はてなキーワード: 言ってはいけないとは
気を遣おうとしても気が遣えてない。気づけない。ちょっとずれてるといわれる。
「自分がされて嫌なことはしない」「自分がされてうれしいことは相手の反応をみつつ行う」だけはしているので、表立って嫌われたりまではいかないけど、「変わってる」「マイペース」と言われる。好意的に見てくれる人は、面白い、と言ってくれる。
EQの検査をしたら、4項目あるうち「感情の認識」(自分や他者の感情を的確に把握する能力)だけが低かった。
言っていいことと言ってはいけないことがわからないので、めちゃくちゃ無難な事しか言えない。
普通の人間になりたいとずっと思って生きてきて、見た目も、仕事も、勉強も、頑張ってきたけれど、いまだにそれだけが治らない。
目の前の人がどんな人なのか、何で喜ぶのか、何が嫌がるのか、わからない。
考えてもわからないし、相手の事を知ろうと下手なことを言って無自覚に失礼な事も言えない。
本気で治したい。こういう悩みを持っている人、治せた方がいたら教えてほしい。
今は生活保護を受けながら安売り弁当買ってショッピングモールのフードコートで一人で食べてる挙動不審の小太りの中年女
それが自分です
15年働いてた
他人が普通にできる仕事が全くままならず同期が全員役職ついて後輩が上司になったところでさすがに耐えられなくなり一丁前にメンタル崩壊した
結局見た目が健常者っぽく見えるだけのボーダー人間だったということが分かっただけの15年だった
ヒラとはいえ最後の方は一応年収600万あったけどお金の計算ができなくて結局1円も貯金が出来なかった
働き続ける分には生きていける目算だったから制度の類も知ろうとしなかった
もう親いません
化粧頑張ったところでデブなので化粧頑張ってるデブにしかならなかったです
自分の知能では食事回数自体を減らすダイエットしか出来なくて(運動続かない、代替系だと結局食欲の制御ができない)
一時的にはガリガリに痩せましたが髪が抜けまくって肌が死んで最終的に鬼リバウンドした
お金がないです
子供の頃から場の空気が読めず言ってはいけないことを言って場を凍りつかせてしまうアスペ女だったので多分無理です
あとメンタルぶっ壊したときについでのように極度の潔癖症もこじらせてしまいました
デブでも一定以上に行くと一周回ってぽちゃ専デブ専に需要が出てくるみたいだけど
自分は胸には肉が行かずデブのくせに貧乳とかいうクソ残念なただの小太りです
「地雷女専門」を謳ってるという風俗店のサイトも見てみたけど小太り以上の人はちゃんと胸にも肉がついていて自分の目線では「需要のある」女性だらけでした
ド正論です
返す言葉もないです
どうしたらいいんでしょうか
JRの車椅子乗車拒否の記事を見て、内容的にはあまり関係ないが思うことがあった。
私が入学した高校の1年生のクラス、出席番号後ろの子が車椅子ユーザーだった。先生からはその子の身体障害についての説明と、高校生活での関わり方をクラス全員に話された。
その子にはヘルパーさんが付いており着替えやトイレの補助はヘルパーさんがしてくれる。だか常にヘルパーさんがいる訳ではなく、移動教室などは生徒が手伝う必要があった。
入学して1週間後、クラス内のグループもある程度できた頃、先生に移動教室の補助を手伝うよう言われた。出席番号が前後で授業で関わることも多かったからだろう。グループの友達2人も着いてきてくれて、4人で話しながら移動教室へと向かった。
それから自然とヘルパーさんのいない時の手伝い=私となった。最初のうちは嫌でもなく、むしろ他の生徒とは違う選ばれた私、のように愚かにも優越感を抱いたりしていた。しかし、それも1ヶ月、2ヶ月、半年と続いていくと次第に疲れというか面倒くささが湧いてくるようになった。初めは一緒に居てくれた友達も、「先行っとくね」と言うようになった。移動教室にはエレベーターを使うのだが、東棟の奥にしかないため移動に時間がかかるのだ。予習や課題を授業前に慌ててするタイプの友達にとっては煩わしい時間だっただろう。もちろん私だってそういった時間が欲しかったが、他の子に頼もうにも厄介者を押し付けるようで気まずかった。その子は私以外にあまり話す人がいなかったのも一因ではあるが。
担任との面談の機会も何回かあったが、その子の補助係については何も触れられなかった。大変だね、ともいつもありがとう、とも。逆にそう言う事でその子を差別している事になると思ったのだろうか。そういえば担任は、健常者が障害者を補うことが当たり前になって欲しいと入学当初語っていた。私がその子の補助をすることを、喜んでまでとはいかないが、まさか嫌がっては無いだろうと思っていたのだろう。面談で補助係嫌です。疲れました。と言えたらよかった。言えなかった。言ったら差別になるから?不親切不道徳?わからないけど、他者からの評価は悪くなるだろうという事は悪い頭なりに理解していた。別の日に、周りの子に手伝い大変だね、と言われたことがあった。そこでもそうなの!本当はやりたくないのに押し付けられてるの!と言ってはいけないこともわかっていた。愚痴る事すら憚られた。相手が社会的弱者でこっちは強者だから。
私の高校は3年間クラス替えが無かったので、結局私の補助係は3年続いた。
文化祭で、3年生は体育館で出し物をするという伝統があった。私たちのクラスはダンスがしたいという話になった。しかし、出し物は全員参加のため、ダンスだと車椅子の子が参加出来ないという事で却下され、結局舞台劇をする事になった。
これには本人も申し訳なさそうにしていた。決してその子の存在が悪いんじゃない。けれど、結果としてその子がクラスの足枷になってしまった。
私だって移動教室の前に購買に駆け込んでパンを買いたかった。友達とだらだら話しながら歩きたかった。小テストの勉強をしたかった。高校のこともその子のことも嫌いではないが、どうしても私は3年間"貧乏くじ"を引かされたような気がしてならない。きっとその"貧乏くじ"を引くのは誰でもよかった。健常者なら。それが今の社会である。
最近は社会が"差別"に非常に敏感になっていると感じる。障害者差別、性差別、人種差別…etc 弱者側に目を向けるのはいい事だと思う。差別を無くそうとするのも。けれど、その差別に敏感になるあまり、"強者側"の権利が虐げられるのはどうなんだろうか。
(自分の書いた文を読んで思ったが、1番差別に囚われてたのは私かもしれない。思い切って補助係を断ってもよかったのかも。てへ)
追記 4/6
沢山の反応があってびっくりしてます。私は障害者の否定や差別がしたいわけじゃないです。ただ高校でこの様な経験があって、障害者の存在を疎ましく感じてしまったことも事実で、これ以上このような出来事が増えないといいなと思っています。綺麗事じゃない、経験した人にしかわからないことを伝えたくて書きました。今思うと高校かなりクソだな。学校のあり方社会のあり方個々人の意識を変えてかなくちゃならないよね〜〜
一つ訂正すると、その子は一応自分でも車椅子は漕げました。けど万一こけた時とかの為に誰かが傍にいる必要があったんです。坂道や段差もあるし。実際その子が漕ぐのと私が押すのは半々くらいだったかな、これについては私の書き方が悪かったです。その子が漕いでる時は周りからしたらよくある友達同士の移動中の風景に見えたかもね。。。
敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。
容姿や風貌に関しては客観的な指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。
身長157.5cm
体重37.1kg
BMI数値14.96
参考までに
身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg
日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。
以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。
しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。
酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。
幸い、月経は毎月きちんと続いている。
*
私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、
幼稚園児時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。
幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。
給食で出されたものがほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園児時代・小学生時代の私に昼休みなどなかった。
皆が昼休みを終え、教室の掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師が給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。
辛かった。
どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生からも怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。
中学校は弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。
食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーからの解放、他の人と同じように食事をとり、昼休みを満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。
ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまったからだ。
小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。
真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分で自分を律していた。
それなのに。
これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。
私はワガママを言うような子じゃなかったのに。
日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。
今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか。
「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?
もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか!
小学生の頃はそこまで考えが至らず、
今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。
ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。
苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。
さて。
中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。
朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。
間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドやサイゼリヤ、時には一蘭で替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…
今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。
それでも痩せ型なのは変わらなかった。
現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。
当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。
その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。
当時は「糖質制限ダイエット」なるものが流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質が体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯に納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。
結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。
当時何より悲しかったのが、内科のかかりつけ医が私の体型、体重を見かねて
「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、
時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんとご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。
冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。
母はちゃんとガッツリとご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。
これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。
今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである。
*
大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。
冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロ台しかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?
家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。
前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である。
たしかに生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気のリスクはあるのに。
現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。
*
私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。
はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。
ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。
しかし、太っている人には
「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般の道徳観念があるにもかかわらず、
痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、
好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、
そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言。
このような感情で書き連ねたといったところかと思う。
世の中にはダイエットの情報や商品、摂食障害にまつわるあらゆる研究、考察が流布されているが、
もちろんTwitterで検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくまで当事者だけだ。
正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。
私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分は自分」と、割り切ることができるようになった。
自分のことを認めてあげられるようになった。
上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。
ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。
しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。
現在、平日フルタイムで仕事をしているが、こんな状態でちゃんとやっていけるのか?と不安な気持ちは拭えない。
BL同人がネタにされて同人作者からお気持ちされて話題になりましたね。
これは晒しだ、クローズドでセンシティブである同人をネタにしたのだから問題なのだというふうになっていますが、これはただたんに作者にとって不快、要するにネタとして扱ってほしくないという単純明快な話だと思います。
現在だと男性から見てセクシーな女性に対してセクシーだよねというのはご法度ですし、頭が薄い人に対して面と向かってハゲというのもご法度です。アウティングもご法度。相手の気持ちを踏みにじる行為は今後さらに自分自身を痛めつける行為となってしまうでしょう。
そして今回の話題で新しい問題提起になりそうだなと私が思っているのは、「作者にとって不快」であることが今後どんどん発信されていき、バクマンで面白い漫画の特徴の一つとして挙げられていたシリアスな笑いが終わりへと近づいていくだろうということです。
読者にとってネタとして面白く、それをネタとして公に発信してしまった場合、そのネタが作者にとって解釈違いだった場合にそれが問題となりうる時代が来ているのでは?ということです。
少年漫画を例として挙げましたが、実際のところBLでも男性用の成人向けでも18禁の漫画はシリアスな笑いを内包している作品が多いです。
大体の漫画がまぐわうことを軸としているので、展開が強引になりやすくそこがネタとして読者は受け取ってしまうことが多くなってしまいます。
クリムゾン先生の作品がビクビクしまくっているだとか、そこをネタにしてこれ面白いわwとかYouTubeやTwitterで言ってしまった場合、作者がそこを面白いとか言ってほしくないというお気持ちを表明したらもうそこをネタにすることは公の場合で不可能になる時代が来ることが予想されます。
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同人作者のTwitterではお金も入らないしというものもありましたが、果たして今回の問題はお金で解決できる問題なのでしょうか?
私はすべてお気持ちになると思っています。そして、今後二次創作はすべて作者のお気持ち次第になるのでは?と思っています。
二次創作の作者ではなく、二次創作元の作者のお気持ちが今後表明される時代が来る。そして作者が許容している場合のみ二次創作でお金を取ることが可能となる未来が来ると予想しています。
二次創作されてしまっている側の作者のお気持ちが一番になり、いわば自分の作品なのに作者には何にも還元されなく、ある意味転売されている今の二次創作システムが終りを迎えるということです。
私の作品でエロ漫画を描かないでください、勝手にゲイにしないでください。
「嫌だけど言ってはいけない」 これは違うな。「嫌『だから』言ってはいけない」と思ってるから言えないんだよ。「嫌なことをされた経験を言うと自分の価値が下がる」と思ってるから。そういう環境に身を置いている、そう思ってしまう環境に身を置いている現状があるからだろう。
逆に「嫌だから言う」という人は少なくないし(MeTooの勢いもまだあるし)、「嫌だと思ってないから言う」「ネタとしてオイシイから言う」なんて人もいるよね。これもそれぞれの環境が形成した考え方だろう。
作品の賛否や好みや個々人の思い入れとか見た人それぞれだろう。
テーマが大人になるならないとかメタい意味での責任がどうとかも
各々で咀嚼すればいいと思う。
っていうか普通にアウトでしょ。
「これぞエヴァ」「こういうのを読みたかった」だのブコメで煽るんじゃないよ。
同業者があんな目にあった中に作られたものであるってことをちょっと考えたら
「クソ」だ「クズ」だ「0点」とかは論外としても
「○ね」とか「○す」とか出てくるか?
だから作品の採点を甘くしろ、総監督はじめ制作陣に優しくしろっていうんじゃない。
大人とか子ども以前に人間として、人間に、人間が命とか時間とかリソース削って作ったものに対して
言っていい言葉と言ってはいけない言葉があることぐらい想像しろよ、できるだろって話だよ。
んで、あの事件経てそれが想像できないってどうかしてるぞ。煽ってるやつら込みでな。
壊れんだよ。分かれよ。
私はこれまで性被害にあったことはないと思っていた。陰部を触られるような痴漢や、レイプを受けたことがないからだ。
でも、最近Twitterで女性は大なり小なり性被害を受けているという文を見て、ふと自分のこれまでを振り返った。
お昼寝の時間、私の隣に眠りたがる男の子がいて、子供ながらに好かれていると気づいていた。
みんなが寝静まった頃、私は寝付けないでいた。もともとあまり寝ないたちで、昼寝の時間はいつも時間を持て余していた。その日もそうで、早くお昼寝が終わって、遊びの時間になるのを待っていた。
既に文字が読めた私は本を読むことが好きで、お昼寝前に読んでいた絵本の続きが読みたかった。
しかし、その日起きているのは私だけではなかった。
寝たフリをしていた私の布団を、隣に寝ていた男の子がめくったのだ。特に寒い日ではなかったので、私は気にしないで眠ったフリを続けた。
すると男の子は、私のズボンをパンツごと脱がせた。それには流石に驚いた。子どもながらに早熟な私は、みんなで乾布摩擦やお風呂やプールに入る時も、裸になることを恥ずかしがる子だった。
そして、子供が恥ずかしがるのはあまりよくないとも思っていた。周りの子供たちが恥ずかしがってる私を見て変なのと言ったり、大人が子供なんだから恥ずかしがらなくていいと言っていたからだ。
でも私は既に裸を見せることは恥ずかしいと知っていて、やらしいというのも理解していた。ちなみに、あまり信じてもらえないと思うが、既にオナニーもしていた。きっかけは分からないが、ちゃんと陰部を触ると気持ちがいいということを理解していたし、それを人に見られてはいけないとも知っていた。
だから私は男の子がパンツを脱がせてきたことに、3歳ながらかなり焦った。
さらに驚くことに、その男の子は、「君のお尻はかわいいね。ぼくのちんちん入れようね」と言って自分の陰部を押しつけてきた。
たぶんこれを見てる人はこの話を信じられない人が大半だと思う。3歳がそんなこと言うはずないと。私だってそう思う。
衝撃すぎて今でも忘れられないほど。
後々考えれば、あのセリフはその男の子が考えて言ったことではないだろう。たぶん、親がやっていたことを見て、真似したのだ。
男の子に陰部を押しつけられた私は、「やめて!」と言って男の子を押し除けた。触られて気持ちいいところをその子に触られたくなくて、仰向けから体勢を変えうつ伏せになった。
その男の子は私のお尻を触ってずっと可愛いね可愛いねと言っていた。
やめて!と何度も言っていると、周りの子が起き出して、うるさい!静かにしてと言い出した。
それで男の子は布団に戻った。
お昼寝が終わって、先生が戻ってくると周りの子が「増田がうるさいせいで眠れなかった」と先生に言った。先生から「なんでうるさくしたの?」と聞かれ、私はだってあの男の子がお尻を触ってくるから、と言おうとしたが、言えなかった。
裸やオナニーを人に見られると恥ずかしいと考えるようになっていた私は、誰かにお尻を触られたことや陰部を押しつけられたことも、ひとに言わない方がいいことなのではと思ったからだ。
この話は、今も誰にもしていない。
子供がやったこととして信じてもらえないだろうと言う気持ちと、未だにお尻を触られたことを口にするのが恥ずかしいと言う気持ちがあるからだ。
これ以外にもあった。
小1の頃、学童クラブの男の先生にスカートをめくられて「いちごパンツ笑」とからかわれた。
小4の頃、成長が早く胸も膨らんでいた私は、体育のとき「あいつは走ると胸が揺れるぜ」と言われ、走っているとき男子が横からいちいち見てきた。
小5の頃、好きだった男の子から「おまえマン毛もうボーボーだろ」と言われた。
中学の頃、同級生の男子がしょっちゅう胸に膝をぶつけてきた。毎回同じ子で、ぶつかるのは絶対胸だった。
同じ中学の頃、職場体験で老人施設に行くと、そこで職員たちが「若い女の子が入ってきた。おまえの嫁にしろよ」と1人の男性職員に言った。その後、私はその男性職員と2人だけで行動することになったが、ずっと周りから囃し立てられ、2人きりで車に乗ったとき、助手席に座らせられた私の前にある書類を取ると言って、私の太ももに手をついてきたこと、彼氏はいるかと聞かれたこと、俺と結婚するかと言われたこと、冗談でも嫌だった。自分も他のグループメンバーと一緒にいたくて、なんで自分だけがこの人と2人きりなんだと思っていたが、大人が子供に対して本気でそう思っているわけないと考えて、本気で嫌がったら笑われると誰にも嫌な気持ちを言えなかった。
高校生の頃、道ですれ違った知らない男子の集団に「Dカップ」と言われた。なんのことかと思っていると、他の女性を見ても「Cカップ」「Eカップ」と言っていて、どうやらすれ違う女性たちの胸のサイズを当てているようだった。しかも聞こえるくらいの大声で。
大学に入って、父親くらいの男性講師が突然背後から髪の毛を触ってきた。
「髪の色素薄いね、地毛?」と言っていた。「あの、やめてください」と言うと、「え、なに俺セクハラと思われてる?まさか。君らくらいなんて、子供みたいなもんだよ笑」と言っていた。
これら全ては誰にも言わなかったり、言っても「え〜男の子らしくて可愛いじゃん」「嘘でしょ笑」「考えすぎだよ」と言われたり、聞かないフリをされて無視された。
やっぱり考えすぎか、やっぱり話すのは恥ずかしい、男の子はやって仕方ないこと、そう思うようになって、それらの記憶は「大したことのないもの」になったし、ひとに話さない方がいいこと、隠すべきことになっていた。それでも何故か嫌な気持ちが消えなくて、ずっと頭に残っている。
あのTwitterを見てそう考える。
でもその一方で、性被害というには大したことなさすぎるよ笑レイプや漫画やテレビで見るような痴漢を受けたことないでしょ考えすぎ、というもう1人の自分の声も聞こえてくる。
そして、きっと世の中には、自分と同じように、嫌だけど言ってはいけない、そう思って口を閉じている人たちがいるのではないか、と思う。もし私が経験したことが性被害なら、いったい何人の女性が性被害を性被害と自覚していないのだろう。口を閉ざしているのだろう。嫌な気持ちを耐えているのだろうか。
ウマ娘感想増田に対して、ウマ娘が嫌いというコメントを書くのは全然問題ない。
ただ、そのウマ娘が嫌いというコメントにいちいち20以上のはてなスターを連投してるやべー人がいた。
気になってチェックしてみたところ
https://b.hatena.ne.jp/cozyweblife/
ただのヘイト発言にとどまらぬ積極的なヘイト活動を行っていた。
いちいちウマ娘に好意的なコメントをしてる人にメタブクマでヘイト発言を飛ばしまくるさまは、sから始まる名前を言ってはいけないあのお方と同じ。
あのsから始まる名前を言ってはいけないあのお方は凍結されたっぽいのでこれ同一人物かもしれんけど。
仮に別人なら今はてなにはかなりやべー人が同時に二人いることに。
ただ、sと同じ人なら絶対カラースターを配ってるはずなので、このひとは競馬好きで怒りっぽくて
スター20個連打しまくるくらい自己主張は激しいけど貧乏なんやろうな。
こわいなーとづまりすとこ。