はてなキーワード: 土地とは
完全タックスフリーの土地があったらそういうこともあるかもしれんが、結局は税金をその土地の国家の金で払わないといけないからな。
完全に金を外に逃がすなんてのは無理だし、誰もやらないと俺は思ってるよ。
沖縄でやんちゃな少年たちの一般社会への再接続をサポートをする仕事をしているのだけれど、沖縄の若者文化というか何と言うか、端的に言えば不良少年たちは沖縄の独立を望んでいない場合が大半だ。
現在沖縄の若者は米軍基地が非常に身近なためかファッションから音楽までアメリカ由来のHIPHOPスタイルを非常に好み、沖縄の米軍関係者を親に持つアメリカ籍少年たちとコミュニケーションを取って生活をしている(ここで言うコミュニケーションは血を伴うものも含む)。
つまり、アメリカのバッドボーイズ/バッドガールズスタイルを日本の不良スタイルへと集合させた本土とはちょっと違う不良スタイルへと昇華させている。
アメリカのスクールカーストが稀に話題となるけれども、バッド少年たちはスクールカーストへ組み込まれていない例外層であり、何故かと言えばバッド少年層と喧嘩になれば拳銃が出てきたりして子供同士の喧嘩とはまったく言えなくなってしまうからである。
だから最上位であるジョッグやクイーンであってもバッド少年層とは距離を起く。ジョッグやクイーンが最終的に求め憧れるパワーとはヒーローのパワーであり、バッド少年が求める文字通り何にも縛られない自由になるためのパワーなので求めるパワーの質が違うのだ。
そうアメリカ籍の少年から聞いた。
はてなで話題になる沖縄の話と言えば、米軍基地と沖縄独立を絡めたものであるが、はてなで取り上げられスターが付くブコメにはかなりの偏りがあるし、おそらく・・・というよりはほぼ確信的に沖縄の大部分の若者から支持が得られないものだったりする。
少なくとも沖縄の若者からすると米軍基地へ直接雇用されれば安定職だし、出入り業者へ就職してもそこそこ良い待遇を得られることが確定する。
それ以外の就職口の大半が沖縄は3次産業ばかりが発展してしまった土地柄なので観光のための施設店舗を作り整備する土建業か、観光飲食そのものを扱うサービス業なので低賃金なのだ。
つまり、沖縄の若者からすると割の良い就職口である米軍関係を沖縄の外へ出すなんてのは害悪以外なにものでもなく、口々にその手の話にはほぼ間違いなく一笑に付してしまう。
はてなの一部の人には微妙な感情を持つことになるだろうが現代の沖縄で「少年から大人になる≒就職口として米軍関係を検討する」ということを意味する。
それでも米軍関係者による暴力事件がという考えが巡ってしまう人も居るだろうけど忘れないで欲しい。沖縄のやんちゃな少年たちの存在を。
今さら沖縄在住の人に説明するまでもないことだが、知らない人へ説明するならば「不良というものへどういうイメージを持っているか?」をまず考えて頂きたい。
私は不良のイメージの一部に「不良は大人に迷惑を掛けるもの」というのがあるし、多くの人もそうだろう。そして「沖縄では迷惑を掛ける大人の対象に米軍関係者すら含まれている」としたら察しはじめる人も出てくるのではないか。
沖縄発の犯罪事件の報道には偏りがあるのはご存知だと思うし、米軍関係者による無意識なアジアへの差別思想ももちろんあるだろうが、あれだけ成人式で騒ぐ沖縄のやんちゃな少年たちがなぜ普段から報道されず、警察により行き過ぎた取り締まりなどセンセーショナルなことがないと取り上げられないのは不自然だと思わないだろうか?そう偏っているのである。
一部の沖縄県警や一部の米軍関係者が沖縄の若者へ当たりが強いのは、そういったやんちゃな少年たちの存在が少なからず関係していると言って良いし、米軍関係者が暴力事件を起こしたとき何故か喧嘩相手の詳細がわからないのはその喧嘩相手は実はそういうことなのだ(少年法の絡みや報道慣習・自主規制もあるだろうけど)。
ほかにも米軍の治外法権の絡みから、何らかの事件を沖縄内で米軍関係者が起こしたとき捜査権は事実上早い者勝ちになっちゃってるというのもある。
本土の人からすると意味がわからないだろうが、米軍関係車両が交通事故を起こしたとき捜査するのは先に事故現場へ到着した警察もしくは米軍関係者がするという運用が事実上されているのだ。
まぁだからこそ責任割合で1:9みたいな感じで米軍関係車両が悪いとなってしまっても米軍関係者が先に事故現場へ到着してしまうと責任割合の概念が吹き飛んでしまい損してしまった経験のある沖縄県民が少なからず居るのだ。
逆パターンももちろんあるわけで米軍関係者からすると治外法権はなんとしてでも手放すわけにはいかないってのが現状だろう。
そんな様な状態であっても沖縄の若者、特にやんちゃな少年たちにとって米軍基地は大事な存在だ。
やんちゃな少年たちの沖縄流HIPHOP文化の根拠は米軍基地にあるわけで彼らの青春そのものだし、何よりも大人になると大事なパートナーとなるからである。
そして、その文脈と同じ様に沖縄独立は沖縄の若者、やんちゃな少年たちにとってありえないのだ。
HIPHOPと言えばやはり立身出世なストーリーだ。地元の多くの人たちからそのスタイルが独自のものと認められ評価され人気になって行き、都会で全世界で成功者として大金を稼ぐ。
沖縄のやんちゃな若者にとってのニューヨークとは本土の東京であり、決して那覇市ではない。
本土で沖縄芸能人が過去に人気となったことがあるけれども、沖縄の若者からすると沖縄芸能人はシイジャア(先輩)である。
その当時のスタイルはHIPHOPではなかったけれども、沖縄の若者、特にやんちゃな少年たちはシイジャアに憧れて東京を目指している。自分のリリック・フロウが世の中を席巻することを夢見ている。
それをすることが難しくなる沖縄独立を沖縄の若者が支持するか?と言えば支持するわけがない。
なので沖縄の若者は「沖縄独立は老害の世迷いごと」「アイツら中国から金貰ってる」「共産主義はダサい」と口々に言って意見がほぼ一致している。
ちなみに沖縄の多くの若者は学術的に沖縄独立や共産主義を理解していないがスタイルとして沖縄独立や共産主義をダサいと言っている。
生活へ密着する文化がアメリカ志向、大人になっての就職もアメリカ志向なのが今の沖縄の若者であり、そんな沖縄の若者の事情を無視して今の大人たちの思想信条や都合によって沖縄独立論を語ると、今の大人が引退した数十年後は逆に取り返しの付かないことになっているだろうと私は予測している。
補足情報として今の日本の音楽シーンでは徐々にHIPHOPが興隆しているけれども、本場アメリカの影響を強く受けた沖縄流HIPHOPの東京進出志向もあると思っている。
それがどういうことかと言えばHIPHOPの派生系「TRAPスタイル」の流入も東京で起きているということを意味している。
TRAPスタイルについては「TRAP 歴史」などでググって貰えればわかるだろうけど、ググるのが面倒な人へ端的にイメージだけ伝えると「違法薬物がかなり強く影響しているHIPHOP」だ。
このように端的なイメージだけ伝えると悪い印象しか与えないだろうが実際に悪い。どれくらい悪いかと言えばトランスやサイケデリックなどと肩を並べられる、もしかしたらそれよりも悪いほど悪い。
このような音楽を聴くなと言っているわけではないが、その文化へ濃密に自身の子供たちが浸かっているような気配があれば親は警戒したほうが良いとは思う。
違法薬物がなくともトランスやサイケデリックのスタイルは踏めるようにトラップもまた踏めるはずなのでトラップやドリルに傾倒する若い子たちは今すぐに違法薬物が伴っているコミュニティと縁を切るように強く言おう。
キミのスタイルは魂の選りすぐりのスタイル キミの魂よりクスリ クスリのスタイル 騙しのスタイル クスリより魂 楽しいスタイル キミのスタイル 騙しのクスリより楽しい選りすぐりの魂のスタイル
ついにプーチンは狂っただの、認知症なんじゃないか、つまりボケたんじゃないか、
いいやあの男こそはヒトラーの再来、生まれながらの悪魔的人物である、なんて、突飛な風評が目立ってきた。バカ野郎どもである。
道徳の教科で習わなかったのか?『人の気持ちになって考えましょう』と。
冷静になれば、「トチ狂ったから戦争を始めた」なんて口が裂けてもいえないはずだ。
普通に考えて、するでしょ。
だってさ、もう金はあんだよ?国一番の金持ちと言ってもいいだろう。なんか話題になってたよね。超豪華な別宅。宮殿な。
名声もあるだろう。あんな何年も国家のトップやってて名声がねえわけねえわな。
女、より取り見取りだろう。リュミドラが女としてどうかは知らんが、娘にも囲まれて家族的にも恵まれてる。
で、今。
攻める大義名分のある国が真横にある。
大義名分ってのは東のロシア民族を虐殺から守るなんて下らない理由じゃない。
ロシアの立場的には地政学的にあんな土地NATOになっていいわけねえし、まあ民俗学的にもロシアの一部であることはなんにも不思議じゃねえわな。
軍隊もある。敵に負けるなんてことはあり得ないくらいの戦力差だ。
そんで、EUやアメリカは核をチラつかせれば動かんのはわかりきってる。
こんな状況になったら、誰だって戦争したいに決まってるじゃん。
自分が権力者であることを最も実感できる瞬間だよ。間違いなく。自己表現と言ってもいいね。
そんな下らないことのために人が沢山死ぬんだぞ!って声が聞こえてくる気がするけどさ、だからこそいいんじゃない。
自分のある種、下らないようなこだわりのために世界が右往左往して、尊い人命が失われて。そんでもって良いにしろ悪いにしろ歴史に名前が残る。
これこそ、まさに権力者の愉悦、醍醐味ってものだろ。男の本懐と言ってもいい。
「プーチンの目的は一体…」じゃないだろ。今、まさに、プーチンは最高に充実してると思うよ。世界で一番のリア充だろう。
まあ、こういう浪漫というか、人の本能みたいのを何とか抑えようとしたのが今の国際秩序で、それ自体は正しい。そこに反対するわけじゃない。
本能だけに本能寺の変を起こした明智光秀みたいなもんだよね。織田信長と後継者を一発で殺せる下剋上チャンスがあるなら、理由はともかくとしてやるでしょ、的な。
ロシアの平均年収は70万円で、ソ連時代に徹底的に資本を排除していて経済成長が遅れてるんだぞ。天然資源に頼って財政を維持している国土の脛かじりのニート国家。
あんなに広い土地と、ヨーロッパとアメリカ、中国とつながり豊富な海洋資源を持っていて、GDPは世界11位。そのくせ軍事費には世界トップレベルで金をつぎ込んでいるという。
ウクライナの国旗の色は「黄色い麦畑の上に青い空」、あるいは国花である「ひまわりの上に青い空」を表している。
https://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_Ukraine
また、あるウクライナ人女性が、今回派兵されたロシア兵に向かってひまわりの種を差し出し、「そのポケットにひまわりの種を入れておけば、あなたが死んでもこの土地でひまわりが育つ」と語ったらしい。
まず、ロシアのウクライナ侵攻は明確な国際法の違反だし、感情的にも同義的も決して許されるものではないと強く感じる。
その一方で、西メディアの「ウクライナは何もしていないのに、いきなりロシアがいじめてきた」という世論づくりには反対する。
プーチンの言う「ウクライナ政府による虐殺」というのは、30年くらい前の「アメリカ政府による黒人差別」くらいのレベルではあると思う。
「政府が主導して、組織的に、効率的に、ロシア人を根絶する法律と行政」はないにしても、ロシア人が主な被害者となる地方行政や警察の腐敗には、まったく関心を持っていなかったと思う。
ウクライナは何回もいったことがあるし、ウクライナという土地と人は好きだけど、政府ははっきり言ってロシアよりくそだと思う。
ロシアはなんだかんだいって、おむつとベビーフードが病院で無料で配給されたり、庶民が植えないように財閥を解体したり、食料価格を低くしたり、けっこう貧困層にやさしい政策をやってるしね。
正直に言えばウクライナに対してまったくといっていい印象がなかった。
2014年のマイダン革命でネオナチが主導権を握り、その地域に居たロシア人の迫害を始めたことがロシア系住民の住んでた地域の反感を招き
結果として独立運動が起こった
その過程でかつての旧ユーゴスラビア紛争でのスレブレニツァの虐殺の虐殺のような民族浄化と言っていい民間人への虐殺事件が(おそらく双方で)行われた
オデッサでは2015年に親露派系住民が一箇所のビルに集められ火炎瓶で焼き殺されるオデッサの虐殺が起きたが、この実行犯に対しては捜査さえ行われていない
…と、まぁそういう話を折々で聞いてたので
ロシアの力による領土変更は絶対に許されないが、かといってウクライナが完全な白でもなく。有り体に言えはチンピラと殺人鬼の殺し合いに関わるのまっぴらごめんだなと思ってたのだ
ところが最近改めて調べてみるとこれらの事件がほぼ全部ロシアのプロパガンダによる印象操作で
バンデラはネオナチではなかったし、ロシア人の迫害はロシア人が先に土地と財産を奪い侵略したことが原因だし
虐殺は捏造で、オデッサ事件はただの偶発的な火災事故でしかなかった
本当はウクライナは善良で勤勉な人たちの集団で一方的にロシアが因縁をつけて攻め込んでるだけだったのだ。
本当にショックだった
興味を持って調べてたから間違いはないと思ってたがその実ロシアが流したプロパガンダに引っかかって無実の人々を悪人のように思っていただけだった
ウクライナの人々に謝りたい
特に落ちも何もないんだけど善良な人々を勘違いで悪く思っていた罪悪感から逃れるために増田で謝ることにした
ごめん
やっぱり他の土地に誇れるような魅力はないように思えるし、褒めてもらったのにそこは褒めポイントじゃないと思ってしまうという気持ちを吐露したかったんよ。わかりにくくてすまんやで。
この記事をね、読んだんですよ。1か月前に。
熊本生まれの妻に「熊本の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピー
前もって言っておくけど、ヨッピー氏個人に思うところがあるわけではないし、もちろん個人攻撃をするつもりもない。
これは広告記事だというのもわかっているし、熊本の魅力を伝えてくれているのもわかっている。基本的にはありがたい。
ただなにか、なんだろう、ずっとこの記事のことが心の中でしこりになって残って日に日にもやもやが募り、ついに吐き出したくなったので書いている。
自分は熊本生まれ熊本育ちで、大学進学で上京し、地元で過ごした年月と、東京を拠点にする年月が同じくらいになったところで、不本意ながら諸事情あって一度熊本に戻った。
当時東京に出た理由は「熊本、なんにもないからなぁ」に尽きる。地方特有のローカルルールとかどこどこさんちの誰々さんでいるのに耐えられなかったこともある。
それでも故郷のことは好きだし、愛着もあるし、褒められると嬉しい。たぶん、だから余計にもやもやしているんだと思う。
ヨッピー氏が挙げてくれた熊本の良さ、それ、『熊本』じゃないんよ。
まずこれ。「熊本駅前に住む」という感覚が、熊本の人間にはいまだ馴染んでいない。
熊本駅周辺が開発されたのはここ数年の話である。近年まで熊本駅前はマジでなんもなかった。本当になんもなかった。
九州新幹線が通ったのが2011年の話だが、そのときでさえ開発は進んでいなかった。線路を挟んで土地の管轄が県と市で異なり延々喧嘩していたからである。
駅周辺の開発が進んだのは(計画は長期であったろうが)2016年の震災以降である。
まず、そもそも熊本市内の人間は電車のことを電車と呼ばない程度に熊本駅に用が少ない。(市外からの通勤通学を除く)
「電車」=路面電車(市電)であり、いわゆる電車のことは「JR」と呼ぶ。JRは「外」に行く乗り物だし、「外」から来る人間の乗り物だ。
基本的に「熊本(市内)」に住んでいる人間が移動以外の理由で「熊本駅前」に行くことはほとんどなかった。
東京に住んでいる人間が羽田空港に行くくらいの感覚だと思ってほしい。おかげで今もそんなに馴染んでいない。
あと駅前は川沿いで地面も低い。熊本人はあのへんを住む場所ではないと思っていた。住宅地として開発されていることに慣れない。
駅の近くに家電量販店もスーパーマーケットもドラッグストアもコンビニも飲食店もスイーツ屋さんも映画館も飲み屋も何から何まで一通りそろっている
揃ってはいるのだが、感覚として羽田なのである。ここに書かれているものは街中にもあるし、郊外のイオンにもある。つまりそんなに魅力はない。
最近できたアミュプラザ熊本はちょっと都会っぽいものが揃っているが、いまさらこれで都会ぶるのも恥ずかしい。
むしろ中心部にあったパルコがなくなったことで心に穴が開いている。かつて福岡とタイマン張るとき唯一勝ち札にできたパルコ。(そのあと福岡にもできたから負けた)
我々はパル玉(旧パルコの前にあった丸い石のモニュメント/熊本におけるハチ公前)のことを今後なんと呼べばいいのか。
これはまあそう。道路の真ん中を車と同レベルのスピードで路面電車が走っていたらおそらく事故が多発する。
なお熊本市内で自動車運転免許を取ろうとすると、上り下り計6車線の真ん中に路面電車まで走っている交差点で車線変更と右折を行う教習が発生する。地獄。
トンネルいっぱいある高速教習もするし、踏切も渡るし、側溝ギリギリ1車線ハンドルさばきを間違ったら崖から落ちる山道を走らされたりもする。地獄。
熊本市内の基本的な移動ツールは自家用車以外だとバスである。バスは優先レーンがあるので比較的スムーズ。バスに乗れ。
街中に駐輪場を増やせというのは20年以上前からずっと思ってはいるのだが、上記は駅と「まち」しか行き来していないからできる発言でもある。
もともと熊本は川をそのまま堀とした城が建てられ、その回りにできた城下町がそのまま中心市街地になっている。
(渋滞が多いのは車が多いのもそうだが、城下町ゆえ道が恐ろしく入り組んでおり、一方通行や時間区切りでの取り決めが多く、見た目より時間がかかる経緯もある)
その一方で、住宅地は中心地から離れた高台や、川から離れてくぼんだ土地に作られているもののほうが圧倒的に多い。過去に大水害に襲われているからだ。
住宅地近辺は高低差が多く、自転車での行き来には労力を要する。
また、郊外の住宅地から中心地に働きに来る人間が多いので、必然的に自動車が増え、駐輪場より駐車場が優先される。自転車はあふれる。
無法に自転車が置かれているのでチャリ泥棒も多い。進学校でも数年に一度チャリパクで停学になるやつが出てくる。犯罪、ダメ絶対。
市もだいぶ前から問題視しており、課題にもしているので、熊本で気軽にこの話をすると若干荒れる。
参考:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=19753&sub_id=19&flid=275258
やたらとメシが美味い
これは半分正解で半分間違いである。熊本は確かにとれるものがうまい。肉も魚も野菜も果物も、質と鮮度がいい自負はある。
おかげで郷土料理がほとんど発達していない。なにもしないでもそこそこうまいからである。美点でもあり欠点でもある。
熊本はいつもそうだ。地産地消でほどほどに満足できるので、観光にも産業にも力を入れず、中途半端にのほほんと生きてきてしまった。
熊本で熊本らしい料理を食べるのは実はそこそこ難度が高いし、居酒屋も単に素材がうまいだけの場合が多い。いいことだろうけど味付けまでうまいかは人による。
あえて言えば何故か中華がうまい気はする。太平燕を食え。祝い事の際は桃花源へ行け。
水がうまい
これは素直に認める熊本の美点。水道水のカルキ抜きをしないでも金魚を飼える。
エキノコックスさえ到達しなければ誇り続けられるだろうが、いまだに井戸水や湧水を飲んでいる家もそこそこあるのであいつらが来たら終わりである。
そしてそこここで水と温泉が湧きまくるので熊本は地下鉄を通せない。地下道もほぼない。おかげで路面電車はのろいし、渋滞も起こる。
また、水が豊かな一方で、治水と環境保全に関しては、本当に何年も何年も何年もいろんな課題と論争と葛藤が続いている。
県外の人間が軽率に「ダム作っておけばよかったのに」みたいなことを言うとだいぶ傷つくので覚えておいてほしい。
その前に温泉の話をしろよ!!!!!!サウナとか言ってる場合じゃないのよ!!!!熊本の『湯らっくす』は天然温泉なんですよ!!!!!!!!
湯らっくすに限らず街のど真ん中のホテルも温泉なんですよ。熊本は銭湯感覚で温泉に行く。山鹿や黒川まで行かなくてもいいのよ。街中で温泉入れるの!!!
熊本地震のときに「風呂壊れたまんまだから温泉いくわ~~」であんまり困らなかった(当然困った人もいる)くらいのレベル。
郊外には家族湯(時間制で家族単位で貸し切れる温泉)も多いので、身体にコンプレックスがあったりタトゥーを入れていても安心。混浴デートにも使える。
熊本の自慢。
他にもいろいろ言いたいことあったけどここまで書いたらだいぶすっきりしてきた。
何度も言うけどヨッピー氏が書いていることは嘘ではないし、悪いことでもないのだ。誉め言葉は誉め言葉として受け取っておけばいいのだ。褒めてもらえるのはありがたいことだ。
だけどやっぱりもやもやするというか、なるほどこれが「内」と「外」の感覚や見え方の違いなんだなと思ったりした。
これをこじらせるといわゆる「村八分」に発展していくのだろう。怖い。自戒せねばならない。
田舎の排他的な、というか、熊本の場合は排他的というより、身内ノリや郷土愛が重い感じ(謎の高校閥とかさ)が嫌でその外に出たんだけど、外に出てなおやっぱりあの感覚から逃れられない自分に苦笑する。
今どんどん出来ている新しい綺麗な建物は、我々にとっては瘡蓋みたいなもので、地震の前にあったもののことを思ってしまうけれど。
おかげで熊本城もまた天守閣が見えるようになったし、今の中高校生にはきっと駅前が「まち」の一部になっていくんだろうし、ヨッピー氏が書いてくれたような新しい熊本がそれも「熊本」になっていくんだろうなとも思う。
阿蘇はいいよ。風は気持ちいいし馬にも乗れる。(火口は入山規制中だけど)(阿蘇はくそ広いので別に観光できないわけではない)(正直火口はそんなに面白くないので行かなくてもいい)
天草もいいよ。イルカ見れるし。太刀魚釣れるし。(泳ぐなら天草より芦北行く気がする)
人吉もいいよ。鍾乳洞探検も球磨川でのアクティビティもいい。うまい鰻屋もある。(市内から行くと高速にトンネルありすぎて気が狂いそうになるけど)
アーティストの地方ツアー大体飛ばされてたけど最近は来てくれる人もいるよ。(相変わらずテレ東映らないけど最近はもう配信があるし)
市内は基本盆地で吹き溜まりだから夏場クッソ暑くて湿気やばくて温室みたいになって死にそうになるけど。
いいとこだよ熊本。やっぱなんもないけど。
現代では、国の経済の規模はお金で表し、給料も税金もお金で支払われますが、江戸時代にはお米がその役割を担っていました。
「加賀百万石」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。領地の経済規模はお米の単位「1石(こく)」(≒150kg)の価値に換算して表されていました。1石は、当時1人が1年間に食べるお米の量とされていました。
また、お米1石が収穫できる田んぼの面積が「1反(たん)」(≒10a(アール))とされていました。1反の田んぼがあれば1人が1年間に食べるお米が確保できるということで、どれだけの田んぼが領地にあれば何人養えるかが大体わかるということになります。自給率の考えに似ているところがありますね。
江戸時代は、外国との貿易が限られていたのでお米の自給率はほぼ100%だったと考えられます。大規模な新田開発によって耕地面積は1600年頃から1720年頃にかけて1.3~1.8倍に増えたと言われており、耕地が増加した分、多くの人口を養えるようになりました。1600年頃に1,000~2,000万人だった人口が1720年頃には3,000万人程度まで増えたと言われています(*1)。
一方で、災害や異常気象によるお米の不作が原因となって幾度にわたり大飢饉が起きた時代でもありました。大飢饉の経験を踏まえてお米の備蓄やかんしょ(サツマイモ)の栽培が奨励されたことは、現代の食料安全保障に通じるものがあります。
明治時代に入り、新政府は、外貨獲得のため殖産興業と貿易促進に力を入れていましたが、生糸やお茶に並んで重要輸出品に位置付けられていたのが実はお米です。お米が最も盛んに輸出されていたのは神戸港で、明治11(1878)年と明治21(1888)年にお茶を抜いてお米が輸出額第1位になっています(*2)。
どのくらいのお米が輸出されていたのでしょうか。当時の政府文書によれば、明治12(1879)年~明治21(1888)年の十年間の平均で、酒造用を除いた国内消費量3,129万石(約470万トン)に対して34万石(約5万トン)が輸出されていました(*3)。
輸出先は、主に英国、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧州で、日本産米は品質が高く評価されていました。欧州でもイタリアやスペインを中心にお米が生産されており米料理を食べる文化があったのです。
明治時代に入って海外に輸出するようになったきっかけは、連年の豊作で米価が暴落したことでしたが、やがて外貨獲得の手段としても政府が自ら欧州での販売状況を情報収集し、産地でも輸出向けの品質改善に取り組みました(*4)。
このように、明治時代前期はお米を海外に輸出して自給率が100%を超えていたのです。
(図1)明治時代のお米の需給と輸出
お米の輸出国から輸入国への転換はあるとき突然やってきました。
お米の輸出量が過去最大となった年の翌年、明治22(1889)年に暴風雨による水害で収穫量が前三か年平均の85%まで落ち込むと、米価が暴騰し、翌年には不足分を賄うため193万石(約29万トン)のお米を輸入することになりました(*5)。米価高騰は簡単には収まらず、富山を始め各地で米騒動が起こり都市部では餓死者が出ました(*6)。
(図2)お米の輸入量の推移
(図2)お米の輸入量の推移
明治の初年からお米の輸入は行われていましたが、このときを境に大量の輸入がだんだんと恒常化し、盛んだった輸出は縮小していきました。
いったい何が起こったのでしょうか。原因は、人口の増加と1人当たり米消費量の増加でした。明治前期(1876~1885年)に比べて20年後(1896~1905年)には人口が1.21倍、1人当たり米消費量も1.21倍に増えたと推計されています(*7)。それまで、農村では米だけを主食とする(できる)人は少なく、米に麦・雑穀・いも等を混ぜるのが一般的で、実質の米食率は5割程度でした。好景気によって、農村の米食率が上昇するとともに米食中心だった都市の人口が増大したことで、お米の消費量はわずか20年で約1.5倍に増えたのです。
明治時代に入ってから近代的な土地改良や栽培技術の導入でお米の生産量は増加していましたが、明治25(1892)年の大蔵省主計局『米価ヲ平準二スル方案』は、生産増加だけでは人口増加に追いつかないと結論づけ、不作時の米価高騰を抑えるためにも外国からお米を輸入しやすくすべきと述べています。
人口はその後も増え続け、明治前期に3,700万人だった人口は、明治44(1911)年には5,000万人、大正15(1926)年には6,000万人を超え、昭和15(1940)年には7,200万人にまで達したのです(*1)。
5. 輸入に頼らざるを得なかった時代 ~大正時代・昭和初期~
お米の自給率は、1890年代には100%を下回り、大正時代には94%、昭和初頭には85%まで下がりました(*1)。ただし、この頃、朝鮮半島・台湾のお米は、輸入ではなく「移入」とされ、当時の日本政府は、日本本土に朝鮮半島・台湾を含めた圏内での自給を目指していくことになります(前掲の自給率は、移入も輸入に含めて計算されたもの)。大正6(1917)年の輸移入は、朝鮮半島のお米が48%、台湾のお米が31%、外米(英領インド(ビルマ)、仏領インドシナ、タイ)が21%となっていました(*8)。
大正7(1918)年には、二年連続の不作によって長期的に米価が高騰し、再び富山を始め各地で米騒動が起こりました。政府は、不足分を賄うため大規模な外米輸入を図ろうとしました。しかし、外米産地でも洪水や干ばつで不作が起こったことや、国内の米価高騰を抑制するため外米産地の政府が輸出制限や輸出禁止を行ったため、円滑に輸入が進まず厳しい外交交渉を強いられました(*8)。
また、昭和16(1941)年に始まった太平洋戦争では、戦況の悪化とともに外米輸入のための商船が確保できなくなり、昭和18(1943)年にはお米の輸入が半減、翌年にはほぼ途絶し、日本国内の食糧不足が深刻になりました(*9)。
6. 約70年ぶりの自給の達成 ~昭和中期~
昭和20(1945)年に終戦を迎えた日本は、戦争による耕地の荒廃、農業労働力不足に加え、朝鮮半島・台湾等からの輸移入に頼っていた需給構造が崩壊したため、深刻な食糧危機に直面しました。しかし、本格的にお米の輸入ができるようになったのは昭和25(1950)年以降でした。タイ、ビルマ(ミャンマー)、米国、エジプト等からお米を輸入することで国内の米不足を賄いました。
昭和27(1952)年には、10年後までに米麦の国内自給の達成を目標とする「食糧増産5ヵ年計画」を立てて生産量の増大に取り組み、昭和25(1950)年の938万トンから昭和47(1962)年の1,445万トンへと約20年で1.5倍になりました(*5)。約70年ぶりにお米の自給が達成されることとなったのです。
増産によりお米の自給が達成された一方で、高度経済成長によって食生活が多様化したことで、お米の一人当たり年間消費量は、昭和37(1962)年度の118.3kgをピークに減少に転じていました。
生産が需要を上回り大量の過剰在庫が発生するようになったため、昭和46(1961)年からは生産調整が本格実施されるようになり、1,200万トン前後だった生産量は、約50年で約800万トンにまで減少しました。一人当たり年間消費量も約50kgまで減りました。自給率の高いお米の消費が減ることで食料自給率(カロリーベース)は昭和40(1965)年度の73%から40%程度まで低下することとなったのです。
西側のメディアが総じて「ロシアがウクライナ侵攻」と言っているのに対して、
ロシア政府の出資を受けているRT(youtubeで見られる)は「特殊な軍事作戦」と報道していて、
RT見ていたら、「何が"侵攻"だというのか、戦車が道を進んでいたりするわけでもない」とか「これはロシアの土地を解放するためだ」とか言っていて、よくもまあレトリックを駆使するものだと感心さえした