この気持ちが消えていけば一番いいし、こんなの二度と味わいたくない気持ちでもあるのですが溜めておくより吐き出したいので吐かせてください。
ネットを開いて目に入ってきたのはジョンヒョンの名前と、後に続く信じられない文字。見た瞬間から震えだす手と身体と、状況を飲み込めない脳、「はっ?え?」と勝手に動く口。
あの全ての瞬間をまだまだ3日前のことかのように身体がしっかり記憶してしまっています。
本当にいなくなってしまったのかどうかまだ定かじゃありませんでしたが、何かが起こったのは確かなんだなと。
ペン友達に連絡を入れて、とりあえずその子のバイトが終わった後日付が変わる頃に会うことを約束しました。それからは本当に祈ってばかり、こんな時だけ神様を信じてごめんなさい、でもそれしか頼れませんでした。
「生きてて」と誰かに対して切に願う日が来るだなんて。
遥か何十年も先に来ると思い込んでいたことに「今」向き合わなければならないなんて。
もうニュースの数や報道のリアルさなんかを全部無視してとにかくSMからの言葉を待とうと決めました。それまで何にも手につきませんでしたが頑張ってお風呂だけは入りましたけど止まらない吐き気と震えであまりそこらへんのことを覚えていません。
私は23:44に、見たくなかった文字を、向き合いたくなかった現実を、SMから突き付けられました。なんで時間を鮮明に覚えてるんだろう。
とにかく早く友達に会いたくて、会いに行きました。お互い呆然というか、出て来る言葉は「信じられない」ばかりで…特に会話した覚えはないんですけどあの時は本当になぐさめとかではなく、気持ちを共有できる子に会ったのは正解でした。またすぐ会おうと約束して、帰りの自転車に乗りましたが考えすぎてしんどかったです。一人になると考えますよね。
それから21日まで、学校もバイトも頑張って行きましたがずっとずっと彼と4人のことだけしか考えていませんでした。
辛くて苦しくて泣きたくて、でもメンバーやご家族はもっとそんな気持ちだし、そしてジョンヒョン自身が誰よりどん底の気持ちでいたのかと思うと余計に、今も悲しくて仕方がありません。
公開される遺影、弔問客の映像、画面に映る故人という表記、喪主として並ぶ名前たち、無情にフラッシュをたかれ撮られ続ける出棺の映像。これらには本当に現実を突き付けられましたが同時に意味がわかりませんでした。今も消化できてないです、この全てが作られた話で、観ているのは映画なんではないかと。今もニュースなどで嫌でも目に入るたびに「ん?」と首を傾げたくなります。
ジョンヒョンの死を現実で起こったこととして受け入れるには相当時間がかかりそうです。現実とはわかっていても、脳が勝手に疑問を持って信じられないと否定しているような、そんな感じです。みなさんもきっと信じられないですよね。
ここでちょっと私自身の経験を記します。私は物心つく前に父を亡くしています。彼はとある環境で周囲や家族からのプレッシャーを受け続けたせいでお酒と睡眠薬などの薬に逃げ、赤ちゃんだった私にまで手をあげ、頭はおかしくそしてガンになって人生を終えました。
そして物心ついたとき一番近くにいた血縁関係にある男の人は、祖父と二人の叔父でした。そのうち一人の叔父には息子が二人いて、一人は私と年齢が近く、家も近くに住んでいたのでいとこだけど兄弟のように過ごしてました。よく遊びに連れて行ってもらいましたし、外食もして、世間でお父さんがしてくれることは全て叔父がやってくれてました。
そんな叔父が、ある日うつ病にかかりました。突然というより、徐々にだったんだと思います。私と長男のいとこは10歳とかになっていたので(次男はまだ3歳ぐらい)、かつ叔父の姿は衝撃的だったのでかなり鮮明に覚えています。
叔父はうつに侵されている時間が長くなるにつれて、お酒や処方された薬にたくさん頼って、泣いて泡を吹いたり、時には何もしたくないと動かず泣いているだけの時や、だんだんと人生に希望をなくして祖母や私の母に「死にたい」「今から死ぬ」と言い出すようにもなりました。いつ本当に命を断ってしまうのか毎日毎日怖くて仕方がありませんでしたが、そんな時でも私といとこが叔父の姿を見ないようにと、家族がたくさん気をつかってくれていたのを今も覚えています。ほとんど覚えてるんですけどね。
そして、時間はかかりましたが、家族のサポートや真摯に話を聞いてくれるお医者さん、適量の薬のおかげでうつ病は少しずつですがよくなっていってる風に見えていました。
仕事も再開して、病院通いは続けながらもまた日常を取り戻そうとしていたとき、4年前の夏、叔父は他界しました。
原因などは書きませんが、一つだけ言えるのは叔父はまだうつと闘っていたということと、薬に頼っていたということ。
父の時は物心ついておらず覚えてないのですが、叔父の場合はお父さんがわりのような人だったので本当に悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
何より胸が痛くなったのは、叔父の苦しんでいる姿以上に、元気で明るく、優しい姿をたくさん見てきたというところです。もうあの愛に溢れた姿を目にすることができないんだと実感した時の辛さは果てし無かったです。
あれから四年経った今年の夏、ついに納骨しました。叔父は亡くなる前に離婚していたので(といってもずっと支えてくれましたし今でも関係は続いています)私の祖父母がいろいろと取り仕切り、骨壷も実家にありました。そばにいてあげたいという思いが強くあったようですが、二人とも前を向きたいと納骨に踏み切りました。
毎日お墓に行ってます。お参りするたびに「もういないんだね」と実感させられるし、どうしても小さい頃の姿とか思い出してしまって寂しくなると言っています。
でも、私の目から見て確実にみんなまた前を向いているし、最近私の祖父母や母は、叔父が生きられなかった分の楽しいことを今からでもたくさんやると決めました。
人の死って簡単に乗り越えられるものではないし、何年かかってもいいと思います。
特に、若くて前の日まで元気だった人とか、まさか逝ってしまうと思ってもみなかった人がいなくなると残される方の衝撃というものが大きすぎて心に傷が残ります。私は人との別れが極端に苦手になりました。
大事な人の死より大きい悲しみはないです。悲しんで悲しんでたくさん泣いて、それでいいと思います。なぐさめてくれるのはありがたいし元気出さなきゃいけないのはわかってても、悲しみに蓋をせず、共有できる人がいれば共有してたくさん思い出話もして、そしたら何年かかるか分からないけどいつか前を向こうと思える日がくるはずです。私はそう信じています。
私は、身近な人の死を経験して、以前以上に周りの人を大事にするようになりましたし、1日1日を大事に、周りの人を本当に愛して過ごしてます。そして時に叔父のことを思い出して、笑顔になる記憶を辿ったりします。
風邪から元気になるペースは人それぞれ違うように、悲しみから回復するペースも人それぞれ違います。「あの人はもう前を向いてるにに私は泣いてばかり」と思わず、自分の感情に素直に、正直に過ごすのが一番いいと思います。
今回ファンとして大好きな人の死に直面して、正直あまりの向き合えなさに驚いています。葬儀などに出席できないし、画面越しでしか現実で起こっていることを見ていないということも大きいと思います。
もうひとつは、忘れてしまえるほどたくさんの映像と音楽が残っていることも理由だと思います。ここ数日でやっとジョンヒョンの歌声や5人の姿を少しずつ観られるようになってきました。それらを観ているとき、自然と笑ったりしていると当然のようにジョンヒョンはまだ生きているんだと脳が思い込んでるんですよね。そしてふと我に帰った時に「あ、もういないんだ」と気分は奈落の底に落とされます。愕然とします。
その繰り返しではありますが、なんども言いますが私のペースでいいかなと。KPOPを全く知らない友達と出かけて他愛もたい話をしたり、美味しいものを食べに行ったり。どうせ考えてしまうから、無理やり考えない時間を作る。私は結構これが効いています。
ドーム公演もどうなるかわかりませんし、いずれにせよSHINeeが公式的に4人で私たちの前に姿を表す日はきます。その時にまた、シャヲルは改めて、ついに、現実を目の当たりにすることになりますが、その時はまた一緒に泣いて悲しみましょう。時間が解決してくれます。
(でも4人の気持ちが最優先であってほしいので無理はして欲しくないです。どんな結論を出そうと、絶対にみんなを応援します。)
ジョンヒョンがいなくなってしまった悲しみは今年の記憶として置いていくにはあまりのも大きすぎます。来年に持っていきます、連れて行ってたくさんたくさんジョンヒョンと、SHINeeと、これからの自分のアイドルへの向き合い方を考えようと思います。
思いを馳せて、忘れないでいます。絶対に忘れることはないんですけどね。
最高のアーティストで、最高のグループSHINeeに属するアイドルであるジョンヒョン。
すごく優しいからこそ繊細で、世間の嫌なところも人よりたくさん見てしまっただろうし、真剣に向き合ってきただろうし、全部背負ってしまったんではないかなと思います。だから彼が言ってほしいと残していった言葉、言わないとね。
ジョンヒョン、本当にお疲れ様でした。たくさん苦労して耐えて頑張ったんだよね。ずっとずっと大好きです。これからもたくさん、ジョンヒョンが残していったものを大事に愛します。
では、みなさん、良いお年を。