はてなキーワード: 総スカンとは
これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638
巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋駅から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。
一番反対したのは洋菓子店のタカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。
これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン。
地下道は都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。
しかし地下道入口に東急ハンズがオープンすると付近にカメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル、映画館が誕生し、池袋駅東口~東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。
90年代にJRAは女性をターゲットとしたCMを打つなど競馬のイメージアップに努めてはいた。
だが池袋駅東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージの悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRAは土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロンや飲食室などを設ける大規模な計画だった。
この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗の第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在のLABIとなり、池袋の家電激戦区っぷりに火を注いだ。
米軍が接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地や家屋に収用が掛かった。
これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地内侵入などの事件が起こり大騒動になった。
憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件。
この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍は立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町の横田基地に集約する事を決定。立川飛行場は日本に返還される事になった。
箱根ヶ崎付近の八高線と国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である。
返還された立川飛行場は学校や研究所、法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。
真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。
なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7
(よく見ると滑走路アプローチの>>>>のペイントがうっすら残る)
東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音と振動が問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線のゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。
そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民の利益にもなるスキームにした。
この為に赤羽~大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮駅北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。
なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。
空襲焼失地区の戦後の復興は東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。
そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的な方法を試す事にした。
しかし優越な資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。
しかし建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火と風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。
戦後の歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。
しかし高田馬場を始発駅とする西武新宿線が新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町の付近に仮駅を設置された。
当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地を勝手に占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しかも権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。
その為に歌舞伎町の地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。
そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。
ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638
流山は常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。
田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦、牛久沼、手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。
問題は北千住から柏で、今の南回り松戸ルート、八潮→三郷→流山の北回りルート(TXコース)がある。
でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川、古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウンの南側は田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮の市街で出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車の振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。
だから日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ。
日光御成街道の宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市に吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし
これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。
日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。
上野駅を出た京浜東北線(大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。
地球の海面は氷河期には氷河や南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。
縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野は海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)
海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである。
すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである。
つまり、上野~赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。
波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。
上野~赤羽では小規模な波蝕台が連続し京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。
この波蝕台跡は他の低地より少し高いから田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。
陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である。北海道標津の野付半島や京都の天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。
この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴は江戸時代の荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。
当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防(曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。
川口町駅からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。
南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。
浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である。
大宮から先も小さいカーブで芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体が芸術点高いルートを通っているのでこの区間はコピー忍者って感じだ。
このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。
文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?
お雇い外国人の英国人の力だけではない。江戸時代に新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ。
台地上に水田を作る場合、もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。
やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。
更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側から何センチ下/上がっているかが判る。
これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。
という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。
そいつは普通に周りから孤立している。(俺からしたら)面白くないし、周りの雰囲気も悪くなるしで当然だと思ってる。
でもたまにそいつがみんなのグループに交じってくることがある。
自分がおかしいのか、それともこのおかしいという環境が普通なのか、わからない。面白くない奴に、笑い声を与えたとしても面白くないだけだと思うんだが…。
消えてくれ、普通に消えろ~~~。
そいつは俺と同じ絵を描くサークルに入っている。そいつは途中から入ってきた。
よっぽどしたいことがあったのかな、と思っていたのだが、そいつは入ってから一枚しか絵をかいていない。しかもすごいへたくそ。
代わりにそいつがやることとすれば、ボードゲームをやろうと誘うこと。
ふざけてんのか?ここは絵を描く人が集まるサークルで、ボドゲをするサークルじゃねえんだよ、空気よめ。
最初こそ何人か(俺も含め)付き合っていたけど、今じゃ誘っても総スカンされている。なのにまだずっと誘ってる。
頭悪いんか?誰がお前と遊びたいと思うねん。
面白くもない、声はぼそぼそしてて対人関係の経験値がないのがもろばれ。
まあだいないから、大学に友達が一人もいなくて、サークルでも孤立しているんだろうな。
もしかしたら周りから見たら俺はそいつよりも面白くなくて、俺に見えないようにみんなで一緒に遊んでるとか。
もしくはこんなに意識するのが異常で、みんなこんなもんだと普通に思っているのかもしれない。
タイトルで言いたいのはこういうことで、こういう気持ち(疑問)にどうやって対処してるんだろう?
面白くない、不快なやつを全力で排除しようとするのは異常、もしくはあまりメリットがないのか?
どうすればいい?
20年ぐらい前にイーガンの「順列都市」という小説が一部で超持ち上げられてて読んだのだが、
メインっぽいアイデアの部分(計算の分散をいくらでも拡散してけば無限に計算できるよね)が
「あれ? こんなん幼稚園か小学校の頃に脳内妄想するような話じゃね?」(少なくとも俺はそういうのやった)
ってなって全くピンとこなかったんだけど
まあ、あれはそういう与太話に乗っかって金持ちが全員カモられてめでたしめでたしって話なんだなと納得していた
だって、あんな穴が丸見えのアイデアで順列都市に移住するって、バカにも程があるじゃない?
まあ小説設定的には既にAI移住済みの人格だから現実世界に関与するあり方と順列都市住みの違いに大差を感じなかったってことなんだろうけど
(ただ、「イーガンすげー」って誉め方してる人はそういう受け取り方してるようには見えなかった)
で、時は過ぎ現代
AIが現実世界(というか株式市場)でもてはやされるようになり、
小説の与太の前提(金持ちが死後も自分の人格をAIに移行して、自分は死んでない人格は維持してると主張して金をガメ続ける)が
ところが、順列都市の都市の中で超もてはやされそうなNFTは総スカンくらうし、AIバブルは始まって一瞬で終わりだし、メタバースは始まる前から終わってるし、
まあそらそうだよなーと当たり前の結論になるんだけど
結局、順列都市って何が良かったんですかね
ダンテの煉獄っぽいところ? でもそのへん適当に付け足した感なくない?
わからんわー
周りで絶賛している声が多かったのと、金ローの人気投票で選ばれたっていうので見た。
感想としては、「刺さる人には刺さるけど、大ヒットとまではいかない地味な映画」という感じだった。
・「魔法」という題材に反してストーリーラインがこじんまりとしているように感じた。
せっかく「魔法」というワクワクする題材を使っているのに、「話が終始ミラベルの家族間のいざこざで完結している」「見せ場であるミラベルと祖母の和解シーンが対話であっさり終わってしまう(その直前に家が崩壊するという派手なシーンはあるが)」なのもあってアニメ映画としてみるにはスケールが小さい作品だと思ってしまった。
特に祖母とミラベルの和解シーンは「どちらも魔法が使えない」という設定のせいで、アニメ映画なのだから本来いくらでも派手な映像に出来そうなのに、地味であまり印象に残らなかった。
最後の家族でのミュージカルシーンや、ミラベルがドアノブを握ることで家が魔法の力を取り戻すシーンの演出も派手ではあったけど何故かあまりピンとこなかった。全体的なストーリーラインが弱い印象があったからかも?
最後のオチの印象が弱く見えることに関しては、結局家族やミラベルの状況が序盤と何も変わらないように見え「がち」なのもあると思う。
序盤の状況とは、家族はこれからも魔法によって村の人々を助けなければならない、ミラベルは魔法を使えないまま。
実際は心理的には大きく変化がある。家族間にあった不和は消え、家族はみんな「家族の圧」に縛られなくなり、おのがままのマインドで生きられるようになった。ミラベルは魔法を使えないのではなく実は祖母と同じような「魔法を管理する」というギフトを持っていたということが明かされる?(これに関しては映像からそう読み取れるという考察をちらほら見かけた、がセリフでは明示されてない)
でもパッと現実の状況だけ見るとそんなに変わっていないようにみえる。
あとは家族と一緒に暮らしていくオチが、ミラベルが家族から冷たい扱いをされる描写が長いために「なんだかなあ…」と思わされてしまう。
ミラベルが家を出て外の世界を知るようなオチ、或いは数年後の家族の姿が描写されるとかあればまた違ったのかもしれない?
ミラベルは序盤から「家族の中で1人だけ魔法が使えなず、家族の大多数にあまりよく思われていない」というキツい境遇だ。最初はこれが底の状態で、てっきりここら家族と和解していくのかと思っていたのだが、その後もミラベルが家族のためにやることなすこと空回りした挙句、「自分のせいで家と魔法の力が崩壊してしまう予言」が家族間で共有され、家族みんなから総スカンを喰らう。ここがドン底。昨日の金ローではこの時点で22時である。
1時間くらいミラベルの辛い境遇と空回りを見せられなんともいえない陰鬱な気分にさせられた。宝石の国のフォスか?
しかもその後の1時間に予言の謎解き、家族の抱える問題の解決、祖母との和解、家の崩壊と復活まで詰め込んでいたためにどの要素も物足りなくなっていた。尺配分をそもそもミスっているような気がする。後半に詰め込みすぎというか。
あとミラベルが家族にキツイ言葉を言われるパートが長かったせい&人数が多すぎで、家族に対して愛着がなかなか湧かなかったのもある。
特に「ミラベルが家族と家を滅ぼすという予言」を家族が言いふらすシーンとか最悪の奴らじゃん……となってしまった。その予言を見たブルーノは「その予言を家族に公にするとミラベルの立場が悪くなる」ために秘密にしていたのに……。
個人的に実写じゃなくアニメ映画なのだからキャラクターは魅力的かつ個性的でいてほしい。それはビジュアル面だけでなくキャラクターの性格や設定も指している。
が、ミラベルは割とどれも弱く見受けられた。
ビジュアル面がパッとしてないのはまあどうも公開前に騒がれまくっていたので言わずもがな。メガネのディズニープリンセスは斬新で良いと思うが、髪型とか他の要素の組み合わせが悪いがために魅力的なキャラデザに見えなかった。
個人的にはミラベル自身も家族にも強烈に印象に残るキャラはいなかった。
特にミラベルに関しては「家族のために役に立ちたい」という主人公に相応しい善性を持っているが、家族から悪い扱いを受けるシーンが多くて「もうミラベル家と村から出て行った方が幸せなのでは…?」と思わざるを得ず、共感があまり出来なかった。
ミラベルのこの心理に関しては、毒家族を持つ人こそ逆に共感できなさそう。
「毒家族故に反抗する機会も与えられなかった悲しきキャラ」と定義してる感想を見かけもしたが、それを制作者が意図しているのはピンとこない。ミラベルが反抗して家を出ていくなどしないと成り立たない気がするからだ。流石に祖母にちょっと怒るシーンはあったが……。
家族に関しての印象が薄くなっているのはビジュアル面の弱さもあるが「人数が多い」もある。もう少し絞ってもよかったのでは?と思わなくもない。
人数が多いせいで個々の抱えている不安や問題などの解決の描写も短めになってしまい、それ故にキャラが弱くなってしまったように思う。
「家族のために結婚する不安」を抱えていたイザベラや、「魔法の喪失=アイデンティティそのものを失う」と思っていたルイーサなどはリアリティがあって好きだった。
個人的にはブルーノとミラベルの掛け合いは面白かったのでこの2人の絡みをもっと見たかった。
(というよりこの掛け合いが来るまでミラベル側の味方があまりいないので、ミラベルの会話シーンがずっと暗い)
Xでミラベルの感想を検索すると「実はこの映像はこういう意味があって!」「こういう設定があって!」というつぶやきをちょくちょく見かけた。
どうも魔法にまつわるアイテムや家族達の動作を非常にこだわっている作品らしく、そのあたりに注目すると作品をより深く楽しめるらしい。家族に対してのキャラの薄さも払拭される可能性がある。
実際初見だと確かにストーリーを追うのとキャラを覚えるのとミュージカルシーンの歌詞を聞き取るので手一杯になっていたため、また見返すと違うのかもしれない。
また、明確なヴィランがおらず(ミラベルと敵対する祖母も周囲のプレッシャーに苦しんでいたキャラとして描かれ、和解する)、日常に重きをおいたドラマ
だったのでそういうのが好きな人は好きそう。
官公庁がTeamsを公文書にするためにスクショを撮るとかいう話を聞いて分かるように
メールで送った文章を印刷して証跡として保存しておく、とかいうのもその考えに基づいている
メールの最初に「〇〇様 いつもお世話になっております」とか書いたり末尾に署名を書いたりするのも同じだ
Toに書いてある、Fromにも書いてある、署名するなら電子署名しないと意味が無い、といくら言っても分かってはくれない
こういう考えの人の何割かはチャット=手紙の延長だとも思っている
読んでるくせに全然返事をしない、やたら長い文章を送信してくる、1行レスができない、などなど
使いこなせていないだけでなく、彼らにとって送った文書・送られた文章は立派な手紙だと思っているので証拠・証跡として残しておくべきだと思っていて
なんならその証拠を使って大事な仕事を進める、みたいなことをやるので害悪でもある
ちなみに決まってこの手の人はタイピングが遅く、とにかくテキストを書き出すことができない
「Web会議で打ち合わせをしましょう」と言って会話ベースで無いと話が進まないのだ
彼らにとって会話は証拠を残しておかなくても良いものだが、チャットは証拠を残しておくもの(手紙)だと思っている
打ち合わせのWeb会議を繋いでも「少々お待ちください。こちらで検討します」と言ってミュートにし
向こうのチームで相談してから回答する、みたいな官僚的なことをやる奴すらいる
決まって録音される
一方で実はLINEは会話としての地位を築いていて手紙だと思っている人は少ない
スクショ等で証拠を残したりしたとしても、それは会話を録音しているのと同じ状態だと思う人が多い
なので企業内でもコミュニケーションを効率良く進めるためにLINEを導入しているところは多いし
SlackやTeamsではないのはそういう理由なんだと思っている
LINEに情報を渡したくない、という理由で某大手通信会社が「LINEに代わるチャットアプリを!」とか言って独自のチャットアプリを開発してて
チャット=手紙だと思っていた人にとっては意味があることだと勘違いしたようなのだが
逆にチャット=手紙だと思っていた人には結局は手紙だと思われている
噂で聞いたが結局は社内でもメールの代わりとして使われていてチャットとしては機能しておらず、そもそも使っている人が少ない、とのことだった
以下事例と考察。
これは決勝ではなく3回戦の話。2回戦で明徳義塾が松井秀喜に対して5打席連続敬遠を行った結果、試合には勝ったが日本国民からが総スカン。
次の3回戦は完全アウェー状態で、相手の広島工業がヒットを打っただけで大歓声、明徳義塾がアウトになっただけで大歓声、明徳義塾がヒットを打ってもスタンドは静まり返っていたと言う有様。
本来の力関係では明徳の方がはるかに上だったが、スタンドを完全に敵に回した状態では力が出るわけもなく、0-8の惨敗。
試合終了時にスタンドから一斉拍手が起き、それを明徳義塾の監督は「労いの拍手」と有難がったが、明徳義塾が負けたことに対する拍手であることは明白だった。
「最後の国立決勝」ということで48000人の大観衆の下、富山第一高校が後半40分まで0-2と負けていたがその後立て続けに2点取って追いつき、延長で勝ち越して優勝を果たした試合である。
富山第一が1点返した時点でスタンドの雰囲気が変わり始め、ロスタイムにPKを獲得し、監督の息子がそれを決めて同点に追いつくとスタンドの雰囲気は富山第一高校の応援一色。
後半終了から延長開始までのわずかなインターバルの間にウェーブまで起きていた。ウェーブはスタンドを2周し、対戦相手の星稜応援席だけが無反応と言う状態だった。
こんな状態の中、富山第一の決勝点は相手陣内からのロングスローがアシストになったものだが、そのロングスローを行った選手はなんとこれまで一度もロングスローをしたことが無かった。富山第一ホームと化した旧国立競技場が、ロングスローのスキルを一時的に付与した事例と言える。
東邦高校が6点差逆転サヨナラ勝ちした試合である。9回裏、東邦が点差を詰めてきた途中から全方位的なタオル回し応援が行われ、相手に対して強烈な圧となっていた。タオル回し応援がNGとなったきっかけの試合である。
ただ、9回裏開始時点ではタオル回しは無かったことを付記しておきたい。
金足農業旋風の年である。これも金足農業のホーム状態となり、対戦相手はそれに苦慮していた。
この動画が分りやすいが、金足農業の2ランスクイズサヨナラ勝ちの瞬間、内野席だけでなくバックネット裏の子供たちも立ち上がって喜んでいたのである。
https://www.youtube.com/watch?v=HnTyA-j22dk
スタンドの応援や雰囲気が片方に偏る理由は、試合展開であったり、それまでのチームが紡いできたストーリーによるものである。
今回の慶応の壮絶大応援も、1回の先頭打者本塁打がきっかけだ。仙台育英が先制していたら話は変わっていたはずだ。
つまり、いくら「相手に配慮した応援をしましょう」と言っても意味がない。