あなたがなぜここまで、私個人の日記へ憤りを感じられたのか、理由を教えてもらえたら嬉しいなと思います。
私はプロでも専門家でも無いので、至らぬ表現があったと思います。
豫風@ty_retainさんが感じられたことも、教えて欲しいです。
(ネット上ではクソって言葉をよく目にしますが、実際に自分へむけられると、かなり辛いものですね。)
black_grassさん
分裂病もそうだけど、古代から人類は、一定数出現する「特異な人間は集団から疎外する」が生存の最適解だったから、適者である現代人にはその振る舞いが染み付いている。だから個人事業やったほうがいいよ。
はい。
http://anond.hatelabo.jp/20141031023954
それ、君の中だけのイメージにすぎないから。それなりに膨大な蓄積があって定義がある程度定まってる用語なんで、「俺はこれを障害とは認めん」とか勝手に言われても困るっつうか。
ご指摘ありがとうございます。仰るとおりだと思います。
私はずっと「障害」って、一体なんなんだろうなぁ~って、ずっとモヤモヤ考えてたんです。
その結果感じた持論を「個人的なつぶやき」として表明したので、社会一般の定義とはずれていると思います。
無限の可能性を秘めているかもしれないのに、「障害」という枠に囚われてほしくなくて…
その気持をどうにか伝えられんか、と、脳内でもがきながら書きました。
以下話が脱線するかも知れませんが、発達障害という言葉に違和感を感じる理由を書きます。
私は20歳近くまで典型的なアスペルガー症候群当事者として生きてきました。
でも、あることがきっかけで「もう苦しみたくない!人生を変えてやる!!!」と誓ったんです。
得手不得手を分析したり、苦手な分野は改善の方法を模索をしたりして、「常識」に馴染んでいくことに精一杯努めました。
そして「もし、家族がきれい好きで家庭内の不和がなければ、私は子供の頃から常識を身につけてこられたのではないか?」
と思えるようなことも多々発見出来ました。
発達の特性や偏り・認知のゆがみに関しては、幼少期の経験や、今後の努力次第で改善できることもあると思うのです。
「障害だから」と決めつけて、早々と諦めてしまうのはもったいない気がします。
(でももし、私が自分の「ズレ」を直せることに気付けなかったら、今でも問題の原因を「障害」とし、改善努力もしていないことでしょう。)
http://anond.hatelabo.jp/20141031155449
ならないだろ。
なんでもかんでも病気にする精神科の医者どもの方が異常者だよ。
こんな異常者あいてにしてるから、頭おかしくなるのにきずけよ。
精神科の糞どもを相手にするな。楽しく生きてる奴を参考にしろ。それからそいつらの行動パターンを解析しろ。
俺なんておまえ以上に問題多かったけど何とかなってるよ。
私がうまく言えなかったことを、この方は全てまとめて叫んでくださいました。
泣きそうになりました。
投稿した時の自信はどこへやら、ツイッターでクソとか言われてしょんぼり、自信がなくなってたんです。
今後も賛否両論頂くかもしれませんが、思い切って書き込んで良かったと思います。
みなさんありがとうございました。
kukkyさん
そうですね。
今の私は正に「自分の変なトコロ」と「折り合いをつけて付き合って」いるという表現がぴったりきました。
しかしそれを自分ひとりで試行錯誤するのは時間がかかりすぎます。
困ったときに、ケアや支援を与えてくれるところが、今後増えてくれたらいいなと思います。
serioさん
この人が精神科と薬で良くならずに苦しんだという経験は分かるけれど、だからといって精神科や薬を全否定するのは疑問。薬のおかげで楽になれた、症状が改善したという人もいるので症状次第。決めつけない方が良い。
そうですね。薬が良い悪いと、一言では決めつけられないと思います。
化学物質は使い方ひとつで薬にも毒にもなりますから、医師が的確な指示を出してくれれば、全く問題無いと思います。
発達障害で苦しみ鬱となった人への対症療法として向精神薬を処方するのも間違いではないと思います。
また向精神薬のたぐいは麻薬と紙一重、諸刃の剣であるとも思っています。
根本を見直してなにかを改善できたら、危険な薬に頼らず済むこともありうるのではないかな、私はつぶやきたいです。
camellowさん
否定的なトラバ、ブコメもあるけれどなんでだろう。気の持ちようや日々の注意で生活は改善するよって話だろうに。もしや、コメントしてるみなさんも○○障害ですっていう壮大な仕掛けか?
予想はしてたけど、実際の批判を目にして、ちょっぴりしょんぼり(´・ω・`)していたところでした(笑)
camellowさんのコメントで気持ちが楽になりました。
aflat_1000dai4さん
あわわ…
なんか、ごめんなさい。
上に書きましたように、未熟者のひとりごととして受け流してやってください。
p_interさん
何も問題がない人もそうでない人も、生活習慣や思い込みを改めていくことが、より良く生きるためには大切なことだと日々痛感しています。
narukamiさん
タイトルにいらっと来たけど最初に思ったような内容ではなかった/心理士が行動指導をしてくれる場合がないわけではない。ほんと病院によるだろうが
なんかイラッとくるタイトルだなと、私もあとで読み返して思いました(苦笑)
通院していた頃は、行動指導に長けたスタッフさんが、日本各所にいらしたらいいのになぁ~と、思っていました。
カウンセリングで過去のトラウマを吐き出して心を楽にしたり、認知行動療法で自分を分析したりしていくことも大事なのですが、過ちを繰り返さずに人生をより良くしていくためには、それだけではすこし足りない気がしています。
SndOpさん
「この人のコメントかっこいい」と思いました
zeromoon0さん
悪気はないんだろうけど、「作者さん」の連発で「創作の釣り乙」と言いまくってるみたいだ。「筆者」か「著者」を使ってあげよう。
仰るとおり悪気ない連発で相済みません(^^;)
たしかに「筆者・著者」が適切ですね!今後機会があれば気をつけます。
nenesan0102さん
自宅で事務作業、レッスンは公民館や個人宅、という感じで細々と働き、どうにか暮らしています。
学生時代に目指した進路とは、まったく方向が違いますが、天職だと思います。
(ヨガの「八支則」という理念を知らなければ、私はまだ人生の路頭に迷ったままかもしれません)
「なんだ、結局はふつうに接客業やれてるじゃん」と思われるかもしれませんが、私の場合はちょっと特殊なんです。
まず、私は一人で教室を運営していますので、上司や同僚にあたる人がいません。
「自分のペースで働ける」ことはとてもありがたいことです。
レッスン中は、もちろん接客を頑張ります。
が、レッスンの時間は決まっているので「ここまで頑張ればいい」という安心感が有ります。
1日じゅうぶっつづけでレッスンするわけではないので、他のお仕事に比べたら、人と交流すべき時間はずっと少ないと思います。
また「日常会話が苦手」な私ですが、「ヨガに関する話題」ならすらすらと話せます。
私だけの特性かもしれませんが、それができれば「先生」として接客対応が可能になることがわかりました。
ヨガの話から、健康や悩みの話に発展したり、なんでもない冗談話になったり、「普通の」会話ができるんです。
大好きなヨガの知識と経験が、とても力強い支えになってくれています。
そして、レッスンが終われば家に帰れる。
経理や事務は、自分にとって過ごしやすい環境でやれるのも嬉しいです。
照明の色や強さを調整したり、音楽をながしたり、タイマーで時間を区切ったりして、苦手な作業でも楽しめるように工夫します。
ヨガを始めたきっかけは、「向精神薬に頼りたくない」「体力をつけたい」といった理由からです。
それが今では、生徒さんに喜んでいただきながら、私も社会とつながるための存在になってくれた。
本当に有難いと感じています。
私は常に何をしていてもさみしいです。
彼氏といても、友達といても、家族といても、常に泣きそうな寂しさがあります。
幸せだなと思えることも、そう多くはありません。
他の人からしてみれば、満ち足りた生活と思われるような生活をしているのですが、
それでも泣きそうになるくらい、寂しいです。
ググったりすると「打ち込む趣味等を持て」と書いてあるし、
もしかしたら寂しさを払拭出来るかもしれないと思って、フットサルとかヨガとか、色々やってみたんです。
だけど、どうにも「これをしているから幸せだ」とはなりませんでした。
私は10歳〜20歳まで、父親に軽く虐待されてきました。
虐待と言ったって、壮絶な虐待体験を持っている人からすれば、たいしたこと無いです。
中学受験から大学受験にかけて「おまえは馬鹿だから死んだ方が良い」みたいなことを、ずっと言われ続けて、
私が学校の試験で悪い点数を取った際には、母親が殴られたり蹴られたり、お湯をかけられたり、皿や圧力鍋を投げつけられたりしていただけです。
そんな感じで10年間育ってきたので、誰かに認めてほしいのかな?とも思ったりします。
でも、仕事でもプライベートでも、認めていると言われても、疑心暗鬼になっているような感じで、自分を自分で認められないんですよね。
だから、常にさみしいのかなと思ったり。
自分で自分を認めて行けば楽になるのかもしれませんが、まだ心は宙ぶらりんで、常に寂しいです。
たまに、あまりに寂しくて泣いていると、彼氏に「これ以上何がほしいの?」と困惑されます。
まあ、そうかもしれません。
他に何か解決方法ってあるのかなぁ。
抑圧とは感情を意識外に追い出して押し込めることで誰でもやってるごく自然な行為であり「自我を守るため」という文言で正当化されうるものだが、
その延長なのかどうなのか知らないけど無意識の存在すら抑圧する風潮があるよね。これは百害あって一利なしだから正直やめてほしいんだ。
なるほど無意識の話は何とでも言えるからオカルトや怪しい商法と結びつきやすい。だから無意識の話を持ち出した途端に地獄の業火のごとく怒り狂うのも分からないでもない。
人間簡単にレッテルを貼ってしまうからね。ところで業火と劫火と号火の違い分かる?だけど無意識はれっきとして存在するものであって、君達も意識しなくても自転車に乗れたり心臓が動いたりする。
心臓や自転車のような物理的なものでもそうなんだから、「無意識の思考・感情・イメージ・認識」といった心理的なものだって当然存在するのは分かるよね。
いや当たり前のことだと思うんだけどここから確認しないと存在を認めたくないがあまりに理解すら出来ない人がいるらしいんだ。
例えば、意識的論理的な思考に凝り固まっている人を一蹴するのには「人の顔を見ればその人だと分かるのは何故?」と問うことだ。
昔「人の思考は全て論理的である、一見非論理的に見えても深い理由があってその人なりの論理で考えてるだけなんだ」と主張する人がいた。
そこで僕はこうつけ加えた。「なるほど機械論だね。論理的と言っても意識的論理だけじゃなく無意識的論理も認める立場なわけだ」と。
しかし意識的論理の立場では人の顔の識別が一瞬で行えることをどう説明するんだろう?甚だ困難に思える。
かつての同僚はこう言った。「パターン覚えてるだけっしょ。顔データから検索するだけだから一瞬」と。しかし残念ながら人の顔は角度や表情や体調や老化や化粧で結構変わる。
そんな表記のゆれに即応するにはパターン覚えると言っても単純に顔画像を蓄えてそれと一致しているか否かを見るだけでは不十分である。
顔認知メカニズムの研究はそんな知らないけど聞いた話では人間が写真だけから誰であるか認識すると実生活を模した環境での顔認知よりも正当率がはっきり下がる。
だから精密な判定には文脈からの補完も関与してるという考えが主流になってて写真だけから画像処理で判定するのはある程度以上の正答率になると厳しいのではという意見も出ているらしい。
そういう話を聞いてるとやはり意識だけでそんな複雑な処理が行われてるとは到底思えないよね。カフェにいたから誰々だと思ったなんてほんとにいちいち「意識」してるのか?
ところでこの手の意識の話でよく人々が陥るのが意識と無意識は明確に区別できるとすぐ考えてしまうことだ。よくよく考えてみるとそうではなく「言われてみれば意識してた」ものや「うっすら意識してた」ものや「意識してた気がする」ものがあるだろう。
意識してたかどうかを他者はもちろん本人も明確に知る術は無い。だから「Xに対する意識の意識がないからってXに対する意識がないとは断定できない!」「俺は意識の意識が得意だから実はすべて意識してるんだ!」なんて強弁するのは容易く
それを他者がキッチリ否定するのは極めて困難なんだよね。極端な話「心臓すら自覚がないだけで実は本人が意識して動かしてるんだ。ヨガの達人が心臓を意識して止められる話はあれはもともと心臓も意識で動かすものだからだ」なんて言えるわけ。
こうなってくると意識という言葉がゲシュタルト崩壊してくる。実は意識しててもそれを意識してなければ意識してないと盲信する余地が至るところに存在するし、反対に実は意識してなくてもそれを意識してると主張すれば意識してると強弁する余地が大いにある。
こういうのを数学ではill-definedと言う。定義になってない、定義として不適切ということだ。だから生理学的レベルで厳密な(well-defined)定義ができるようになる時代が待ち遠しいのである。出来たとすればの話だが。
しかしこうも言える。Xに対する意識の意識があればXに対する意識があるのだと。錯覚かもしれないし本人にしか分からないが多分あるのだろうと主観的には明らかになる。
だからたとえ生理学的定義が無理でも人々が意識の意識をより正確にできるようになれば無駄に無意識をブッ叩くことも激減することであろう。悪意でねじまげて主張する人は別としてな。
我々としてはメタ意識の支援ツールやメタ意識を促すカウンセリング的会話術を開発していけば随分と世の中の混乱が解消されるのではないかと思うのである。
三十路を過ぎてから焦ってお見合いパーティや出会い系SNSで恋活・婚活をしている。
お見合いパーティは一度に10~20人前後、SNSは登録者数百人~数千人以上と、確かに知り合いになり得る機会は転がっている。
しかし、かわいい上に教養レベルと趣味が合う子となると、なかなか見つからない。
年齢が行き過ぎていたり、見た目が恋愛対象にならない子を外していく。
若くてかわいくても、高卒無職なんて子もいて戸惑ったり、趣味に「ヨガ・カフェ巡り」とある子はいったい何を話していいのか分からない。
そんな自己選考をくぐり抜けた子が見つかったとしても、大抵ライバルの男が多く、激戦のためマッチングしない。
自分の今あるステータスを棚卸しして人気の子に必死にアピールするもなかなか振り向いてもらえず、空しさばかりが増長していく。
「お見合いパーティや出会い系SNSは出会いの効率がいい」なんてことを聞いたが、やっていくうちに本当に効率がいいのか疑問に思えてきたとき、
http://anond.hatelabo.jp/20140720013419
という記事を思い出した。
同じ大学という時点で教養レベルフィルターをくぐり抜け、さらに同じサークルとなると、同じ趣味条件で検索に引っかかってきたのに等しい。
同じサークルの人はどうも馬が合うと思っていたが、世の中いろんな人がいると思い知らされた今、よく考えてみれば当たり前のことで、恵まれた環境だった。
婚活市場でこういった子を見つけるのすら大変なのに、自動的に希望条件をくぐり抜けたたくさんの若い子が毎年入学してくる訳だ。
いったい当時の俺は何をやっていたのか。タイムマシンがあったらしかりつけたい。
一方、サークル内恋愛を行うにおいては、「活動との折り合い」や「サークル内の目」と戦う必要があり、独特な別の難しさがあるだろう。
当時の私もその葛藤に悩んでいたが、サークル内で次々とカップルが誕生し、いいなと思った子も他の男に取られていく中、
嫉妬もしていたのか、最終的に「俺はここにサークル活動をしに来ている訳であって、恋愛をしに来ている訳ではない(キリッ!)」と硬派を貫き通すことにし、
どんな醜男でも彼女ができているという異常な状態だったそのサークルから、最後まで彼女を作らずに卒業した。何人か、自分のことを好きだったっぽい後輩もスルーしてしまった。
数年後、そのうちのいくつかのカップルは既に結婚し、子どもも生まれ、幸せな家庭を築いている。
一方の俺は、状況に絶望を覚えながら帰宅後や休日にパーティスケジュールや女性プロフィールの検索に余念がない。
「活動」や「サークル内の目」は4年で終わる。気を遣うのが間違いだった。サークル内で生まれた愛のいくつかは、これからも一生続くのだろう。
お見合いパーティや出会い系SNSを利用して、さらに気づいたことがある。
たまたまいい人が見つかってマッチングしたとしても、そこからこまめに連絡を取って仲良くなっていくというのも大変な労力で、至難の業だということだ。
所詮は赤の他人同士に過ぎず弱い結びつきのため、気を抜くとあっという間に疎遠となってしまう。
反面、「同級生」「同じ学校」「同じサークル」という動かせない事実の、なんという結びつきの強さか。
何年も会わなくても、会ったときにはブランクを感じさせないほどすぐ意気投合し、盛り上がる。
婚活サービス利用疲れをしていたある日、街中のとある場所で働いているサークルの後輩と偶然再会した。
相手も自分のことを覚えてくれていた。仕事中だったため、卒業後何をしていたのだろうとあれやこれや話したいことをいったん飲み込み、すぐ別れた。
OKの返事を出したらこんな返事が来た。
「お茶したあとに来て欲しいところがあるんだ。楽しいところだよ」
これ、マルチじゃん。
危険を察した私は、翌日急に仕事が入っていけなくなったと返事を返した。
そのあとに来た返事を見てゾッとした。
お仕事頑張ってね!
来週の土日は空いてる?次空いてる日はいつかな?
出来るだけいますぐ会いたいな(^^)」
勧誘の期限が近づいているのか知らないが相当焦っているのだけは分かった。
かなり突き放したような返事を返した。ここでやりとりは終わった。
次に誘いが来たら縁を切ろうかと考えている。
喧嘩をしたわけでも無いのに縁を切ることにはかなりの躊躇いがある。でも仕方ない。
説得が出来ないかと思ったが、洗脳された人に対しては無意味らしい。
マルチに騙されている人たちは、友人を失ってでも得体の知れない集団にいたいものなのか。
全くをもって理解できない。
この友人は同級生であり、1年前に久しぶりに再会した。
正直なところ、この時点で察しておくべきだったのだ。
誘ってきたのは友人側からだった。
このときは軽くお茶をして話をした。殆どが近況報告だったと思う。
話の流れで私が「最近、体調を崩しやすい」と話したらヨガに誘われた。
そのあと友人はヨガについて熱く語りだした。この時点で洗脳されたような印象はあったような気がする。
趣味でヨガをやっているという知人がいるらしく、そのときは誘いに乗って行ってきた。
この段階では勧誘されたり、契約書を書かされるということもなかった。
またヨガをやりたくなったら声をかけて欲しいと言われただけだった。
私自身マルチ勧誘を受けたのが今回初めてだったので油断していた。
たったこれだけのやりとりなのに軽い人間不信になりそうだ。
定時退社が当たり前、ダンスを習っているのよ~とか、連休には旅行に行くのが当然だと思っていたりとか、そういうホワイト企業。
バイトも派遣も差別されない。急に有給を取っても怒られない。理由も聞かれない。みんな楽しく働いているように見えた。
飲み会でも無理に飲まされないし誰もタバコを吸わないし店の人にも絡まない。
定年近いおじさんも、若い人も、みんな大卒だった。みんな優しかった。
わたしも当たり前のように、同世代の社員から「うちらが大学の頃ってさ~」と話を振られたが、わたしは高卒だ。
どうでもいいけど両親はどちらもヤンキー上がりバブル世代の中卒で、高校に行きさえすれば仕事に困らないと思っていたような人だ。
だからわたしも当たり前のように高卒。アラサーで独身で低所得よ。年収200万もないよ。
わたしもね、高校は出席日数ギリギリで卒業したバカだよ。学校なんてかったりーよーとか言ってさ。
社会に出て、すぐに気がついた。あーわたしはバカなんだってね。
同級生はみんな大学に行った世代なのに、学校が嫌いとか勉強が嫌いとか、もっと言えば家にお金がないから大学に行くなんて選択肢ははじめからなかった。
高卒がほとんどの職場なんて、お金もないからみんなギスギスしているし無駄な根性論みたいなのをかざしてくるし優秀であっても年が下なら立場は上にいけないし、人より努力すると生意気だとか言われて妬まれる。
バカばっかり。もちろんわたしもそのバカだ。
知ってしまったら、自分たちの世界はなんて余裕のないクズばっかりなんだと思った。
海外旅行どころか家族旅行も行ったことがないしそれどころか映画館にも行ったことがなかった。
そんな生活をしていたのに「今度の休み、オペラ見に行かない?」とか「ミュージカル行かない?」とか「一緒にヨガ習おうよ~」とかそういう会話がこの世に存在するってことを知ってしまった。
とある女性社員の家にお邪魔したら、品のよさそうなだんなさんが「お友達? じゃあ今日はぼくが洗い物をしておくね」なんて普通に言いやがった。
家にいるのに一人称がぼく!? そんな人間見たことがない!!! 奥様劇場の世界か!?
うちの母は「二十歳すぎて童貞なんて病気だよね~~www」とか言うし、娘であるわたしに向かって父との性生活の愚痴をこぼすような人なのに。
アニメを見ている大人は犯罪者だと思っているし政治家はみんな悪いことをしていると思っているし若者は自己主張が激しいから仕事がないと思っている。
だからあんなホワイトな大人がいる世界が信じられなかった!!!
でも低学歴でクソブラックがお似合いのわたしにはまぶしすぎて、そういうコミュニティに染まりきれなくてつらかった。
こんなアホでも手取り16万もらえる事務なんていいほうなのだが、ホワイトさんたちから見たらカス給料なので「うちの会社受けなよ~去年も40代の新入社員がいたから30代なんて全然大丈夫よ~」なんて言ってくれるわけ。
受かるわけないじゃん! わたしすっごいバカなのに!
わたしが高卒の上にバカである可能性を考えないホワイトさんたちには劣等感しかない。つらい。ホワイトさんは天上人か。
バカでヘビースモーカーばっかりの職場のほうが、猫をかぶらないで済むので疲れなかった。
この前、中卒の友人が妊娠して結婚した。旦那は税金を滞納していて役所から車を差し押さえられるような人だ。
都内で複数の会議室・イベントホールを運営している会社の社員だが。(割と大きい、一部上場)
主には「商談会」「学会」「就職説明会」のような団体が主に利用し、中には趣味のサークルが借りるなんてのもある。
しかし、たまに「ネズミ講」「ネットワークビジネス」な類の団体が、会議室を借りようとする。
そういう団体が当社の会議室を借りてしまって、そこで「被害」が発生してしまったら、
被害者が「お前の会社は、あんな怪しげな企業に、会議室を貸しているのか!!」と八つ当たりされかねない。
まだネズミ講ならいい。
自己啓発セミナーの体裁を装って、中身は怪しげなモノを数十万円で売りつけているようだ。
ヒドイのになると、オウム真理教まがいの、インド系ヨガサークルとか、「宇宙人のエーテルと交信」なんて
イッちゃっている団体もある。
そういうカルトまがい団体に部屋を貸してしまって、カルト被害者から
「お前の会社は、一部上場のくせに、カルトにスペースを貸すのか、企業の社会的責任をどう考えてるのか!!」
と責められかねない。
ということで、コンプラ上、企業防衛上、こういう「怪しげな団体」に部屋を貸したくないので、
スタッフにも「そういう怪しい団体には気を付けろ!」と言っているのだが、
なかなか申込み時点で、「これは怪しい団体か、否か」を判別するのは難しい。
自分は割とネットワークビジネスとか似非科学とかに詳しい方なので、大体怪しい団体かどうかの判断は付くのだが、
自分がずっと団体チェックに張り付いていられなくて、受付員に委ねざるを得ない。
受付員は「ホメオパシーが怪しい団体だ」と知らない程度のスタッフもいる。
食費に関する節約?の話。
私はある資格というかスキルを持っていてそれは今は隠すんだけど、例えば絵が描けたり崩し字を読めたりホームページ作れたりヨガができたりキノコに詳しかったり鍛冶ができたり温泉ハンターだったりとったごとくのスキルなんだ。一芸っぽいやつ。まだ未熟なんだけどね。
すると地域の人にやたらご飯に誘われる。先月はシーズンでもあっていろんな人と話したり講話をしたりした。そんなことしているので先月はほぼ毎日誰かの家にお呼ばれしたりしてご馳走になった。
もちろん無理にお願いしているわけではない。食事をしながら、仕事の続きのお話をしたりして楽しい一時を過ごせる。そんな場所に多く誘われて本当に光栄だ。そして、その副産物だが全然食費がかからない。