はてなキーワード: しまとは
ネットで中国の経済が落ち込んでいるとはよく目にはしてみたが、実際は勢いがまだ衰えていないんじゃないかと思っていた。でも本当に景気が悪くなっているみたい。以下今回現地の中国人が実際に言っていたこと。
ブクマカさんから教えてもらった記事だが、確かに地方公務員への給料不払いは問題になっているらしい。
https://www.asahi.com/articles/ASRCZ72D8RCZULFA008.html
それともう1点気になったこととして、高校受験を終えたばかりの息子を持つ親戚に合ったのだが、今不景気だし先行きが不安。息子の成績からいって高校に入れたのが奇跡で大学となるといい大学は望めない。かといって職業高校に行かせるのもなーと言っていて、軍隊に行かせることを考えているらしい。軍隊に入れば安定した給料も出るし老後の福利も好待遇なのだとか。中学の教員すら給料が出ないのに軍隊に入って給料もらえるかどうかって分からなくない?それに高額年金?本当なの?と質問したところ、自信満々で「本当だ」と言う。
ワタミ社長「 『大失敗した思想・共産革命』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから大失敗になるんですよ」
村上龍「?」
ワタミ「途中で止めるから大失敗になるんです。途中で止めなければ大失敗じゃ無くなります」
村上「いやいやいや、順序としては『大失敗』だから→途中で止めてしまう』んですよね?」
村上「?」
ワタミ「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく共産革命が実現できるまで全力でやらせる」
ワタミ「そうすればその人はもう大失敗とは口が裂けても言えないでしょう」
ワタミ「大失敗じゃなかったって事です。実際に共産革命が実現できるまでやったのだから。『大失敗』という言葉は嘘だった」
村上「いや、共産革命が実現できるまでやったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
ワタミ「しかし現実としてやったのですから『大失敗』じゃなかった。その後はもう『『大失敗』なんて言葉は言わせません」
村上「それこそ僕には『大失敗』だなあ」
ビームマンPがAI堕ちしてて、しかも反反に転びかけていてドン引きした。定着し認めれた文化であるところのMMDの担い手である人が、何故ゴミカスAIモンキーに毒されてしまうのか。早く目を覚まして欲しいし、MMD界隈の住人は殴ってでも目を覚まさせるべきだろう。さもなくばMMD界隈に関わる人間がゴミカス生成AIモンキーと同レベルだとみなされ、MMD文化が終わることになるぞ。
当時 事件のニュースが流れたときは「母親と比べられるプレッシャーが...」と言われていたけど、その後すぐに男関係が原因だったろうと発覚した。
そんな恋愛のゴタゴタで、しかもあんな男のせいで、神田沙也加は死を選んでしまうような人間だったんだと思って残念な気持ちになった。
彼女には歌声も実力もあって、きっと周りの人にも恵まれていて...。それらは死を止める力にはならなかったんだなぁ、と。
特別ファンとかじゃなかったけど、やるせなくなる。あー、なぜ死を選んでしまったんだ。
「神田沙也加」のイメージは周りから見ただけの印象で、本当はとても心が弱い人だったっていうことかな。ついアナとか元気でタフな子の印象と重ねてしまうし。
中国シンセンの事件はショッキングだけど、やはり人間が環境や情報から「仕向けられる」ことの単純さというか、愚かさを感じる
昨日の朝、推しがX上で私をブロックしていることに気がついた。
推しの周囲にいるスタッフさんが引用リポストした引用元が見えなくて、推しのアカウントに飛んだところ
「〇〇(推しの名前)はあなたをブロックしています。」と表示され、目玉が飛び出るかと思った。
このエントリはその人たちが「推し ブロックされた」で検索した時、その心に寄り添いたくて書く。長くなります。
ブロックに気づいたあと、私はすぐに
②自分のどのポストがブロックの原因になったのか を確認した。
まず、サブ垢からは推しのポストを見ることができた。最新のポストのいくつかに見覚えがない。10日ほど前のポストをタイムライン上で見た覚えがあった。
推しが私をブロックしたのはここ10日間ほどの間に起こった出来事らしい。
誤操作?とも思いたかったが、誤フォローと違って誤ブロックでは手順が多すぎる。推しが意図的に私をブロックしたのはほぼ間違いない。
次に私は直近の自分のポストを見直した。その時はまだ信じられないと思っていた。
というのも、ポスト内容には注意を払っている方だと自分では思っていたからだ。
ブロックされた推し活用に使っていた。100人を少し超えるFFがいて、日々推しが出ているコンテンツの感想を書いたり、FFと交流したりしていた。
感想ポストをする時はハッシュタグをつけていたし、推しがエゴサやパブサをしていることは知っていたので、以下のようなことに気をつけていた。
(必ず「今日の動画の〇〇さん、最高だった」というようにさん付けで書いていた)
・極端な愛情表現を含むポストをしない(ガチ恋を思わせるようなものなど)
※箱推しで、〇〇が推しメンというわけでもなく、リアコとかでもなかった。
なぜ自分はブロックされたのだろうか?その思いで自分のポストを振り返るが、どれが推しの地雷を踏んでしまったのかわからない。
というかこうなると逆に、全部が可能性があるように思える。
メンバーのうち1人だけ(〇〇ではない)最近仕事が忙しそうだと書いたことか?
タイムライン上でバズった話題について「この件について〇〇はどう思うかな?」と書いたことか?
〇〇が童謡を歌っていたのに対し、「幼少期〇〇がこれ歌ってたのかと思うと愛おしいな」と書いたことか?
〇〇が自分のラジオ番組で大暴れしているのに対して、「あいかわらず情緒安定してないw」と書いたことだろうか?
わからない。。。
正直「ブロックされるほどの内容か…?」と思っている自分がいて、ハッとする。
どのサイトでも「ブロックされるようなことはしていないと思っていても、大抵の場合あなたが何かしてしまっているのです。」と書かれていた。
今回はこっちが先に推しの気分を害しているのだ。推しは自分自身のタイムラインを清浄に保っただけ。
自分はむしろ加害者であり、その上自分のなにが推しを不快にしたのかもわかっていない。最悪だ。
このアカウントでは推し界隈で繋がったFFさんたちと楽しく交流してきた。
でも今は、私だけが、推しから「お前はいらない」と拒絶を突き付けられている。
いや、「お前はいらない」は言い過ぎなのかもしれない。
以前から〇〇は自分のタイムラインを清浄に保つためにわりと気軽にブロックをしていることを話していた。
その時はまさか自分に関係する話だとは思っていなかったのだけど。
今でも他のメンバーはフォローできているし、番組の公式Xなどもフォローできている。
スタッフさんたちが私の感想ポストにいいねをくれることもある。
コンテンツは今まで同様に楽しむことができるし、FFたちとの交流もできる。
できなくなったのは「〇〇のポストを見ること」と「〇〇が私のポストを見ること」の2つだけだ。
前者は、別アカウントで〇〇をフォローして、通知を入れておけばいい。
後者は、別に元々見てほしいと思っていたわけではない。ハッシュタグをつけている時は「もしかしたら本人に届くかな」くらいの気持ちはあったが、
メンションしたりリプを送ったり、DMを送ったりしたことはなかった。
つまり、失ったものは極めて小さく、ほとんど今までと変わらないのだ。
でも。と、どうしても思ってしまう。
私は推しとの間にある境界線を踏み越えたことはないと思っていた。
「番組の感想はハッシュタグをつけてどんどん呟いてください」のアナウンス通りに応援の気持ちをこめたポストを書いて、イベントに参加したりしていた。
でもそれだけだ。
DMで凸ったこともリプライで凸ったこともなければ、動画のスクショを載せるなどのグレーとされることもしていない。
彼が「ここからここまでが公の自分。これ以上は踏み込まないで」と、線を引いているのを想像し、その線を越えようとしたことはなかった。
でも、私は他のファンと違って彼の「タレントとして公にしている」Xのポストをもう見ることができない。
なぜだ。不当では?
私のポストの内容の何が彼を不快にさせたかわからないが、むしろ彼の方が境界線を踏み越えてブロックという手段に出ているのでは?
「悲しみ」が「怒り」に近い感情に徐々に移るのを自覚して、またハッとする。
また被害者ヅラしているな、私は。私は被害者じゃない。加害者のはずなのだ。
ブロックされたことで推しとの距離が急に遠くなったかのように感じたが、実際は違う。
元々この距離だったのだ。元々私が推しのことを見ていただけで、推しは私のことなど何も知らない。
〇〇の視界に私が入り、〇〇が不快に感じたら、私が覗き込んでくる窓を閉じることが彼にはできる。彼は自分のためにそうしただけだ。
もしかしたら同じ状況になった人がいるかもしれないので言っておくが、以下の行動は悪手すぎるのでやめた方がいい。
①サブ垢などを使い、本人に対して
〇〇からブロックされた件について、代わりに話をしてほしいと頼む。
③現場などで直接会えた時に、ブロック解除してもらうよう頼む。
私はこれらの行動を実際に起こさない程度には冷静だが、理性を脱ぎ去った本心ではこれらの行動を取りたがっている。
だから今そうしたいと思っているあなたの気持ちが私はわかると思う。でもその上で、やめた方がいいと言える。
まず、ブロックした本人は「もうあなたの存在を視界に入れたくない」と思っている。
私たちにとっては一大事である。毎日当たり前にあった大好きな存在から、突然理由もわからず完全無視宣言をされてしまった。嫌われてしまったのだ。
でも、インターネットを利用する以上、入ってくる情報を健全で清浄に保つ責任を人はそれぞれ自分で負わねばいけないのだ。
なぜブロックされたのか、理由がわからなくて困惑しているだろう。私もそうだ。
「こういうことする人はブロックします」とあらかじめ明示しているタレントさんもいるだろう。誠実なことだ。
でも、本来ブロックなんて、本人が嫌だと思ったり不都合だと思ったら好きにしていいのだ。
つまり、〇〇は何ひとつ悪いことをしていない、と私は思う。これは本当にそう思う。
何ひとつ悪いことはしていないが、その結果ただ私が傷ついただけだ。
彼にとっては何十万人もいるフォロワーの中の1人が、ただ理由も理解せずに悲しんでいるだけだ。
サブ垢で凸るのは、変装した上で待ち伏せして突撃するのと同じだ。
そんなことされたら警察を呼ぶしかないのと同じで、ただ静かに距離を置かれている今の状態より関係が悪化するのは明らかだ。
推しの周りの人にDMで相談するのもなんの意味もない。そもそも〇〇の周りの人は友人や仕事仲間であって、親でも保育士でもないのだ。
周囲の人が〇〇とそのフォロワーの人間関係の面倒を見てあげる義理などない。
「この子が〇〇にブロックされたって言ってるんだけど、なんでブロックしたの?ブロック解除してあげたら?」なんて
わざわざ世話を焼きにくるようなやつは「お節介」以外の何者でもないし、そんな助言でブロック解除するような人なら、最初からあなたをブロックなんてしない。
この行動によってブロックが解除されることはないし、なんなら相談した周囲の人からも「この子は変な子だな」と思われてブロックされる可能性すらある。
直接会えた時にブロック解除をお願いするのも良い結果になるわけがない。ライブやイベントは楽しむために行くところだ。
そこでもし、推し本人と話す時間を得られるとしよう。その限られた時間に「ブロック解除してください」と言ってみていい空気に転じるわけがない。
「解除するね」となるわけがないだろう。楽しい空気が台無しになるだけだ。
結論、〇〇からブロックされたことに関して私にできることは何もないのだ。
私が今できること、それは一つしかないし、頭ではちゃんとわかっている。
彼らのことをこれまで通り応援することだ。Xアカウントが見えなくなったからといって、それは彼らの活動のほんの一部にすぎない。
今まで通り公開されるコンテンツを楽しめばいいし、なんならポストはサブ垢で追えばいいし、ほとんど全部今まで通りだ。
これまで以上に発言に気をつけて、これまで通り応援のポストを書き込む。
もしかしたら〇〇には届かなくても、〇〇の周囲の人が私のポストを目にしてくれることがあるかもしれない。
〇〇と話すときに「Xでこんなこと言ってくれる人いたよ」と話題になることがあるかもしれない。
その時に〇〇が「なんで俺にはそのポストが見えてないんだろう?」と思って私のアカウントを探して、
「あ、俺この人ブロックしてたんだ。なんでだっけ」と、軽い気持ちでブロック解除してくれることがあるかもしれない。
薄い薄い限りなくゼロに近い望みだが、将来的にブロック解除される可能性があるとしたら、そんなことしか思いつかない。
というか、そんな夢想をすることにしか、気持ちの置き所がない。
だけど。
ブロックされる前と今とでは全くちがう。私の心が。
いつもはただ楽しみにしていた動画も、〇〇が映ると心がチクリと痛む。
この人は私には自分を見てほしくないと思っている人なのだ。なのに私は彼を見ている。
見るなと言われていながらチラチラ覗いているような、居心地の悪さが襲う。
〇〇のポストについてFFさんたちがキャッキャと沸いているのを見て、今まで自分もその輪に加わっていただろうけど、今は違う。
私1人だけ、サブ垢に切り替えてこそこそポストを見に行かなければいけないし、リアクションなんてとてもできない。
〇〇の周囲の人が引用リポストをしている。そこに現れる「このポストは表示できません」の文字。〇〇が私をブロックしているという事実がまた突きつけられる。
同じ界隈の仲のいい人たちは、これがどんなに辛いことで、私が悲しんでいるか理解してくれるだろうが、彼らの中には今でも「大好きな〇〇」がいるのだ。
彼らの中にある〇〇像を不用意に壊したくはない。だって私も〇〇が好きだから。
FFさんから「現地でお会いしましょう」と優しい言葉が送られてくる。
私は〇〇からブロックされている。そのことを忘れて、悲しみを混ぜずに楽しみたい。
でもどうしても悲しい。
最後に、〇〇本人や、タレント活動をしてファンをブロックしたことのある人がこの文章を読んでくれているとしたら、その人に向けて。
これまで楽しませてくれてありがとう。これからもあなたたちの見せてくれるコンテンツを楽しんでいいのだと思ってた。応援していていいんだと思ってた。
あなたたちが見せてくれるコンテンツが好きなのは本当だから、これからもファンでいさせてほしい。
イベントのチケットを買ってしまっているし、イベントにも行きたい。
Xでの発言は怖いから、今までのようにはしないかもしれないけど、せっかく繋がったFFさんたちもいるし、続けたいと思っている。
でも、これから先、あなたたちを見ている時、私が悲しいと感じるのが変わらなかったら、
その時はもうあなたたちを見ないようにする。
私がファンを離れるのは、私があなたを嫌いになったからじゃない。
あなたは私のことなんて知らないし、たぶん本当は好きでも嫌いでもない。
でも、「あなたは俺の視界に入らないで。俺のこともこれ以上見ないで」ってやっておいて「好きでも嫌いでもない」わけないよね。
私は直接お話したこともないあなたに突きつけられたよ、「お前は嫌い」って。
「お前は嫌い」って言われたら「それでも好き」って言い続けるより、
「そっか、ごめんなさい。」って立ち去る方がよっぽど健全だよね。 あなたも本当はそうしてほしいと思ってるよね。
もののけ姫の物語は、隠れ里で暮らす主人公アシタカが暴れ狂う巨大なイノシシつまりタタリ神となったナゴの守を退治するところから始まる。
アシタカは不本意ながら里をも守るためにナゴの守を殺めてしまった。
そのために呪いを受け、彼の右手は変色し、のみならずときに彼の意思の制御を離れ暴走しようとする。
アシタカのような意思強き勇者であればこそ、その意志に逆らう右手を制御し得たが並のものであればあっという間に右手は呪いに乗っ取られていたであろう。
このこと意味するのは、つまり男がある年齢なると自慰行為に人生の殆どを捧げることになることを意味する。
そのことに少年は戸惑い、下着を汚したことを恥じ、そして密やかに思う。
あの快感をもう一度味わいたい。
その瞬間から、男の子は男への道を一歩歩み、その右手(左手)は最早その主の制御を離れてひたすらに自慰行為に励むようになる。
この呪いを解くために、その呪いを受けた瞬間から、そのものは、里には住み続けることができなくなり、そして旅立つのだ。
何のために?
子供たちに今大人に本気で捕まえられたら逃げられない。というロールプレイをし
「逃げなかった子供にも落ち度がある」
っていうロールプレイをし
と教える
ちなみに命懸けで逃げ切った子供には
「結局犯人は君を殺していないので軽い罪ですぐに出所します、その後君を恨んで追いかけてくるかもね」
「さてみなさん、事件に巻き込まれた子供は自業自得だと思いますか?」
と聞く
「基本的に発表当時の表現」が「1970年代」の「発表当時の表現」だと受け取るのが当然でしょ
そして、そう言うからには実際に確認したと受け取るのも当然でしょ
確認したのに見落としがあったっていうなら、そりゃ「嘘」ではなく「間違い」だ
だが
「例えば、95年版は既に24年版と同じなので現担当者もその事に気付いてない可能性は十分考えられる。」
みたいなのは、1970年代発表当時のを確認してないので「嘘」といってどこがおかしいんだ?
「確認したのは95年版ですが、そこに基本的に発表当時の表現だという旨が記してありましたので、基本的に発表当時の表現です」
という説明があって、95年版に記してあることが間違いで、それを信じてしまったというのならば「嘘」ではなく「間違い」になるかもしれないが
掃除機かけられるだけ偉いよ…😟
ただでさえIT関係の機材でゴミ屋敷だったのに、自作3Dプリンター、ギター3本、小型アンプ2台、エフェクターなどなどなど…
Meta Quest被ってるときだけ、部屋が無限に広く感じられるわ
もうIT関連の仕事は撤退して、ブルーワーカーでもトイレ掃除でもやるしかないな…、という覚悟はしたつもりなのだけど、
なんだかんだ技術書が捨てられない
日本のピアソン社が倒産するとき、大量に名著が放出されて、自分もついつい大量に本を買ってしまったりしたので、
せめてメルカリとかで売りたいけど、かなり奇麗だけど、タネンバウム先生の本とか読む人いるのかな?
あと、肝心のOSの基礎的な本は訳が酷い、この訳した人は本当に理解してるのか?と思うレベルなんだけど、
いちおう名著だし、ピアソンの在庫処分、手伝ってやろうじゃないの、みたいに買ってしまった
そういえば、シュープリンガーだったかの本もなんか買い込んでたよな
本棚に名著が並んでると精神が落ち着く、雑誌を買うと創刊号から廃刊するまでコンプリートしないと気が済まないみたいな精神病
今は本をほとんど買わなくなったし、買ってもKindleだから床が抜けることはないんだけど、
今度は捨てられないんだよね
たしかにワイも若い頃からブサイクで男には冷遇されたことしかないわ、今でも若い調子乗ってるような男見るとイラつく。モテない分勉強しまくったから、もっと出世してこいつら叩き潰して2度と自分のこと幸福だと思ったり家族と笑ったりできないようにしてやろうと思うわ👍
しかもそれに人生賭けるんじゃなくて片手間でできるぐらいの行動でそうできるようにする
気づかせてくれてありがとな!!
なんか観たり観なかったりしてるので、今やってる再放送も観たり観なかったりなんだけど、
そうやって奔放にやってきた主人公の帝国が崩壊していくという話の方が面白いと思ったんだけど、そうでもないらしくて驚いてる
小説は面倒なので読まないけど、昨日の再放送で突如パワードスーツみたいなのが登場して逆転負けしたりしてたし、
負けヒロインのエンディングテーマで思い出したので、最近何回もギターで耳コピしながら弾いてるのだけど、
2000では、本物の愛が欲しい、偽物の愛になんか用はない、みたいに言っておきながら、
2020では、偽物でも愛していれば本物になるよね、みたいになってて、なにひよってんだよwwwと思ってしまった
遅すぎる事なんて 本当は
一つもありはしないのだ
何するにせよ 思った時が
きっとふさわしい時
チッポケなウソついた夜には
自分がとてもチッポケな奴
それは本当になる
ていうか、ブラック・ジャックの豪華版とかも巻末に「基本的に」の文言は入ってて、
愛と誠は読んだことないけど1995年の再販時点で「基本的に」が入ってたんだろ。
1995年の時に「基本的にそのまま(だけど、ガチで問題あるところは直しています)」
その文言が電子版でもそのまま入ってるってだけで、別に嘘でもなんでもない。
電子版出す時に「初版時点の表現にしました!」って謳ってたんならともかく、
いつ書き加えられたのかわからない文言を根拠に「初版の台詞になってないから嘘だ」は
言いがかりもいいとこだと思うけどなー。
最近オカズにする時に痴漢ものが生理的に受け付けなくなった。見てて嫌悪感すら感じるようになってしまった。
ここ半年くらいで急に。
今日もどえっちな漫画を読んでいたが、ストーカーものも無理になっていた。
だってかわいいじゃん、最初はやだなって態度してるのにだんだん感じ始めて最終的にどエロいやつ最高じゃん。
ストーカーものとかも嫌よ嫌よも〜ってやつあるある展開だよね、げへへって思ってた。
もちろん痴漢は犯罪だし、強姦とかは地獄に落ちろって思ってる。それは昔も今も変わらない。
でも、動画や漫画はファンタジーだし、そういう流れを当事者が望んでいるような流れに見えてたから、気にせず見てたし読んでた。
以前インティマシーコーディネーターを入れなかった映画で大炎上した「先生の白い嘘」を公開されて2週間後くらいに見に行った。
話を知らない人に軽く説明すると、学校の先生をしている主人公は、友人の恋人である男性に数年前から性行為を強いられており、精神的障害に悩まされていた。そんな中担当クラスの男子生徒が不倫をしたとの噂が流れ、話を聞いたところ「自分は性被害に遭ったのだ」と彼は訴えたが、それを聞いた主人公は激昂し...
って感じ。もはやうろ覚えなので詳しく知りたい人はwikiみてほしい。ただR18だし暴力も自殺描写もある。
自分は原作も炎上してから知ったし、1巻の試し読みがあって読んで面白かったし、続きが気になったから見に行った。
平日昼過ぎなのもあって、座席の入りはまばらで、カップルや夫婦で来ている人が大半で、あとは一人でいるおじさんも何人かいた。
正直映画を見にくる50、60代の競馬場にいそうなおじさんはあまり見かけないので、珍しいなと思っていた。
拒否する素振りを見せると握りつぶされそうな勢いで顔を掴まれていた。
やめてくれと叫ぶと、馬乗りになって腹や顔を殴られ、徐々に黙らざるをえない。
炎上した流れで知ったが、こういった描写は実際の性被害をもとにして描かれたらしい。
こんなことが実際にあっていいのかって。
「殺されるかもしれない」っていう恐怖による従順ってこういうことなんだ。
今まで多くの女性たちが訴えて続けていた被害を、映画というフィクションを通して初めて「理解」するっていうね、なんともお恥ずかしい限りである。
映画のラストでは、まあ救いがある展開で終わったのでよかったが、ラストまでの衝撃が受け止めきれず、しばらく呆然としていた。
エンドロールを見終わって座席を立ち、周りの客を見た時に、ふと炎上の一部を思い出した。
「男性数人組が映画終わったあとに『めちゃくちゃえろかったな!』って話してて絶望した。」
え、ちょっと待って、珍しいおじさんたちいたよね。
あれ、あの人たちもR18だからそういうのを目当てで見にきたって可能性が高いってこと?
うっっっっっっわ、まじか..........
おじさんたちとは話していないので実際のところ映画をどう思ったかはわからないが、あの表情に私と同じ感情があるとはあまり思えなかったな、というのが正直な感想である。
とまあこんな流れもあり、先日のストーカーからの結束バンド強姦事件もあり、定期的にあるキチガイ野郎の大炎上もあり。
行為に対して明確に拒否反応をしているにもかかわらず、その行為をやめてもらえないことに、なんとも言えぬ理不尽さを感じて、一瞬で賢者モード入るからその題材に興奮しなくなってしまったよね。
加えて最近はそれを側から見ている人がその行為を肯定・娯楽として楽しんでいることに、嫌悪すら感じるようになってしまったので、それ見て楽しんでる自分が嫌悪の特大ブーメラン喰らっちゃって無理になってしまいました。
でもまあジャンルとしては大きいし、過去の自分もシチュエーションとしてはわりと好きな方だったので、なんとも言えんよな〜
ただリアル女さんが痴漢を好きかと言われたらそんなことは絶対にないので、現実を知るためにみんな先生の白い嘘を見てほしいなって思う。映画でも漫画でも。
あとはやっぱりハッピーな方が幸せなのでイチャラブ痴漢「プレイ」が広まってください。
ハピエン最高
これ。
特許を守れというのはそうなんだけど、そもそもその特許内容が本当に新規性、進歩性があるのか怪しいものが多い印象。
増田民は他サイトどうせ読まないだろうけど https://www.j-platpat.inpit.go.jp/ で任天堂とかメーカーの名前で検索するとなかなか面白い。
出願レベルだけど、2つのアイテムを合成したときの名前を自動生成するとか、ファストトラベル中に移動前後のマップを表示させるとか、某いかシューティングのリスポーン時の挙動もある。こういう細かな挙動も含めて、任天堂だけでも3000以上ヒットするのを、インディーが金かけて調査して全部回避するというのは確かに現実的ではないんじゃないかな。
このあたり面白い。
https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20210422156/
https://jpaa-patent.info/patent/viewPdf/4278
大手は守るために全部特許を出願できるし法務チェックもできるけど、インディーは小さいので一発当たった後に訴訟となったら恐ろしいだろうね。(P社はしらん)
もちろん丸パクリは許せないものだし、世界観や機能を最初に作り上げたメーカーが保護されてほしいという願いはあるのだけど、守る方法が特許しかないと、細かい機能で高額な特許申請を大量出したり、クロスライセンスだせる大手しか勝ち目がなくなってしまうので、なにか別な方法が欲しいところ。
悪法も法で確かにそうなんだけど、そんな内容で特許なのみたいなもので胸三寸になってしまうソフトウェア特許の現状は健全じゃないなぁと思います。これは任天堂に限らない。
P社が荒らしたようにみえるから燃えるけど、K社の訴訟とか、最近はやりのAIとか結構立場によってコメントが変わっている印象。システムや作風を著作権で守るのは強力すぎるけど、いずれにせよ最終的にはなんらかの進歩を阻害しない方法で、各々の作品が保護されるといいですね。
すべてを訴えるのでもいいし、全員訴えないでもいい。
明文化されたルールに従う法治主義のメリットは、誰でもルール違反かどうかを検証できること。
だから納得いくルールの元で、安心して開発できる。精神の自由がある。
女物の洋服のポケットのショボさは何事であるかとまた話題になっていた。今回は女性もののズボンのポケットがワイドシルエットにもかかわらずやたら浅くてびっくりした、というつ男性のつぶやきに端を発したようだ。
浅さにびっくり、異論なしである。正直おりものシートくらいしか入らない。しかし、個人的に大事な視点だと思っているのは、女性はトイレで毎回ズボンを下ろすという事実である。
私はスカートを一枚も持っていない。また背が高いこともあり、男性もののボトムスを身に着けることも多い人生であった。そして男性もののズボンを穿き、「おっ、ポケットがあるな!」と思って携帯や財布などをねじ込み外出した暁には、トイレで用を足す際にポケットからものを落としてしまうことが多かったのである。さらに厳しいことに、昔は和式が多かったため被害は甚大であった。辛い経験を重ねていつしか私はことズボンにおいては男物女物問わず、カーゴパンツについてるようなフラップ付き、またはジッパーで閉められるようなポケット、もしくはあきらかに誰がどう見てもクッッッソ深いポケットしか信用しなくなったのである。
スカート界では大きなポケットがついている洋服も増え、福音となっているようである。ズボン界で同様の試みをされる方たちは、ぜひ上記の体験を頭の片隅に置いてほしいなー
おわり。
いつまでもあると思っていたもののうちの一つが、永遠はないという当たり前をそんな形で教えてくれた。
彼らのことを応援しだしたのは2021年夏ごろ。コロナで中止になっていたライブも制限をつけながら再開していたそんな時期。
SUMMER PARADISE、YouTube生配信、初めてのMusic Video、アリーナ公演。
明確に勢いがあった。彼らがアリーナの真ん中で有望な未来しかないと歌う姿が、キラキラまぶしかった。
5人で千を撃つ。そんなようなこと言っていたようないなかったような。
そこで披露されたFRONTLINEがその後も彼らを追いかけたいと強く思えた決定打だったかもしれない。
新しい世界に連れて行ってくれるようなそんな気がしてワクワクしていた。
ジャニーズタレントとして彼らが提供してくれるものを喜んで消費した。次へ次へと出力される”アイドル"を心待ちにして、
そのつながりでできた友達と過ごす時間もかけがえのない物だった。
社会にでてからこんなすてきな出会いがまだあるんだな~なんて感心しながら。
2023年のBooooostツアー。増田は仕事の環境が変わり休みづらくなりながらも宮城、有明、大阪すべて行く予定で、
特に大阪は休みが一番融通が利きそうだったから全公演入るつもりでいた。申し込み時点で大阪にかける!という気持ちで。
それが台風で中止。振替はかなわず、その後は事務所問題がいよいよ大きくなり、ジャニーズ事務所がなくなった。
そのくらいの時期からやんわりと彼らのコンテンツを追いかけられなくなっていた。
自担は着々と個人仕事も増やしてうれしいはずなのに、どこか何か熱量が上がらないまま、提供されるコンテンツを消費する。
冷めていく熱量は単純に自分が飽き性だからなのか、世間の声に疲弊していたのか、好きなビジュアルが更新されないからなのか、なかなかデビューという夢がかなわないからなのか。
ぼんやりとその温さにつかりながら、つまめるところだけを消費した。
諦めていたBINGO横浜公園、ぴあアリーナMM。楽しかった。間違いなく素敵な時間だった。
でももしかしたら、楽しかったって思いたかっただけなのかもしれない。
全滅から始まったツアーだったけれど後半につれて行ける日程も多くて、自分なりに満足のいく回数は入った。
今思えばオーラスも入って最後の彼らのステージを生で見ることが出来た幸せなオタクだ。
おいしいところだけ消費。
しばらくゆうぴの個人仕事が無かったが、何か大きなものを隠しているんじゃ、としか思っていなかった。
それと同時にHiHiJetsのグループとしての進退は彼らの口から語られてはいないが、
「5に拘る」とうたった最前線の先には、もうたどり着けないんだなと悟った。
私が感じた低温は、こんなことが相談されていた背景があったからなのか、やっぱり消費者としての飽きの結果なのかはわからない。
オタクは結局消費者でしかないから、そこに至った経緯も、これからの展望も、アイドルを提供している人間の心境も何もわからない。
ただ見えるところに出てきてくれるアイドルを、アイドルとしての時間を、エンターテイメントを対価を払って受け取ることしかできない。
それを受け取って気持ちを明るくしたり自分を慰めたりするだけ。経済活動の一環、歯車。
支払先がなくなったのなら、きっとまた別のエンタメを探して見つけたらそれにお金を払う。
今度は別の彼らを見に足を運ぶ。重ねることはあるのだろうか、それは時期が近すぎるだけかもしれない。
ぴあアリに行けるとわかって喜んで、この発表があって、ぴあアリに行くことをためらってしまう。
あまりにもタイミングが、まるで彼らの思い出を上書きするようで、飲み込み切れない。
でも貴重なチケットだから、行かない選択肢はない。そのためにネイルをして、美容院に行って…。
そんな消費者行動の一環を飽きもせず繰り返しているだけなのに、こんな無駄な葛藤をしている。
きっと素敵な時間になるんだろうな。