はてなキーワード: 熟練とは
いろんな業界がコロナで大変だと増田で悲鳴が上がってきているけど、ウチも中々に大変なんで書いてみる。
当方しがないケータリング業者。会社の歓送迎会やレセプションパーティなんかを中心にやっていたんだけど、2月から売上がゼロ。年始の時には定期のお客さん含めて6月くらいまで毎月10本弱の予約入ってたんだけどオールキャンセル。その後の新規もゼロ。どっかのホテル業界が90%減少って言ってたけどウチは100%減少。
3月ぐらいの時は正直、秋くらいには落ち着くかなと思っていた。自社サイトリニューアルしたり、調理場の改装したり、(お金にならないけど)営業がてら個人宅向けの出張ケータリングしたり、慣れないYoutubeなんかも配信したりもして「コロナは仕込みの時期!」ってやってたんだけど、もう無理。
今年の仕事はおそらくゼロ。来年もこの調子だとワクチンや重症化予防薬できるまでゼロ。多分、この仕事自体が数年間は(一旦)なくなる。
幸い専従スタッフも食わせる家族も抱えていなかったので、調理場の維持費用だけで済んでるから何とかなってるけど、社員を抱えている人は本当に辛いだろうな。去年結構がんばったので今年は社員を入れて拡大しようかなと思ってた矢先で、本当に良かったんだけど悲しい。
まあでも、死んだものを悲しんでも帰ってこない。気持ちを切り替えて新しいこと始めるしかないと、色々と手を打ち始めた。そうしたら、今は新しいこと始めるチャンスだと気づいたんだよね。
政策金融公庫も商工会議所もコロナ特別融資などで、お金を借りるのが過去最高に楽。事業転換用の補助金もある。店舗物件もオフィス物件もコロナ倒産でここ数年では出ないような優良物件が空き始めてる。スタッフもそう。業界にもよるけど、若い人から熟練技能者まで求職者が増えている(特にウチの飲食業界はシェフが超仕事探ししてる)
もうね、これから10年先まで見ても今ほど新しいこと始めるべきタイミングはないんじゃないかな。もちろん手元の現金を減らすリスクは恐ろしいけど、今まで勝ってきた人たちの牙城が崩れてるから、挑戦者にはきっと追い風だと思う。今、事業計画書とか書いてて起業した時と同じくらい、ワクワクしてるんだよね。
いろんな業界で阿鼻叫喚の声が上がっているけど、うまく事業縮小したり事業転換したりして生き延びて欲しい。そんなことは、もうわーってるよ!!って思うかもしれないけど。
私そうらしい。まだ検査結果だけで説明は受けてないけど、そうなんだそうな。
今まで20年くらいadhdの白よりグレーゾーンって言われてきたんだけど病院変わったら今回そういう診断が降りた。
長年抱えていた何が正解なのかわからないって気持ちがすこし納得感を持っておとなしくなった。
私同じ障害でもadhdの人たちみたいに愛されキャラにならないんだよね。私は割と人間が好きで、一期一会を大事に思うし同じ団体にいる人間は大切にしようと思うんだけど、もう初期の段階で人が離れていく。私は自分の臭いが原因だと5年くらい思っていた。ちがうよねー
この人が離れる理由を今回の主治医は「人にどうみられるか、という部分の発達が遅い」と言っていた。とても納得した。
adhdの人たちが一般的に愛されキャラなのは多分第六感的(私にはうまく説明できないだけです)に人の感情を深く論理的に感じ取るからだ。普通の人より感情についての複雑さを受け入れることができて、しかもそれを論理的に解明しようとするからバグってる時があるけど、熟練するといわゆる「ひとたらし」になる。私もとてもすき。
私は昔背の高い細い男の人に告白されたことがある。他の人が彼と付き合い始めた時、みんなの前でとてもいい人だとおもう、2人はぴったりだと思うといい、根拠として自分が告白されたときのエピソードを語った。最近思い出してそれでその後人間関係死滅したのかって理解した。でもその瞬間はそれが自分ができる最高の表現だった。つもり。
アスペルガー特有のこだわりと言われる部分に関してはもう本当関わった人全員に謝りたい。唐突に怒ってしまってごめんなさい。よく考えればあなた方の方が論理的ですが、私は関係が複雑になるともう理解できない。
私がいまどうしようもないと思っているのはアスペルガーの宇宙人要素を軽減する薬はないらしいこと。
しかしその学習をさせてもらえる施設はほとんどなさそう。あるのかな。私は診断受けるために3ヶ月かかった。月に一度しか予約がとれない。お金はどんどんなくなるので高齢の親に申し訳ない。
今親は生き生きしだして、私を救う、助けたいというけども、身体に不安を抱えているはずだ。
ごめんなさいといつか言いたい。前に言った時はむしろ落ち込ませてしまった。多分親にも私が変わらないことがわかってるんだろう。
正直私が死ぬしかないのか?私は人に悲しい思いをさせたくない。でも誰かと関わると嫌われる。善意で笑顔で最悪のことをやるんだよ。
親指シフトキーボードの販売終了が決まったが、親指シフトが早いと思っている人が多いようなので書いた。
なお、現代で日本語を最も早く入力できる方法は、音声入力かステノワード系統(キーを複数同時押しすると変換済みの単語が入力できるもの)だ。キーボードの配列を多少どうこうしても、この二つには勝てないだろう。
このサイトが詳しい。その要点。
ようするに、親指シフトが早いとする根拠は、宣伝のため大昔に広められた話が元となっている。特に、打鍵数の話は嘘と言ってよい。いまでもこの話を使うのは人々を騙すようなものなので、絶対にやめて欲しい。
ローマ字から親指シフトに移行して、腱鞘炎が治った人もいるし、逆に腱鞘炎になった人もいる。
仮に、無変換キーと変換キーを親指シフト用に使うと、無変換+ホームポジションをカーソルキーにしたり、変換キーをCtrlにできなくなる。これはVimを使っていようがあった方がいい。これらをするには、何らかのソフトか特殊なキーボードが必要になるが、親指シフトを使う時点で同等の処置が必要になる。世の中には親指で押せるキーが大量にあるキーボードもあるが、それでも親指で押しやすいキーはキーボードの一等地であり、無駄遣いに変わりはない。
たとえば、左右交互打鍵というものがある。片手のキーを連続して打つよりも、左手のキーと右手のキーを交互に打つ方が早くなるという理論だ。この理論を元に、可能な限り左右交互打鍵になるよう工夫されたキー配列も存在する。
これは一見、とても理にかなっていそうだが、疑う声もある。例を出すと、QWERTYキーボードで左手だけを酷使する「fdsa」と左右交互打鍵の「fjdk」なら、左手だけを酷使する「fdsa」の方が早く正確に打てる。
現状、どのキー配列が早いか判断するには、タイピング熟練者の実際の速度を見るしかない。かな打ちやステノワードは、ローマ字打ちよりも使用者が少ないにも関わらず、タイピング大会などでローマ字よりも明らかに早いとわかっている。親指シフトはそうはなっていない。
ステノワードは権利でがんじがらめになっていて気軽に使えない。
かな打ちはローマ字よりも早いが、タイピングゲームではかな打ちを使うが普段はローマ字入力という人もいて、簡単に勧められるものではない。
AZIKのようなローマ字を改善したものもあるが、AZIK以外にも複数の入力方式が乱立していて、どれを使えばいいのかわからない。利用者はAZIKが一番多そうだが、それでもかなり少ないだろうし、「っ」の打ち方が本来のローマ字と違っていて互換性も低い。
私ネトウヨだけど、安倍内閣の特徴は、反対派が言うような巨悪や無能ではなく、調整型で組織防衛型という点にあると思う。
これまで自民以外も含めて、政策に関係ない些細なことやわきの甘い点を攻撃されて失墜していった反省から、決定的なボロを出さないことに注力した究極形態にみえる。
これまで安倍首相は数々の批判にさらされてきたが、いまだに収賄をはじめ一発退場の違法行為の実行犯としての証拠は挙げられていない。
揚げ足をとられないように、発言は抽象的になり、文書などの証拠も極力出さないようになる。
それが公正さ、誠実さに欠けていると批判されても、明確な違法行為の実行犯とはならない範囲を見極めているのが巧妙。
そういう点では(そうは見えないかもしれないが)歴代内閣でもっとも守りの堅い、将棋で言う穴熊のような盤石の防御態勢を作った。
状況によって組織防衛の「組織」が日本だったり内閣だったり自民だったりするが、守りに関することは動きが早くて、それ以外は調整型なので遅く、大胆な改革はしない。
組織に対して献身的であり、個人的な私利私欲は意外なほど見せていないので自民党内部から刺されることもない。
首相の座に居続けることで得られる利益というのはあるだろうが、もっと直接的な欲はほぼ見せない。
調整型であることで、自民党内部や官僚や多種多様な産業界のどこか(農業とか製造業とか)が割を食ってその業界ぐるみで反発されることもない。
調整型・組織防衛型であることのメリットは政権を長く保つことができて、長期計画の政策がおこなえるということ。
(現状できていなかったとしても、その下地ができているということ)
短期間で任務が変わる場合、一般の公務員などでよくあるが、1年くらいで成果が出る目先の改革に注力してしまい、
どんなに優秀な人でも長期的展望がないいきあたりばったりのことをやってしまう。
デメリットはもちろん癒着、腐敗、見えないところでルール違反をしやすいところ。
現政権の場合、防衛的にわきを固めているので、不祥事も他の政権と同等かそれ以下であり、ことさらにそこを攻めても崩れない。
今のような巨悪や無能を論点とした正攻法や、揚げ足とり、違法行為に対する間接的関与で安倍首相個人を叩いても、さほどダメージは与えられないと思う。
とはいえ現状はすでに安倍首相個人が一般大衆のヘイトを買いすぎているので、次の選挙で自民が大ダメージを受けるのは確実ではある。
安倍首相と自民を分断させ、自民党員に安倍支持を表明することがデメリットと感じさせるようになったら組織防衛が崩れていくだろう。
それに向けて内部に反安倍派を増やすような工作を今からしておくのも有効だと思う。
調整型を攻めるなら、他の先進国のような大胆でスピード感のある情報改革を進める方が国のためになる、という政策論議がいいかもしれない。
熟練の技を堪能出来たらいいんだが
あのさ、
悪いときは悪いというか、
何を言ってるかよく分からないそのままのまま言ってみたりしたところで
何も伝わらないと思うけど、
調子悪いときはこれどうなの?と首をかしげそうなほどな暑さにやられてるというか、
そんでさ
いつ行っても何でもサウナ爽快感100点!って訳ではないのよね。
整う前に体調整えないとってところかしら。
先週はさ、
銭湯、サウナに行きたい!って思っていて結局行ける日が無くそんなウィークだったんだけど、
で、いざ行ったらその有様でしょ?
難しいわー。
もちろん満腹すぎてもダメだし、
そういった身体のコンディションも私の場合関係あるっぽいような気もするので、
そこ調整するのも難しいわー。
そうそれと!
休日は銭湯サウナとテレビで終わるのってもったいなくないかしら?
だから夜はテレビ見ないでキッチンでラジオ付けながらお片付けとか洗濯とか
もうちょっとそう言う時間に費やしても良いのかしら?って気付かせてもらったわ!
これ家でいつも何食べてたの?って感じだけど
たまにはお蕎麦もって思って茹でてみたけど、
私がうまく上手に茹でられないだけなんだけど、
そこそこに適当に茹でてもバシッと
アルデンテーノに来まるけど、
いつもそれ乾麺のお蕎麦を上手く茹でられないことを忘れたことにまたお蕎麦を家で食べたくなるから、
そのたびに上手く茹でられない自分にショックを受けるんだけど、
もうまったく涙の数だけというより、
お蕎麦茹でた数だけ美味しくできると思っていたけど、
グラフ描いてみるより明らかだわ。
なにか美味しく上手に乾麺のお蕎麦が茹でれるライフハックがあったら
いっちょそれに乗っかってみたいわ!
買って1回だけしか使ってないヌードルメーカーが出動する日が近いのかも知れないけど、
あれはあれで片付けが恐ろしく面倒くさいので
開けて使って仕舞ってそっと段ボールの蓋を閉じてしまいそうよ。
って実際にそうしてるけど、
蕎麦って難しいなーってサウナだけに2つの意味でそう思ったわ。
うふふ。
タマゴサンドはセクシーヤミーでジューシーでやっぱり美味しいわね!
急須で煎れてみました。
味には変わりないような気がして、
良い香りのジャスミンティーは眠り誘う香り!って朝なのに!って思うほどよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前職の同期(女性)から「彼氏にセックス上手くなってもらいたいんだけど、どうしたらいいのか」という突然のお便りがLINEで飛んできた。
面白いトピックだと思ったから徒然に書く。タイトルに少しでも悩みがある人に向けて書けたらいい。
僕の歴代彼女は3人。経験人数は指で数えられる範囲。風俗経験は1度しかない。
2人目の彼女と別れてからそういうことになった女の子で、「上手」と言われないことがなかった。
リップサービスを加味しても、表題をつけるだけのユーザー体験を提供できているといっていいのではと思ったので以後、偉そうにする。
僕がその女性に対してなんとなく言ったのは「なんかふと思ったけど、本当にセックス上手い人って相手のこと育てるのも上手いんだろうね〜」というやんわりとしたものだった。
直球で言えば「育成ミスったね」ということだ。
このお便りをいただいてから、僕なりにセックスが下手というのはどういう状態なのかということを考えてみると、
・痛い
・具合が合わない
・そういうことじゃない
MECEではないが、この3つが浮かんだ。
うち、「痛い」は状況が悲惨なので、これは最中にカミングアウトしたほうが良い。
痛いのを隠してムダに演技をしてしまうと相手の学習が悪い方向に進んでしまう。
とした場合、「セックスが下手」のうち、悩みに発展するパターンっていうのは
「具合が合わない」「そういうことじゃない」のどっちかなのだろう。
風俗狂の同期に言わせれば「人生で一回だけ経験した大満足ックスはジャストフィットがパない(ボキャ貧)」らしい。
僕にはちょっと何言っているのかよくわからないんだけど、JF(just fit)するとお互いに「あ、きちゃった」という感じになるとのことだ。
JFがキマるんであれば、AF(アバウトフィット)もキマるというもんだ。
女性と男性には特有のオナ癖がつくので、こればっかりは解決不能かもしれない。個性として受け入れていくしかない。
どうしてもだめだったら、性の不一致を理由に別々の道を歩んだって良い。
一方、「そういうことじゃない」の問題は、はっきり言えばコミュニケーションの問題である。
セックスは非言語コミュニケーションなんであって、肉体コミュニケーションなんである。
(という信条から、「いかに美しくセックスするかにコミットしている」という発言をしたらドン引かれたことがある)
それ故に、「セックスの上手い下手は、話していれば大体わかる」
という持論もまた、懐刀のように持っている。
大抵の場合、「独善的な会話」をする人は「独善的なセックス」をするし、
「相手の立場に立って会話」をする人は「相手の立場に立ってセックス」をするのである。
キャバ嬢から「話してる最中、セックスしたくてしたくて仕方なかった」と言われたことがあったり、
「あなたとセックスしてみたい」と何回かストレートに言われたことがあったことだ。多分、一部の女性も直感で理解しているのだろう。
前職の上司は「お前の欲望何?セックス?セックスならうんうん言ってればヤレるじゃん」みたいなことを初対面の僕に言ったことがある。
共感が大事、ということだろう。とんでもねえベテランだなと思った。
あるいは、大阪のソープ嬢から、「舘ひろし(みたいな男性。風俗経営者)と初めてシたとき、『し、しぬほどよかった・・・』ってなった」
と聞いたことがある。セックス界のクリロナみたいな人だ。経験人数✕学習能力が桁違いである。
PDCAの研究開発が幸を奏しているし、熟練度が匠の技化していくのだろう。僕はさしずめ「県大会のメッシ」といったところか。
「相手に対して嫌なことはせず、お互いに気持ちよくなれているかどうか」を気にしている。
また、セックスの上手い下手は間違いなく経験人数だけの問題じゃない。
100から先は数えてない系人材は、経験人数がたった一つの勲章だと思っており、必ずしも学習総量を高めたいタイプではないので注意が必要だ。
「いかに相手に学習を促せるか」ここに集中してディープラーニングを頑張るしかないように思う。
具体的には、間違った学習をしないよう、演技をしすぎないことと、痛いときには痛いと言うこと。
奥がコリっとして気持ちよかったとき、壁がカリっとして気持ちよかったときは盛大に「ぎもぢい」と言うこと。
これしかないと思う。
「痛いときは痛いって言うね」といったアイスブレイクを行っておくことも重要だ。
あとはもうこうなってくると如何にプリミティブな自分を曝け出すか勝負になってくるので、
こういうことしてほしいみたいなことは積極的に言ってみるとか。
ただ、「そういうことじゃない」に対して言語化ができない微妙なシーンがあると思う。
具体的には思いつかないけど、うーん例えば
これは頑張って変換する語彙力が大事で
「優しく吸われるほうが好き・・・」とかそういうふうに頑張って変換することで開発促進する。
セックスに正解はないので、あとはオナ癖を意識したコミュニケーションを取る。
おっぱいを強くわしづかみされるのが好きだったらそう言ってあげたほうがいいし、
クリをグリグリ押し付けてオナニーしているんであれば、「もっと強くしてほしい」といったほうがいいし、
逆にナカ派なんであれば、はっきりと「クリ育ってなくて刺激強いから、優しくしてほしい」と頑張って言うとか。
「痛いときは痛いって言ってね」系の前提のすり合わせは入念に行っておく。
「どうされるのが好き?」など、相手が自己開示しやすいようにチームビルディングが重要だ。
激しくするのは相手から必要とされたときだけに留めておくと丸い。
そして男性もまた、きもちぃときはきもちぃ、ぃたぃときはぃたぃと言う。表現のレパートリーを増やす。
上記に加え、セックスの体験価値は居酒屋でのコミュニケーションから前戯の前戯が始まっていると言っても過言ではないので、
未体験の場合、そっから如何に相手をその気にさせるかもすごく重要だと思う。
相手の反応からどんな気持ちなのかが手に取るようにわかる阿吽セックスを楽しめるだろう。
ここまでのことをさも当たり前のようにこなしている男性は、きっと仕事でも喜ばれているはずだ。
上達の結果リピート率が高くなってうれしい気持ちになっているに違いない。
ただ、コミュニケーションを一つでも齟齬るとメンヘラ化が待ち受けているので、気をつけてほしい。
追記:
そのさ、自分だけにしかできない事、みたいなものを「点」で考えるのをやめなよ。
「点」って言ったのは、一つの物事について、世界一の熟練度を持っているとか、そういうののこと。単一の頂点と言うか。
「点」はメジャーなものからマイナーなものまで世の中にたくさんあるけど、どれかでトップを取ることにそれほど拘泥する必要を俺は感じない。それが必要になる人は、アーティストとかパフォーマーとかアスリートとか、そういう人たちだけだ。
そんなことをしなくても、すべての人間は、各々が生きてきた中で既に「点」同士を繋げた「線」や「面」を持っている。各「点」自体の強度はNo.1じゃなくても、「線」や「面」として組み合わせたものは間違いなくユニークでナンバーワンのものになる。
まだ確信できないなら、「点」の要素として「自分が生きてきた時代」のような要素や、「自分が見聞きしてきたもの」すべてが入るとしたら、どうだろうか。
実際、誰にもマネできない素晴らしい作品などをアウトプットしてきた人たちも、自分が過去得た「点」を組み合わせて何かを為しているだけだ。
仮に何も生み出せていない人であったとしても、自分とまったく同じ環境でまったく同じ人生を歩んできた人間はこの世界に誰も居ない、ユニークであるという事実は変わらないのだから、すべての人間は存在しているだけで凄まじい潜在的価値を持っているんだよ。
生きていれば何かの拍子に「点」が繋がっていく時がある。何かと出会えた時、何かを為せた時、「点」を意識できていれば楽しくなる。自分が蓄えてきた「点」をつなぐボーナスゲームが人生なんだよ。
そのさ、自分だけにしかできない事、みたいなものを「点」で考えるのをやめなよ。
「点」って言ったのは、一つの物事について、世界一の熟練度を持っているとか、そういうののこと。単一の頂点と言うか。
「点」はメジャーなものからマイナーなものまで世の中にたくさんあるけど、どれかでトップを取ることにそれほど拘泥する必要を俺は感じない。それが必要になる人は、アーティストとかパフォーマーとかアスリートとか、そういう人たちだけだ。
そんなことをしなくても、すべての人間は、各々が生きてきた中で既に「点」同士を繋げた「線」や「面」を持っている。各「点」自体の強度はNo.1じゃなくても、「線」や「面」として組み合わせたものは間違いなくユニークでナンバーワンのものになる。
まだ確信できないなら、「点」の要素として「自分が生きてきた時代」のような要素や、「自分が見聞きしてきたもの」すべてが入るとしたら、どうだろうか。
実際、誰にもマネできない素晴らしい作品などをアウトプットしてきた人たちも、自分が過去得た「点」を組み合わせて何かを為しているだけだ。
仮に何も生み出せていない人であったとしても、自分とまったく同じ環境でまったく同じ人生を歩んできた人間はこの世界に誰も居ない、ユニークであるという事実は変わらないのだから、すべての人間は存在しているだけで凄まじい潜在的価値を持っているんだよ。
生きていれば何かの拍子に「点」が繋がっていく時がある。何かと出会えた時、何かを為せた時、「点」を意識できていれば楽しくなる。自分が蓄えてきた「点」をつなぐボーナスゲームが人生なんだよ。
少なくともリベラルは表現の自由を守りますんで、自分の好きな表現(エロ、萌え)だけを守り、その他の表現(たとえばアイトリなど)を叩くオタクを「表現の自由戦士」と揶揄してます。実は表現の自由など守る気はまったくなく、自分の好きな表現だけ守るという意味を込めて。 https://t.co/jmkx7AZsga— 山田実理@FTM/ASC (@mitsusato_) 2020年2月23日
もはやブーメランの熟練度は当時のネトウヨを超えているよなぁ…(笑)
オタクや表現の自由戦士はそれこそあいトレに関しては「やれ。その上で批評させろ」ってスタンスだったのに。
あいトリにしてもその後トリカエナハーレの一件で左派が自らもダブスタをやってしまっていたのにね。
少なくともオタクや表現の自由戦士に関しては今のフェミや先鋭化したリベラル支持者みたいに気に入らないモノを何でも弾圧して取りやめさせようとはしていないよ。
真面目に考えると無論、
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
が最大の発明なのは一切疑問の余地はないのだが、それはそれとして、元増田が挙げている物がどの程度「発明」だったかネチネチかつダラダラかつ主観的に検討してみる
無論、発明ではない。遅くとも、表記スペースが極めて限られているボードSLG時代には極めて標準的な考え方だった。
おそらく本当のイノベーションとは、
「イタリックで説明文を追加すれば無闇矢鱈に新しいキーワード能力を追加してもよい」
という決断が下された瞬間である((MAROがどっかで書いてた気がする))。
無論、発明ではない。ただし、
がデッキ構築という概念と密接に絡んだイノベーションな可能性は否定できぬ。
無論、発明ではない。カードゲーム(日本語で言うところのトランプ)を遊べば、そんな物が設定されている物はすぐに見つかるだろう。
ただし、(Raise Deadでなく)Animate Deadは明らかに異常な発想である。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
無論、発明ではない。ユニットが青色だろうが灰色だろうが歩兵は3-3で戦車は5-5である(ダニガンは偉大だ)。
それより『Bobby Lee』(所謂「積み木の南北戦争」。第一作は1972年出版の『Quebec 1759』)みたいなのをTom Dalgliesh(Colombia Games創業者)がどうやって思いついたのか知りたい。
あれって「アイデアというのは複数の問題をいっぺんに解決すること」そのもので、明らかに頭おかしい。
無論、発明ではない。ただし、山札から他のゾーンにカードを移動させる手段が多彩なので、発明に見える可能性は否定しない。
「勝利条件が設定されている」と「勝利条件を狙って行動できる」の間の断絶は本来は極めて大きい。
そういえば、バクスターか何かだと思うのだが、サイドボードがない時代の大会で、デッキ二つ用意して、対戦相手によって使い分ける話が載ってなかったっけ?
Duelistに1回載ってた謎のポイント制デッキのルール、サイドボード10枚毎にポイントが設定されてた(上限30枚)の、面白かったよね。
「コレクタブルカードでゲームをする(しかも同一カードを複数枚使ってもよい)」
普通のカードの代わりに平然と基本地形が混ざってるリバイスド以前のパックでドラフトしてた人達って頭湧いてたと思わない?
と書き換えると何か直接の先祖があった気がするが思い出せなくてモヤモヤするよね?
タイプ1とタイプ2を分離するのは確かに画期的だったが、本当の決断は
「Ice Ageを出すときにカード背面のデザインを変えなかった」
ことではないだろうか。
もともと、Ante関係のカードの存在故に、まともなトーナメントルールを作るならば「禁止カード」の設定が必然だった、という偶然から発生した話ではある。
それがなかった場合に「特定のカードはデッキに入れてよい枚数をコントロールする」という発想が出たかは謎ではある((いやそれなら最初に「同一カード4枚制限」を思いついたのが一番の発明だろう))。