はてなキーワード: 言ってはいけないとは
京都市の国立京都国際会館では第14回国連犯罪防止刑事司法会議(通称「京都コングレス」)が2021年3月6日から13日まで開催され、10カ国から外国政府高官などからなる政府代表団を受け入れる。なお、もともと2020年4月に開催される予定だったところ、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大を受けて、約1年延期された経緯がある。主催は国連の薬物・犯罪事務所だが、日本国政府の法務省が開催準備を主導している。ちなみに50年前にも第4回会議を京都で開催している。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/about/congress.html
来られる、らしい。らしいというのは、公式ホームページで、海外から来る人向けに宿泊案内があり、ホテルの予約方法などが書かれていることから、主催者は海外からの参加者を想定していることが分かる。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/participants_info/ai_oversea_participants.html
また、交通案内でも、専用のシャトルを出すなどすることが書かれている。
他方、2/20現在、入国・検疫に関するページは「現在調整中」となっている。
開催が2週間後に迫っている中でいまだに調整中というのは、何の調整がついていないのかは不明だが、らしいというのは、どうしたら入国できるのか示されていないためでもある。そんな状態なので、政府高官を派遣してくれる国が少ないのも分かる。しかし、法務大臣による記者会見によれば、以下の措置が取られるようである。
「国連職員や海外から来場参加する代表団には,出国前72時間以内のPCR検査などの通常の水際措置に加え,専用シャトルバスによる移動,来日参加者用に借り上げた宿舎への宿泊,用務以外での外出禁止などの行動制限に従っていただきます。」
http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00171.html
上記の記者会見の概要を見ても、海外とはどこから来るのかまったく触れられていない。質問した記者はいなかったのだろうか。聞いても教えてもらえなかったかもしれないが。
京都市のある京都府は2021年1月14日から緊急事態宣言が発出されており、当初は2月7日までの予定だったが、これは3月7日まで延期されている。この通りであれば、緊急事態宣言中又は解除後直ちに海外から参加者が来日して国際会議が開催されるということになる。最近の動きとして大阪府は今月いっぱいでの解除を国に要請するとしており、これは京都府と兵庫県と共同で行うとされる。2月末で宣言が解除されるなら、コロナ禍とはいえ多少は外国人を受け入れやすくなるかもしれない。知らんけど。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a5de3859992756a99bd0d6c10b591fbd0d43da4
国際会議といえば、議長国主催のレセプションは付き物である。というか、基本的には国際儀礼としてあるものである。日本では、ここぞとばかりに和食をアピールしたり、レセプションの合間には和をイメージした出し物(和太鼓演奏などのアトラクション)を披露するのが常であるが、会食したり、アトラクションを見て一堂に盛り上がるのは感染リスクが高い行為である。まず、立食形式で実施するのは難しいだろう。どのように開催されるのか、あるいはされないのか。
なお、公式ホームページの食事会のページでは、「現在調整中」とされる。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/programme/dinners.html
そのほか、おもてなしとして、生花や琴の演奏、お茶が楽しめるらしい。
(外国から10カ国しか来日する見込みがないのに、和をこんなに推して意味があるのだろうか、とは言ってはいけないんだろう。)
おそらくこの点が一番問われるのではないか。そもそも国連の会議であるのだから、本来は国連に加盟しているすべての国が代表団を参加させるところ、10カ国しか来日しないとされている。つまり、ほとんどの国は来日せずにオンラインで参加する。法務大臣の記者会見より。「京都コングレスは,オンライン・テレビ会議システムを活用して,来場参加とオンライン参加を組み合わせたハイブリッド方式で開催されます。」
来場参加にこだわる理由は不明だが、安全に来日できるなら、来場してもらうに越したことはないだろうが、緊急事態宣言が発出されていることが見込まれる期間であることを考慮すると、適切なのだろうかという疑問は沸く。
コロナによる感染がもっと落ち着いてから、あるいは国内外にワクチンが行き届いてからではいけないのか。Wikipediaより。「国連犯罪防止刑事司法会議(通称コングレス)は、5年ごとに開催される犯罪防止・刑事司法分野における国際会議。」
5年ごとの開催が決まっているのかもしれないが、もともと2020年開催だったのが、すでに2021年になっているので、どこまで厳格なものなのだろうか。
Yahoo!ニュースより。「「持続可能な開発のための2030アジェンダ(行動計画)」を国連が採択してから初の開催となり、刑事司法分野で各国の行動指針となる「京都宣言」を採択する。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/432989814f111f621a42713b7fdc0b28ebfae08d
法務大臣の記者会見より。「京都コングレスの開会式は,3月7日に行われ,その後のハイレベルセグメントで,京都コングレスの成果文書となる「京都宣言」が採択されるとともに,国連事務総長や各国代表によるステートメントなどが予定されています。
京都コングレスでは,このような全体会合のみならず,ワークショップやサイドイベントが開催され,犯罪と戦うための国際協調,官民連携による再犯防止の取組のほか,コロナ禍の影響がとりわけ深刻な途上国の刑事司法機関への支援,コロナ禍が世界の刑事司法に与えた影響やこれへの対処策などについて,一層踏み込んだ議論が行われます。」
つまり、今後の刑事司法分野において国連加盟国が採ることが期待される指針が京都の名を冠する宣言には盛り込まれ、それを日本から発信する名誉が残る、と言える。会議中には刑事司法の実務者による研究会なども行われ、テーマごとに各国の最新の取り組みが議論される。
来場参加もできるかもしれないけど、PCR検査の事前受検などが求められたりハードルが高そう。
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/participants_info/countermeasure.html
あと、国際会議なので、来場参加等するためにはおそらく事前の登録が必要だと思われるが、公式ホームページには特段の記載がない(だめでは?)。国連の事務局のページを確認したところ、以下から登録ができるのではないかと思われる(英文)
https://indico.un.org/event/1000070/
http://www.moj.go.jp/KYOTOCONGRESS2020/participants_info/portal_site.html
2週間後に日本国内で開催され、コロナ禍でかつ緊急事態宣言が発出されている中での外国人の来場も見込まれる国際会議なのに、あまり注目されてないようなので気になって調べてみました。いかがでしたか?
タイトルのままだ
高校生2年からずっと、男子のすけべな二次創作をやってて、表現規制反対とか言ってたのに、
いつの間にか29になって、周りが結婚して、私は所謂喪女で、気がつくと女性向け二次創作をやりながら
正直自分でも理解できないので、ここに書いて自分が何をしたいのかなんでこうなったのか
自分でわかりたいと思う
これはおそらく後々大事になるので先に言っておくが、
私は客観的にみて、褒められた容姿ではないし体重も平均より重い
でも、小学生の頃はそれに気が付いていなかった
私の場合は絵がうまかったから、特にいじめに遭うとかはなかったし
褒めてくれて、私は自分がオタクであるとかそんなことも思ってなかったし
ブサイクであるとかデブであるとかそんなこともわかっていなかった
だから積極的にクラス行事に参加したし、「ちょっと男子〜」って感じの子だった
今思えば、そいつが悪いんだけど(本当にキモくても人にキモイとか言ってはいけない)
私は、なぜかそいつに謝った
それによって何かが始まってしまった
多分「拗らせ」みたいなものだと思うけど、うまく言えない
それから、私は「本心じゃないことを口に出して心で文句を言う」ことが異常に増えた
そして同時に容姿のコンプレックスも増えていき、恋愛に対するコンプレックスも出てくる
クラスメイトに彼氏ができた、と聞くたびに「恋愛とか興味ありませんけど」って顔をしながら
ナルトのサクラちゃんをネットでディスってサスナル本を書いていた(どうでもいいけど当時のブログが消せなくて困っている)
今思うと、男女の恋愛を女を排除した世界のイケメンで再現してただけだ
そうやって性欲を発散してた 商業BLにあまりハマらなかった理由も多分それで
当時流行ってたBL作品て、「男同士なのに…」みたいな葛藤があったりして結構俯瞰で見る感じのが多かったんだけど
多分私は、受けに感情移入して男女の恋愛の真似事をしたかっただけなのだ
これまでことは総じて自己防衛だ
「誰かにとってキモい私」「恋愛ができない私」「ブサイクな私」
これらを認められないし、開き直れないから、
私はブサイクなんじゃなくて化粧してないだけ
これらはどんどん肥大化していって私の本心みたいに居座るようになった
それをどうにか打ち消していた
私が恋愛できないのは見た目重視な世の中のせい
でも私はほんとはブサイクじゃない
すっぴんは私とそんなに変わらない
え?じゃあメイクしたらいいじゃん?
大体、男なんてみんな顔しか見てないし
(無限ループ)
今ならわかるけど、これ、全部「無」だよね
だって別に太ってることとかブサイクなことは改善しようとしてもしなくても
私が怒っていいのは馬鹿にされた時で、私の代わりにかわいい子や痩せてる子が
選ばれた時ではない
かわいそうであれば救われる気がしたんだと思う
まあ、そんな最悪のタイミングで大学生になり、出会ってしまったのがフェミニズムだった
「本当に存在する女性差別」ほど当時の私を救ってくれるものはなかった
講義で生きづらさを発言すれば褒められたし、イベントに足を運ぶと、誰もが私の味方をしてくれた
それに何より、私の生きづらさは私のせいではなかったんだ、という実感が最高だった
私はフェミニズムに没頭した
少しでも違和感を感じると、自分に都合の良い解釈やデータを探して必死に自分を納得させ、
「男のせいで生きづらいし、男がそれに気がつかない社会のせいで生きづらい」
でも外での振る舞いは変わらなかった
大学を卒業し就職しても、相変わらず文句は心の中で(またはフェミニズム垢で)言うのみだったし
なんとなく「男なんかにわかってもらっては困る」と思っていた
だから専門用語を連発してネットで男性やそれを支持する女性に噛みついていた
もちろんその中には社会によってどうしようもなく困っている女性や
酷い男性の話題もあって、それらは今も私は救われるべきで救いたいと言う気持ちがある
でも次第に、ツイッター上のフェミニストの言い方に違和感を覚え出した
彼女ら(彼ら)は、困っている人や現場のことを使って男性を責めたり自分を守っていないだろうか?と
思い始めた
例えば、「このアニメによってこういう被害が生まれる可能性があるからこういうゾーニングしませんか?」じゃなくて
「こんなものを好む男がたくさんいる国最悪」「キモオタってほんとこういうの好きだよね」みたいな感じ
あんまりうまく言えないけど、それを自分や仲間が繰り返すうちになんとなくの違和感がだんだん気持ち悪さとして迫ってきた
多分、高見千歌ちゃんのスカートにクレームしたあたりから…自分が大人になったからかもしれないし、
恋愛経験ないオタクの女がポジティブに生きるのを肯定するコンテンツが増えたからからかもしれない
でもそれが自分たちが文句言った功績とは思えないし、ちゃんと思ったこと言って生きてみたら意外と楽しかった
みたいなことであって…私、勝手に黙ってた(黙らされてると思ってた)だけじゃない?って思うようになっていった
でもそれをフェミニスト友達に相談したら「黙らされてるという刷り込み自体が男社会からの重圧なんだよ」という趣旨のことを言われて
その時は納得してしまった
ここがヤバいところの一つなんだけど、大袈裟ではなく自分以外のもので、自分が嫌いなものに辿り着くまで思考がやめられなくなる
ただちょっとキモいなって感じたイラストとかが「私は嫌いだな」で終わらせられない
「私が嫌いと感じるということはジャンダー的な欠点が必ずあるはずだ」って本気で思ってたし、
「私がただ嫌いなだけで表現を叩くわけないだろ!」って本気で思ってた
論破されても関係なかった だって「問題がないと感じてしまう感性を作ったのは悪い社会」だから
どんな論理があっても前提として不快だと思えないこと自体が、擁護派も被害者である、とそう思ってた
そしていつも最終的に「こんな変な人がたくさんいる社会、私が生き辛いのも当然だ」で落ち着く
でもジャニーズを見てかわいいって言ったし、雄っぱいばっかり描いた
その時点でお察しなんだけど、
いや、絵柄が嫌いというより、それを見て楽しんでる男がキモくて、
なんなら気づいた後もしばらく、「キモい男が悪いじゃん」って思っていたし、
いつの間にか中学の時私をキモいって言ったやつと同じことしてた
まじで地獄だと思った(前者はやめてしまったけど、後者の子にはここに書く許可を取った)
両方ともまとめられてるので知らない人は見てみてほしい
恥ずかしい話だが、若者と、それを叩くフェミニストによって目が覚めた
彼女らは女子とか子供とかそんなことを問題とせず自分の意思を持っていたのに
フェミニストから投げられた言葉は「名誉男性」だとか「ネカマ」だとかどう考えても
って言って返ってきたのは「え、ミソジニストの味方すんの?」
こんなのただの戦争だ、自分が何をしたかったのかわからなくなって
突然反省した
「怒らなきゃ男はわからないでしょ」って今までいわれて納得してたのがなんか恥ずかしくなった
なんにもしてない人を怒鳴りつけてて、今まで正義の鉄拳だと思ってたのは暴力だったし、正論だと思ってたのは暴言だったのだ
私はその日のうちにログアウトした
誤解が無いように言っておくと、私はフェミニズムを学んだことを後悔しているとか、女性の地位向上を否定しているとかではない
少なくとも私にとって過激なフェミニズムは自分を守り他者を傷つけることにしか機能しなかったし、
地位向上ではなく、他者の思想を縛り付けるものになってしまっている傾向が見られ、それは突き詰めると自分のコンプレックスを
私たちは自由だし、何をしてもいい、なりたい姿でいることは素晴らしいし、
だけどその個性を一人一人が好むかどうかは決められない
世の中には、自己責任とそうでないことが両方あって
私が全部悪いわけではなくても私が悪いこともある
そういう当たり前のことに長い間気がつけずにいたのは苦しかった
自分のわがままによって罵ってしまった男性や嫉妬によって叩いてしまった女性と
キャラクターに謝りたい
これを男性嫌悪とフェミニズムを一緒にするなという方がたくさんいるだろうが
私は本気で正義のフェミニズムだと思っていたし、これが男性嫌悪であるわけがないと
何かをこじつけて生きてきた
だからあえて今回はフェミ二スト、ツイフェミって言葉を使いました
多分これを読んで男がフェミニストの真似してるとかいう人もいると思う
私もこういうのを読むと毎回思っていた
「また男が私の邪魔をしている」って
せっかく気がつけたからっ書いておいた
お気持ち長文ごめんなさい
1位 言っちゃいけないとはわかってるが、お前がもし男だったら…とたまに教授と話してる
norinorisan42 一位、言ってはいけない言葉だとわかっている人が言ってしまわざるを得ない程、大学で女性が研究する環境が整っておらず、現場の人が男女問わず苦労しなければならない事だよなと/個別の人の差別意識の問題ではない
問題は「大学で女性が研究する環境が整っておらず、現場の人が男女問わず苦労しなければならない事」ではないのか?
それに対して、「お前がもし男だったら」と言ってしまうのは、
つまり、根本的な問題を無視して(解決不可能なものとして放棄して)、「増田が男に生まれれば問題はなかった」とするのは差別意識の問題じゃないのか?
「増田がもし男だったら」なんて22年だか24年だが巻き戻して精子と卵子の接合からやり直したって不可能な仮定だぞ。どうせ不可能な仮定なら「大学で女性が研究する環境を整ってれば良かった」じゃダメなのか?
リベラルちっくに言えば『差別構造を無意識に肯定している』だ。それは個人の意識の問題だろう。個人的には、そのような個人の意識まで「差別的だ」と責め立てるような風潮には賛同できないが。
少なくとも「お前がもし男だったら……」は「言ってはならない言葉だが、言っても仕方がない言葉」ではないだろう。他人のアイデンティティを目の前で軽視・否定したんだぞ。それは仕方ない行為じゃない。無礼だ。
今回の社会学バッシング騒動を落として、日本国内の社会学村という村社会の中で社内政治か派閥政治か学閥政治のような環境がありある程度は腐敗しているのではないか?
というところまではなんとなく外側から窺い知ることができた。
現代の正しさは
・人に迷惑をかけるな
・他人を変えようとするな
「コーヒーいる?」と聞かれたら「ありがとう。要らない。今後も一切聞かなくていいよ」と答えるのが正しさだし、「コーヒーいる?」と聞いて相手から感謝の言葉が出てこなければ、次から二度とコーヒーを入れないことで感謝されない不満を解消するのが正しさだ。間違っても「コーヒーいるか聞いてあげたんだからお礼ぐらい言えよ!」などと言ってはいけない。不満を感じても、他人を変えようとするのではなく自分の行動を変えるのが正しさだ。そして、間違った人間とは「距離を置く」ことで正しい世界に生きる。寛容、不干渉が正義である。
しかし、子育ての場面ではこの現代的正しさは通用しない。「カルピス飲む?」と聞いて、お礼も言えない子供だからといって距離を置くのは正しさではない。子育てにおいては、子供という他人を変えようとしなくてはいけない。何度でも「カルピス飲む?」と聞かなければならないし、その都度お礼を言うように注意しなくてはならない。善意に対して感謝されない不満も、他人を変えようとするという骨が折れる手段で解消しなくてはならない。
周知の通り、他人を変えようとするのは物凄く骨が折れる。三つ子の魂百までというように、子供だからと言って簡単なわけではない。
ドラマの中では大勢の役者がマスクをかけずに集まり、喋っていたからだ。
一般市民は不要不急の外出を控えるように言われ、家の外では常にマスクをかけ、食事のときにもかけるようにとまで言われ、時差出勤だ在宅勤務だリモート会議だと言われている。帰省したいのに出来ない、見舞いに行きたいのに行けないなどという思いをした人も多いだろう。
飲食店は槍玉にあげられ、座席数を減らし、検温や消毒などの対応をしてもまだ時短営業を要請されている。
それなのにドラマの中では……だ。
「役者がコロナに感染」というニュースがあっても「でしょうね」としか思えなくなった。
申し訳程度のアクリル板を置くだけでマスクをかけずに喋る喋る。
あるテレビ局のニュース番組でキャスターがマスクをかけて出演すると絶賛されていたが、違和感しかない。
そこらへんの会社が「これからはマスクをかけて仕事をします」なんて言ったら「今まで何をしていたんだ」と袋叩きの目に遭うだろう。
また、あるバラエティ番組で放送された映像によると、街で知り合いに会った芸能人はマスクを外して挨拶をしていた。
マスクをかけずスタジオに集まって政策がどうだという話に花を咲かせる人たち。
テレビ業界は「規制せずにいてくれてありがとうございます」「感染拡大の一端を担って申し訳ございませんでした」と言うべきであって、「感染拡大が止まらないのは政府のせい」などとは決して言ってはいけない。
医者が医療の話を ドイツ語か英語で ドイツのサイトやアメリカのサイトでディスカッションするように
IT業界がITの話を 英語でアメリカのサイトでするのは間違っていないし 相手が 日系なら 日本語を使うことがある
どこかに 間違いの要素が入るか? どこに間違える可能性があるのだろう たとえば 医療で日本は世界1か?
最先端の医療を話す場合で こちらが 大学卒である以上 公用語は英語になるとおもうのだが なにかまちがえているか?
逆に アメリカで序破急を説明する場合に なぜ 序破急と言ってはいけないのか?ふつう 日本演劇なら 相手がアメリカ系でも 日本語が使えるなら 序破急というよなぁ 翻訳するほうが 相手に失礼
これは言っちゃいけない、思ってもいけないことだけど、どうしても頭にあってモヤモヤするのでここで吐き出させて下さい。
団塊の世代が2025年には75歳以上の後期高齢者になります。
そこから15年でそのほとんどが死んでしまう、多死社会が来ることは確定してます。
しかも突然死ぬのではなく、だんだん弱って寝たきりになったり、ボケて徘徊して電車止めたり、アクセルとブレーキ踏み間違えて人を死なせたりするようになるんです。
正直言って、その時代を支え切る自信がありません。
若者は死なず高齢者だけが死ぬ都合のいいウィルスで、少しでも前倒しで今のうちに数を減らせたら……
そんな危険な妄想を具現化したようなウィルスが今猛威を奮ってます。
現場で命を守るために奮闘している医療者の方々に申し訳ないけれど、若い世代の重症化や後遺症を防ぐことにリソース全振りして、若い人にとっては本当に「ただの風邪」になるようにしてくれないかなあと思ってしまいます。
コロナで死ぬ人やその家族のことを考えたらこんなことを言ってはいけないのはわかってますが、この先必ずやってくる困難な時代を思うと、どうしてもこういう考えが消えません。
先輩後輩Jr.グループのファンをしてきたり、今でも緩く推したりはしているが1番好きなのはSexy Zoneである。これからもずっとそうだと思っていた。
しかし今回の彼の体調不良には強い衝撃を受けた。聡ちゃんのときはまだSZの沼に入りたてで、何が何だかよくわからなかったが、この1年9ヶ月で自担菊池風磨くん以外の4人の魅力をたくさん知って、5人のこと、Sexy Zoneが大好きになった。
まだ少年のうちに経験が少ないままデビューしてアイドルとしての将来を約束された彼らが通ってきた道は(比べるものでもないが)他のどのグループよりも険しかったと思う。その苦労がよくわかるから絶対彼らには報われてほしい。長く嵐のファンだったがあのような国民的グループにSexy Zoneなら絶対になれると私は思っている。どのメンバーも真面目でファンのことを考えて仕事をしている。すでに多くの名曲に恵まれているしまだ若くて未来がある。
だから、10周年目を5人で迎えることができて本当に嬉しかったのだ。今年はSexy時代が来たんじゃないかって声もあったし音楽ファンの方にアルバムを認めていただいたり。シングルの売上も格段に良くなった。思えば紅白に呼ばれなかった時も私は大きなショックを受けたのだ、それでもこんなに愛に溢れたグループは他にないんじゃないかっていうくらいSexy Zoneは素晴らしいグループで絶対に凄まじいSexy時代の始まりを感じさせるような10周年を彼らに迎えさせてあげようと意気込んでいた。
私も普通の学生生活しかしていないしメンタルは弱くない方であるけれど精神的な原因で息ができなくなることがよくある。だから、彼のような性格で仕事に勉強にどちらも一生懸命な生活をしていたら体調を崩すのはとても自然だ。予想できなかったことじゃない。私も彼らもこれから5人で……と気負いすぎたのかもしれない。それでもきっと彼らはこれからも前を向いて今できる最善のことを模索し続けて私たちに届けようとしてくれるんだろうな。
ROTを見てそう感じた。
怖かった。
なんでこんなにこのグループには試練が訪れるのだろう。表舞台に出なくても5人がそれぞれ幸せでいてくれるなら売れなくてもなんでも何も不満はない。ただ、それすら叶わないんじゃないかって。彼らがいくらお互いを思って頑張れば頑張っても報われないんじゃないか。なにかが壊れていってしまうんじゃないかって。そんな想像をしてしまう自分がいた。5人がバラバラになることは絶対にないと思う。でもバラバラにされることがまたあるような良からぬ考えばかり頭を埋めてしまって。
読んで気を悪くした方がいたら申し訳ない。ただこんな考えを今不安の中にいるファンにとても直接言ってはいけないと思ったから。
関東から南米ハーフの半黒人のやつが入ってきたんだが、俺もクラスメイトも彼にチョコボールだのクロンボだの、直球の差別用語を投げつけてた
ただ、あのケースに関しては彼にも非がある
彼はメチャクチャ攻撃的な性格をしていて、かつ的確に人を傷つける悪口が言え、力も強かった
そもそもクッソ荒れてて暴力がモノを言う世界だった公立田舎小学校において、彼は間違いなく最強ユニットだった
それまで最強格だったやつらに瞬間的に並び立ち、俺みたいな雑魚はボコボコにされた
当時俺はデブだったので、鬼のようにデブデブ言われた 軽度知的障害のクラスメイトは、本名を絶妙にマヌケな響きにもじったあだ名で呼ばれまくっていた
そういうところで唯一俺たちがやつにダメージを与えられるのがクロンボ攻撃だったんだよな
俺も相当傷付けられていたので、やつを少しでも傷付け返したいというプリミティブな感情があった
こう書くとちょっと仲がいいようにも見えるが、当時はガチで嫌いだった
でも高校の時に駅前の本屋でばったり出くわしたときは結構友好的に喋れたんだよな 学校どう?とか言ってさ
まあ、ガキってクソだよなあ
差別はやめろ、人種差別的な悪口だけは言ってはいけないなんて散々言われたら、オッそこが弱点か!って思っちゃうんだよ
彼には悪いことをしたと思う
でも俺も彼にかなり自尊心を折られたのは間違いない
ガキってクソだ、ってことだよ、やっぱ
大学生になってもなおきょうだいゲンカの時にブチギレて「死ね!!」と言ってしまう。今日も言ってしまった。
今回のケンカは私が廊下に置いていた荷物を私がいない時に部屋に入られて置かれてたことに起因する。
自分だって廊下に荷物置いてある時あるだろ!!ってのと、人がいない時に部屋に入るな!!ってのと、文句があるなら人がいる時にコミュニケーションをはかれよ!!っていう怒り。(うちの家族は何事に対してもコミュニケーションを取ろうと言う気がない人ばかりなのでムカつく)私はその怒りを主張するけど向こうも自分に非がないと思っているので猛攻撃してくる。
で、私も大いにムカついて怒りが沸騰する感じになって、「死ね!!!」と言ってしまった。
あーあ。色んな本読んだり鉄とビタミンのサプリ飲んだり瞑想したりジャーナリングしたりいろいろ工夫してるつもりなんだがまーたやってしまった。だが相手に対する怒りも消えない。
でも「死ね!!」と言った場合、客観的に見て完全に私が悪者になるし、言われた側も嫌な気分になるだろうことはわかる。幸か不幸か一応言った後に私も罪悪感を感じる。それに何より「死ね!!」と言った後もし本当にきょうだいが死んだら私は深い後悔に苛まれるだろう。「死ね!!」は言ってしまったら最後、不可逆。だからどうしても「死ね!!」は言ってはいけないのだ。わかっている。わかっているのにどうしても口をついてしまう。
風船が破裂する感じでパーーーンって口をついてる。