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はてなキーワード: 自己完結とは

2020-06-06

はてサ

"はてサ"の攻撃性が増している。

IT業界として成り立ち始めた当初からIT業界全体にリベラル気質があふれていた。

それはApple IIのようなパソコン文化だったり、BSDLinuxといったオープンソースだったり、あるいはM$帝国といったアイコン化などでもよく分かる。

IT関係者が当初のユーザーに多くいた"はてな"、特に"はてなブックマーク"にも、それは強く表れていた。

自由環境を好み他人に寛容な典型的リベラル気質の人が多く、東アジア諸国を見下すような愛国主義的なネトウヨもいないわけではなかったが見下されていたように思う。ただ、軽く見られて相手にされていなかったというところかも知れない。

つのからかよく分からないのだが、"はてな"の特に"はてなブックマーク"の雰囲気が変わり始めた。

それはIT関連の記事ホットエントリーに上がらなくなってきた頃からか、政治社会記事ホットエントリーの常連になってきた。世間的には民主党政権の前か、最中か、後か、どうなのだろう。

それと共に、寛容さは失われ、攻撃性が増してきた。

汚物は消毒だ~」というフレーズと共に半ばジョークとして半ば真剣に語られていた「モヒカン族」が、特にジョークであったはずの部分が現実化してきたようだ。元々「モヒカン族」は論理棍棒相手を打ちのめすという合理性暴力性の合わさった存在として恐れられていたが、その合理性独善化して自己完結化した結果、自分正義合致するか否かで暴力を振るう相手特定攻撃正当化するように変容していった。これは、モヒカンの各氏が変わっていたのではなく、モヒカンを許容する"はてサ"社会が変わっていったと考えるのが正しい。

それは、表現規制フェミニズム、その他様々な社会問題・政治問題でよく観察される。

一方、現実社会では、民主党政権奪取と凋落などもありリベラルという看板が色褪せてきたためか、あるいは大陸中国の台頭もあって国際協調路線から民族主義的な危機感からか、世の中が左翼的な傾向から右翼的な傾向へ移行し始めている。それは、リベラリズムグローバリズム自分を救ってくれないという限界に対する失望感なのかもしれないし、対照的自分を助けてくれそうな地域社会から見直しいるからかもしれない。

"はてサ"が変わっていった一つの要因としては、そういった現実社会でのリベラリズムの退潮と無関係ではないだろう。

正義が揺らぐとき、その正義正当性の是非が問われ、是であれ非であれ互いに正統性を主張することになる。それは寛容さを失わせ、自分の考え以外を異端排除する方向へ向かうことになる。

正統性を求めるあまり狂気に走った事例というのは、古くは宗教戦争からフランス革命ジャコバン派暴走スターリン粛清クメールルージュ虐殺など数えきれないほどある。昔から、人を狂気に駆り立てるのは、悪ではなく正義なのだから

いずれにせよ、そのようにして"はてサ"の寛容さは失われた。

"はてサ"でも現実社会左派でも結局残ったのは、他人に対して攻撃性を示す人たちばかり。政治世界でも、報道でも、自らの正当性を主張して他人非難攻撃するのが左翼の姿になっている。かつてケネディが言った「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」という精神は、現状のリベラルの中には全く残っていない。

そのような有様で党派抗争に夢中になっている人々からは、何かを成し遂げようとする人は離れていく。

何かを成し遂げるためには、党派抗争は有害邪魔なだけなのだから。けれども中にいる人には、その党派性こそが守るべき正義であり全てであるから、離れる人をも攻撃してくる。不正義に協力していると。そして更に教条的になり、異端排除、先鋭化していく。

もう、"はてな"ユーザーの中には、新しく何かを産み出すという気質は失われてしまったのだろう。

それは仕方のないことかもしれない。

2020-04-14

anond:20200414155300

自己完結してるから他者は何もやりようがないよね。いい意味でも悪い意味でも。ネコヤン大切にね。

発達障害女性ルポに支えてくれる恋人が登場してくるやつ

よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ

に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ

を、揶揄するツイート

というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。

とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。

非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。

ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性なかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれしまうのは仕方がないのではないだろうか。

私の話をしよう。

私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。

具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病解離性同一性障害の診断が下りている。

希死念慮が強く、1度自殺に失敗し、閉鎖病棟入院していた。

理系大学院卒業後、財閥企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。

そして離婚歴がある。

私の持つ障害と疾患は、両親から虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつ発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。

この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。

さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である

結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。

そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックスリボトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分コントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。

解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICA履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミングシチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。

私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。

主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつ自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人精神いびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。

結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームスマホで遊んでいた。

最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。

ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまたことだ。ネコ家具破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレス過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき獣医でそれがストレスのもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。

元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。

私は現在独り身であるが、もちろんネコとともにいる。

おそらくこれを読んで私に好意的気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付き障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。

私はネコ暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔チョコチョコとしてくるだけだ。

でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。

誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。

anond:20200414121527

正論だとは思うけれどねえ

そもそも努力なんてしたくないってのと、何やったらいいかからないのが混じり合ってるんだと思う。

努力したくないって思ってても、自分がそれじゃ嫌だし周りの目もあるしで、とりあえず努力してる風に振る舞って自己完結してるのも込みで。


適切な家庭環境でそれなりの勉強せずに暮らせてきたんだろうしそれでもそれなりに暮らせる。

よほどの成功例とか具体案とかないと努力って続かない。そもそも情報が行き届いていない。

こうやって、こうやってこうやったら貧困から抜け出せますよって、数割にでも共通の手順がない。

楽に稼げる方法あったら秘匿するし。

自分だけよけりゃりいからみんな黙寿司

2020-04-12

anond:20200412085418

別に検査してもいいけど

一回陰性で結果出た後もしかしたら偽陰性かもってご不安と終息まで誰にも迷惑掛けずに自己完結してくれるならいいよ

病院で診てもらう事がゴールだと思ってるお気持ち人類にそんな事できるわけ無いと思ってるから検査したくない

2020-04-03

anond:20200403203935

300ページ以上掛けて構築した後の外部への応用がabc予想証明だけで、その構築の一部分から自明でない外部的な結果がもたらされることは一切ない、という完全に自己完結した理論存在、というのは私には奇妙なものに思われる。

2020-03-28

新型コロナにかかった場合不安なこと

もし万が一、自分が新型コロナにかかったと思えるような状態になった場合

症状が軽ければ家で寝ていようと思っているけど

本当にこれはやばいってなった段階で医療機関に連絡して指示を仰ごうと思ってる

それまでは、ぎりぎりまで医療機関にはかからないで自主的に自宅療養してようと思ってるけど

どの辺まで我慢すればいいのか、出来れば医療崩壊を起こさないように

なるべく医療機関にかから自己完結したいが死にたくはないのでいろいろ不安

ちなみに40代男性です

2020-03-21

anond:20200321211944

共感なんてのはそんなに崇めるべき大したものじゃない。

よく分からん他人共感を得ることで安心感を得るよりも、たとえ他人理解がなくとも自分だけは自分の信じる価値をよく理解できている、という自己完結した共感(≒自己肯定感)を目指した方が良い。

2020-03-07

自分モラハラ体質だったと自覚した

※主に頭の整理と吐き出しのために書いています。見苦しい文章申し訳ありません。

今まで恋人からモラハラに傷付き続けてきた。

付き合いは長い方だと思う。

出会って少し経って、お互い近くなればなるほど、ずっと喧嘩続きで心をかなり病んでしまっている。

まり心が強い方ではなかったらしい。睡眠障害接触障害を起こし、体も弱り、会社も辞めてしまった。

彼は、少し揉めるとかなり強い口調で一方的に話をし、自分の非を認めようとせず、過去に遡ってでも何かあらを見つけてはお前のせいでこうなっているんだ、もうお前なんていなくなってしまえ、と怒り始める。たまに手が出ることもあった。

そうなると、私が何を言っても無駄だ。謝罪をしてもそんな言葉響かないと跳ね除けられる。何も言わないと何か言うことも無いのかとさらに責められる。

思ってもいないことをお前はこう考えている、と決めつけられる。信じてもらえていない。すごく悲しい。

それでも、私は彼と一緒にいたいと考えているので、縋りついてきた。

ごめんねと言い続け、できるだけ負の感情が湧いても抑え、怯えて、顔色を伺い続けてきた。

それでもやっぱり人間なので、感情がある。限界もある。耐え切れず爆発して更に喧嘩になる。

数少ない心許せる友人に相談すると、それはモラハラだ、そういう人からは離れるか諦めるしかない、と言われる。

彼のことはとても大切だし素敵な人間だと思っているからこそ好きなので、あまりモラハラという言葉を使いたくないのだが、確かにその特徴に当てはまるし、まあ難しい定義とかは分からないがここではモラハラという言葉表現するのが伝わり易いのかなと思う。(罪悪感)(ごめんね)

と、そうやってずっと悩んできたのだが、例の如く喧嘩をし、どうしたら仲直りできるのか、納得・理解して貰えるのか、どこを直すべきなのか、とぐるぐる悩んでいた時、ふと気付いた。

私も彼に対してモラハラをしていた。

私も感情的になると一方的に考えをぶつけてしまうところがある。

但し、彼と違い、感情が溢れると涙が止まらなくなり会話できなくなることが殆どなので、LINEなどの文章一方的に送りつけてしまう。長文とか連投のLINEって嫌ですよね。分かっています

そして、彼の言動によって傷付いたとき、彼の気持ちを全て自己完結して決めつけ、今までの伝えてくれていた気持ちまでも否定してしまう。約束を破られたりしたら勿論謝ってほしいし、それは人として大切な事だと思っています言葉だけなら誰にだって何とでも言えるし、行動によって示されるべきこともたくさんあるはずです。

とまぁ他にもあるのだが彼に対してどうして?と理解できなかった、傷付いていた部分が、全て自分にも返ってくることにやっと気付いた。

私もモラハラをしていたのだ。

今まで私は手は上げていないが、モラハラ一種DVのようなものである

お互いなにかのきっかけで傷付いて、(このきっかけは普通喧嘩と同じようなものだと思う)、感情的になりモラハラして、また相手が傷付いて更にモラハラして、最終的に必要以上にお互い傷付いてしまっている。だいたい口が下手で考えを伝えられない私が泣きついて終わるのだが。昔よりもお互い短気になったし、感情の爆発具合も酷くなっていると思う。こんなの負の連鎖だ。

ついさっきこれを自覚した。私はただの心の弱いモラハラ被害者だと思っていた。同じことをしていのだ。大発見だった。彼はきっとまだその自覚は無いんだと思う。勢いで手を上げてしまうことに対しては反省しているようだが。

もっとお互いに必要以上に傷付け合わずに、健やかに生きていけるようになりたい。

勿論これからもずっと一緒にいたいが、もしこの先別れることがあったとしても、周りの人間や大切な人を必要以上に傷付けるような人間であってほしくない。私もそういう人間のままでいたくない。

モラハラ同士、どうすれば上手くやっていけるのだろうか。治せるのだろうか。

未だに喧嘩中なのでこのまま謝罪を受け入れて貰えずに仲直りする事が出来なければこれで関係は終わってしまうかもしれないが、二人で一緒に治して、より良い人として生きていけるといいな、と思う。

どっちもモラハラってあるんだな。難しいな。

2020-02-21

anond:20200221195142

何言ってるかわからないけど自己完結してうれしそうだからよかったんじゃないか

2020-02-20

上司仕事をしない

上司仕事をしない。いや、正確に言うと仕事をしているのだが今じゃなくても全く構わない仕事をしている。

筆者は20代でこの仕事3年目の業界ではペーペー扱いの社会人

上司40代前半の男性

会社中小企業。働かないおっさんがのうのうといる雰囲気ではない。

来週納期仕事があって私が必死こいてやっている中、プロジェクトマネージャーである上司仕事しない。

納期を迎える仕事以外もしているので今日は納品物にはほとんど触れなかった。

マイクロマネジメントよりはましだがちょっとひどくなってきた。

いらいらするポイントをまとめてみた

多忙なのを分かっていながら私に新たな仕事を振ること

●一緒にやっている仕事の詳細を私に聞いてくる

●打ち合わせの最中に話に参加せず別のことをやっている

発言ポイントがずれている、的を得ていない

決定力リーダーシップがない

●一時期ぺーぺーの私でスケジュール立案して自分管理する自己完結スタイルになってやばくなったにもかかわらず喉元過ぎれば熱さを忘れる精神なのか、進捗の管理すらしない

4桁万円の仕事の納品を来週に控えるのにいいのかと思ってしまう。

ちなみに同僚も同じ感情を覚えてる、私よりかなりイラついている。

今も残っていて会社から書き込んでいる。(お前こそ仕事しろよといわれるのは承知だ)

からやばそうな雰囲気を出すと手伝ってもらえるのだろうか。

といっても納品まであと2営業日しかないのだが・・・

キングダムでは亜花錦が好きなので亜花錦キャラで生きていこうと思っているが、上司無能だと中々戦うのもしんどくなってきた。

全く効果的に動いてくれない遊軍だよ。まじで悲しいくら的を得なさ過ぎている。

仕事しないおっさん上司に抱えてる人もそうじゃない人も何かくみ取ってくれたら嬉しい。

2020-02-16

某所でのハッピーシュガーライフ感想まとめ、および個人的感想

きっとちがうよ

だって私は わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから

それはきっとちがうんだよ ちがったんだよ

それはきっと あいなんかじゃないよォ…

――鍵空とみやき「ハッピーシュガーライフ 第7巻」

某所より気になった感想抽出し、思いついたことを書いていく試み

171 ななしのよっしん

2018/09/30(日) 13:48:11 ID: f8xlQvMm3b

あさひもしょうこも(てかこの作品のほぼ全員)私が生きるためにあの人に生きてほしいを地でいくキャラだったからあの結末は残念でもないし当然

あさひはこれからのこと考えると可哀想だがしょうこは裏切ったうえに盗撮までして友達の私を信頼してはほんと無理だったから死んでよかったよ

生かしてると絶対警察にチクってたしな

173 ななしのよっしん

2018/09/30(日) 15:30:33 ID: 6m5ZAUyP0F

友人思いのあつかましさや正義感が仇になってさとうを裏切り殺されたしょうこ

大人の女性からセクハラを受けまくって気が狂いしおからも見捨てられて廃人化した太陽

から変態性に加えさとうを詮索してやり込めようとして失敗し逮捕された先生

さとうに何だかんだ振り回されているバイト

太陽暴力をふるいしおを誘拐しようとして目潰しされた男たち

DVを受けていたとはいえしおを拒絶して全ての元凶になった母親

まだ幼い子を強姦DVをやった末、毒殺された父親

絵のモデルとしてさとうを招きしおに対するさとうの気持ちを察するや自分の望むさとうでなくなることに怒り、手を挙げて殺された部屋の主

さとうと愛の形で対立しつつも結局最後までさとう達に協力して逮捕された叔母さん

必死に妹を思い自分自分母親の元で幸せに生きさせようとしたが、最後にはしおの心を完全に奪われたあさひ

愛の形を証明心中を受け入れるも、結局しおを生きながらえさせて、しおを自分の愛の結晶としてこの世に残すことに成功したさとう

幼児退行や記憶障害は治ったが、さとうの愛に完全に共鳴して強い意志を持って傾倒する狂人となったしお

登場人物で本当の幸せを掴んだのは実はさとうだけかもしれない、しおは客観的に見ると環境が災いして人格を塗り替えられた不幸な子だと思った

182 ななしのよっしん

2018/10/01(月) 05:10:48 ID: CEiFINjjYU

一見人魚姫みたいで綺麗な終わり方だけど冷静に見ると、さとうがおばさんにされて嫌だった「愛ってこういうものだよ、とても素晴らしいよ」の押し付けを結局しおにも繰り返してるだけっていうのがなんか考えさせられる

表面は綺麗だけど、しおもかつてのさとうみたいに歪んだ愛の価値観に縛り付けられて生きると思うと…

185 ななしのよっしん

2018/10/01(月) 11:23:57 ID: VrrOXonf2W

>>182

しおはさとうの愛で満たされてるけど

さとうはおばさんの愛を真似ても全然満たされてないし(しおに会う前のさとう描写より)

「同じ価値観押し付け」という言葉で括るのはちょっと違う気がする

190 3543

2018/10/02(火) 09:27:55 ID: PTz4syDQ1u

こういう話は因果応報とは無縁の話だと思ったら、しお以外は因果応報の形になったのが意外。だが単純に法とか、一般的善悪道徳を元にした勧善懲悪因果応報じゃないのがミソだな。

から普通なら報いを受けそうにない立場のしょうこも、勝手な「ごく真っ当な価値観」のままさとうに迫り、信じると言いながら結局目を逸らしてしまたことが、致命的な罪となって、その裏切りの報いとして死んだ。

単に犯罪たからだけじゃなく、自分価値観を押しつけ続けて相手を碌に見なかったり、何より愛に真摯じゃないキャラは報いを受けた訳だ。

しおに関しては、さとうと限りなく噛み合っていたが、共犯者の面もあるし、最後に庇ったさとうの愛が本当の愛なのかしおへの裏切りなのか、あの結末が救いなのか呪いなのかわからんはいい感じだと思う。

206 ななしのよっしん

2018/10/15(月) 17:02:35 ID: MYkV3cCihu

さとうはあらん限りの意志の力によって、

しおにある意味死ぬまで一緒にいて愛し合うことを実現した

ある意味、恋の夢である愛する人ひとつになる」を実現してしまった

人間精神が分割できないindividual(個人)という見方社会的事務上のフィクションで、

内面には複数の「分人」がいるわけで、その一つとしてミニさとうがしおの人格インストールされた

だが本当に恋の夢が実現されたとしてそれは本当にいいものなのか?と思わされる

意志の強烈な輝きと同時に、それがもたらす災厄も描かれてる

強い意志というのは、結局高確率目的を果たす魔力はあるけど、被害も生むことを示してる

個人的にも、意志によって目的は果たせたけど、意識してなかったものを失った経験はいくつかしてるので、

キャラ怪物ばかりだが内容は真実だと思う

214   

2018/11/14(水) 00:15:54 ID: DvW+BJx4zX

この作品、ほぼ同時期に映像化(向こうは実写化だけど)された監禁モノ作品と決定的に違う所がある

社会的言い訳を一切してない。

これこれこういう可哀想な目にあったか容認すべき・同情すべき、という風な作品トーンにしてない。あの純真そうなしおちゃんも含め、出てくるキャラが(一部以外)殆ど全員自分エゴの為だけに動いてる。

そういう意味ではアウトレイジ等のバイオレンスモノに近い作品なのかも


さて、感想

わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから」という叫びで自らと登場人物すべての罪を糾弾たこ言葉

では、いったい何が愛だったのか、どうすれば愛だったのか、愛は何故減るのだろうか(ニヒリズム)


「お互いの事を思いあい助け合い、真に理解しあう」が、「プロレスは本気で戦っている」と同様のお約束であることは肯ずるところだろう

富めるときも貧しきも、病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います

本作でも繰り返し述べられる誓いの言葉だが、やはり難しい

貧すれば鈍する、衣食足りて礼節を知る

満たされない人間愛について理想を掲げ、存在しないものを追い求める様は悲喜劇である

「お前が掲げる愛、そんなものはない」のである

残念ながら、愛というのは幻想入りしている


では何が存在するのか、現実日常に耐えられるだけの実在性を担保できるのか

逆説的だが、まさにそれこそが愛、つまり個々人の中にしか存在しない幻想だと思われる

相手は分かってくれくれるかも知れない」「自分を救ってくれる誰かがいるかもしれない、そんな時が来るかもしれない」「これこそが愛の本質なのかもしれない」という期待、幻想思い込み

それに従って相手志向し、期待し、求め、望み――そして、拒絶され、断罪され、絶望する

その果てに関係性を何度でも再構築し、自分自身の幻想・信念ですら変えていく

自分に合わせて現実を変えるのではなく、圧倒的な実在性(=他者性)のある「現実世界」に打ちのめされ、変わらされていく

他者論という観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を作り出すことは不可能である。一方で「他者」は、単に真理への到達を妨害する忌むべき存在というわけではなく、「私」を自己完結孤独から救い出す、「無限可能性」でもある。いかなる哲学科学数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる。「他者」が現れるからこそ、自己自己完結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる。

――エマニュエル・レヴィナス(Wikipedia)

 然し、真理といふもの実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。

(中略)

 もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

 私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

――坂口安吾「余は弁明ス」



人間精神が分割できないindividual(個人)という見方社会的事務上のフィクションで」

という言葉正鵠を射ているように、人間はそれ単体で存在し得ない

人のすむところ。世の中。世間。人が生きている人と人の関係世界。またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。

――人間(Wikipedia)

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

――夏目漱石草枕


人が期待を以って作り上げる物、それが幻想である

永遠に求めるが手にし得ないものを、その霊台方寸のカメラにおいて捉える故に、他者必要とし、そしてそれに打ち倒される

揺るがない物理存在としての肉体がその繰り返しを支え、人を生き長らえさせている

それ故に何度でも人間は変わり、裏切られ、それでも生きていく

今日、愛の不在を叫んだ神戸しおも、その10年後には同じ気持ちいるかは分からない

「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」は、決して絶望言葉ではないのだ

BPDの症状が年齢経過で落ち着いてくるということと似ており、時はすべてを均してくれる

凡人に身をやつすことは、救いでもあるのだ

2020-01-29

イラストを描いてて思ったんだけど、これ描けば描くほど承認が欲しくて病む

なまじっか二次創作公式に許容されているジャンルなだけに

自己完結できるようになりたい

2020-01-24

ぺこぱ多様性の受容ではない

まず、このエントリにはM-1でのぺこぱ漫才に関するネタバレが入る。知りたくない人は閉じて欲しい。

anond:20200124131120

上記エントリのように、ぺこぱ漫才多様性の受容だという変な重りをつけられているが、多様性需要なんかじゃない。ツッコミを見ればわかるはずだ。

まず、M-1 決勝の松蔭寺大勇(本名松井勇太)のノリツッコまないボケを見てみよう。

「被っているなら俺が避ければ良い」

「どこ見て運転してんだよって言えてる時点で無事でよかった」

「俺が車道側に立っていたのかもしれない」

「スーンの車がもう町中に溢れてる」

しらねぇんだったら教えてあげよう」

「右になってる」

「実際に時間が返ってきたよって人」

「休憩は取ろう」

ハンドルを握らなくても良い時代がもう目の前まで来てる」

ナスじゃねぇとは言い切れない服装だ」

キャラ芸人になるしかなかったんだ」

「さっきとった休憩は短かった」

「お前よりはうるさい」

「急に正面が変わったのか」

「戻り方は人それぞれだ」

「良い加減なことなんかない」

この中で相手のことに触れてるコメントはいくつある?

しらねぇんだったら教えてあげよう」

「戻り方は人それぞれだ」

ぐらいだと思う。

全然受容してない。(もちろん貶してる訳でもない)

ではなんなのか?

それは、自己完結だ。

相方の変な行動、相方が生み出した変な状況を自分の中で納得させて完結させているだけ。

人を貶しもしなければ、人を受容する訳でもないしない。

漫才一般的形式は、ボケが変なことを言えば、その変なことを行った「人」に対してツッコむ形式だろう。

ぺこぱ場合は、ボケの言った変な言葉が松蔭寺大勇(本名松井勇太)によって処理されるだけだが、それが今までの漫才とは違う流れを生み出している。

もちろん、この時の言葉選びと間、そしてネタ面白いので笑える。これはセンス努力の賜物だろう。

では、なぜこのような自己完結世界が心地よく感じられるのか?

それはSNSを見れば明らかだ。

Twitterなどを見ればやれネトウヨだバヨクだ、ヲタクフェミだ、人に貼られたレッテルに対する不平不満の言い合いであふれている。

しかし、そんなのは声の大きな一部の人たちでしかない。

普通の人のSNSの楽しみ方といえば、

「○○に行ってきた」「○○美味しい」

そんな自己完結話題は、誰もきづつけることもなく、朗らかな日常幸福感を感じさせる。(辻希美等の一部の例外は除く)

自分に起こったこと、自分が見たもの自分言葉で処理し、発信する。

それがベースにあるのがぺこぱ漫才だと思う。

そんなSNSネイティブ時代漫才だと思ったよ。

多様性需要なんかじゃない。そんな表現は、フェミだバヨクだのレッテル貼りとなんら変わりない。

お笑いの末期?

んなこたない。笑いは時代を反映するものだよ。

2020-01-12

anond:20200112012901

知ってる言葉をべらべら書く系だろー、お前のなかで自己完結してて会話する気のない引きこもりなんだから5chの専門版にでもいってくれよ。

2020-01-07

anond:20200107103020

そうやって憶測を元に推論して自己完結に至るところが極めてガイジっぽい

2019-12-23

anond:20191223212444

人類ないし国家産業への依存をやめるべき

テクノロジーもっと個人自己完結的に使えるように、すなわち個人で家も電気も服も食もポンッと出力できるようにする方向へ全力で舵をきらねばならぬ

2019-12-18

指示待ち人間が、どうしてそうなったか自覚した話

ある小説レビューで『罪を犯したのに代償がないのが許せない』という理由で最低評価になってて驚いた→更なる驚きが待っていた

https://togetter.com/li/1443974

指示待ち人間は細かいところが気になることがあまりなく

話を見て、「そういうものか」と勝手自己完結して納得する。

そう、私のことだ。

ポニョを真水に入れる時、「あれ、海から来たのに真水なんだ」と疑問に思ったけれど

「ま、ファンタジーだし人間にもなるから水でも良いよな」と自己完結した。

ルパンやその他の物語であっても「そういう世界だしありうるかも」とポジティブ解釈をする。

現実に基づいて深堀しようとも思わないし、深く疑問に思うこともない。

なので仕事上「わからないことが、わからない」ということになってしまう。

今まで深刻なことになったこともないけれど、時々困るんだよね。

もっと周囲に疑問を持って生きていかなきゃ。

「Aという資料を処理する作業」を教えてもらったとき

「Aはどこから来たんだ?」とか「Aが来なかったらどうするんだ?」とか毎回考えられてないし。

「Aは来るものだ」と自己完結しちゃってるからね。よくないよくない。

もっと背景を感じなきゃ。そして自分説明するときには背景まで説明できるように頑張ろう。

2019-12-11

anond:20191211025427

これくらいの説得力ある文章キモカネは書くべきなんだよな

いつも屁理屈ならべたあげくわかります。と自己完結しててキチガイを演じてるけど

2019-12-08

anond:20191208231455

自己完結してる間にも時間は過ぎていき、どんどん異性と付き合うハードルは高くなり、一般的な条件の良い人ほど早く売約済になっていく。

若いうちにたくさんトライした方がいいよ。声をかけて振られても、実質的に失うものはそんなになかったりするし。

彼女作らないの?」という友人からの話に対して「一人が好きなんでまだいいわ」という

本当は欲しいとは思ってはいるが「世の女性イケメン性格の良い男性が好きだから自分のような根暗不細工の奴には興味ないやろ」と自己完結してる節がある

まぁ事実だし、しゃーなしでしょ

2019-11-27

フェミ責任転嫁連載中止しろなんて言ってない」

フェミが「娘の友達についてモーニング連載中止要請なんかしてない。オタクデマだ」とか言ってるが、モーニングは「まだ電凸されてない」ってだけで、モーニング公式アカウントには、くっそ罵声連載中止要求が成されている。

まあ、あいつらのいうことなんか一事が万事この調子で、すぐに責任転嫁するのだよね。

まあ、自分責任はすべて「男社会オタクが悪い」で、自己完結してるんだろうが。

2019-11-16

そして「愛情」という名の甘やかな「支配」について

理解の出来ない他者」としての親、そして「愛情」という名の甘やかな「支配」について

 他者論という観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を作り出すことは不可能である。一方で「他者」は、単に真理への到達を妨害する忌むべき存在というわけではなく、「私」を自己完結孤独から救い出す、「無限可能性」でもある。いかなる哲学科学数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる。「他者」が現れるからこそ、自己自己完 結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる。

 レヴィナスによると、「他者」は「理解されえない、言い換えれば包括されることが不可能ものである」とされ、「所有を、私のさまざまな権能を拒む」とされている。すなわち「他者」は、「私」(自己)の内面を切り崩し、空にし、「私」として安住することを辞めさせ、「私」を超えたものを求めざるを得なくさせる。

――エマニュエル・レヴィナス「他者論」

 最後に、くり返しになってしまうがまとめておこう。他者はいつでも私にとっては「理解きぬ不気味な存在」でありえる。その不気味さが同じチームのなかで突然浮かび上がることがあるし、理解という手法でそれを解決することはできない。むしろ、その「理解できなさ」こそが、一種の救いなのだ他人の心に踏み込んでいったり、他人自分を同じ存在だと思ってしまったりすると、正常な距離は失われることになってしまう。

 だから、互いに「理解できない不気味な他者」として関わり、そしてそれゆえに「共にいる」こと。わたしたちはそうした関係に満足しているべきだし、そうした関係にこそ価値がある。

――ティッシュ専用ゴミ箱2 「女児向けアニメで描かれる「他者の理解できなさ」について。あるいは、女児向けアニメは家族の問題とどのように向き合ってきたか。-『プリティーリズム』『プリパラ』を一例にして」

 友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じていますセラピスト理論上は、非指示的であり続けましたが、一般西欧セラピストと同様、孤独状態もしくは真空状態治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。

 友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない」

 友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます

―中略―

 母性的尽力的配慮相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮相手支配したり、奴隷化するものしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります

――新しい科学194「レベルⅢへの到達方法(続き)」

 若者たちは産まれなおすのだ。

 理不尽強制としてこの世に生を受けた幼子は、若者となり、己の意志でもう一度生誕を決意する。

 自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身人生を歩み出すのだ。それは神聖なる契約であり、人はそうして連なってきた。それが人をいままで繋いできた。

 にゃん太はそれを守るためならば、我が身を灰にしても構わないと思った。ロンダークがそれを知ってくれるのならば、どんなことでもしてやりたいと思った。

――橙乃ままれ「ログ・ホライズン(Route43)」



世界、つまり親による絶対的かつ暴力的侮辱によって、人は育っていく

愛情という名の「自己犠牲」、それと表裏一体の過干渉という、そのさらに裏にある「自己憐憫・自己満足」は人を根腐れさせる

人は「干渉」に依って生まれ、生かされ、育てられる

それは、人に限らず、それは「環境」とも「世界」とも呼ばれる

あなたと私は違う

あなた世界ではないし、世界あなたではない

からあなた世界からの期待に応えなくても良いし、応えても善い


そして、世界というのは幻想に過ぎない

あなたの両の目が見て、耳で聞いて、触れ、脳内で像を結んだものけが世界」に過ぎない

それ故に、あなたが何と対峙するかすらもあなた自身問題である



いわゆる「毒親」と呼ばれる他者から支配の話である

@Gesu_Masuda

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