はてなキーワード: 喪主とは
訃報を聞いて最初に浮かんだ言葉は、「先を越されてしまった」だった。
何年目かの法事。喪主の伯母の代わりに挨拶をしたのは、親族の中の代表的な存在の人だった。
その一言を聞いた時、何て残酷なことを言う一族だろうと思った。
遺族の事を考える余裕があったら死ねない。
その思考ができなくなるだけの絶望が、彼女にはあったはずなのに、
何故それを想像することができないのだろう。
その代表の言葉に誰も言及しなかったあの異質な空気が、私の頭の隅に記憶として焼き付いている。
でも、従姉妹の死に「先を越されてしまった」と思ってしまった自分も、
その残酷な一族の血を色濃く継いでしまっていることに、最近気づき始めた。
表面上で良い人を取り繕っているだけで、結局は自分の事ばかりだ。
過去の失敗経験がフラッシュバックするようになってから、そんなことを思うようになった。
しかし、今更性格を直したいと思っても、そんなことがすぐにできる筈もなく、
うちの家族も、私が死んだだけでああして露骨に馬鹿にされるのだろうかとか、
そんなことを考えずに、とっとと死ぬべきだった。
無自覚な害悪としてのうのうと生きていける自信が、今はもうない。
開き直って生きるようになる前に、一思いに死にたい。
先日、父が亡くなった。がんだった。
父の呼吸が止まったのが14時半。来てくれた担当医さんが死亡確認したのが15時半ごろ。家族皆が泣いていた。自分も唇を噛み締めながら我慢して、それでも涙が溢れてくる。
訪問看護をしてくれていた看護師さんがとてもいい人で、自分たちも手伝いながら、髭をそったり着替えさせてくれたりして、父の準備をしてくれた。
家族で湯灌してあげて、最後の見送りすることがとても良い時間になるよ。と、いろいろ教えてくれた。
これまでの看病で疲れているし、親族や知人の対応は母することになるの明らかだったので、葬儀会社とやりとりするだけでもと、喪主をかってでた。
闘病中、なくなる数日前に、◯レマの営業さんが来て、契約とれないと来週クビになると言われ、母が契約したとのこと。
父は元教員だったので、教え子含めてある程度の人数が来ることが予想されたので、駅チカの広い葬儀場が使えるのが良いかと決めたそう。
15年ほど前に祖母がなくなった時には、地元の葬儀会社で、自宅葬だった。
在宅療養していた父がなくなり皆が動転している中、母は最後まで地元の葬儀会社にするか迷っていた。
とりあえず契約してるんだからという理由で、◯レマに電話を掛けた。
担当営業と契約担当者と葬儀場で連携が取れておらず、あちらに掛けて、こちらにかけて、折返し待ちして、とたらい回しされた。
加えて、最初に電話をかけた時点でこの時間で決めますがよろしいですか?と念押しされた。
こちらのことを知ってる営業からなんのコンタクトもないのか?と疑問におもいつつも、下手に時間を掛けても仕方がないので、最短の日にちで申し込みをした。普通なら、死亡後3日後が告別となるのが最短になるのだが、3日後が友引だったため、4日後となった。結果的には、日付が伸びたことで運良く救われることとなった。
それが終わると、葬儀のプランや料金についての説明が始まった。
私達は営業さんから貰った資料を確認しながら、プランの詳細を選んでいくが、一つひとつ決めるたびに、営業が話してた葬儀プランと言ってることが違うやんと言うことがどんどん出てくる。
契約時には、一般的な葬儀費用のように見えるこの内容で、事前予約75万のプランを契約していた。
この契約があれば、全部まかなえます。と営業さんは言っていた。追加のオプションは断れば良いとも。
https://cerema.co.jp/funeral/plan.php
・契約の葬儀プランでは、入り口近くの小さい部屋しか使えず、+10万ださないと、50名規模のホールには対応できません。
・プランで出来ると書かれていた花祭壇は、+10万ださないと、できません。
・病院から自宅までの寝台車費用は入ってるが、自宅から葬儀場への寝台車費用は入っていない。
→自宅で亡くなったため、おかしくないか?と問い詰めたら、じゃあプラン内の費用で対応します。と
・周りに飾る花代が最小16万~。無いと困りますと言われる。親戚から送られる分が合っても、親族一同の分が必須ですと。
・棺桶に掛ける布は燃やすために毎回新しいものが必要です。(+4万)
・湯灌できるけど、郊外の施設まで連れて行く必要があり、家族参加は不可。(+7万)
・骨壷も今のママだと貧相なので、アップしたほうがよいですよ。あと分骨するなら、追加費用(+1万)。
などなど、諸々で、事前の見積もりが180万ほどとなった。通夜の来場も50人と、少なく見込んだ上でだ。
契約書の文面を確認し、クーリングオフできますよね?と問いかけると、厳しい表情。
葬儀のトータル費用は相場からは離れてない。でも、言ってることこれだけ変わるというのはオカシイ。ちゃんと湯灌してもらえるのか?葬儀が滞りなくすすのか?
ただ、もう期日の予約はした、場所も親しい友人には伝えてしまった。今更変えるのも・・・・。悲しみに浸る間もなく、不安なまま夜を過ごす。
枕経をあげに住職さんが来る。母は自分の世代だと、珍しいと言いつつ、なんだかんだ年3回の法要を欠かせず行っている。
なので馴染みのある住職さんだ。
住職さんに、これまでの経緯を相談すると、◯レマの色々黒い噂を教えてくれる。噂についてはあとで詳しく述べる。
住職さんが、馴染みなので連絡してみますね。と地元の葬儀会社をあたってくれるが、友引明けなので、空きがないそう。
帰宅後にも別の葬儀会社を探してくれて、隣の市ならホールの空きがあるよと教えてくれた。
母の不安っぷりと、担当者が不審すぎて信用できない。これはキャンセルするしかない。
キャンセルもとい、クーリングオフすることを示すように電話。証拠として、電話の内容は録音する。
「次の予約が入っているのですが、そちらにお譲りして良いのですか?」何度も念を押される。
こういう引き止め工作が本当に手慣れている。
簡易祭壇の設置費用と、ドライアイス代で3万ほどかかったが、サンクコストとして考えれば安いもの。
営業担当の方が来て、説明してくれる。仏壇屋さんだったが、仏壇買いに来る人が葬儀の文句ばかり言われるので、なんとかせねばと作った会社だそう。
・花代は3万~。独自ルートで花を仕入れているのでその値段で胡蝶蘭も入っている。
・謎オプションはゼロ。分骨、フルーツ、棺の布、白装束。全部追加費用は不要。
・会葬返礼品の価格が、2万円ダウン。
・初七日するなら、会場費5万かかります。自宅ですることもできますよ。と教えてくれる。
見積もりは160万ほど。ただし、親族の花代と、通夜の時の親族の食事費用(2万)も含まれている。
費用は下がって、質が確実にアップした。
最初のプランの説明から、会場までの送迎、当日のオペレーション、ナレーション、葬儀後の祭壇設置まで。服装から振る舞いまで、すべてがプロの仕事だと感服する内容でした。
プラン説明時のアドバイスが的確で、常識よりこちらの都合を優先させて柔軟な対応してもらえたのが、ありがたかった。1時間以上かけて車で来る親戚が多かったので、通夜ぶるまいを通夜の前に変更。通夜中にお腹減ることや、通夜に来てくれた人の対応を後回しにせずに済んだ。また来てくれた親戚も早く帰せた。初七日供養後に、食べるのが普通だけど、粗供養品として、食事券を渡して帰ってもらうことにした。
他にも細かい相違点が色々。
・◯レマの線香が化学薬品臭がして、妻が煙たがっていたのが、変えた瞬間に問題なくなる。
・湯灌は家族でやれてよかった。父の体を拭いたりするのは、嫌な人は嫌かもしれないけど、お風呂入って背中流す感覚で、キレイにしてあげれたのは、最後の親孝行でしょう。
・花壇の品質がガッツリ上がった。◯レマの価格を見てたので、安いと思い、親戚からの花もだいぶ増えてしまった。棺に入れれなかった分は、すべて自宅に飾ってあり、1ヶ月近く経つがまだ元気だ。
・姉が嘱託で働いている先の互助組合の提携先葬儀会社だったため、-10万の割引。こちらからは何も言っていないにも関わらず、弔電を見て対応してくれた。
葬儀会社変更して、本当に良かったと思っている。変更の連絡しなおしたり大変な部分もあったけど、満足度が段違い。
結婚式と同じぐらいの金額払うのに、なんで文句言いながら、我慢しながら、サービス受けなあかんのかと。激しく問い詰めたい。
・勘違いさせる前提の資料を元に営業して、キャンセルできない。
・マルチ商法かと思うぐらいに、不安で人を動かそうとする。◯◯するのが普通。◯◯はできません。
・無駄なオプションつけてくる。ってか普通断れへんやろうぐらいの勢いで、オプションつけてくる。
・説明しない。
こうして◯レマをキャンセルして、地元の葬儀会社に変更できたのは、幸運が重なったからだった。
・契約して間もない状況で事前支払いが0円。クーリングオフで押し切れる状況だった。
・友引明けで、日程に1日分の余裕があった。
・付き合いのある信頼できる住職がいて、他の葬儀会社が見つかったこと。
これだけの条件が揃っていてようやくキャンセルできた。
今回は父の葬儀分を母が契約したが、普通はこんな契約はしない。なぜなら、営業担当は自分の葬儀を事前に支払う契約を勧めてくる。ここの情報格差を奴らは狙っている。
過去の噂を聞くかぎり、支払い済みの状況でキャンセルしようとすれば、事前支払い済み分は返金できませんと、そう脅されるだろう。
ちゃんとした式をあげるには+100万かかる状況で、葬儀までの時間はなく、決断は伸ばせない。
親族が亡くなって、気が動転している状況で、あとで事例調べるなり、情報収取するなり、冷静な判断がくだせるだろうか?
すでに親が70万支払いずみの状況で、プランの内容を聞いた後に、キャンセルする覚悟あるかと?
近所にも契約している人いたが、母はすぐ解約するように勧めた。
上にも書いたが、事前契約をメインに営業しているため、後々キャンセルされるケースも多い。
その場合に、解約手数料が掛かる形ではなく、1割も返金しないらしく、訴訟沙汰となっている。
https://www.sankei.com/affairs/news/150122/afr1501220037-n1.html
契約書にも、契約後、180日以後の解約は不可と書かれていた。
・どこかのお寺の檀家ではなかった場合、◯レマから仕事を依頼されることがあるという。
伝えれる範囲は限られるが、あまりタブー視せずに両親と話すこと。
「自分の葬儀代は自分でためておきたい。」「子供に負担を掛けたくない。」
そういう想いに、奴らは付け込んでくる。
なので、早めに話をして、事前に知っておけば、怖くない。
ほぼ悪徳商法なので、早く潰れることを願って、匿名ダイアリーに記します。
ブコメもらえて、拡散したので嬉しいです。(普段のブログでこんなにバズったこと無いので)
もちろん親族や各位には今回のことは包み隠す伝えたのですが、さすがに友達に言いふらすわけにも行かず。。。匿名ダイアリーに書きました。
親族でも、少し大きい規模で、280万という人もいて、葬儀場での話題になりました。
ちゃんとしたものにお金を掛けれた。という印象です。ロウソクや線香一つとっても、ケチるだけケチる姿勢が見えてしまい、なんの信用もできませんでした。5000円のランチ頼んだら、業務スーパーのパウチスパゲティが出てきた感じです。
あのまま乗っかった場合に、普及不要な請求をされそうだったのが一番の不安でした。
確かに160万は安くないと思います。(実際は来場者増えてもう少しかかりました。)満足度は5,000円出して、ちゃんとホテルのバイキング食べれたぐらいの気分です。
消されるの怖いので、反社記述だけ消しておきます。にしてもこんなこと匿名ダイアリーじゃなきゃかけない。
向こうは百戦錬磨でフル武装の営業モード。こっちは虚弱状態からスタートして意思だけで戦わなければいけない状況。
正直オプションを断ることだけに、体力と意思力を必要とします。途中から、やり取り自体が不毛だったので、さっさとやり過ごしてキャンセルできないか相談するモードに入ってました。
当日に葬儀会社まで決めてしまうのも良くなかった。という考えもあるので、決めるのはなくなった翌日でも良かったんじゃないかなと、後から思い返します。ドライアイス代が+1日で、+10,000円ほどかかりますが、4日後でも、最初から問題ないです。葬儀場が相手ないなら、1日ずらすとかでも良いくらい。
ほんとうに何から何まで、助けてもらいました。
看取ってくださったのが、緩和ケアを専門にやっている町医者さんだったので、看護師さんも経験豊富でした。(決して、年配の方ではないのですが)
冷たい対応されると、余計に辛いだろうなと思い返してありがたい限りです。
可能性としてはありえます。上記の通り、緩和ケアは車で訪問診療してますので、尾行すれば。なんの証拠もありませんが。
古めの住宅団地なので、営業さんがかなり訪問してまわっているそうです。
そのとおりですね。自分も、亡くなった父もそういう考え方です。
ただ、亡くなった人のためではなく、亡くなった人の家族・友人・知人・親族に向けてやるという感じでしょうか。息子としては、親がどんな生き方をしてきたのか知る数少ない機会だったので、ちゃんとやってよかったです。
かわいそうランキングで量刑や世間の注目度が決まるのはおかしい
と思っていた
被害者の松永さん一家は家族構成や年齢があまりにも俺の家族と似すぎている(そんな家族腐るほどいるだろうが)
なので残された松永さん(夫・父)の気持ちは「わかり過ぎてわからない」
もし自分が松永さんの立場だったら絶望や怒りを感じるメーターが上がりすぎてぶっ壊れるだろうというのがわかり過ぎるのでどんな感情か理解できない
なので俺は遺族である松永さんに感情移入し過ぎてしまうので、松永さんの意向に反してあのニュースから可能な限り目を背けるようにしていた
そんな中こんなニュースが目についた
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190718/k10011997541000.html
加害者である飯塚幸三氏に厳罰を求めるよう署名活動をするというものだ
俺はおそらく署名するだろう
選挙に行くのすらめんどくせーと思う俺だが、これに関してはインターネットで配布された署名用紙をずっとインク切れで放置されてるプリンタのインクを補充して印刷し、コンビニに切手を買いに走ってでも署名に協力するだろう
俺の大嫌いな「感情で裁く」ことに加担することになってもだ
勘違いして欲しくないが俺はもともとは人前だろうが一人のときだろうが感情的になることはほとんどない人間だ
お悔やみ欄でまだ若い方が亡くなって喪主に夫や妻と書いてあるだけで泣きそうになる
不幸にも亡くなった子供の話はもちろん泣くがはじめてのおつかいでも泣く
「あとあなた一人の署名で飯塚を死刑にできるんです」と頼まれたとしても俺は迷わずその署名用紙に本名と住所を書くだろう
というわけで俺は感情で物事を判断する愚かな人間側に行ってしまった
みんなゴメンな
余談だけど自分が事故の被害者になったとき加害者に厳罰を求めるかどうかは検察?に普通に聞かれたので、署名活動まではわからないけど、被害者や遺族が感情で厳罰を求めること自体は司法のありかたとして何もおかしくないことだと思うよ
小学生の頃の思い出です。夏休み中、私の家にやってきてずっと過ごす、親戚のお姉さんがいました。痩せ型で強い目を持つかっこいいお姉さんでした。中学生だと言うのに、家の裏でこっそりタバコをふかしていて「おじさんおばさんには言っちゃだめだよ」と私にもタバコを咥えさせて共犯にしたり、一緒にお風呂に入って「女の子なんだからちゃんと髪を綺麗にしなきゃだめだよ」とコンディショナーの使い方なんかを教えてくれました。優しいお姉ちゃんだったんです。あんなにドキドキすることは未だに無いくらい大好きでした。
そんなお姉ちゃんは父子家庭で、大変だろうからと夏休みの間はうちで預かっていたんですね。彼女のお母さんが早くに病死して、親戚一同結構心配してたようなんですがみんなでなんとなくの援助しながらをつづけてたんです。
そして本当に急なことでした。彼女のお父さんが事故で亡くなってしまいました。彼女は高校卒業したあと近所の農協で事務仕事を始めたというタイミングだったそうです。葬式のときわんわん号泣している彼女は今でも忘れられません。喪主もつとめられる状態ではなかったのですがなんとか周りも手伝って葬式は一通り終わったんです。
妊娠していたそうです。
夏休み、どうして私の家でずっと過ごしていたのか当時はわからなかったんですが、
彼女の父親が娘を抱いているという話を親戚の集まりでおっぱじめた事があって、真偽はともかくちょっと距離取らせようと夏休みホームステイが計画され、彼女のお父さんと親戚での話し合いが有り、そんなわけ無いでしょうで解決って事になってたみたいなんですよね。
そうじゃなかったんですね。親戚一同もう口を閉ざしています。
嫁の姪っ子の産んだ子供
育てて5年たつんだけど、そんなに可愛くもないし、そんなに嫌いでもない絶妙な感じなんだよな
嫁さんに家の中でいつでもどこでもエッチしよーっていうのができなくなったり
裸でウロウロなんて論外になった以外は割と生活も大変じゃないし
6歳って結構喋るからな。一緒に朝外で運動すればかなりなコミュニケーションがとれるし、成長もみてとれる
猫はすごいよ。こないだCT撮ってガス抜きの治療(結局投薬)で5万かかったわ。
自分の子供がいないからアレだけど、まあ別に托卵とかでもいったん家族になってしまえば
一緒に住んだ仲として愛着がわいてくるんじゃねーのかな
そこまで激可愛いってわけじゃないけど、ウンコ漏らしたりしても別に汚いと感じないし
しかたないねーとしか思わない。他人の子だからかそんなに悩まない
朝9時に起きるのが定番だった嫁も朝6時から起きて弁当作るようになったし、
俺も仕事中の暇つぶし以外でははてなやTogetterに入り浸らなくなった。
(はいはい反ワクさようなら~ってアマチュア思想家にイライラすることもなくなった)
早く帰って世話しないとなと思えば、やることも決まってヒマとかなくなるから、
ちなみに今は当然暇つぶしという名のサボリ中なわけですが、
誕生日が週末なのであとでスケボー買いに行かなきゃいけないんだけど、
地元でいい感じの売り切れ多いんだよなあ
なんか最近流行ってるんだってさ。たしかに公園でやってるキッズ多いもんな。
ブクマ間違ったら4つくらい付きそうだね。
俺としては健康でそれなりにまともな社会人になって、俺ら夫婦が死んだりする時の喪主とかになってくれりゃ
最高だなと思うんだけど、そこまで他人の子にのぞめないし、色々あって養子は選べないんだよね。
まあ、関係性知ってれば真面目に生きてれば誰も否決しねえだろうけどさ
親戚血縁関係ってメンドクサイね。嫁が西日本だからか家がどうのとかなんとかさ。
具合悪くなったら看病するし、こっちの具合悪い時も猫トイレとかもう掃除してくれるようになったし、
そんなにほんと大変じゃないんだよな。もう少し税金安くなったら最高なんだけど、まあ仕方ないよね。
こんなこともあるんだなあって感じで子供引き取ったけど
なんとかなって別に大きな喜びも苦しみもなく平凡に生きてるんで今んとこ
父親が嫌いで縁を切りたいと言うと、咎められるのは何故だろう。
私は父親が嫌いだ。
家事もせず、学校などの行事にも来たことがない。
休みの日は寝てばかりで、家族サービスはほぼ無し。
(仕事付き合いでの飲みは極たまにだったし、帰宅はほぼ定時だった)
手をあげることはしなかったが、すぐに怒鳴るし、いつも反省文を書かされていた。
気分が悪いと言って、多いときは会社を週に2,3回は平気で休む。
その休む旨を伝える会社への電話も、母に押し付ける。
発言に責任を持たずに、言ってることがころころ変わる。
競馬やパチンコなどのギャンブルが好きで、株で失敗して借金を作ったこともある。
はたから見れば小さなことかもしれないけど、嫌悪感は塵も積もれば山となっていた。
小学生の頃、母と一緒に風呂に入っていると、湯船に浸かっていた母がこみあげたように泣き出した。
「辛い」「もう耐えられない」
私は泣いている母をただぼーっと見ていた。
離婚したいならすればいいのに、と内心思っていたが漂う空気が重たくて言えなかった。
きっと、私の為に耐えていたんだろうけど。
私が大学生になったとき、両親は離婚することになった。
父親にどちらについていくのか聞かれて、母がいいと言ったら、考え直せと言われた。
何をどう考え直すんだよ、と思ったが、結局父親と暮らすことになった。
父親についていきます、と半ば無理やり言わされたようなものだった。
大嫌いなのに、離れるチャンスなのに、逆らう勇気が私にはなかった。
金銭的なことを考えると、父親を選ぶしかなかったという理由もある。
母はパートを掛け持ちしていたが、それでも父親に稼ぎは敵わなかった。
今思えばバイトを増やして、母に生活費を渡せばよかったなぁ。
父親と2人で暮らしている時、掃除洗濯は全て私が担当していた。
晩御飯は週5で私が作り、実家暮らしをしている同年代の社会人の中では生活費もそこそこ納めていた方だと思う。
(最初は10万入れろと言われたが、なんとか7万に減らしてもらった)
私がかつての母の代わりの役目になっていた。
最近私は一人暮らしを始めた。
父親がいない、一人の空間がこんなに快適だとは思わなかった。
父親からは週に1回位の頻度でLINEがくるようになった。
無視をすると面倒なことになりそうで、スタンプだけを返している。
父が老いて、腰も曲がって思い通りに動けなくなった時、私は一切の連絡を絶つと思う。
介護もしたくないし、喪主にもなりたくない。仮に遺産があったとしてもいらない。
私に関わることなく、知らないところでひっそりと死んでほしい。
これくらいの父親は普通だろ、とか、甘えたことを抜かすな、とか言われるんだろうなー。
育ててもらった恩が~とか、きっと言われるんだろうなー。
二十数年の積み重ねで父親に対する評価は、地にめり込むほどに下がっているんだからしょうがない。だって本当に人として大嫌いだし。
金銭的な意味では感謝しているが、ただそれだけだ。
稼いでいた額は違うだろうが、母の方が仕事も家事も私の面倒も手を抜かずにしてくれていた。
母の面倒を見るのは全然構わないが、あの人の面倒を見るのだけは御免だ。
母は今、婚活サイトで知り合った人と同棲をしているらしい。
写真を見せてもらったが、温厚そうな人だった。
再婚するかは分からないが、幸せになってほしいなぁと思う。
こんなにも嫌いなのに、自ら縁を切る勇気がない。
人様に迷惑をかけない方法で、あの人が早く死んでくれないかなぁ。
縁切り神社って効果はあるんだろうか。
まず初めに母親が父親に秘密にすると誓わせたのがそもそもおかしい。
ブクマカやトラバどもはアホみたいにそこを責めたててるが、最初から邪悪な約束は守らなくていいんだ。
配偶者はゼロ親等、一親等の増田より上、万が一の場合は喪主になる、そんな相手に隠そうとするのが間違っている。
第一、手術の同意書はどうしたの? 子供の増田にまさか書かせたの?
父親が屑人間であることを母親は知っていたのにそれを隠して流して生きてきた。
しかもそのツケを自ら引き受けようともせず、増田に頼り、増田が支えきれなかったら裏切りと責める。
母親は最悪離婚すれば他人だが、増田は一生屑の父親と親子でいなければならないのに。
癌の手術だって失敗すれば母親は死んで、パニックで騒ぎ立てる父親を増田一人でどうにかしなくてはならなかったはずだ。
夫婦は合わせ鏡。父親が屑なら、それと関係を続けてきた母親も屑だ。
増田は何も悪くない。
今日は会社の同僚の親戚の葬儀に出席した。血縁関係も交流もまったくない赤の他人の葬儀であったがやはり人の死というのは悲しい、喪主の別れの言葉に思わず大粒の涙を流してしまった。
しかし周りを見ると若い連中は涙を流さず早く葬儀終わってくんねーかなぁという表情。これがゆとりかと感じた。
人を殺すゲームやアニメ漫画が溢れ人の死というものに抵抗を感じなくなってるのか?それでも人の死に涙を流さない若者に異常を感じた。
この葬儀、神式で行われたが二礼二拍手一礼をしなさいという立て札が堂々とあった。
ご丁寧に玉串奉奠のやり方まで司会がアナウンスする始末。これもゆとりか…。
辛いというか、憎い。
特定の誰かを憎んでいるわけではない。「特定の知人が憎い」、「有名なあの人が気に食わない」、「会社の〇〇さんとは意見が合わない」・・・そんなハナシであれば、逆にそれこそ万人が抱えているインシデントだと思っている。人間が社会的生物である以上、他人との齟齬や軋轢ははどうしても発生してしまうものだ。それは分かっているし、今までの自分はそういった「自分とはいまひとつソリが合わない人々」ともうまくやってきていた。・・・はずだった。
だが、最近の自分は明らかに何かがおかしい。友人の幸せな話を聞く度に心がすさむ。楽しそうな顔を見ると辛くなる。作り笑いの顔がばれてやしないかと変な汗が出る。
先日、友人の結婚式に行った。高砂に座る幸せそうな新郎新婦の顔を見て、「早く離婚すればいいのに」と思っている自分がいた。
facebookで、出産を報告している友人がいた。お祝いのコメントであふれる中、呪詛のようなコメントを書き込みたくてしょうがない自分がいた。
twitterで、ソシャゲの最高レアカードを無課金で引けたと自慢している友人がいた。10万円ぐらい課金してゴミばかり引けばいいのにと願っている自分がいた。
逆に、友人の不幸な出来事に聞くと、妙に心が躍る。辛そうな顔を見ると嬉しくなる。口の端がつりあがっていないかと、無表情を装う。
先日、友人の子供が難病に罹った。1年以上は入院生活を余儀なくされるらしい。その話を電話で聞きながら、ニヤついている自分がいた。
facebookで、母堂の喪主を務めた旨の報告をしている友人がいた。故人の意向だかで家族葬ののちに報告となった事を詫びていた。お悔やみのコメントが並ぶ中、皮肉たっぷりのコメントを書き込みたい衝動にかられている自分がいた。
twitterで、仮想通貨に手を出してウン百万円のマイナスになったと書き込んでいる友人がいた。「バカ丸出しだな」と思っている自分がいた。
これらの友人・知人達を嫌っているという事はない。むしろ好きと言って差し支えないと思っている。なのに、幸せな顔が、報告が、書き込みが、俺の顔を曇らせる。
友人知人とは関係のない、インターネットの別世界に逃避しようともした。だが無駄だった。炎上しているところを探して、ポリコレ棒持参で徹底的に叩くだけだった。左も右も主義も主張も関係なく、誰かが探し出してきたサンドバッグが設置されれば、ひたすらに叩き続けた。炎上の為の薪もせっせとくべたし、火のないところには煙を立てまくった。そんな事をしても誰も幸せになれないし、自分の胸のモヤモヤも大きくなる一方だったが、空虚な行為が止む事はなかった。
もうどうしたらいいのか分からない。
この気持ちが消えていけば一番いいし、こんなの二度と味わいたくない気持ちでもあるのですが溜めておくより吐き出したいので吐かせてください。
ネットを開いて目に入ってきたのはジョンヒョンの名前と、後に続く信じられない文字。見た瞬間から震えだす手と身体と、状況を飲み込めない脳、「はっ?え?」と勝手に動く口。
あの全ての瞬間をまだまだ3日前のことかのように身体がしっかり記憶してしまっています。
本当にいなくなってしまったのかどうかまだ定かじゃありませんでしたが、何かが起こったのは確かなんだなと。
ペン友達に連絡を入れて、とりあえずその子のバイトが終わった後日付が変わる頃に会うことを約束しました。それからは本当に祈ってばかり、こんな時だけ神様を信じてごめんなさい、でもそれしか頼れませんでした。
「生きてて」と誰かに対して切に願う日が来るだなんて。
遥か何十年も先に来ると思い込んでいたことに「今」向き合わなければならないなんて。
もうニュースの数や報道のリアルさなんかを全部無視してとにかくSMからの言葉を待とうと決めました。それまで何にも手につきませんでしたが頑張ってお風呂だけは入りましたけど止まらない吐き気と震えであまりそこらへんのことを覚えていません。
私は23:44に、見たくなかった文字を、向き合いたくなかった現実を、SMから突き付けられました。なんで時間を鮮明に覚えてるんだろう。
とにかく早く友達に会いたくて、会いに行きました。お互い呆然というか、出て来る言葉は「信じられない」ばかりで…特に会話した覚えはないんですけどあの時は本当になぐさめとかではなく、気持ちを共有できる子に会ったのは正解でした。またすぐ会おうと約束して、帰りの自転車に乗りましたが考えすぎてしんどかったです。一人になると考えますよね。
それから21日まで、学校もバイトも頑張って行きましたがずっとずっと彼と4人のことだけしか考えていませんでした。
辛くて苦しくて泣きたくて、でもメンバーやご家族はもっとそんな気持ちだし、そしてジョンヒョン自身が誰よりどん底の気持ちでいたのかと思うと余計に、今も悲しくて仕方がありません。
公開される遺影、弔問客の映像、画面に映る故人という表記、喪主として並ぶ名前たち、無情にフラッシュをたかれ撮られ続ける出棺の映像。これらには本当に現実を突き付けられましたが同時に意味がわかりませんでした。今も消化できてないです、この全てが作られた話で、観ているのは映画なんではないかと。今もニュースなどで嫌でも目に入るたびに「ん?」と首を傾げたくなります。
ジョンヒョンの死を現実で起こったこととして受け入れるには相当時間がかかりそうです。現実とはわかっていても、脳が勝手に疑問を持って信じられないと否定しているような、そんな感じです。みなさんもきっと信じられないですよね。
ここでちょっと私自身の経験を記します。私は物心つく前に父を亡くしています。彼はとある環境で周囲や家族からのプレッシャーを受け続けたせいでお酒と睡眠薬などの薬に逃げ、赤ちゃんだった私にまで手をあげ、頭はおかしくそしてガンになって人生を終えました。
そして物心ついたとき一番近くにいた血縁関係にある男の人は、祖父と二人の叔父でした。そのうち一人の叔父には息子が二人いて、一人は私と年齢が近く、家も近くに住んでいたのでいとこだけど兄弟のように過ごしてました。よく遊びに連れて行ってもらいましたし、外食もして、世間でお父さんがしてくれることは全て叔父がやってくれてました。
そんな叔父が、ある日うつ病にかかりました。突然というより、徐々にだったんだと思います。私と長男のいとこは10歳とかになっていたので(次男はまだ3歳ぐらい)、かつ叔父の姿は衝撃的だったのでかなり鮮明に覚えています。
叔父はうつに侵されている時間が長くなるにつれて、お酒や処方された薬にたくさん頼って、泣いて泡を吹いたり、時には何もしたくないと動かず泣いているだけの時や、だんだんと人生に希望をなくして祖母や私の母に「死にたい」「今から死ぬ」と言い出すようにもなりました。いつ本当に命を断ってしまうのか毎日毎日怖くて仕方がありませんでしたが、そんな時でも私といとこが叔父の姿を見ないようにと、家族がたくさん気をつかってくれていたのを今も覚えています。ほとんど覚えてるんですけどね。
そして、時間はかかりましたが、家族のサポートや真摯に話を聞いてくれるお医者さん、適量の薬のおかげでうつ病は少しずつですがよくなっていってる風に見えていました。
仕事も再開して、病院通いは続けながらもまた日常を取り戻そうとしていたとき、4年前の夏、叔父は他界しました。
原因などは書きませんが、一つだけ言えるのは叔父はまだうつと闘っていたということと、薬に頼っていたということ。
父の時は物心ついておらず覚えてないのですが、叔父の場合はお父さんがわりのような人だったので本当に悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
何より胸が痛くなったのは、叔父の苦しんでいる姿以上に、元気で明るく、優しい姿をたくさん見てきたというところです。もうあの愛に溢れた姿を目にすることができないんだと実感した時の辛さは果てし無かったです。
あれから四年経った今年の夏、ついに納骨しました。叔父は亡くなる前に離婚していたので(といってもずっと支えてくれましたし今でも関係は続いています)私の祖父母がいろいろと取り仕切り、骨壷も実家にありました。そばにいてあげたいという思いが強くあったようですが、二人とも前を向きたいと納骨に踏み切りました。
毎日お墓に行ってます。お参りするたびに「もういないんだね」と実感させられるし、どうしても小さい頃の姿とか思い出してしまって寂しくなると言っています。
でも、私の目から見て確実にみんなまた前を向いているし、最近私の祖父母や母は、叔父が生きられなかった分の楽しいことを今からでもたくさんやると決めました。
人の死って簡単に乗り越えられるものではないし、何年かかってもいいと思います。
特に、若くて前の日まで元気だった人とか、まさか逝ってしまうと思ってもみなかった人がいなくなると残される方の衝撃というものが大きすぎて心に傷が残ります。私は人との別れが極端に苦手になりました。
大事な人の死より大きい悲しみはないです。悲しんで悲しんでたくさん泣いて、それでいいと思います。なぐさめてくれるのはありがたいし元気出さなきゃいけないのはわかってても、悲しみに蓋をせず、共有できる人がいれば共有してたくさん思い出話もして、そしたら何年かかるか分からないけどいつか前を向こうと思える日がくるはずです。私はそう信じています。
私は、身近な人の死を経験して、以前以上に周りの人を大事にするようになりましたし、1日1日を大事に、周りの人を本当に愛して過ごしてます。そして時に叔父のことを思い出して、笑顔になる記憶を辿ったりします。
風邪から元気になるペースは人それぞれ違うように、悲しみから回復するペースも人それぞれ違います。「あの人はもう前を向いてるにに私は泣いてばかり」と思わず、自分の感情に素直に、正直に過ごすのが一番いいと思います。
今回ファンとして大好きな人の死に直面して、正直あまりの向き合えなさに驚いています。葬儀などに出席できないし、画面越しでしか現実で起こっていることを見ていないということも大きいと思います。
もうひとつは、忘れてしまえるほどたくさんの映像と音楽が残っていることも理由だと思います。ここ数日でやっとジョンヒョンの歌声や5人の姿を少しずつ観られるようになってきました。それらを観ているとき、自然と笑ったりしていると当然のようにジョンヒョンはまだ生きているんだと脳が思い込んでるんですよね。そしてふと我に帰った時に「あ、もういないんだ」と気分は奈落の底に落とされます。愕然とします。
その繰り返しではありますが、なんども言いますが私のペースでいいかなと。KPOPを全く知らない友達と出かけて他愛もたい話をしたり、美味しいものを食べに行ったり。どうせ考えてしまうから、無理やり考えない時間を作る。私は結構これが効いています。
ドーム公演もどうなるかわかりませんし、いずれにせよSHINeeが公式的に4人で私たちの前に姿を表す日はきます。その時にまた、シャヲルは改めて、ついに、現実を目の当たりにすることになりますが、その時はまた一緒に泣いて悲しみましょう。時間が解決してくれます。
(でも4人の気持ちが最優先であってほしいので無理はして欲しくないです。どんな結論を出そうと、絶対にみんなを応援します。)
ジョンヒョンがいなくなってしまった悲しみは今年の記憶として置いていくにはあまりのも大きすぎます。来年に持っていきます、連れて行ってたくさんたくさんジョンヒョンと、SHINeeと、これからの自分のアイドルへの向き合い方を考えようと思います。
思いを馳せて、忘れないでいます。絶対に忘れることはないんですけどね。
最高のアーティストで、最高のグループSHINeeに属するアイドルであるジョンヒョン。
すごく優しいからこそ繊細で、世間の嫌なところも人よりたくさん見てしまっただろうし、真剣に向き合ってきただろうし、全部背負ってしまったんではないかなと思います。だから彼が言ってほしいと残していった言葉、言わないとね。
ジョンヒョン、本当にお疲れ様でした。たくさん苦労して耐えて頑張ったんだよね。ずっとずっと大好きです。これからもたくさん、ジョンヒョンが残していったものを大事に愛します。
では、みなさん、良いお年を。