「表現の自由」問題が盛り上がっているが、前々から思っていることとして、「表現の自由」は以下の三つの立場に分けて理解されるべきだろうと思う。
「どんな不快で差別的な表現であっても、お互いにそれを我慢して認めるのが表現の自由であり、表現への批判それ自体も表現規制につながる危険性が高い。」
「不快で差別的な表現も認められるべきであり、政府による表現規制は好ましくないが、表現への批判も表現の自由の一部であり、そのリスクはきちんと引き受けるべき。」
「不快で差別的な表現を放置することは、社会的弱者やマイノリティの表現・言論の自由を行使する機会と意欲を奪うことになるので、真の表現の自由の実現ためには一定程度は規制されるべき。」