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はてなキーワード: 責任とは

2024-06-08

anond:20240608102817

でも犬猫最後まで責任持って飼えないなら手を出すなって責めますよね

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


anond:20231021150903

これは叔母さんじゃないけど西の魔女が死んだとかダイレクトなのがあるね

魔女叔父さんものも古くから結構ある印象

この場合思春期少年主人公ポジションになる

血縁だけど遠くて不思議ミステリアスで親ほどは責任が伴わないがそれ以上に絆が深まりやすくかつそれでも距離感が保たれる存在叔父叔母

憧れと便利さがあるから魔法を乗せやすいのかな

anond:20240608075426

レイプ判断にはそれだけの責任が伴うんだから医師が軽々にレイプ認定できないのも当然だよなぁ

anond:20240608053711

加害者意図は加害かどうかに関係ない。加害は加害。被害者加害者事情考慮する義理義務責任もない。また障害者には悪意がないというのもあり得ない話。

2024-06-07

anond:20240607182025

能力不足かぁ。

そりゃ確かに嫁の理想旦那ではないだろうね。

からみりゃ俺は、父親としての責任を果たそうとしないダメ夫って感じなんじゃないの??

anond:20240607172714

ほんとにそうだね!

愛する妻と大事子供を育てて行けたと思う。

愛されなくて、愛する対象が変わって、それに絶望しつつ、愛さなければならないものを見つめて。

責任とか正論とか言われたらエゴしかない考えかもしれないけど、妻のためだったら頑張ろう精神が支柱にあったからこそ、

から裏切られたと思ってるし、感情無くして義務として対応する人間なっちゃった

anond:20240607173311

子供に恨まれ覚悟離婚するなり、夫婦を続けるなら辛くても現状を少しでもマシにする努力をするなり、「なにもしたくない」「なにもマイナスを負いたくない」以外の行動をとれって感じかな。

あぁ、そういうことね。

かに事故ってしまえって表現は「何もしたくない何もマイナス追いたくない」ってクソなとこだわな。

もちろん綺麗なままで終われるものなんてないのは分かってるよ。

でも恨まれ覚悟とか、養育費アレコレの義務責任ってのはなんとでもするつもりだけど、現状をマシかあ、、まったく想像つかないなぁ。。

それこそ自由にしてる時間の使い方すらより制限させられる未来しか見えないし、それがマシになるとも思ってない。

これまでイヤイヤながら自由にさせてたところで沸点到達した感だからなぁ。

anond:20240607172954

向き合おうって、今の現状は自分が決めて選んできたことだから責任もって完遂しろってこと?

そうではない。

子供に恨まれ覚悟離婚するなり、夫婦を続けるなら辛くても現状を少しでもマシにする努力をするなり、「なにもしたくない」「なにもマイナスを負いたくない」以外の行動をとれって感じかな。

あんま上手く言えないけど。一回やればわかる感覚ではあると思う。

ただ子供に対しては責任があるので、離婚したとしても可能な限り子供人生に悪影響が及ばないよう努めるべきだろうな。

anond:20240607172232

向き合おうって、今の現状は自分が決めて選んできたことだから責任もって完遂しろってこと?

何がしたいかからないって意味では、もう現状の苦しい生活続けるくらいなら離婚したいって改めて思ったとこ。

今は義務感でしか生活を保つために仕事家事やらしてる。

苦しくない?これ。

其れこそ妻や子供愛情持てればバフかかるんだろうけど、デバフしかないのよ。

anond:20240607160938

せめてその増田だけでも面白しろ

お前のセンスカスなのバレてんだよ

aiがつまんねーは使用者責任だよ

責任取れ

anond:20240607142806

攻撃たかったわけではなくて」って原作者言葉があるにもかかわらず、攻撃してたやつがいつまでも責任を認めたくなくて、脚本家のせいにしたがってるんだよな

そもそも◯◯のせい、ってそもそも論をするなら、契約を結んでいなかったり、原作者脚本家意向をすり合わせなかったりの不手際があった日テレ小学館責任の追及をすれば良さそうなのに、それもしないでひたすら脚本家叩きをするのも「自分たちの行動は間違ってない」って思い込みいからだね

anond:20240607144612

短絡的に仕組みを断定して自分責任が無かったことにする典型的防衛機制からそうカッカすんなって、な?

理想父親像を求めるキミへ【再々追記

もう我慢限界に達しそう。

子どもが大きくなるにつれて家事分担を決めつつ、お互いのフリー時間を設けて過ごしてきた。

子供の準備やご飯家庭内ゴミ集めだし、仕事の子もの風呂、寝かしつけを経てフリータイム、

ただし曜日指定で、万が一子供夜泣きなどしたら対応する担当を振り分け。

家事分担は普通だとはおもうよ。

子どもが生まれた時に子づくりに発展するようなスキンシップは一切拒否産後クライシスってやつだね。

もちろんそういう心象になったりってのは知ったし、尊重したいとは思う。

でもこっちも苦しい悲しいという気持ち必死に伝えても、自分だってからないと切り捨て、今は恋人というカテゴライズ消失したね。

今も本当に苦しい、でも変わる気も変える気も起こしてくれなかったキミを嫌いになりたくなかったから、趣味に没頭することで紛らわせてきたよ。

昔はなんでも一緒に行動していて楽しかったね、

昔は一緒に遊んだり過ごしたけど、産後クライシス以降、一緒の空間にいるだけで、

それぞれ好きなことやって、好きなタイミングで寝室一人で行くっていう、夫婦というよりルームシェアしてるような日々になったね。

そしてキミはいつもいつも気に食わないこと、父親とは~、父親はこうあるべき~という正論を盾にして色々文句いうよね。

子どもに対しての叱り方、接し方、時間の使い方、家庭環境の整備、日用品の使い方、全てにすぐルールを設け、まだ慣れずに忘れてしまったりできないと、「理由伝えたよね?理解できないの??大事なことだと思えないの?」と人格否定する勢いで大事にする。

自分自由時間に、自分趣味に没頭することに対して、没頭の仕方、内容にケチつけられて時間制限睡眠時間をしっかりとるのはもちろん大事だよね、正論だね。

たまに自分自由時間を少し増やしたいがために、家事の分担を変わってもらう事に対して、ブラック企業有給申請するレベルでのお伺いレベル気遣いとため息と嫌味、それくらいのエゴも許されないの?父親自分自由を全部捨てて家庭の中だけに活きるべきってこと?

毎日毎時内容にかかわらず妻の顔色をうかがう日々。

何なら口で手伝ってなど言わず、状況をみて判断しないと「なんで理解できないの?」とののしられる。

子どもにはこうすべき、生活はこうすべきという、そこから少しでも外れたり、提示したことができなかった時に烈火のごとく怒り罵詈雑言を飛ばす嫁。

そんな日々をもはや義務タスクとして淡々とこなすしか心を保てない気がしてるよ。

風呂のカギをかけ忘れた時、お湯残ってて万が一子供が湯舟に落ちておぼれたらどうするの?その理由理解してくれてないの?という

そうだね、風呂に鍵かけるって習慣が身につくまで時間かかってしまったね、その間何度も何度も怒られたね。

子どもにはこう伝えるべき、こうしてあげるべき、頭ごなしに否定するのはよくない。

そうだね、ものすごく丁寧に色々なたとえ話とかしながら伝えて理解させようとしているね、子どもが話長くて途中で飽きてたとしても。

すごい云ってること、やってることは立派だと思う、それはキミの理想母親像なのかもしれない。

でもそれなら子供送り届けてから空いた時間に昼寝したり好きなテレビ見たりする時間があったら、

家の中掃除くらいしておいてもいいんじゃないかな?もう家中毛玉や埃がいっぱいあるよ?

キミの云うことは正論、じゃなくてただの理想父親像を提唱し続けてるだけだよね。

だったらキミも僕が思う理想の「妻」をやってほしかったな。

子どもからみたら母親だけど、僕からみたら妻なんだよね。

今となっては、トイレの個室と夜の限られたフリー時間自分の部屋に籠ってるときしか一息付けていない気がする。

そしていよいよ夜の限られたフリー時間すらも、やることに干渉し始めてきたね。

異性と交流する機会がありそうだったからかな?浮気でもすると思ったのかな??

すごいね、そこだけとっくの昔に捨てた恋人像を出してくるのはずるくないかな??

ここのところずっと全ての行動に対してSNSでこき下ろしてるよね。

挙句、昔ひどい目にあったクソ男に重ねてる発言をしたね??

ごめんね、それが一番僕の中で傷ついたよ。

こっちは仕事必死でこなして、家で愚痴ることもなく、酒もたばこもやらず、本当に少ない時間で溜まったストレスを押し込んで頑張ってる。

キミは金使いが荒いとかない、自分の欲しいものも僕と比べたら全然なくて、お小遣い使う頻度も少ない、もしかしたら僕みたいに没頭する趣味に集中できてたら違ったのかな?

キミの理想像通りの生活をして、好きなことも全部放棄して、妻と子供だけをサポートし家だけのことを考えて行動すれば満足なのかな??

もうキミを抱こうとする気も、だからって浮気する気も一切ない、とにかく自由が欲しいよ。

その自由を求める事ですら、エゴで、普通父親ならしない、父親らしくない、というのであれば、

いっそ愛想つかしたということで終わりにしませんか??

専業主婦で、子供2人いる中、離婚する場合はそれ相応の慰謝料とか請求してくるんでしょうね。

その後の養育費?もちろん子供に対しては責任とりますよ。

子どもの前で僕のこと色々こき下ろすもんだから子供らも僕のことなめてるからね、ママがいいパパは嫌、そうだね、ママがいいよね。

結婚するとき言ったよね、キミが一番そばにいてキミが一番味方になってほしいと。

雑にいえばいつまでもバカップルとまではいかないけど、仲のいい夫婦でいたかったよ。

産後クライシス時に「あぁ、それ無理だったわ、嘘だったわ」ってしれっといった一言、いまだに忘れてないよ。

自分年収を揚げるために実力をつけていい会社にチャンスがあればどんどん転職していたことも、

過去のクソ男みたく、簡単仕事ポンポン変えるんじゃない」って言ってたよね。

キミは社会人経験すくないからわからないだろうけど、何も転職は悪い意味ばかりでするものではないんだよ?

もちろんその会社に対しての不満はあったけど、「ただ仕事がいやになってやめた」とか、その後何も展望もなしにいきなりやめたとか無責任なことも、家庭の収入維持に問題があることもしてないよ??

本当にキミの理想像にあわせるのはもう疲れたんだ。。

正直もう僕はキミとはやっていけない、金があればいいだけなら、さっさと手切れ金として離婚してもやぶさかではない。

理想母親貫いていってよ??

でも僕のことで不機嫌になって、すべての家事子供無視して外に飛び出す癖くらいはやめなよ??

しかしたら離婚したとしたら、子供らのことも捨てそうだよね、キミ。

あとくされなくって意味なら、いっそ、僕以外で車で買い物に行ったときかに交通事故にでもあってくれてもいいと思ってるくらいだよ。

もう全てに絶望してる。キミも僕とこうなって後悔とかしてないかい?

ダメ旦那父親でごめんね?

キミの理想父親旦那様を探したらいいと思うよ。

そんな奴いないと思うけどね。

ーーーー再追記ーーー

ごめん、いっぱいコメント来るとは思わなくて感極まっちゃった。。

でも俺が一方的に俺被害者目線になるように見えるのもアレだからちょっとだけ俺の内容も追記

子どもできて妻が突然産後クライシスになるまでは、趣味妻ってくらい一直線だった。

妻は母親に即ジョブチェンジして、俺は旦那から父親ジョブチェンジするのが遅いと思われたんだろうね。

そういう意味では俺も怒られることは多々あったと思う、取り決め守れない、習慣んをつい忘れてしまう。

命に係わることは絶対やってということに対する理解はもちろんある、でもつい、、としか言えなかった。

今や趣味ゲームネットで知り合ったフレンドと遊ぶことだけがとても楽しい

もちろん夜だけ、昼間は仕事休日の昼間も寝かしつけるまでは家の事をこなす淡々と。

寝かしつけが終わったら、やっと時間来たぜ!って感じ。

いい父親ではないと思う、けど、周りでも自分趣味の事を俺以上に時間使ってるのも見えてる。

なんで俺だけ??って、エゴを貫けてないんだろうって。

それだけやっても家の事もきっちりやってると見えないところのものを推測してもしょうがないけど。

子どもがかわいそう、父親なら責任取れ、ならなんで?とかもうね、今更。

これから自分殺して淡々とそつなく仮面かぶって過ごすしかないんだろうなって思うと苦痛しかない。

そう、大々的に言ってしまえば自由になりたい。無責任エゴの塊でごめんね?でも本当に望むのはそれ。

多分このまま続いても絶対傷つけることになるだけだと思うんだよね。

ーーー再追記ーーー

もちろん嫁がこれだけ俺のことを詰めたのも俺が原因。

趣味時間を何時までっていうのを厳密に守らず過ぎて、都度詰められて。

時間削られ、過ぎて削られ今に至る。

元々は睡眠時間の関連だったからそれなら同じ時間だけ早くから開始できれば留飲は下がったけど、

時間削られたのは俺が約束を守らなかったから、これまで守らなかった奴が何をいっても信用できないし、

最初に削られたときになんでやろうとしなかったのか、あのときの話し合いは意味がなかったし何も伝わらなかったのか、の一点張り

そりゃあ時間超過はもう少しやりたい、開始時間が遅くなったかとかちょっとくらいなら~という俺の甘えな部分はあったのは間違いないけど、

それを変えたいならせめて約束を守り通してからいえ

じゃあその前に約束を守らなかったのは何故?

今のような制限かけられたのはお前が約束守らなかったからだろう?

という言語ループ

とどのつまり、今までお前が散々やらかしてきたんだから何を言っても信用できない、そもそもお前が約束違えなかったらこんなことにはなってないんだぞ?お前の責任だぞ?と。

セックスレスになり、もはやパートナーとしては見られず、父親要素しか求められてないにもかかわらず、ゲームで異性とは遊ぶな、異性ばかりに声かけてるんだろ?(そんなことはないが、、比率女性のが多い)と今更何を云ってるのかと。。

そういう異性絡みに関してだと必ず、それと同じことを私がやったらどう思うの?っていってくる。

それこそレス浮気したら子供が悲しむというって視点じゃない、完全にパートナー目線

俺だったら「もちろんヤダよ(愛しているもの)」それしかいえないよね。

そして鬼の首を取ったように、「自分がされて嫌なことをするな!」っていう流れ。。

でも妻は俺の事愛していないはずだろ?だったらレスにもならないし、スキンシップ気持ち悪いなんて言わないでほしかった。

下手気に嫉妬するくらいなら、もっと俺のことを大事にしておいてほしかったよ。

なんだかもう、色々とすれ違ってる気がするんだよね。

必ず今までの失敗を全部掘り起こして並べて、信用できない、どうせできないと思ってるくせに約束というルールを付ける。

そこを必死我慢して守れてない俺も悪いけど、考えられないんだよね。

こんなに詰め寄られてるこいつは何だろうって、ちゃんとずっと愛してくれていたならそもそも趣味に没頭しまくることもなかった気がする。

セックスだけの話じゃなくて、もっとパートナーとして寄り添っていてほしかった。

先日親戚が亡くなって、その奥さん棺桶に向かってものすごい泣き崩れて、「ありがとう、最高のパートナーだったよ」って言ってるのを思い出した。

俺がその立場になったら、果たして泣けるんだろうか、嫁がその立場だったら俺に対してなんて言ってくれるんだろうか。

今本当に胸のあたりが重い、虚無感がすごい。

再々追記———-

話し合いってほど建設的ではないけど、結論として趣味をやめるか辞めないなら出ていくと言われました。

一番気に食わないのが、趣味を通して異性とやりとりしたり遊ぶのがイヤだとか。

こちら的には性別考えず遊んでくれる人と遊んでただけで、不貞を行う気は一切なし。

私と会話したり同じもの共有だけしていたかった、でも触れてくる、そういうのは気持ち悪い。そもそも触れるだけで気持ち悪い言われパートナーとして否定され続けてきて、友人とのやりとりをみて嫉妬して、そっちでは楽しそうに遊んでるのに我慢ならないと。

最初は確かに一緒に遊んでいた時もあった、でも遊び方の方向性とか好みのジャンル自体がそれて遊ぶ機会もへった。

今は気持ち悪いと否定され、嫁とのモヤモヤも含めて日々の仕事ストレスゲームで発散するのが唯一になった。

ここに来て異性絡みを加えて唯一の趣味をやめろ、と。

一般論で考えたら嫁をとり、趣味をやめるべき、家庭に影響のない範疇でやるのが趣味

趣味を押し通す甘え、というのもよくわかる。

でも趣味に対するクレームも嫁の嫉妬からきてるだけ。

から嫉妬深いところはあった、異性の友達SNSで連絡したり、友達からこその一歩踏み込んだ絡みにも不快だと反応して。

これまで二人の時間を増やそうと色々画策してきてはいた。

年一で子供預けて二人だけの時間もつくったりもした。

でも望む形がお互いずれてたままだった。

から離れた俺はさぞ趣味に没頭して顧みない旦那だったろう。

でもそうさせたのはお前が原因でもある。

趣味か嫁か。

今回のは自分が怒らせたから俺に対してのみ制限する、

嫁はこれまでと変わらず不機嫌に過ごしていくんだろうな、と考えると苦痛しかない。

愛してくれた時に戻ってくれるわけでも絶対にない、なんなら今回怒らせたことをこの後もずるずる吊し上げる。

別れる場合専業主婦無職から子供は置いていくみたいなことをしれっと言ってる。

子供のこと考えたり、家庭のこと考え、何より嫁さんのこと大事にして趣味をやめるべき、なのはわかるけど、趣味どうこうより、嫁が冷たくて窮屈なのはかわらないのに、それを忘れるべく逃げてた唯一の趣味潰したくないというワガママもある。

たかが、趣味、でもこれ以外何もないから日々のストレス調整できなくなりそう。

一般論で家庭より趣味を取る、結論だけまとめれば聞こえはすごい悪いし、子供いるなら子供のこと考えないみたいのはクソだと思う。

愛した嫁じゃない、実際は俺が原因でそうなったというのも理解してる。

でも間違いなく今後は灰色生活しかならないと分かってる。

それもお前が嫁を怒らせたからだとも言われるだろう。

でも、なんだと言われてもこれだけは絶対自分が潰れるってわかってる(なんなら嫁も取り上げたら潰れるって理解してる)

それでも趣味を続けたいって思うんだよね、もういっそ解放されたい。

正論はいらないから、離婚経験者の意見聞きたいわ、理由とかどういう心境かとか。

もう今どうしたらいいかわかんない、ただ苦しい、誰でもいいから話聞いてほしい。

anond:20240607082140

責任が重すぎる

障害リスク

共働きしながら子育てする体力がない(金でもある)

健康問題

そもそも結婚が難しい

子供が嫌い

見てる感じざっとこの辺りだね

でもこれ、そもそも結婚が難しい以外行政ができることある?って感じ

anond:20240606142843

子供が嫌いだから欲しくない人に子供を持たせるのは至難の業である

誰のせいで子供が嫌いになってると思うんだ?

少子化大義名分にした子持ち優遇のせいで増えた子持ち様の横暴と、躾のなってないガキのせいじゃねーか

子育て支援の類をやめて親の責任を問うようになれば、子供嫌いも減ると思うよ?

anond:20240606113439

謝るからだろ。攻撃すれば屈服させられる

(その後霧散するため責任所在自分にない、つまりノーリスク報酬が得られる)と学習してしまって、報酬系が刺激されてしまうから、また機会があれば攻撃してしまうようになる。

anond:20240607014830

社会というもの個人の集まりしかない以上、社会責任など取ってくれない

どこまでいっても個人がなんとかするしかない

社会擬人化して責任転嫁するのは最も愚かな発想

2024-06-06

anond:20231225223723

戦争で生まれる分断って死だけじゃないないもんね

出国禁止ウクライナ人戦争責任を背負わされるロシア人もどれだけの才能が摘まれて己の人生を狂わされてるかと思うと、とても悲しいよ

もし少子化対策女性就労禁止したら

最大の反対勢力左翼フェミニストではなく

しろ資本主義を動かしてる側のあらゆる大企業やで

皆なぜか女性社会進出と聞くと高学歴大卒オフィス勤務者

フェミ思想の影響を受けて女性自己実現意識高い系

しかいないかのように錯覚しとるが

現実に働いてる女性の圧倒的大多数は

商店店員工場の工員(おもに高卒)やで

しかも働いてる理由意識高い自己実現とかではなく

単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数

この人らが全員一気にごっそり労働市場から消えたら

世のスーパーやらショッピングモールやら工場やらの

経営者はみな頭を抱えることになる

無人レジみたいな機械化も外国人技能実習生も足りない

***

そもそも近代日本の「女性社会進出歴史」は

明治期の製糸工場やら紡績工場女工から始まってる

彼女らとフェミ思想とかほとんど関係ない

貧乏農家家計を支えるため働きに来たのが大部分

しろ子だくさん家庭で口減らし奉公一種出稼ぎに出された

当時の企業経営者はとにかく労働力が欲しかっただけ

***

市川房枝集』に収録されてる

1930年に書かれた『現代婦人問題』という文章にはこうある

婦人工場労働は、産業革命の直接の結果、生活必要のため

家庭から工場へ追い込まれもので、そこには婦人自身自覚

まったく見られないといっても差し支えはない。」

***

女性雇用昭和戦時下に男手が次々と兵隊にとられて

若い女性が大量に勤労動員された時期にさらに加速する

ええか、左翼フェミ思想じゃなくてもしろ

政府愛国思想女性社会進出を拡大したんやで!!!

黒澤明戦時中監督した国策映画一番美しく』を見るとわかる

***

戦後高度経済成長期も中卒や高卒工場集団就職した

大量の若い女性工員が電化製品やら精密機械の輸出を支えた

(この辺はNHKドラマひよっこ』で描かれてる)

そのころの大学進学率はせいぜい30%台な

女性大卒ホワイトカラーなんて圧倒的に少数派

***

『「育児休職」協約の成立 高度成長期家族責任』(勁草書房

という本によれば、1968年専売公社職員女性比率は43%(1万5600人)

平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造

――ええか公社やぞ、政府の金で運営してる企業やそ

国家が率先して女性労働者を雇っとったんじゃ

***

女性の働き方』(ミネルヴァ書房)という本によれば

東京商工会議所女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限撤廃

1952年労基法改正で、映画製作に深夜業禁止が解除

左翼フェミではなく資本の側が女性労働制限撤廃を主張していた!!!

***

誰も信じないが左翼フェミによる「女も働かせろ運動

などというもの現実にはほぼなかった

実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇しろ運動」な

それが実現したのが1985年男女雇用機会均等法なのだが……

***

読売新聞1985年5月17日夕刊の

男女平等へ”器”はできたが…」という記事にはこうある

「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み

だされたものではなく、国連婦人差別撤廃条約批准するため政府が成

立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト

を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」

読売新聞1985年5月18日朝刊の

女子差別撤廃批准には意義 外務省見解」という記事

西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本集中豪雨的な輸出

貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解

を解いていくためにも条約加入は意義がある」としている。」

――雇用機会均等法の成立は左翼フェミ労働組合の要望もあったが

それだけでなく他の先進国経済的外圧で実現したのだ!!!

俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが

かに1985年ごろなら日米貿易摩擦とかで叩かれてた時期だ

***

本稿は左翼フェミ擁護するものでなく

しろ左翼フェミは屁ほどの社会的影響力もなかった

という論旨なのである

では少子化根本原因は何かといえば日本が豊かになったか

より正確には農業中心社会から第三次産業中心社会になったか

昔の農民は家が仕事場子供も中卒ぐらいで労働力にしてた

それが昭和30年代からみんな会社員になって

家庭内労働力として家に何人もの子供必要なくなり

子供大卒会社員にさせるのがイケてる生き方になって

それだけ子供1人にかかる教育費がべらぼうに高騰していった

昔ながらの農家やら自営商店なら家と家産(農地や店)の継承

結婚出産義務感に大きく影響していたはずだが

みんな勤め人になればその義務感だった自然に解消する

どこの国も産業構造が高度化すると政治思想関係くそうなる

からといって農業中心社会に後戻りすることはできない

左翼フェミが反対するからじゃねーぞ

それ以上に産業界資本家が反対するからだよ

***

いまだに定期的に

炎上覚悟の暴論だけど日本のため言うが女性就労を~」

論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが

悪いけど完全に的外れなんだよ

きみの最大の敵は左翼フェミじゃないんだ、資本主義なんだよ

ま、絶対に信じたくないだろうけどね

anond:20240606222851

反自民から一転して自民蜜月関係になった百合子さんサイドにも責任があると思われるが...

嫁がかわいい

俺らは東京に住むしがない夫婦だ。

俺も嫁も高給取りではないし、それぞれなんとなく会社で働いて、日々慎ましく幸せ生活を送っている。

もう年齢も30半ばを超えたが俺らには子供はいない、今の世の中で子供を産み育てる責任を負うのはきついなってことで子供は諦めた。税金高過ぎるだろ!ふざけんな!控除や手当があれば子供を持っていたかもしれない。

てことで長いこと嫁と2人で生活しているが、とにかく嫁がかわいい。ユニバ行ってにこにこな嫁も、サーティーワンアイス食べてにこにこな嫁もかわいい若いぶつかり合う時期を乗り越え大人になりお互いに余裕を持てるようになったのはでかい。以前よりずっと嫁が好きだ、恋愛ではない、愛なのである

から、前の会社ボロボロになって傷ついてもう辞めるって暗い部屋で泣いていた嫁を思い出すとむかつきではらわたが煮えくりかえりそうになる。あいつら天罰がくだらねーかなー。

今は転職して、新しい会社で大変なこともありつつも日々がんばっている嫁を心から支えたいと思っている。返してくれなくてもいい、嫁がいることが俺にとってはなにより嬉しいことなのだ!わかるか!増田よ!わざわざここに書きにきたぞ!

嫁がにこにこしていることだけで、俺はもうずっと頑張っていける。仕事先でもこれは公言しているが、俺に合わせて俺も彼女大好きッスな若人や、実は自分奥さん大好きなんですよね照なおじさんと仲良くなれた。おじさんにおすすめレストラン教えてもらったので今度行ってくるね。

anond:20240606192452

なに言ってんの?そんなことも知らないの?保守派っていうのは伝統とか昔から価値観とかを大事にしてるんだよ♡例えば家族のあり方とか、国家主権とか、そういうのを守ろうとしてるわけ♡国がなんとかしてくれるって思ってるのはむしろ左寄りの社会主義とかそういう思考の人たちでしょ♡保守派基本的自助努力とか個人責任とかを重んじるんだからさ♡ でもまあ、今の社会雰囲気はまた別の問題だよね♡みんなが自分でどうにかしなきゃって思うのは、単に不安が多いからってだけじゃないの?それも結局は国や政治ちゃん機能してないからだし、いろんな要素が絡んでるわけ♡保守派が望んだ形かどうかって言われたら、一概には言えないよね♡

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