はてなキーワード: 訪問看護とは
NHKEテレ『長すぎた入院 精神医療・知られざる実態』で描かれた日本の精神医療の実態。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259602/index.html
鹿児島県立姶良病院http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
http://bakusai.com/thr_res/acode=10/ctgid=104/bid=1304/tid=3433815/tp=1/
携帯は使えない。
退院時はデイケア通い(週4日以上)と居住地を制限される患者(病院周辺のみ)も多い。
主治医は選べない。変更も出来ない。
必ず預ける事になり、おやつの時間(3時)にのみ限られた量だけ渡されて食べる事が許される。
マジで副院長は、女性患者しか受け持たなくて、恋愛禁止を強要しているのよ。
だから、女性患者は、ここの患者でいる限り、恋愛を禁止されているんだ。
医者によっては、資産を売却して生活保護を受ける事を強要された患者もいた。
姶良病院の近くにグループホームが新しく出来て、そこに居住する事を強要させられる。そこの設立者が姶良病院の元看護師長で、会社を設立している。姶良病院の近くに居住を強要して、その元看護師長がアパートの保証人に当てられる。そして、週に何回か訪問看護があって看護師が自宅に監視にやってくる。その内容は主治医に細かく報告される。退院しても自由はない。金も訪問看護が決められた金額だけ渡して自由に使えない。何かを買う時は、病院の許可がいる。
262 2018/02/09 18:05
南日本新聞の患者インタビューも病院に対して不満を持っている患者は対象に選ばれなかった。都合が悪い事実を暴露されるのを恐れていたからだ。病院側にとって優等生的な発言をする患者のみにインタビューする事が許されており、病院の真実は明かされる事はない。
#266 2018/02/09 19:22
都合が悪い告発をした告発者は重症患者扱いして真実を闇に葬る卑怯な手口」
(注)
「南日本新聞の患者インタビュー」鹿児島の地元紙・南日本新聞に16年に掲載されたこの病院のルポ記事のこと。同紙の連載『精神障害とともに』16~17の一部「精神科密着240時間」として掲載された。但しwebでは一部分しか無料で読む事はできない。https://373news.com/_kikaku/16/seishin/
なおラグーナ出版から17年に同内容が書籍化されている。『精神障害とともに』http://www.lagunapublishing.co.jp/books/seishintomoni.html
統合失調症当事者です。私自身は現状ではほぼ寛解しており、近く子供も生まれます。それだけに、お身内の方が心配でなりません。
けれども、他の方のトラバにあるように、この病気は症状の出方が人それぞれで、私の体験談がお役に立ちそうなところは何もないのが無念です。特にお求めの、他人に攻撃されているという妄想をそらす方法、というのが、私の妄想はその類ではなかったことで何も言えないのが残念です。
だからこそ、病院にちゃんと行って医師の方に直に見てもらうことが何よりも肝要だと思います。
現状はたぶんあなたが思っているよりも深刻です。ご本人が医師と薬を信用していないからです。けれども、この病気に関しては薬は命綱のようなものです。私も妊娠中ですしほぼ寛解していますが、断薬はこの先一生できません。いつ再発するかわからないからです。ましてや陽性症状がここまで強く出ている方が薬を信用していないのならば、飲んでいない可能性も視野に入れた方がいいかもしれません。
しかしながら、訪問看護の方が自宅に入っているのならば、地域の保健師さんとの繋がりもあるはずです。その保健師さんに通院の補助、もしくは医師の自宅訪問などの調整ができないかお願いしてみるのも一つの手かもしれません(できればご本人の旦那さんを通じて)。保健師さんは病院や子育てセンターなどと繋がりがありますので、保育園に子供を入れるなどの措置も調整してもらえる可能性が高いです。私の担当保健師さんは、私自身に対してもし子育てが辛い場合にということでそのような提案をしてくださいました。
他の方もおっしゃってますが、あなた自身がお身内の方をどうにかすることは色々な意味で難しいです。なので、保健師さん他訪問看護師さんや医師など、なるべく多くの専門家を巻き込む方向に動くのが正解だと思います。
9月10日~9月16日まで自殺予防週間だそう。
http://www.sankei.com/column/news/170910/clm1709100002-n1.html
個人の意見はある程度無視され、医者の意見の方が正しいということを押し付けてくる
医者の言うことを聞かないと、何もできないと投げやりにする
自分で治してくださいと嫌味のように言われる
一人にさく時間がないのが現状だと思う。
薬の服用をせずに、考え方をどのように持っていけばよいかアドバイスを受けたいと言っていたにもかかわらず、そのアドバイスが具体的ではない。
相手の状況をいち早く察知する能力がなければ、患者がきちんと助けを求めなければ動かない。
薬を出すのが当たり前になっていると傾聴の力が養われない。そして、医者の口からはっきりとここは話をしに来る場所ではありませんとはっきりと伝えられた。
トラウマで苦しみます。(何も感じないような薬を処方しましょう)
根本的な、問題解決にはなっていないのが今の医療現場の現実だと思う。
自殺は「孤立の病」だとされているようだけど、薬を服用しないと治療はできません、入院はできませんと言われると、孤立を選ぶことになる。
今は孤立しているように感じる。
誰もかもが責任をとりたくないように、医療行為ではないことはできないという。
ただ話を聞いてくれるだけでも、気持ちが楽になることもある。
また励みになったりもする。
個人に合わせて、本当にできないのだろうか?
人の命がそれで左右されるかもしれないのに、投げやりにして孤立させることはどうなのだろうか?
訪問看護も、医者と訪問看護同士で決められ、あらかじめ患者には連絡はなかった。
対人恐怖があると言っていたにもかかわらず、話し相手になる「友達を作ってください」と言われたのは驚く。
医者の投げやり発言で、道路に飛び込もうとふらふらとトボトボと歩いていた。
数メートル前でふと空を見上げると、光が出てきた。
そして、この日記を書いている途中に家族が亡くなった知らせを聞くこととなる。
後追い自殺が頭をよぎる。
なぜか、この世に取り残された感がとても強い。
自殺は社会問題だ、一人を見守る人がどれだけいるかで、その人が助かることもあると思う。
医者だけが治すだけではないのに、そうではない人が話を聞いたりアドバイスをしたりすることは医療行為ではないということで、
何か起きたときに、責任問題が生じる可能性があるので安易にそれができない現状があるということだろう。
そうであっても、その人を孤立させないことが第一に考えるべきだ。
自殺が孤立の病といっているにもかかわらず、助けを求められないくらい本人が落ち込んでいるときは寄り添う人がいるだけでも、助かる命はあると思う。
助けたつもりでいるのではないか?治療しているつもりでいるのではないか?
患者の気持ちに寄り添えない余裕がない人が医療現場に多すぎるように感じるのは、私だけ?
患者の数が多すぎる、そして医者が少なすぎる現状が、そうさせているのかな。
一人のバックアップは、たくさんあった方がいい。
助けを、求めよう
声を、あげよう
聞いてもらえなくても、声をあげよう
助けてもらえなくても、助けを求めよう
助けを求めることを、恥ずかしいことだと思わないで
病気であっても、なんでもなくても
みんな同じ人間なんだ
助けを求めること、逃げることは、情けないことではない
命を守るためだ
なんてことないという日が必ず来る
悪い時はずっと続かない
人生には波がある
波がない人生はない
それを忘れないで
阿倍野ハローワーク・インターネットサービスで閲覧出来る職業は以下の通り。
詳細は伏せていますが、ハロワに行けば、これよりももう少しマシな案件が見られる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
NO 職種
1 指導員
2 (障)事務職
18 (障)SE/プログラマー
32 (障)機能訓練指導員(デイサービススタッフ)住込可平野区
35 (障)庶務
40 (障)インテリアデザイナー職(大阪市北区)
46 (障)言語聴覚士
52 (障)訪問マッサージ師
55 (障)人事アシスタント及び一般事務【人事・総務】大阪市内
56 (障)一般事務(セールスアシスト事業部 行政事務G)大阪
57 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
58 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
60 (障)薬剤師
61 (障)医療事務
62 (障)理学療法士
63 (障)作業療法士
68 (障)販売職【セールスアシスト事業部大阪支店】契約社員
70 (障)サービスステーションスタッフ
72 (障)グラフィックデザイナー
73 (障)プログラマー
80 (障)事務職、他
85 (障)あん摩マッサージ指圧師/大阪
86 (障)庶務
91 (障)訪問看護
94 (障)組込エンジニア
96 (障)作業療法士
109 (障)アドミニストレーター(一般事務)天満課
115 (障)データセンターにおけるオープンシステム系の運用SE
118 (障)あん摩マッサージ指圧師
134 (障)アドミニストレーター(一般事務)難波オフィス
144 (障)パソコンを使って受注確定や配送手配・売掛金消込など
145 (障)パソコン設定や操作などについてのコールセンター業務
152 (障)看護助手
どうすればコメント書けるのかわからなくて、これで間違っていたらすみません。
「もうちょっと生きてみようと思います」と言ってくださっているので大丈夫かもしれませんが
おばさんからもお便りさせてください。
フローレンスのことが出ているようなので
全国医療ケア児者支援協議会http://iryou-care.jp/のことはご存じだと思います。
全国重症心身障害児(者)を守る会http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/
どちらでも、相談に乗ってもらえるでしょうし、同じ立場のお友達と話すのが
私の場合は一番気が楽になりました。
緊急というか「もうどうしても無理、死にたい!」と思ったら
またお近くの重症児施設http://www.normanet.ne.jp/~ww100092/shisetu.pdf
の相談室に困っている旨、電話で問い合わせをしてみてください。
けっして我慢しないで、ありったけぶちまけて助けを求めてください。
一般の病院では施設と連携のない所もありますので、その時は直接連絡してもいいと思います。
重い障害の子どもたちとお母さんたちを心から応援してくれている人たちが必ずいます。
思っていた自分の人生設計がすっかり狂ってしまって悔しい思いをしてきました。
本当のことを言うと「この子が死ねば私は楽になる」って何度も思いました。
でもそのあと「ああ、この子が死ななくて良かった」とも思いました。
「お母さん、もう楽になっていいよ。ありがとう。」みたいに。
小さい頃施設に預けていて、自分に余裕ができて在宅になった方もいます。
ずっとおばあちゃんが面倒をみてお母さんが働いているおうちもあります。
これからは障害児が生まれてもお母さんが働ける時代が来ると信じています。
どうかお母さん諦めないでください。
短い間だけかもしれないお子さんとの今も大事になさってください。
絶対に死んじゃ駄目ですよ。
それがね、わかるようになりますよ。
ほんの少しずつだけど成長していくんですよ。
<元増田へ:追記あり>重度障がいの子どもを介護してかれこれ十数年経過の私が登場。
大丈夫?しんどいよね。産んでまだ数ヶ月じゃほんときついと思う。
ほんと、出生前診断にすがる人多いけど、あくまでマクロ的に捉えてないと、検査では分からないものの方が多いんだよね。
その辺理解してる人少ないんじゃないかな?自己責任だろとか必ずしも高齢だからとか一概には言えないのよ。
ウチもおもいっきり医療の必要な子だからもちろん外でなんて働けてないよ。
あんなに「無理、育てられない。もう死にたいし、死ぬ」って思ってたのに、今ではかわいいんだから人間って不思議だし厚かましいよね。
でも、それまで偽善的に繋がってた人間関係がすっごくクリーンになって、良い意味で人は一人で生きてけないんだなあ。って思えたかな。
それまで当たり前と思ってた価値観とかが覆るから、いろんな事がみえてきたりもするんだよね。
それと、こういう子がいるとほんといろんな人(保健師とかね)がうちに来るから、いい意味でも悪い意味でも放っとかれない。
社会で起きていることや、これからの国の行く末とか、嫌でも気になるようになるからおのずと人任せでいられなくなるよ。
まあ、他人からみれば「人生終わってる」ってことになるんだろうけども。
「子どもはあなたを選んでうまれてきた」って念仏みたいに言われる機会も多いと思うけど、とりあえず何も言い返さず口角だけ上げておけばいいから。
追記:
ただの通りすがりなのに、あけてみたらコレにもたくさんのブクマが付いててびっくりした。
読み返してみたら改めて口が悪くてごめん。昨日のあなたの最初の追記で最後の一行読んでちょっと安心した。
このままFOしようと思ったけど、元増田の後の部分の追記読んでもう少し。
そんな時に、近くの高齢者施設に行ったら、すごくショックだったことがありました。それはほとんどの病棟にいる患者さんがほとんど寝たきりで、胃瘻されていた。そしてその患者さん、ほとんど意識がない。寝たきりで意識がなくて、会話もできない。痛いも痒いも言えない。その状態で何年も、長い人は10年以上です。
胃瘻をする人が皆寝たきりだ、みたいな安易なイメージ誘導はよろしくない。
大事なのは胃瘻ではなくて「栄養を与えるか」「栄養を中止して最期とするか」のどちらを選択するか、ということだろう。
近くに総合病院があるということよりも、市民が意識を変えるってことが、病院があること以上に価値があることだと僕は思います。
一般論としてはそうだろう。
(中略)
だから呼ぶのは訪問看護師、在宅医。もちろん、発熱とか一時的なことで、これは良くなるよってことであれば家で点滴したりして治療します。でもそうでない時は、残念ながらお看取りすると。そういう世界です。だから救急車が減る。しかも医療費も減っちゃったんですね。
救急車の出動回数の減少や医療費の減少は、救急車を呼びたいような人が夕張以外へと転居した、等の統計上のトリックも考えられる。
だが、ここに述べられているように在宅医療の徹底がなされていることも大きな一因であると考えてよいと思う。
しかもですね、何と死亡率まで下がっちゃったんです。これがすごい。
日本人の死因の1位がガン。2位が心臓系。3位が肺炎。1、2、3、全部下がっちゃった。すごいですよね。何がポイントか。多分、僕が思うに予防の意識ですね。
何年で下がったのか、どの程度下がったのか全く見てとることができない。
その後に「日本人の死亡率は100%」と言っていて”死亡率”という言葉を使っている矛盾にはつっこまざるを得ない。
3大死因の死亡率が下がったなら何の死亡率が上がったのか?
死亡率の変化には死亡診断書を書いた医師の変化に影響されているのではないか?
予防意識が死亡率にまで影響するにはかなりの年月を要するのではないか?
今日本がここです、25%。数十年後には40%になります。じゃあ、高齢化率が2倍になったら、借金も2倍になるんですか……? 医療費はどんどん上がってますもんね。ちなみに夕張は今ここです。かなり先取りしてますね。でも日本中が夕張みたいに高齢化率が高くなる。爺ちゃん婆ちゃんばっかりになる。そんな世界になります。
今回の中で根拠があると言えそうなのは終末期における在宅医療の推進。これは本当に進めていくと良いと思う。
国民の健康に対する意識を高めるというのは国が躍起になっているところ。
その方法として総合病院がなくなってしまえばいい、というのが夕張市のストーリーだが、
全国で総合病院を取り壊す訳にはいかないので、全国的には総合病院へかかりづらくするという現在の政策と近い物になると考える。
改めて読んでみると、「医療費、救急車の出動回数の減少」はグラフもどきの絵のせいで印象が悪いが理屈は合っている。
「死亡率の低下」には短い中に突っ込みどころがこれでもかと詰まっており、ここが一番ダメ。
『病院がないほうが死亡率が下がる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ』というタイトルも統計的トリックを警戒させて印象が悪い。
死亡率の話を抜きにすれば、印象の悪さとは反して普通の終末医療の話だった。
そこにずさんなデータを持ってきてしまったことで、ブコメでの突っ込みが多くなるのは必然だろう。
タイトルでその個所を煽っていることも突っ込みを誘発している。
まとめてみると、十分受け入れられ得る在宅医療推進の話なのに、論拠としてうかつに死亡率のデータを出したせいで話全体の信頼性を失わせてしまう、残念な例だった。
タイトルに上げたんだけどさ、今高齢要介護者向けに「介護保険」ってあるじゃん。
これと同じ仕組みで「子育保険」って出来ないのかなって妄想したんでぐだぐだ書く。識者の方できたら突っ込んでくれ。
介護保険って
常々、介護と育児は中身は年齢が違うだけで中身は結構似ているような気がするんで、これを元に
ってすればどうだろう。
これだけじゃ無理がある部分もあるので…
どうよ(ドヤッ
介護保険を使う事になっていろいろと調べたり利用申請したりしたのだが、介護が必要な人間を抱える家族って、育児をしている家族と構造はすごく似ているって思った。ただ将来への展望が違うだけで。
介護保険のコンセプトは「介護が必要な人を社会全体で支える」という事だったと思うけれど、育児も「子どもは社会全体で育てる」という感覚があっていいと思うんだ。
また、介護は、介護保険があるおかげで介護が産業化していて民間企業が参入し、使い易い介護用品が出てきたり、従来より足りないと言われてきた有料老人介護施設の増加を促したり、介護業者も競争が増えて対応の質が上がったりしている。
一方ケアマネージャという有資格者が必ず関わることによっておかしな業者に引っかかって被害を受けると言った事を防止し、過剰請求なども防ぐ仕組みが出来ている。
いろいろあるけど介護保険はこの点で成功している精度だと思うんだよ。
だからこれを見本に、育児・教育を保険として作れば、いくつかの諸問題は(多少時間がかかるにせよ)解決に向かっていくんじゃないかと思う。
これで介護保険並の保険料で済むなら、十分に考える価値はあると思うんだけどどうだろう。
いやまぁ、こんな事ここで言ってもしょうが無いんだけどさ。
識者の方突っ込んでください。
Yahoo知恵袋には、本吉病院長に対する地域の冷たい仕打ちがあったような記事が出てくる。
webには、そのようなものはなかなか出回らない。 とりあえず、ちょっとメモまで。
どうなのかな? 投稿者:一患者 投稿日:2007/02/20(Tue) 19:57 No.106
この頃、本吉病院に行くことに、ちょっと抵抗を感じるようになりました。誤診なのか知識不足なのか、適切な処置をされないで手遅れになるところだった人の話を聞きました。医者も生身の人間ですから、診誤ることもあるかもしれないけれども、私たち一般の人は医者を頼りに病院に行くわけですから、しっかり診察をしてほしいものです。
森町長がこの掲示板を見るかどうか分かりませんが、できたら、もっと医師に研修なり、勉強の機会を与えて、町民の命を預かるというのは、重責かもしれないけれども、でも、本吉町で唯一の病院ですので、高い機械を入れるばかりでなく、それを使いこなす人材や医師を育ててほしいと思います。赤字で大変でしょうが、一考お願いします。
直接、病院事務長や院長に話をすればいいのでしょうが……
あとは、勉強用に。
本吉町国民健康保険病院改革プラン(平成20年12月:本吉町国民健康保険病院)
本吉町国民健康保険病院は、昭和22年8月に旧津谷町国民健康保険組合の直営で一般病床24床の病院として開設された。
翌23年には、法改正により旧津谷町に移管され直営病院となった。
昭和30年3月の町村合併により本吉町国民健康保険病院となり、この年に新病棟が建設され、一般病床52床、伝染病病床12床を有する病院となった。
昭和34年当時の診療科目は、内科、外科、小児科、産婦人科を標榜しており、地域の中核的病院として住民の健康と福祉の増進に大きく貢献してきた。
しかし、その後人口減少などの理由により、病院は多額の累積赤字を抱えるようになったため、昭和47年に病院運営委員会を設置し累積赤字の解消に努めてきた。
その後も逐次規模の縮小が図られ、昭和61年には一般病床38床で、内科、小児科を標榜する現在の病院の規模となった。
昭和47年から取組んできた累積赤字の解消は、一般会計からの繰入金の増額等により平成6年に全て解消することが出来た。
その後は単年度の損失はあるものの繰越利益剰余金により累積赤字は発生していない。
本吉町内には、かつては数軒の医科医院が開業されていたが、医師の高齢化等により廃業し、平成15年以降は診療が行われておらず、本吉病院が町内唯一の一般病院として現在に至っている。
国の医療費抑制策による近年の診療報酬改定は、小規模な病院に与える影響が大きく本吉病院においても診療収入が減少している。
特に平成16年度の診療報酬改定により薬の長期投与が可能となり、患者の通院数が月2 回から月1 回になったため外来患者数が減少したことも診療収入減少の要因の一つとなっている。
現在本吉病院では、常勤医師2名により平日の診療に当たり、土日及び祝日等は東北大学病院より臨時医師を派遣いただき診療に当たっているが、患者数による必要医師数は常勤医師3名となっており、早急に常勤医師3名体制の確立を図る必要がある。・・・
本吉町国民健康保険病院は、一般病床が38床で、診療科目は内科、小児科を標榜しているが、現在は内科医師2名により、実質的には内科単科のみの医療提供を行っている。
外来患者数は、1日平均70~80名で年間約21,000人となっているが年々減少傾向にある。入院患者は1日平均35人で病床利用率は93%となっておりここ数年は横ばいとなっている。
外来、入院診療のほかに、件数は少ないが訪問診療や訪問看護・訪問リハビリ等も行っている。
本吉病院は、町内唯一の一般病院であることから、毎週日曜日は当番医として診療を行っているとともに、救急告示医療機関にはなっていないが、内科に係る初期救急については24時間受け入れを行っている。
また、町の健康福祉課が計画している乳幼児等の各種健診や予防接種のほか、町立の幼稚園・保育所、小学校、中学校の校医も受託している。
さらに、町内企業の産業医を受託しているとともに気仙沼地域産業センター主催の健康相談への協力も行っている。
以上のように、本吉病院が地域において果たしている役割は極めて大きく、本吉町の保健医療の推進を図る上で欠くことのできない重要な医療施設となっている。
本吉病院の正職員数は、医師2名、薬剤師1名、診療放射線技師1名、臨床検査技師1名、理学療法士2名、管理栄養士1名、看護師18名、事務職員5名の計31名、ほかに臨時職員が看護補助員9名を含めて21名で、合計52名となっている。
医師については、本吉病院の患者数による常勤医師必要数は3名で、1名不足となっていることから、当直等を含めた勤務時間が過剰になるなど医師の負担が重くなっており、早急に医師の確保を図る必要がある。
宮城県気仙沼市本吉町の市立本吉病院(38床)が苦境に立たされている。津波で1階が高さ1.7メートルまで浸水した被害に加え、2人の常勤医が辞職するなどして現場を離れたからだ。被災と「常勤医ゼロ」の異常事態が重なる医療現場で、看護師や派遣医師が「住民の身近な病院を守りたい」と奮闘を続けている。
押し寄せた津波に入院患者20人や職員は避難したが、1階の診療室やエックス線室、コンピューター断層撮影(CT)などの医療機器は水に漬かり、損壊した。
3月20日には院長(59)が辞表届けを提出。もう1人の常勤医の40代男性も体調を崩し、ともに現場を離れた。病院関係者は「停電、断水、薬不足の中、外来患者は普段の2~3倍に上り、昼夜働きづめだった。誰も責められない」と語る。
現在の医療活動は、徳洲会病院グループでつくる災害医療協力隊「TMAT」が担う。入院患者は岩手県立千厩病院(一関市)に移送し、24時間態勢で外来診療に当たる。
千葉県から5泊6日の日程でやってきた医師黒岩宙司さん(54)は「避難生活の長期化で風邪や不眠を訴える人が増えている。今こそ協力隊の力を発揮しなければならない」と力を込める。
病院職員は津波によって12人が自宅損壊、2人が家族を失った。自宅が津波で流された薬剤師長の遠藤博文さん(54)は「JR気仙沼線の復旧の見通しが立たず、遠距離通院はできない。ここを守るしかない」と、泊まり込みを続ける。
TMATの支援期間は1カ月程度の見通し。市は復興作業と医師確保という難題を背負った。
看護師長の佐々木美知子さん(44)は「人口1万1000の本吉地区住民にとって、病院はここしかない」と話す。
職務に追われ、2人の子どもと会えたのは震災1週間後だった。「住民の健康を守るため、病院存続のため、みんなで力を合わせたい」。言葉に強い覚悟がにじんだ。(高橋鉄男)
◎常勤医去り職員が結束/宮城県気仙沼市立本吉病院看護師長・佐々木美知子さん(44)
入院患者19人全員を岩手県の病院に移し、人心地ついた朝だった。
3月20日。気仙沼市立本吉病院。
男性院長(59)の姿が消えた。
震災から9日間、泊まり込みで診療を続けていた。部屋に辞職願があった。同じ日にもう1人の常勤医も体調を崩し、現場を離れた。
旧本吉町で唯一の病院は常勤医がいなくなった。
看護師ら31人の職員が残された。被災で派遣された外部の医療団の応援を受けている。4月上旬。
「おばあちゃん、眠れていますか」
2階の一室で外来の患者に話し掛ける。そばで派遣医師が心音を聴いている。
院長は地元が兵庫県で阪神大震災にも遭ったという。耐えられなくなったのだろう。
「責められないよね。私も逃げ出したいぐらいだもの」
津波で1階が水没した。医療機器が壊れ、カルテが流され、ガスと電気と水が止まった。
メモ用紙に「カルテ」と書き込み、急場しのぎの診療記録を作ることから始めた。
入院患者の足元で雑魚寝し、患者のタオルを借りて寒さをしのいだ。医薬品が足りない。患者によっては点滴を半分に減らさざるを得なかった。
病院は存続するのだろうか。常勤医の不在は職員を不安にさせた。
外来患者は1日200人前後。震災前の3倍に増えた。不眠や風邪を訴える。
「病院が地域の人に求められている。病院消滅の不安は消え、存続への使命感に変わった」
4月9、10の両日、地元の住民約100人がモップと雑巾を手にやって来た。自治会長(52)が常勤医不在を知り、「地域の力で病院を守ろう」と清掃を呼び掛けた。
1階の泥をぬぐい取る。職員も一緒に精を出す。
看護師長になって12年になる。2人いる管理職の1人として職員を束ねる。
「みんなと一緒に目の前の患者に向き合うことしかできない」
職員のうち、12人が家を流された。それでもほぼ休みなく働いてくれる。家族を失った看護師も現場復帰した。
家に帰ると、長男(8)と長女(5)に抱き付かれる。「うちはどうして休みがないの」と聞かれる。ほとんど一緒にいられない。夫(42)も市の水道職員で忙しい。
医療団はいずれ去る。
「それまでに常勤の医師を確保し、以前の運営に戻れるかどうか分からない。でも、職員と地域の人は命の拠点を残したいと頑張っている」
心の中でわが子に言い聞かす。
もう少し待って。いい未来を残すから。(高橋鉄男)
東日本大震災の津波で1階が水没した宮城県気仙沼市の市立本吉病院(38床)は、大半の医療機器が流されたうえ、院長ら2人いた常勤医が病院を去るなど苦難に直面した。だが、残った看護師や職員は県外から派遣された医師とともに「被災して苦しんでいる人をわれわれが見捨てるわけにはいかない」と奮闘を続けている。【村松洋、堀江拓哉】
3月11日、2階建ての病院は大きな揺れで停電した。非常用発電機でひと息ついたのもつかの間、約35分後には津波が襲った。1階が水没したが、入院患者19人と看護師長の佐々木美知子さん(44)ら看護師、職員約20人は2階に避難して無事だった。医薬品や布団、非常用食料は2階の一室に運び込んだ。
夜には自治会から発電機を借りて、心電図などの機器をモニターした。それでも院内は真っ暗で、懐中電灯で看護を続け、患者にはレトルト食品など非常食を食べてもらった。
来院者は増えた。不眠やストレスで息苦しさを訴える被災者が多く、通常の約4倍の270人が来院する日もあった。佐々木さんは10日間、自宅にも帰らずに看護を続けた。
17日には県外から3人の医師が応援に入り、19日には入院患者の転院を終えた。だが翌日、院長(59)の姿はなかった。机上に「一身上の都合」を理由にした辞職願があった。
院長は阪神大震災で被災し、東日本大震災では津波にのまれ、病院の燃料タンクにつかまって助かった。管理課長の鈴木幸志さん(59)は「2度も被災され、院長の家族も心配していた。去ったことをとがめるわけにはいかない」と話す。体調を崩したもう一人の常勤医も病院を去った。
残った看護師や職員たちも被災者で、計29人中12人が津波で家を流された。夫や親族を亡くした看護師もいるが、全員がほとんど休まずに勤務を続ける。
4月9、10日には地区の住民ら約100人が1階の汚泥の掃き出しなど掃除をしてくれた。地震から1カ月の11日、1階での診療を再開した。
応援の医師はいずれ県外に戻る。病院は今、市や医師会を通じ、新たな常勤医を求めている。佐々木さんは、常勤医不在で病院の将来を心配しながらもこう話す。「家を流され、私たちより困っている人が大勢いる。そんな人たちを診てあげられるのは私たちしかいない。今できることを毎日続けるだけです」
宮城県気仙沼市本吉地区で唯一の医療機関、市立本吉病院では、震災後に男性医師と院長が相次いで休職・辞職し、残された看護師たちが応援の医師と休まず働き続けている。
「大丈夫? 痛くないかな」。白衣の代わりに白いエプロンをまとう看護師長の佐々木美知子さん(44)が高齢の女性から採血し、優しく語りかけた。
1階天井近くまで達した津波は白衣も医療機器も流した。人口1万1千人の本吉地区から市中央部への道は断絶。佐々木さんらは、薬を求めたり体調不良を訴える市民の応対に追われた。院長(59)は1日に最大で270人の患者を診察した。
応援の医療チームが到着した14日から、50代の男性医師が休職。20日には院長が姿を消した。院長室の荷物にまぎれて辞表が見つかった。「院長がああいう辞め方をしたことを責められない」と佐々木さん。「看護師だけになってもやるしかないと覚悟した」
応援チームは小児科や外科の医師もいて、24時間体制で患者を診られる。皮肉にも、内科だけだった震災前より多くの市民を診察できるようになった。5月までは医師2人のチームが交代で来てくれる。ただ、地元の主治医と呼べる医者がいずれ必要となる。
「ここが地域の中心になって、福祉や介護、生活すべてを守りたい」。佐々木さんは同僚の看護師と肩を寄せ、笑いあう。「早く新しい先生に来てもらえるよう、私たちが頑張らなくちゃ」 (柚木まり)
祖母が亡くなってから、半年が経った。
96才だった。
寝たきりだったけど、ボケてもなくてしっかりしていた。
会話はできたから、家族みんなで仲良く面倒見ていたほうだと思う。
その際に先生から、家族の意向の確認があり、市立病院の意向を伝えられた。
それならば、安易な気持ちで救急車を呼ばないでください。
救急車の隊員は使命を全うします。
つまり自然死とは違う方向に進みます。
市立病院のベッドも限りがあります」
というような主旨だった。(と記憶。
もっともだと思った。家族も納得した。
その後、デイサービスには行けなくなった。
訪問して往診くれるので何かと助かった。この点は非常に感謝している。
でも、自然死を望んでいると伝えているのに、
薬も少し過剰に思われた。
「おばあちゃん、下痢でもこんなにがんばっているんだから入院させよう」
こう言われたときには入院させた。
「入院して輸血してもらうと元気が出るよ」
さすがにこのときは入院させなかった。
輸血すれば・・って何言っているのと思った。
その後、主治医の勧めで訪問看護にも来てもらい、週に何度か点滴をしてもらうようにした。
訪問看護の初日、翌日の点滴のために、針をそのまま残す方法がとられた。
翌朝、血管が詰まって手がパンパンに腫れた。トマトみたいになった。
38度の熱への対応。
「水枕して」
「熱を逃がすために、掛け布団は手すりにかけるように」
「水を入れたペットボトルを凍らせて脇に挟むといい」
そこまですべきなのか疑問を持った。
「おしりが赤くなっていたのでテープを貼っておきました」と言われた。
おむつかぶれではないので、次から貼らないでくれとお願いした。
点滴をしてもらう日は気疲れした。
その後、腫れなかった手の血管が使えなくなったため、腫れたほうの手に点滴をした。
そしたら容態が急変した。
祖母の最期の言葉は「肺がいちゃー(痛い)」だった。
血の固まりが肺の血管を詰まらせたようだった。
看護士さんたちを別に責めるつもりは無いし、一生懸命やってくれたと思っている。
当初、市内には訪問看護を行っている施設は無いと言っていた。
その後、調べたらあったらしく手配をしてくれた。
ときどき容態を見に来てくれた。
ケアマネージャ・ケアプランという仕組みも必要なんだろうと思う。
税金をたくさん使ってしまった。
これで良かったんだろうか。
年金をもらっていなかったけど、
もらっている家族だったら思いは変わるのだろうか。
介護ってどこまで看ればいいんだろう。
自然死ってなんだろう。
半年経っても良くわからない。
どこかに、記しておきたかった。