はてなキーワード: 呼び方とは
こういうの。ひろゆきの論破芸が流行って以降、「ひろゆき的な論客に論破されてもぜんぜん問題ないし、相手にしなくていい」ってのが世間に認知されたから楽になったよね。
以前は「論破された=自論が間違ってた」みたいに思われがちだったけど、いまはぜんぶ「そんな話してないし、したくない」で済む。
片親パンをホモランドセルとかに置き換えてみればわかりやすくて、下記の内容をワッと浴びせられたとき「すいませんけどそんな話してないです、もう話しかけないでもらえますか」って言うのは敗北宣言でもないし逃亡でもない。
このあたりを「わたしがホモを差別してるとかじゃなくて」みたいな話をしないでも「ちょっとひろゆきに絡まれちゃって・・・」って言えばわかってもらえるようになったってのはひろゆきの手柄だと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231218234524
まずこれは「ノースフェイスの企画者は嫌な気持ちになるはずだ」って意味でいいよな?
・防水で汚れに強いリュックサックを売り出したらアスリートに支持されました
・ゲイ男性の間で流行してホモランドセルと言う呼び方をされました
わりと企業の使命通り、商品企画通りの消費のされ方をして、スポーツマンを支えてそういう名前がついてるだけやんけ。
そこに関係ない奴等が「どんな気持ちになっただろう?(ニヤニヤ)」ってなんやねん?
リュックサックに「ホモランドセル」とついたらいけない、嫌な気持になる、っていうのは
「ホモのランドセルはネガティブで忌まわしいものだよなー」って勝手に思ってるだけじゃんお前等が。
勝手にノースフェイスの中の人に憑依して「彼等が嫌な気持ちになってるよ?」ってカス過ぎるだろw
すべての人のNever stop exploringを支援するスポーツギアを提供する。
スポーツ用品メーカーなんてのはむしろそうやって社会を支えてるぞって自負でやってんだ。
自社製品がゲイ男性に支持されてて嫌な気持ちになるわけねーんだわ。
って話だよ。
その素朴なお気持ちはわかったよw
それはよ~~~~~~~~~~~~~~くわかりましたよ。
で、
・安くて量のあるパンを売り出したら裕福でない人達が消費しました
・片親家庭の子供の食事代わりにされて片親パンと言う呼び方をされました
これが「節約パン」とか、「小遣いパン」とか、「給料日前パン」とか、100歩譲って「貧乏パン」ならまだいいんだよ。
「貧乏」という状態に「片親」という、本来関係ない属性を紐付けて固定化しようとしてる時点で、それが統計的に実態を反映してようがダメなの。
同じ理屈で、「アフリカパン」みたいな造語も作れるけど、これもアフリカ大陸の人の収入が統計的に低いという事実に基づいてるけど、ダメなの分かるよな?
貧乏の代名詞としていい「属性」があるとすれば、それは「子供」や「若者」くらいだよ。この属性は誰でも通る通過点であり、いずれ脱却することが前提だから。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231218234524
まずこれは「山崎製パンの企画者は嫌な気持ちになるはずだ」って意味でいいよな?
・安くて量の多い袋入りスティックパンを「片親パン」と呼ぶ界隈がある
・「金も手間も掛けてもらえない子供が親に食事代りに与えられがちなパン」の意
・間違っても高級ブランドではない。
・安くて量のあるパンを売り出したら裕福でない人達が消費しました
・片親家庭の子供の食事代わりにされて片親パンと言う呼び方をされました
わりと企業の使命通り、商品企画通りの消費のされ方をして、貧しい人を支えてそういう名前がついてるだけやんけ。
そこに関係ない奴等が「どんな気持ちになっただろう?(ニヤニヤ)」ってなんやねん?
パンに「片親」とついたらいけない、嫌な気持になる、っていうのは
「片親はネガティブで忌まわしいものだよなー」って勝手に思ってるだけじゃんお前等が。
勝手に山崎製パンマンに憑依して「彼等が嫌な気持ちになってるよ?」ってカス過ぎるだろw
安価な食品メーカーなんてのはむしろそうやって社会を支えてるぞって自負でやってんだ。
自社製品が貧困家庭片親家庭で消費されてて嫌な気持ちになるわけねーんだわ。
マルチャンラーメンなんか世界中で貧乏人や若者のセーフティ飯として受容されてるがそんなのむしろ誇りだろ?
ようまあこんな不毛で素朴なモロ差別コメが建設性一位を取るもんだよ。
☆つけた連中はどんな了見してんだ?
incubator この増田、煽りやギャグじゃなくて本気でわかんないのかな?
いやおめーこそ日本語読めねーのかよ
という文脈については俺がちゃんと認識してとっくに書いてんじゃん。
(国語の成績悪い奴あるある「相手が既に書いたり言ったりしてることと同内容をしたり顔で提出してしまう」もろだなおめーは)
ただし
”親の愛がない”とかはどこにも書いてねーけどなw
片親は愛が少ないのか?なに勝手に人の愛の量をジャッジしてんだ?大丈夫かお前?
お前政治家とかだったら一発アウトだぞ?そんな露骨な差別意識をちらつかせて大丈夫か?なあ?
そして問題はそこだ。
「時間も金銭も自由でない親が乏しいリソースとにらめっこして子に買い与えるパン」という事実やイメージを
って話だよ。
お前等がそのことをケガレ・忌まわしい・恥ずかしいこととしてることはよーくわかった。
けど山崎製パン社員がお前等と同じ感じ方をすると決めつけるべきではないし、
片親や片親パンを差別用語にしてるのは「山パンマン」でも「どこかの誰か」でもなくおまえら自身だろ、客観的に言って。
おめーらみたいなのに差別やめろって言っても要求高すぎるのはわかったよ。
ushura2 「片親家庭の助けになるパン」ならいいけど、たぶん使う人のニュアンスは「片親家庭くらいしか食べない、価格しか利点がないパン」であって、そりゃメーカーは不快でしょう。商品そのものを対象とした蔑称ですよ
いやいやいやいや
なんか物凄い意味を後付けしてきたぞ?
「片親家庭の子が与えられがちなパン」が「片親家庭くらいしか食べない、価格しか利点がないパン」にメガシンカしてて草も生えないし、それこそ誰もそんなこと言ってねーよw
ただの「安くて美味しくてコンビニでも売ってるパン」じゃねーか。
なんで「貧乏人しか買わない利点のないパン」に摩り替えてるの?
スティックパンって不味いパンなんだっけ?そんなことなかったと思うが?
お前のそれはマジで本当に誰も言ってねーよね?
こいつ自身の「たぶん」に自信のなさが現れてるけど
要するにこれはこいつが慌てて考えた滅茶苦茶な後付けの差別であって
片親パンの発案者も利用者も誰も言ってないネガティブイメージを発明して
いい加減にしようよ本当に。
type-100
それはよ~~~~~~~~~~~~~~くわかりましたよ。
で、
「ジャッポス」って呼び方が好き
2023年12月7日 SOMETHING SPECIAL GRAPEVINE×ZION@名古屋CLUB QUATTRO
久しぶりのQUATTRO、一ヶ月強振りのバイン。友達に付き合ってもらって安定のアニキ側で待機。
ZIONは一回ライジングで観て以来2回目。ギター3本(光村さん含む)ベース、ドラムの5人編成。ライジングで観た時はめっちゃ遠巻きにみたから皆さんこんな感じの顔してらっしゃるんだ〜と思った笑 友達が言ってたけどベースの佐藤さんが若かりし頃の堀込弟に似ててめっちゃイケメンだった。ギター3本だけあって音の厚みが半端ないけど、それに負けないベースの音が良い。あとギターの啓介さんギターめっちゃ上手いなぁと思ったけど単純に私が好みのギターだったというのもあるかも(友達に言ったら私が好きそうなギターだよねって話になった)
前から知ってたけど光村さん歌上手い。今が一番上手いんじゃないか?ってぐらい声に厚みと伸びがあって聴いてて気持ち良い。2曲目にやった曲が一番好きだった。光村さんが割りとフロアを見るタイプ(NICOの時そんなだったっけ?とは思ったけど初期の頃しかライブ行ってないから分からない…)で目が合いそうで怖くてあまり見れなかった…笑 本当にミュージシャンの視界に一秒でも入りたくないので…(自意識がすごい)
演奏も歌も上手くて聴いてて楽しかったな。こんな事言うと完全に悪口だが私は田中さんが色々なバンドを略す呼び方のノリが寒くて苦手なんだけど、それに付き合って合わせてくれるZIONのメンバーに感謝した…。あれやめてくんないかな…。正直ACIDMANのやつは本当嫌なんよ…。バインファンがあの呼び方でACIDMAN呼んでると悲しくなる…。あくまで個人的な感情だからあれだし自由なんだけどね…。
ライブ始まる前に古い曲とかいいから全曲アルバムの曲やって欲しいって友達に話してて、それは無理でしょ〜って会話してたけど蓋を開ければほぼアルバムの曲で歓喜。
曲の感想など。
·Ophelia、アニキのギター最高過ぎる〜!!!本当好き…。心の中で発狂してた笑 この曲なんか神聖な感じがして田中さんの歌にめちゃくちゃ酔ってしまう…。ライブで沢山聴きたい!!!
·この日のNOSのギターカッコ良すぎた!!ライブでアニキばっかり見てるのやめよ…って思ってたのにめちゃくちゃアニキばっかり見てた…笑 位置的に金やんとアニキしかちゃんと見えなかったってのもあるけど…。
·アマテラス爆音で聴くの最高。バインにしてはかなり音大きめだったけど耳が壊れるレベルの爆音でなければ割りと大きめの音で聴きたいタイプなので嬉しい。曲への没入感が凄かった。途中アニキが田中さんの方に歩いて行って足元?をじーっと見ていた…。何か気になったのかな?
·UB、アニキのギターソロアレンジしてあって嬉しい。アウトロが大好きなのでそこでこの曲イチ盛り上がってしまう…笑
·The Long〜、田中さんのギターが良い。この日、金戸さんがよく見えたので金戸さんのベースも目で追えて楽しかった。普段ほとんど見えないので…(自分の立ち位置的に)
·All Lightでアニキのギターソロ素敵〜って思って見てたら右側から田中さんの顔だけがにょきって出てきてめちゃくちゃビビる笑 屈んでフロアを見渡していたっぽい。本気でびっくりした笑
·田中さんが例のポーズを取ったから実はもう熟れキた!!って喜んでたら田中さんの口上が始まったけど「字が小さくて読めん…」とグダグダになってて私は早く曲が聴きたくて田中さんが喋ってる時から既に頭を振っていた…笑 本当にこの曲大好き!!もう3回ぐらい聴きたかったしめちゃくちゃ踊り狂いたかったけどすごい浮きそうだったので自分なりにかなり控えに楽しんだ…笑
·何かの曲でアニキの地声カウントが聴こえてそれに合わせて演奏してたの珍しいなぁと思ったけど何の曲か忘れてしまった…笑
·アンコールは最初光村さんと田中さん二人で登場。(光村さんが)暗いうちから出たがったと田中さんと光村さんが楽しそうに笑い合ってて二人の良い関係性がうかがえる。田中さんが「ミツムライオン!」って紹介したらライオン・キングの歌真似してて、そのクオリティーがまあまあ高くてびっくりした笑 田中さんがステージネームないの?って光村さんに聞いて「ないです笑」って話から田中さんはあるって言ってて何か言ってたけど忘れた…笑 光村さんが「西川さんは?」って聞いたら「I need to kill、アニキ」って言ってて上手い…って思ったけど、田中さんがあまり適当な事言ってると怒られるから!って言ってて笑った。二人共アコギでTHE BEATLESの最後の新曲と言われているNow and Thenを演奏。田中さん曰く「まだ誰もやっとらんやろ」と思ってチョイスしたらしい。二人共歌上手いなぁ…と思って見てたら光村さんがどんどん田中さんに近寄っていって肩が触れ合うのでは…?と言う距離でギターを弾いていた…笑 その後サビで一つのマイクで二人で歌おうとして光村さんが田中さんの顔に急接近して田中さんがびっくりしていた…笑 結局一つのマイクで歌ってたけど田中さんがちょっと離れてるの笑った。近付いてあげてくれ…笑 光村さんめっちゃ楽しそうだった。田中さん大好きなんだろうなぁ…。
·2曲目と3曲目はバインとZIONメンバー全員で演奏。アニキがZIONの啓介さんにスライドバーを渡してそれを弾いた啓介さんが「めっちゃ良い!!」って感動しててアニキが「(付け方)逆もあり」って言って試してまた「めっちゃ良い!!」ってフロア見ながらキラキラの目で言ってて可愛かった笑 田中さん曰く二人は楽屋で機材の話ばかりしていたらしい。ZIONのドラムの人はタンバリン、ベースの人も何故かギターでステージ上にギターが6人いた笑
2曲目はローリング・ストーンズのAngry。こちらもまだ誰もやってないんじゃないか?との事。最新のアルバムからだし確かにな〜と思った。ギター全員のソロがあってベースの方が背面弾きをしててそれを見てめっちゃ笑顔になってるアニキ可愛かった〜!!(インスタにも写真上がってた)あと、ああやって聴くと田中さんのギターってやっぱちょっと変わった音作りしてるな〜と思う。
·3曲目はB.D.S。正直そんなに好きな曲じゃないけど…笑 あれだけの人数で弾くとめちゃくちゃ音が厚い。光村さんが歌うB.D.Sめっちゃ合うな〜と思ったけど田中さんが歌いだしたらやっぱこれだ!ってなる笑 啓介さんとアニキのスライドギター合戦(?)最高だったし啓介さんのギターめっちゃ良いわ〜ってなった後アニキのギター聴いたらやっぱアニキのギターが一番好きってなる現象…笑
アニキが捌ける時にドラムの方と啓介さんとがっちり握手して光村さんの腰辺りをぽんってして何か話しかけてにこにこになる光村さんが可愛い…。全体的にあんな楽しそうにしてる光村さん初めて見たかも。
その他の覚え書き
·この日、アニキめちゃくちゃにこにこしてて本当可愛かった…!!特にZIONの面子とやってる時はめっちゃ笑顔でこちらもつられてニコニコしてしまう笑 ニコニコ→数秒後真顔の繰り返しがちょっと面白かった笑
·B.D.S前、アニキがギターをいじってて、田中さんが曲いっても良いかな〜って横目で見てたらアニキが手で「どうぞ(曲始めて下さい)」ってやってたの何か微笑ましかった。
·とにかく光村さんとアニキのニコニコ具合いがすごかった。本当楽しそうで見てるこっちもHAPPYな気持ちになりました…♡
1.雀の子
3.NOS
5.Ophelia
7.アマテラス
8.SEX
10.実はもう熟れ
E.N
1.now And Then(THE BEATLESカバー)
2.Angry(THE Rolling Stonesカバー)
3.B.D.S
l
i
今の政権が駄目だと分かったら、もっとましな所を選べば済むだけの事です。
l
なぜ「日本もう駄目」などと言いたがる?
l
ツイッター(X)などで「おすすめ」に上がってきたりする事が不思議です。
l
それだけの事です。
l
l
外人ばかり優遇する在日政府をのさばらせてる者がおかしいだけ。
l
l
昔の2ちゃんねるなどは自民党の手先(ネトウト)だらけだったし
はてな匿名ダイアリーでも同じような口調のが目立つけれど
そういう状況にしている者たちが
自民党をのさばらせているのであって
l
そして、私には工作員の大半は
いつ見ても日本が悪いだの、日本人は馬鹿だの猿だのほざいている。
l
どこでも工作員ばかりが目立っていて、
知る機会がないのであれば
知りもしない事について「怒れ」などと言う方がおかしいでしょ。
l
例えば大谷翔平くんが私ほどの政見を持つ事ができるのか?
という話。野球にだけ打ち込んでいて政治には全然詳しくない・・・
多かれ少なかれそうでしょうよ。
そして、政府にそういう奴ばかりで
だから、まず自民党などの移民優遇政党を追放しないと駄目です。
l
安倍昭恵を絶賛して逃げただけの奴ですよ?
l
それが分かってるからこそ
あとはせいぜいその信者とか。
それが悪いだけの事で
「たい焼き」は「さかな焼き」「ぶり焼き」「まぐろ焼き」みたいに各地で別の名前で呼ばれることはない
もちろんこれらにも別称はあるけれど「回転焼き」ほど多くの別名を持たない
何故「回転焼き」だけあんなにもいろんな名前で呼ばれたのだろう
不思議だ
「何故別称が多いのか?」という疑問はわかる
そりゃそうだ、なんだよな
じゃあ「何故他のお菓子は別称が多くないのか?」という話になる
いろいろぐぐってみたが、納得するためには日本の焼き菓子の歴史を紐解かないといけない雰囲気が出てきた
今時点の自分の中のこうなんじゃないかな~という仮説をメモしておこう
真似して売りやすいということ
他の和菓子はある程度技術と設備が必要なので真似されなかった、なので別名は増えない
……いや、違う気がするなこれ
大外れではないが芯を食っていない気がする
「饅頭」の別名が少ないのは逆にとても古いお菓子だからだろうな
「回転焼き」は最初「今川焼き」というローカルな地名がついた名前だったのが大きいのではないか
それぞれの地方が「は?今川って何?」と思ったから、それぞれ別の名前が付けられた
ということは例えば関西で「回転焼き」と呼ばれたなら、それ以西は「回転焼き」の名前で広まっているのでは?
と思ったが確かに関西と九州では「回転焼き」だが、「太鼓饅頭」とか「二重焼き」とも呼ばれているのか……
いや、でもこの説はもうちょっと考えたい
もし海路の方が速いのであれば違う名称の飛び地が出来ていても不思議じゃない
先行研究があるはず、本を探して読もう
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何故他のお菓子の名称は地域差が少ないのに、「回転焼き」だけあんなにもいろんな名前で呼ばれたのか
これに納得するためには回転焼きの歴史だけでなく、他のお菓子の歴史までひも解く必要がある
ここらへんの本か……?
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「元々は他のお菓子の名前も地域差が大きかったが、一部の呼び名を残して淘汰された」説もありえる
その場合は何故回転焼き系列の呼び名は淘汰されず群雄割拠が維持されているのかに答える必要がある
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まあこれはそれぞれの地域で主に流通している商品名の違いだろうけれど
しかし読む本が変わってくるかもしれない
しれないが……検索するとっかかりが無いな、しばらくこの疑問は寝かすか
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検索キーワードを思いついた
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回転焼き系列のあの丸い焼き菓子は、見た目も味もほぼ同一のものが各地域で呼び名が違う点が特殊
実際たい焼きの亜種はそこそこある
例えば福岡にはムツゴロウを模したたい焼きの亜種を出す店がある
しかしそれはたい焼きの亜種ではあるが、タイではなくムツゴロウの見た目をしていて……
たい焼き亜種で例えばまぐろ焼きがあったとしても、それはタイの見た目をしておらずマグロを模したものになるだろう
回転焼き系列はそうではなく「これは要は今川焼きだよね」「いや、回転焼きだよ」と意見が統一されない
なんかここの考えがまとまっていないな 要再検討
そうか、今川焼って亜種がないのか?
なんか焼き菓子がどのように発展したかの系統樹を見ると何かヒントが得られるかも
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「連載 たい焼き誕生史一覧」を読むと、明治30年代に、様々な形の焼き菓子ブームが起きたとある
ここらへんを調べると何かありそうだ
あと焼く金型とか焼き機の流通の流れがわかれば……これは滅茶苦茶調べる難易度高そう
地道な作業になるな……
この方の本どれか読んでみるか
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「今川焼き」「大判焼き」「御座候」の起源はある程度はっきりしているのに、「回転焼き」の呼び名の起源だけどうもはっきりしない
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回転焼き系列のあの丸いお菓子がどのように広まったかが詳しく書かれているサイトをやっと見つけた
場所によるものの呼び方の違い、日本列島あちこち、方言アレコレ|第1回|「今川焼き」の呼び方、その違いを探る!|岸江信介 | 未草
愛媛県松山市にある菓子を製造する機械メーカーの松山丸三という会社が昭和30年初めにこの菓子を製造する(焼く)器具を販売した[4]。昭和31年-33年に大ヒットした獅子文六の連載小説「大番」(週刊『朝日』に連載、1957年に映画化、のち1962年にテレビドラマ化)にちなみ、この機械で製造した菓子を「大判焼き」(当初は「大番焼き」で売り出そうとしたが、「大判」に変えたとのこと)と名付けた。この機器だけではなく、小麦粉や餡などの原料の「大判焼の素」も一緒にして売り出したところ、大ヒットした。松山丸三のホームページの説明(注2参照)によると「大判焼の素をあわせたセットは、素人でもすぐ店が開けるということからみるみる間に、四国、中国地方から全国へと広がった」とある。祭りや盆踊り、縁日などに全国各地で販売されたのであろう。同ホームページには当時の器具の写真が掲載されているが、この器具の上や下に「大判焼」と書かれた暖簾がかけられ、器具とともにこの暖簾もセットだったことがわかる。そして露天での販売は、いつもこの暖簾が掲げられていたに違いない。あとで述べる他の呼び方についても一般的に言えることだが、この菓子を販売しているところではほぼ例外がないくらい、この名称を暖簾やのぼりなどに記し、掲示している。各地で呼び名が異なるため、「回転焼き」であったり「おやき」であったり「あじまん」であったり「七なな越こし焼き」といった名称を店のそばを通る通行人の目のつきやすいところに掲げるのである。実はこの暖簾やのぼりに記載された名称が、各地でこの呼び名が定着する大きな要因の一つとなっている。例えば「回転焼き」と呼ばれてきた地域に「御座候」の暖簾を掲げた店が新しく現れると、客だけではなく地元の人々からも次第に「御座候」と呼ばれるようになるのである。「大判焼き」の呼び方が全国に広がった理由はここにある[5]。
[5] たこ焼きやお好み焼きという名称が広がったのも、「大判焼き」と同様に露天商が暖簾やのぼりを掲げて全国各地の盆踊りや祭り、縁日の折に売ったことが大きいと思われる。
この菓子の呼び方が各地で定着した背景には、新しく店を出した時に新たな呼び名をつけたケースがあるほか、客が店の屋号を呼び名として採用したケースがあるなど、さまざまである。例えば、「たこ焼き」「お好み焼き」「鯛焼き」には方言が少ないのに対し、この菓子にはこれまでみたように多くの呼び名があるのも興味深い。
「大判焼き」を例にみたように、暖簾やのぼりなどに書かれた商品名のインパクトは大きい。この菓子を焼いてもらうのを待っている時間、どうしてもこの暖簾やのぼりに目がいく。そして、この結果、新しい呼び方が定着するという現象が各地で起きてきたのだろう。一時代前までは「御座候」は姫路およびその周辺の呼び方だったが、現在は大阪をはじめ、各地のデパ地下に進出し、「御座候」の文字を目にすることが増えたため、大阪の若者の呼び方として定着するようになっている。
この記事の内容を読むことでとりあえず納得し満足した
なぜ「たこ焼き」「お好み焼き」「鯛焼き」には方言が少ないのか?という点は追加で調査が必要ではある
「お好み焼き」は名前から姿形をイメージできないから、方言がぼこぼこ生まれてもおかしくない気がするんだが……
いや、自分が知らなかっただけでお好み焼きのバリアント結構いろいろあるのか、じゃあ納得だわ
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自分用まとめ
・もともと全国各地に丸い焼き饅頭は広まっておりそれぞれのローカルネームで呼ばれていた
・戦後にプロパンガスが普及し始めて、屋台の調理器具もプロパンガスを使用するものが開発され販売された
・あの丸い焼き饅頭の焼き機も開発され、その際に「大判焼き」の名称で販売された焼き機が一番普及した
・しかし元々各地に広まっていたせいでローカルネームが根強く名称が統一されなかった プラス 焼き機が普及したので各地域でいろんな屋号と商品名が生まれそちらも定着した
・何故もともと全国各地に丸い焼き饅頭は広まっていたか?おそらく作るのが簡単だから 材料は小麦粉と餡子だからどこでも仕入れやすく形もシンプルな円盤
・何故大判焼き以前にもローカルネームがたくさんあったのか?ここは不明 作るのが簡単だから同時多発的に生まれた?発祥の今川焼きという名前が直感的ではなかった?これの傍証は呼ばれ始めた時期が不明のある程度製法由来の名前で直感的な回転焼きという名称がそこそこメジャーであること
確認のためには各地のローカルネームが大判焼き以前か大判焼き以後か調べる必要がある 大判焼き以降に生まれた店の屋号や商品名がその地域でメジャーという可能性は普通にある 分類が必要だ
少なくとも御座候と蜂楽饅頭は大判焼きと同時期(おそらく以後か)、回転焼きと太鼓饅頭は大判焼き以前
年表作るか…… いや、先行研究のサイトにある程度記述があるか 全て網羅は不可能だ 単に「まんじゅう」と呼ぶ人もいるらしいのに
例えばたこ焼きは誕生してからしばらくの間、主に関西のみで広まっていたようだ
それはおそらく、生鮮食品の流通が容易にならないとタコは簡単に入手できないから他所の地域だと作れなかったのかも(未調査)
たこ焼きはその実物とともに名前が全国に広まったので方言が生まれる余地が少なかったのだろう
wikipediaによると東京で暮らした文筆家がしばしば作中にたい焼きを登場させていたようだ 名称固定に一役買ったかもしれない
江戸~明治~大正~昭和前半くらいまでに全国レベルで普及していたのに各地でローカルネームで呼ばれていたお菓子……ってのがかなりレア
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レファレンス協同データベース|今川焼はいつどこで誰が考案したか知りたい。
レファレンス協同データベース|関西では今川焼のことを「御座候」と呼ぶと聞いたがなぜか。また、他にどのような呼び名があるのかも知りたい。
マイ大阪ガス|関西のギモン、調べます!炎の探偵社|御座候?大判焼?地域で違う「回転焼」の呼び名のナゾ
1位大判焼き、2位今川焼き、3位回転焼き :: 同志社女子大学
【目で見る方言】「大判焼き」名称問題を深掘り レアな呼び名や派生品も:中日新聞Web
場所によるものの呼び方の違い、日本列島あちこち、方言アレコレ|第1回|「今川焼き」の呼び方、その違いを探る!|岸江信介 | 未草
相変わらずジェンダーがどうとかつまらない話が多いので、過去の用例から「奥さん」あるいは配偶者呼称についていろいろ考えたいなあ。と思って書きます。
勿論、女中などに似ようはないと、夢か、うつつか、朦朧と認めた顔のかたちが、どうやらこう、目さきに、やっぱりそのうつ向き加減に、ちらつく。従って、今声を出した、奥さんは誰だか知れるか。
それに、夢中で感覚した意味は、誰か知らず、その女性(にょしょう)が、
「開けて下さい。」
と言ったのに応じて、ただ今、とすぐに答えたのであるが、扉(ひらき)の事だろう? その外廊下に、何の沙汰も聞えないは、待て、そこではなさそう。
「ほかに開ける処と言っては、窓だが、」
さてはまさしく魘(うな)された? この夜更けに、男が一人寝た部屋を、庭から覗き込んで、窓を開けて、と言う婦(おんな)はあるまい。(「沼婦人」泉鏡花、1908(明治41年)
「奥さん」は、自分の配偶者というより既婚女性に対する敬称として用いられています。「女中などではなく」自分が夢想する上流階級を思わせる女性(奥さん)が誰か分からないが、夜更けに訪ねてきた「女性(にょしょう)」は普通の「婦(おんな)」ではないだろう……という流れですが、この呼び分けは、日本語代名詞の豊かな言語世界を垣間見せてくれますね。
「奥さん」という語がめちゃくちゃ出てくる小説と言えば、やはり夏目漱石「こころ」(1914(大正3年))でしょう。前半では「先生」の妻である静さんの呼称として、後半では先生が青年期に下宿していた、静さんの母親の呼称として「奥さん」が登場します。この作品は、一人称の語り手による手記の体を(前半後半とも)取っているため、固有名詞を避ける書き方をしており、その結果であると思われます。
私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。
「奥さんらしい人」という表現から、「奥さん」が「配偶者」の意味で用いられていることが感じられます。ただ、自分の配偶者を呼ぶ呼び方ではないですね。
私の知る限り先生と奥さんとは、仲のいい夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。
「こころ」は新聞連載ですが、奥さんの初登場は先の連載4回目、その後奥さんと先生(夫)の重要なシーンである第8回を経て、この第9回で初めて名前が登場します。この作品、先生を訪問してきた「私」と奥さんが共に食卓を囲むシーンなどが多くあり、この夫妻は大正当時の一般的な夫婦関係よりも幾分現代に近い感じで描かれているように思います。
次は、「先生」が若いころ、その奥さんの自宅に下宿をしたとき、奥さんの母親を「奥さん」と読んでいたというシーンの引用です。(中略があります)
それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校のそばとかに住んでいたのだが、厩(うまや)などがあって、邸(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。
(略)
私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。
(略)
私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。
「上さん」「未亡人」「妻君」「奥さん」は全て同じ人物を指していますが、それぞれの場所でニュアンスが異なることが分かります。それぞれ「下宿屋の女主人」「(夫を亡くした)配偶者」「配偶者(尊称)」「既婚女性(尊称)」くらいに捉えるのが適切でしょうか。
そういうわけで、私たちは家の主婦を奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。(「白髪鬼」岡本綺堂、1923(昭和3年))
…「下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変」という言語感覚から、「おかみさん」「奥さん」の使い分けがくっきりと見て取れて面白い用例ですね。この話は、発表は昭和ですが、岡本綺堂は明治生まれですし、物語内時間は10数年前(つまり震災前)という設定ですから、言語感覚としては漱石の少し後、大正期の中頃を反映していると言った方が適切かもしれません(まあ、それを言うなら「こころ」の場合、おおむね時代は明治期の想定と言えそうですが。)
昭和に入ると、「奥さん」が配偶者を指す呼称としてライトに用いられ始めたように思います。太宰はこういう言葉のちょっとしたニュアンスが本当に上手な作家で、次の用例の言葉の使い分けは非常に印象的です。
「奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤しったすることがある。
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。(「満願」太宰治、1938(昭和13年))
医者が、夫の体の静養のためにセックスを禁止して…というちょっとした掌編なのですが、最初の「奥さま」は、医者が患者の配偶者である若い奥さんに言い聞かせるときの呼称、医者の「奥さん」は医者の(やや年配の)配偶者のニュアンスで用いられていますが、地の文での「奥さま」と「奥さん」の使い分けで、雰囲気が表現されているのは実にうまいです。
最後に、呼称という点で、最初に見かけてこれは書き留めておきたい(ぶっちゃけこの記事を書くきっかけになった)のがこちら。
妻は水の引くように痩せて、蚊帳の中で死んでしまった。死ぬ前「今度奥さんを貰う時は、丈夫な奥さんを貰ってね」と言った。
「莫迦、お前が死んだら俺は一生独身でいるよ、女房なんか貰うものか」
彼は妻の胸に涙を落しながら言った。その涙をふいている内にふと俺は嘘を言ってるのかも知れないと思った。
しかし、妻が死んでしまうと、彼は妻に言った言葉を守ろうと思った。死んだ人間に対しては、もう約束を守るよりほかに何一つしてやるものがないのだと思った。
この3つの呼称の呼び分けを、代名詞が豊富でない文化圏の人にどうすれば伝えられるだろうなあ、と思ったりします。
さて、蛇足ながら、このエントリを書いた理由について。呼称、代名詞というのは、時代によって変遷し、人の心を映すもの。だから、いろいろな意見や議論はあっていいと思いますし、そもそも言葉が時代のジェンダー観を反映するというのは、取り立てていう必要もないくらい当たり前のことではありますが、そういった、人々の内心の方を変えるのが面倒だからといって、言葉の方に罪を着せるようにして言葉狩りじみたことをするのは、正直「違うんじゃないかなあ」と思います。人々の心が変化すれば、誰が強制しなくても言葉は廃れ、変化していきます。〇〇という言葉を使うな!なんて言わなくても、それが指す事象が消えたり変化したりすれば、あっという間に言葉は移り変わっていくものです。だから、変えるべきことを人々の総意に基づいて粛々と変えるよう努力するのが重要であって、「言葉狩り」みたいな遊びで何か大きな社会貢献を為したような気分になるのは、正直やめてもらいたいなあ、と思っています。そんな感じのことを感じていただけたのなら、この記事を書いた意味があったというものです。ありがとうございました。
確かに距離を感じる表現だが、身内だからといって下げない、羽生さんの敬意の表れだと思います。
ウチとソトで分けて、外に向かうときはウチを下げることで相対的に相手側を上げる、という文化が日本にはある。
でも普段敬語で「山本さん」と呼んでる上司を顧客に向かっては「弊社山本が」などと言う慣習に違和感を持つ人も現代では多いんじゃないかな。心の中でさえ呼び方は「山本さん」で本当に尊敬してる人なのに、どうして下げなければならないのだろう、と。
近頃では小学校の生徒を呼ぶときでも、さん付けする教師が多いのだとか。誰かを比較して落とすことで誰かを上げるやり方は古い日本になっていくのかもしれない。
いい加減いい年なんだと自覚する。
昔は俺のほうが年季が長いはずなのに実年齢だけを理由に「〇〇くんは本当に凄いなあ。俺よりずっと年下なのに何でも知ってる」と言われたもんだ。
でも今はもうそういうことはない。
同じ業界の人間からは時折「くん」で呼ばれるが、それって単にこの業界に入ったばかりの頃の顔見知りが今でも同じ呼び方をしてるだけなんじゃないかとふと気づいた。
俺はもう「くん」の年齢ではないらしい。
なるほどね。
年食ってるね。
気持ちじゃまだ若干若手よりだと思ってたけど、それは単に俺がベテランを名乗ることに対して臆病なだけだったみたい。
俺はどっちでもないから、何でもかんでも俺単体のものとして評価を受けてしまう。