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はてなキーワード: クラスタとは

2022-03-16

anond:20220316223118

それはオマエが左派クラスタ付近いるからでは?つーかツイッタランドの全体像なんて見通しようがないが利用者層の年齢くらいは推計できる。嫌韓ネトウヨブーム世代がずっぽし

2022-03-14

当用漢字(1948)から常用漢字(1981)へ

1946 年の内閣告示により 1948 年に制定された「当用漢字」は、

1973 年に改訂され、1981年に「常用漢字」の制定にともない廃止されました。


1973 年の改訂では、添付文書改訂趣旨について以下のように述べています

改定に当たっては,昭和23年内閣告示当用漢字音訓表の持つ制限的色彩を改め,当用漢字改定音訓表をもって,漢字の音訓を使用する上での目安とすることを根本方針とした。


これは、1946年~1948 年に制定された「当用漢字」には制限的な意味合いがあった

ということを公式に認めたものだ、と読むこともできます表現規制だぁーww)。


では何故、「制限的色彩」があったかというとあったかというと、

政府公式見解では穏便に:

わが國において用いられる漢字は、その数がはなはだ多く、その用いかたも複雑であるために、教育上また社会生活上、多くの不便があつた。


と言っていますが、当時の人々の本音としては、

大本営発表をはじめとする政府特に軍部から出てくる公式文書や、

戦中の御用メディア(当時の新聞)の文章大袈裟難解な漢語表現ばかりで

「なんかスゴそうだけど、よく考えたら意味不明だった」「あの表現に騙された」という感覚だったんだろう。


まり、大きな流れとしては、1946 年に戦中の反省から当用漢字」ができて、

1973 年に「そろそろ戦争反省より実用性かな」というノリになり、

中曽根康弘総理大臣になる(1982年)ような時代になって廃止されたということですね。


というようなことを週末に家族と話してたんだけど、

月曜の朝にミリタリークラスタが「鹵獲」なる言葉を使ってるのを見てモヤった次第です。


なんで「捕獲」や「接収」じゃダメなの?

英語だと「キャプチャー」という日常言葉と地続きのフツーの言葉なのに、

日本語の「鹵獲」はどの辞書を引いても戦争軍隊という文脈限定

特別言葉」なんだよねー(専門用語ともいう)。


自分は(他人もだけど)専門用語を多用したくなったら要注意だと思ってる。


専門用語を多用したがる「気持ち」はどこからやって来るんだろう?


自分が(他人でもいいけど)専門用語を多用しちゃうのってどういう時かな??

2022-03-06

特撮クラスタドンブラザーズ持ち上げがキモいすぎる

SCPだ気狂いだキャッキャッしてる。

ヤバイね。

いい大人

2022-03-05

徴兵制現代戦でも有効なのか?

軍事クラスタでは従来、徴兵制現代戦ではメリットがないというのが常識だった。

それが覆ってるのかもしれない。

ウクライナ事態は、徴兵制有効性を証明しているように見える。

陸戦に限れば、常勤職業軍人でなくても対戦車擲弾や自動小銃武装すれば十分な戦力になる。


ノルウェーフィンランドデンマーク

スウェーデンウクライナスイスエストニア

リトアニア徴兵制採用している。

中には北欧のようにリベラル理想とするような国々もある。

そういった基本的人権民主主義平和を重んじ国民幸福第一に考えるような優しい政府の国々で徴兵制採用されている。


日本も将来、徴兵制採用するのだろうか。

日本海洋国家から徴兵制意味がない、という反論があるだろう。

だがこのまま中国との海軍空軍の戦力差が広がり続ければ、ランチェスターの第2法則が顕著に働く海戦空戦では全く勝算がなくなる。

そうなったとき徴兵制意味ないとはいえないというのがウクライナの戦訓であるように見える。

まり日本本土での陸戦で出血を強いることができる体制を構築するための徴兵制独自で持てる拒否抑止力となる。

自分徴兵されるのはとても嫌だけど、将来が不安になる。

そうならないように、日米同盟強靭化と、韓国のようなSLBM,SSBN開発をして核武装にいつでも移れる状態になることで抑止力の確保をしてほしい。

2022-03-04

anond:20220304211359

世界史に残る神レベルの実力者と奥さん離婚したの!?

世界史に残るチャンスをフイにするなんて史学クラスタからすると信じられない神経。

そのシチュエーション、喉から手が出るほど欲しい歴史書掲載希望者、千人はくだらない。

左翼右翼けがロシアを支持している

はてなの人は気づいてるのか?

日本極左極右けがロシアを支持or擁護していることに。


日本ロシアに詳しい専門家欧米結構からキーウ呼びにするって言い始めてる。

でもそれに気づいてなかった。

これは既にクラスタが分断されてるんだな。

ちゃんと一歩引いて事態を見てるか?

この流れに気づいてなかった人はいったん冷静になることをお勧めする。

2022-03-02

ワクチン=反ウクライナ極左

Twitter見てると反ワクチン=反ウクライナ極左派のクラスタが出来上がりつつあるんだが大丈夫か?

ウクライナ極右/ネオナチ呼ばわりしてロシア支配される方がいいみたいな話までしてるぞ。

ネトウヨじゃなくて野党支持者だぞ。

くりかえすがほんとに大丈夫か?

はてブでもそういう人ボチボチ出てくるのかな?

陰謀論者が攻撃的なのが辛い

ウクライナの件があって、何が起こっているのかを調べたり歴史の洗い直しして状況を自分なりに確認した上で、世の中の人はどういう見解なのか、各報道機関はどう報道しているのか、何が現場で起こっているのか、なんてことをSNSを使って調べてるんだけど、大きく取り上げられていた、楽天三木谷さんの10寄付について、「結局アメリカバイデンクリントン資産になる」とか言ってる人がいて意味がわからなかった。ついているリプライでもその人の考えを支持している人が多く(SNS特性クラスタの発生だなとは理解する)、どういう人達なのかとその人のプロフィールを見に行ったら、反ワクコロナはデマクラスタの人たち。

ああ、自分とは生き方や感じ方が違う人達なんだな、と思いながら斜め読みするようになったら、陰謀論他者布教しようとしたり、それにいい顔をしない人に対して攻撃的な態度や揶揄する物言いばかり目について、気が滅入った。

なんでそんなに好戦的なの?

2022-02-27

anond:20220227182715

共産叩くためなら、あれほど忌み嫌っていた立憲の肩をもつようなクラスタから

嫌いなもの同士を天秤にかけて、より嫌いな方を叩くために、もう一方への批判を「中身を問わず」甘くするって

思考デフォなんだよな、ネトウヨ

「立憲が嫌いだから立憲のやること成すことすべて否定するけど、立憲と共産対立したときはその内容問わず共産の方が嫌いだから)立憲の肩持つ」

文字にすると、ほんと短絡的な1ビット脳でどうしようもない連中だけど

そのどうしようもない行為集団で「何が悪いの?」ってノリでやるのがネトウヨって存在なんだよな

2022-02-26

ウクライナに対する弁護士クラスタ嘲笑

おぞましい書き込みが無数にある。

あん感覚法曹やってるの、制度が狂ってる。

株とかFXクラスタとかロシア資産買いまくりなの?

自分だけ賢く儲かったらいいよね?

2022-02-21

はてブを捨てたいと今日も思う

理由だけど、

・生きていくうえで、自分市場競争力を高める上で役立つニュース情報ほとんどない。

維新カス大阪民国、また女性レイプされた、女性は損(だけど昇進はイヤ)、サイゼデートとかw、フェミニズム

自称女性男性スポーツ大会で優勝、させていただくきもいクチャラー気になるのは病気コロナはただの風邪、反ワクとかw、

Python講座無料とかwKKOJCの靴舐めてタイーホ!ぬこかわいいよぬこw)

・ここしばらくで、政府予算審議が進捗したり、ウクライナで緊張があったり、いろんな重要度の高いニュースが沢山あったのに、

それに関連するブクマほとんどなかったりコメントもなかったり。

・株安・戦争不安なので投資クラスタが少しまともなニュースを拾ってる気配。Bloombergとかロイターとか。それくらい。

はてな文化的に貧しい。これはだめだ。

SNS流行ってるとか当てにならない

1万RTとかほぼ自分クラスタ内でしかバズってないよ

2022-02-19

アメリカ政治学近代現代歴史クラスタちょっと気になる動きがある

向こうでもっぱら話題なのはやっぱり中露の横暴についてなのだが「我々はどこで歴史を間違えたのだろうか?」という話題になったときに「やっぱり第二次大戦日本を叩き潰したのがまずかった」「連合国日本を負かすために中国共産党に肩入れしたのが元凶だった」「中国朝鮮半島ユーラシア大陸東部あたりまで日本に任せておけば今のような事態にはならなかった」というような主張がちらほら増え始めている

今はほとんどスルーされているが、きっぱりとした反論も出てこないあたり割と本心ではそう思ってる人が向こうには増えているのかもしれない…

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-14

作画面白い

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1845067

作画ってもともとは「アニメの真髄は作画にあり」っていう派閥用語だったの。アニメ制作にはざっくり

絵コンテ原画動画→彩色→特殊効果撮影→完成

っていう工程がある。アニメの持つ快楽の源泉は「動き」にあって、その「動き」を決定づけるのは「作画原画動画」という工程にある、って思想ね。

物理現象の美しさを、人物の芝居と感情を、二次元三次元として表現する奇跡を、カメラワークの妙を生み出すのは作画マンなんだ。

この芸術に取り憑かれた人間映像研の水崎であり、作画スレの住人である

だが作画という言葉は「作画崩壊」というトレンドと共に、本来意味から変わった形で普及した。

一般的作画上記工程の「完成」の部分を指す言葉になった。そして静止画としてのクオリティを示す言葉になってしまった。

アニメからワンカットワンフレームを切り抜いて、その画面の華やかさや造形のクオリティを指して「良い作画だね!」なんて言ってるのを見るとムズムズしてしまう。その画面、全然動いてないじゃないか、ってさ。

もちろん静止画イラストとしての完成度は作画クオリティをも左右する。だが本来本質は「動き」なんだ。どんなに素晴らしい絵でもそれが「アニメーション」していなければ価値は低い。それが作画クラスタ価値観。

この辺の機微花村ヤソの「アニメタ!」が上手く書いているので興味がある人は是非読んで欲しい。

上手く伝わるだろうか。ブクマざっと読む限りはてな民もこの辺理解してなさそうだったので書いてみた。

2022-02-09

anond:20220209102252

魚拓取っておかないとな

軽度知的障害発達障害女性破滅フラグ

実家から逃げた先で破滅

まず毒親気味の両親であること(両親も"傾向"ありで、親自身が生きづらさを抱え苦しんでいる)がフラグになる。

両親との関係が悪い弱者女性が、実家を出て一人暮らしをする→経済力生活維持能力がなく破滅

両親との関係が悪い弱者女性が、実家を出て男の家に転がり込む→男との関係悪化し、経済力生活能力がなく出て行けず、男から手荒に扱われ破滅

男は最初は良い顔をしていた(いつでもセックスできる同居女ができて嬉しいから)が、徐々にモラハラDV化するというもの。割とよくある。

 

昼職から逃げた先で破滅

ミスを繰り返して同僚に疎まれ辛い思いをさせられる昼職に、しがみつくのを諦めてしまうというのも破滅フラグになる。

同僚に疎まれるのに耐えられず昼職を辞め、性風俗労働一本になる→老化により性風俗労働収入も減少し、将来展望もなく、病んでいき性風俗労働もできなくなり破滅

なので、軽度知的障害発達障害でも追い出されない昼職に当たることができるか、そしてしがみつけるかが重要になってくる。

知的障害の程度や、発達障害特性の程度によっては、しがみつき不可能。そうなると障害年金へのアプローチになるのかもしれない。

 

理解ある両親の要介護化で破滅

こどおばとして「理解ある実家くんと会社くんに寄生」してやっていくのが破滅を先送りにできるパターンではある。

ただ、親が70代に入ると要介護になり始めるので、親70代子供40代くらいから、こどおば逃げパターン結構厳しくなってくる。

親が家事をしてサポートしてくれていたのが、逆に子供が親を介護しなきゃいけなくなり、子供介護労働の両立ができず、仕事を辞めたりする。

親の65歳以降、親の年金を親子の生活費としていた場合に、親が80代になり死亡すると世帯収入がなくなり、50代無職の発達こどおばが残され、

生活保護申請等の手続きNG書類手続き能力的にできないタイプの軽度知的や発達)だと、そのまま詰むことがある。

 

子供に"特性"が出て破滅

理解ある彼くんと結婚しても、子供を産むとそれが破滅フラグになることがある。

まずいのが、子供に「育てにくいタイプ発達障害特性」が出た場合

こだわりが強く、被害妄想他責思考・他害行動が出る障害特性持ちの子供は、健常の保育士からしても扱いが難しい。

また、親の発達障害特性的に、育児など人のお世話をするタスクに向かない場合もある。

理解ある彼くんが軽度知的障害発達障害女性結婚してくれて、寿退社を許してくれて昼職で同僚に嫌われることから解放してくれた直後が一番幸せで、

育児という健常者でも結構へこたれるタスクが入ると、キツい状態に逆戻りということも多い。

ツイッター暴言が多すぎる育児クラスタの人たちは、割とこの層が多いのではないかと思う。

母親が発達で子供も発達、ダブル障害があるために育児地獄になってしまう。

 

正解は「子なし専業主婦一択

まり軽度知的障害発達障害女性破滅回避するのは、自分より長生きしてくれそうな「年下の健康理解ある彼くん」を捕まえ、

子供を産まずに専業主婦をやるということになる。もちろん家事は、パニック発作を起こしたり鬱病になったりしないよう、最低限のクオリティで良い。

(彼くんが7歳以上年下だと、彼くんより先に死ね確率が高い。彼くんが年上だと、彼くんの死後、誰にもお世話してもらえない孤独な老婆になってしま可能性が高い)

ただそんな条件を受け入れる健康な年下男性が現実的にいるだろうか?

そんな男性は、健常な同年代女性結婚して、共働きしながら子供を作り育てるのではないだろうか。

2022-02-08

anond:20220208112030

罹患手当制度が導入された場合、手当のために病状をギリギリまで伏せる人が出てきてしま

結果的クラスタの量産される状況が容易に想像できる。

古塔がなぜ延焼するかというと、住んでる場所SNSから、という理由のほうが大きい

ましてクラスタとして絵師だと桜の木の下の死体勢が黙ってない

荒木は遠い存在であって、今どきの絵師からすると距離の近い古塔がズルした、という印象でしかない

コツコツ推し活できる人間嫉妬の念を禁じ得ない。

推しツイートは欠かさずいいねRTリプライ

配信リアタイして必ずコメントを残し、配信後にコメントを書き込む。

企画募集があればせっせと応募し、

記念配信にはクラスタで集まって寄せ書きを作り、

ライブにはフラスタを寄せる。

当然それだけグイグイ前に出ているので推しから認知も受けやすい。

 

全部無理。

Twitterなんか週に2回くらいしか開かんし、

ファン同士のつながりとかも面倒くさいか

寄せ書きや共同フラスタはやってることすら知らん。

リアタイもできればしたいけど仕事が忙しくてほとんど無理。

グッズ、ライブ、ボイス等の有料コンテンツは全部買ってるけど、

表ではちょいちょい報告する程度なのでいいねもポツポツしかもらえない。

 

でもさー、コツコツ推ししんどいんよー。

俺にも生活があるからさー。

好きな気持ちは変わらんけど、正直なんかしんどい

2022-02-05

anond:20220204190811

承認欲求狙いでTwitterの悪評拡散クラスタでバズってるだけでなく商業メディアライターが書く内容ではないと思った

ギャグ寒い」とか「ザ・邦画」とかネットテンプレとなってるディスワードしかなくまとめコピペサイトと大差ない

2022-01-31

anond:20220131142433

精神疾患ってほかの病気みたいに明確な症状があるわけじゃないからな

良心的な病院だと「初診ではお薬出しません」って明言してるところもあるけど

お金を考えるとバンバン薬出したほうが儲かるのでガバガバ病院も多い

精神疾患クラスタで「処方箋がおりやす病院」ってのが共有されてる

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