はてなキーワード: 規則とは
コロナ禍でなし崩しに半同棲を始めてしばらく経つんだが、少なくとも俺には不満ないしこのまま結婚するんだろうなーって思ってた。でも彼女は全くそういうことを言わないし結婚を匂わせるようなことを言うと話を逸らされてしまう。で、ついに昨日風呂上がりに「もしかして別れるタイミング伺ってたりする?」と聞いてしまった。彼女は困ったなーって顔して「結婚する気がないわけではないし別れるつもりもない」と言いつつ煮え切らない。じゃあなんで?と聞いたら、「この話を聞いた上でよく考えてくれ」と言われた。
「結婚したら不妊じゃない限り子供産まなきゃいけないと思ってるけどほんとはいらない。でもお互いの両親が可哀想だし、あなた(俺)も可哀想だ。だから他の女の子を探す方がいい」という。彼女は子供欲しくないと言うのは知ってた。子供や赤ちゃんが好きではないと言ってたし、態度から薄々わかってたと言うのもある、店とかで見かける子供もちゃんとしてる子にだけにっこりするタイプだったからね。
俺もすごく子供好きってわけじゃないし別にいらないならいらないで全然いいんだけど、彼女は「嫌いじゃないなら子供を持つべき」。きっと子供が嫌いじゃないんなら自分の子は可愛いだろうし、家族がいるって楽しいだろうと言うんだよね。欲しい・欲しくないの理由について聞いたら、最初は通り一遍の理由だった。お金がかかるとか責任がとかこのご時世に生まれても可哀想……みたいな。もちろんそれも理解できるし異論はない。
でも大抵のことにはっきりした理由がある彼女が言い淀んでる感じがあるのが気になって、深夜まで起こしてぐだぐだ聞きまくったら、なんか俺も全然子供いらなくなってしまった。彼女はそれが嫌らしく、「全部友達とか親に話してみなよ、絶対別れろって言うよ。」と言われてしまった。まあなんとなくワガママに尽きるのはわかる。でも、ほんとに俺も嫌なんだよ。子供のためにも産まない方がいい、でも彼女の親も、俺の親も孫は普通に欲しいタイプ。彼女は割と育ちいい人だから、親からの期待もあるんだと思う。そういうの我慢して子供産むの?はっきり言えばめんどくせえなって所だから、一旦頭を整理してみる。
→彼女は偏頭痛持ちで、痛み止めが効くかどうか微妙なレベルの痛さすらあるらしく、たまにすごい顔して痛みに耐えてる。薬が飲めないのは辛いだろうし、つわりなんかも嫌だろうなと思う。
→感じなくていい痛みを感じたくないそうだ。確かに。無痛分娩はどう?と言ったら、「完全に痛みを消せるわけじゃないし、出産後の痛みもある」確かに。痛い思いしたくはないよなあ。
→べろべろば〜!みたいなああいう怪し方をするのが嫌なんだそうだ。確かに馬鹿らしい。俺はできるタイプだけど、彼女はそういうタイプじゃない。
④交友関係を変えるのが嫌
→彼女はアラサーだが独身の友人が多い(機会がないというより独身派が多いらしい)から、子持ちになって人間関係が変わってしまうのが嫌らしい。ママ友とかもあるしな。俺もこれは嫌だ。
⑤万が一可愛くなかった時困る
→顔とか容姿じゃなくて、こちらの気持ちの問題らしい。産んだら可愛いって言われるけど、普通に可愛くないこともあるだろうという。確かに。病気とかもあるかもしれないしね。俺が可愛がるよ!と言っても、俺もそこまで子供好きじゃないしお互い可愛くなかったら世話するのは嫌だろう。
→夜早く寝て朝早く起きるのが無理だそうだ。確かにな!嫌だよな。俺は自営、彼女は務めてるけど出社はフレックス。子供を育てるってなれば朝ちゃんと起きなきゃならないもんな。
⑦こういう細々した嫌さを他人に悟られるのが無理
→要するに、彼女はこういう不満を持っていることを他人に知られるのが嫌らしい。まともな大人の意見じゃないから、と何回か言われた。正直俺も理解できるし、別にバレないよと言ったけど、これ以上こういう不満を抱えて生きていくことが嫌なんだそうだ。彼女の言葉を借りるなら、彼女はまともな大人だから、余計にプレッシャーなんだろう。
ほんとはもっと色々あったけど、結局⑦がでかいんだろうな。痛い思いして友達減らして可愛くない子供を育てなきゃいけないとしても、彼女はいいママになると思うし。実際、俺は彼女に育ててもらったら幸せだと思うしな。ここまで書いたけど、やっぱり子供いらないよなあ。普通に2人で楽しく暮らしていきたいよ、親の期待とか老後が寂しいとか別に良くね?良くないんだろうな〜彼女からしたら………。
リチャードストールマンのハッカーの哲学は以下のようにまとめられます。
1. Playfulness and Cleverness: ハッカーの哲学は遊び心と巧妙さに根ざしています。何か難しいことを遊び心をもって行うことがハッキングとされています。
2. Exploration and Limits: ハッカーは可能性の限界を探求することを重視しています。新しいアイディアや方法を見つけ出すこと、あるいは既存のものを別の視点から探求することが含まれます。
3. Diverse Activities: ハッキングは単一の活動に限定されず、ソフトウェアの開発から実用的な冗談まで幅広い活動を含みます。MITなどでの活動やコンピュータに限らず、音楽や芸術の分野でもハッカーのアイディアが適用されることが強調されています。
4. Resistance to Silly Rules: ハッカーはしばしば制約や不必要な規則に対して抵抗し、その規則を巧妙に回避する方法を見つけることがあります。これは、自由な発想と巧妙なアプローチを重視する姿勢の一部です。
5. Misunderstanding and Security Breaking: 1980年頃のメディアの報道により、ハッキングは主にセキュリティの破壊行為として捉えられるようになりました。しかし、これはハッカーの多様な活動を無視したものであり、実際のハッカーの本質を誤解させるものです。記者や一般の人々に対して、セキュリティの破壊行為とハッキングを区別するために、"cracking"という用語を使い、それを行う人々を"crackers"と呼ぶことが提案されています。
俺は
鶏>豚>牛=魚
の順で好き。
情緒はフラットからやや朗らか寄りで安定。多少の浮沈はあるものの振れ幅はかなり小さい。
ユーモアが好きで、のべつ冗談を言っている(センスは別として)。
ちょっと短気なところもあるが、ムカッとしても表に出さないことを覚えた。
集中力が高く凝り性で、楽しいことを見つけるとのめりこみがち。
頑固で自分の考えを曲げないところがあるが、最近は折れることも覚えた。
良くも悪くも規則正しい習慣が好きで、習慣になったことはなるべく変えたくない。
ケンカはかなり後を引く。きのうケンカした相手がきょうサバサバした感じでいるとナンヤネンと思う。
というよりPocketpairの嫌いなところ
独り言。
ストアページを見ればわかるが
https://store.steampowered.com/app/1623730/Palworld/?curator_clanid=41648656
デザインが似ていることはしぶしぶだがかまわない。
現在あるものや過去のものも模倣、インスパイアされて新たに生み出されていると思うから。
しかし似たようなかわいい世界観ということを表現させているのだから、
銃というどうやったって血や死をイメージさせるものを持たせる事は、
もととなったと予想するポケモンに対するイメージを壊す中学生的な悪ふざけが過ぎると思う。
キャラクターを大切にしておらずおもちゃや道具のように扱う様は、
GTAのMODで主人公を人気キャラクターに変えたりする物などがあるが、
面白いことでもなぜ公式でやらずアングラな方法になっているかを考えていないとしか思えない。
目ただないような場でやるべきだと思う。
パクリを隠そうともせず金儲けしたいという思いがとても不愉快だった。下品に感じる。
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/190906a
パクリゲームの数が一定の閾値を超えるとそれが「ジャンル」となり、
と発言していて法律やルールを重んじるような発言をしているが、
JPモルガンの在籍時に副業が駄目なのにSTORYS.JPを立ち上げたと発言していたり、
一貫性もなく自身で善悪を考えていない事もわかりどうかと思う。
前作のクラフトピアでもベルトコンベアで牛をベルトコンベアで鍋に放り込むムービーが出てくる。
https://store.steampowered.com/app/1307550/Craftopia/
面白いと感じたのだろうがバグや意図せず発生したことならともかくわかっていたことは明らかなので
あとnoteの内容が
「アニメを倍速視聴してはいけない」みたいな思い込みがあるの?
まるで異世界のやられ役モブが「詠唱は神聖なので破棄したらそもそも魔法が成立しないはずだろwww」と勘違いしているかのごとくか?
等速で見なければいけない規則なんてない。
倍速視聴をコスパ最強とイキる奴はアホだが、等速だけが正しい視聴だと信じて「遅すぎてつまらん」と文句を言うのは人生下手くそ検定黒帯。
濃すぎる酒は薄めればいい。
薄すぎる酒は足せばいい。
その自由を自覚して、自分の意志で調整した濃度に対して「やり過ぎたかな……でも今日の気分にはこれが丁度いいのさ」なんて強がって見せる。
あまり反響を得られたことはないけれど、それでも多少はブクマを得られたりしている。
そこでブクマが10個付く度に、私は猫にちゅーるをあげることにした。
そうして何度かちゅーるをあげていると、うちの猫はなかなか賢いようでこの規則性に気づいたようだ。
すると猫はそわそわし始め、じっとモニターを見つめる。
ブクマが10になると猫は「にゃーにゃー」鳴きはじめ、私はちゅーるを差し出す。
この前なんかは20ブクマもついたものだから猫も興奮し、ちゅーる二つを取りに行ったら切らしていたので手ぶらで戻ると足首をガブっと噛まれた。
そのあとすぐ買いに行ったので事なきを得たのだけど、とにかくうちの猫は賢いようだ。
最近乳首の開発が昨今の生成AIと同じくらいのスピード感で進んできている
まずずっといじってるとお腹の下のあたり(おしっこ我慢するときに力を入れる所)がきゅーっと収縮してそこから甘い、それでいて弾けるような快感が全身に広がっていく
そして全身がしびれていって何も考えられないくらい気持ちよくなり顔が快感に歪むようになる
ちなみに、それを繰り返すとだんだん全身が敏感になって腹を撫でるだけでも「あっ」て声が出そうになる
しかも何が問題ってただ気持ちいいだけじゃなくて切ない気持ちが止まらなくなるんだよ
無性に誰かに、それも自分より大きく力強い存在に抱きしめられたくてたまらなくなる
最近はAV見てても女優さん側の表情や動きに注目することが増えてきた
自分が同じように突かれるのを想像するだけで下腹部が疼くし、華奢な腰回り(俺も体格は細いほうである)をガッチリ掴まれているのは本当に羨ましくなる
お尻の開発も進んできたし俺はどこで人生を間違えたんやろなあ
最後の行でも触れたが、この開発速度の速さにはお尻の開発も並行して行ったこともあると思われる
お尻の開発は基本的にアネロス(エネマグラの公式版を今はそう呼ぶらしい)を使った
アネロスをお尻に入れながら規則的にお腹に力を入れていくとだんだん感度が高まり乳首をいじるのと同じ方向性でそれ以上の快楽を味わうことが出来る
なお、ディルドについても触れると最初は痛いだけだったが次第に自分が犯されているみたいで気持ちよくなってきた
ただディルドは後回しでいい
体格は華奢で、中学生のころ同性の友人が水着を着ているときのぴちっとしたお尻に当時は言語化出来なかった感情を持つこともあった
高校の修学旅行の深夜ノリで淫夢を見ることがあっても俺だけ笑うことが出来なかった
ちなみにこの人(仮にA)の件と本をオーデイブルで聞いたから父親がやったことを列挙してみるで
・寡黙な性格
・小学生の頃は毎週休日に公園などで遊んでくれた(止まり木のような存在)
・妻(母親)から給料で嫌味を言われたり馬鹿にされたり生活で細かく指摘される(外食の頼み方、電気の消し忘れ指摘など)などが募り別居状態に(たぶん会社の施設)
弁がたつ支配的な妻と対等な家族関係を築けず、実質的な離婚状態に陥ってしまったな
妻側もそれを望んでいたようや
この妻(Aの母)は自分の人生を娘に全ベットし支配するタイプの毒親であり、その長年の異常なムーブを止められなかった責任はある
私は別に何もすることが無いわけでも無いことも無い予定が無いのよね。
咳をしてもなんとかよ。
うーん
今年1年を総まとめしてなんというか?ってなるとどうなるのかしらね?
私的には色々とマジでお仕事にも役立ったChatGPTちゃんに1票を上げたいわー。
文章も書いてくれるし、
後半になったら絵も描けるようになったじゃない。
あれには驚愕よね。
私も色々とアウトプットやってもらってるんだけど、
人間の手が追いつかないぐらいよー。
海外の調べ物って具体的に言うと
郵便番号と電話番号の桁数のフォーマットを教えてくれるだけでも
もの凄く楽チン極まりない烈伝全8巻を読破してしまいそうなほどの勢いだし。
あれネットで調べても、
この情報あってるの正解なの信じていいの?って極まりないぐらい疑ってかかって仕方がないインターネッツ社会の縮図みたいになってるじゃない。
かといって予めこっちが知っている情報を答え合わせで尋ねてみたら
ぜんぜん嘘のことを言い出したり、
なので100パーセント信じているわけではないけれど
ものは使い様よ。
なんだかんだいってAIのChatGPTちゃんに翻弄されたこの2023年だったわーって私の2023年はまだ終わってないんだけど。
あとあれよね、
コロナ禍も解除されつつ人がぱんぱん観光客がごった返している感じも
ここ久しぶりの感覚だわー。
いまだ争いは続いているんだけど、
営業所の方は閉鎖されて
引き続きなんていうの?弁護士とかのやり取りをしている感じみたいね。
私はそれはちょっと話をその時に聞いたぐらいで
その後はそれぐらいの情報しかその情報筋の人から聞いたぐらいしか知らないけど
結局オーリョーしていたとおぼしき営業所は潰されてしまったわー。
もちろん全員解雇でーって話しよ。
あと私の鍋のベーナー情報で言うと、
今年の前半はおでん屋さんで夏場はおやすみでこの冬からまたおでん屋さんと思ったけれど、
年末年始はこれをベースにパスタとか鶏肉とか煮込んで美味しくいただけそうよ。
お休みだからって不規則なリズムにはしたくない繰り返すこのリズムでキープしたいところよ。
相変わらず
スプラトゥーン3と後半から一気にブームのF-ZERO99に途中で夢中になったファイアーエムブレムエンゲージかな。
思いのほかスーパーマリオブラザーズワンダーもよくって、
クリアしてしまうのがもったいないぐらいとここで書いて思い出したので
クリアしなくちゃ!っていい加減1つのことをやり遂げる勇気を私にも持ち合わせたいワンダーだわ!
スーパーマリオブラザーズワンダークリアにしようかしら?
ちな
F-ZERO99は目標とかないし日々のノルマの5レースをやってラッキーカードをめくる楽しみと、
スプラもそうよ!
S+の腕前まで持っていきたいところ最低でも今シーズンは!ってところね。
そうなるってーと
いけないいけない!
いい加減HDDレコーダーの中身も消化しつつ
ここで一気に空き容量を空けたいところ!
これも苦しい消化作業なのよね。
あとまたもう一つ!
スマホで読んでいたら小さいし、
そーなるってーと
キンドル端末のペーパー電子端末でまたちくちく開いている時間に
特に最近はランチのランチが提供される間のランチ待ち時間に持ち込んで読むと
逆にあのオーディオブックはぜんぜん聞き進められないけれど、
まあ総じて私の1年ってそんな感じだったのかしら?
増田的には何個かはブクマ300行ったのがあったような気がしないでもないけれど
過去を過去的に可及的速やかに振り返らないでお馴染みの私だから、
たぶん300超えあったようななかったような
そんな感じの出来栄えだわ。
忘れていたけど、
思い出すまで忘れていたけれど増田も頑張らなくちゃ!って思ったわ。
マジこれ本筋のメインで本域で頑張らなくちゃいけない案件じゃない!
わちゃー!って感じよ。
私の一番の目的の部分をすっかり忘れていた意義を思い出したわ!
杉の上の梢に明るく光る星に願うのよ!
でもさー
おおよその計画実行できるのは1割も満たなくない?
たぶんこれ書いたの全部実行できない気もしてきた時間を有効に使いたいって事しか書いてないけどこれだから私はいつも自分を見失ってしまうのよ山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうのよねー。
結局お休み明けなにも出来なかったー!って事態には避けたいじゃないそれ一番で。
なので、
自分に言い聞かせることを言葉の意味はよく分からないと思うけれど、
ほんと有意義にってことよ。
うふふ。
年越し蕎麦にはまだとても早いけれど、
私がいつも食べて寄るこのお店が一番麺好きかもメーン!って感じで
やっぱり比べてみて初めて気付く麺の偉大さよメーン!ってところよ。
麺大事!
時間があったので、
これの淹れ方しちゃうと
急須が面倒になって仕方がないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今の騒ぎを見て内部告発されるほど現場の状態が悪化してるのはわかったけど、そんなん日本の下請け中小零細企業はどこだって同じだと思ってるけど。
現場に出たこと無い畑違いの人間が一方的に作った規格と基準に合わせないといけない企業側の無理が露呈してるだけであって。
異常な程厳しくすれば大丈夫だろう、改善したつもり、仕事したつもりっていう政府機関がそもそもおかしいって話でしょ。
こんだけ低い賃金で長時間働かされて規格を守れ規則を守れ品質を守れ納期を守れって被雇用者側に雇用者が全部押し付けてるだけじゃん。
無理なんだよ無理。出来るのは無理ってことを認めて規制緩和する事とあと自動運転についてはそもそもそんなのがないと安全に運転できないってんならもう免許返納して。
誰か正解を教えて下さい。
山手線を何周もグルグル回ることがキセル(運賃不正行為)に該当するかどうかについては、日本の交通法規やJR東日本のルールに依存します。
一般的に、チケットやパスの利用規約に従っていれば問題ありません。しかし、特定の目的地に行くためのチケットを購入しておきながら、実際には何周も繰り返し乗車している場合、これは運賃不正行為とみなされる可能性があります。
そのため、この行為がキセルに当たるかどうかは、乗車の目的とチケットの種類によります。
長すぎる乗車は体によくないかもしれませんが、適度に楽しむなら問題ないと思います。
山手線を何周もすることは、交通ルールを守って走っていただく限り、特に規制は設けておりません.
ただし、一枚の切符で山手線を何周もする行為は、重複しない限り問題ありませんが、何週もするのは重複するため、規則に違反することになります.
そう、山手線の電車に乗って何度も輪行することは可能だ。しかし、それは一般的な方法ではないし、最も効率的な移動方法ではないかもしれない。
山手線は東京駅と甲府駅を結ぶ通勤電車で、東京とその周辺地域のさまざまな駅に停車する。この路線はループ状になっているので、技術的にはループで乗車することも可能だが、この電車は通勤用に設計されており、観光用ではないため、一般的な方法ではない。
山手線に輪行したい場合は、東京駅で乗車し、終点の甲府駅まで乗車する。そこから在来線に乗り換えて東京駅に戻ることもできるし、別の路線に乗って出発地点に戻ることもできる。
ただし、山手線は混雑する路線なので、特にラッシュ時は混雑する可能性がある。また、往復の電車賃は、移動距離にもよるが、1回で往復するよりも割高になる場合がある。
日本で風光明媚な列車に乗りたいのであれば、東京から箱根まで走る小田急線や、東京から日光まで走るJR会津線など、観光に適した列車もある。これらの鉄道路線は、周囲の田園風景や山々を眺めることができ、観光客や旅行者向けに設計されている。
キセルとは、鉄道の乗車券や定期券を正しく使用せず、無賃または割引料金で乗車することです。山手線を何周もグルグル回る場合、本来であれば乗車券を1回ごとに購入する必要があります。しかし、1回分の乗車券で何周もグルグル回ることで、本来であれば支払うべき運賃を免れることができます。したがって、山手線を何周もグルグル回るのはキセルに該当します。
山手線を何周もグルグル回る行為がキセル(不正乗車)になるかどうかは、状況によります。以下の点に注意してください。
山手線で一周しただけでは、キセルにはならないとされています。ただし、現実的には山手線で一周すると、乗った駅で降りることになるので、そのまま運賃が発生します。一周して乗車駅の改札を出た場合、キセルになる可能性があります。
大都市近郊区間内の特例により、例えば上野から御徒町を逆回りするのは問題ないようですが、1枚の切符で山手線を何周もする行為はキセルには当たらないとされています。
SUICAを使用して山手線をグルグル回ることは可能ですが、駅から出ることなくSUICAで回る場合、運賃が発生することに注意してください。
非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。
日本人の宗教批判は主にオウム神理教や創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教はやばい」となり、それが「宗教的なものはやばい」となっているのではないか。たしかに新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会の問題がある。
日本人全体で、なんとなく「宗教はやばい」というゆるやかな共通認識があると思う。
そこから「宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間だけが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。
ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質に嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力・権威・金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブな意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教のネガティブな部分についてのものが多いと思われる。
また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか。
宗教的なものがやばいの1つの例でいえば、ガチのドルオタはキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りからは理解不能なのである。アイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分の人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。
アイドルの推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドルの状態を維持可能な状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドルの存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味を見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。
宗教のはじまりはアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないものを発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。
日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分の主観による)。「科学的な権威がありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。
そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。
自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。
宗教が必要かどうかは置いておいて、その発生過程や宗教が果たしてきた役割は、歴史を学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たかが宗教ごとき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である。現在の今の自分にとって宗教は全然必要でないと感じていたとしても、その自分が存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなものが人類の中で大きな役目を持つようになったのか。
真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しかし宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。
科学的であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教の政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか。
また「宗教が必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。
実際にとりあえず「宗教は必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である。仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。
ありとあらゆる宗教的なものは不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。
宗教と宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間の主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである。
宗教と科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。
つまり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。
いったいなぜ、科学的であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか。
そして、自分にとって宗教が必要ないからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。
それから自分は、ロジカルシンキングや科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分はロジカルシンキングそのものや科学的思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。
彼らは科学や論理というアカデミックな権威のおこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的な人間が宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。
Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である。
もちろんあなたはVimを導入しないという選択をとることもできる。
こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である。生臭坊主と言われる。
自分は、そうした既製品の宗教や、新興宗教の教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。
宗教はおもしろい。とりわけ理系で哲学や文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。