はてなキーワード: お客様は神様ですとは
2 居留守だろうなって分かってるのに何度も尋ねるとかウゼえ
3 軍師として必要として依頼してるならむしろ劉備が下の立ち位置だろ
1の「ちょっと相手のやる気見るために居留守しちゃおっかな」とか普通に単なる人格破綻者じゃないっすか。こういう人を試すような態度が許されるの学生までっしょ。
2の居留守と感づいて何度も来てるのも相手側の都合とか想像できてなくてサイコっぽいですね。断っても毎年電話してくる投資営業みたいなクソさ。
3がまあ一番アカンっつーか、「お客様は神様です」みたいなノリがキツいんですよね。依頼してる側って結局は頼む側なわけで、それって「貴方じゃなきゃだめです」って告白してる側じゃないですか。それでなんで「俺の生涯の肉便器にしてやってもいいぞ」みたいなウエメセかましとるんすかっていう。
こんなんをいい話だと思ってる人や国は終わってますよ
男女平等パンチというワードが、日本の街中で撮影されたらしき動画とともに、現在Twitter上でにわかに話題になっている。
・女性が男性に暴行を加える。それに男性が反撃し、女性はあえなくダウン
そんな男性たちについて、女性側では「女性というか弱い存在を虐めて楽しんでいる」「男性という強者による加虐趣味」と捉える意見が見られる。
そう思いたい気持ちもわかるし、男性たちの中にはそういう手合もゼロではないだろう。
しかし、大多数の男性については、おそらくそれは間違った認識だ。そして、そのように認識を間違うこと自体が、男性たちがあの種の動画に喝采を送る原因の一つでもある。
どういうことかというと、あの動画への喝采は弱い者虐めや加虐趣味に興じる気持ちではなくて、
・女性の持つ特権と特権意識によって、一方的かつ物理的に虐げられた恨み
から来る声なのだ。虐げる側ではなくて、虐げられた側としての叫びである。
世代による違いもあるだろうが、男性は日常生活の中で、女性から暴力を振るわれるケースが、実は少なくない。
日常の中で、女性は気軽に男性を引っ叩く。身に覚えのある女性もたくさんいるだろうし、自分がやらずともそういう光景を目にしたことはあるだろう。
「女性を殴ったことはないけれど、女性に殴られたことなら何度か(あるいは何度も)ある」というのが、おそらく多くの男性の一般的な経歴である。
女性は男性に対し、日常のツッコミレベルでもそうだし、揉め事のレベルでもそうだが、強いものを平気でいく。
これは痛いのだ、シンプルに。
女性に叩かれたくらいで、なんて思うかもしれないが、むしろ女性だからだ。
女性は男性に比べ、同性同士での小競り合いめいた小突き合いの経験がおそらく圧倒的に不足しているためだろう、手加減がぜんぜんできてない。
はっきり言って、男性同士であれば即本気の殴り合いに発展してもおかしくない威力の殴打を、スパンと気軽に張ってくる。
そして、日常のツッコミならまだいいが、揉め事の場でそれをやっておいて、男側が不快感や抗議を示そうものなら、
「え? なに? あんたもしかして叩き返す気なの? 男なのに? 女の私を? 許されると思ってんの?」
と、極めて非対称な特権を堂々と主張するまでが、残念ながら、暴力を振るう女性のお決まりワンセットなのだ。
また、そうはっきり言葉にせずとも、「まさか反撃なんかしないよな?」という前提を押し付けてくるのは、暴力を振るう女性たちに共通するところである。
こういう話をすると「女が引っ叩いたくらいで情けない」という声が必ず出てくるが、いい加減今は令和である。男だろうが女だろうが、人が人を叩くのは普通に暴行だ。
顔であれば、鼻に手のひらが当たれば折れることもあるし、目に指が刺されば失明もしうる。もちろん、顔でなくとも危険だし、危険でなかったとしても痛いし不快だ。
(なお、ごくまれに金的を打ってくる女性もいるが、相当な状況で相当な覚悟がない限りやらない方がいい。あれば内臓を打っているので、ギャグでは済まされない)。
女性に引っ叩かれても物理的な反撃はしない(おそらく多くの一般的な)男性からすると、このように、日常生活の範囲において、男女間における肉体的な暴力行為は、常に女性の特権なのである。
同級生から同僚から、友人からパートナーから配偶者から、引っ叩かれて嫌だったし屈辱だったが、状況も経緯も正当性も一切関係なく、ただただ『自分は男で相手は女』というだけで反撃が許されなかったという記憶は、男たちにとって日常の中で当たり前にある。
「お前は反撃しちゃいけないんだぞ? わかってるよな?」と特権を笠に着て一方的に殴られるしかなかった、その恨みは、おそらく女性が考えているよりも深く生々しいのだ。
で、話は件の動画に戻る。
今話題になっている動画は、確認できる限りおいては、女性が先に男性の顔面へ攻撃している。
平手であろうがなんであろうが、あの勢いで顔面殴打は普通に危険である。「男なんだからあれくらい大丈夫でしょ!」などという声もあるが、人間なのでとにかく顔面は危険です。上にも書いたが、指が立っていて目に刺さっていれば失明ラインなのは疑いようもない。
あそこまでのものはやや珍しいとはいえ、とにかくああいった女性から男性への暴力は、男性にとって身に覚えのある自分ごととして、血の通った恨みの対象なのだ。
つまり、喝采が上がる理由はこれである。加虐趣味でも差別主義でもなく、積み重ねられた理不尽への恨みなのだ。
また、「この理不尽は正しいことじゃないぞ、俺たちは恨んでいるぞ」ということをを示したい、的な要素もあるだろう。それだけ、男性から見て世の女性はこの問題について無自覚なのだ。
どういう経緯でああいう事態になったのかはわからないが、(嫌味やおためごかしではなく)シンプルに動画の殴られて倒れた女性はすごく心配。
個人的な意見だが、恨みがあるのなんのと長々書いたものの、「男性は女性に暴力を振るうべきでない」という規範は、やはり必要である。それだけ、男女間の体格や筋力には危険になりうる差がある。
だからこそ、女性がこの規範を日常で都合よく濫用するのも、特権として声高に主張するのも、ヘイトを貯めるだけだからやめてほしい。
あの動画に対しても、やはり女性側からは「女性相手に男性が反撃したら危ない」という声が出ているが、まさにそういう意見が出てくるところが問題なのだ。
あの勢いで先に顔を叩かれても男性は反撃をすべきでない、などというのが、どれだけ非対称で異常な要求か冷静に考えてほしい。
そもそもあの光景に言うべきは一つで、女性だから男性だからどうのではなく「暴力はいけない」である。
「男性は女性に手を上げてはならない」とは、男性側が自分たちを律する際に言う言葉であるべきで、女性側が暴力を振るいながら当然の顔をして非対称に求めてくれば、不愉快であり軋轢を生むのだ。
貯まったヘイト、不愉快、軋轢が行き着く先は、生産性のない男女間対立だ。
なお、今回の件については、
『「女性は生理が負担になっている分スペックが落ちる」という話題には「女性を身体的要件で下に見るのか」と怒るのに、女性が男性に殴りかかって反撃された事例においては、「女性はか弱いから配慮されるべき」と言い出すのは、さすがに二枚舌では?』
そもそもさ、買い切りのゲームなのに自由にアイテムを選ぶことも出来ないっておかしくね?
買いきりなんだぜ?
こういう話すると「じゃあRPGも最初からLV999とかにして遊ぶの^^」みたいに言うバーカバーカクソバカ死ねよバーカバーカがいるけどさ
それとは全然違うじゃん
RPGの場合はレベルを上げつつ上のステージに行くっていう成長曲線が魅力じゃん
でもスプラはそういうのじゃないわけよ
なんなんだろうなー
これが基本無料のゲームだったら俺も談合する側が全面的に悪いって言うよ
でも買い切りのゲームで談合させるような仕組みを入れているのはゲーム側がプレイヤーの遊びを妨害してる状態じゃん
それって完全におかしいよね?
お客様は神様ですって話じゃなくてさお金払って買ったゲームで「おいお前らゲーム人口維持するためにゲーム内マネー目当てにプレイしろよ^¥^」みたいな事されるのマジでおかしいっていうか
つうかそもそもゲーム自体をフルに味わう権利を人質に取られてるのってどうなっていうかさ
たとえばこれがゲームを上手くなれば簡単に出せる隠しキャラとかならまだ理解できるのよ
そのうち落ち目になってくんじゃないかなこういうこと繰り返すと
「お客様は神様です」について
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
「三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます。
ですが、このフレーズが真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます。
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物や物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生の第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。
また、三波春夫の舞台をお客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命に舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。
そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述を最後にご紹介いたしますが、“お客様を神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。
その後、漫才トリオのレツゴー三匹さんが「三波春夫でございます。お客様は神様です」という表現を流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。
三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります。
例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています。
また、クレーマーやカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります。
このようなフレーズへの誤解は三波春夫の生前から有りましたが、言葉や文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前の三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫のライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。
“雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。
16歳で初舞台を踏んだ浪曲の世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様が舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。
20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリアで捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。
抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身が希望を持って生きるためにも、時間を見つけては一所懸命に浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。
戦後は浪曲の世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服の歌手であり、歌手が座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。
永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞やエッセイ、歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。
笑顔がトレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。
これらは、若い時に先輩から「普段の暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。
三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。
最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます。
三波春夫著『歌藝の天地』
(1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より
「お客様は神様です」の発端
お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。
皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。
そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。
しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉が流行ったのではないだろうか?
私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。
つまり、浪花節の台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである。
われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。
お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。
あれはたしか、昭和三十六年の春ころ、ある地方都市の学校の体育館だった。
司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。
「!?」
「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」
ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。
すると、宮尾君はたたみかけて、
ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、
「カミサマですか」
「そうです」
「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・」
客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から、毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから、司会者としても一流。漫談もうまい。
こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹が舞台を見て、おおいに流行らせたのである。
追記:
“翌日から、毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様を神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいね。お客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。
医療従事者の責任感と介護職みたいなウンコまみれの環境と飲食店の「お客様は神様です!」感を全て求められてるけど、計算したら近所のコンビニの夜勤の方が時給高かった
まともな獣医療を求められてるのはわかるけど大学卒業して数ヶ月の人間に何ができるってんだよ、こちとら大学卒業するまで何かに注射打ったのなんて実習くらい、両手で回数数えられるんだよ?普通に考えてまともにできるの元医療従事者かヤク中くらいじゃないの。常に?マーク頭に浮かべながらニコニコしてんのありえないくらい辛い。大学でやった勉強覚えてる?高校の数学でもいいけど初手からノータイムで答えられるわけないよね、そもそもその内容ってどう記憶を探っても大学でも国試でもやってないのばっかだし自分でググって探してくれって思う。多分同じページ見てるけど。
4月1日に就職した時は信頼される獣医になるぞ!勉強も頑張ろう!と思って意気込んで本まで買ったけど毎日帰ってくるのが9時過ぎて、積み上がるのがストゼロの空き缶とタバコの空き箱だけな自分も嫌だしコロナでも狂犬病でもいいから早く殺してくれって常に思ってる。大学の研究室時代も死ぬほど辛かったけどその時より生活が終わってる。まさかゴミすら捨てられなくなると思わなかった。連休で浮かれてる社会が憎い、三連休以上の連休は怖い。こちらには盆も正月もありません。週休1〜1.5日、年間休日二桁中盤だよー!令和4年!働き方改革!残業代が出る職場はまだホワイト!
手取り25万に求める仕事がこれ?だとしたら社会が憎いし転職するしかないな。でも最早鬱病まで秒読みだからどんな職種でも働ける気がしないし転職ってどうやるの?大学時代にバイト先で12連勤した時より毎日明日が来るのが怖いしキツい。昼休憩でコンビニ行ってトイレ入ったら涙出てくる事多い。
死にかけの動物が退院するのは嬉しい。ぐったりして来た子がご飯モリモリ食べるようになった!って伝えてもらえるのも嬉しい。別に猫に噛まれても犬に頭突きされても何にも思わないけど院長の機嫌に振り回されるのと動物看護師の仕事の早さについていけない事はほんとに鬱病になる。てかもう資格差し上げるのでベテラン看護師の皆さんが診療してください、絶対その方がみんな幸せだから。
研修医みたいな身分もないし、看護学生の実習みたいに学校のカリキュラム上でみっちり勉強させてもらえるわけでもない。というか新入社員用のマナー研修すらない。やって覚えろって言うけど学生のアルバイトですら客対応については研修あったんですが…そもそも大学のおぼろげな記憶と国試で詰め込んだ典型的な症例の知識(しかもそんなのこない)しか武器がないこんな状態で、何も知らない飼い主に獣医ですって言わなきゃいけないこの環境が嫌すぎる。先生って呼ばれる事にビクビクするようになった。
大学6年通って得た国家資格がこれ?転職しようにも臨床弾くと公務員フリーパス以外の価値を実質的に見出せない。同じ資格でも工業高校の生徒が受けるような危険物取扱者の方がよっぽどまともな仕事ある気がする。私立で学費1000万以上かかってるから親に申し訳ないしちゃんと死ぬから生命保険かなんかでチャラにしてくれない?マジで。
やっぱり無理してでも医学部行くか、滑り止めで受かった薬学部いけばよかった。もう二度と臨床はしません。というか別の資格取って転職します。獣医なんかなるもんじゃない。みんな死ね
https://anond.hatelabo.jp/20220526235759
の続き。
週に10~15時間程度の労働時間が適正だと言いましたが、そんな短い時間で社会が回るはずがないと思われるかもしれない。
しかしこの程度の労働時間でもそんなに困らないんじゃないかと思う。
その根拠をいくつかあげる。
まず一つ目は現代の労働者一人ひとりの生産効率が悪く、改善の余地があること。
これは実際に企業で働いたことのある人ならわかると思うんだけど、特に日本の会社では真面目に働いていない従業員が非常に多い。
テキパキとやれば余裕で業務時間内に終る仕事も、ダラダラと作業して何時間も残業するなんてことも珍しくない。
なぜこのような状況になってしまうのかと言ったら、それは許されている労働時間が長いからだと思う。
日本では週40時間の労働と月45時間までの残業が認められている。
これだけ長い労働時間が認められていることによって、労働者に怠ける理由を与えてしまう。
時間内に終わらなくても残業すればいいや、といった余裕を与えてしまう。
そして労働時間を規制することによって怠けることができなくなる。
限られた時間内に仕事を終わらせるためには真面目に集中して働くしかない。
だから労働時間を規制することによって全体の生産は減るが、労働者一人ひとりの生産性の向上が期待できる。
2つ目は長時間働くことによって必要になる仕事が発生しているから。
例えば近年は保育園や託児所の不足が問題となっているが、そもそもこれらの仕事はなぜ必要なのか。
それは両親が共働きをしていて育児の時間が取れないからだろう。
つまり親たちが仕事をしていることによって、保育園などの仕事が発生していることになる。
もし労働時間を規制したとしたら保育園などの仕事は激減するだろう。
しかし親たちの労働時間も減って時間に余裕ができて、自分たちで子育てができるのでこれらの仕事は必要なくなる。
一般的な会社だと夕方頃に業務が終わるのに、店はなぜこんなに夜遅くまで営業しているのか。
普通に働いている人は昼間は会社にいるので、平日は夜しか店で買い物をすることができない。
これが原因でほとんどの店は朝から夜遅くまで営業せざるをえなくなる。
もし労働時間が短縮されれば、労働者も時間に余裕ができていつでも買い物にいける。
現代はこのように長時間働くことによって本来必要のない仕事が発生しているケースが多い。
現代の仕事を大雑把に2つに分類するなら、生産の仕事と販売の仕事に分類できると思う。
この生産と販売の仕事は労働者個人個人で分類できるものではなく、ほとんどの労働者が生産と販売のどちらの仕事にも関わっている。
一見生産の仕事に思えて、実は販売の仕事であるケースが非常に多い。
店の店員を例にするなら、商品を客に販売するのは生産の仕事になる。
商品を販売するのだから一見販売の仕事にように思うが、商品を消費者に届けるのは生産の過程で必ず必要なものなので、生産の仕事に該当する。
店員が客に対して必要以上に愛想よく振る舞ったり、過剰なサービスをするのは販売の仕事になる。
なぜこのような行為をするのかといったら、店の評判を良くして客を呼び込むためであり、生産者、消費者の両側からして必ずしも必要なものではない。
コンテンツを作成しているので一見生産の仕事のように思えるが、テレビ番組というものは広告収入によって成り立っている。
つまり物を生産したとしても、その物が販売のために利用されたらそれは販売の仕事になってしまう。
そしてこの販売の仕事というものは仮に全てなくなったとしても生きていくために困ることがない。
すると商品を圧倒的に売りやすくなるため、販売の仕事の必要性がなくなる。
こうなるとこれまで販売の仕事をしていた人達が生産の仕事に回るようになる。
だから食品や住居などの生きていくために必ず必要な産業に関しては生産が需要を下回ることはない。
例えば世界中の労働時間を半分にしたからといって、食料の生産量が半分になるなんてことはない。
食糧難に陥っている状況で食品のコマーシャルを流すなんてことは絶対にありえないわけだ。
4つ目が自由な時間が増えることによって趣味による生産が増えること。
その時間に何もしないなんてことはありえず、何かしらの活動をするはずだ。
例えば暇なので家庭菜園でも始めようかな、などと思ったとする。
すると企業の大規模の生産に比べたら微量ではあるものの、趣味による生産が発生する。
このように労働時間が減ることによって、労働による生産は減少するが、趣味による生産が増える。
ここまで労働時間を短縮するメリットについて書いてきたが、当然デメリットだってある。
週10時間程度の労働でも十分社会は回るとは思うが、今に比べたらかなり不便な社会になることは事実だ。
企業や店からしたら努力をしなくても商品が売れるわけだから客への対応は悪くなる。
店員の態度が悪くなったり、製品の品質が下がったり、店の営業時間が短くなったり、消費者からしたら今よりもかなり不便な世の中になる。
「お客様は神様です」などと言われる現代社会が異常なだけであって、本来生産者と消費者の立場は平等であるべきだ。
労働時間を短縮したら多少社会が不便になるだろうが、人々が過酷な労働から開放されること以上に幸せなことはないと思う。
労働時間を規制すべきだと言いましたが、ではそれ以上に働きたい人はどうすればいいのか。
もし何かやりたいことがあって認められている時間以上に働きたいと思っているのだったら、それは仕事ではなく趣味でやればいいと思う。
労働時間が減れば自由な時間が増えるわけだから、その時間を使って趣味として楽しめばいい。
好きなこととかやりたいことならば、仕事にせずとも趣味でやっても満足できるはずだ。
近年は「好きなことを仕事にする」といった考えが流行っている。
しかし、そもそもなぜこのような考えが生まれるのかと言ったら、それは結局長時間労働が問題なのではないか。
本来好きなことであれば仕事にしなくても趣味でやっても満足できるはずだ。
しかし普通に日本で働こうとすると週に40時間も働かなくてはならない。
そんなに働いていると自由な時間が取れず、趣味に使える時間がなくなってしまう。
それが原因で「好きなことを仕事にする」といった考えが生まれているのではないか。
もし労働時間を短縮したとしたら自由な時間が増えるので、無理して仕事にしなくても誰だって好きなことをして生きていくことが可能になる。
もし週に10時間程度の労働で生きていけるのならば、誰だってそのような生き方ができる。
自由な時間がいくらでもあるのだから、その時間で好き放題ゲームをやればいい。
このような生き方なら誰かと競争する必要もなく、クビになることを恐れる必要もない。
お金を稼ぐことはできないけど、誰もが好きなことをして自由に生きていくことが出来る。
まとめると、
そして消費が増えることはない。
となります。
かなり長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。
いやまぁ擁護なんだけど
さんざんほかのゲームがキャラスキンや武器スキン、チャームやらで5000円とか10000円とかで売られてるっていうのに
グランツーリスモだけ叩かれすぎじゃね?とは思うんだよね
2022年にこうなのかっていう意外性がある
XBOX360のアイドルマスターなんかがその急先鋒だった気がする(やってないので知らんけど、叩かれてたのは知ってる)
作業は指数関数のように増えていく。オミクロンみたいなもんだよな
なのに売上はよくて横ばい、下手したら下落
おそらくパッケージの売上はそんなにないと思うんだよね
それでどうにかして回収しようとしたらそりゃこうなる
たかが数千円で全部遊べるようにしろよっていう意見は正直もう「お客様は神様です」とか思ってるクレーマーの領域
5位
こっちの態度に文句をつける奴
こっちはただ機械的に電話してるだけなのに、妙に丁寧な対応を求めたり、他の人と比べててどうこう言ってくる奴がいる。
そんなに丁寧に扱ってほしいなら、それ相応の高級なサービスに加盟しろ、こっちは低賃金で働かされてるクソみたいなサービスの案内でしかないんだ。
4位
「早くして」って言う奴
忙しいのか知らんが、こっちも忙しい中で手順に従ってるのに、なぜそれを狂わせたがるのか
そして、こう言う奴に限って基本的なことも分かってないから説明が必要だったり、やたら質問が多かったりで、結果的に通常よりも時間がかかる。
こういう奴は本当は忙しいわけでもない、ただ相手を自分でコントロールしたいんじゃねえかな、パワハラとかやりそう。
3位
「別の人に変わって」って言う奴
下っ端バイトからしたら変わっちまえばこっちの責任から外れるだけだからどうでもいいんだが、こういうこと言う奴は、大抵は無茶な要求ばかりする奴
この手のクレーマーみたいなのもお客様だからと絶対的に扱われるのは、お客様は神様ですって悪い意味だよね、そして下っ端バイトの方が悪いと言われて、まともな人間扱いされない。
2位
何度もかけ直させる奴
一回はいい、二回までも許そう、だが何度何度もかけ直す奴は大概にしてくれ、指定した時間に出なかったり、電話口が別人でまた事情を説明しなきゃいけないとか
酷い奴になると、毎日のように電話かけさせて何かのアラーム扱いしてるような奴もいる。
1位
なに言ってるのか聞き取れない奴
悪態をつく奴や、物分りの悪い奴はまだコミュニケーションができるが、なに言ってるのか分からん奴はまともにコミュニケーションがとれないから本当にストレスが溜まる。
通信状態が悪いのか、屋外で雑音が多いのか、電話口の遠くから話してるのか、色々あるんだろうけど
居酒屋が時短営業の被害者ポジションを取り続けてるが、じゃあ感染対策を重視した運営されてるかっていうと全然してないよ。
客がマスクせずに飲食の合間にギャーギャー騒いでるのを見ても放置してるじゃん。
ホストクラブで感染が広まったのは、結局緊急事態宣言時にマスクを外して酒飲んで大騒ぎするのがホストクラブだけだったってこと。営業を再開した居酒屋が、酒飲んでマスクせずに大騒ぎしてる客を追い出して出禁にするかっていうと、そこは「お客様は神様です」で見て見ぬふりをしてるんだよね。
それが感染対策をしてる店だと安心して行った途端、ぎゃーぎゃーぎゃーと大声で客がマスク外して騒いでて逃げ出すしかないってケース。「予約したコースの代金払うから帰る」って逃げるしかない。
新型コロナウィルス感染症で大変だというのは同情する。しかし「感染症対策をやっている居酒屋」も結局マスクを外して客が騒いでるから無意味なんだよね。
騒いだ客を追い出すかっていうと追い出さないし、客も店も「感染対策をしてるふり」で誤魔化してる。
食事中に会話する客を追い出してくれ。
そうでないならなんの意味もない。
アルコールで手を消毒してもマスクを外して大騒ぎする客がいたらなんの意味もない。
安心して外食できるって対策してる店に行ってこのザマだったら金だけ払って逃げることしかできない。飯食いながら会話する客を追い出してほしい。
きちんとやれ。本当に。
似たような流れにPERACON炎上の時もなったので貼っておく
単なる感想の粋を超えていると思ったら弁護士にご相談ください。
PERACONの主催者が許されないならゲームのレビューで批判的なの書くのも良くないと思う
「お客様は神様です」って思ってるのか?
顧客体験(Customer experience)の取り扱いを
「お客様は神様です」は、ゲームに限らず、フツーにマーケティングの話だし、大きくなればなるほど現実はサボってる
現場は給料が貰えれば怒られなければそれでよく、CX以前に顧客満足度(CS)がどうでもいい
批判的なレビューに関しても、明らかに営業妨害なら法務の仕事だし、
営業妨害以外なら、カスタマーサポート・営業・広報・製品担当の対応すべき仕事で
小規模事業者は、情熱や趣味の延長で仕事してるので、お客様は神様ですには絶対にならない
メンヘラアーティストも同様で活動を放り投げて引き籠るとか起こりがち
レビューアーは営業妨害以外なら自由にレビューする権利があるが、ファン的にはハラハラする
発注者がアホな発注をしてアホな態度を見せたら、顧客でもなんでも無いので、アホなのって言われる
顧客体験(Customer experience)の取り扱いを
「お客様は神様です」は、ゲームに限らず、フツーにマーケティングの話だし、大きくなればなるほど現実はサボってる
現場は給料が貰えれば怒られなければそれでよく、CX以前に顧客満足度(CS)がどうでもいい
批判的なレビューに関しても、明らかに営業妨害なら法務の仕事だし、
営業妨害以外なら、カスタマーサポート・営業・広報・製品担当の対応すべき仕事で
小規模事業者は、情熱や趣味の延長で仕事してるので、お客様は神様ですには絶対にならない
メンヘラアーティストも同様で活動を放り投げて引き籠るとか起こりがち
レビューアーは営業妨害以外なら自由にレビューする権利があるが、ファン的にはハラハラする
#「お客様は神様です」とおもってるの客だけだ