はてなキーワード: 恣意とは
俺は、どーもドキュンを恨んでいた。今もうらんでいる。
俺は、高学歴エリートだし、給料の保障もされている。親も金持ちの資産家だ。
世の中ドキュンがクラスのかわいい娘とセックスしまくっていて、ヤリサーのリア充がやりまくって。そいつらが我が物顔。
こんなん絶対おかしいと思っていたし。多分そいつらドキュン達にも正義ってか、正しさみたいなのは無いんだって確信していた。
戦争中に子供を特攻隊にやっちゃった「空気」に流されたように。ドキュンも空気でやってるだけだろ、理性的に考えればドキュンやリア充ノリはおかしいと思っている。
なのに、そいつらが我が物顔なのが納得いかなかった。
でも、違うんじゃないか。
俺が苦しいのは、マダマダ中途半端なんじゃないか。
俺の親もそのくらいだ。
いわゆる上級国民だと思っていた。実際地元の県ではそれなりに発言力もあるし、1分野を牛耳っている。
でも、それって全然足りないのでは。
『凍牌』って漫画見てたら、芸能界のアイドルとヤリまくれるとかレベルのヤーさんがでてきたりして。
ああ、こういう奴らっているんだろうなって思った。
全然、1億とかってレベルではなく、数百億レベルの資産で世の中牛耳っているレベルの世界があるんだって。
ドキュンやリア充すら奴隷にしているレベルの世界もあるんかなって、漫画ながら感じた。
ドキュンやリア充のキチガイノリは、目をそらすためにマスコミが盛り上げているだけで。
実際は、そういう社会システムをコントロールしている人間、あるいはシステムに苦しめられてるんじゃないか。
また、その努力ってのもたちが悪いことに、社会のためになっている。
俺個人が普通に努力するより、システムにそって努力したほうが社会のためになる。
すでに、俺の人生は、俺が能動的に生きるより、システムの奴隷になったほうが有意義になるように組み込まれてしまっている。
もちろん、降りることはできる。でも、降りたところでじゃあ何ができる。降りた先での努力に俺の生きた意味を残せるほどか。
たとえ勝率が30%しかなくても。100万円をかけて、1000万円得るチャンスがあるなら、100万円をかけるべきであるように。
そう、引き返すポイントはあった。
500万持っていて、勝率30%で500万を得られるチャンスに投資するかといわれれば、しない。降りるなら、そこだったんだ。
でも、手元に200万しか残らず、勝率30%で500万もらえるとなったら、これは降りにくい。
これを、コミットって言うんだけど。
人生も、俺は、29歳までの内、15年ほどを学歴や資格などに使ってしまった。
降りれない。
社会状況が変わってしまい、当初の夢も形が変わってしまった。世の中ドンドンよくなって、もう俺が良くしたいと思っていたことも達成されてしまった。
ドンドン世の中よくなるので、もう張り合いが無い。俺がやりたかったことは終わってしまった。
なのに、俺はこのレールから降りられない。
夢が無い。
ただ人生楽しむだけに生きてればOKって感じだった。
うらやましいわ。
俺みたいな、中途半端な立場で努力を強いられるような人間ではない。
圧倒的な勝ち組の子供。今まで何人か見たことあるし、同じ立場で一緒に努力もしたことあるんだけど。
やっぱ、違うなって思った。
彼らは、いつでも降りられるし、降りるだろう。
俺は、一生努力しなきゃいけない。
夢が無さ過ぎて、じゃあ現実を見ようとしたら、ドキュンがかわいい娘をかっさらって。アラサーには無理だよ。ブサメンには無理だよ。
夢のために横に置いていた、恋愛などに挑戦してみたが。
数年、格好や髪型、体型など努力してみたが、全然足りない。ドキュンに勝てない。
最近、違うと思った。
コミットさせるようなシステム、ゲーム設定を作ってる奴がいる。
あるいは、個々人が自分の有利になるようにゲームをプレイしていたら勝手にできあがったシステムなのかもしれない。
第二次世界大戦の時は、軍部の暴走やアメリカやドイツの恣意だった。
現代は何だろうか。
俺の場合は、研究のためだけに幼い頃からずーっと頑張ってるから、リアル生活は興味ない。
興味ないが、高学歴のエリート職で見た目見た目で来られるから、ウザイってだけ。
お前が、散々、「モテとか興味ないはずない」という謎視点でやってくるから、否定してるんだよ。
でも、はっきりしたわ。あんたみたいな人は、「意見と事実を分けて考えよう」っていう論理の基礎すらできてないんだわ。
俺の意見とか抜きでも成立してる事象に、やたらと俺の『人格』とかを絡ませて否定したいだけなんだろうな。あんたみたいなのは。
どっちかというとファンな方に位置するけど、
最近あんまりにも、「ベビメタだらけの・・・」というBaby Metal応援サイトがはてなブログの人気エントリに来すぎじゃないだろうか?
金積まれてるの?ってくらい露骨に、このブログだけ毎日のように上がっており、はてなスタッフの恣意か、何らかのSEOならぬはてなブログ対策的なものを感じる。
だって、このブログ、ブクマも、リツイートも大してないわけで、はてな村民に反感を相当買っている(少なくとも将来買う)のではないかと勝手に思う。
このバンドのいいところは、あくまでもニッチを狙ったところにあるわけだから、そのニッチ層と適合的なはてな村民というパイをみすみす失わせるのはどうかと思った次第。
http://anond.hatelabo.jp/20140323160041
元増田の「累進課税をやめて消費税を増やせ」というのは凄く正論だと思う。
(書き方がアレなので反発が多かったのが残念だったが)
★★★
高所得者は低所得者だった時の気持ちがわかる場合も多いが、逆は少ない。
高所得者にとって日本の税金はひじょーーーーーーーーーーーに理不尽なんだ。
4.トップレベルの能力が必要な職種(上場企業役員、天才プログラマなど)
※漫画家やプロ野球選手なんかは2・3・4などの複数が当てはまる
上記のどれもが大抵「激務」というデメリットなオプションがついてくるし、
「継続」するのが難しく、絶え間ない努力が必要で、将来が不安になる職種。
「良い波」のときにごっそり税金を持っていかれて、波が落ちた時の理不尽な事よ!
(翌年の住民税はとんでもない額になっているし、経営者は失業手当を1円たりとも貰えない!)
これらの職業についている人たちは、貯金をするモチベーションがはたらくのは当然。
貯金する行動を抑制したいなら、所得が下がった時に還付される仕組みがあるべきと思う。
取られるだけ取られて知らんぷりなこのシステムは、非常に不安で納得がいかないものだ。
★★★
低所得者が「消費税」の議論をするときに、なぜ「外国の消費税」と比べないのかが不思議。
労働時間は毎回のようにヨーロッパと比べるくせに、消費税はなぜヨーロッパと比べないのか?
他国を「参考」にすると、同じ消費税でも生活用品は消費税をゼロにする国はいっぱいあるし、
まだまだ調整する余地は残っていると思う。
個人的に、最も恣意を入れにくく公平にできる税は消費税だと思っている。
人にはそれぞれ事情があるんだよ。
★★★追記★★★
転職活動にいそしんで、大企業入って政治力を尽くして役員目指すとか。
高所得者はみんななれればいいと思ってるけど、リスクと天秤にかけると
そんなに目指すものでもないんだよな。
日本で起業家やチャレンジャーをもっと増やすには、インセンティブと、
この日本は高所得者にはちょっと不公平なので、もう少し中和されることを祈る。
★★★追記2★★★
星がいっぱいついている人の一部に返答します。
id:Ayrtonism不安定な高所得者より、不安定な低所得者の方がずーーーっと不安定だってこと忘れてない? それに、個々の事情に勘案するのは限度があるから、所得の額だけで累進課税するやり方は割と合理的だと思う。
経営者は個人が担保になって、借金を被るリスク背負って会社やってるし、
漫画家目指す人は、それに成るために膨大な時間(人生)を賭けている。
「賭けてない人が、負けた後で不公平だ!と文句を言うおかしな社会」って藤子F先生のSF短編に載ってるよ。
今の税率はどうかと思うよ。
id:charliecgo研究者もこの項目複数当てはまるけど高所得者には普通なれないなあ。/あとこの議論だったら、高所得者からたくさん税金をとってセーフティーネットを構築するのがベストに思えるが。
僕はコンビニバイトだから詳しくわからないけど、大学教授をしつつ研究者である知り合いは高額所得者だよ。
あと研究者の中でも神戸のとある機関の人たちは稼いでいるって、先週の週刊文春が言ってた。
漫画家と一緒で、なりたい人が多くて一部の人しか食えない業界なのかな。
一般的なセーフティネットに賛成なのは当たり前だけど話がそれるので、
今はリスクを取った人に対するフォローやインセンティブがなさすぎるので、そこの仕組みが重要だと思ってる。「失業の際の給付金」や「累進課税の還付」とかね。
貯金よりも消費にお金を回す高所得者が増える方が、社会にとってもいいでしょ?
経営者は、「社員全員の雇用保険を払ってるけど、自分は1円たりとも貰えない」って、かわいそうだぜ。
id:qouroquis高所得者がその所得に見合う価値を「自ら」生み出しているかと言うと必ずしもそうではなく、現代の社会制度の中で他者の上前をはねる地位につけたケースが多いと思う。社会制度維持のコストを多く負担するのは当然。
一部の違法な経営者を除いて話すけど(ブラック企業問題はここでは別問題なので)、
僕の知ってる経営者は間違いなく価値を産み出している。雇用を創出し(誰でも働けるような場所を創る)、
貯金がマイナスになるリスクを背負い、新しいサービスを世に送り出す。
さらに徴税の役割も果たし(社員の源泉徴収と年末調整は法人が行う)、
昼休みには従業員の女の子たちに「あのハゲ」と悪口を言われる社会の公器。
「上前をはねる」みたいな言い方する人がいるけど、みんなが働いて価値を出せる仕組みを創るために、
どれだけの努力と苦労とプレッシャーとリスクがあるのか、想像した方がいいかもね。
それが「簡単だ」って言うなら、きみは今すぐに経営者になるべきだ。
一般的に評価方法を数式化し公示して公平なコンセンサスを得てその線で評価しようとするのではなく、勘もしくは個人の恣意によって評価を決める人のことな。
そもそも、帰納法なんてのは高校時代に皆が学ぶもので、別に理系に特化したものでもないし。
その時点で帰納法すら理解できない奴はまともな大学行けないだろ、文系だとしても。理系も一緒。
だけど文系でも 演繹と帰納法 の能力が高いというのなら、今求められているように入試は文系でも5教科で行えばいいんだよ。それなら文系も理系もない。公平だろ。
ものによる。完全なGeneraristを求めるなら全能力を求めるのも必要。ただ、一定以上のレベルになれば両方出来る必要があるし、逆に出来る。一部超偏った人間が居ることも事実だが。
現に、東大京大は5教科で行われてるよな?偏りはあるものの、ある一定以上にはきちんと求めたほうが良い、となってる結果だろう。
さらに、東大の後期が完全にGenerarist知らないか?以前は完全に偏った人間、つまり理系科目だけ、文系科目だけ、の試験になってたが、
180度方向転換して、今や、全員に対し、同じ試験(多少の選択はあるものの)を課している。これが良いとは思わないが、現にそういう部分もある、ということ。
数字で測っていれば定量的みたいなのが、数学の世界でも一番やばいけどな。
統計学は嘘をつく
後、はてなーって、なんかどうしたって統計は嘘をつく、とか、統計を信じるのは馬鹿だ、っていう本当に愚かなバカどもがたまに現れるんだけど、寒気がする。
「統計学」は100%嘘をつかない。単に数字を決まったアルゴリズムに入れてその結果を出すだけだから。
正しく決められた式に数字を入れ込めば正しく数字が返ってくる。そこに嘘もホントもない。1+1が2になるのと同じこと。
問題は、その結果の捉え方。
まずはきちんとその数値の精度を理解し、結果を理解し、何に対する何の確率か理解すること。
それをお前みたいなバカは理解できないだけなのに、「統計学」が嘘をつく、なんてそんな馬鹿な話あるか。
さらに言えば、その上でその確率が何を意味するのか理解すること、については未だに誰も結論持ってない。
そこまで統計どうこう言うからには一通りBayesian、Frequentistについての思想を理解してると思うんだけど、どうなんですか?
数字で測っていれば定量的みたいなのが、数学の世界でも一番やばいけどな。
統計学は嘘をつく
それに数学というのは数字ではなく演繹と帰納法のこと。 この場合の文系とは 演繹と帰納法 の能力が弱いこと
そしてここで言っている文系とは
一般的に評価方法を数式化し公示して公平なコンセンサスを得てその線で評価しようとするのではなく、勘もしくは個人の恣意によって評価を決める人のことな。
何回も書いているけど、文系でも、演繹と帰納法 の能力が高い人はいる。
だけど文系でも 演繹と帰納法 の能力が高いというのなら、今求められているように入試は文系でも5教科で行えばいいんだよ。それなら文系も理系もない。公平だろ。
率直に言って、軍拡を目指す方針であればあるほど、核武装論を捨て、平和憲法を維持すべきだ。
「不可侵」「世界の警察」「大国への対抗」それらしい綺麗事こそ、軍拡の隠れ蓑に必須だ。
9条も、軍拡の極北として提示される核武装も、「~さえすれば攻められない」という観点では同じだ。
絶対に攻められない保障はない、というなら、軍縮でも軍拡でも核武装でも同じだ。
この中で、どれが最も対抗手段として有効か、と考えれば軍拡だと思うのではないか?
9条という題目を維持して地味な軍拡や、食糧・原料の保障の拡充を図るのが最も現実的ではないか。
一体誰がどこでいつどうやって核を運用するのか、方法が確立されない限り、核で実動兵器には対抗できない。
アメリカさえ民間人や自国民の犠牲で批判を浴び、無人偵察機やピンポイント攻撃に腐心している。
厳罰化・厳格運用するが、刑罰自体からは恣意運用や主観に関わる要素を排除する。
軍拡・タカ派外交を行うが、軍隊自体からは大量破壊兵器を削減する。
これらは本来セットで語られるべきものだ。
この説明では「恣意的な情報しか列挙されていない」としか言えないか。
確かに著作権保護の対象になるが、原作者の許諾を得ていない点で法律違反であり、非正当的な物である。無論著作権が切れていない場合での話だが。
この点において犯罪的かつ反体制的であり、少なくとも「日本国法律で違反している物」であるのは間違いない。
中国のパクリ行為と似通っている感は個人的には否めないな。まあ、個人的な感覚だがね。
同じ理由で「古典や新明暗等の著作権が切れた物に基づいた著作物」と「著作権法違反である著作物」とでは雲泥の差がある。あれらは著作権法に違反していないからな・・・犯罪者風情が著作権法の庇護を頼りに大きい面はしないほうがいい、という話さ。当たり前の話なんだがな。
無論、「二次創作」のくくりで語るということは上記の「例外」と「例内」も含めての話になるから否定的な発言をせざるを得ないんだがな。
ここで付与される「二次創作物に対しての保護」は「その作品に基づいた二次創作物」として保護されるのであって、一次創作者は「彼または彼女が創作した創作物の著作権」と「その創作物に対しての二次創作の著作権」を同時に持つ事が出来る。
「その作品のパロディとして貴方の二次創作を認めますよ」って事なんだよな。当然、一次創作者が不快に思えばいつでも訴えられる。
著作権法の庇護をひけらかすという事は、これらの条件を満たしてから言わないと片落ちになっちまうって事でもある。
有料の同人誌&許可を得ていない二次創作物(著作権切れでないの前提)は全て「違法」って事だ。さて、どれくらいの二次創作が残るか・・・?
「正当な二次創作」であっても、「その作品の二次的なファン活動によって生まれた模倣」というスタンスは変わらない。
個人的には蠅共が我が物顔で料理の周辺を飛び回っているのに近しい物を感じるよ。侮蔑と嫌悪が湧いてしまうなあ。こういう泥棒根性の奴がそこそこ多い印象がある。いや、これを書いている方が「そうである」とは言わない訳だがね?
色々試してみたが、やっぱり運営が意図してやってるみたいだ。
その証拠が
・特定のキーワードで受信する
・トラックバックは日記形式で日々更新されるため増田全体にトラックバックの記録が残らなければならないがそれがない
・運営が恣意的に行っている
すなわち運営は左翼だということ。
2ちゃんねる発のネットスラングとして女子高生の間で流行ったために、マスコミが誤解したようだ。
しかし、2ちゃんねる発の「JK」の意味は「常識的に考えて=常考」から来てるのであって、決して「女子高生」の意味ではない。
使い方としては「そんなことは当たり前だろjk」といった具合に意味に「女子高生」が全く含まれない。
いわゆる重複表現でもあるこのネットスラングがどういうわけか、「女子高生」の意味としてマスコミに特集されている。
もしや、これは後に「言葉狩り」が発生した時に2ちゃんねる発のネットスラングだからと2ちゃんねるを批判するためのアンチテーゼなのではないか?
万が一の保険かもしれないし、2ちゃんねる発と煽動する事自体に恣意的な何かを感じている。
何にしても用いる時は「常識的に考えて」以外で使わないことだ。
何とも恥ずかしい誤解を招いているようだ。
後者はともかく非上場企業で株式公開をしていない株式会社で有名なのがサントリーや竹中工務店などの大手が挙げられるので
とりわけ非上場に優良企業が多いという話は間違いじゃないかもしれない。
株式公開をして外部から指図されて会社運営をするより独自の方法でずっと変わらない経営をして黒字ならという話だけれど。
実際の所、非上場だからといって優良だと断定できる根拠がない。
よくNAVERまとめ等に挙げられてる非上場企業は優良だとする見解が見られるが、一方でブラック企業もちらほら見える。
その代表例が佐川急便だろう。
佐川の場合、激務高給の典型的な会社で働けば働く程儲ける事が出来る代わりに死ぬほど忙しい会社ということで社風が超体育会系なのでブラックだという認識が強い。
ところで、ブラック企業の定義は、(引用元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD)
すなわち、労働法やその他の法令に抵触し、またはその可能性があるグレーゾーンな条件での労働を、意図的・恣意的に従業員に強いたり、関係諸法に抵触する可能性がある営業行為や従業員の健康面を無視した極端な長時間労働(サービス残業)を従業員に強いたりする、もしくはパワーハラスメントという暴力的強制を常套手段としながら本来の業務とは無関係な部分で非合理的負担を与える労働を従業員に強いる体質を持つ企業や法人(学校法人、社会福祉法人、官公庁や公営企業、医療機関なども含む)のことを指す。
という事だから、佐川がブラックである可能性が高いというのは確かだろう。事実、労働問題でたびたびこの会社が挙げられているし、今やブラック企業の神となったワタミ会長渡邊美樹も佐川出身者なのだから、疑いようもない。また、金丸信関連の佐川献金事件や暴力団と関係しているといった黒い噂もあるので、ここではブラック企業といえそうだ。尤も、佐川では昨今福利厚生面の充実を図る試みがなされており、大企業であるという強みもあってそれほどブラックではないという見方も一応あるようだ。
結論から言うと、佐川急便は非上場であってもブラック企業なので、『優良企業=非上場』という図式は成立しない事が分かった。
これも必ずしもそうであるとは言えないものの、一つの指標になるとは思う。
資本金が多ければ多いほど会社の信用度が高まるというのが世間一般での常識だが、あえて資本金を9000万程度に抑え1億円を越えないようにする企業もあり、一概にイコール会社の信用度で決まってるように思えない。とはいえ、ブラック企業ランキングにランクインしている企業の多くが資本金1億未満であったりするわけで、あくまで信じられるラインなのかもしれない。
よく比較されるのが資本金の額と社長の車だろうか。例えば資本金1000万なのに社長の乗る車が2000万だった場合は資本金よりも自分が大切、つまりワンマン経営で経営に無頓着だという事でブラックの典型例に挙げられとか。資本金が信用の程度を表すのだとすれば、社長が着飾ってるのに会社が上手く行っていない場合、資本金の額面の通りの会社だというのは間違いないだろう。
これが大会社なら経常利益から経費で捻出するといった丼勘定もありうるだろうが、中小零細の場合売上から捻出される経費は全て工場だとか機械だとかの維持費や人件費に回されるので、その前提からいけば社長が贅沢三昧してる中小零細はブラックだろう。
だから、資本金が少ない中小零細がブラックだという可能性は少なくない。
しかし、資本金が少なく、また社長ないし役員が贅沢三昧してる中小零細でも優良とまではいかないが一般レベルの企業もある。それは大手メーカーの子会社だとか、そういった名の知れた会社と資本提携していたり共同開発する間柄であったり分社独立であったりと様々な事情があるだろう。
すなわち資本金が高いから・低いからでその会社が優良だブラックだとは必ずしも言えないけれど、一定の判断材料になるのは間違いない。
それはもちろんだけど、
コストがかからないというのは現状の施設をほぼ現状の安全対策のみで再稼動させるという意味なわけです。
ちょっとばかしの予算上乗せくらいでは事故が起こる確率は変わらないどころか、
経年劣化(現状ほぼ耐用年数ギリギリです。笹子トンネル崩落事故を思い出して下さい)のために
上昇を抑えることすら難しいのは明白なのですから。
(その上、日本全国どこでもいつかは大地震が起きるということを認めてしまえば大地震の確率も年々高まるわけですから、
原発のコストが安いというのはあくまで現状のまま使ったらという話で、
可能な限り最高レベルの安全対策を施した場合に安いことは無いんじゃないでしょうか?
でも僕は『だから現状での原発再稼動は絶対ダメだ』とは思わなくて、
そのリスクを正しく説明した上で現状のまま再稼動しないと経済的に苦しいです、
と正直に言って国民に判断を委ねればいいと思うわけですよ。
大多数がNoならみんなで貧乏になればいいし、
一部が被害を被ってもやはり日本のために必要だと大多数が思えば
付近の住民の方々には悪いけど粛々と再稼動すればいいだけのこと。
この結果は無かったでしょう。
やってることがデタラメ過ぎ。
痴漢や強姦の被害を受けた女性でも、加害者がイケメンであれば許すしブサイクなら即通報するものだ。
それが、日常的に行われている性的なスキンシップであったり恋人同士や夫婦間の営みの最中であってもだ。
気持ちが良ければそれで不問だし、気持ちが悪ければ訴える。ごく自然の行動だ。
さて、日本の世の中では不倫は悪しきものとしているが、実際はどうだ?
ある元アイドルの不倫報道では浮気相手の男がイケメンだったため周囲の反応は意外に良かった。
一方、大鶴義丹やそのまんま東の不倫はどうだったかというと、女性陣から総スカンを喰らっていた。
この事からも分かるように、日本社会では理不尽といっていいほどイケメンが優遇されブサメンが不遇な扱いなのだ。
よって、日本社会では、イケメン無罪ブサメン有罪が適用されていることが証明されただろう。
採用基準に顔判定というのがある。
履歴書やエントリーシートに顔写真を貼らせるのは、為人を見るためでも今後の選考用だからでもない。
その人が美形であるかどうかを見るためだ。
例えば、受付嬢の募集で必ずと言っていいほど美人が採用されているが、顔採用を行っているためだ。
それは会社の顔を決めるためであり、篩に掛けられるのは顔かたちが整った人間であることが前提だ。
学歴なんてものは、社会生活に全くといっていいほど役に立たない。
世の中には学歴採用を謳っている会社はごまんとあるが、その内情は顔採用のついででしかない。
日本社会では、まずイケメン無罪ブサメン有罪が適用されていることが前提だ。
例えば、会社説明会や他社へのプレゼンで顔の整った人間と、そうでない不細工な人間ならどちらが説得力があってその会社が素晴らしいと感じられるか、である。
内容が多少稚拙でも、イケメンであれば許されブサメンであれば許されない風潮はあながち間違いではない。
マスメディアは、道端の人間で近くの不細工よりも遠くの美形の意見を尊重する。
それは、そういう人の意見の方が視聴者に正しい先入観を与えられると考えての行動だからだ。
逆にそうしないマスメディアがあれば、それこそ物事を正しく公平に周囲に左右されず客観的に捉えられていると言えるが、
そうでない事が多いのはまずメディア自身がそれを恣意的に行うためである。
彼らは、日本社会では、イケメン無罪ブサメン有罪という前提があって初めてジャーナリズムをかざすことができるのだということを理解している。
こうして、彼らの印象操作が巡り巡って日本社会の循環を担い、結果的にイメージ戦略が出来上がるという仕組みを手伝っているのだ。
ネクタイ締めてない客は入れないとか、刺青入ってる客は入れないとか、
他の会員の紹介がなきゃ入れないとか、一定以上の収入がある客しか入れないとか。
どこの店でも客を選ぶ権利はあるし、その基準は店が恣意的に決めていい。
公の機関だったら差別と言われるような基準でも、民間がやる分には許容される。
乙武氏のケースだと、同行者が2階まで運ぶというのに断ったら差別と言えるかもしれないが、
店側に乙武氏を2階まで運ぶ義務はどこにもない。
工学系の院でドクターをやったが,挫折して企業に就職した。大手小売り系の会社で「ビッグデータ」(笑)の分析をやっているが,いろいろと不満である。
第1に,社内での過去の分析の蓄積がない。分析は,会議などの意思決定の場にあわせて実施されるが,その場限りのものである。過去の分析結果が参照されることはない。自分が過去におこなわれた分析結果を参照しようにも,その方法が実質上ない。
第2に,それゆえ,分析は散発的におこなわれ,恣意的に活用される。自分の分析スキルが(運良く)社内の実力者に目に留まったとする。彼はこう言う。「今度の経営会議で,このような主張をしたいのだが,そのために,このようなデータは作れるだろうか?」。彼が望むデータを得る事ができれば,私の分析結果は,晴れて経営会議でトップマネージメントに披露される。そして,私は,次回の経営会議でも,彼に分析を依頼されるであろう。しかし,仮に私の分析結果が彼の望むものでなかった場合は,どうなるか。彼に対立する立場のものに引用されるのならばよい。私のデータが社内で論争を引き起こし,そして,社内の意思決定を正しい方向にみちびく事になるからだ。しかし,そうはならない。私のデータは単に黙殺される。私は自分自身の昇進のことを考え,自分のデータを,彼に都合の良いものにどの程度加工するか(ひどい場合は捏造するか)判断を迫られる事になる。
第3に,1と2のような状況にもとづいた過去の「分析」に対する不信感により,社内で分析に対する信頼感がひどく低い。売り上げ・利益・在庫といったソリッドな数字はKPIとして共有されているが,それ以外の数値は無視される。外部コンサルを含めた分析者は,実力者におもねる茶坊主として軽視され,出世をするのは,営業で目立った数字を上げた者ばかりである。分析にひつような,情報の共有に必要な投資はなされない(1につながる)。図書館などない。白書や外部のシンクタンクが発行したデータの購入もままならない。そのような状況においては,毅然として,自分の信じる分析をおこない続けるのも困難である。
よく誤解されるのだけど、素朴な概念同士を組み合わせていくと矛盾を避けることができなくなるのはむしろ当たり前のことだ。
素朴な概念は、複雑な現実世界(巨大情報量)をアバウトな方法(情報量小)で分類などを行うものなので、ある一面からみると合理的になっているようにみえても大抵恣意的なルールが潜んでいる。
だから別な切り口の素朴な概念を組み合わせようとするとほぼ必ず矛盾がでてくるのだけど、文部省の教育要綱が悪いのか、素朴な概念は例外処理も少なくて良い等と思う輩が多くて閉口する。
現実の問題を整合性をもって「正しく処理」するための適切な方法は、基本的にそれなりに大きな複雑性のある概念(情報量中大)で切り分けていってそれなりに多い手順の運用で回すしかないってことを、いい加減みんな理解してくれないものか。
もちろんリソースは有限なので、本来「正しく処理」できることというのはひとつの組織の中でも非常に限られてくる、というところまで理解されている必要がある。
そうして初めて「それなりの正しさ」で妥協するということの価値を理解してもらえるわけで・・・、業務システム開発者の苦悩は深い。
http://www.youtube.com/watch?v=nzyQPkM5rRE
菊川玲以上に、コメンテーターの古市憲寿(東京大学大学院博士課程)の感想や中江有里の感想が的外れで、橋下徹の言わんとした事に何も答えてない。
橋下の主張は「慰安婦の問題に対して日本は悪いが、だからといって他国も同じ事をしているのに日本だけがやっているという非難の仕方はおかしい」という事だ。
この部分を強調しているにも関わらず、日本が全面的に悪いと言うような番組作りには辟易する。
それから、小倉智昭の誘導尋問や、都合が悪くなると「時間が無くなりましたので」と一方的に切る所などは極めて情けなく見えた。お前は田原総一郎かと。いや彼以上に露骨で酷い。
こういう番組に出る橋下も橋下だが、こういう番組で読んだゲストを一方的に敵視して発言を撤回させようとする恣意的な行為は客観性に乏しく独り善がりなものだなと
第三者から見て思った。